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原点は、父の背中。AIで挑む3兆円市場、"建設部材"の最適化/株式会社BALLAS 代表取締役 木村 将之さん
2026-04-24 52:46

原点は、父の背中。AIで挑む3兆円市場、"建設部材"の最適化/株式会社BALLAS 代表取締役 木村 将之さん

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モノづくりのまち「愛知県」で生まれ、自宅を手がけた設計士の父の背中を見て育った木村さん。双日での経験、製造SaaSスタートアップを経てたどり着いたのは思い入れある「建築業界」。そして今回、シリーズBラウンドにて、総額24億円の資金調達を発表されました🚀

事業は「建設部材のサプライチェーンマネジメントシステム」。一見ニッチに見えますが、建築部材は日本国内で絞っても「3.1兆円」と巨大な市場が広がります…😳

多重請負構造による情報の分断や人手不足といった課題を1つずつ解決することで目指すのは、「建設業を最適化し、人々を幸せに」というミッション。

木村さん、BALLASが歩んできたこれまでの道と、今後の展望を1時間のVideo Podcastで紐解きました!ぜひ、ご覧ください🎧

▼タイムスタンプ
建設部材のSCMプラットフォーム「BALLAS」 建設業界の多重構造とサブコンの役割
3.1兆円の巨大な「特注金属部材」市場
設計士の父の影響と建設業界へのルーツ
野球とバイオリンに打ち込んだ少年時代
「何者か」を問い続けた中学・高校時代
寮生活「和敬塾」の洗礼と共同創業者との出会い
インターンで叩き込まれた営業の基礎
総合商社・双日での経験とコロナ禍の帰国
製造業プラットフォームから建設業界特化の起業へ
BALLASの創業と資金調達
難解な「特注品」を標準化する独自のプロダクト戦略
建設部品管理BOMでサプライチェーンを可視化
生成AIを活用した設計・図面作成の自動化
建設業全体を最適化し、人々を幸せに

▼ご出演者様の各種リンク
-資金調達プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000007.000167430.html
-HP
https://asterminds.ai/
-採用情報
https://asterminds.wraptas.site/

▼Startup Now各種リンク
-おいなり(稲荷田和也)X
https://x.com/oinariiisan
-Startup Now公式X
https://x.com/StarupNow_
-特設サイト
https://jobtales.co.jp/StartupNow

100名以上のスタートアップの起業家が出演されてきた Startup Now。渋谷の専用スタジオから、資金調達を発表されたばかりの起業家やエコシステムのキープレイヤーの物語を紡いでいます。

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サマリー

株式会社BALLAS代表取締役の木村将之さんは、設計士の父の影響で建設業界にルーツを持ち、双日での経験を経て、建設部材のサプライチェーンマネジメントプラットフォーム事業を創業しました。同社は、多重請負構造による情報の分断や人手不足といった建設業界の課題を解決するため、特注金属部材の調達・設計プラットフォームを提供しています。シリーズBラウンドで24億円の資金調達を発表し、3.1兆円規模の巨大市場である建設部材市場の最適化を目指しています。 木村さんの幼少期は、野球とバイオリンに打ち込む一方で、自身の進むべき道について深く考える内省的な時期も過ごしました。大学では寮生活で多様な人々との出会いを経験し、共同創業者との縁もここで生まれました。卒業後は総合商社・双日に7年間勤務し、海外経験も積む中で、製造業プラットフォーム事業を経て、最終的に自身の原点である建設業界に特化した事業を立ち上げる決意を固めました。 BALLASでは、生成AIを活用した設計・図面作成の自動化や、建設部材管理BOMによるサプライチェーンの可視化を進めています。ミッションは「建設業を最適化し、人々を幸せに」することであり、業界全体の構造改革を通じて、より良い社会の実現を目指しています。今後は、プロダクト開発の拡充や他社との連携を深め、建設業界全体の最適化に貢献していく方針です。

00:00
国中の金属部材、日本国内で3.1兆円なんですよ。
超なんですね。
ちゃんと超あるんですね。
そうなんですよ。
メインは今、設備と建築でやらせていただいておって、これで2.5兆円の市場。
絞り込んでるのに、大きい市場なんだと。
建設業全体を最適化していきたいなと。
父親が設計士で引っ越すタイミングがあって、父親が設計して。
木村さんが起業されて、ぐんぐん成長されてるのにって、どんなふうなことを言ってるんですか?
日々大丈夫かと。
壮絶に残ってた方がいいんじゃないかと。
まあでも、親孝行にも少しはなってるのかなとは思いながら、親孝行になれるように頑張っていかないといけないなとは思いますね。
声で届ける企業家の物語、スタートアップナウ、MCのお稲荷です。
起業家・木村将之氏の紹介と事業概要
本日のゲストは株式会社BALLAS代表取締役の木村将之さんです。
BALLASさんは建設部材のサプライチェーンマネジメントプラットフォームを提供されているスタートアップで、
2026年の4月、シリーズBにて総額24億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
木村さん、本日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本日の配信では木村さんの人生の物語だったり、BALLASさんがどんなふうに創業されて、今の急成長されてきたのか。
根掘り、葉掘り、深掘りさせていただきたいなと思うんですけれども、
ちょっと僕がさっき言った通り、なかなか難しそうな事業をやられちゃいそうじゃないかなと、初見の方は思うかなと思っておりまして、
このあたり良ければ1、2分くらいで、言える限りで構いませんので、簡単な事業内容からお願いできますでしょうか。
承知しました。改めて株式会社BALLASと申します。
我々、建物の一部に使われるような建設部材を扱ってまして、
これを調達および設計ができるプラットフォームとして展開しているという事業ですね。
お客様は、よく専門工事業会社様、サブコン様と呼ばれるような方々。
受注者さん側は、金属加工工場さん、よく言う町工場さんなんて言われ方もしますけども、そういった方々をデジタルでつないでいくプラットフォームだということでございます。
ありがとうございます。
ここでちょっと聞いちゃいたいですけど、
建設業界とか、今サブコンみたいな話もいただきましたけど、そもそもここから僕も含めてよく分からなかったりするんですけど、
ちょっとだけ全体像も解説していただいて、その中でどれなのかというところをもう一回深掘りさせていただいてもいいですか。
まず建設業界、すごく多重受け負い構造になってまして、よく元受け、一重受け、二重受け、三重受け、
何だったらもう五重受けぐらいまであるんですけども、そういった構造になってます。
