それでは、ぜひ川原さんにも適宜入っていただきつつ、まずは前編で近藤さんの生い立ちだったり、創業までのプロセス迫っていき、そして後編でユニットさんの事業は今後の展望についても伺っていきたいと思っております。
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それでは近藤さん、まずは近藤さんの人生やご経歴などを中心とした自己紹介を1、2分程度お願いできますでしょうか。
はい、ありがとうございます。私会社ユニットの代表取締役をしております。近藤と申します。改めて皆さんよろしくお願いいたします。
僕は学生から会社をやっておりまして、21歳から会社を起業して、今ユニットが2つ目の事業になりまして、今年30歳なんですけれども、
25歳からユニットはやっております。なので2つ目の事業になっています。
1つ目の事業は21歳から24歳までやって、一度事業売却させていただいて、25歳からユニットをやって、今丸5年経ったような形です。
起業する前は大学生だったんですけれども、日本の大学に通いず、大学3年生の時にクロワッチャー&ビジネススクール留学をして観光学を学んでいたりですとか、
あとは幼少期にですね、3歳から7歳までルーマニアという、クロワッチャーから近いんですけどそれも、東ヨーロッパの国で3年半ぐらい育ったのもちょっと特徴的じゃ特徴的な、
東京都出身、東京&ルーマニア&クロワッチャー育つ人間でございます。よろしくお願いします。
お願いいたします。今の事業内容に直結するご経験、かなり幼少期からあるタイプの起業家さんだなといろいろ事前に調べている中で思っておりまして、
それこそルーマニアにいらっしゃった時には、ご両親の関係でいらっしゃったところもあると思うんですけれども、結構な頻度で旅行に行かれてたみたいな話も、記事も拝見してたりしていて、その辺りどんな感じだったか教えていただけますか?
そうですね。まさに僕が住んでた時のルーマニアって、すごい貧しい国で、今だとEUに加盟してたりするんですけど、僕が住んでたのは97年から2001年までなので、
ルーマニアってそもそもチャウシェスク、チャウシェスクって独裁者がいて、ルーマニア革命っていうのがあって、殺されるんです。
それは89年とかなので、その8年後ぐらいに住んでたんです。まだまだマクドナルドとかもなくてですね、EUにも加盟しなくて、ストリートシュートラインが結構たくさんいたみたいなところに住んでましたと。
なので、国内旅行っていう概念がなくて、基本的にはやっぱり旅行行くってなったら、ヨーロッパのいろんなところに2、3時間ぐらいでプラライドをしていくっていう形だったので、
6歳までで25カ国ぐらいです。カ国で行くと言ってたみたいなのは、すごいいろんなところに行かしてもらったなとは思いますね。
いいですね。本当に直結するような現体験だなというふうなことを思いつつ、あとこと企業みたいな話でいくと、おじいちゃんが企業家でいらっしゃるみたいなところも拝見しました。
祖父は普通にいたんですよね。企業家というよりも。ただ、もともと酒屋をやっているうちの家が、普通のまだコンビニがないような時代なんで、
酒屋をやってたんですけど、それをちょっとマイナーピボットして、1960年代とかにアメリカに行って、セブンイレブン見つけて、すげえじゃんってなって、千葉県で最初のコンビニを作ったみたいな。
いわゆる酒屋を改装してというか、そういう感じなんですけど、別にすごい企業家とかではなくて、普通にこじんまりとした個人商店をずっと運営されたみたいな感じ。
ただ身近にやっぱり、両親は公務員だったので、すごい忙しくて、僕も学童とか鍵っ子みたいな感じだったんですけど、
じいちゃんがめちゃくちゃ暇だったので、経営者だったので、それでいろいろ遊んでもらったっていうのはありますね。
いいですね。もう少し気になったのが、これがどのタイミングなのか聞きたいんです。14歳ぐらいからより起業したい思いっていうのが強まったみたいなことを書かれてたノートとかも見まして、これどの記憶に紐づくものなんでしょう?
