1. Startup Now-スタートアップ起業家の物語
  2. #121 ユーザーが6,800万を突破..
2025-10-07 58:21

#121 ユーザーが6,800万を突破してなお「ずっとつらい」等身大の起業家の物語/株式会社TimeTree 代表取締役社長 深川泰斗さん

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TimeTreeさんは、カレンダーシェアアプリ「TimeTree」を提供されているスタートアップ🗓️ 2025年9月、韓国最大手の通信事業者「SK Telecom社」と資本業務提携を締結し、22億円の出資を受けたことを発表されました!

全世界6,800万ユーザーを抱えるサービスも立ち上げ当初はまさかの無風…。状況を一変させたのは奥様のツイート…!右肩上がりで事業が伸びても「つらさ」を抱え続ける深川さんの等身大の姿も必聴です。


▼トピック
・北九州で育ち、ゲームに没頭した幼少期
・紙とすごろくでゲームを自作し、近所で話題に
・反抗的な性格とマッチして高校時代はバンドに熱中
・文化人類学に出会い、中国を1〜2ヶ月横断
・お茶屋さんで急須にマイクをつけてライブ
・新卒で就職はせず東京でフリーター生活
・過労で入院し自分を見つめ直し、就職を検討
・Yahoo!カレンダーの改善案を100個考えて入社
・カレンダーを経てカカオジャパンのJVに出向
・JV解消時に同僚5人と起業を決意
・リリース時は無風も奥様のツイートで大バズり
・小さい子供のいる共働き夫婦に刺さり普及
・ドイツ、イギリス、台湾、韓国等へ展開
・ティム・クックによる紹介やTikTokでアメリカで普及
・5年1億ユーザーの計画に10年でも届かない現状
・社長としてのカリスマ性のなさに打ちひしがれる日々
・実験を続け、世界的プラットフォームを目指す

▼ご出演者様の各種リンク
-HP
https://timetreeapp.com/intl/ja
-採用情報
https://timetreeapp.com/intl/ja/corporate/careers
-資金調達プレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000125.000017462.html
-深川さんX
https://x.com/preface

▼スポンサー
-決まる商談が増える 有効商談オートメーションSaaS「イメディオ」
https://www.immedio.io/
-immedio浜田さんX
https://x.com/hamahi

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サマリー

株式会社TimeTreeの深川泰斗社長は、6800万ユーザーに到達したものの、その道のりが常に辛いものであると語ります。彼は自身の起業経験や人生観、音楽との関わりについて触れます。深川氏は、個人的な挑戦や成長がビジネスにおける重要な要素であることを示します。また、マーケティングやプロダクト開発における苦悩や、特に共働き家庭におけるカレンダーシェアのニーズについても深く掘り下げます。さらに、彼はカレンダーシェアサービスの成長やユーザーの広がり、海外展開、TikTokの影響などについても言及し、経営者としての試練や価値観の変化についても考察します。最後に、深川氏は、無風の状態から6800万ユーザーに達した後も続く挑戦や、世界的なプラットフォームの創造に向けた実験的な物語を語ります。