その中でよく元受けと呼ばれる方々が、ゼネコンさん、スーパーゼネコンさんなんかと呼ばれるようなこともありますけども、そういった方々ですね。
この元受けさんから一重で受けている方々がサブコンさんと呼ばれる方々で、サブコントラクターの略称なんですけども、それぞれの専門分野でのコントラクトを結んでいくと。
例えば空調とか電気とか、そういった形で専門的に受け負っている方々、そういった方々が我々のお客様ということですね。
ありがとうございます。
で、扱っている部材は金属系とかおっしゃってました。
金属の部材でございまして、その中でも大きく特注と企画品に分かれるんですけども、我々は特注のみを基本的には扱っているという会社ですね。
まずはそこから攻めていって、場合によっては広げていく可能性もあるしみたいなところなんですね。
じゃあ、なんでそこから始めたのかとかもすごく気になるんで、後でまた触れていきたいなと思います。
で、まさに授業についても教えていただいたんですけど、それを手がけている木村さん。
僕なんかは多分その授業やれないなと思うので、どうされてそうなったのかっていうのを昔のところからぜひも解いていきたいなと思いまして、
幼少期:設計士の父の影響と二刀流の少年時代
それこそ木村さんの幼少期がご家族関係とかどういう環境で育ったのかとか、なんかその辺りからぜひ教えてもらえますか。
ありがとうございます。
そうですね、もともと愛知県豊橋市というところの出身でございまして、兄弟は2人兄弟、男兄弟で、私が弟なんですけども、兄が1名おりまして、4人家族だということですね。
すごく今の授業に会社につながっているという意味では、父親が石器師でございまして、ハウスメーカーだったので住宅系で、
今私がやってることとは少し違うんですけど、影響という意味では多少受けてるかなと思ってますね。
そのお父様が石器師をやられてらっしゃるっていうのは、いつぐらいに気づいて、どれぐらいのタイミングで強く意識してたのかとかってどうですか。
そうですね、小学校に私が上がるタイミングで、マンションから引っ越すタイミングがあって、その時に作った家がまさに父親が設計して建てた家でございまして、
そこで明確に意識をして、認識をしたっていうのがスタートだったかなと思いますね。
自営業的にやられたわけではなくて、会社には所属されてたけれども、ご自身のお自宅はご自身で設計をされたってことですか。
そうですね、まさにサラリーマンで全然一般家庭なんですけども、そこのメーカーの企画の中で設計を自分でしたということですね。
それを実際にお父様がお仕事されてる様子を間近で見るタイミングはあったんですか。
そうですね、実はいくつかあってですね、いわゆるハウスメーカーって、今は少し違うかもしれないんですけども、本当は寒水休みだったんですね。
土日も全然普通に出社をしているっていう形で、父もよく現場に行くことなんかあってですね、そんなに邪魔しない程度にですね、私も一緒に同行したりっていうことは多少だったかなと思いますね。
それはやっぱりお父さんが意図的にちょっと見せたろうみたいな。
家で世話ができない人を連れて行ったっていう程度だと思うんですけど、結果的には結構印象深く。
すごく現場で職人さんだったりによくしていただいたなっていう記憶はすごく残ってますね。
自分も将来設計師になるぞとかって思ったりするもんなんですか。
これはですね、私がひねくれてたかもしれないですけども、父親と同じことしても面白くないなとは思っておりましてですね。
設計というところにはすごく興味を持ちましたけども、もう少し違う角度で建設業界に貢献できたらなっていうような考え方を持ってましたかね。
でもとはいえ、建設業界っていうことは幼少期から将来いつか携わりたいっていうのは思うにあたる。
そうですね、すごくイメージがしやすかったっていうのはあったと思いますね。
なるほど、ありがとうございます。
この辺りは直接的に後にも繋がってくるかなと思うんで、また後で回収しに行きたいなとは思ってるんですけど、
それ以外の部分、例えば幼少期どんなスポーツしてたかとか、どんな習い事してたとか、何にハマってたかとか、この辺りどうですか。
そうですね、すごくよく覚えてるのは野球を小学校から高校までやっていまして、
そこは頑張ってやってたかなと思うんですけども。
豊橋という場所はですね、すごくある種田舎に属するようなところかなと思ってて、
駅前なんかはすごく栄えてるんですけども、それ以外の私が住んでたようなところはそこまで栄えてなくて、
本当に小さな村の中でいろいろやってたかなっていうのが記憶に残ってますかね。
愛知県豊橋市だと豊田ではないんですもんね。
そうですね。
その辺りっていうのはどうなんですか、実際車系の方がいたのか、車ではなかったのかとか。
まさにものづくりの町ではございまして、豊田系列の会社さんがすごく多くて、
今私がお付き合いさせていただいている仕入れ先にあたるような金属加工の工場さんなんかもすごく多くあってですね、
そういう意味では記憶にはそこまで強くは残ってないですけども、
そういう町で育ったっていうのは少し影響はあるかもしれないですね。
なるほど。
先ほど野球を長らくやられてらっしゃったってことはスポーツ少年だったのかなと思うんですけど、
スポーツ以外にも結構そういう町で暮らしてるといろんな文化にたしなんでそうだなと思ったりするんですけど、
その辺りは実際どうだったんですかね。
そうですね、あんまり一般的じゃないかなというところでいくと、
実はバイオリンをですね、3歳から行ってまして。
来ましたね。
ちょっと変わってるかなと思うんですけど、もう自分の意思なんて全くないですよ。
親だったり兄の影響でやったというところだと思うんですけども、
少しこう野球とはまた真逆とは言わないですけども、違うものを二刀流でやってたかなと思いますね。
先んじてね。
正直、小学校時代とかだったら野球とバイオリンってどっちのほうが好きだったとか、両方好きで何が違ったとかだったらどんな感じですか。
これはですね、結論どっちも好きじゃなかったなって私は思ってるんですけども、
好きじゃないの角度が少し異なっててですね、バイオリンってものすごく高尚なものだなとも思っていて、
先生からですね、よくモーツァルトは真珠を転がすように引くんですよみたいな、そういうすごく高尚なお話で、
なかなか私の知説な金銭にはなかなか触れなかったっていうところがあるんですけども、
もう一つ野球の方でいくとですね、結構厳しい野球チームで強かったんですけども、
かなり私自身も責任を持ちながらやってたかなと思っていて、小学校でそんな責任を持ちながらやるってなかなか大変でしてね。
小学校で責任を持って野球って例えばどういうところから感じるんですか。
まさに私ポジションはキャッチャーで、キャプテンだったんですけども、
例えばピッチャーがちょっとコントロールずれちゃって打たれたりすると、もう全部私の責任だという。
ピッチャーのせいじゃないですか。
そうなんですよ。ピッチャーは自分で投げてるんでね、それはそれで大変だと思うので、
その責任は全部私が引き受けてと、監督に怒られてというような、そんなやり方で、
好きというところはもう超越して、責任感でやってたっていうのが正直強かったですね。
それだと、じゃあ友達とかが好きだったりとかあるかもしれないですし、やってたからその後でやるか続けるかとかもありそうですけど、
部活変える子とかも何らいたりしそうですけど、そういうのはなかったんですか?
