1. Startup Now-スタートアップ起業家の物語
  2. #72-前編 日本最大級のバンラ..
2025-04-08 21:40

#72-前編 日本最大級のバンライフプラットフォーム。公認会計士から転身、キャンピングカー市場で起業した理由/Carstay株式会社 代表取締役 宮下晃樹さん

spotify apple_podcasts youtube

Carstayさんは、キャンピングカーと車中泊スポットのシェアリング・サービス、車両製造、改装支援など国内最大級のバンライフのプラットフォーム事業を展開されているスタートアップ🚗🏕️ 2025年3月、プレシリーズAラウンドにて、約1.1億円の資金調達を発表されました。


▼トピック_前編
・幼少期(2〜7歳)をロシアで過ごし、日本に帰国後は「異端児」として見られた過去
・学校の勉強について行けない中で、本気で勉強して慶應義塾中学校に入学
・中学はバスケットボールと空手、高校はラクロスに挑戦
・大学入学後は公認会計士を目指し猛勉強、模擬国連にも参加
・デロイトトーマツに入社するも2年半で退職
・NPO法人を立ち上げ日本最大級の訪日外国人向けガイド事業を展開
・インバウンド観光の経験から、地方の移動手段や宿泊場所の課題を発見
・海外との比較から日本におけるキャンピングカー市場の未開拓さに気づく
・「VCから資金調達できなければやめよう」という覚悟で26歳でCarstayを創業
・現在33歳、創業8期目を迎える国内最大級のバンライフプラットフォームへ成長

▼ご出演者様/企業様の各種リンク
-HP
https://carstay.jp/ja/
-採用情報
https://persistent-direction-0f1.notion.site/Carstay-e0be2ff9f2154163a2d08fd59a772caf
-資金調達プレスリリース https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000139.000037615.html
-宮下さんX
https://x.com/kcarstay
-Carstay公式X
https://x.com/CarstayJP
-宮下さんnote
https://note.com/koki_carstay

▼<PR>スポンサー
国内最大級のダイレクトリサーチサービス「ユニーリサーチ」
-サービスサイト
⁠https://unii-research.com/business/⁠
-株式会社プロダクトフォース(ユニーリサーチ提供元)
⁠https://productforce.co.jp/⁠
-採用ページ
⁠https://productforce.notion.site/f98b8d27f3fd47339b2702ac71915db6⁠
-代表取締役CEO 浜岡 宏樹さん
⁠https://x.com/unii_hamaoka⁠

▼運営
中山悠里 (Startup Nowパーソナリティ/元キャピタリスト)
https://x.com/yurinakay
稲荷田和也(Startup Nowパーソナリティ/StartPodsプロデューサー)
https://x.com/oinariiisan

▼企画/制作
スタートアップ専門ポッドキャストプロデュース『StartPods』
https://jobtales.co.jp/StartPods

▼パーソナリティからご案内📣
資金調達の発表を控えているスタートアップ企業は、ぜひ出演のご相談をください。1~2ヶ月前を目処にご連絡いただくことで、発表に合わせた配信も可能です。

また、#StartupNow をつけて感想をいただけたり、Spotify、Apple Podcastなどから★5評価をしていただけましたら幸いです。

▼問い合わせフォーム(Startup Nowへのお便り)
https://forms.gle/vJbT4RMSea5HK6Ec7

サマリー

Carstay株式会社は、キャンピングカーと車中泊スポットのシェアリングサービスを提供する日本最大級のバンライフプラットフォームです。代表取締役の宮下晃樹さんは、公認会計士から起業家へと転身し、スタートアップを創業した経緯を語ります。宮下さんは、公認会計士からキャンピングカー市場に転身した背景を説明し、彼の起業理念やスタートアップへの関心が高まった理由についても詳しく話します。彼が代表を務めるCarstay株式会社は、日本のキャンピングカー市場で新しいビジネスモデルを追求しています。宮下さんは、公認会計士としての経験を活かし、地域と旅行者のニーズを結びつける取り組みを行っています。