TimeTreeの成り立ち
声で届ける起業家の物語 Startup Now-MCの大稲里です。
本日のゲストは、株式会社TimeTree代表取締役社長 深川泰斗さんです。
TimeTreeさんは、カレンダーシェアアプリTimeTreeを提供されているスタートアップです。
2025年の9月、韓国最大程の通信事業者であり、昨今ではAI関連事業も幅広く展開されていらっしゃるSKテレコム社さんと
資本業務提携を締結され、22億円の出資を受けたことを発表されております。
深川さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
深川さん、いろいろ記事を拝見して気づいたんですけれども、
強烈な現体験から起業されたというよりも、どちらかというとそれまでの人生の集合地といいますか、
それによってものがどんどん染み出していって、今のサービスにたどり着いたんじゃないかなと。
そんな話も今回の配信の中でぜひ聞いたらなと思いますので、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
この番組は、決まる商談が増える、イメディオの提供でお送りします。
問い合わせ直後や資料を読んでいるホットな顧客と、画面上で商談を自動で設定、
リードの商談展開率がグッと改善する有効商談オートメーション、LayerX、箱物、アイブリーといった成長企業が活用中です。
サンサン時代の先輩浜田さんが、インサイドセールスの課題を解決するために始めた事業です。
ぜひ、イメディオのウェブサイトで資料請求して、スムーズな商談設定を体験してみてください。
まずは簡単に事業について、もう1、2分程度とかで教えていただけますでしょうか。
我々、タイムツリーというカレンダーシェアアプリと言っているんですけれども、
人と共有するというシェアを前提にしたカレンダーサービスというのを作っております。
iPhoneアプリとAndroidアプリと、パソコンのブラウザで見れるウェブ版等で展開していまして、
今、グローバルで6800万登録ユーザー。
半分が日本で、もう半分が日本以外という、結構いろんなところで使われております。
日本以外だと、アメリカ、ドイツ、台湾、韓国、イギリスといった国が特にユーザーさんの多い国ですね。
使われ方としては国によって少しずつ違いますが、
おおむね家族でカレンダー予定を共有したり、恋人同士であったり、
あと他に多いのは小さな職場とか、スモールビーと言いますかね、
建築土木医療会合とかの現場で働くお仕事のチームや職場で使われるというのも多かったりしますね。
ひとまず特徴としてはそのところですかね。
一応ビジネスとしてはそのカレンダー上で広告を掲載できる広告事業となっておりまして、
日付、いろいろな企業様が新商品の発売日とかセール日とか、
そういうこの日を覚えてほしいというものをお持ちだと思うんですけども、
そういうものをカレンダー上でユーザーさんに印象付けられる広告や予定データを駆使したターゲティングが可能な広告、
例えば引っ越しって予定が入っているユーザーさんにだけ家具の量販店さんの方を当てるとかそういうことができる、
そういった広告事業と、広告が嫌ででもタイムツリー使い続けたいという方のための個人課金、サブスクですね。
深川社長の人生
サブスクで展開しております。
ありがとうございます。
小規模な事業者さんもいらっしゃるという話はありつつ、
実は私自身も使わせていただいたんですけど、
ありがとうございます。
これはやっぱり家族で使っていて、
特にこのIT業界とかだと仕事の面ではGoogleカレンダーとか既存のものを使いつつ、
ただプライベートとなるとやっぱりそこをそのまま使うというよりかは、
タイムツリーを使っている方周り見ても多いなと思っていて、
それって何でそうなっているのかというのはどんな感じなんでしょう?
とにかく簡単に共有ができるというところをすごくこだわっているのと、
もともとコミュニケーションサービスを作ろうというスタンスで考えたので、
予定を共有すること自体がコミュニケーションとして相手にちゃんと伝わったりとか、
見たこともわかるようになったりリアクションができたりとか、
共有することが心地よいようにというのをすごくこだわって作っていて、
その辺かなというところですかね。
ただ便利にしていく機能的なツールというよりかは、
共有が前提でもコミュニケーションのためにまずはカレンダーをシェアするみたいな。
そうですね。
ありがとうございます。
その辺りもこれまでの人生だとか価値観の中から染み出ていたものなのかなと思うので、
高川さんの人生についても聞いていきたいなと思っておりまして、
ぜひ老いたちだとか、幼少期とか学生時代どんなふうに過ごされていたかとか、
そういうところを少しずつぜひ教えてもらえますでしょうか。
福岡県の北九州市というところで生まれまして、ずっとそこで育った感じですね。
ゲームですかね、ゲームずっとやってました。
