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2025-07-10 21:38

#100-前編 ニューヨークの居酒屋で育った息子が仕掛ける決済業界の"ムーブメント"/株式会社Jamm 代表取締役CEO 橋爪捷さん

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Jammさんは、デジタル現金払い「Jamm」を提供されているスタートアップ💰 2025年6月30日、シードラウンドにて総額4.96億円の資金調達を発表されました!

▼トピック_前編
・ニューヨークの日本人向け居酒屋で育つ
・学生時代は日本人としてマイノリティな環境
・「なぜ資本主義は歪か」を題材にエッセイを書きウォートン大学に進学
・反骨精神から米国就職を拒否し日本へ帰国
・マッキンゼーから不動産テックへ転職
・アーリーステージの厳しさを痛感
・紫色のコーポレートカラーと社名「Jamm」のみの構想で起業
・銀行業界の分析から決済事業を着想し、居酒屋時代のお客様にアポ取得しビジネス開発

▼ご出演者様/企業様の各種リンク
-HP
https://jamm-pay.jp/users
-資金調達プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000015.000125998.html
-橋爪さんX
https://x.com/HashizumeSho

▼パーソナリティ
-稲荷田和也 (StartPods代表/JobTales株式会社 代表取締役)
⁠https://x.com/oinariiisan⁠

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サマリー

株式会社Jammの橋爪捷CEOは、ニューヨークでの育ちがどのように彼に影響を与えたのかを語り、独自の決済サービス「Jamm」について詳しく説明しています。彼は幼少期の背景や企業家としての成長を探る中で、文化的なアイデンティティの重要性に触れています。居酒屋での経験を背景に、スタートアップの世界に飛び込み、新たな決済サービスを立ち上げました。株式会社Jammでは、ユーザーの参加感を大切にし、決済業界における新しいムーブメントを目指しています。

Jammのサービス概要
Startup Now-資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、MCのお稲荷です。
本日は株式会社Jamm代表取締役CEO 橋爪捷さんにお越しいただきました。
Jammさんは、デジタル現金払いJammを提供されているスタートアップでして、SEEDラウンドで4.96億円の資金調達を発表されました。
橋爪さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
橋爪さんは、実はStartup NowとスタートFMさんとコラボした。
1年くらい前。
ちょうど1年前くらいですね。
それも確か、IBSのプレイベントで行わせていただいて、東京イノベーションベースDIBでやらせていただいた公開収録にお越しいただいたという接点がございまして。
確か、あのタイミングも調達直後か。
そうですね。少し後ぐらいだったような気がします。
そのタイミングで確かプレイSEEDで話があったと思うんですけど、今回改めてSEEDのタイミングで結構前もってご連絡いただきまして。
とても嬉しかったですし、かなり進んでらっしゃるんだなってことも感じられたので、今回話聞くのを非常に楽しみにしておりました。
めちゃくちゃ私も楽しみにしておりました。
ありがとうございます。
前編では冒頭で事業に少し触れさせていただきつつ、以降は橋爪さんの幼少期から企業に至るまで、人生そのものに迫っていきたいと思っております。
まずは現在展開されている事業についてですね、1分程度教えていただけますでしょうか。
はい、ありがとうございます。株式会社JAM代表の橋爪です。
弊社の事業、JAMっていう事業をやっているんですけれども、何かというと決済サービスでして、
イメージ、例えば決済サービス、PayDさんとかPayPayさんとかいろんなサービスがあるんですけど、それと同列になるような決済サービスです。
お会計時にオンラインで会計するときにいろんな決済手段出てくると思うんですけど、JAMっていう風に選んでいただくと、直接自分の銀行口座から払えるっていうところが特徴でして、
イメージですね、クレカとかがなくてもその場で自分の銀行口座から顔認証するだけでサクッと払えちゃうっていうところがですね、他の決済サービスと少し違うところになります。
なるほど。ちょっとデビットカードとか近いんですか。
