毎週1本、30-40代の方のキャリアストーリーをインタビューした収録をお届けします。

第9回目のキッカケインタビュアーは、株式会社リチカの伊藤さん。新卒で同期1000人規模のソフトバンクで営業職としてキャリアをスタート。実績を重ねてライドシェア企業との合弁でありDiDiモビリティジャパン社に30人規模のタイミングで出向し、カルチャーや国の差異を経験しながら事業立ち上げを経験。その後さらに10名以下の規模のスタートアップ企業に転職して立ち上げを経験。ご自身のライフステージの変化も経て、現在は100名規模まで成長している業界でも注目されている株式会社リチカにて勤務。稀有な経験を沢山されている伊藤さんのキャリアストーリー、ぜひお聴きください。


【キッカケストーリー】

1989年生まれ、愛知県出身。大学進学で京都へ。2013年に同志社大学卒業

卒業と同時に上京、新卒でソフトバンク株式会社入社。法人営業に配属後、新規開拓を5年経験。

その後は同社から中国のライドシェア企業との合弁会社(DiDIモビリティジャパン株式会社)に出向し、タクシー配車アプリ事業の立ち上げを経験。2020年にシード期のスタートアップ(Zenmov株式会社)へ転職し約2年務めた後、クリエイティブ領域のスタートアップ(株式会社リチカ)へ2022年9月に転職。現在は、同社のカスタマーサクセスとして、代理店や求人メディア向けに動画を始めとした動画商品の販売支援等を担当。


■本日のパーソナリティ

- こどもの未来株式会社:千葉祐大(https://twitter.com/Baccho1983)

- 株式会社グロースX:酒井葉子(https://twitter.com/youtin)

