声で届ける起業家の物語、Startup Now MCのお稲荷です。
本日のゲストは、株式会社天地人代表取締役 櫻庭康人さんです。
天地人さんは、衛星データとAIを活用した水道DXソリューション
天地人コンパス宇宙水道局などを提供されておりまして、
なんとJAXAの認定を受けているベンチャー、スタートアップであられるということでございます。
そして、2025年の9月、シリーズBラウンドにて、
約7億円の資金調達を発表されたばかりとなります。
櫻庭康人さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
天地人さんは、僕がPRパーソンをしていた時代に、天地人さん、
そして、IBSでもPR統括されております、
繋がれさんとの接点でおつなぎをいただいた時代でございます。
今年は櫻庭さんが、IBSのピッチコンテストのローンチパッドに出場されていて、
しかも受賞もされていて、
いろいろバックグラウンド知っているというのがエモすぎるなと思って、
感慨深かったんですけど、ピッチされてみて出られていかがでしたか?
いやー、ちょっとあまり出たくなかったです。
映像なんですか?その心は?
いやー、IBSってそもそも結構知っている人が多くてですね。
そうなんですね。
だからあそこに残れたってことは一切ないんですけど、
あまりにも知っているので、距離を置いていたんですよ。
ですけど、ちょっとそろそろ出た方がいいんじゃないって言われて、
いやー、出るかと。資金調達もしているし、出るかということで、
今回エントリーさせていただいて、運良く残ることができました。
しかも2位でしたっけ?受賞もされて。
そうですね、2位を受賞させていただいて。
YouTubeで出てまして、僕も拝見させていただきましたけど、
とても面白いので、ぜひ見ていただけたらなと思っております。
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まず、事業についても簡単に1、2分程度で教えていただけますでしょうか。
JAXAの認定ベンチャー、JAXAスタートアップという肩書を認定していただいていて、
衛星データを使って地球規模の社会課題を分析しながら、
ウェブサービスとしてソリューションを提供していくという事業をやらせていただいています。
今のご紹介だと、まさにIBSのピッチでメインでやられていらっしゃったのは、
宇宙水道局というものだったと思うんですけど、
実はそれ以外にも結構いろいろやられていらっしゃるということなんですか。
そうですね。2019年に起業しているんですけど、最初は農業から始まって、
再生エネルギーですとか、不動産ですとか、本当に様々な分析を千本ドックのようにやってきていて、
その中で出会ったのが水道の問題で、そこで開発したものが宇宙水道局なんですけど、
今はリソースをそこに集中させて開発しているというところになります。
ビジネス性もあるし、社会的な価値も高くなっている。
そうですね。水の問題って、アフリカとか発展途上国だとあるのかなって皆さんも想像すると思うんですけど。
そうですね。日本はあんまりなさそうだなって。
そうですよね。実際僕もそう思っていたんですけど、愛知県豊田市の職員の方をご紹介いただいて、
お話しする中で、日本もすごい課題がたくさんあるよというふうにお聞きして、びっくりして、
これはやらないとダメだろうということでスタートしたというところですね。
いいですね。そのあたり何が課題だったのかとか、また後ほどお伺いしたいなと思うんですけれども。
そもそも宇宙ベンチャーやってますというと、きっと宇宙バックグラウンドなんだなと思われそうですけれども、
そのあたりも含めて、桜庭さんの人生についても迫っていきたいなと思います。
良ければ、幼少期とか学生時代とか、そんなところから少しずつおいたち教えていただけますでしょうか。
幼少期。
幼少期からですよ。大事です。
幼少期。幼少期はですね、親が共働きで、あんまりですね、かまってもらった記憶がなくて、
ばあちゃんがいて、よく面倒見てもらってましたかね。
おばあちゃん子だったわけですね。
姉と兄がいるんですけど、7歳と5歳でちょっと歳が離れてて、
そういう意味では、かわいがってもらってたというか、というところで子育った感じがしますね。
ご出身、青森ですか。
そうですね。青森県の弘前市で。
弘前だったら比較的アクセスもありますし、ちょっと都会ですかね。
今はだいぶ田舎になってきてますからね。
昔はそうですね、家の前とかも商店街とか結構あったりとかしていたようなところで育ちました。
姉と兄がすごいスポーツ万能なタイプで、小学校の運動会で基本1位みたいな姉と兄だったんですよ。
ちょっとすごすぎて、本当にうざいなやってたんですけど、結構2人ともバスケやってたんですよね。