そうですね。デビットカードの番号が全くなくなって、カードもなくなって、顔だけで自分の携帯端末で利用できるような、あと申し込みとかも必要ないので、
その場で家のソファーに寝転がったまま自分の銀行からサクッと払えて、物買ったりとかサブスクに登録したりとか、そういうことができるサービスです。
なるほど。ありがとうございます。今なんか非常に使い勝手が良さそうだなって印象もございましたけれども、
なぜそれを今このタイミングでできているのかとか、他の決済サービスとの違いは後編で触れたいなとも思いますので、橋爪さんのご本人についても聞いていきたいなと思ってますと。
橋爪の幼少期
なぜ老いたちだったりとか、これまでのキャリアっていうんですかね、その辺り1,2分ぐらい自己紹介的にいただいてもいいですか。
わかりました。そうですね、結構多分バックグラウンド特徴的かなとは思ってはいて、生まれが1995年なので今年30の代なんですけど、
1995年にニューヨークで生まれまして、実家が結構ミッドタウンっていう日本の会社の使者がいっぱい集まっているようなところの近くにある居酒屋でして、
そこでお店には結構日本の商社だったり銀行の方が結構その深夜2時とか3時とかに生ビールを飲みに来るような居酒屋で育ちまして、そこから18までずっとニューヨークにいました。
それはお父様が日本居酒屋をやられてらっしゃったということですね。
そうですね、はい。父親がそのままアメリカに渡って領事館の料理人をやっていて、そこから独立して居酒屋を始めたらしいです。
めちゃ企業家っすね。
そうですね、そういう意味では確かに父親もずっと医者家系で育ったらしいんですけど、いきなり料理人になってアメリカに行ってそこで居酒屋を始めるっていうのは確かに結構企業家メンタリティがあるのかもしれないです。
確かに、めちゃ面白いですね、それ。
で、そのさっき来られた来客車層も非常にエリートな方々が来られてて、結構その方々とのコミュニケーションとか受けてる影響とかってあったりもするんですか。
そうですね、たぶん中学生くらいになってからたまに従業員が熱とかで休んだりするときに結構電話がかかってきて、ちょっと暇とか言われて、そのまま店に走って行って、いきなり生ビールめっちゃ提供するみたいな、なんかそんな感じではあったので。
そういう意味では結構その日本の古典的なワークカルチャーみたいなところは結構身近に見つつ、ニューヨークに居ながらも結構見ながら育ったのかなというふうに思います。
そういう客層は日本人ばっかりなんですか、ではない。
そうですね、たぶん初期においてはほんと90%以上日本人で、たぶん後半、2000年代、2010年代くらいになってくると、より日本食、居酒屋とかも他の国の方々も食べるようになってきてはいたんですけど、それでも6、7割くらい日本人というところで、ほとんどお店の予約を取るときも居酒屋力ですっていうふうに日本語で取ってたので、ほぼ日本人しかいないような感じでしたね。
そうだったんですね。
橋上さんご自身で行くと、小学校、中学校とか、高校とかでもいいですけど、どんなことされていらっしゃったとか、どんな子だったとか、そのあたりとかはどうですか。
そうですね。やっぱり結構ニューヨークの白人しか、白人しかではないですけど、ものすごく白人が多い地域で育っていたので、小学校の時から結構おにぎり学校に持っていくとめちゃくちゃいじめられるとか、そういうのは結構あったので、かなりアウェイな表彰期を結構過ごしたのかなと思ってますね。
あんまりマジョリティーに属したことあんまりなくて、ずっと小数派で、ずっと自分がどういうもので、ちゃんと怪しいもんじゃないですよみたいなところを毎回レピュテーションを築きながら、小中高とやってきた気がします。
ちょっと肩身は狭さはあれども、逆に言えば自分のアイデンティティを問う機会っていうのは結構あったっていう感じなんですかね。
そうですね、小学校でもありましたし、高校とかでも学年100人ぐらいしかいなかったんですけど、半分ぐらいは4年間アジア人なので、あんまり話してもらえないと結構あったので、そんなにこう、そうですね、結構アメリカンな小中高時代あんまり過ごせてないかもしれないです。
小学校とかも、いわゆる日本人学校とかではなかったってことですか?
そうですね、その現地高で、小中高、大学までアメリカだったんですけど。
大学まで?
はい。
え、じゃあ日本に来られたのはいつですか?
2017年なので、今年で8年終わって、ちょうど9年目ぐらいに入る感じですね。
なんかそれぐらいいらっしゃると、なんなら日本語が不自由な方もいそうですけど、なんでそんな話せるんですか?
でも家の中はもう完璧に日本語でしたし、なんか当時スマスマとかビデオカセットで家で流して。
ビデオカセットで?