Carstayの紹介
Startup Now🦄資金調達を実施されたばかりの企業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのStartPods稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのスタートアップ大好き元キャピタリスト中山です。
本日は、Carstay株式会社代表取締役 宮下晃樹さんにお越しいただきました。
Carstayさんは、キャンピングカーと車中泊スポットのシェアリングサービス、車両製造、回送支援など、
国内最大級のワンライフのプラットフォーム事業を展開されているスタートアップでして、
2025年3月、プレシリーズAラウンドにて1.1億円の資金調達を発表されました。
宮下さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
宮下さんをお追いかけさせていただいたのはおびなりだになりまして、
僕が少し前までサイバーエージェントキャピタルさんをお手伝いさせていただいている時期がございまして、
そのタイミングで投資先だったりだとか、関係者さんを集めたようなイベントの運営もお手伝いしておりまして、
そこで宮下さんにご挨拶をさせていただいたという点でございます。
はい、ご無沙汰します。
ご無沙汰です。
1年半前ぐらいかなと思って、本当に立ち話したぐらいで、
あと後で話があるかもしれないですけれども、
今、宮下さん、Carstayさんが横浜にありまして、実は僕もその方に住んでいまして、
近いですね、会話をしながら、申し訳ございません、まだ行けてはないんですけれども、
これを機にまた行きたいなと。
いつもお待ちしております。
ありがとうございます。
前編では宮下さんの老い立ちだったり、創業までのプロセスを、
後編では宮下さんの自由や今後の展望を伺いたいと思っておりますので、
ぜひ合わせてお聞きください。
この番組はユニリサーチの提供でお送りします。
宮下さんの経歴
1回5000円から最短当日のユーザーインタビュー。
数万人の中から最適なユーザーが見つかります。
スタートアップナウのヘビーディスナーでもある創業者の浜岡さんは、
全職で新規事業に挑戦。
4回のピボット経験からユーザー理解の重要性に気づき、
ユニリサーチを立ち上げました。
利用企業は2500社を突破。
インタビューをされたい方はユニリサーチで検索してみてください。
それでは宮下さん、まずは宮下さんの人生やご経歴などを中心とした自己紹介を
1、2分程度お願いできますでしょうか。
ありがとうございます。
私はカステっていう会社自体は2018年に創業しておりまして、
もうすぐ7期目が終わって8期に入るという形なので、
スタートアップの企業家としてはまだ7歳くらいという感じでございます。
カステの創業の前のところで、
おいたちなども含めてお話をさせていただきますと、
私は2歳から7歳までロシアに住んでおりまして、
幼少期日本で生まれて7歳くらいまでロシアで育って、
そこから日本に帰っていたというようなちょっと変わった枠ぐらいかなと思っております。
大学まで日本の学校に行って、
少し大学の時に留学したりとか海外バックパッカーしたりみたいな経験もあるんですけれども、
その後新卒で入った会社がデロイトトーマという会計事務所に入りました。
まさか自分がスタートアップを将来やるなんて全く思っていなかったんですけれども、
当時本人会計室資格を取ってですね、
それで会計事務所に入って、
ちょっと独立をしたのが2年半くらいとめて、
24歳に独立をしております。
そこからちょっと2年くらいフラフラして、
日本中ちょっと旅したりとか、
自分がやりたいことって何だろうっていうモラトリアムなんですね。
経て26の時にカステを創業して、
今は33歳というような年齢でございます。
はい、ざっくりそんな感じです。
ありがとうございます。
多様なバックグラウンド
ロシアで育った方初めてお話しさせていただくので楽しみです。
なかなかないですよ。
ないですよね。
結構スタートアップの企業家、この番組に出ていただいている方、
海外を幼少期で経験している方多いなって気もしていて、
やっぱりいい影響なのか、
やっぱりインパクトがあり、
それをいい方に生かしている方が多いなって気はしてたりするんですけど、
