1. 鴨川でゆっくりしたい。「かもラジオ」
  2. #22 自称、次世代のワクワクさ..
2025-01-09 38:20

#22 自称、次世代のワクワクさん!若き起業家の挑戦(合同会社TSUKUM 代表 徳山 倖我さん)

起業は、かっこいいーー。

自分の意思がダイレクトに反映される生き方に魅了され、挑戦を続ける若き起業家がいます。

今回のゲストは、大学入学当初から「起業」を志し、現在はプログラミング教室の運営や教育事業の企画、デジタル工作機械の導入支援など、幅広い活動を展開している合同会社TSUKUM代表の徳山倖我さんです。

徳山さんが大学に入学したのは、コロナ禍真っ只中の2020年。当時はオンライン授業が中心で、学校に通えない日々が続きました。そんな中で、京都で多様な活動をする社会人や学生との出会い、起業家支援プログラム「COM-PJ」(かもラジオでも紹介)への参加を通して、起業への一歩を踏み出していきました。

「本気で遊ぶ感覚で働いている」と語る徳山さん。そのまなざしから、試行錯誤しながら新しい未来を切り開こうとする情熱を感じました。

新しいことに挑戦しようと考えているあなたも、徳山さんの物語から一歩踏み出すヒントを見つけられるかもしれません。


▼出演

ゲスト

徳山 倖我(合同会社TSUKUM 代表社員)

2001年4月、奈良県生まれ。自称、次世代のワクワクさん。京都産業大学情報理工学部卒。在学中に学生団体を立ち上げ、翌年に合同会社TSUKUMとして創業。小中学生向けプログラミング教室、教育コンテンツ開発運営の事業などを展開。「人生はお先まっしろ」という理念の下、自分の中から湧き出る“ワクワク“のままに今この瞬間を面白がり、如何にこの世界を遊び、冒険して生きるかを日々探求中。https://www.tsukum.com


徳山さんの会社が入居している「西陣町家学びテラス」については、以前のかもラジオでもご紹介しました。毎週水曜日は「オープンデイ」として、どなたでも気軽に参加できる場となっています。興味がある方は、お気軽にお立ち寄りください。


メインパーソナリティ

中村 千波:⁠⁠⁠⁠https://twitter.com/chinamaily⁠⁠⁠⁠

京都に生まれ、大学卒業まで一貫して京都で過ごす。学生時代から「納得できるキャリア形成」に強い興味を持ち、人材業界へ就職。東京・大阪での勤務を経験し、京都へUターン。「これもいいし、あれもいい。」多様性が生まれる生き方・働き方を探究・探求している。


▼番組概要

京都の様々なプレイヤーが集まり活動している様子や「居・職・住」について、鴨川でゆっくりしながら雑談する番組。記事に載せきれなかったことや、日々の生活のことなど、音声コンテンツならではの情報もお届けします。ホストは「京都移住計画」のメンバーが務めます。


▼京都移住計画

WEBサイト:⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://kyoto-iju.com/⁠

サマリー

今回のエピソードでは、合同会社TSUKUMの代表、徳山倖我さんが、京都での学びを経て起業した背景や教育コンテンツの開発について語ります。徳山さんは特に3Dプリンターの技術に焦点を当て、その可能性や社会への影響について掘り下げます。彼は教育事業を通じて社会に貢献する方法を探求し、京都を拠点にコミュニティの重要性や自身の理念についても述べます。彼の冒険は自己内省や社会起業家との交流を通じて進化し、教育の新たなアプローチを見出します。また、徳山さんはプロジェクト型学習(PBL)を通じて次世代の教育を実現するための挑戦について語り、梅小路エリアでの生活や活動拠点についても触れながら未来のビジョンを共有します。