ゲームすごく好きで、
今もいろいろなプロダクトの発想とか組織運営の発想とかは、
ゲーム能というか、ゲームから発想を得たものが多い気がしますね。
現体験というか、今この仕事をしていることに直接つながっているなと思う思い出がありまして、
僕ファミコン世代なんで、小学2年生ぐらいの時にファミコンが世に出たんですよ。
どっぷりはまって、自分でも作りたいと思ったけど、
だけどそんな手軽なものではなかった、小学生にとても作れるものではなかったですね。
それでも作りたくて、ノートとメモ帳とサイコロとかで、
ランダム性の部分はサイコロでやりつつ、ゲームシステムはノートとメモ帳で作るっていういろんなゲームを作って、
それを弟がいるんですけど、弟とかでテストプレイしてもらって、
バランス調整して、近所の友達にリリースするっていうのをよくやってたんですよね。
すごい。ちゃんとテストを挟んでからリリースされるんですか?
そうなんですよね。それがいきなり持ってったら面白くないって言われた経験があって、
一回弟にテストプレイしてもらう。
あれがすごくやってることが今と一緒だなと思いましたね。
それ作ったゲーム、例えばどんな作品じゃないですけど、どんなゲームができるんですか?
毛泥を紙に落とし込んだみたいな。
どういうことですか?
プレイヤーが紙のスゴロクみたいなものの上で、鬼側と逃げる側に分かれて、何かをしたら勝利みたいな。
いろいろなアイテムがあったり、ハンデがあったり。
あとはスゴロク形式でのロールプレイングみたいなのとか、いろいろ作りましたね。
そこら辺の小学生が作ってみたというか、しっかり作り込まれたゲームとしての印象をいただけますか?
近所では流行ったと思います。
それは小学生ぐらいずっとゲーム作る側もやってたみたいな感じですか?
その紙で作るのをよくやってましたね。趣味という感じでしたね。
ゲーム以外だと何かありますか?あまり運動とかはされてなかったんですか?
それはもう何もしてなくてですね。
中学、高校等ずっと帰宅部で、帰宅部部長ってずっと言われてましたね。
プロ帰宅部ですね。
その時もゲームしてたり、あと高校の時はバンドずっとやってて、音楽どっぷりでした。
周りの方々に影響を受けて、自分も部活やるとかもなく、自分というものを持ちつつ、やっとバンドに出会ったみたいな感じなんですか?
持ってたかどうか分からないですけど、バンドは結構ドハマリーしてたんですね。
すごく真剣にやっていました。
もともと音楽聴くのが好きで、こんなやる側でみたいな感じだったんですか?
すごく反抗的な性格というか、別にグレるわけじゃないんですけど、
学校とかいろいろなものに、なんでこれしなきゃいけないんだろうって納得いかないことがすごく多くて、
それが受け流せない立ち位だったんですけど、それにやっぱり音楽ってハマるというか、
そこの憧れと音楽がマッチしたから、どっぷりあって、
学校外で、学校の外のライブハウスとかにテープをくって出演したりとか、
そういうのがやっぱり学校の外に場所があるっていうことがすごく救いだったのかな。
曲作ったりとかもされてらっしゃる?
そうですね。作ってやってました。
それはいつぐらいまでやられてらっしゃったんですか?
今もバンドやってるんですけど、大学の時が一番積極的だったかな。
どんな感じでのめり込んでたんですか?
アコギで曲作って、北九州の駅前で歌ったり、そういうバーみたいなところで歌ったりとかしてて、
その後もずっと今も続けてるんですけど、メジャーデビューしたいとかそういうんじゃなくてですね、
本当に納得いく音楽をしたいとか、一回音楽で食べていくのかどうかとか悩んだことはあるんですけど、
僕の中では、そうすると必要とされる音楽を作らなきゃいけないってことと、
自分がピュアに、自分だけがいいと思えるものが一番いいような気がしてですね、
そういうものを追い求めるのとは違うなと思って、マニアックな音楽をずっとやり続けてるんですよね。
音楽と文化人類学
アーティストというかクリエイターみたいな感じが印象としてありますね。
そもそもがすごく好きでして、こういうのはタイムツリーとつながるのかもしれないですね。
タイムツリーもコンセプトのきっかけは、大体予定って人が関わって約束が生まれてとか、
一人で生まれることがほとんどないのに、スタンドアローンなのはどうなんだろうとか、そもそもってそういうところだったんですけど、
音楽はどこから音楽なんだろうとかがすごく気になってですね。
どこから音楽なのか。
そうなんですよ。机コンコンって叩いてて、それが一定のリズムになって、他の音が加わったりしたら音楽っぽく聞こえたりするじゃないですか。
とか、イヤホンで音楽聴いてて、何の曲聴いてもしっくりこないなって時ってあるじゃないですか。
そういう時にイヤホン外したら、風の音とトラックの音の方が心地いいみたいなことがあったりするじゃないですか。
だから、そういう一番いい音楽体験ってどうやったら自分にとって作れるのかなっていうので、すごく変わった音楽をずっとやってまして。