宮下さんにとってはロシアで育ったことだとか、
帰ってこられてからとか、
その辺りっていうのはアイデンティティへの影響とか、
何か今に繋がっていることとかって思いつくことってございますでしょうか。
はい、ありがとうございます。
やっぱり物心って言った瞬間が、
白銀の世界と言いますか、
ロシアのマイナス20度とかの記憶とかが、
本当にまだ頭の中に潜りついてるんですけれども、
世界って広いんだなみたいな、
ずっとフワッとした表現なんですけど、
日本以外のそういう地域っての暮らし、
世界、目に見える世界もそうですし、
現地にもいろんな国の人たちが住んでいたので、
もともとそういうワールドワイドというか、
多様な環境で育ったので、
自分も将来日本に限らず、
そういうグローバルな環境で仕事をしたりとか、
暮らしをしてみたいなっていう気持ちは、
多分ひと一倍強かったと思っております。
そのためですね、
かなり自分の中では海外の人と接するみたいなところの抵抗がなく、
もう極論、
誰とでもどの国としてでも、
すぐ1日あれば仲良くなるみたいな感じの性格なんですけど、
それは多分ロシアで育ったのが大きかったんじゃないかなというふうには感じますね。
7歳でそこまでいけるんですね。
意外とそうです。
人見知りとかをし始める前に海外にいたので、
むしろ日本に来てからの方が、
いきなり小学校1年生の終わりとかに、
ロシアから来た子が転校生で来ました、
みたいな時の方が、
日本の方が来るというか、
幼少期はそんな印象がありましたね。
確かにある記事では、
それで結構いじめられたと言いますか、
そんな時期もあったみたいな。
そうです、異端児だと思われましたね。
変わった子だね、みたいな。
ですよね、みたいな感じの中であったので、
もともとはそういうグループとか、
学校の中でも、
自分は書きと変わっているんだな、
人とはちょっと違う、
バックグラウンドというか、
あったので、
そういう見られる方をするんだな、
というのに対しては、
やっぱり徐々に抵抗はないというか、
なので大人になった時も、
レールを踏み外すみたいな時も、
そんなに抵抗はなかったのは、
多分そういう経験がもしかしたら
あったかもしれないです。
大学は技術大学に出られてますけれども、
これ中学校から入れてるんですか?
そうです。
本当に日本に帰国した時は、
本当に私3月生まれというのもありまして、
結構3月生まれの帰国史上って、
結構日本の学校の勉強についていけない問題があるんですけど、
本当に当時は全然学校の勉強についていけなかったので、
めちゃくちゃそれで塾に通わせてもらった結果、
中学時期にしたくなって、
それで親に頼んで、
絵を中学を受けさせていただいて、
そこから絵本に入ったという形です。
すごい。
一番偏差値高いところですよね、多分。
いや、多分人生の一番頭良かったピークは、
小6かもしれない。
中学校、高校とかはどんな感じだったんですか?
例えば部活流行ってたのかとか。
ありがとうございます。
そうですね、
中学はバスケットボールと空手をやってまして、
中学の時から部活2個やってる人とかも、
そもそもあんまりいなかったんですけど、
両方やりたかったんで、両方やらせてもらって、
この時はそうですね、
ラクロスっていうスポーツを、
大学ではメジャーなんですけど、
高校であんまりやってる人いない、
マイナースポーツだったんですが、
それも今振り返ると生存戦略というか、
バスケとか空手とか、
大きいスポーツって1位になれなかった、
自分がどこか輝ける場所というか、
目指してたマイナースポーツって、
それで何年間も部活やってたんで、
そんな印象でした。
いろいろやってたっていうのも面白いですし、
変えていってるっていうのも面白いですよね。
大学はラクロスをやってたんでしたっけ?
大学もやろうかなと思ったんですけれども、
結構ですね、
良くも悪くも、
飽き性といいますか、
こうなっちゃうんですよね。
言葉じゃわからないですよね。
フォーカスしちゃうというか、
目の前のことを過集中で、
3年間ずっとやってるみたいな、
独位なんですけど、
4年5年やってると飽きちゃうと違うことに、
興味が向くみたいなのがありまして、
振り返ると大学の時は、
ちょっと社会人になるの怖いなみたいな。
大学受験もしてなかったので、
公認会計士の経験