そうですね。まさに中学は、実は公立で行ってるんですけども、野球部がなくてですね。
ない?
はい。みんな野球をやりたい人はクラブチームのようなところに行くんですけども、
私もクラブチームに入るか、はともた私立の野球部がある学校に行くかっていうのは悩んだところはあったんですが、
自分がその野球に対する熱がそこまでない中で、プロになるつもりもなかったので、
ちょっと違うなと思って、そこでやめたんですよ。
その後、結果的には高校に入って、やることがなくて野球部に入り直したんですけども、
中学は3年間やってないっていう期間がありますね。
じゃあ、でもバイオリンは?
バイオリンは中学2年生ぐらいまで続けましたね。
結構やってる方ではありますね。
そうですね。10年ぐらいはやりましたかね。
逆に中2でやめたっていうのはどういうきっかけなんですか?
やっぱり反抗期もあり、人並みに自我を持ち始めて、
少し自分がまさにバイオリンでプロになるようなレベルの人間ではないなというのを感じながらやってるっていうのは少し気持ち悪くて、
親にも申し訳ないなと思ったので、やめたというような背景ですかね。
とはいえ、バイオリンはやり続けていて、野球をやってたところをやめてぽっかり穴を開くわけじゃないですか。
それで、他に熱中したものとか何かにはまってたとか、中学校時代っていうのは何かありましたか?
中学・高校時代:内省と自己探求、そして野球への再挑戦
これ本当に正直なくてですね、中学時代って本当にぼやぼやして何も打ち込んだものがなかったなって振り返って思うんですけども、
ただ思うとですね、いろんなことを自分の中でもがきながら考えてた時期ではあったなと思って、
それこそ打ち込んでるものがないので、自分ってそういう打ち込める人間じゃないのかなとか、
はたまた人生ってどういうふうに生きていったらいいんだろうみたいな、
そういう少し哲学チックなことは悩みながら、本とか読みながら考えてましたかね。
中学校にしては資料深くないですか?
たまたまそういう環境になったのかなと思いますね。
普通の中学生だったら、ゲームしてとか友達と遊んで、遊び放棄て終わりでいいんですけど、
そうやって考える時間があったり、本を読んだりとかで内省をするっていうサイクルは明確じゃないながらでもやられてらっしゃったんですね。
そうですね。愛知県の豊橋市って、少しヤンキーが多い街でもあってですね。
私も小学校からずっと公立なので、周りの子たちは仲いい子たちヤンキーになってくっていうような道もあったんですけども、
全然仲良くし続けながらも、ちょっとその道でもないなみたいなのは思っていて、
そのあたりで自分の道を探してたっていうのはあると思いますね。
で、高校に関してはどうですか。学力はどんな感じでとか、結局野球部に戻るわけですけど、それは何でやったのかとか、このあたり教えてもらえますか。
そうですね。高校も一般的な公立高校で、そんなに高偏差値がすごく低いところではなかったですけども、
特に高いわけでもなくっていうレベルの高校ですね。
本当にやることがなかったので、自分にできることって何だろうなと思って。
野球、知人も一緒に入るっていうようなこともあったので、野球をやり始めたというところですかね。
はい。はいえ、3年間のブランクもあるじゃないですか。そのあたりとかってどうだったんですか。
いや、これはですね、結構悔しい思いもあって、高校1年生の初めの半年ぐらいなんかは、全くこう、野球のボールもですね、何式と公式で違ったので、初めて公式を触るっていうレベルで。
中学からそもそもあれどっちでしたっけ。
そうですね。基本は中学で、中学まで何式ですかね。一部公式のところもあるっていうぐらいですかね。
で、高校から公式になるけど、そもそも触ってなかったし、いきなり別のものらしいみたいな感じだったんですかね。
そうですね。はい。なかなかこうついていくのも大変なぐらいだったんですけども、半年ぐらい経つともうかなり慣れて、あのチームの中でも少しずつこうプレゼンスは発揮できてたかなと思うんですが、
あの実は辞めてるんです。
辞めたんですか。せっかく順調に軌道に乗ってきたと思ったんですけど。
そうですね。2で辞めてるんですけども、そこですごく思ったのは、まあバイオリンの時もそうだったんですが、
自分がこの道でプロになっていけるような人間で、はたまたそのプロの中でも一級の人間になれるのかっていうところで、
まあそうじゃないなと思ったんですよ。
その中でこうやってても、まあ本当に自分がこう一生懸命できるのかなっていう迷いがあってですね、まあ辞めましたね。
めっちゃ気になるのは、なんか常にプロになるのかいなかみたいなことを小学校の時も高校の時も考えてるじゃないですか。
なんかさほどそれ考えない気もしていて、なんでそんな考えになるんですかね。
なんでですかね。まあここはちょっと極端な考え方の部分もあったかもしれないですけど、
なんかこうやりきってない感じがすごく気持ち悪いというか、それは小さい時から思ってたかもしれないですね。
逆に完全に何かに没頭しきってた時期とかそういうのってあったりするんですかね。
正直、学生時代はそんなにないなとは思ってるんですけど、一個あれですね、こう振り返ると、現代社会ってわかりますか。
教科の話ですか。
教科、今の話というか教科。
今だとなんですかね、公民とかそういうのになってるかもしれないですけど。
ありますね、久しぶりに聞きました。
あれだけすっごい好きだったんですよ。
え、いつ小学校とか。
中学高校ぐらいですかね。
社会全般好きで、歴史も好きだったんですが、現代社会は特に好きで。
現代社会はいつからいつでしたっけ、大体ざっくりでいくと。
基本は戦後ですからね。
不思議ですね、なんでですか。
そうなんですよね、今振り返ると少しでも社会のことを知りたいとか、社会全体のことを知りたいとか、
大人の世界っていうのがどういうふうになってるのかっていうのが、
豊橋っていう田舎にいたこともあって、なかなか見えなくって、
その辺を知れる一つのツールで、私にとってはすごく面白かったですね。
選挙制度ってこういうふうになってるんだとか、こういうふうに世の中動いてるんだっていうのは面白かったですね。
