鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間がやってきました。
本日のパーソナリティは中村が務めます。よろしくお願いします。
鴨ラジオではゲスト会と称して、京都移住計画でお世話になっているパートナーや企業の皆さんをゲストにお呼びして、それぞれの京都移住話を伺っています。
今回は、京都で学び、京都で起業をした合同会社TSUKUM代表の徳山 倖我さんをゲストにお迎えしました。
徳山さんは、京都産業大学出身です。弊社TSUNAGUMUもオープンデイの企画であったりとか、京都産業大学さんとご一緒することが多いので、徳山さんとは学生時代から接点を持たせてもらっていました。
なので、ここからは徳山君と呼ばせてください。
本日は、徳山君が京都での学びというところを経て、皆さん就職を考えたりする人もいるのかなと思うんですけれども、そういった道を選ぶんじゃなくて、自分でことを起こすことを選ばれました。
そこでの思い出だったりとか葛藤、そのあたりをザックバランに話を伺おうと思っています。
まずは、徳山君、本日はよろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
簡単に徳山君の自己紹介を聞いてもいいですか?
はい、僕は自称次世代のワクワクさんこと、合同会社TSUNAGUMUの徳山と申します。
私たちはですね、つくるということを切り口とした教育授業をやってまして、具体的にはですね、小中学生向けのプログラミング教室だったり、教育コンテンツ、教材とかプログラムの開発をしたり、その出張授業などしています。
ありがとうございます。なんでTSUNAGUMUなんですか?今聞くタイミングじゃないかもですけど。
TSUNAGUMUと似てますよね。
ちなみにここで伝えておきましょうね、伝えないと。
多分ですね、カムラジオをやっておりますTSUNAGUMUとは何者やの説明がないままもう20何回目を迎えておりますが、
私たちはつなぐと生むの造語から生まれた会社でございまして、人であったり企業であったり場所であったりそういったところをつなぎ、生み育むという事業をしているのが弊社なんですけども、さあ話を戻しましょう。
TSUNAGUMUさんは何でですか?
共産大初の団体っていうことで、共産大のキャッチコピーというかが結んで生み出すっていうキャッチコピーで、僕らも共産大生なんでそこから引っ張ってきて、僕たちは作ることで生み出そうと。
ちょっと似てるんですけど意味が。でツクムにしたらTSUNAGUMUさんのゆえさんに似てるよなってツッコまれました。
決してグループ会社とかパクリとかではないって伝えておきたいことですね。
リスペクトはあります。
ありがとうございます。いいですね。京都産業大学もしかしたら知らない人もいるかもなと思ったので、ちょっと前提をお伝えしたいなと思うんですけれども、
京都にはいろいろ区が分かれていて、特に佐教区と呼ばれる北の方ですよね。山に近い。そこにあるのが京都産業大学さんになります。
だいたい1万5千人?6千人?
学生の人数全く知らずに入ったんですけど、すごいいますね。
そうなんですよね。本当にたくさんの学生の方が通われていて、文系の学部もあれば理系の学部もあれば、国際関係みたいな。
そういったグローバル系の学部学科もあるような、本当に総合大学ですね。そこが京都産業大学さんになります。そこの大学、初の会社としてついているってことですよね。
はい。
ありがとうございます。京都産業大学にちょっと入学される前の話もぜひ聞きたいなと思ってるんですけど、もともと出身はどこですか?
出身が奈良県の安土町っていうところで生まれました。
なるほど。そこから京都産業大学を選ばれたきっかけって何なんですか?
本当に浅はかで、シンプルに偏差値が、共産大がちょうどよかったっていうのと、あと、僕、情報理工学部っていう学部に入ってまして、簡単に言うとITを学ぶようなところなんですけど、これからIT来るんじゃないかみたいな。
波に乗ろう。
波に乗ろうという、そういう案外で最初は選びました。
なるほど。情報理工で学んではったのって何やったんですか?
専攻ですよね。
専攻ですね、はい。
は、もちろん基礎的なプログラミングとかは勉強するんですけど、僕が選んだコースとしてはデジタルファブリケーションって言って、横文字難しいですよね。
はいはいはい。
簡単に言うと、3Dプリンターとかレーザーカッターっていうようなデジタルデータを活用してアナログなものづくりをするっていうようなコースを専攻してました。
なんでそれ選んだんですか?