はい、当時まだカセットあったので、VHS流して家で見てたんで。
家の中では放送されてるNHKを見て、バラエティとかたまに見てっていう感じだったので、あんまりこう外の環境を除いてはほぼ日本みたいな感じだった気がします。
いいですね、なんかバランス良くて、そんな育ちができたらいいなってちょっと羨ましい気持ちになりましたけど。
逆に結構英語の方が苦労した気がします。
アメリカでの教育と文化
そうなんですね、現地の学校通われてもやっぱりそこは壁があった。
そうですね、現地の人たちは家の中で英語を喋っている家庭環境なので、そこと比較すると英語力みたいなところはやっぱり他の人からはかなり劣ってないような気がしますね。
学生時代のそれこそ部活とか何かこういうのやってましたとかそういうのってどうですか?
そうですね、4歳から卓球はしていて今でもやってるんですけど、週1ぐらいでずっとやってます。
それも結構マイノリティスポーツなので、なんでアメリカで卓球してるんだよって感じであるんです。
そうですよね、なんなら台とかもなさそうなぐらい。
そうですね、でも結構どこにもなんか中国人コミュニティみたいなの結構いるので、中華街の中の卓球場行ったりとかして、今でも東京で中国人しかいない卓球場ってとこに練習しに行ってるんですけど。
そうですね。
結構ポケット的になんか面白いコミュニティではあるので、アメリカ行った時も結構そういう人と一緒に卓球してたりしました。
大学はなんかどういう学校でどういう学部選ばれてとか、海外の人全然わからないですけど教えてください。
ウォートンってところで金融、ファイナンスを専攻してたんですけど、高校の時に周りのお金持ちの子たちがみんなお父さんがみんな金融業だったりしたので、
ただなんかそれってなんでそんなにお金あるのみたいなところが結構気になったりをして、高校の時にですね。
これを理解しないまま社会に出るのは良くないだろうというふうに思って、なんか大学でじゃあ金融学べそうなところを探した時に、
ビジネススクール行ってファイナンスを学ぶっていうところが一番こう、自分が欲しい情報が得られる気がしたので、そこを第一志望にして受けました。
それは無事に受かったんですね。
そうですね、たまたま。あんまり点数とか全然高校の時よくなかったんで、めちゃくちゃたまたまだったんですけど。
入試のエッセイとかが、なぜ資本主義が歪かみたいなのを書いてたりして、
多分なんでこんなやつがビジネススクール受けんだよってめちゃくちゃ思われたと思うんですけど、多分そういうところも面白がられて、多分取っていただいた気がします。
いいですね。新卒で現地で就職したわけではなかったんですか。
そうですね、卒業後はそのままアメリカに残る気は全くなくて、受け入れもせず、受名も出さず、そのまま日本で就職しようと思って、日本の金税にそのまま入社しました。
なんか現地で就職したらいいのにって思っちゃいますけど、どうしてそんな決めきってたんですか。
高校の同級生のお父さんとかが結構CEOだったりすることが多くて、それこそ投資銀行CEOとか学年にも2、3人ぐらいいて、
あいつらのために働きたくねえって思って、絶対投資銀行アメリカで受けねえと思って、
なので、あんまり既得権益に貢献したくねえみたいな反骨精神が強くて、アメリカを離れましたっていう感じです。
日本でチャレンジするのは別にそれは良かったというか。
そうですね、日本、そもそも彼らから遠いっていうのはあるんですけど、そもそも日本にいれば一定、日本社会に自分なりの貢献はできるんじゃないかみたいな。
できるんじゃないかと思って日本に移ってきました。ちょっと偉そうですけど。
アメリカにずっといたら、何なら別に日本への思いがなくなっちゃうこととか、そもそもなくなるところか、そもそも生まれづらいとかもある気もするんですけど、そういうのはなかったんですか。
そうですね、逆に明太おにぎり学校に持ってって、気持ち悪いみたいなめちゃくちゃ言われてる中で、でもやっぱり日本人だしなって思うことは結構あったので、
それってなんかお前らにバカにされようが別に俺は日本人であるっていうところは変わらなかったので、そういう意味でより一層日本人感が強まったのかなと思います。