起業の背景と出会い
鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間がやってきました。
本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオではゲスト会と称して、京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都移住話を伺っています。
今回は、京都で学び、京都で起業をした合同会社TSUKUM代表の徳山 倖我さんをゲストにお迎えしました。
徳山さんは、京都産業大学出身です。弊社TSUNAGUMUもオープンデイの企画であったりとか、京都産業大学さんとご一緒することが多いので、徳山さんとは学生時代から接点を持たせてもらっていました。
なので、ここからは徳山君と呼ばせてください。
本日は、徳山君が京都での学びというところを経て、皆さん就職を考えたりする人もいるのかなと思うんですけれども、そういった道を選ぶんじゃなくて、自分でことを起こすことを選ばれました。
そこでの思い出だったりとか葛藤、そのあたりをザックバランに話を伺おうと思っています。
まずは、徳山君、本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
簡単に徳山君の自己紹介を聞いてもいいですか?
はい、僕は自称次世代のワクワクさんこと、合同会社TSUNAGUMUの徳山と申します。
私たちはですね、つくるということを切り口とした教育授業をやってまして、具体的にはですね、小中学生向けのプログラミング教室だったり、教育コンテンツ、教材とかプログラムの開発をしたり、その出張授業などしています。
ありがとうございます。なんでTSUNAGUMUなんですか?今聞くタイミングじゃないかもですけど。
TSUNAGUMUと似てますよね。
ちなみにここで伝えておきましょうね、伝えないと。
多分ですね、カムラジオをやっておりますTSUNAGUMUとは何者やの説明がないままもう20何回目を迎えておりますが、
私たちはつなぐと生むの造語から生まれた会社でございまして、人であったり企業であったり場所であったりそういったところをつなぎ、生み育むという事業をしているのが弊社なんですけども、さあ話を戻しましょう。
TSUNAGUMUさんは何でですか?
共産大初の団体っていうことで、共産大のキャッチコピーというかが結んで生み出すっていうキャッチコピーで、僕らも共産大生なんでそこから引っ張ってきて、僕たちは作ることで生み出そうと。
ちょっと似てるんですけど意味が。でツクムにしたらTSUNAGUMUさんのゆえさんに似てるよなってツッコまれました。
決してグループ会社とかパクリとかではないって伝えておきたいことですね。
リスペクトはあります。
ありがとうございます。いいですね。京都産業大学もしかしたら知らない人もいるかもなと思ったので、ちょっと前提をお伝えしたいなと思うんですけれども、
京都にはいろいろ区が分かれていて、特に佐教区と呼ばれる北の方ですよね。山に近い。そこにあるのが京都産業大学さんになります。
だいたい1万5千人?6千人?
学生の人数全く知らずに入ったんですけど、すごいいますね。
そうなんですよね。本当にたくさんの学生の方が通われていて、文系の学部もあれば理系の学部もあれば、国際関係みたいな。
そういったグローバル系の学部学科もあるような、本当に総合大学ですね。そこが京都産業大学さんになります。そこの大学、初の会社としてついているってことですよね。
はい。
ありがとうございます。京都産業大学にちょっと入学される前の話もぜひ聞きたいなと思ってるんですけど、もともと出身はどこですか?
出身が奈良県の安土町っていうところで生まれました。
なるほど。そこから京都産業大学を選ばれたきっかけって何なんですか?
本当に浅はかで、シンプルに偏差値が、共産大がちょうどよかったっていうのと、あと、僕、情報理工学部っていう学部に入ってまして、簡単に言うとITを学ぶようなところなんですけど、これからIT来るんじゃないかみたいな。
波に乗ろう。
波に乗ろうという、そういう案外で最初は選びました。
なるほど。情報理工で学んではったのって何やったんですか?
専攻ですよね。
専攻ですね、はい。
は、もちろん基礎的なプログラミングとかは勉強するんですけど、僕が選んだコースとしてはデジタルファブリケーションって言って、横文字難しいですよね。