珍しいからですね。
いつも浅はかなんですけど、シンプルにやってる人が少ないから価値が高いかなっていうのと、シンプルに自分が面白そうだなって思ったのがありますかね。
あとは先生がすごいあったっていうのもあるかなと思います。
なるほど。大事ですよね。最初の自己紹介でまた次世代のワクワクっていう、このワクワクの中にもすごい特徴というか、性格を表すような言葉なんだろうなっていうのを聞きながらも思ったんですけど、
聞いてる人の中には扱ってた物であったり、分野自体も初めてだって人も多い気がして、もうちょっとこの3Dプリンターの特徴とか、例えばそれでできるものとかも聞いていいですか?
例えば3Dプリンターは、皆さん名前は聞いたことあると思うんですけど、造形方法、作り方にも本当にたくさんあって、結構素材で分けられることが多いです。
プラスチックだったり、セラミック、土とか粘土とか。
粘土でも使えると。
はい。これがコンクリートに置き換わったのが家ですね。
家も作れるってことですか?
そうですよ。3Dプリンターで家が海外ではもう実際に住まれてますし、日本でも最近は、まだ住んでる人はいないかもしれないですけど、作られてきてますね。
なるほど。3Dプリンターって、ちょっと認識が違ったら教えて欲しいんですけども、何を作りたいのかっていうこのデータを写真なのか作って、それを3Dプリンターと呼ばれる機械にプログラミングするというか、依頼をして作っていってもらうというものですか?
そうですね。おっしゃる通りです。流れとしてはおっしゃる通りなんですけど、意外ともう少し簡単で。
本当にパソコン上でCGみたいに粘土をこねるようにモデル形を作って、それを3Dプリンターに送り込めば勝手にプログラムは作ってくれるんですよね。
あとはX軸Y軸Z軸にどういうふうに動いてものを作っていくのかっていうのを勝手にやってくれるっていう。
なるほど。めちゃくちゃ専門的なXYZが出てきたので立体的にそういう意味なんだろうなと思っておりまして、パーソナリティをしている中村自身は公共政策という土分系出身でございますので、
リスナーの皆さんと同じようにちょっと難しいことを言っているかもしれないと初心の気持ちで話をできればと思うんですが、そういったものを専攻されたということですよね。
何から聞こうかな。まずは京都産業大学さんと私たちつなぐむは、京都産業大学さんが西陣というエリアにある地区100何年の町屋を管理されているんですけれども、
私たちはそこに本社を置かせてもらいながら、週に1回水曜日に朝10時から17時ぐらいまでオープンデイという形で、どんな社会人であったり、あとは学校問わずですね、時々高校生の方もいらっしゃったりするんですけれども、
そういったオープンデイというものの企画にも関わらせてもらっています。この町屋の場所によく徳山くんは来てくれてたのかな、とか思うんですけど、そことの出会いとか、そこでしてたこととか、そのあたりどうですか。
まず、町屋との最初の出会いというと、先に出てきた3Dプリンターの会社さんでアルバイトをしてたんですね。そこの先輩が町屋を教えてくれて、ついていったっていうのがまず一番最初のきっかけですね。
当時からもう起業はしたいなって思ってて、町屋に行ったときに、すでに個人事業でやられている方とか活発に活動している学生がいたりとか、そこですごい刺激を受けて通うようになっていったっていう経緯があります。
なるほど。オープンデーの中で、やっぱり起業をすでにされている方もそうやし、就職して実際こう感じたよ、みたいな。社会人とも出会える機会があったからこそ、自分の起業みたいなところの思いもどんどん膨らんでったんだろうな、みたいなのを町屋との出会いの話からは感じたんですけれども。
起業に対して最初感じていた印象とか、あとは町屋で出会って、どんな人の話が印象的で、それを自分の人生にも取り入れたいって思ったんですか?
そうですね。まず起業への印象で言うと、シンプルにかっけえってなったんですよ。起業っていう生き方が。起業を意識し始めたのが、大学に入学する前後。
もうそんな時から?