その影響もあって、小学校3年生くらいからですかね、バスケずっと高校卒業までそこからやってました。
桜庭さんご自身の運動神経とかどうだったんですか。
悪くはないと思うんですよ。
ただ姉と兄がちょっと…。
そんなにすごかったんですね。
そうなんですよ。それがもうタンコブっていうやつですね。
常に比較の対象に。
比較されてたわけじゃないですけど、姉の弟みたいな感じの、そこからスタートするんで。
プレッシャー感じてたわけじゃないんですけど、でも振り返るとやっぱりそれがプレッシャーだったなっていうのは思うというところですね。
結局桜庭さんご自身も結構成績を残されたというか、かなり熱中されてやられてらっしゃったんですか。
そうですね。小学校では一応全国大会とかある程度行って、強いチームではあったので、そこで選手としてやってはいたので、そこそこなんですけど。
今の桜庭さんのインターフェースと穏やかな感じと考えると、バスケをバキバキにやってるイメージはあんまり想像がつかないんですけど、どんな感じだったんですか。
中学校ぐらいまではだいぶ熱心にやってたと思います。
部活もやってましたし、終わった後に社会人のほうにも行ったりとかして、夜9時ぐらいまで体育館を橋越しでバスケにしてましたね。
それも好きだったんですか、上手になりたかったんですか。
好きだったっていうほうが上だと思いますね。その上で上手になりたかったというか。
高校時代は印象深いものとかありますか。
高校もバスケで入ったんです。バスケの特大生みたいなところで行ってて、基本バスケベースでやってたんですけど、高校3年間が終わって、ここからどうするかっていうときに人生の転換がありまして。
上2人が運動万能でここまで運動してきたけど、あの2人に比べるともうちょっと諦めようと。
全国大会とか出場されて推薦で入ってなお、お兄さんお姉さんのほうがすごかったんですか。
もうちょっと向いてないなと思って、運動ではなくてビジネスですとか、そういうところのほうにちょっと変わっていこうっていうのが結構考えたのが、高校のバスケの最後の試合が終わったぐらいから。
大学の推薦とかそういう話とかもあったので。
バスケでの。
そうなんですよね。
もういいかなと思って。
面白いですね。社会的には実力認められているのに。
一応そういう話いただいて、大学行くかどうかっていう話とかあったんですけど、もういいやと思って。
スポーツじゃなくてビジネスとかっておっしゃいましたけど、普通高校生だったら勉強頑張るかでいい大学入るとかがよくあるかなと思うんですけど、そこでビジネスっていうフレーズが出てくるのはどうしてなんですか。
大学行くならバスケっていうのが、高校バスケで行ってるっていうのもあって、大学もバスケやるっていうところがもう嫌だと。
大学もバスケもやらないっていうセットなんですよ。
大学行ってやるよりも、結構今も変わらないんですけど、働きながら現場で学ぶほうが厳しいと思ってるんです。
お金払って何かを学ぶよりも、お金もらいながら学ぶほうが厳しく教えてもらえるわけでもないですし、ちゃんとやるようにって怒られるわけですよね。
そっちのほうが厳しいと思ってるので、まずお金稼ぐほうで学んでいこうっていうふうなスイッチが入ったのが、そのぐらいのタイミングなんです。
今の桜庭さんがそうおっしゃるとロジカルですけど、当時の感覚でもより厳しいほうに行こうみたいなのがあったんですか?
そうですね。
どうしてですか?
結局何か学んでから行くっていうのも大事ですけど、そこに学べるからそこに入ったほうが早いじゃんっていう。
それで大学も行かなくて、美容の専門学校を一回行くんですけど。
美容ですか?
美容は何でだったんですか?
その頃木村拓哉さんのドラマとかもありましたし、高校生の時に友達の髪切ってたりとかしてたんですよね。
これなんかいけるかもと思って。ただすぐ就職できないんですよね。免許とか必要なんで。
免許取るために美容の専門学校行きながら土日はアルバイトして、美容院でアルバイトさせていただいてっていう生活を送ってましたね。
本当にその時点では将来美容師としてやっていく前提は結構あったんですかね?
そうですね。そこの美容院に就職もさせていただくんですよね。
それが結構前に決まってて、働いてたというのもあって。
うちでそのまま就職するよねみたいなありがたい話なんですけど。
でもただそこが決まってから、どんどんこのまま青森にいてどうなんだろうなって思い始めたのがあってですね。
1ヶ月くらい卒業してから働いて、やっぱりちょっと違うなと思って辞めたっていう。
1ヶ月で出るのですか?
1ヶ月くらいだったと思います。
めちゃ短いですね。
そうですね。もともと働いてたというのもあるんですけど。
そこの時の美容室の方々とかご家族とかのリアクションとかってどんな感じなんですか?
