本日はですね、FINDさん2本目になります。高島さん自身をですね、細かく紐解いて、皆さんと一緒に見ていきたいなと思います。
バンドマンスタードだったって聞きました。
そうです、はい。
そこからの突然のオリックス。
突然のオリックス。
数億円のプロジェクトやってたんですけど、1万円のカメラを売るっていう、シリコンバレーに関する経験をさせてもらって、
この人たちと同じ土俵で戦うためには、自分自身起業してみないと、そこまでいけないんだろうな。
手触り感があったとかじゃなくて。
バンドは結構近いかなって。
バンドが?
自分ができないことをやれる人っていうのを、いかに共感して集めていくか、本当に語れるかどうかじゃないですかね。
はい、皆さんこんにちは。スタートアップ投資TV、ガゼルキャピタルの田んげです。
さあ、本日はですね、FINDさん2本目になります。
1本目ご覧の方は分かると思うんですけれども、1本目はFINDってどんな会社?っていうことをご紹介させていただいたんですが、
そんなFINDを起業された本日は、高嶋さんの個人的なお話というか、
ぜひ高嶋さん自身をですね、細かく紐解いて、皆さんと一緒に見ていきたいなと思います。
ということで本日も高嶋さん、よろしくお願いします。
高嶋 よろしくお願いします。
見てる方はね、ご存じないと思うんですけど、これあの1本乗りで、1日のうちに2本撮ってるんで、高嶋さんちょっと疲れが見えるかもしれないですけど、頑張っていきたいと思います。
ちなみに私は高嶋さんとちょっと、何度かご飯をしたことがあるぐらいな感じ。
最初はちょっと一緒にお仕事してましたもんね、セーフィーの時は。
1本目でもたくさん言ったんですけども、高嶋さんはですね、めっちゃ落とし物する人なんですよ。
結構オチョコチョイなんですよね。その話も結構聞きたいと思います。すごい面白いんで、ぜひ最後までご覧ください。
ぜひですね、一番最初のキャリアストーリー聞いていきたいんですが、高嶋さん、伊藤さんのインベストマントノートにも書かれてたんですけど、最初キャリアというかバンドマンスタートだったって聞きました。
そうです、はい。
どこまで本気でバンドマンやられてたんですか?
そうですね、バンドの世界は、自分でプロって言ったらプロって感じなんで、プロと言っても、いや、ちょっと怪しい、ほぼプロみたいな感じでいたなと。
デビューの、あれがちょっとわかんないですけど、デビューしてるっていう認識であってますか?
じゃあそうじゃ、プロじゃないですね。すみません、DIYでCDとかいっぱい作って。
すごい、インディーズってやつじゃないですか。
タワーレコとかディスクユニオンとかにCD置かせてもらって、全国のライブを自分たちで押さえたりとかして、みんなでお金出して、古いステップアゴン買って、全国ツアーしましたみたいな感じですね。
それは何歳から何歳、何年くらいまでやってたんですか?
高校の時にバンドに出会って、その時からずっと活動して、大学卒業してフリーターで1年くらい活動したので、6、7年くらいですかね。
そこからの突然のオリックス。
突然のオリックス。
夢を追っててもご飯が食べられないみたいなことがあるんでしょうから、なんとなくそこから社会人になるのは想像に絶やすいっちゃ絶やすいんですけど、何があったんですか?