はいはいはい。
簡単に言うと、3Dプリンターとかレーザーカッターっていうようなデジタルデータを活用してアナログなものづくりをするっていうようなコースを専攻してました。
なんでそれ選んだんですか?
珍しいからですね。
いつも浅はかなんですけど、シンプルにやってる人が少ないから価値が高いかなっていうのと、シンプルに自分が面白そうだなって思ったのがありますかね。
あとは先生がすごいあったっていうのもあるかなと思います。
なるほど。大事ですよね。最初の自己紹介でまた次世代のワクワクっていう、このワクワクの中にもすごい特徴というか、性格を表すような言葉なんだろうなっていうのを聞きながらも思ったんですけど、
聞いてる人の中には扱ってた物であったり、分野自体も初めてだって人も多い気がして、もうちょっとこの3Dプリンターの特徴とか、例えばそれでできるものとかも聞いていいですか?
例えば3Dプリンターは、皆さん名前は聞いたことあると思うんですけど、造形方法、作り方にも本当にたくさんあって、結構素材で分けられることが多いです。
プラスチックだったり、セラミック、土とか粘土とか。
粘土でも使えると。
はい。これがコンクリートに置き換わったのが家ですね。
家も作れるってことですか?
そうですよ。3Dプリンターで家が海外ではもう実際に住まれてますし、日本でも最近は、まだ住んでる人はいないかもしれないですけど、作られてきてますね。
なるほど。3Dプリンターって、ちょっと認識が違ったら教えて欲しいんですけども、何を作りたいのかっていうこのデータを写真なのか作って、それを3Dプリンターと呼ばれる機械にプログラミングするというか、依頼をして作っていってもらうというものですか?
そうですね。おっしゃる通りです。流れとしてはおっしゃる通りなんですけど、意外ともう少し簡単で。
本当にパソコン上でCGみたいに粘土をこねるようにモデル形を作って、それを3Dプリンターに送り込めば勝手にプログラムは作ってくれるんですよね。
あとはX軸Y軸Z軸にどういうふうに動いてものを作っていくのかっていうのを勝手にやってくれるっていう。
情熱と起業の決意
なるほど。めちゃくちゃ専門的なXYZが出てきたので立体的にそういう意味なんだろうなと思っておりまして、パーソナリティをしている中村自身は公共政策という土分系出身でございますので、
リスナーの皆さんと同じようにちょっと難しいことを言っているかもしれないと初心の気持ちで話をできればと思うんですが、そういったものを専攻されたということですよね。
何から聞こうかな。まずは京都産業大学さんと私たちつなぐむは、京都産業大学さんが西陣というエリアにある地区100何年の町屋を管理されているんですけれども、
私たちはそこに本社を置かせてもらいながら、週に1回水曜日に朝10時から17時ぐらいまでオープンデイという形で、どんな社会人であったり、あとは学校問わずですね、時々高校生の方もいらっしゃったりするんですけれども、
そういったオープンデイというものの企画にも関わらせてもらっています。この町屋の場所によく徳山くんは来てくれてたのかな、とか思うんですけど、そことの出会いとか、そこでしてたこととか、そのあたりどうですか。
まず、町屋との最初の出会いというと、先に出てきた3Dプリンターの会社さんでアルバイトをしてたんですね。そこの先輩が町屋を教えてくれて、ついていったっていうのがまず一番最初のきっかけですね。
当時からもう起業はしたいなって思ってて、町屋に行ったときに、すでに個人事業でやられている方とか活発に活動している学生がいたりとか、そこですごい刺激を受けて通うようになっていったっていう経緯があります。
なるほど。オープンデーの中で、やっぱり起業をすでにされている方もそうやし、就職して実際こう感じたよ、みたいな。社会人とも出会える機会があったからこそ、自分の起業みたいなところの思いもどんどん膨らんでったんだろうな、みたいなのを町屋との出会いの話からは感じたんですけれども。
起業に対して最初感じていた印象とか、あとは町屋で出会って、どんな人の話が印象的で、それを自分の人生にも取り入れたいって思ったんですか?
そうですね。まず起業への印象で言うと、シンプルにかっけえってなったんですよ。起業っていう生き方が。起業を意識し始めたのが、大学に入学する前後。
もうそんな時から?