あんまり無知な状態で、
社会に出るの怖いなと思った時に、
ボキ取るといいらしいよみたいな。
よくありますよね、大学1年生の時に、
ボキの予備校のセミナーみたいなの、
勧誘に見事にハマってですね。
公認会議室になったら、
新卒になって車が買えるみたいな。
車買えるのもいいなって。
あと海外に事務所とか周るの聞いたんで、
自分もいつか海外に過ごしたいなって思ったのもあって、
公認会議室になるので、
それで頑張ろうっていうので、
大学の時は結構勉強しちゃったなって思って。
めちゃめちゃ勉強したみたいですね。
そうです、5000時間くらいは勉強しちゃったので、
4年間のうち2年間はもう、
ギリギリ学校のタイムを取りながら、
勉強づけをしたみたいな感じでしたね。
もう一生やりたくないです。
入り口はさっき言ったような、
本当によくあるような、
周りに流され、
うまく勧誘されやり始めたってところで、
大抵の人は辞めてっちゃうと思いますし、
実際に宮下さん、
お誘いした方とか周りの方も辞めてって、
宮下さんだけ受かったみたいな話なんかも、
拝見してたんですけど、
これすごい不思議だったと思っていてですね、
やっぱ普通辞めちゃうんだろうなって思うんですよ。
そこで宮下さんはどうしてそこまで粘り続けられたのか、
実際に試験も一発で良かったわけじゃなくて、
みたいなところもあると思うんですけど、
そこはどうして最後までやり遂げられたんでしょう?
そうですね、ありがとうございます。
本当にいろいろ運が良かったなとも思うんですけれども、
あえて言うのであれば、
結構運動してた時から長距離得意なんですよね。
短距離走とかは遅いんですけど、
10キロ走れとか言われたら早いみたいな。
結構瞬発力みたいなのはあまり十分ないんですが、
長くコツコツやっていくみたいな。
っていうのは結構部活やってた時から得意で、
拝見師の勉強も、
もちろん一夜漬けしないといけない瞬間とかはあったんですが、
慣らせば無理なくできるのかなみたいな。
っていうので結構計画的にコツコツやってたら、
得意な分野が出て向かったみたいな。
そんな感じです。
試験も1次試験は4回受けてもして、
4回目にして私の得意なとこが出たんです。
受け続けてれば同じくらい。
得意なとこが出て向かうみたいな。
こんな感じです。
でもさっき話しいただいたところは、
むしろ秋商店みたいなところもあった気がするので、
このギャップもすごいなって思いました。
スタートアップとの出会い
そうですね。
ゴールを決めちゃえばそこまではずっとやれると思う。
それを達成しちゃうと、
たぶん次のことがやりたくなるんだと思う。
確かにそれも結果的に東松さん2年半で辞められていても、
場合によってはそれも少し技術としては影響しているのかもしれないですよね。
そうですね。かなり早かったと思いますね。
あとあれですよね、模擬国連とかもされてた。
はい。ありがとうございます。
それもそういう感じだったんですか?
それもですね、自分がリベートとかがすごい好きってわけじゃなかったんですけど、
大学に上がったときに、
インカレのサークルに入りたいなっていうのを1個だけずっと思ってまして、
要はKOイズムというか、
ちょっと飽き飽きしていたみたいな部分が正直あったので、
なるべく大学に行ったら大学から入った人と一緒にいたりとか、
できればそういう、インカレって結構いいじゃないですか。
いろんな大学の人と交流できるので。
そういう意味でも、1日勉強してる時間が長かったんですけど、
それでもいろんな人と交流したいなと思ったので、
けどそっちは人との交流の目的で、
勉強しながらでも両立できたみたいな、
ゆるいサークルだったので、
それで結果的には模擬協会の在籍させていただいて、
今でもすごい仲良くさせてもらうと。
始めた理由がちょっとだけ大学生らしい。
安心しました。
本当ですか。
全然明確な目的があってみたいなわけじゃ全然ないですね。
やってるテーマ感めちゃめちゃ堅いですけどね。
そうなんですよ。
そして東松さんに入られて、
上場企業さんとかのいわゆる会計監査の業務だったりだとか、
ないしは2割ぐらいはスタートアップの会計のお手伝いとかもされてたみたいなところがあったと思うんですけど、
このあたりどんな感じだったかっていうのを皆さんから教えていただいてもいいですか。
ありがとうございます。