- グロースX | 業績につながる人材育成サービス:https://grtx.jp/


■本日のインタビューゲスト

- 伊藤 優さん

- Facebook:https://www.facebook.com/yu.itoh.7


- 株式会社リチカ

- https://richka.co.jp/

- 採用ページ:https://herp.careers/v1/cocktailmake


この番組「40(FORTY)」は,、30〜40代の生き方・働き方を応援する音声番組です。

人生100年時代、ライフステージの変化の大きな世代も以前に比べて様々なチャレンジを求められることが増えてきたと感じます。

同世代の生き方・働き方を等身大でインタビューするコンテンツも週1回のペースでお届けする予定です。

パーソナリティは、こどもの未来株式会社の代表の千葉が担当します。

1983年1月生まれ、私自身が40歳になったことをキッカケにスタートした番組でもあります。

40歳を迎え、改めて30代の過ごし方を振り返り、40代の10年間をどう過ごしていくかを自分自身が考えるにあたって

日々情報収集していることや取り組んでいることも平日は毎日10分ずつお届けしていく予定です。

30−40代を応援する番組ですが、今の10−20代に対しても少しでも参考になればと思っていますし

50代以上の先輩方の生き方も参考にさせて頂く為にスペシャルゲストとしてお呼びする機会もあると思ってます。


こどもの未来株式会社では

「こどものみらいがワクワクするキッカケをつくる」ことをミッション・ビジョンに掲げており、

「自分が主人公の人生」を生きる人を1人でも応援するために、「生き方」・「働き方」/「仕事」と「育児」の両立をサポートする人材紹介事業もおこなっております。


▼千葉祐大 個人のSNS

Twitter:https://twitter.com/Baccho1983

Instagram:https://www.instagram.com/yutachiba1983/

Facwbook:https://www.facebook.com/Chibayuta

note:https://note.com/babytech2020

mail:yuta.chiba@kodomono-mirai.co.jp


▼こどもの未来株式会社

HP:https://www.kodomono-mirai.co.jp/

note:https://note.com/kodomomirai

Meety:https://meety.net/matches/rOPStmnWeJfz

Yourust:https://youtrust.jp/users/yutachiba

E-mail:contact@kodomono-mirai.co.jp

00:11
30代、40代の生き方、働き方を応援する番組です。
パーソナリティーの子ども未来株式会社の千葉です。
今日は、9人目となるきっかけインタビューの方を今収録しておりまして、
パーソナリティーの坂井さんにも来てもらっています。
嬢ちゃん、よろしくお願いします。
はい、お願いいたします。
マーケティングの研修サービス提供しています、プロセスXの坂井と申します。
もう9人目って早いですね。
いろんな方の話聞いてきましたけど。
いや、ほんとあっという間ですね。
なんとなく3月にスタートして、坂井さんに相談してもらって早い。
9人目で。
ちょっと私のことというか弊社のことですけど、
今、メディアの方もリリースしたので、
どうぞインタビューの方をお届けしていただければなと思うんですけれども。
今日は、僕とはちょっと奇妙な下北沢サウナのご縁で出会った方に来ていただいておりますので、
聞いていければなと思います。
伊藤さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
伊藤さんもキャリアをお伺いして、いろいろカラー万丈、楽しいキャリアを。
そもそも本当に40のリスナーにも参考になる30代、40代のまさにライフステージの変化とか、
いろんなことにも経験されてますので、
今日お話を伺っていければなと思いますので。
伊藤さん、これからいろいろ聞かせてもらうんですけども、
簡単な自己紹介をまずお願いしてもよろしいでしょうか。
はい、改めて伊藤と申します。
出身は愛知県で、2013年に社会人になったんですけど、
そのタイミングで大学時代は関西で過ごして東京に来ました。
今、だいたい社会人7、8年目すぎると、
自分が何年目か分かんなくなるんですけど、
多分11、2年目ぐらいだと思っております。
新卒はソフトバンクという通信キャリアに入りまして、
約30歳までの7年間法人営業とか、
あとは合弁会社の立ち上げみたいなのを経験してきました。
その後はスタートアップという企業体といいますか、
そういうのに興味がすごくあったので、
SEEDのスタートアップに一社、