そうなんです。実は入学する前から起業したいなと思ってて、僕2020年入学なので、もうコロナ禍がど真ん中で、大学入学してから1年間はほとんど大学に行ってなかったんですけど、その間じゃ何してたかっていうと、たまたま意識高い系というか、自己啓発みたいな起業家の方が喋ってるようなYouTube。
を見て、それを真似てプログラミングで仕事をもらえないかとか、デジタルファブリケーションのブログを書いたりとか、そういったことを自分なりにいろいろやってた時期がまずはありました。
そうやったんや。
そうなんです。
当時はかっこいいだけで、あんまり言語ができてなくて、解像度低かったんですけど、今思うと、やっぱり自分の人生のハンドルを自分で握ってるというか、自分がやったことがダイレクトにフィードバックされる、影響が出るっていう、そういう生き方がすごいかっこいいなと思って、もうシンプルにかっこいいなあですね。
素敵やね。なんかこのかっこいいとかワクワクするみたいな、なんか自分の感情にフタをしていない感じであったりとか、なんかそれを今の話からすごいこう受けるんやけれども、ロールモデル的に置いてた人っているのかな?それともなんとなくこの起業という言葉とか、たくさんの人に特定のロールモデルはいないけど、合う中で、まあ起業ってかっこいいよなあ、になってるのか、そのあたりは。
それで言うと、前者でロールモデルはいなくて、ただいろんな分野で、この人はこれがすごいとか、あの人はこれがすごいとか、みんなかっこいいみたいな、ジャンプのヒーローを見てるような感じで、ルフィもかっこいいし、ナルトもかっこいいしみたいな、そういう感じなんですよ。
なるほど。じゃあ尊敬できるというか、こうなりたいという人は結構いろんなところにいてっていう風な感じだったよね。
そうですね。
いざ、合同会社つくむというのを今やってあるけれども、これ自体は合同会社というのを立てたのはいつの話で?
つくむを設立したのが、まず会社として設立したのが、2023年の8月です。
なるほど。
ただ、その前の1年間は学生団体として活動もしてました。
なるほど。なんかそれぐらいの時期って、たぶん大学3年生、4年生になって、理系の方やと、院に行くみたいな考えの人もいれば、就活かなみたいな、いろんなみんなキャリアの選択肢、悩む時期やと思うんやけれども、
言ってみたら、大学の入学前後から起業というキーワードが頭にあって、3、4年ずっと継続してそれを思い続けてたと。
そうですね。
就職という考え方はなんでなかったの?
なんでなんでしょうね。でも、逆に言えば、起業ができるんだって知るまでは、就職しかないと思ってたんですね。
で、その就活を僕してないんですけど、なんでかっていうと、起業したいって言ってるのに、就活をしてしまうと、起業をあきらめてしまうことと同義やんって思っちゃって、思いと行動が一致してない。
起業したいと思ってるのに、就活してる、行動は就活してるって、すごい気持ち悪いなと思って、かたくなにやらなかったっていうのがあります。
そこのこだわりとして自分が持ってはるところがあったわけやね。
そうですね。
どうなんやろう。それこそ、たくさんの人が通う大学に入ってとかもやし、さっき出てきた町屋っていうところも、本当にいろんな多大学の人もいれば、就職して働いてますよっていう大人もいて、
っていう中で、ある種流されちゃうっていうのもあったんじゃないかなってちょっと想像はして、そこってなかったの?それでもなんで強く起業のほうに自分は選ぼうと思えたんやろう。
なんででしょうね。でも、これかなと思うのは、僕、在学中に起業したいって思ったんですよ。
へー。
で、就活してから会社に就職して、スキルを積んでからとか、いろいろ準備ができてからやるっていうのも一つ選択肢ではあったんですけど、なんて言うんだろうな。
学生なんてね、なんも守るものないし、大きい失敗って早めにしといたほうが、人として奥行きが出るかなっていうのがあったのと、
何より、これ僕よく言うんですけど、情熱には賞味期限があるって思ってて、よく時が解決してくれるよって言うじゃないですか。
でも逆に言えば、時が情熱を消し去ることもあるかなと思ってて、だからこそ今ワクワクしてるうちにやろう、今やりたいことやろうっていうのは結構大事にしてることかもしれないですね。
起業への第一歩
別のことで置き換えるとあれですよね。恋愛は3という数字がつくとマンネリ化するという、それときっと一緒なんじゃないかと。これはカットされますか?