たぶん、小4で2分の1成人式っていうのがあって、10歳なんですけど、企業のきっかけ、一番最初のきっかけはそこで、2分の1成人式っていうイベントが、なんか発表したみたいになってですね。
で、学年イベントで、当時日本に帰ってきてる日本の小学校のイベントだったんですけど、そこで全学年に向けて、将来の夢を発表する機会をいただいて、ここで初めて将来の夢を考えるわけですよ。
せっかく発表するんで。で、その時、両親公務員だったって。公務員っていうのもなぁみたいな、そうそうそうそう。ちょっと先生とかですね、やっぱ小学生で先生になりたがる人も多いと思う。
だし、別にスポーツいろいろやってるけど、そんなじゃあサッカー選手とか、そういうのでもないしなって思った時に、当時やっぱ祖父の影響だったりとか、あと2004年だったので、ライブドアとかですね、
堀江門とかがテレビに出てて、で、普通の小4だったらそんなこと考えないんですけど、たまたま、そのイベントで発表する機会があったので、
企業家になるというか、まあ企業家という言葉で多分社長になるみたいな。で、発表したら、やっぱ小学校、そんななんかちょっと変わった、一風変わった発表するといじられまくるわけですよ。
半いじめみたいな。いじめじゃないですけど。
激しくいじられたんですね。
激しくいじられて、そしたら、いや俺社長になるんだなみたいな。
小学校、中学校、高校とずっとあいつは社長になるっぽいよ、は?みたいな。ので、自分の脳みそ的にもそうなんだろうなみたいなのをインプットされたっていうのがありました。
クロアちゃんも自分から観光業を学びたいからクロアちゃんに行った。
そこでの学びとかって実際どうでしたか?
そんななくて。
クロアちゃんって政府観光局があって、すごい人口が夏と冬で4倍ぐらい変わるぐらい。
夏にもヨーロッパ中の浮遊層だって、世界中から海沿いに集まる、コーストサイドに集まるっていう国なので、結構特殊なんですけど、
ビジネススクールだったので、マーケティングとかマネジメントとか、いわゆるいいサラリーマンを養成するような感じになっちゃって、
僕まだ学生で働いたこともなかったのに、同学年は30歳みたいな人ばっかりで、これ全然参考にならんなと思って、
クロアちゃんが帰ってきて起業しようとしたんですけど、全然できなくて、起業かとはみたいなものさえゲットできなかったので、
エアビージャパンさんとか、エアビ大きかったんですけど、ほんと超スタートアップみたいなところ、何社か、4社ぐらいかな。
で、インターンをさせてもらって、1年間休学してですね、大学4年生で休学をして、1年間インターンをして、
で、よしと思って、4年生の時に起業したっていう感じで。
1年間の間で4社ってかなり畳みかけてるなっていう印象でもあるんですけど、
それはどうしてそんなに渡り歩いたのかとか、あるいはその中で今にも続くような一番の思い出とか経験みたいなものがあったら気になります。
ありがとうございます。まずゴールがそもそも起業するためにはみたいな話だったので、
短期間でこういう経験を積もうと思ってましたと。
で、そうするとやっぱり時給でとか、別にお金もそんな必要なかったっちゃなかったんですけど、
なかなか週3フルタイムみたいなの難しかったんですよね。
なので、自分が興味あるドメイン、いわゆる観光とか旅行、宿泊みたいなドメインから、
月10万でフルコミットみたいなインターネットあるじゃないですか、それって何時間コミットすればいいかとか書いてないみたいな。
そういうのを半年に2社、半年に2社みたいになって、両方ともフルコミットで10万あげますみたいな。
そういうので、頑張っていろいろ学びましたと。
なので、当時は週10ぐらいを上手く自分の中で、午前中、午後とか土日とか含めて、
定例ミーティングだけ上手い感じずらしていて、もうミッションベースでめちゃめちゃ学んだっていうのがあったんですけど、
それで一通りやはりわかるわけですよね。
マネジメントってこういうすごいメンターみたいな人がいたら、こういう感じでマネジメントするんだ、
マーケティングでこうやってやるんだ、初期検証でこうやってやるんだ。
新規事業系のプロジェクトのインターンだったりもしたので、そういうのも一通り学べた。
ただ、その中で僕が一番衝撃を受けたのがAirbnbでの経験というか、
Airbnbは無給だったんですよ。
インターンもなかったんですよ、ぶっちゃけ。
日本メンバーの7番目とか8番目ぐらいでちょっと手伝ってましたぐらい。
何してたかっていうと、ホストマーケティングでAirbnbは世界中にユーザーがいますと。
ただ、日本にはまだホストがいなかったんですね。
2015年だったんですけど、Airbnb Japanもできたばっかりですよ。
ホストめちゃくちゃ増やして、住む物件増やさなきゃいけないよねっていうタイミングで、
ウェビナーとかセミナーとか、それの手配とか、雑用みたいなのをやってたんですけど、
業務内容はそんな別に普通のインターンやる雑用みたいなことだったんですけど、
プロダクトの素晴らしさと、これほんと世界変えるなみたいな、
今までの住むアセットに対して宿泊の部分を入れ込んで、なおかつスーパーグロースみたいな、
MOMで200%みたいな、1ヶ月で2倍伸びますみたいな、超驚異的な伸びようと法律を作っちゃうみたいな、
そういうプロダクトの強さ×国としてのモメンタムみたいな感じで、
これがスタートアップだっていうふうに思ったのが、今に通じてるかなと。
そして、21歳で学生起業されて、これは起業のタイミングではもう事業案とかって決まってたんですか?