母親はブチギレで。
どんな感じでキレてたんですか?
専門学校まで行っといて何なの?どうするの?みたいな。
心配ですよね。
そうですね。ただ言っても聞かないタイプなんで、もう好きにしたらみたいな感じでしたけど最後は。
で状況を決めるんですか?
そうですね。結構地元で有名な美容院だったっていうこともあって、このままいてもどうかなっていうのと。
美容以外のことをやったとしてもそんな大きい町じゃないので、どこかでまた会ってもあれだし環境を変えようと思って東京行こうと思ったんですけど。
本当に何も決まってなかったです。
何もですか?
何も決まってなかったです。
一旦東京の美容院に行くとかじゃないんですか?
じゃないです。
自分でも部屋をちゃんと見つけて。
年齢的に言っても領居された時がまだ二十歳とかなんですか?
そうですね。二十歳。
アルバイトいろいろされて結果的に就職もされてらっしゃる。
そうですね。途中で一回ラストサムライという映画のエキストラでニュージーランドに行ってまして。
そこ行ってまた一ヶ月ちょっとぐらいで撮影が一ヶ月ぐらいだったんです。
戻ってきてまたバイトを探して。
そこで働いたのがインテリア系のショップみたいなところがあって。
何かやったことないからやってみようかなと思って働かせてもらって。
そこが結構働いている人にオーナーシップじゃないですけど、
自立して、自分たちでやってもいいというような制度の会社さんだったので、
そういうチャンスもあって、一年もしないで店長まで。
すごいですね。それ何歳ぐらいの話ですか?
それが二十だから、何歳?一とか二とか。
そうですか。二十二?一かな。
あまりにも気になっちゃいましたけど、エキストラで海外まで行ったんだよね。
そうです。
それはどうしてだったんですか?
昔本屋で旧人雑誌をたまたま振って行ったら、映画のエキストラと書いてあって、
世界的なみたいな感じがした気がします。記憶では。
日本人なら誰でもOKなんですよね。要するにエキストラなので。
日本人である程度見た目が日本人だったらいいという感じだったので。
これはラッキーすぎるなと思って。
ウカルートは持っていなかったんですけど。
エキストラでウカルウカラナイがあるんですね。
一応面接とか。
渡航費とか滞在費はどうなるんですか?
全部映画が持ち入りです。
どうでした?楽しかったですか?
楽しかったですね。遊びに行ってきたようなものですよね。失礼ですけど。
立ってるだけですか?
そういうことですよね。
走ったり。
めちゃめちゃシュールですね。
ラストサムライの中で、日本兵側なんですけど、
軍区みたいなのに来させていただいて。
持ってる銃も、もちろんおもちゃなんですけど、
おもちゃで持って。
うわー、映画ってこうやってできるんだなっていうのを勝手に想像しながら、
実際トム・クルーズも本人がいたりとか。
めっちゃいい環境ですね。
そうなんですよ。握手もさせていただいて。
できるんですね。すごい。
そうなんですよ。結構全員に挨拶して、握手してました。
すごい素敵な人だなと思って。
好奇心任せにいろんなところにいろんなご経験をされる。
そうなんですよ。そこが今でも病的に。
病的になんですか?
多分困ってる。
同席いただいている方々がね。
さっきインテリア商社で店舗の運営と、ECもされた。
そうなんですよ。そこで初めてインターネットとか関わって。
その店舗とか売り上げで過去の売上記録を塗り替えていったんですよね。
これもう自分でやった方がいいんじゃないかと思って。
調子に乗って辞めて自分でECとか始めるんですけど。
リーマンショックが来て、物が売れない時代が数年あったと思うんですけど。
そこでいくらインターネットとはいえ物を売るのって大変だなと思って。
早めに見切りをつけて。
昔モバツイってサービスあって。
今のベースの上級執行役員になっている藤川さんっていらっしゃるんですけど。
藤川さんが初めて起業した会社の一号社員で雇っていただいて。
そこからインターネットを物を売るんじゃなくてサービスをできたいと思って。
そこで藤川さんの下でいろいろ学ばせていただいて。
今に至る本当に大きな影響があったのはあれがポイントになっています。
藤川さんとの接点も元々あったわけではなかったんでしたっけ?
藤川さんが結構長文なブログを書くんですよね。
僕は読むのが好きで藤川さんのブログが面白いなと思ってたりしてたんですよ。
結構その創業前にイベントに登壇されててですね。
そのタイミングで生で藤川さんの話を聞きに行こうと思って。
行った時に名刺交換の場がその後あって。
ちょうどイベントは何も気にせず申し込んでたんですけど。
イベント開催の数日前ぐらいに起業しますってブログが出て。
メンバー募集というか社員募集しますって出て。
その名刺交換の時に勇気振り絞って応募したいんですけどって言ったら。
全然相手にされなかったんですけど。
プログラマーでもないし。
今考えたら僕だったら取らないんですけど。
それを藤川さんは何を思ったのか採用していただいて。
なんでだったんでしょう?