使いましょうか。はい、いきましょうね。なるほど。素敵やね。そこの思いを継続させてというか、その思いに従って動いていくはって、企業って具体的に何するんですか?ステップってあるんですか?
もうしたことがないから聞きたい。
センスは場別でしょうけど、僕の場合は、一般的にスタートアップって言われる人たちは、事業計画を書いて、投資家さんとかにプレゼンして、資金調達して、そっからサービスを作っていくみたいなパターンが、一般的というか、いわゆるスタートアップっていう感じだと思うんですよ。
っていう感じだと思うんですけど、僕としては妄想だけで終わっちゃうのが嫌なんで、もう目の前のできることからコツコツやろうっていうタイプで、なので最初は起業せず学生団体を立ち上げて、本当に少ないお金ですけど、大学のプログラムで奨励金をいただいて、そっからですね、機材買って。
ワークショップやってとか、そういうできることからやっていったっていう感じですね。
事業内容ってどうやって確定というか、今も変化をしているのかもしれへんけど、決めていかはるものなの?
それが僕も結構大きなターニングポイントというかあって、本当に最初は、やっぱり僕の強みはデジタルファブリケーションができることだっていうのがあって。
ただそれだけを切り口にして考えてたんですよね。
そういったときに、京都の会社のタリキさんと京都リサーチバークさんがやっている、コンプロっていう社会起業家を育成するプログラム、3ヶ月間のプログラムに参加したことがあって、
たまたま、何のしっかりしたプランもない大学生だったんですけど、たまたま採択というか、選んでプログラムに参加させてもらえて、いざキックオフに行くと、もう僕以外ほとんど自分で事業やってて、
しかも社会起業家なんで、社会を変えてやるんだって本気で思ってる人たちばっかりで、起業したいだけの何もない自分、大学生。
大学生が来たときに、すごい、ほんまに来る場所間違えたんじゃないかって思ったんですよ。
それと同時に、すごい自分が恥ずかしく思った。みんなこう、社会を変えてやろうっていうね、強い思いで参加してるのに、なんかただただ起業したいだけで入ってる自分がいて、
教育の新たな視点
それがすごい恥ずかしくて、そのプログラム開始まで期間があったんで、その期間本当にもう家にこもって、自分は社会に対して何がやりたいんだろうっていうのをひたすら考えた時期があって、
自分の過去をどんなことに興味があったとか、親とか友達に聞きに回って、
そこでやっと、自分は教育の領域なんじゃないかっていうのが、今やりたいことの種になるようなものが見つかったっていう感じですね。
なるほど。いろいろ話で出てきてる。まずたりきさんについては、今までのカモラジオでもたりきの方が出てくださったりもそうですし、
コンプロと呼ばれるものですね。こちらについてもつなぐものサイトを叩いていただくと、京都リサーチパークさんのコンプロでどんなビジネスモデルを作ってきたかっていう方とか、
実際その方々のピッチ的なイベントですね。それについての記事は実は制作していたりするので、そんな催しが京都にあるのかって思った方はぜひ見てみてください。
それの話とは別で、私が今の話を聞きながらすごく感じたのは、企業という別に手法を取らなくても、徳山君の中での自分のワクワクしている企業をすることに対してのある種打ちのめされた経験というか、
そこの改めての内省の機会って、別にそれが企業という形を取らなくても、就活中で悩んでる人にとってもめちゃくちゃ響くことだなと思ってて、
社会というものに出ようとしてるけれども、何ができるんだっけを、うーんって自分でも考えたし、それこそ自分をよく知っている友達なのか親御さんなのかに聞いて見つけていった。
今の話からそういう学びもあった気がすごいしたなと思って。
すごい綺麗にまとめてくださって。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
それが仕事なんでね。それは置いておきましょうね。
それで、じゃあ教育について自分は向き合っていくんだっていうのは、今も変わらずストンと落ちている、腹落ちしていることなんですか?
そうですね。領域としてはそうなんですけど、教育っていう言葉は今はわかりやすいから使ってるんですけど、社内ではあんまり使ってなくて、
そうなんや。