なんかでも世界を見たかったんですね。
そうだと思いますね。
なんとなく閉塞感を感じてたっていうのは、
思春期だからの特有のものもあると思うんですけども、今振り返るとそう思いますね。
大学時代:東京での寮生活と共同創業者との出会い
じゃあ大学とかはもうその地域を出たりもするんですか。
そうですね、まさに大学から豊橋から東京に出てきてですね、青山学院に入ったと。
学部とかで行くと。
法学部でございまして、
刑事訴訟法ゼミとこういうところでやっておりました。
それはたまたま入った系ですか、それともすごく興味があったんですか。
たまたま。
よかったですね。
普通の大学生ですね。
そうですね、たんの大学生をやってました。
じゃあ元々愛知にいて、そのタイミングで上京してくるわけですか。
そうですね。
大学からなるとどうなるんですか、一人暮らしをするのか、どっかに行くのかとか。
そうですね、これもちょっと変わってたのが、都内の大学生であれば誰でも入れるっていう寮がありましてですね。
じゃあ青学生の寮とかじゃないですね。
ではないんですよ、はい。
特に早稲田の近くにあったので早稲田生が多かったんですけども、でもいろんな学生が住んでいてですね、そこに住んでましたね。
それは何か知ったきっかけとか。
もともと兄が入ってたっていうのがあるんですけども、前川製作所という冷凍機器メーカーさん、今でもある会社で、
美少女なんですけども、オーナー系ですごく儲かってらっしゃる大きな会社さんで、そこの創業者の方が立てられて、松下製形塾みたいな思想で立てられたとこですかね。
めちゃ素敵ですね。
そうですね、和形塾というところで。
だがしかし非常に癖が強かったという噂を金がね、聞いてるんですけれども、少しそんなエピソードもいただいてもいいですか。
そうですね、まさに今対談している4月というなんかだと、ちょうど大学生が新入生が入ってくるタイミングで、
男子大学生寮ですね、すごく年功序列な風土がございましてですね、一番初めに植え付けるんだという、そういう思想でございまして、
1ヶ月間新館期っていうのがあって、新入生歓迎期。
それだけ聞くと普通の大学生っぽいですよね、新館が。
そうですよね、いわゆる新館ですよね。
これ1ヶ月あるんですけども。
ちょっと長いかな。
まずあの自己紹介っていうのを得得しないといけなくてですね。
得得が必要なんですね、自己紹介するんじゃなくて得得というものが必要なんですね。
得得が必要でございまして、幕声で自己紹介をするっていう。
幕声ってことは大声のその先ってことですね。
そうですね、自分で何言ってるかわからなくなるぐらいの、鼓膜の破れるとかのレベルではない、自分が一番出せる声で自己紹介をするというので、
それをですね、まず初日に12時間ぐらい立ちながら全員やるんですけども。
12時間幕声の練習をし続ける。
そうです。
意味がわからないと思うんですが。
しかもあれですよね、お兄さんがいらっしゃったってことは知ってたわけですよね、たぶん。
そうですね、ただ一言も聞いてなかったです。
それギルティですね、だいぶ。
いや、ほんとそうなんですよ。
まず初日そういうことやって、その得得した自己紹介を先輩全員のお部屋を回ってですね、自己紹介して、
1時間、2時間ぐらいお話をするっていうお部屋回りという行事がございまして。
名前もついてるんですね。
そうなんです。東西南北イヌイという寮が分かれていて、私は東というところで。
この東寮だと100人弱ぐらいいてですね。
違いますね。
なので全員回るんで、それこそ1ヶ月ぐらいかかるということで、初めの4月はそんな過ごし方をしておりました。
その新館期で半分ぐらい人いなくなりそうじゃないですか、そんなことないですか。
まさに半分はいなくなりました。
でもじゃあ木村さんはなんで残ったんですか。
いやーこれはですね、野球部やっててよかったのかなというところなんですけども、
脳死でただひたすら言われたことをやってみるというところでやってましたからね。
結果でも寮は卒業まで続けた感じですか。
そうですね、結局いましたね、なんだかんだ言いながら。
じゃあなんだかんだ言いながら好きなところとかいい部分もあったりしたんですか。
そうですね、やっぱり一人一人の先輩だったり後輩だったり同輩だったりっていうのがすごく近い距離になりますので、
そういう意味ではすごくいい人間関係が築けたのかなと思いますね。
しかもなんかいろんな出会いが世の中でもあるみたいな。
そうですね、まさにおっしゃる通りで大学も違いますし、それぞれ社会に出た後のキャリアも全然違いますので、
そういう意味では今でも刺激を受けるような部分もありますし、
実はバランスの共同創業者はそこでの同期の人間が共同創業なんですけども、そんな出会いもあり。
じゃあ耐え抜いてよかったですね。
いや、本当にそうなんですよ。
逃げてたら創業できてないですね。
そうですね、今となれば。
じゃあ大学では、今寮の話でしたけど、サークルに入ったのかとか部活に入ったりだのか、
たぶんサークルに勉強はそこまで熱中はされてないと思いますけど、すいません、失礼なんですけど。
大学時代はどんな感じだったんですか?
そうですね、まさにそんな初めの1ヶ月全然寮にいるみたいな生活だったので、
大学もそんなに行ってなかったかもしれないですけども、
ただ田舎に住んでたところから東京という広い世界に出てきて、非常に面白くはあったんですね。
しかも青岳ですからね。
そうですね、はい。
ただ我々の大って青山学院が文系でも相模原のほうにキャンパスがあって。
4年間ずっとですか?
2年間、文系は相模原で、理系は4年間なんですけども。
なので全然相模原大学なんですけども、2年間は行ってましたね。
ただすごく面白くて、そこで友人もできましたし、
サークルも実は自分たちで立ち上げて、野球サークルを。
野球サークルなんですかね。
そうなんですよ。
結局なんだかんだ好きってなったんですかね。
なんだかんだ関わってはいるんですが、
そういう新しい動き方なんかは大学でできたかなとは思いますね。
それはちなみにいつぐらいに立ち上げるんですか?