逆に初めてになるんですか、日本に住まれず長期滞在したことはなかった。
22で来たんですけど、それまでは毎年一応夏休みの時とかは小学校の時は体験入学って言って、2、3ヶ月ぐらい、アメリカの夏休みって長いんで、その間に日本の現地の小学校に通ったりとか、小学校以降も毎年おじいちゃんおばあちゃんに会いに来るみたいな感じで、毎年1ヶ月か最低でも2週間ぐらいはいたりしました。
別にアメリカナイズドされすぎて日本に帰ってきて、逆に孤独感とかそこまでのものはなかったんですか。
そうですね、とはいえ日本の体験入学でもまたいじめられたりしたんで、全然それでもなんかあんまりここは僕のいるべきところだっていう感じは全くなかったんですけど、
とはいえ日本に帰ってきて、親戚とかいろいろあって、おいしいご飯食べて帰るって感じだったので、日本いい心地いいなっていう感じは若干してましたけど。
寂しさはあれども、でも日本っていう国自体は好きではあったってことですか。
そうですね、はい。
就職してからどんな感じだったんですか。
就職してから約3年半ぐらいですかね、コンサルをしてたんですけど、結構チャレンジングであったっていうところで、結構最初の頃は楽しんで仕事をしておりましたと。
とはいえコンサル業自体、自分でこうめちゃくちゃ何かをやるわけではなく、クライアントである企業の方にこうした方がいいんじゃないですかみたいな提案をして、
スタートアップへの挑戦
動いてもらうみたいなところまでが結構仕事の大半だったりするところかなと思っていたので、どちらかというと、このまま実際こう低減を押し続けて20代終わっちゃうのもあんまり良くないなというふうに思いまして、
スタートアップの世界に飛び込んでみようと思ったのがですね、26歳ぐらいの時でした。
そこからいきなり企業ではないんですよね。
そうですね。一回STっていうスタートアップに転職しまして、当時20人いるかいないかぐらいの規模感で入ったんですけど、そこで2年ぐらいですね、おりました。
どんな会社でしたっけ?
不動産テックをやっている会社で、今は結構いろんな不動産アセットのデータ周りを構築したり、そういうサースを提供したりしている会社なんですけど、
私が入った時は本当に初めての1個目のPMFしそうなプロダクトが徐々に売れてきたみたいなタイミングで、
そうですね。ビジネスメンバーも、鳥栖真理役とか除くと4、5人目ぐらいの人数の時に入って、本郷の部室みたいなところでみんな毎日出社してみたいな感じでした。
かなり大きいカンパニーから5人の会社のギャップはなかったんですか?
そうですね。入って、どちらかというとギャップは結構エンジニアの方とかプロダクトみたいな方と働くことが全くなかったので、
実際入ってから1年ぐらいはもう本当に使い物にならなくて、本当にエンジニア1人とデザイナー1人と自分で新規事業立ち上げとかを行ったんですけど、
全く立ち上がらなかったやつも結構あったりして、プロダクト作りってめちゃくちゃ大変なんだなって実際一緒にやってみて思ったっていうところが、当時の自分でした。
結果的に何年間いらっしゃったんですか?
2年ぐらいですね。
それは辞めた理由はどんな感じですか?
特にエスティに全く不満とかはなくて、新規事業結構いろいろやらせていただいていたので、当時3つぐらい着手して進めてたんですけど、
なんかふと3つぐらいやったけど、そろそろ自分でもできるんじゃねっていうめちゃくちゃ甘い気持ちで起業してしまいました。
あまり考えずに起業をしちゃいましたね。
辞めるタイミングでかなり具体的に事業案があったとか、これやりたいっていうのがあった状態ではないんですか?
辞めるタイミングが全く何にも決まってなくて、事業内容も決まってなかったですし、社名も考え出そうかなぐらいで、一応コーポレートカラーが紫ってことだけが決まってました。
ジャムの誕生
なんでですか?逆に何ですよ、紫見さん。
なんかポップの会社はいいなと思って、堅苦しくない色にしたいなと思って、コーポレートカラーを決めて、あと社名だけジャムって決めて、さて何の事業をしようかなと思ってスタートした感じですね。
コンサル不動産テックからのそのポップ差って想像できないんですけど、そのポップ差はどこから出てきたんですか?
