おだしょー 大学院と大学でまた専攻が違うかもしれないですけど、大学のときは東京理科大学ですよね。専攻は何を学校で学んでたんですか。
松山 学校は土木工学科やったんで、土の研究と言いますか、地震のときの土の挙動みたいなのを実験室でこちょこちょやってました。
おだしょー なぜそれをやろうと思ったんですか。
松山 それをやろうと思った理由は、いろんなオフィス選びとか大選びとかあったと思うんですけど、自分がやってることがすぐ目にわかるような、ここに貢献してるんやなーみたいなのをすぐわかりたかったっていうのが一つです。
例えば化学とか物理とかって、この研究がどこに活かされてるかみたいなのが結構若いときの自分にとってはわかりづらかった。
より橋を作るとかダムを作るとかトンネルを作るって一般の人に説明しやすいし、僕自身もその当時わかりやすかった。
単純ですけど、イメージしやすさで選んだ記憶があります。
おだしょー ありがとうございます。僕は全然文系の経験者なので、いわゆる土木とかの研究団だというところからなんですけど、大学を卒業して院に卒業。院に行かれて同じく土木のところをやってらっしゃる。
大学のときに就職っていうルールとか進学っていうルールとかって、みんな基本的には進学する方が多い感じだったんですかね。
そうですね。5割、6割、7割くらい院に行くっていう感じでしたけど、僕は一応就活して、そのときから海外行きたかったんで。総合奨謝だけ受けて。
あと僕は一応体育会系の3年生のとき出所をやってたんで、マイナビに登録した野村証券の人がぐいぐいグルーダーについてきて。野村証券は内定もらってたんですけど、リテール営業のほうで。
内定者の懇親会行ったときに、脳みそを筋肉で吸うみたいな人だと仲良くあまりなれないなっていうか、この環境よりはちょっと頭疲かったような仕事があったんで。
そういうこと言ったらあれですけど。そこから院の入試のほうに切り替えて。僕のとき結構早かったんで、就活が。2月、3月、4月とか。院の入試が8月とか。そこから切り替えて院の勉強をしたっていう感じですかね。
ありがとうございます。選択肢としては就職活動もきちんとして、当時から海外だったりだったり。でも、サッカー部の首相ってバリバリやってると、大会系ってもちろんリクルーティングというか、あれが強いなっていう印象もあったし。
大学院で引き続きアカデミックな道具のところを研究されていって、聞きたいのは社会人になっていくじゃないですか。そこのファーストキャリアの選択ってどういうふうに選ばれてたんですか。
大学院のときも総合奨奨受けて、一社内定もらったんですね。そこに行くつもりで内定式とかも行ってたんですけど、いざ入社するぞっていうときに。
そこからよくあることなんですけど、研究室的に文系就職みたいな。今じゃないと思うんですけど、例えば僕のいた専攻とかやったら、ゼネコンとかJRとか国交省とか、行くのが通常の中。
僕は勝者選びをしてしまいまして、それでちょっと研究室の先生が、関係も悪くない。お前は卒業させへんと、みたいなムーブメントが起きまして。
それで、卒業が1年延ばすぞ、みたいな感じになりまして。それで、マルベニューさんなんですけど、3月直前。1、2週間前ですね、入社式が。
ちょっと申し訳ございませんと。引き続き、今新卒で入った会社のコーファウンダーの方からお誘いっていうか、一緒にやらんかみたいなのもあったんで、もうちょっと思い切ってそっちに行こうかなっていうので、そっちに行きましょう。
社会人になる前からかなり決断を繰り返してきてますね、それは。
そうですね。大人の圧力を受け続けてきましたね。
具体的な社名は後で言うと、Pを入れようかなと思ってますね。それはご安心いただければなって。
ずっと闇の中を歩いてるみたいな感じだったんで。楽だわっていう印象が強い。その同時に偉いとこに来てもうたなみたいな感じはありますけどね。
生きる上で。
ありがとうございます。これはまさやさんの率直な感想というかね。一般的にはわかんないですけど、やっぱり学生から社会人ってギャップが大きくて苦労するケース大変だっていう方がこれまでのインタビューでいたと思うんですけど。
確かにかなりアカデミックというか、成果が出るまでにやっぱり暗闇の中を何度も何度も実験を繰り返すみたいなことですよね、おそらく。
それに対して、確かに営業とかマーケットが分かりやすく、いいこともダメなこともフィードバックが来る世界っていうのが楽っていう表現になるのが楽しいなと思って。
なるほど。実際、その後のキャリアのステイも聞いていければなっていう。前半ちょっとね、そのぐらいまでをぜひ聞いていければと思うんですけど。
松山さん、このイスラエル日系スタートアップの日本代表に多分この後なってると思うんですけど、どういうきっかけになってたんですか?