そこはですね、結構明確な2つの理由があって、1つは、私ライブハウスで働いて、そこで日雇いみたいな形で、音楽の勉強しながらバンドもやってって感じだったんですけど、そこですごい人がいっぱい出てるわけですよね、バンド。
この人たちに勝てるのかなと思って見てて、本当に音楽が好きで、めちゃくちゃ素敵な音楽をやっぱり心底からやってるわけですよね。
自分はプロになりたいとかやっていきたいっていうのはあるんですけど、そこにしがみついただけじゃないかなみたいな、ある日ちょっと思った時があって、これ多分勝てないなと、この人たちにずっとやってても。
まずそれは1つあって、そんな中、当時東日本大地震があったんですよ。
そんな時だったんですね。
ちょうどライブハウスのシフトに入ってて、池袋のライブハウスだったんですけど、丸いとこがビルがめっちゃわーって揺れてて、その時に2,3週間ライブが閉鎖になるじゃないですか。
音楽って、特にバンドなんで電気とかめっちゃ使うじゃないですか。これで身近な人も守れない、自分の職業というか。
よくないんじゃないかなと思って、せめて一番近くにいる友人とか家族が守れるような人にならなきゃなって思って、就職活動に振り切ったって感じですね。
その時点でつまりバンドは解散ですか。
そうですね、活動は停止にして。
そこで、いわゆる初めての社会経験がオリックスになるってことですか。
そうですね。
その時第2新卒みたいなご年齢だったってことですか。
そうですね、職歴がないんで、新卒扱いで、2年遅れて。
就職活動大変じゃなかったですか。
そうですね、やっぱバンドって何が面白いのとか。
そういう。
なんでみたいな、まず履歴書で2年空いてるんで、何してんのみたいな、やっぱりキラキラ系のちゃんとした履歴じゃないんで。
その中で面白がってくれたのがオリックスで、バンド面白いじゃんみたいな感じで、たまたま拾ってもらった感じですね。
なるほど、オリックスに入社して最初は何をやられてたんですか。
最初は環境エネルギーの部門がオリックスで結構力入れてまして、国内の製造業向けに省エネルギーをコンサルティングしたりとか、
あとは空いてる屋根とか土地に太陽光発電所を作らせてもらうとか、そういった活動、仕事をさせていただいてました。
なるほど、そんな高島さんが、私初めて出会ったのはSEIFIじゃないですか、その後投資部門じゃないですけど、そういったところにご移動されてって形なんですかね。
そうですね、よく皆さんご存知のオリックスの鈴木部長がいる舞台に移動しまして、今まで数億円のプロジェクトやってたんですけど、1万円のカメラを売るっていう。
すいません、なんか。
最初はあっって思ったんですけど、やってみるとめちゃくちゃ面白くて、スタートアップのSEIFIの皆さんが2,30人だった時に一緒に働かせてもらって、こういう世界があるんだってやっぱりその時すごい勉強になりまして、
2,30人のSEIFIがその3,400人になっていく過程を近くで見させてもらってて、すごい刺激的な経験をさせていただきました。
まさにあの時は成長痛すら感じるようなスピードでグリグリグリグリって成長していきましたもんね。
そこにまさにズブズブになって入ってくれて。
近くで仕事させてもらって。
本当にうちの社員として売ってくれたと言っても過言ではないぐらい一緒にやっていただいた記憶があります。
無茶な注文してると思います。
懐かしいですね。
なるほど、でもそこからある程度SEIFIが大きくなった時にはオリックスのまるで出向のようにいてくださった皆さんもどんどん少なくなっていってって形になったと思うんですけど、
そこからはSEIFIの担当じゃなくなるというか、終わった時には次まだオリックスにはいらっしゃったんですか?
そうですね、その経験を生かした新しい事業開発とか法人営業本部内のデジタルテクノロジーを活用した社内外のDXの取り組みっていうのにアサインされまして、
そこでもスタートアップの皆さんと仕事する経験が多くて。
そこまで聞くとプロのオリックスの人というかプロ社会人みたいなエリートじゃんみたいな感じなんですけど、そこからぴゅんとまた起業されるみたいな形なんですか?