本当にそうですね。
もともとちょっと入社したときはですね、
グローバルというか海外の監査とか海外出張していきたいなみたいな気持ちもあったんですけども、
途中で価値観がガラッと変わったのが、
2割のスタートアップ支援の仕事で、
全体の半分はIPOに向けた監査で、
2割がアイデンチャルワールドワイダーとかというのをちょっとやらせてもらっていたんだけども、
それでスタートアップに対するイメージが変わったのが大きかったです。
大学のときはスタートアップから結構離れた価値観にいたと言いますか、
正直意識高い人というかちょっと距離を感じてたんです。
自分はビジコンとかそういうのいいかなと思ってたんですけども、
意外となんかそういう表面的な部分じゃなくて、
独立の決意
お仕事でスタートアップの会社さんとかご自立させていただくときに、
なんかすごい努力さく旗を掲げて仲間を集めて、
大人の青春じゃないですけれども、大変な部分も含めて一段階として乗り越えていく感じみたいなところが、
自分が結構昔部活動とかやってて好きだった瞬間とか、
なんかそういうのが要素が詰まってて、
シンプルにそういう大人の人たちかっこいいなと思ったんですよね。
なので人生一回しかないんで、ちょっと自分もいつかこっち側に行きたいなと思って、
ちょっとその思いがもうはち切れたのが2年半勤めたときだったので、
一回思い切って独立してみた、そんな感じでした。
今のご説明でも非常に納得する部分はありつつも、なんかもっと知りたいなって気もして。
はい、ぜひぜひ。
ありがとうございます。
先ほどまでの話だと流されてきたというか、そこまで成功体験を積みつつも強い意志を持ってとか、
部活とかも別に部長毎回やってたとかではない?
全然違いますね。
そうですよね。
からのやっぱここでスタートアップ自分で立ち上げるぞって相当飛躍があるというか、
あんまりできないと思うんですよ。
あるとしたらそういった方々をスキルセットも生かしながら支える側に回るとかがありそうだなって思うんですけど、
ここでやっぱりリスクを、リスクっていう考え方がわかんないですけど、
自分で旗を掲げるぞって慣れたのはもう1回言語化していただけるとどんな感じになりますか?
そうですね、ありがとうございます。
当時は必死だったのもあって、多分今振り返ってみると、みたいな観点になっちゃうんですけれども、
同世代ですとか、少し30前後くらいの人たちが結構スタートアップで輝いてる姿みたいなのを仕事を通じてまざまざと見せつけられたときに、
なんか逆算して自分がどういう風になったらそういう人たちみたいになれるかなみたいな、
思ったら1回自分でも何かやってみるしかないんじゃないかみたいな、というふうに思ったんですよね。
なので、割と自分の中の生存戦略じゃないですけれども、
もちろんグローバルファームとかで活躍してるコンサルタントの人とか会計士の人とかめちゃくちゃリスペクトしてるんですけれども、
そっちのスタートアップ的な生き方みたいなルートにはこのままいてもどう考えてもいけない。
考えたときに、なんかもう1回ゼロに戻っちゃうじゃないですけれども、
KOという学歴もそうですし、会計資格もそうですし、
1回ちょっと全部取り払ってみて、自分の実力とかレベルみたいなのを社会で試してみたかったみたいな、
っていうのはありました。
ので、かつて創業まで2年かかってるんですけど、
ちょっといろいろ出てみて下駄を吐かない状態で何ができるかっていうのをちょっと考えたかったので辞めた。
その期間はどんな感じでしたか?結構個人で会計の仕事をされたり、
あとNPOの立ち上げとかあったと思うんですけど、どんな期間でしたか?
そうですね。NPOの方針に立ち上げて、日本に来るオリンピック外国人を地域に誘致したりとか、
100人くらいのガイドさんと一緒にですね、ツアーをやってるような、
当時ちょうど2016年にインバウンドって言葉が生まれたばっかりの年で、
ちょうどテレビをつけると厚切れジェイソンとか海外タレントの人たちに伺いやすい時代だったんですけど、
ガイドをやってる団体が結構なくて意外とですね。
公認会計士からの転身
なので自分が海外にさせてもらえたような、地元の人との交流みたいなものを
うまくハブになってつなぐ仕組みがあってもいいんじゃないかっていうので、
結構それはビジネス云々というよりは、自分が当時何か価値発揮できて、