そうです。ありがとうございます。そこでエアビでやった後、エアビもでも4ヶ月か半年ぐらいしかやってないんですよ、ぶっちゃけ。
で、普通に自分でやった方が儲かるなって思うんですよね。
やった時に、いわゆる今でいう民泊代行みたいなのを、個人事業主で起業する前に始めたんですね。
で、13都府県みたいなのが一気に広がって、不動産屋さんに僕が交渉しに行って、
民泊って言葉がなくてエアビっていうのがあって、空室をエアビで回すとめちゃくちゃ儲かりますみたいな、どういうこと?みたいになって、
空室部分はいいよって言われて、原宿とかエビスとかの一等地から北海道とかやってたんですよ。
で、めちゃくちゃ儲かるんですね。ただ途中で法律ができるってなって、また半年ぐらい撤退するわけですよ。
で、ちゃんとやらなきゃなみたいになるわけですね。それまでは違法とか合法とかなかったんですけど、違法と合法ができるようになるって2018年のタイミングがあって、
その前に僕たちは2016年にそれやったんですけど、撤退をして、2017年にその経験をもとに地方の旅館とか民宿を買ってリノベして収益化して売るっていう、
そこで結局、学生企業家もあったので、いろんな自分のスキルセットの無さとか、骨の無さとかもあって、
大体学生企業家って一回失敗すると就職するみたいなのがある。
周りの友達とかもいろいろ就職していく中で、自分もどうするかなってなったときに、僕はもう一回ちょっと頑張って今、ユニットをやったと。
そこで猛吹きと踏ん張りできたっていうのはどうしてだったんでしょう?
結構内静したんですよ。ほんとがっつり内静して、結構想像するよりもかなりのショックだった。自分的には。
やっぱり24歳ですし、負けたくないみたいなのがあって。
僕が事業売却を7000万ぐらいだったけど、した頃にはタイミング20億調達してて、シリーズBぐらいで。
もうやばいなみたいな、池袋引っ越すわみたいな、かっちょいいオフィス引っ越すわぐらいのタイミングだった。
そこでただ1週間ぐらいアパホテルに泊まって、龍馬伝を初めて見て、誰かがオススメされて龍馬伝見てたんですけど。
自分ラッキーだなって思ったんですね。
ラッキーかなってなったときに、自分の過去の人生振り返ったときに、そのときまで気づいてなかったんですけど、ルーマニアでストリートチルドレインからツバ吐かれたことがあって。
昔一回です。覚えてるんですよ。
いきなりツバ吐かれた。
それ何なんだろうなって思ったときに、僕はぬくぬくドライバーさんとか家政婦があって、母親もいて、車乗ってて、
ストリートチルドレイン、僕と同い年ぐらい、5歳とか6歳ぐらいの人たちが裸足で、金くれみたいに言ってくるわけですよ。
そこで僕が金持ちだったわけじゃない。
ただそれって日本人が途上国に行ったから、ドライバーさんとか家政婦を雇えるみたいな感じで、生まれた場所にこんなにも違うんだ、存在がっていう。
すごいラッキーだなって思いましたし。
あとは日本外人中学ぐらいのときに、小学校のときの友達が捕まっちゃったりとかして、付き合う友達が違うとグレちゃうよね。
それで結構人生半分台無しにするような事件を起こしちゃった出来事があって、それに目の当たりにきて、何年も刑務所にいるみたいな。
ラッキーだったな僕はとか、あとは地頭の良さとかもあると思うんですよね。
で、何よりそういうラッキーで、つまり家柄も良くて能力もあって付き合う人たちにも人脈もあったとしても、西暦1500年に生まれたら一生戦国時代、感じたわけじゃないですか。
でも今って、良くも悪くもですけど、テクノロジーが高加速度的に進化して、時代の流れもどんどん10年で進む速さも速くなって、バイオリズムのあれもどんどん短くなっていく中で、面白い時代ではあると思うんですね。
2020年に25歳ぐらいだと、94年生まれたんですけど、2020年に25歳ぐらいで、2050年、2070年ぐらいまで頑張れます。地球環境も激変しちゃいますみたいな時に、運がいいなっていうのを本当に思ったので、
一度待ってらんないなというか、もう一回3年ぐらい就職するよりは、また再度良くも悪くもハードシングルな資本市場で戦いたいと思ったって感じですかね。
なるほど。ありがとうございます。今非常に熱い思いが聞けたところで、今そんな近藤さんが何をされてらっしゃるのかっていうところを聞きたいところであるんですけど、ちょっと創業の経緯までいくと時間が足りなさそうなので、これを少し補足しながら、後編でもお話しいただけたらなというふうに思っております。
近藤さん、河原さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。