そうですね、コロナ前だったので海外のスタートアップを見させてもらうときにシリコンバレーに行かせていただく経験をさせてもらって、そこでホームパーティーとかに行かせてもらったんですけど、
海外っぽい
日本人僕だけでマークザッカーバーグとかが住んでるマウンテンビューのらへんの家の中、こんなとこにやんのみたいなとこに行かせてもらって、その人たちも別にシリーズAとかBとかの企業家とかバーって集まってるんですけど、
その時に言われたのが、アキラってどんな世界を作りたいの?どんな社会を作っていきたいの?って聞かれるわけですよ。それはあのめちゃくちゃ普通のフランクのコミュニケーションで聞くわけですね。
その時に自分はホワッとしか語れなくて、オリックスでこういうことやっていて、オリックスの事業こういうことやってみたいな、ホワッとしか語れなくて、どんな世界を作っていきたいみたいな、そういったホワイトかハウみたいな、世の中のビジョンをどうやって作りたいんだみたいなところが語れなかったんですよね。
その時にこの人たちと同じ土俵で仕事を取ろうか、戦うためには自分たちで企業をしてみないとそこまでいけないんだろうなと思って、その時に結構意志を固めたって感じですね。
じゃあその時に漠然とまず企業という道が見えたってことなんですかね。
そうですね、志したいなと思って。
でも実際にそこから、志すはいいけど立ち上がるの結構勇気いるじゃないですか。要はオリックスなんて素晴らしい会社ですし、その後ろ盾を失う。
それこそ生活の面でいったって安定した収入がなくなるとか、成功するかわからないとか、いろんなリスクがあったと思うんですけども、そこからえいやーって企業できた理由というか、何か自信を得られるみたいなストーリーとかってあったりしたんですか。
そうですね、当時も家庭もありましたし、やっぱり近くに和田がいたっていうのが結構強くて、彼がスタートアップの担当者ではありつつ、いろんな会社を副業で手伝いながら、いろんな業務体系の仕事も個人でやってたりしまして、もちろん和田めっちゃ優秀なんですけど、和田さんができるんだったら自分でいいんじゃないかなと思って。
近しい人がやってるとなんかできる気しちゃいますよね。
企業して、最初もちろん役業主もゼロだから、何か他の仕事手伝わないと、もちろん生活費なかったんで、でも和田ができてるのできるかなって思いましたし、和田のほうも高島さんだったらいろんな仕事何でもできますよみたいな感じで、そうかみたいな思って、結構ふと明るくそこはやった感じです。
一番最初じゃあどうやってまず足元、副業をしながら企業の構想を固めるみたいな期間があったってことですか。
そうですね、会社は結構すぐ立ち上げたんですけど、最初の1年は役業主もゼロだったので、自分と和田も絶賛があるわけじゃないので、いろんな他の会社のお手伝いみたいな個人で、ファインドとは別でやらせていただきながら、他の時間というかをずっとファインドに注ぎ込んでたっていうのが最初1年でしたね。
その1本目の動画のときにデッチに行かれ、デッチボークを行かれてたじゃないですか、それはその期間ですか。
その期間は終わってますね、そのときは。
じゃあなんかその二足のわらじを履いていたときに、ある程度のそれこそエンジェルみたいな資金調達を起こされたって形なんですね。
そうですね。
ああなるほど、それ一番最初の資金調達はデッドですか。
まあ同じ時期にデッドとエンジェルやった感じですね。
なるほど、それでじゃあ一旦生きていけるってなって、デッチに行ってファインドの始まっていくみたいな形ね。
そうですね。
なるほどな、こんなフランクに話していただいてますけど、なかなかご家庭をお持ちでその勇気を持つのは本当にすごいなと思うんですけど、
企業経験があったわけでは学生企業とかされたことがあったってことですか。
いやー僕ないんですよね、ほんと庶民ですよ。
よく近しい経験があったとか、手触り感があったとかじゃなくてできたってことですか。
そうですね、バンドは結構近いかなと思ってて。
バンドが?
自分の曲を作ったりとか、CDを自分たちで作ってみて、お客さんを呼んでみたりとか、チラシとかも自分たちで作ったりしてたんで。
そうかそうか、一つのバンドを経営してたみたいな状態だったんですかね、当時。
経営というのはありますけど、まあちょっと近いかなと思いますね。
なるほど、そうかそうか。PMFするというのは良い曲を作るということですし、CDを買ってもらうための物販を頑張ったり、ライブハウスを借りたりとか、言われてみれば確かに小さな企業というか。
バンドの曲なんてもうビジョン語ってるのと一緒なんで。ミッションビジョンバリューですよ、歌詞は。
確かに確かに、いやすごい、なんかそのうちなんかあれですね、会社の歌、シャカって呼んでたっけ、作りそうです。