その後に現職ですけども、
シリーズAの、シリーズBのスタートアップに代席しているというような
キャリアになっております。
はい、よろしくお願いします。ありがとうございます。
最初は僕は伊藤さんと全然行かないですね。
サウナの話から入っていて、下北沢でご飯を食べたのがきっかけだったので、
結構キャリアを深掘りさせてもらって話をすると、
いろいろ経験されているので、すごい面白いなと思っているので、
ぜひポティの方にもお届けさせていただければなと思って、
出演をお願いいたしました。
そしたらじゃあ、洋ちゃんどうしましょうか。
最初からなんですけど、今日も愛知に就職して、
一番スタートがソフトバンクということですよね。
はい、そうです。
次、下北沢なんですけど、なぜ新卒ソフトバンクを選んだのか?
03:02
そうですね、大学の時とかって振り返ると今ほどやりたいこととかもなくて、
なんとなく自分自身は大学の時とか開発経済みたいな、
いわゆる文系のゼミとかでいて、
全く理系能ではなかったので、
そんな自分が社会人で一つキャリアというか、
生きていくにはどうしたらいいんだろうみたいな感じの時に、
すごい安直で、よし営業だ、それしかないみたいな感じだったんですね。
その時に営業としてのキャリアを歩めるみたいな時に、
いくつか会社さんに縁はいただいたんですけど、
一番通信とかITみたいな伸びそうな市場で戦った方が、
なんとなく良さそうだな、本当に安直だった、
そういうところで選んだっていうところ。
あともう一つはやっぱりすごい単純ですけど、
よくある話ですけど、
河野さんの話とか結構好きで、
成功して成り上がった人のストーリー、
サクセスのストーリーみたいなのが私も結構好きで、
男の子って結構ストーリーが多いと思うんですけど、
そういうところもちょっと惹かれて、
たまたま縁をいただいて、
なのでここで働いてみようかなと思ったのがきっかけですね。
で、運営局入って市房で出したら、
営業で通ったみたいな感じでした。
ありがとうございます。いいですね。
孫松先生には憧れますよね。
2013年新卒でいいんでしたっけ?
そうです。
その頃のソフトバンクってどういう時代でしたっけ?
もう結構大きい感じですよね。
それはすごくいい質問だなと思ったのは、
僕の台って2013年に新卒が1000人いるんですよ。
なんでかというと、これ詳しい人とかだったら分かると思うんですけど、
2012年にプラチナバンドっていう、11年だったかな?
プラチナバンドっていうのは周波数帯を1つ獲得して、
全国の消費電波が入るようになった時期で、
今思うと全国の営業部隊を獲得するための
大量採用だったんだろうなと思っていまして、
実際蓋を開けてみると、
前年の、よく新卒で入った会社って、
自分がどこで配属されるんだろうみたいなドキドキするのってあるじゃないですか。
それを思い返すと、
1個上の台はみんな東京とかに多く配属されて、
どうせ東京だろうみたいな高く売ってたんですけど、
蓋を開けてみると半分以上地方だったみたいな、
そういう経験があったので、
よく考えるとそういうタイミング。
規模的には、さあここから営業増やすぞっていうタイミングで、
当時の先行者であるNTTドコモとKDDIさんを
打ち倒しに行くぞみたいな、
06:02
結構大手ながらも、規模も大きいながらも、
野心に溢れるような人が集まっているような時期だったなと思いますね。
そんな中で伊藤さんご自身は配属は東京だった?
そうなんです。
配属自体は僕は人生で経験したことのないことをやってみたいっていう、
ちょっと好奇心が勝っちゃう性格なんですけど、
配属の面談で言ったことを覚えているのは、
何がいいって言われたんで、名古屋以外でって言ったんですね。
僕出身が愛知県名古屋市なんですけど、
地元に帰りたくない自信で、
名古屋以外ならどこでもいいですって感じで答えて、
それが民事の人から見るとすごい不思議だったみたいで、
なんで?って言われたのがすごい覚えているんですけど、
地元に帰るともう一回同じ人生を歩みそうな気がして嫌だと思っていて、
いろんな選択肢のある中でなぜか東京に配属された、
縁もゆかりもないんですけど、
っていう感じでした。
なるほどですね。ありがとうございます。
新卒1,000人いて、分かりやすいですよね。
どこも英雄っていう先駆者がいる中で、
ソフトバンクって僕らの時代というか印象的にやっぱり、
大きい会社だけでチャレンジをしているという印象は、
僕なんかはそれを持っている。
ありましたね。
ど真ん中で伊藤さんがいて、
最初は東京配属で、それこそのぞみどおり営業をガンガンやっていたという
キャリアでスタートされているんですか?
そうですね。法人営業の中でも比較的中小を相手にするような、
ターゲットにしているような部署に配属されたので、
本当に最初はいわゆる飛び込みテレアポンみたいな、
風紀良き営業会社の営みをさせていただいていましたね。
いいですね。ありがとうございます。
いつも雑談を挟みながら言っちゃうんですけど、