まさにきっかけなんですけど、入社して1年後に、上のコーファウンダー、3人中2人辞めまして、ファウンダーと僕2人っきりになりまして。
ファウンダーがイスラエルにずっといるんで、2人に僕しかいないという状態になって、そこから結果残してのしやがってなったとかじゃなくて、そこに僕しかいなかったという状態になったっていうところですね。2018年。
すごい人生ですよ、これは。
びっくりしましたけど。
これでも今だからこそ話せるトークのレベルでいいんですけど、しかも正直2人ファウンダーが特に日本にいた人が辞めてたら、辞めようとか、別に転職しようという選択肢もゼロじゃないじゃないですか。
はいはいはい。
どういうジャッジだったんですか、それは。
いやもう本当にね、人生っていうか、巡り合わせは面白くて。誰も知らないのに、その2人辞めたと。そこから結構オファーが来るようになって、何も登録しないですよ。
普通に人伝いで一緒に働かないとか、ちょっと今法人営業を探してるとか、経営企画探してるとか。
なんやったらその辞めた2人からも誘われてましたし。
やってたんですけど、めっちゃ悩みましたけど、やっぱり1回乗った船、1年で降りるのどうかなっていうのもありましたし。
1年でビッグインパクトまだ残してなかったので、残しきれてからやろうかなっていうのと。
あと社会人1年目のときに出会った経営者の40、50とかと思うんですけど、僕を採用する体力はそんななかったと思うんですよね。
手取り12万しか払えないってことは普通の人間は雇えないと思って。
そこの恩義も感じてましたし。
その経営者の先輩が言ってたのは、今の売り上げ10倍にして、社員も10倍にしてからその恩義が果たせるんじゃないかみたいな話を1年目のときにしてたら、すごい頭の中に残ってて。
それを実現してから次のこと考えようっていうのは思ってましたね、2年目の日本の代表のときは。
ありがとうございます。めっちゃ面白いですわ。これまでのきっかけみたいに3回くらいやってきたんですけど、ダントツでぶっ飛んでて面白いなっていう。
すごい経験だと思うんですよ、本当。
これちょっと前半、最後ぐらいの質問になるかもしれないですけど、社会人としては1年とか2年しか働いてないわけじゃないですか、そのときの松山さん。
仕事のやり方とか、その辺ってどう学んできたのかなっていうのがめちゃめちゃ興味あって。
本当に、一応社内でも仕事のやり方を教わるみたいなのがあるんですけど、基本社外から教わってたような記憶はありますよね。
自分よりちょっと歳近いお兄ちゃん的な人とか、ちょっと歳が近い経営者とかから、「こういうときどうしてます?」みたいな。
具体的なことは言わずに、ちょっと抽象的に言いながら。っていうのはあるんで。本当に今だなって思いますけど、一社目って本当に大事だなっていうのは感じましたね。
これもすごいいいエピソードだと思って。僕にももちろんいい覚えがあるというか、お客さんを育てていただいたみたいな感覚ってやっぱりそういうのあるなと思う。
売上10倍、社員10倍にしてやめるっていうのは先輩経営者の言葉っていうのも素晴らしい出会いだったのかなと思うので。
松山さんすごい人と人の出会いでご時代が成長されてきたのかなーみたいな話を聞いてて。
そうですね。1年目のときとか何もコネクションもないし、東京のほうで。
マーケに作る予算もないし、毎週ミートアップとかイベント。東京とかいったらちょくちょくやってたんで。
毎月100枚、200枚、KPI置いてメッシュ交換を。
素晴らしい。
もうひたすらテッククランチがあったらテッククランチで300枚の交換するぞというのをどんどん繰り返してるっていう感じですね。
ありがとうございます。これいい話ですね。
聞いてもらっている20代、30代とか若い人も最近聞いてくれているので、そういう人に行動することが大事だなと思ってありがとうございます。
前半はここまでとさせていただいて、かなり濃い話を聞かせていただいたかなと思っております。
後半は日本代表になってからのエピソードとか、それこそ現在マーケも創業されてどんなことをやっているかということも聞ければなと思っていますので、前半は終わりました。
すみません。ありがとうございます。