なんか多分めちゃくちゃ考えて起業される方が多分ほとんどだと思うんですけど、逆に自分そんなに考えたら多分起業できなくなっちゃう気はするので、
いってあんまり考えないうちに起業したってそこから何しようか考えた方がいいかなと思って、ノリと気分で決めてしまいました。
ジャムってどういう意味でしたっけ?
もともとボブマーレーのジャミンって曲があって、レゲエなんですけど聞かれます?
聞かないです。
ですよね。
なんかたまたま会社を起こす時にスタートする時に、スポティファイのプレイリストで自分のお気に入りソングをシャッフルしてたんですけど、
たまたまかかってきて、自分の目指したいコンセプトと似てたんで、じゃあジャムでと思ってジャムにしましたね。
スポティファイさんに、じゃあ多大なる影響。
たまたまそこがシャッフルでかかってきたからなんですけど、意味としては音楽のジャムセッションみたいな感じで、
個々の人たちがちゃんと意識的に参加するっていう社会としても、個人的にはみんな意識的に貢献して何か変えようみたいなところがあるといいなと思っているので、
それとジャムみたいな単語が結構フィットしたので、ジャムっていう名前にしました。
新しい決済のムーブメント
いいですね。
シードの資金調達のプレスリリースとかも拝見しましたけど、結構モメンタム感って、あれどういうフレーズで出してましたっけ。
ムーブメントですね。
あれはどういうことなんですか。
そうですね、あんまりスタートアップとかっていう言い方をすると、会社がお金儲けをしてグロースをするために存在している感じが出てしまうんですけど、
我々通信の決済サービスとして、決済行動を行っているエンドのユーザーの方にも貢献している気持ちを持っていただきたいっていうところをムーブメントと表してるんですけど、
そういう面では使う方も参画している感じをちゃんと作っていきたいなと思ってます。
めちゃめちゃいいですね。
ありがとうございます。ちなみに最後に聞くと、今の事業に着地したというか、そこに決めた理由とかどんな経緯だったかってどこだけ最後教えてもらえますか。
そうですね、プロセスは実は、さっきノリで起業したって言いましたけど、プロセスは結構めちゃくちゃ緻密な感じでやりまして、
銀行業ってところは、自分がアメリカに行ったのもあって、結構ファイナンス周りのテクノロジーってところではあまり日本先進的なことをできていないっていう環境かなと思っていて、
っていうのであれば、必ずファイナンス周りでアンバンドルできるものがあるに違いないと考えたので、
なので銀行のやっていることをちゃんとAからEぐらいまで全部リストアップして、それぞれの領域でどういう方向性のイノベーションを起こせるかっていうのを全部書いて、
それを書く、じゃあどういうスタートアップがどういうところ取り組んでるかみたいなのを日米とかで見てみて、
たまたま日本にないみたいな穴が通信決済の銀行管決済っていうところがこれなくない?みたいなのがあったので、
それをじゃあ日本で実現できないかみたいなところで銀行の方にアポ取らせていただいて、
ちょっとこういうことやりたいんですけどみたいな相談をしに行ったっていうのが2023年の4月ぐらいですかね。
全然じゃあ2年前ぐらい。
そうですね、2年前ぐらいです。
銀行の方ってそれでアポ取れるもんなんですか?
それがたまたまうちの実家の居酒屋のお客さんが、今結構銀行の役員の方が結構、当時80年代ぐらいに駐在できていらっしゃる方が、
相当エリートというか。
みなさん出世されて役員をやられてる方が多くて、そういう方経由で居酒屋履きの息子なんですけど、
ちょっと一度お話しさせていただけませんか?みたいなところでアポ取らせていただいて話したっていうのが一番最初です。
その方めっちゃびっくりしますでしょうね。居酒屋の息子に急にアポ取られて。
確かにそうですよね。
ただ、実家の居酒屋、3、4年ぐらい前に親が定年で閉めてるんですけど、その時も各支店の方から寄せ書きみたいなのをいただいたりとか、
その人の名前とか載っていたりとかしたので、この人に話しに行かないとって思って、そこからつてをたどってアポ取るみたいな。
最初にかなり昔の語源を引っ張り出して、濃密なヒアリングと仮説検証がかなり進んだってことなんですね。
そうですね。
ありがとうございます。
かなり事業のところ最後触れてきて、そのポテンシャル、市場感とかすごく気になってきたので、このあたりは後編で担当キャピタリストの方も交えながらお話を伺いたいなと思っております。
橋爪さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
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