僕とか洋ちゃんも人材の営業からキャリアをスタートする人間なので、
これ営業は商売の基本というのはもちろんそうかなと思ったりするので、
そこから入られて、
多分文系というところも僕らは共通項だったりするので、
共感することだと思っていて。
ありがとうございます。
ぜひソフトバンクにはどのぐらいいらっしゃって、
例えばこの時のエピソードとかで、
この辺があるよとかってお伺いしてもよろしいですか?
もちろんです。ちょっと長くなっちゃうかもしれないですけど。
ありがとうございます。
さっき話した通り、
入ってすぐは法人営業の新規開拓と言われるところに、
2007年ぐらいみたいな16年、
3、4年最初にやっていて、
徐々に大きな既存クライアントに任されてみたいな、
いわゆる営業会社によくありがちなスタイルなのかなと思っていて、
その後は、
これはちょっとまた一つ、
自分の中でタイミングポイントって面白い点だったんですけど、
5年目になった時に、
突然移動を命じられて、
移動された組織が、
地方自治体を相手にターゲットにして攻略するぞと。
09:03
自治体とか公的機関って、
会社化すると取引があるだけで結構信頼になるというか、
取引いただくまでがプロセスとして難しいんですけど、
やっぱりNTTとかエビデーションみたいな、
大きな会社に取引が取られていて、
まだ全然未開拓の市場がそこにあると。
ここを攻略してこいみたいな、
編成チームで編成されたとこに移動したんですけど、
東日本を7人で見るっていう、
NTTは2000人いるらしいんですけど東日本に。
野口みたいなとこに出られて、
かつみんな自治体への営業のお作法というか、
そういうとこ知らないみたいな。
結構結論的に言うと、
僕はその中ほどものすごい楽しくて、
誰も正解を知らないから、
好きなように言ったらちょっと語弊ありますけど、
正解を探していきながら仕事を進めていくっていうスタイルが
すごく楽しかったなと思っていて、
振り返ってもそこが一番最初に仕事が楽しいと思った瞬間だったなと思っていたんですね。
そこから初めて約2年間ぐらいその仕事をして、
また自分で経験したことないことをやってみたいなっていったときに、
合弁会社を海外の会社と作るみたいな、
ローテーションみたいなのが回ってきたんで、
応募してっていうような感じで、
その後はさっき申し上げた、
中国との合弁会社だったんですけども、
当時流行ってたライドシェアみたいなのを日本でやるっていう仕事の話があったので、
そこにチャレンジしてみたいと。
大学のときのゼミで海外のリサーチというか、
そういう基礎スタディとかをやっていたんで、
いずれちょっと海外の仕事とか、
海外の人と一緒に、アジアの人と一緒に働いてみたいなって思いがあったので、
これはすごい新しいビジネスを日本で立ち上げるという軸と、
海外の人と働けるってめちゃくちゃいいなと思って、
そこにチャレンジしたという感じで、
そっちも2年間いたんですけども、
ちょうどコロナになったタイミングぐらいで、
外に行くオプチュニティみたいなのがあったの。
たまたま出てきたので、
ソフトウェアのそのタイミング、
2020年の夏で辞めたみたいなのが、
ちょっと長いですけど。
ありがとうございます。
いいですね、きっかけが来ましたね。
そこちょっともう少し深掘りさせていただきます。
やっぱり去年ガンガン3,4年やって、
きっと成功的な経験を積まれていたんで、
さっきの地方自治体をやっていくチャレンジだったんですけど、
僕はあんまり自治体の、
担当したことあるんですけど、
めちゃめちゃ解像度が高くないんですけど、
りょうちゃんあれだよね、
昔その辺やってたとかって、
マイナビのときだっけ、話を。
うっすら覚えてるんだけど。
そうですね、マイナビのときは、
観光庁の、
私、旧毎日コミュニケーション、
マイナビの新卒採用の法人営業、
ナビに乗せましょうとか、
そういう営業やってたんですけど、
12:00
観光庁の方の新卒採用方法支援みたいなことを、
他の普通の企業の担当しつつやったことがありまして、
いわゆる国家試験を受けてもらわなきゃいけないんですけど、
最近の優秀な子たちは、
観光庁に入ると、
言い方ですけど、そんなに稼げないじゃないですか。
なんで、
実は国を支えてほしい人が、
民間企業に流れてしまってると。
それも悪いことじゃないんだけど、
ちゃんと国支えてほしいから、
辿っていくと就職活動を考えうるときに、
彼らに接触しないといけないよねっていうので、
まさに霞ヶ町、長田町が用意をしてました。
なるほど、なるほど。
懐かしいのね。
中に入ると携帯の電波が通じないとかね。
ありそう。
入札部屋みたいなのがあったりとか。
携帯の電波があって、
半分後ろめたい気持ちがありますけど。
いやいや、でもあれなんですよ。
この部屋の中は電波ブロックみたいな。
そういう機密保持の。
なるほど、なるほど。
そっち側の意味です。失礼しました。
いやいや、とんでもないです。
面白いですね。