1年生の時にですね、すごく初めから仲良かった友人が、ずっと彼も野球をやっていて、
なんか面白いことをやりたいねと言ってた中で、サークルでも立ち上げるかということでやりましたね。
いいですね。
それは結局ちゃんと回っていったんですか、サークル自体は。
回っていきましたね。
私は全然行ってなくて飲み会担当でしたけども、
もう1人の彼がすごくできた人で、
もう今のとすごく大きくなってるみたいで、
嬉しい限りですね。
いい経験ですね。
楽しみつつ、ある意味チームマネジメントじゃないですけれども、
組織でやるみたいなことも。
そうですね。
社会人への準備:インターンシップと営業の基礎
他は何か、例えばインターンをしたらとか、こういうことで熱中したとかそういうのありますか。
そうですね、やはり私寮に入ってた時に、1年生から4年生までいますんで、
4年生、3年生の動きっていうのは、1年生の頃から知ることができて、
皆さん就活を基本的にはされるようなところがございましたので、
私も3年生になる時には、早々と就活っていうことは意識しながら動いてて、
インターンなんかも大学3年生の時に、
半年から1年ぐらいだったかなと思うんですけども。
結構長期で。
そうですね、やらせていただいて。
これは結構面白くてですね、
もういわゆるスタートアップに近いような少人数でやっている会社で、
結構比較的いろんな事業をやるような、勝者みたいなところでございましたので、
そこで社会人の基礎っていうのは叩き込んでいただいたかなと思いますね。
なかなかハードな日々だったっていう話も聞いてるんですけど、
このあたりはどんな感じですか?
そうですね、社長がすごく有名な方のご子息でもあって、
その方もご多分に漏れず優秀なお方で、
営業もすごくゴリゴリされるようなお方でして、
いわゆるテレアポーですね。
それを私はやらせていただいて、
1日200件ぐらいかけて。
200スか。
はい、1日に4,5件取れたらすごく同じだというような、
そんなやり方をしてましたね。
しかも当時の200スもね、
だから今みたいにシステムで自動でかけまくるわけでもなければ、
電話帳上から舐めて線引きながらやってましたね。
そっから3,4件取るってめっちゃすごくないですか?
そうですね。
今思えば結構確率いいのかなと思いますけど、
1個1個、もちろんスクリプトは書いて、
当時パソコンも全然使わずに手書きでメモで書いて、
ノートに書いて、1件1件どこが良かった、どこが悪かったのかっていうのも書いて、
次に生かしてっていうのをずっとやってましたね。
丁寧な子だったら3,410件で終わっちゃいそうですけどね。
その振り返りをしつつ200とか。
そうですね、ひたすらやってましたね。
それを経て大学を終えて就活をして、新卒はどこに入るんですか?
総合商社・双日での経験と海外赴任
新卒が早日株式会社という商社ですね。
実は僕もマーチ出身なんですけど、
マーチで商社ってさほど入れない印象があったりするんですけど、
どうやって入り込んだんですか?
そうですね、量の話と、
あとはインターンの話がだいぶ量がございますんで、
そこでだいぶ魅力的にお話できたかなと思います。
入って良かったっすね。
本当ですよね。
早日はどれくらいの期間いらっしゃったんですか?
早日はトータル7年間結構しっかりいたんですけども、
私は恵まれていて、
いわゆる出港なんかもさせていただいたり、
海外も行かせていただいたので、
本当に一週7年間でさせていただいたかなと思います。
例えばどんな仕事をされたとか、
どこに行ったみたいなところも少しずつ教えてもらえますか?
そうですね、大枠の本部では金属資源本部と呼ばれるところで、
いわゆる鉄がメインですね。
そこに付随するような材料だと鉄鉱石とか石炭とか、
製品寄りでいくと金属製品、
はたまたカーボンとか、
セラミックなんかも一部あるような、
そんなようなところでございまして、
私はどちらかというと製品寄りの事業部でやらせていただいたところですね。
海外はいつ行ったんですか?
海外はですね、
5年目?
4、5年目ぐらいで、
2019年に行って、
ちょうど1年でコロナになって、
帰ってきたというところでしたね。
本来であれば2、3年は行ったり?
そうですね、まあ勝者だと通常3年から5年ぐらいですかね、
行きますんで、
本来だったら今帰ってくるぐらいですかね。
全然違いますね、時間帯が。
そうですね。
どうですか、それ振り返ってみるとやっぱ3年行ききりたかったな、みたいな感覚なのか。
そうですね、3年間いたらまた違う経験も詰めたかなとは思うんですけども、
それこそ創業もしてなかったと思うんで、
また全然違う道でできたなとは思いますね。
帰ってきて、早日退職されたのがいつですか?
2021年ですね。
じゃあコロナがちょっと落ち着いてきたぐらいですかね。
まさにですね、コロナで日本に帰って、
そこで一つ取り組みをやって、そこで区切りをつけたというような流れですね。
その後はどういうような挑戦をされるんですか?
製造業SaaSスタートアップを経て建設業界へ
そうですね、その後スタートアップ実は挟んでいるんですけども、
株式会社カタラクシーというところで、
ここは製造業のプラットフォーマーというところで、
今少し経路を変わってSaaSの提供をしている会社なんですけども、
そこで経営企画をやってましたね。
勝者からどうしてスタートアップに行ったんですか?
もともとですね、実は早日の時にカタラクシーとお付き合いをするような機会がございまして、
いくつか類似の企業だったり業界だったりっていうのは、
いろんな取り組みを模索している中で、
すごくいい会社だなと思ってお付き合いしてた次第で、
その延長線上で転職したという背景です。
ちなみにそのタイミングとかは、ある程度企業とかも選択肢とかして考えていたのか、
全く考えていなくて、とりあえずスタートアップに行ったみたいな感じなのか?
もう全く考えていなくて、
カタラクシーでやっている事業が世の中にとって必要だというふうに思いましたので、
行ったというところと、
実はですね、今バラスでやっているところとも業界は違うんですが、
モデルとしてはすごく近いことを当時やってましてですね、
こういう事業を、そもそも創実でもやりたかったですし、
カタラクシーでもやりたくて行ったというのはありましたね。
であれば変な話、兵庫というか、
なんでうちでないんじゃないみたいな話にもなりかねないのかなと思うんですけど、
その辺りはどう整理されたんですか?
そうですね、まさにここはすごく葛藤があった部分でもあるんですけども、
カタラクシーに移る時に、実は建設業を元々やりたいなと思う部分もあって、
カタクシーは一部建設に関わるようなところも製造業という多く国の中で入っていてですね、
そこをバリアップしていくともっといい会社になるなという風に考えておったんですね。
ただゆくゆく解像度を上げていくと、建設業と製造業を一つの会社で、
特にスタートアップでやっていくというのは、
そこまで合理的ではない判断だったなというのは思っていて、
その辺りを経営陣ともお話しして、自分でやった方がいいという風に判断しました。
当時は建設系のスタートアップもとはいえちらほら出てきている頃な気もしますけど、
そういうところに行くとはならなかったんですか?