そうなんです。実は入学する前から起業したいなと思ってて、僕2020年入学なので、もうコロナ禍がど真ん中で、大学入学してから1年間はほとんど大学に行ってなかったんですけど、その間じゃ何してたかっていうと、たまたま意識高い系というか、自己啓発みたいな起業家の方が喋ってるようなYouTube。
を見て、それを真似てプログラミングで仕事をもらえないかとか、デジタルファブリケーションのブログを書いたりとか、そういったことを自分なりにいろいろやってた時期がまずはありました。
そうやったんや。
そうなんです。
当時はかっこいいだけで、あんまり言語ができてなくて、解像度低かったんですけど、今思うと、やっぱり自分の人生のハンドルを自分で握ってるというか、自分がやったことがダイレクトにフィードバックされる、影響が出るっていう、そういう生き方がすごいかっこいいなと思って、もうシンプルにかっこいいなあですね。
素敵やね。なんかこのかっこいいとかワクワクするみたいな、なんか自分の感情にフタをしていない感じであったりとか、なんかそれを今の話からすごいこう受けるんやけれども、ロールモデル的に置いてた人っているのかな?それともなんとなくこの起業という言葉とか、たくさんの人に特定のロールモデルはいないけど、合う中で、まあ起業ってかっこいいよなあ、になってるのか、そのあたりは。
それで言うと、前者でロールモデルはいなくて、ただいろんな分野で、この人はこれがすごいとか、あの人はこれがすごいとか、みんなかっこいいみたいな、ジャンプのヒーローを見てるような感じで、ルフィもかっこいいし、ナルトもかっこいいしみたいな、そういう感じなんですよ。
なるほど。じゃあ尊敬できるというか、こうなりたいという人は結構いろんなところにいてっていう風な感じだったよね。
そうですね。
いざ、合同会社つくむというのを今やってあるけれども、これ自体は合同会社というのを立てたのはいつの話で?
つくむを設立したのが、まず会社として設立したのが、2023年の8月です。
なるほど。
ただ、その前の1年間は学生団体として活動もしてました。
なるほど。なんかそれぐらいの時期って、たぶん大学3年生、4年生になって、理系の方やと、院に行くみたいな考えの人もいれば、就活かなみたいな、いろんなみんなキャリアの選択肢、悩む時期やと思うんやけれども、
言ってみたら、大学の入学前後から起業というキーワードが頭にあって、3、4年ずっと継続してそれを思い続けてたと。
そうですね。
就職という考え方はなんでなかったの?
なんでなんでしょうね。でも、逆に言えば、起業ができるんだって知るまでは、就職しかないと思ってたんですね。
で、その就活を僕してないんですけど、なんでかっていうと、起業したいって言ってるのに、就活をしてしまうと、起業をあきらめてしまうことと同義やんって思っちゃって、思いと行動が一致してない。
起業したいと思ってるのに、就活してる、行動は就活してるって、すごい気持ち悪いなと思って、かたくなにやらなかったっていうのがあります。
そこのこだわりとして自分が持ってはるところがあったわけやね。
そうですね。
どうなんやろう。それこそ、たくさんの人が通う大学に入ってとかもやし、さっき出てきた町屋っていうところも、本当にいろんな多大学の人もいれば、就職して働いてますよっていう大人もいて、
っていう中で、ある種流されちゃうっていうのもあったんじゃないかなってちょっと想像はして、そこってなかったの?それでもなんで強く起業のほうに自分は選ぼうと思えたんやろう。
なんででしょうね。でも、これかなと思うのは、僕、在学中に起業したいって思ったんですよ。
へー。
で、就活してから会社に就職して、スキルを積んでからとか、いろいろ準備ができてからやるっていうのも一つ選択肢ではあったんですけど、なんて言うんだろうな。
学生なんてね、なんも守るものないし、大きい失敗って早めにしといたほうが、人として奥行きが出るかなっていうのがあったのと、
何より、これ僕よく言うんですけど、情熱には賞味期限があるって思ってて、よく時が解決してくれるよって言うじゃないですか。
でも逆に言えば、時が情熱を消し去ることもあるかなと思ってて、だからこそ今ワクワクしてるうちにやろう、今やりたいことやろうっていうのは結構大事にしてることかもしれないですね。
で、それを在学中にしあって、時系列的なところでいくと、今ってもう卒業されました?
実は2ヶ月前に卒業しました。
おめでとうございます。在学は何年間されたんですか?
半年留年しているので、4.5年間在学してましたね。
なるほど。じゃあ学生という肩書きは取れて、まさに自分の会社を持ってっていうふうな立ち位置でされてて。
そういうことですね。
現在の生活について聞きたいなと思ってて、働き方してることとか、あと、どこで何の活動してんの?みたいな。どうなんですか?