どっちかっていうと、人のモチベーションというか、わくわくを引き出して、それを伴奏する中で、人が自分で学習をしていくっていう、それを引き出す人たちなんだ、自分たちは。
なので、教育っていうと先生から生徒に教えるっていう一方通行のイメージがあると思うんですけど、どっちかっていうと、メインは学習者で、僕たちはそれを引き出す人たちみたいな感覚ではいます。
社会で言われている教育から、さらに自分たちなりの立ち位置、役割みたいなものをより言語化していったんだろうなと思ったんやけれども、それは企業をしてからというか、コンプロに出たからそうなったのか、それともまた違う過程で見つけていったのかでいくと。
それを見つけたのは、コンプロが始まる前ですね。本当にその期間で、自分の中で本当にすごい内省して見つけていったっていう感じですね。
なるほど。じゃあ、事業内容であったりとか、ある社のでっかい会社とかになると理念とかビジョンとか呼ばれたりするけれども、それに近しいものを自分たちの中でも置きにいてっていうのが、企業という道であったりとか、企業を選んで作っていくっていうところの過程でしていかったんやなと、今の話を聞きながら思いました。
そうですね。ビジョンとか思いのところはその前に、それを実現するための考え方のベースをコンプロで作ってもらったなっていうようなイメージですね。
不安との向き合い方
で、それを在学中にしあって、時系列的なところでいくと、今ってもう卒業されました?
実は2ヶ月前に卒業しました。
おめでとうございます。在学は何年間されたんですか?
半年留年しているので、4.5年間在学してましたね。
なるほど。じゃあ学生という肩書きは取れて、まさに自分の会社を持ってっていうふうな立ち位置でされてて。
そういうことですね。
現在の生活について聞きたいなと思ってて、働き方してることとか、あと、どこで何の活動してんの?みたいな。どうなんですか?
えっとですね、まず一番最初に言ったプログラミング教室の方で言うと、今はレンタルスペースを西大寺駅の近くで借りていて、その周辺の小中学生に向けてやってたりとか、
あと、コンテンツ開発とかはどこでも賞味できるので、依頼がくれば授業作って、それを納品するみたいなクライアントワークですし、
出張授業はね、いろんなとこに行きます。
県を越えて。
県を越えて行って、京都でももちろんやりますし、この前で言うと、香川県とか、あとは愛知県も行くし、結構いろんなところに呼んでもらって、授業させてもらってますね。
県を越えて。あれですよね、最初の方に町屋での出会いが、みたいな話もあったけど、今、オフィスの場所自体はこの西陣の町屋の2階になってて。
町屋でいろんな大学生に向けた活動もやってます。
面白いですよね。京都で学生生活を過ごしたからならではだなと思うし、京都というところを拠点に事業してるからならではの両方の話やなと思ってて、どういうことかでいくと、
多分、大学というところの自分のつながりのところを持ってるから、そこから先のキャリア自体も、はい、あなたは就職したねとか、卒業したね、さよならじゃない関わり合いを続けられてるっていうのが、このさっきの町屋で入居してっていうところの話からも、京都らしいなと思ったりはしてるけれども、
起業をする場所って何で京都にしたんですか。
絶対に京都じゃないといけないっていうわけではないんですけど、やっぱり一番はコミュニティかなと思ってて、この人たちがいるから京都でやりたいっていうのが一番強いですね。
具体的には、僕のすごい教育事業者の中で尊敬している教室が京都にあったりとか、それこそ僕がこれから起業していくぞっていうような出発地点になったのが、やっぱり町屋だったので、そこがあるから京都でやりたいなっていうのが一番強いですね。
正直、教育事業とかやと田舎とかでやったほうが実は強かったりするんですけど、やっぱり京都でやりたい、そういう人がいるからっていうのが強いですね。
このラジオを聞いた人は泣いちゃうんじゃないですか。
これはどっちでもいいですね。
だれだれさんありがとうございますってやったほうがいいかなと思って。
町屋に関わる人でいくと、以前もコミヤさんの登場をいただいたのでね。
僕の学生生活の母です。
なるほど。第2、第3の母、わかりませんが、コミヤさんにもこれは絶対に聞いてもらいましょうね。
町屋に行ったらいつもただいまって言って。