そうですね、まさに今扱っている建設部材を直接的にトランザクションで取引しているという会社はなくてですね、
まさにどこかでやってらっしゃったらそこに行ってたと思うんですけども、
当時はなかったというところですね。
じゃあもう建設業界でスタートアップをやりたいじゃなくて、
もう建設部材でというところまで点があったんですね。
そうですね、もう完全に。
なんでですか?
早日の時からずっとそうなんですけども、
ユーザーさんのところで、製造業および建設業でどういうペインがあるのかというのは、
もちろん理解をしていたと。
一方で同時に理解していたのは仕入れ先さん側ですね。
いわゆる金属加工の工場さん、町工場さんというところのペインも理解をするような機会が非常に多くてですね、
この需給ギャップのところですね、これをつなげていかないと社会として良くなっていかないなというのは当時からずっと思ってましたね。
結果的にバラシさんを創業するタイミングでもその課題の解決から始めるんですか?
BALLAS創業:課題解決への情熱と初期の立ち上げ
そうですね、もうピンポイントでそこでございますね。
まず最初、いきなりプロダクトを作りに行ってるんですか?
どんな立ち上がり方を初期はされたんですか?
そうですね、実は3名で共同創業なんですけども、私含めて3名ですね。
さっきの大学時代の友人と、あともう1名がまさにカタラクシの時の仕入れ先さんにあたる会社で、
オーカーバンキンという工場さんがあるんですが、そこの跡取りのオーカーさんという方がですね、
彼もいろんな模索をしていて、少し環境を変えるようなタイミングで一緒に創業したという流れだったんですね。
なので、仕入れ先さんのネットワークだったり、はたもたお客さんのネットワークだったりっていうのはあったので、
オペレーションと同時にプロダクトの開発も一緒にデイワンから走らせたというところがありますね。
結果的に、今持っているプロダクト群とか、当時のプロダクトでいくとどれくらい差異があるとか、
まず最初どれくらいスモールに始めたのかみたいなところも知りたいんですけど、この辺りはどうでしょうか。
そうですね。当時は本当に最低限の機能で、まさに18中ができるような機能を最小限で作りにいったというのが前提でございます。
当時のプロダクトとはまた一新してですね、
変えたのが2023年、1年半ぐらいですかね、経った時に少しアップグレードをしたというレベルですかね。
その条件で、シードの時から結構大きめに調達されたりもしているようなお見受けをしたんですけど、
なぜそれが成し得たのかとか、何かTipsとかがあったら知りたいんですけど、どうですか。
そうですね。幸いにも業界解像度が創業当時からありましたので、
資金調達とプロダクト戦略:特注品の標準化
そこは投資家様にも非常に納得感を持っていただけたのかなというところと、
あとは市場規模ですね。どうしてもタムは非常に大きいところで、
そのSOMをどういうふうに定義するのかというところがポイントで、
そこがまさに業界解像度というところで納得性があったのかなと思います。
シードで調達されて、シリーズAでも10億円とかでした。
そうですね。12億円くらいですね。
しかも結構短い期間で行っている気がするんですけど、
それはもうじゃあ結構順調に仮説通りPMFしたぜって感じなのか、
いろいろウォーサーはあったのかでいくと、どんなふうに振り返りますか。
もう全然そんなウォーサー王というようなところもございますが、
当初の仮説でお客さんのニーズだったり司令先さんのニーズというのは間違いなくあっていて、
プロダクトとしても順調に進んでいたという中で、
一番ドツボにハマったのは建設業界、タムは広いといえど、
すごく細分化されている業界ではあるんですね。
自分たちが注力するターゲットの領域というのはどこなんだというのは、
当初からかなり仮説検証をしていてですね。
1年半ぐらいは本当に模索しながら進んでいったというのが実際のところですね。
今の領域の勝ち筋はなぜこれだったら突き抜けられるって感じられたんですか。
まさにですね、今の我々のオペレーションだったりプロダクトにもつながっているんですけども、
特注の金属部材というのはまさに特注の対応をこれまで従来されてきたような業界で、
非常に特注がゆえに取引コストだったりかさむような業界なんですね。
その特注性がこの建設業界のペインにつながっているという考え方を持っているんですけども、
それであればその特注をできるだけ標準化をして、
ただ単なる企画化ではなくて一部カスタマイズができるような、
そんな形の標準化をすべきだというふうに考えていてですね。
それがまさに1年半ぐらい経って、
カスタマイズするレベルの標準のものがどういうターゲットに当てはまるのかというのが見出せたというところですね。
そこからはもう一気に右肩上がりで来たということですね。
むしろカスタマイズするものよりも一定標準化されたようなものの方がSaaSとかシステムに落とし込みやすそうな気がするんですけど、
カスタマイズしたものも落とし込むって難しくないですか?