聞いたことないかもしれないです。
今でも仲良くしていただいてるんですけど。
この前言われたのが僕何でもやりますって言ったらしいんですよ。
何でもやりますって言う奴はダメだって言って。
評価ポイントの話かと思ったら違う方で。
何でもやりますって言ってる奴は後でやばいっていう話があるんだよ。
知ってる?お前みたいな感じで。
けど何とか。
実際スタートアップは何でもやらなきゃいけないじゃないですか。
特に創業時は。
オフィスを発注かけるところから何でもやりましたね。
何年ぐらいいらっしゃったんですか?
そこが2年ぐらいで売却するんですよね。
会社を。
そこまでいました。ちょっと前ぐらいまで。
売却されて、当時社員に入ってるんで特段株持つとかではないんですか?
ではないです。
そのまま残るって選択肢もあったんですか?
人を削らなきゃいけなくて。
売却するのはそれなりに進めてたと思うんですけど。
やめてもらいたいみたいな話があって。
その時はえーと思いましたけど。
ショックというか来るものがありそうですけど。
でも後日談で一番最初に辞めさせたらしいんですよ。
その理由があいつはどこ行っても死なないっていう理由だったらしいんですよ。
後で何度か聞いたんですけど。
お前はどこ行っても死なないから辞めさせても大丈夫だっていう人。
で一番手に辞めさせたって言ってました。
ちょっと笑い話ではありつつでも信頼の証でもあったってことでもあるんですかね?
そうですね。当時はえーと思いましたけど仕方ないなと思って。
いろんな感情はありましたけど。
今思えば確かにそうだなと思って。
エンジニアとかいろいろメンバーの中で雑草まみれで。
僕はどこ行っても多分どこ解き放っても確かに死なないなと思って。
死ななかったですか?大丈夫でしたか?
そうですね。今こうやってインタビューいただけるぐらいには慣れたと思います。
どうしていったんですか?その後次のキャリアとか。
その時に藤川さんに開発とかいろいろ覚える上で
住宅の会社とか行ってみるといいよっていうのは本当に本に覚えてるか分からないですけど
僕は言われた記憶があってですね。
ちょうどその住宅の会社さんからスカウトいただいて
すごい面白いプロダクトとか作ってたんですごいありがたいと思って
そこで面接受けさせていただいてそこで働いてですね。
そこの会社さんは住宅ではあるんですけど
結構大企業の新規事業開発とかを積極的にやってらっしゃってて
そこの担当をよくやってました。
結構じゃあそれは大企業っていう大きさではありつつ
業界とか領域とかっていうのは様々だったりするんですか?
そうですね。通信会社さんから出版社さんとかもちろん代理店さんとかもいますし
何かしらそういう新しいサービス作りたいんだけどとか事業作りたいんだけどみたいなところの
0から0.1ぐらいのところから入って
どうやって1から10とかやっていくかっていうところをやっていくっていうのをやってました。
短期間で新しい業界のことを的確にインプットしながら事業を顔するっていうところのある意味、経験というか。
そこで多いときプロジェクト14個ぐらい持ってたりとかしました。
すごいですね。
そうなんですよ。
14ですか。
数えたらあってですね。
でもなんか普通にやってたんですけど
一回ちょっと体が怖くなってきましたけど
でも会社のせいというよりか自分で無理しすぎたとか
別にやらせてたわけではなく自分で選んでやってた会社なんで。
そこで立ち上げとかノウハウとかは実体験として体に染み付いたと思います。
そこから企業ではなく一回転職されてますかまた。
そこで会社で受けてたスタートアップの会社さんから
どうみたいなもうちょっと本気でやってみないっていうのでそこから転職したのは前職ですね。
農業系とかなんて。
そうですね。IOTの。
何をされてる会社さんなんですか。
東京大学の先端技術というかを使って
土壌の水分量を測る新しい技術をサービス化していくスタートアップで働いています。
今で言う知事さんもそうですけどディープテックというか結構研究開発寄りの匂いがだいぶしますけど
その抵抗感とかそういうバックグラウンドではないじゃないですか。
なかなか飛び込めなそうって思っちゃったりはするんですけどそのあたりはどんな温度感だったんですか。
その前の会社さんの時から新しい技術大好きで