それ知り合いのバンドにやってもらいます。
やってもらうんだ、できたら聞かせてくださいね。なるほどな。いやでも、なかなか聴いてる方少しびっくりされてるんじゃないかなと思います。
もう一本目でも言っちゃいましたけど、以前はそれこそ学歴も職歴もあれだけどパワー系でカリスマ性で、もうドブから這い上がってきたみたいな人とかが結構あったんですけど、最近だとご経歴も綺麗で、あっちらの方なんだみたいな、そりゃ企業するよみたいな方が結構お出になられる中で、先ほどのお言葉を分かれるとそれこそ本当の庶民というか、
もう特に企業界隈にズブズブだったわけでもなく、ご家庭も別にご両親が企業の経験があったりとかそういうことではなく。
そうですね、自営業ではあるんですけど、祖父の代活工場をやってると。
でもそこまで手触り感があるわけではなく、本当に大人になってからちゃんと企業したって感じなんですかね。
そうですね。
すごい、でもその社会人の時に気づいたそれこそ横のつながりというか、たくさんの仲間の方たちに和田さんをはじめとして、いろんな方たちの出会いで企業が上手く立ち上がっていくみたいな形だったんですかね。
そうですね、本当に一人じゃ無理なんで、その当時和田が高島さんならできますよって、本心で僕に熱く語ってくれてたんで、立ち上がろうって一緒に思いましたし。
なるほどな。でも一番最初は一歩目でちょっと行ってましたけど、音楽系のことをやろうと思ってたって。
そうですね、はい。
そこから落とし物のインフラに変わっていこうっていうのは、やっぱりもう何度も言っちゃってるからあれですけど、ご自身が落とし物を結構おっしゃうみたいなところの課題感から着想が始まったんですかね。
そうですね、はい。酒飲んでる時も飲んでない時も結構。
飲んでない時もでしたっけ。
そうですね、最近あったのは、企業さんに訪問させていただく時に手土産買って持って行ったんですけど、手土産渡すこと自体を忘れて、そのままお客さんの会議室に置いて帰っちゃったっていうのがありました。
渡すことは知らなかったけど、一応置いていったから、間接的に。
そうですね、後で電話して、あれ手土産なんで謎の。笑ってましたけど、お客さん。
なるほど、それはなかなか、いつもと違うものを持ってると忘れがちですもんね。
そうですね、企業か経営者、結構落とし物多い説っていうのがあるんですけど。
わかります。
何かに集中しちゃったりとかあるみたいですね。まあ言い訳じゃないですけど。
言い訳ですね。なるほど。ちなみに、落とし物エピソードちょっと聞きたいんですけど、人よりたくさん落とし物してるみたいなのは伺ってるんですけど、どれくらい落とし物されてるんですか?
最近はさすがにそんなに多くないですけど、前までは会社の対応されてるスマホとかパソコンとかを。
ダメですよ。
紛失してしまって。
1回?
まあ1回ではないです。
5回ハイ&ロー?
5回よりは少ないです。
ああよかった。1回で懲りないんだ。それはあれですか、お酒飲んじゃうと落としがちになっちゃうんですかね。
そうですね。お酒飲んでない時もあったんですけど、本当にすみません、ないって。
終わったって思いますよね。
そうですね。
でもそんな高島さんだからこそ、今ファインドがあってめっちゃ助かってるんじゃないですか。
そうですね。本当初期からペルソナーとかってするじゃないですか、ユーザージャーニーマップとか、私が一番のペルソナーなんで。
そうですよね。
開発チームが僕にインタビューして、落とし主の気持ちは僕に聞こうみたいな。
確かに確かに。でも実際なんかこう、自分自身がユーザーになっちゃったことありますか?
ファインドでまだ探してはないですね。ファインドのメンバーはもう何人かあるんですけど。
よかった多分ファインドを立ち上げて、気が引き締まっちゃったというか、忘れないようにだんだん高島さんが成長してきたんですね。
そうですね、多少は。
いやでもなんか私がちょっとすごい勇気づけられました。なんかやっぱこうすごい人じゃないと能力値がすごく高い人。
そうなりますよね。
何でも完璧な人じゃないと企業家なんてなれないんじゃないかなと思うけど、やっぱこう新しいじゃないですけど、チームでみんなで100点になろうとしてるっていうか、みんなで船を作っていく感じが高島さんからすごく感じるので。
なんかそれこそ今動画をご覧いただいている方で、まだ自分は何もできないし、開発とかできないし、あれもできないと思っていても、それこそできる人仲間にしてみんなで一緒に前へ進もうってしていけば、やっぱ企業ってできていくものなんですかね。
そうですね、やっぱり自分より優秀な人、自分ができないことをやれる人っていうのをいかに共感して集めていくかがすごい大事だなと思いますね。