そうですね。もともとですね、例えばハイブランド、
例えばディオールさんとかルイビトンさんなんかの松坂屋とかにあるようなオブジェなんかもやってて、
ディスプレイ業界とよく言われるんですけど、
ああいうのものすごい一品一用、
シーズンによっても全然違いますし、
デザイナーさんも違うというところでそういうのをやってたんですが、
さすがにこれは標準化が必ずできると思うんですが、
少し時間軸はかかるなと思っていてですね。
その時間軸がかからないような、今すぐにでも標準化できるようなものからスタートしようということで、
現時点のところにいってますね。
あとすごく調べてて気になったのは、いわゆるSaaS屋さんをやってますってよりかは、建設業の免許資格みたいなのも取られてらっしゃって、
建設業許可とサプライチェーンマネジメント
事業者としてもやってるみたいな。
ただこれ事業者として、まずやってるだけで僕すごいなって思うんですけど、
やってる度合いとかそれぞれある気がしていて、
わらしさんは実際どんな感じなんですか、そのあたり。
そうですね、まさに建設業許可というものを取得して行ってまして、
一定規模以上になるとこの建設業許可がないと、
財プラス施工ですね、これができないという、そんな縛りのものなんですが、
我々基本的には金属の部材を、最終品を作らせていただいて、
これをお出しして供給をするところまでのビジネスが8割9割ぐらいなんですよ。
え、じゃあシンプルに素材を求めている方とマッチングして終わりっていうところじゃないんですね、
もう作るところまでやってるんですか。
そうですね、物を納品するところまでやっております。
そこまでが基本型なんですけど、一部末付けまでやってほしいと、
これが施工というような領域なんですが、
我々がお出ししたものを施工するようなところも1割ぐらいございましてですね、
その1割の部分で建設業許可が必要になってくるということで取っていったということですね。
それはバラシさんとしていわゆる職人さんを内製しているのか、
パートナー企業さんとかもいらっしゃっているのかみたいな、そういう感じですかね。
そうですね、ここは製作工場さんと同じようにパートナーとなる施工会社様がいらっしゃってですね、
いわゆる施工管理と呼ばれるようなところは我々の内製でやっていて、
パートナーさんと一緒に施工をしていくという体制でございます。
そもそも素材もおそらく各工場とかと管理工業のつながりがありまして、そういった業者さんもそうですし、
そういう意味ではアライアンスだけでもすごい量がありそうですね。
そうですね、まさにそういった施工のパートナーさんだったり、
いろんなパートナーさんを含めると今200社ぐらい、
しるさきさんではパートナーリングさせていただいている状態ですね。
ありがとうございます。
シリーズB達成と市場の成長性
そして今回ご出演にあたるきっかけはシリーズBに到達したところだと思うんですけど、
特設サイトとかもちょっと拝見してですね、
AからBにかけての成長率がすごいというところとかを見たんですけど、
これはどうしてそれを成し遂げられているのかとか、
そもそもどんな伸びなのかとかも含めてちょっと教えてもらえますか。
ありがとうございます。
そうですね、さっき少し申し上げた需要側のターゲティングがかなり固まりきっているというのはございましてですね、
その中でも特に顕著なのがデータセンターとか物流施設、
またまた都市圏のリニューアル需要なんかが非常に多くてですね、
この成長率に我々も乗っからせていただいたような部分は多分にあるのかなというふうに思ってますね。
それに比してプロダクトのほうもかなり改善をしてきてですね、
我々まさにサプライチェーンのマネジメントをするようなプロダクトができて、
そこが一定円滑化しているというところですね。
それは取引者数がどんどん増えているみたいな話なのか、
一社に対してもういろんなアップセルクをするみたいなのができるようになってきているのかとかでいくとどんな感じなんですか。
どちらかというと一社さんに対してしっかり入らせていただいているような面は大きいのかなとは思っているんですが、
基本的にはN対Nでネットワーク効果を生んでいくようなビジネスモデルではありますので、
一定SMBを数多くというレベルではないというようなレベル感ですね。
ちなみにそれでいくと一番最初の調達とかは建設業界のそもそもタムがめちゃめちゃでかいところから
バリエーションとかもついていた話だと思うんですけど、
今の話でいくとどんどん狭まっていって逆に言えばソムは小さくなっているんじゃないかみたいなことも思っちゃったりするんですけど、
このあたりというのはどんなふうに。
そうですね。まず特注の金属部材という意味でいくと、
実は日本国内で3.1兆円なんですよ。
1兆なんですね。ちゃんと兆あるんですね。
そうなんですよ。このうち大きく3つに分けると設備、建築、土木というふうに我々分けているんですけど、
メインは今設備と建築でやらせていただいておって、これで2.5兆円の市場なんですね。
ものすごく実は絞り込んでいるのに大きくなっていると。大きい市場なんだというところですね。
そこのプレイヤー環境とかバラエティさんがしっかり入っていけるのかとかでいくとどうですか。
そうですね。いわゆる既存の招集官がこれまであった業界ですので、
地場の招職者さんだったり、またまた工場さんなんかが対応してきたというのがこれまでですね。
ただですね、ここはすごく建設業界人手不足になってまして、
これはお客さんに当たるところもそうですし、我々とある種競合するような方々もそうですし、
仕入れ先さんに当たるところも全てが人手不足という状態なので、
あんまりこうかにばってガンガン競合するというよりは一緒にこの業界を良くしていくというような形になっているかなと思いますね。
ありがとうございます。またそのプロダクトの部分もサプライチェーンマネジメントシステムというかもうプラットフォームですということで、
プロダクト構想とAI活用
おそらくいろんな機能、今既に拡張されているのかないしは今後どんどんされていくみたいな話だと思うんですけど、
この辺りの構想とか今の足元とかも含めて教えてもらえますか。
そうですね。一つ我々のプロダクトの肝のポイントはですね、いわゆる製造業でボムと呼ばれるようなビルオブマテリアルズというので部品表ですね。
いわゆるこの部品単位で物を作る時に生産管理なんかをしていくという考え方のシステムが製造業では一般的にあってですね。
建設業では一部はあるんですけどもそこまで一般的ではなくて、これを我々は建設部材ということでその部材単位で物を扱ってますので、
まさに建設版ボムのような形で一つ一つの部材に対して管理をしていくというようなシステムになっているんですね。
これができる会社がなかなかこれまでなくてですね。
もちろん俗人的には誰かしらがやってきたんですけども、データとしてこのレベルで部材単位で可視化して利活用していくということがなかなかなされていなかったという、そんな中で我々がやらせていただいている状態ですね。
今後の成長としては、どちらかというとそれをいろんなお客さんにというよりかはひたすらその領域で横展開していくのと機能も拡充していってみたいな感じなのかなと思うんですけど、具体的にはどんな感じですか?
まさに部材といっても先ほどのようにいろんな種類がございますので、その部材に合わせた形、どこまでが汎用的にできて、どこまでカスタマイズできるのかというのは我々も調整しながらプロダクトをアップデートしているというところが一つあります。
もう一つはですね、他社さんとの連携というところで、あくまで我々はサプライチェーン上の製造と施工をつなぐようなところで部材を扱っているということ。
ただその部材が積み重なって建物全体になっているということなので、この建物全体から我々のかわしもの部材単位までつなげていくというのが最終的な絵面かなと思ってましてですね。
そのあたりがまさに今回のシリーズBで、としかさんとして入っていただいているような方だったり、既存の取引さんと協業をしているというそんな状態ですね。
どんな出してからお金をもらっているのかみたいなところが、このあたりも結構戦略的にやられていらっしゃるのかなという気もしているんですけど、これまでのラウンドを振り返ったり、今回のシリーズBでもいいですけど、何か意識されていることとかあれば教えてください。
そうですね、もともとやはりこうかなり大規模になるような事業だと思ってましたので、資金面はかなり必要だというふうに見込んでおりまして、いわゆる独立系のVCさんメインで、もともとはシードとシリーズAはやらせていただいておったというのが主です。
今回はまさに事業会社さんおよび金融系の会社さんでのお年かさんメインでやらせていただいているんですが、それはまさに事業のネットワーク構造というのをより居増幅させていくというところに直接的に寄与をいただけるような方々と組ませていただいたという背景ですね。
ありがとうございます。それこそ調達リリースの中身とかも拝見したんですけど、結構AI自体も自社の製品の開発しっかりいろんな面で使われているって話もあったんですけど、この辺りも少し教えてもらえますか。
そうですね、まさに自社開発のその開発フローにおいてもAIはフルフルで使ってますし、我々のプロダクトの中でAIの機能としても搭載はしているというのはベースまずやってます。
一つ我々すごく特徴的なのはですね、我々で設計をするという工程がございますので、いわゆる図面を書く工程ですね。そこに我々自身がまずやっているというのは特徴だと思うんですけども、それをAIでやるということをかなり進めてましてですね。
具体的には3次元のモデリングというものをまずして、それを2Dの図面に落としていくというのがこの業界でのワークフローなんですが、そこを一つ一つ実はAIで自動化を始めているというそんな状態でございます。
なかなかでもそれって汎用的なAIってそのレベルの専門性あるのって思ったりもするんですけど、どんなふうに設計されてるんですか?