いいですね。全然話が飛ぶかもしれないんですけど、働くって戦いに行くみたいなところもちょっとあるのかなっていうのを恥ずかしながら社会人10年を経て思ったりもするけれども、
働く場所にただいまって帰ってこれるって、戦いとはまた違うなっていうのを教えてもらった気がしていて、今。
それで言うと、僕仕事感言うと戦うというよりは遊んでる感じなんですよ。
ちょっと怒られそうですけど。
なんか真剣に遊んでる感じ。スポーツと同じような感覚で楽しい。
で、町屋はなんか自分のホームに練習場に帰ってきたというか、なんかそういう感覚があって。
なので、仕事とプライベートもすごい混在するし、なんかでもそういう生き方が楽しかったりするなって思います。
いいですね。なんか決してね、これは町屋のPRのラジオではないんですけれども、なんか人にとっての働くの、それに対しての思いみたいなところはすごい参考になるなと思ってますし、
すごいポジティブな話もちょっと多かったかなと思っているので、不安との向き合い方とか、それこそね、企業って安定的にお金が入ってきたりするわけじゃないし、
自分での意思決定の瞬間ばかりが続くとなると、いやちょっとハードル高いわっていうのが一般的にというかイメージとして多いかなと思ってて、
なんかそことの向き合い方はどうしたはんやろう。
そうですよね。確かにたまに不安になったりすることもあるんですけど、来年度からもね、大きな事業を引き継ぐことになって、それもやっぱり不安はもちろんあるんですが、
なんて言うんでしょうね、不安って虚構じゃないですか。
まだ見えてないことでもあるしね。
おっしゃる通りで、過去何々だ、未来何々かもしれないっていうのは脳内で起こっていることであって、妄想でしかなくて、現実にはないじゃないですかと。
なので、実存しないものに振り回されても仕方ないなっていう、今この瞬間を一生懸命楽しむことが大事だよねって思っているからこそ、
不安になったときに、あ、ちがうちがう、これは妄想だと、パッとアンガーマネジメント的な感じができるなって思ってます。
ただ、そうは言っても、っていう人の気持ちもわかるんですよ。
頭では理解しててもね、難しいみたいな、あると思うんで、
そういうときは、よくよく考えてみると、不安って何なんだろうって考えるといいかなと思ってて、
僕もよく最悪の最悪を考えることが大事にしてて、
例えば、会社が倒産して、全財産なくなって、みたいな、そうなったときに、確かに最悪なんだけども、
じゃあ、今つながっている人たちとまた一緒にやればいいじゃんとか、
京都に住めなくなったら、実家に帰ってまたやり直せばいいじゃんとか、
死にはせんから、まあ大丈夫だよねって思える。
意外と最悪の最悪は、本当に最悪じゃないかもなって思えるので、そういうふうに考えるようにはしてます。
なるほど。ワクワクさんと言いながらも、最悪の最悪を考えるっていうのは、ある種堅実さみたいなのがすごい垣間見えたのかなとは思うんですけれども、
真面目な話も多めにいろいろと、キャリアの考え方、修行感みたいなところも教えてもらったなと思う反面、
聞いてくださっている方の中には、京都でこんな過ごし方したよな、みたいな思い出もちょっと考えてくださっている方もいるのかなと思うので、
学生生活のエモい思い出を話そうよっていう回もしたいんですけど、思い出の場所とかってなると、どこにならはんにゃろう。
やっぱりね、鴨ラジオですけど、鴨川かなと。
忘れてはいけない場所ですね。
忘れてはいけない。鴨川で告るとだいたい成功するっていう。
ディズニーランドに行くと別れるの逆ですかね。
逆ですね。鴨川はね、キューピットですね。うちのメンバーにもそれをお勧めしたら、鴨川デルタで告ったら成功したって言ってました。
鴨川ってね、上流とかデルタとか、いろいろあるじゃないですか。どのあたりで告白すると成功率高いんですか?
確かにな。僕は三条大橋の下。
人多めのとこに。
梅小路エリアの魅力
僕が行ったときは人少なかったんですけど、そうなんですよね。その友達というか、メンバーはデルタで送ってました。
なるほど。上流に行きすぎてもよくないし、下流のほうに行きすぎてもダメみたいなので、皆さん中流にしよう。
中流。
狙いましょうというのが今のお話から学びですね。
事例2ですけどね。
N数2ですが、これを聞いた方が実践して、もしかしたら増えるかもしれないということですよね。
皆さんやってみてください。
他の場所は何かここが特におすすめあったり好きやなっていうのがあらはるんですか?