井戸さんも今の5年なんで、
まだそのキャリアの時、20代の頃っていう感じですかね。
そうですね、実際のときですよね。
20代。
そうです、20代です。
20代後半になったぐらいじゃないですかね。
6、7とか一番仕事が覚えて、
一通り覚えて周りが見えてくる頃だったかなと。
僕は結構30代40代って言い方はしてるんですけど、
結構最近は20代後半とかの人も聞き始めてくれてるなと思ってるんで、
やっぱり一つね、キャリアを積んできたとか、
そこで同じ会社でステップアップする人もたくさんいるだろうし、
転職を考えるタイミングとか、結構30代前とかってあるかなと思うので、
そういう人にもこの辺のお話参考になるなと思ったんですけど、
さっきの正解がない世界っていうのが結構いいキーワードだなと思って、
これって僕とかは大好きな世界だってやってるんですけど、
初めてだったと思うんですよね。
1000人いる時がいて、
ある種ゴリゴリの営業で、
いろんな商材があるので、あるものかなっていうふうには思うんですけれども、
そのギャップとかに苦しんだり悩んだりとかってあったんですか、その時は。
そのギャップって、新しくアサインされた仕事と、
それまでにあった仕事ですか。
すいません。
大丈夫です。
ギャップは特に、僕が鈍感なだけかもしれないんですけど、
なくて、それは2つの意味があってですね。
1つは、言うて法人営業なんで、
例えばですけど、提案するプロダクトであるとか、商材、商品商材であったりとか、
その商品商材をどういうオペレーションで提供していくかみたいな、
15:02
そこってインプットされた状態でアサインされてるから、
単純に攻略すべきターゲットが変わっただけ。
変数としては攻略すべきターゲットを、それがどういう世界なのかとか、
マーケットを知るという意味では新しい勉強ですけど、
それ以外のところが特に変わってなかったので、
すんなり入れたっていうのもありますし、
もう1つはちょっと月並みですけど、
当時のジョースとかすごく馬がうと言いますか、
未だに連絡取り合ってお世話になっている方なんですけども、
そこが個人的にはすごく異動ではありましたが、
よかったなと思っているので、
そういう意味でギャップみたいなのはありがたいことになかったですね。
なるほどね。ありがとうございます。
結構伊藤さんの強みというか特性ももちろん含まれているなというのは、
僕は客観的に感じるんですけど、
やっぱり全く違う業種というか、
それこそこの後いろいろスタートアップとかの話もあるので、
いろいろ聞いていきたいんですけども、
やっぱり対象が変わると言語も変わったりするじゃないですか。
新しい業界に行くと横文字3つ分かんないみたいな話とかって、
僕も経験した話があったんですよ。
やっぱりその辺は分かんないんですけど、
きっと行政側の方って多少違う部分はあるだろうなと想像はするんですけど、
乗り越えられちゃって、伊藤さんはすごいなと思いますし、
人の繋がりという話も上司に恵まれたというのも、
お先にまた言いたいことだったりするので、
ぜひフォーティーの人にも聞きたい話が聞けたかなと思っております。
ありがとうございます。
ぜひそこから地方自治体の仕事を2年くらいやって、
先ほど触れていただいたモビリティのディリですよね。
ライドしてある。
これとかも多分時代的にめちゃめちゃタイムリーというか、
ちょっと俯瞰した言い方をすると、
ライドシェア市場がもう結構サツタバで殴り合ってたような時代にも見えるんですけれども、
当時の環境って覚えてます?
どういうプレイヤーがいた時代ですかね、その時って。
日本のプレイヤーと海外のプレイヤーで大きく違うかなと思うんですけど、
日本で言うと、今はタクシー号という名前になっちゃいましたけどね、
全国タクシーという名前から、
ジャパンタクシーという名前が変わって、
いわゆる日本交通という会社さんのタクシー会社から始まったアプリ系と、
あと今吸収されちゃいましたけど、
MOVというDNAさんがやった。
これもタクシー号と逆転しちゃいましたね。
あとS-RIDEという今もありますけど、
ソニーとタクシー会社で、合弁会社で作られている会社さん。
この経緯4つぐらいかな。
私がいたのはLiDiという中国のアプリを日本に進出させたという、
ソフトマークとの50%50%の合弁会社ですけど、
その4つがいたのが日本の市場環境です。
それは2018年にワーッと出てきたというところ。
あと千葉さんがおっしゃった、
サツタワで殴り合っていたというのは、僕は結構アグリです。
18:06
本当あの時はすごかったですね。
アプリダウンロードでいくら分、ただみたいな。
各社のキャンペーンが。
今が悪いから余計に思いますよね。
経験も良かったし、投資活動も明らかにあの頃が盛んなった時代だったかなと。
来ても5年前ぐらいですけど。
面白いですよね。
5年で変わってしまうというのはもちろんあるし、
個人の僕とかも含めるんですけど、経験を考えた時に、