えっとですね、まず一番最初に言ったプログラミング教室の方で言うと、今はレンタルスペースを西大寺駅の近くで借りていて、その周辺の小中学生に向けてやってたりとか、
あと、コンテンツ開発とかはどこでも賞味できるので、依頼がくれば授業作って、それを納品するみたいなクライアントワークですし、
出張授業はね、いろんなとこに行きます。
県を越えて。
県を越えて行って、京都でももちろんやりますし、この前で言うと、香川県とか、あとは愛知県も行くし、結構いろんなところに呼んでもらって、授業させてもらってますね。
県を越えて。あれですよね、最初の方に町屋での出会いが、みたいな話もあったけど、今、オフィスの場所自体はこの西陣の町屋の2階になってて。
町屋でいろんな大学生に向けた活動もやってます。
面白いですよね。京都で学生生活を過ごしたからならではだなと思うし、京都というところを拠点に事業してるからならではの両方の話やなと思ってて、どういうことかでいくと、
多分、大学というところの自分のつながりのところを持ってるから、そこから先のキャリア自体も、はい、あなたは就職したねとか、卒業したね、さよならじゃない関わり合いを続けられてるっていうのが、このさっきの町屋で入居してっていうところの話からも、京都らしいなと思ったりはしてるけれども、
起業をする場所って何で京都にしたんですか。
絶対に京都じゃないといけないっていうわけではないんですけど、やっぱり一番はコミュニティかなと思ってて、この人たちがいるから京都でやりたいっていうのが一番強いですね。
具体的には、僕のすごい教育事業者の中で尊敬している教室が京都にあったりとか、それこそ僕がこれから起業していくぞっていうような出発地点になったのが、やっぱり町屋だったので、そこがあるから京都でやりたいなっていうのが一番強いですね。
正直、教育事業とかやと田舎とかでやったほうが実は強かったりするんですけど、やっぱり京都でやりたい、そういう人がいるからっていうのが強いですね。
このラジオを聞いた人は泣いちゃうんじゃないですか。
これはどっちでもいいですね。
だれだれさんありがとうございますってやったほうがいいかなと思って。
町屋に関わる人でいくと、以前もコミヤさんの登場をいただいたのでね。
僕の学生生活の母です。
なるほど。第2、第3の母、わかりませんが、コミヤさんにもこれは絶対に聞いてもらいましょうね。
町屋に行ったらいつもただいまって言って。
いいですね。全然話が飛ぶかもしれないんですけど、働くって戦いに行くみたいなところもちょっとあるのかなっていうのを恥ずかしながら社会人10年を経て思ったりもするけれども、
働く場所にただいまって帰ってこれるって、戦いとはまた違うなっていうのを教えてもらった気がしていて、今。
それで言うと、僕仕事感言うと戦うというよりは遊んでる感じなんですよ。
ちょっと怒られそうですけど。
なんか真剣に遊んでる感じ。スポーツと同じような感覚で楽しい。
で、町屋はなんか自分のホームに練習場に帰ってきたというか、なんかそういう感覚があって。
なので、仕事とプライベートもすごい混在するし、なんかでもそういう生き方が楽しかったりするなって思います。
いいですね。なんか決してね、これは町屋のPRのラジオではないんですけれども、なんか人にとっての働くの、それに対しての思いみたいなところはすごい参考になるなと思ってますし、
すごいポジティブな話もちょっと多かったかなと思っているので、不安との向き合い方とか、それこそね、企業って安定的にお金が入ってきたりするわけじゃないし、
自分での意思決定の瞬間ばかりが続くとなると、いやちょっとハードル高いわっていうのが一般的にというかイメージとして多いかなと思ってて、
なんかそことの向き合い方はどうしたはんやろう。
そうですよね。確かにたまに不安になったりすることもあるんですけど、来年度からもね、大きな事業を引き継ぐことになって、それもやっぱり不安はもちろんあるんですが、
なんて言うんでしょうね、不安って虚構じゃないですか。
まだ見えてないことでもあるしね。
おっしゃる通りで、過去何々だ、未来何々かもしれないっていうのは脳内で起こっていることであって、妄想でしかなくて、現実にはないじゃないですかと。
なので、実存しないものに振り回されても仕方ないなっていう、今この瞬間を一生懸命楽しむことが大事だよねって思っているからこそ、
不安になったときに、あ、ちがうちがう、これは妄想だと、パッとアンガーマネジメント的な感じができるなって思ってます。
ただ、そうは言っても、っていう人の気持ちもわかるんですよ。
頭では理解しててもね、難しいみたいな、あると思うんで、
そういうときは、よくよく考えてみると、不安って何なんだろうって考えるといいかなと思ってて、