例えば、シチュエーションとしっかり結びついた音楽が一番面白いんじゃないかと思って、
お茶屋さんでライブさせてもらって、お客さんにはチケットの代わりにお気に入りの湯飲みを持ってきてもらって、
この急須にマイクつけて演奏しながらお茶を入れて回るみたいな。
そうすると音はすごく面白いんですよね。ギターの音とコポコポって音がすごく静かに響いて。
多分、それに来たお客さんは後で家でお茶飲むときにそれを思い出してくれるんじゃないか。
これすごく深い音楽体験じゃないかみたいな、そういうことばっかりやってましたね。今も近いバンドですけど。
確かに発想がユニークですよね。聞いたこともなかったですし。
その延長で考えている気がします。
その延長にあるんですね。
大学院は社会学とか文化人類学を専攻されたということを拝見したんですけど、大学時代はなんだったんですか?
大学時代は文化人類学で、それがすごく衝撃的で面白かったんですよね。
全く違う文化の中に飛び込んで、一方的に観察するというより自分も変わっちゃうみたいな。
それがすごく面白くて、先生がすごく変わった先生で、本を読むというよりはとにかくそういう異文化の中でドキドキするっていう体験をすることを重視。
文化人類学からの影響
フィールドっていうのをすごく重視していまして、学部生にもみんなフィールド行っておいでって言って。
今だったらできるかわからないですけど、行きたいところが決まらないっていう人は、世界地図にダーッとつなげて当たったところに行くっていう。
それぐらい徹底した先生だったんですけど。
僕はそのとき中国に行って、1ヶ月か2ヶ月くらいいて、東から西までずっと横断してぐるぐるしてきて。
そのときもギター持っていって、いろんなところで。楽器があるとすごく距離が縮まるんで。
いろんな人と話したりしながら、カルチャーショックを肌身で得てくるみたいなことをやって。
それは研究にはつながらなかったんですけど。
それで文化人類学というか、そういう自分とは違う考え方、世界のフレームを持っている方々を理解するっていうことにすごく刺激を受けて、
もうちょっと文化人類学をやりたいなと思って、大学院に行くことを考えたんですよね。
そのときに、文化人類学ってどうしてもアフリカとかパプアニューギニアとかそういうところに行くのが多いんですけど。
僕はどっちかっていうと、街中が好きだったんで。
街で駅前で歌うとかもやってましたし。
だからそこにちょっとギャップを感じてて。
そうするとちょうど文化研究っていう、カルチュラルスタディーズっていうんですけど、
社会学の中の文化から権力とか政治を読み解くみたいな、そういうものがちょうど日本に入ってきて流行りだしていって。
ちょうどその紹介者の一人の社会学者の先生が、モーリー・ヨシタカワ先生っていうんですけど、
給代にいらして、僕家も近かったんで、そこに進学して、社会学、カルチュラルスタディーズを専攻したって感じですね。
なんか僕、言うか迷ったレベルだったんですけど、実は僕も大学文学部で文化人類学1を専攻してたんですよ。
先生はスリランカを研究されてて、文化人類学って海外のそういうミッドウォンチと言いますか、どこに行ってやらなきゃいけないんだなって、
逆に僕の場合結構ハードル上がっちゃって、しかも結構緩めのゼミだったんで、正直こなしちゃった感覚があって、
今の話聞くと、やっぱり行くって全然違うんだなって感じましたね。
そうですね、一時情報ってやっぱり強烈ですね。
あとやっぱりすごく不安になるんですよね。そこまで行って、返れない、当面返れないって。
なんかその感じがものすごいインプットの質を変えてくれるというか、って思いますね。
僕があまりに文化人類学にハマって、弟に4つしたんですけど、こういう面白い学問があるよってすごく説明したら、
弟の方がハマって、弟は今文化人類学者で、大学で教えています。
深川さんご自身も学者を目指されたタイミングもあったんですよね。
音楽とキャリアの選択
修士に上がった時はそのつもりで大学院に行ったんですけど、興味は強いんだけど勤勉な方じゃないんで。
そうなんですか、勤勉な印象が今までできそうだと。
だから落ちこぼれだったんですよね。
研究以外のことばっかりやってて、上がるのを諦めたという感じですかね。
その時先生に言われたのが、なんか負荷が向いてないんじゃない?みたいな。
結構ズバッと。
みんながみんな博士に上がって研究者を目指すより、修士くらいまでちゃんと社会学とかを学んだ人が、
世の中に出る方が俺ら大事だと思うけどね、みたいに言われて、それいいなと思って。
それで修士に出ましたね。
ご卒業されてそのまま就職していないんですか。
そうですね。
その期間どんな感じだったのかとかも教えてもらえますか。
自分で就職せずに東京に出てきてフリーターをやるという、なんかよくわかんない感じでしたね。
その時は音楽に関わって生きていきたいというか、そういうのがすごくあってですね。