おっしゃっておりですね、モデル自体は汎用的なものを組み合わせておるんですけども、データ自体は我々のデータを使いながらカスタマイズしていってるっていうそんな状態ですね。
ということはやっぱりこれ長年培われたデータや知事情報をたくさん持ってらっしゃいますし、一方でそれ扱うってことはそれなりに専門性高い方々がやらないといけないのかなって思ったりするんですけど、そのあたりのメンバーだとか採用だとかそのあたりでどうしてるんですか?
組織体制と採用:求める人材像
そうですね、まさに建設業許可を取れるぐらい業界改造度の高い方々にも入っていただいているんですけども、
大体今ビジネス組織とプロダクト組織とコーポレート組織3つの本部がございまして、ビジネスとプロダクトで半々ぐらいなんですよ。
そこはバランスがすごくいいなというふうに思っていて、ビジネス側で建設業および製造業出身の方で6割ぐらいというような状態ですね。
意外と他の業界の方もいるかなとは思うんですが。
相当知ってないと入りづらそうな人もいますけどね。
そこがやはりデータを作ってきて、誰が見てもわかるようなデータで可視化をしてきたというのが大きいのかなと思うんですが、まさにそんな状態ですかね。
今ビジネスビリで結構大きめに調達もされてますので、それこそ採用も加速していくんじゃないかなとか思ったりするんですけど、いわゆるどんな方に来てほしいとかそういうのはあったら教えてください。
そうですね。やはりプロダクトをより磨き込んでいきたいという思いは会社全体で持っておりまして、もちろんPDMだったりエンジニアリングというところもそうなんですが、
我々の特徴はビジネスオペレーションをしながらそこで改善ポイントを洗い出して要求定義を上げて要件定義してという流れなので、そういう意味でプロダクト開発に寄与するようなビジネスオペレーションの動き方、企画をできるようなお方というのを求めてますね。
ありがとうございます。あとそろそろ終わりに差し掛かってくるんですけど、バラスさんとしての今掲げてらっしゃるミッションとかビジョンとか、なんかこの辺りも素敵だなって思ってたんですけど、改めてどんな世界観でやられてらっしゃるのかというのを教えてもらえますか。
ミッション・ビジョンと木村氏の人生観
我々のミッション建設業を最適化し人々幸せにとこういうふうに歌っておりまして、この意味合いはですね、建設業全体を最適化していきたいなというふうに思っているんですね。
これはもちろん建設業がこれまで多重受け入れ構造で情報分断されてきていたのが、今になって外部環境が変わってきてペインになっているというふうに思ってますので、ここをまず変えたいというところと、
ただ最適化するだけではなくて、それがやはり業界の方々、もしくは建設物を利用される一般の方々がより幸せを享受できるような社会になるとすごく素敵だなと思っていて、それは建設業というものだとでき得るものだと思うので、そんなふうに考えてますね。
ありがとうございます。今がバランスさんとしてであり、イコール木村さんとしてでもあると思うんですけど、一方で木村さんとして、事業を通してもそうじゃないところでもいいんですけど、これからどういう人生の生き方をしていきたいかとか、何を大切にされているかとか、そういうのも気になるんですけど、そういうのはどうですか?
そうですね。本当に社会の役に少しでもいいので、立てたなと思って死にたくてですね、後悔のないように死にたいなと思っていますので、そういう意味合いでこの建設業っていうのは一丁目一番地だと思いますし、それを通して少しでも社会構造だったり業界構造っていうのを良くしていけたらいいなとは思ってますね。
ありがとうございます。ちなみに、もうお父様は全く同じ仕事じゃないにしても、ちょっと近しい領域にされてるじゃないですか。今、木村さんが起業されて、こうやってぐんぐん成長されてるのを見て、どんなふうなことを言ってるんですか?
父への想いと起業の意義、そして未来へのメッセージ
日々大丈夫かと言われて、壮絶に残ってた方がいいんじゃないかと父親は言いますけど、まあまあでもある種親孝行にも少しはなってるのかなとは思いながら、親孝行になれるように頑張っていかないといけないなとは思いますね。
じゃあやっぱり起業してよかったなと。そうですね、すごく素敵な方々に出会えてますし、自分の中でも豊かな時間は過ごせているのかなとは思いますね。ありがとうございます。じゃあよかったらここまで結構長尺でお話し聞いてくださった方々もいるんじゃないかなと思うんで、採用関連でも何でもいいんですけど、お届けしたいメッセージとかがありましたらぜひお願いします。
まさにシリーズBというところで、もう一段採用も踏み込んで、プロダクト開発も踏み込んでいこうと思ってますし、はたまた建設業界全体、これ70兆円という市場があるわけですけども、それを一社でカバーしていくというのはありえない業界なので、他の取引先様及び協業先様と一緒にこの業界を全体を最適化していける、そんな世界を作っていきたいなと思っています。
ありがとうございます。
じゃあそういう形で参画上院に限らず、その初院として入るだけじゃなくて、何か一緒にバラさんとできるんじゃないかみたいな、本当に業界を変えていくって言ったら一人じゃできないってことなんですね。
そうですね。
じゃあもうぜひそのあたりもいろんなリンクを概要欄に載せさせていただきますので、チェックいただいて必要があればコンタクトもいただければなと思っております。
じゃあお聞きいただいた方も氷村さんも本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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