僕もよく最悪の最悪を考えることが大事にしてて、
例えば、会社が倒産して、全財産なくなって、みたいな、そうなったときに、確かに最悪なんだけども、
じゃあ、今つながっている人たちとまた一緒にやればいいじゃんとか、
京都に住めなくなったら、実家に帰ってまたやり直せばいいじゃんとか、
死にはせんから、まあ大丈夫だよねって思える。
意外と最悪の最悪は、本当に最悪じゃないかもなって思えるので、そういうふうに考えるようにはしてます。
なるほど。ワクワクさんと言いながらも、最悪の最悪を考えるっていうのは、ある種堅実さみたいなのがすごい垣間見えたのかなとは思うんですけれども、
真面目な話も多めにいろいろと、キャリアの考え方、修行感みたいなところも教えてもらったなと思う反面、
聞いてくださっている方の中には、京都でこんな過ごし方したよな、みたいな思い出もちょっと考えてくださっている方もいるのかなと思うので、
学生生活のエモい思い出を話そうよっていう回もしたいんですけど、思い出の場所とかってなると、どこにならはんにゃろう。
やっぱりね、鴨ラジオですけど、鴨川かなと。
忘れてはいけない場所ですね。
忘れてはいけない。鴨川で告るとだいたい成功するっていう。
ディズニーランドに行くと別れるの逆ですかね。
逆ですね。鴨川はね、キューピットですね。うちのメンバーにもそれをお勧めしたら、鴨川デルタで告ったら成功したって言ってました。
鴨川ってね、上流とかデルタとか、いろいろあるじゃないですか。どのあたりで告白すると成功率高いんですか?
確かにな。僕は三条大橋の下。
人多めのとこに。
ありがとうございます。
これからについて最後なんか聞きたいですね。
どんなことなんか挑戦してみたいとかってあるんですか。
そうですね。実は僕らがやりたい事業ってまだできてなくて、
プログラミング教室がやりたいわけではないんですよ。
一番やりたい事業としては、プロジェクト型学習、PBLって略されるんですけど、
そういったものの教室を本当は作りたくて、具体的に言うと、
プログラミングのコースもあれば、3Dプリンティングのコースもあるし、
デザインとかイラストとか、なんならお料理でもいいと思ってるんですけど、
作るっていうことを切り口にしたいろんなコースをまず作りますと。
子供たちがそのコースを横断的に学習していきます。
その中心部にプロジェクト型学習のコースを置くことで、
いろんなコースをまたいで、自分の好き得意を持った子たちがそのプロジェクトのコースに集まって、
自分のやりたいことベースでプロジェクトを進めていく。
プロジェクトをやる中で、自分にとって意味のあることだけを学習していくっていうような教室を
中期ビジョンとしてはやりたいと思ってますし、今そのために動いている途中という感じですね。
なるほど。今日の話を想じて、今ちょっと不意に思ったことがあって、
もともとって情報履行の人じゃないですか。
今回聞いてくれてる人の中にはキャリアどうしようって悩んでる人もいるけれども、
学んだことをそのまま活かすっていう風になって、逆に悩んじゃうケースもあって、
例えばでいくと理系の方で多いのって、情報履行行ったからSEにならないと。
でもSE向いてないと思うんですよね。これ以外ってどこ行ったらいいんやろとかとかっていう、
ある種ちょっと先行に縛られてしまうケースもあるかなと思うけれども、
徳山君の話を聞いてはっと思ったのが、3Dプリンティングであったりとか、
この作るっていうところの軸の部分は先行とも関わりはあるけれども、
そこからの広げ方とか掛け合わせ、それで自分のもともと学んできたっていうこととかは、
十分に活かせるなっていうのはあったりはするので、
決して自分の学んできたものと完全に同じものにしなくていいし、
捨てる必要もないしっていういろんな可能性を感じさせてもらった話やったなと、
私はすごく最後の最後にはっとさせられました。
ありがとうございます。
今日の話を聞きながらですね、実際に徳山君ってリアルであうとどんな人とか、
僕も実は起業を考えててもですし、就活中で悩んでるんですよねみたいな、
いろんな方いるかなというふうに思ってます。
2024年度ですかねは、徳山君は最初の方に紹介した西陣にある町屋に、
月に1回かな?
月に1回ですね。
オープンデーという形で毎週水曜日午前10時から大体14時までですね、
開いてるんですけれども、そこでゲストとして来てくれています。
なのでちょっとその日をめがけてですね、ぜひリアルで彼にも会ってもらうといいんじゃないかなと思ったりはしました。
お待ちしてます。
はい、ありがとうございます。
ではでは鴨川でゆっくりしたいラジオ、通称鴨ラジオの時間でした。
次回の配信お楽しみに。ありがとうございました。
ありがとうございました。