事業に小さくてもできるものって何だろうってなった時に、そういうテーマでやってたっていう感じでした。
それを母体がNPOにしてたっていうのはやっぱりビジネスっていうよりかは、
気持ちのところで連帯感とかも大切にしながらやってたからって感じですか?
そうですね、はい。ちょっとこういうソーシャルな活動に結果的になったのでNPOを選択したっていうのは
当時の選択であったんですけれども、多分真相真理のところで言うと、
ソーシャルアントレプレナーというか、社会企業家みたいなのをちょっと憧れてた部分はありまして、
そういう事業をちゃんと立ち上げて社会にもインパクトを出せるようなものを、
当時は何かお金より社会性だみたいな、そんな価値観で多分動いてた部分はあったかもしれないです。
なるほど。そこで、とはいえやっぱり起業するぞと株式会社作るぞってなったら、
さっきの話でいくと、じゃあそれを株式にして結構成田空港さんだとか大きな、
小田急さんとかでしたっけ?連携も始まり出して、箱を作るみたいな話もあったと思うんですけれども、
じゃあそこでも本当に株式会社でビジネスやっていくぞってなる気もしていて、
そこでガラッと変えてキャンピングカーになったところの背景をいただけますか?
ありがとうございます。そうですね、株式会社にしたのはNPOの資金が尽きたからですね。
結構NPOの資金調達はやっぱりやっていくと結構本当に大変でして、
基本的には寄付を募ったりとか事業で収支回していくという形になるんですけれども、
やっぱりそこが結構海外のお客さんがアテンドするとしていたときに、
最初は都心で渋谷とか浅草とかみんなで回ったりお酒飲んだりとかしてたんですけども、
だんだん皆さん地方に行きたがるというか、2回目3回目の人とか、
私が知らないような福島の温泉地があってみたいな、そこにもしよければ連れてってほしいみたいな、
そういうオーダーいただいたりとかすると、私しかも車もそんな運転してなかったので、
海外のお客さん連れて行くために車でいろいろ連れて行ったりとかいろいろやっていくうち、
首都圏は海外のお客さん楽しめたり問題なく観光とかいろいろできるんですけど、
地方に行けば行くほど、移動手段とか困る場所とか、
そういう情報を知れるような仕組みみたいなのがなかったので、
地方は海外のお客さんとか旅行者を呼びたいっていう、
旅行者と地域のニーズのミスマッチだったり、インフラが日本って足りないよねっていったときに、
ちょっといろいろソリューションを考えた中で、豊かな自然があって、自動車大国なんで、
なんかキャンピングカーってそういえば日本とあんま見ないなみたいな、
そういうとこからアイデア起点でいろいろ考えた結果、
意外と市場があって、スタートアップがいなくて、DXも市街がある産業だったみたいなそんな感じで、
じゃあ全然インドアだし、クローンも全然運転したいんですけど、キャンピングカーの会社を起こすぞって言って立ち上げました。
キャンピングカー市場の展開
いろいろ考えた上に最後は結構降ってきたに近しいんですか?そのキャンピングカーって発想は。
そうですね。海外ですとAirbnbさんでキャンピングカーって泊まれるんですね。
ヤドとか以外にキャンピングカーがあったり、アメリカとかするんですけど、日本ってそれがなくてですね。
なんで海外で当たり前なもので、日本で当たり前じゃないものってなんだろうなみたいな。
比べたときに、日本ってキャンピングカー借りられないし、持われないし、どこにあるんだろうみたいな。
そこが結構最初の発想の起点だった記憶があります。
そうかとちゃんとグローバルの比較もしながら、日本にプレイヤーいないからもうそこを作りに行こうっていう形になったんですね。
そうですね。なので最初にVenture Capitalさんから資金到達できなければもう辞めようと思ってました。
それでできればやるし、できなければ辞める。そんな感じです。
ありがとうございます。事業の作り方だったり、投資家の巻き込み方も気になるところではございますが、
その辺りは後半で中山さんがアボリをしていただけるかと思いますので、
前編はここまでとさせていただきまして、後編またお楽しみいただければと思います。
宮下さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
21:40

コメント

スクロール