伸びている環境、マーケットというか、
変化が大きいからマーケティングというのは、
いろんなチャンスがあるのかなと思ったりはするので、
本当にライドシェアってその頃、
まだめちゃくちゃ今ほど使われていなかったような気もしますし、
業界にいる人はもちろん知り始めていたという業界。
Uberってまだ本当に聞いていなかったんですけど、
Uberもここにはいいです。
厳密に言うとUberが一番最初だったんですよね。
2017年ぐらいにUberが福岡で、
国交省とかなんかの許可を取らずにやってしまい、
怒られてしまいみたいな流れがありまして、
僕も海外に好きだったりしたので、
海外に行って使っていたりというと、
やっぱり利便性ってわかるじゃないですか。
一方で帰ってきて、
さっき言った自治体の消灯している頃だったので、
本当に地方の会社に行くときに、
駅からめちゃくちゃ歩かされるみたいなのが
すごい苦痛で、
そのUXみたいなのを自分で体験したからこそ、
話が来たときに、
やってみたいって思えたっていうのはあったかと思います。
ちょっと話ずれちゃいましたけど、
Uberは確かに先に殴り込む。
ちょっと一瞬止まっちゃった。
大丈夫ですね。ありがとうございます。
ライトシェア業界って盛り上がっているところで面白いなと思っていて、
前半このぐらいまで深く聞ければなと思っていると、
そこでソフトバンクのグループの中、
グループ内の出港移動という感じで、
そうしたらディディモビリティジャパンに行ったという感じですか、
そこで言うと。
おっしゃる通りですね。
席はソフトバンクに残したまま、いわゆる出港ですね。
ここはここでだってまた1000人の同期がいてからの
地方自治体の影響。
全然違う世界。
人数で言うとどのぐらいだったんですか、
立ち上げの組織は。
最初にジョインした時はもう30人とかじゃなかったかな。
それでも最初にしたい多い方だと思いますけど、
そこから最後に抜ける頃には大体100人ちょいぐらいまで行ったのかな。
そうなんですね。じゃあ30から100の、
いわゆるスタートアップで言うと、
その組織の壁をガガッと急成長していると経験されたのかな。
そうですね。本当にその通りです。
ちょっとディディ時代、ディディの時のエピソードとかあったら
お伺いしてもよろしいですか。
もちろんです。
いろいろありますけど、やっぱり、
21:00
何ですかね、対クライアントと対社内、
どちらも文化の違いが、
言葉の統一とか、何が良くて何が悪いのかみたいなのは、
最後まで統一できずに終わってしまったなっていう経験があって、
もっと具体的に言うと、
例えばお客さんですよね、タクシー会社さんで言うと、
タクシードライバーって平均年齢60歳以上って言われてるんですけど、
僕たちのビジネスモデルって、
当時の、今ちょっと分かんないですけど、
タブレットとかをデバイスコードを渡しして、
月額料で回収するみたいなモデルでやってた時に、
そもそもスマートデバイスに触り慣れていないから、
ディレクションコストがめちゃくちゃ高い。
説明コストがめちゃくちゃ高かったのを覚えていて、
そこから面白いなと思ったのは、
それを使いこなせる人とそうじゃない人でも、
身分化されてて、
使いこなせる客を取りまくって、
稼ぎまくるドライバーさんもいたし、
全然逆に、運転席にタブレットがコックピットのように乗ってるだけ、
みたいな、そういう方もいたし、
そこは時代の変説点みたいなのを見た気がしたなと思っています。
もう一つは、社名が結構きつくて、
合憲会社ってやっぱり違う会社の同士のカルチャーがくっつくっていう難しさって、
一般的に語られるんですけど、
さらにここに、中国の会社だっていう難しさが持っていたなと思っていて、
お互いが、会話は基本は英語とかだったんですけど、
お互いが母国語じゃない会話を、
タクシーというすごく特殊な環境について、
その言語で語り合うって、
今想像しただけでもすごく嫌だなって思うぐらいのスリルといいますか、
そこはやっぱり、もちろん上手くいったこともあれば、
上手くいかなかったことも多いですかね。
上手くいかなかったっていうのは、
言葉のすれ違いであるとか、文化が理解されないとか、
なぜこうなっているのかっていうのは、
我々が追求されても、業界がそうだからっていう回答しかできなかったとか、
そういうのがすごく難しかったなっていうのは思いますね。
働き方もそうですね。
一番面白かったのが中国の方って、
特に僕らと同い年とか下の世代って、
めちゃくちゃ働くんですよ。
週6日、毎日9時間、
10時間、12時間働くのがレポみたいな人たちがいて、
それはシンプルに日本の雇用形態とは違うから、
ボサボサしていると追い抜かれるみたいな危機感であるとか、
人口が多いから故、働かないと勝ち抜けないみたいなのが、
先天的に身についているからこそ、
24:03
残業時間とか気にしている我々とは決定的に違うなっていうのは、
すごく感じたシーンとかがいっぱいあってですね、
僕らはとはいっても忙しいから、