僕の今の家が近いっていうのと、結構活動拠点としても梅小路エリアはすごい好きで、やっぱり仕事とか日常生活してると常にいろんなこと考えちゃうじゃないですか。
でも梅小路公園のベンチに座って、子どもたちが遊んでるの見たりとか、鳥が餌食べてるの見たりとかしてると、
いい意味で思考に余白が生まれるというか、ぼーっとできるっていうのはすごい大事だなって思って、
一時は週1で通って、ぼーっとした後に本読むみたいなのを日課にしてました。
いいですよね。梅小路公園のほうのエリアって、今すごく人気なんですよね。
京都駅から見ての西側のエリアって駅西エリアって呼ばれたりはするんですけれども、
それこそライフプランを考えた時に子育て世代と呼ばれた方がその辺りに移住してきたりとか、
あとは毎年やってる音博ですね。梅小路エリアでクルリが主催をしてるフェスですよね。
そういうのが行われたりとか、自然も近かったりもするし、交通の利便性もすごい高かったりとか、
なんかそんなエリアになってるのが梅小路エリアですよね。
おすすめです。
プロジェクト型学習のビジョン
ありがとうございます。
これからについて最後なんか聞きたいですね。
どんなことなんか挑戦してみたいとかってあるんですか。
そうですね。実は僕らがやりたい事業ってまだできてなくて、
プログラミング教室がやりたいわけではないんですよ。
一番やりたい事業としては、プロジェクト型学習、PBLって略されるんですけど、
そういったものの教室を本当は作りたくて、具体的に言うと、
プログラミングのコースもあれば、3Dプリンティングのコースもあるし、
デザインとかイラストとか、なんならお料理でもいいと思ってるんですけど、
作るっていうことを切り口にしたいろんなコースをまず作りますと。
子供たちがそのコースを横断的に学習していきます。
その中心部にプロジェクト型学習のコースを置くことで、
いろんなコースをまたいで、自分の好き得意を持った子たちがそのプロジェクトのコースに集まって、
自分のやりたいことベースでプロジェクトを進めていく。
プロジェクトをやる中で、自分にとって意味のあることだけを学習していくっていうような教室を
中期ビジョンとしてはやりたいと思ってますし、今そのために動いている途中という感じですね。
なるほど。今日の話を想じて、今ちょっと不意に思ったことがあって、
もともとって情報履行の人じゃないですか。
今回聞いてくれてる人の中にはキャリアどうしようって悩んでる人もいるけれども、
学んだことをそのまま活かすっていう風になって、逆に悩んじゃうケースもあって、
例えばでいくと理系の方で多いのって、情報履行行ったからSEにならないと。
でもSE向いてないと思うんですよね。これ以外ってどこ行ったらいいんやろとかとかっていう、
ある種ちょっと先行に縛られてしまうケースもあるかなと思うけれども、
徳山君の話を聞いてはっと思ったのが、3Dプリンティングであったりとか、
この作るっていうところの軸の部分は先行とも関わりはあるけれども、
そこからの広げ方とか掛け合わせ、それで自分のもともと学んできたっていうこととかは、
十分に活かせるなっていうのはあったりはするので、
決して自分の学んできたものと完全に同じものにしなくていいし、
捨てる必要もないしっていういろんな可能性を感じさせてもらった話やったなと、
私はすごく最後の最後にはっとさせられました。
ありがとうございます。
今日の話を聞きながらですね、実際に徳山君ってリアルであうとどんな人とか、
僕も実は起業を考えててもですし、就活中で悩んでるんですよねみたいな、
いろんな方いるかなというふうに思ってます。
2024年度ですかねは、徳山君は最初の方に紹介した西陣にある町屋に、
月に1回かな?
月に1回ですね。
オープンデーという形で毎週水曜日午前10時から大体14時までですね、
開いてるんですけれども、そこでゲストとして来てくれています。
なのでちょっとその日をめがけてですね、ぜひリアルで彼にも会ってもらうといいんじゃないかなと思ったりはしました。
お待ちしてます。
はい、ありがとうございます。
ではでは鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間でした。
次回の配信お楽しみに。ありがとうございました。
ありがとうございました。
38:20

コメント

スクロール