7時とか8時とか9時とかに帰ろうとするとまだ全然余裕でいたりとか、
朝も8時とかに行くと7時から働いているとか、
ザランにあってですね、
そういう方たちの働き方とかに合わせるっていうのも、
やっぱりまた一つ難しかったし、
少し危機感を感じたところではありました。
このまま働いていていいんだっけな、みたいな、
同じ世代がここまで情熱を一つの仕事にかけてやっているところで、
自分は本当にどうなんだ、みたいなところを試されると、
長くしゃべっちゃいましたけど、
その向き合いの話と働き方の話と、
あとは共通言語の、共通文化の作り方みたいなところでは、
いろいろ壁はありましたね。
今もたまに考えます。
ある時はどうしたらよかったんだろう、みたいなとか。
いやー、そうですよね。めちゃめちゃ参考になるし、
超生の声っていう感じがいいなと。
結構、やっぱりこのリスナーの業界に近い方も聞いてくれる人が多いなと思うし、
さっきのライブシェアとかも、
すごく身近に感じてくれる人も多いなと思うし、
僕もこんなにリアルな話を聞くのって初めてだったので、
すごいですね。
30から100人って今言った通りですよね。
国籍が違うとか、それこそやっぱり中国の会社で、
年代が違う、ジェンダーが違うとかによって価値観が違ったりするというのが、
いわゆるダイバーシティの考え方だと思うんですけど、
それを自然な形で、特に20代後半とか30手前ぐらいですかね、
おそらく年齢としては。
そうですね。
自然にできてるっていうのは、多分すごくいいことなんだなと思って、
羨ましく聞いてました。
陽ちゃんは?
いえいえ。
なかなかやったことない。
なかなかないですよね。
ちょい前になりますけど、
2つの会社が1つになる大変さみたいなのって、
われわれ、ないしはわれわれちょっと上の世代の人だと、
半沢直樹ぶち刺さりしたりとかしてたじゃないですか。
いろんな会社さん、大手の会社さんもあれば、
スタートアップもやっぱり吸収されたりとか、
合併はせずとも上に会社ができてホールディングスカーになったりとかって、
いろいろ身近な人からもそういう苦労は聞いてはいるものの、
やっぱりそこに欠ける文化の違い。
特に私もキャリアの中で中国の会社というかとか、
仕事したことあるんですけど、
もう何なの?
いいじゃん、みんな人間なんだから仲良くしようよみたいな、
思ったりしたことはあったので、
結構私の中ではなかなか国を隔てたカルチャーの中でも、
ちょっと近いはずなのに、なかなか寄り添い、
辛い部分もある、なんか特殊な、
27:01
それぞれ国でいろんなカルチャーあると思うんですけど、
かなり激しい。
そこはすごい共感しますね。
いろんなことありましたけど、成長できたなって思うポイントは、
成長したっていうか、人間としての、
持ってなかった部分を得られたなって思ったのは、
正直切れ言のように語ってますけど、
2年間の在籍の中で1年か1年半とかって、
なんで伝わらないんだろうとか、
もう中国の人たちはこうだからみたいになって、
一般的にもそうだし、当時の僕もそうで、
あったんですけど、すごい働いてる姿とか、
飲みに行った時に喋ったりとか聞いたりすると、
この人たちも日本というよくわからないマーケットに、
突然会社から放り込まれて、
明日から国境に私が行ってこいぐらいのレベルで来ていて、
ちょっと言い方悪いですけど、
中国のリリーって1万人ぐらいいるのかな、社員が、
ユニコーンと言われる会社で働いていて、
言い方悪いけど会がいるんですよ、多分。
そこに競争に勝たなきゃいけないっていうのは、
多分中国という学歴社会の中で、
ものすごい強烈に僕たちに想像できないものが働いていて、
それを打ち勝つために勝つには、
確かに同じ目線で働けるわけないなっていう、
ちょっと向こうの立場も理解できたみたいなのが、
僕が在籍機関に得られた経験というか。
同じ日本人の、特に大企業の社員の視点で見た、
その視点だけで見てたら絶対分かんないな、
みたいなことが分かったのが良かったかなと。
働いてみて良かったな、一番良かったなって思うポイントですかね。
いやーありがとうございます。めちゃめちゃいいですね。
マジで実感がこもってるというか、すごいなと思ってくれました。
ありがとうございます。ちょっと前半めちゃめちゃ無駄でした。
一旦この辺で終了させていただいて、
2013年からですね、伊藤さんが新装を
新卒で1000人同期がいるソフトワークの経営をスタートさせて、
部署を移動して、今はモビリティのライト仕上げ業界のリリーで
得られた経験までお伺いしましたので、ちょっと後半は
ここからさらにどういうきっかけで移ってきたのか
お伺いできればなと思いますので、前半はここまでできればと思うので、
伊藤さんありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
29:40

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