だけど音楽でメジャーデビューしてご飯食べていきたいというわけじゃないみたいな。
それは確かにそういう話かもしれない。
自分でもよくわからない状態で。
それでひとまず音楽周辺で何か物かきで食べていけないかなと思って東京に出てきたんですけど。
それでいろんなところを文句を叩いたりしたんですけど、
ちょっととても東京で生活できる収入は得られずですね。
で、アルバイトいっぱいやって、冷凍倉庫ででっかいマグロの段ボールを運ぶとかやったりしてましたね。
そのバイト先のひとつに社員にならないって言われて、そのまま社員に拾ってもらったみたいな感じです。
どういう仕事だったんですか?
そこはなんて言えばいいのかな、すごく何でも企画屋さんというか小さな4,5人の事務所で、
Yahoo!での新たな挑戦
調査レポートをまとめたり、シンポジウムみたいなことを企画したりとか、記事まとめたりとか、
本当にいろいろな企画ごとをやる会社ですね。
いわゆるそういう期間がYahoo!さんに入る前が3年くらいとかでしたっけ?
そうですね。
最後そこでいざYahoo!に行くぞみたいなところは何が違って、どんなきっかけで?
その時に一回過労で入院して、ちょっと自分は何がしたいのかなって考えて、
大学院まで行ってフリーターもやってたから、一般的な社会に出る人と全然常識も何も足りてないっていうコンプレックスがあったんですけど、
新卒で研修を受けたわけでもないから、ビジネス的な電話の取り方もよくわからないみたいな感じだったんで、
コンプレックスがあったけど、そこで3年くらいやって、何とかやっていけるんじゃないかな、どこか行ってもと思って、
それで好きなものを考えたら、IT、インターネットとかゲームが好きだったんで、そういう会社を片っ端から受けてって感じですかね。
その状態で、今のヤフーさんと違うかもしれないですけど、トワイエイチメイドとかもあったんじゃないかなって気がしてて、
結構入るのは普通大変だったりしないかなって思うんですけど、どう思わされたんですか?
そうなんですよね。30社くらい受けたけど、ヤフーだけ受かったって感じだったですね。
ヤフーカレンダーの担当をやりたいですって言って受けたんですよね。
カレンダーなんですね。
そうですね。その時に共有みたいなアイディアの兆しみたいなのがあったくらいかな。
普通に言っても僕は無理だなって思ってたんで、経歴的には何者だこいつっていう感じだったんで。
だからヤフーカレンダーこうしたらいいんじゃないかアイディア集みたいなのを100個くらい作っていったんですよね。
当時はSNSがめちゃくちゃ盛り上がり始めてるミクシーグリーンみたいなタイミングだったり、
グーグルマップも出たか出ないかすごい強い感じだったんで、
みんなSNSやりたいって言うんだろうな、応募者の人って。
そこ行っても僕が行っても入る好きないなと思って。
地図とかそういう絶対大事な領域であんまり注目されてなさそうなとこないかなと思って。
カレンダーだったら競争相手いないんじゃないかなと思って。
しかも面白いんじゃないこれと思って。
っていうのでアイディア集を持って行って何とか採用いただいたって感じですね。
ラサン的なキャリアの積み上げ、ロジカルに決めた部分と面白いんじゃないかもあったってことですけど、
カレンダーにどう面白みを見出すかってあんまりパッとしない部分があるんですけど、
当時はどんなことを感じられてたんですか?
もともと文化事理学とかやるぐらいなので、すごく人文思想とか大好きで、
生きがたいというか、何のために生きなきゃいけないのかなっていうのがずっとモヤモヤあるみたいな。
その中で結局どういう時間を後で振り返った時に過ごしたかみたいな、そういうものなのかな。
そう考えると満足感のある時間っていうのをすごく過ごしたいと思っていて、
常にこうじゃない時間を選択してたらどうなるんだろうみたいな、SFみたいなそういう観念っていうのがあってですね。
その割には非常に不自由だなと思ってたんですよ、その時間を選ぶっていうのは。
すごい身近なところで言うと、僕は音楽めちゃくちゃ好きだからバンド見に行くのも好きだったんですけど、
同時に見たいイベントが2つあって、情報チケット買ってダッシュで行ったり来たりするとかそういうのをやったりするんですけど、
死ぬ時に思い出すみたいな時間をたくさん集めたいみたいな感じがあって、
これって幸せの間違いなく人類普遍の共通の基準なんじゃないかなと思って、
それをうまくマネージする道具、手帳とかカレンダーってめちゃくちゃ大事だし、
そもそも歴史もめちゃくちゃあって、昔からあるしっていうのが、
これは面白いし重要な領域なんじゃないかなって思った理由ですかね。
その思い出を瞬間に残すとかだったら、それこそカメラとか写真とかに行きそうですけど、
そもそもどう使うのかみたいなところが大事だったんですね。
あとは当時の小さな5人くらいの事務所で、
本来は使ってはいけないやり方なんですけど、
Yahoo!IDをパスワードと一緒に共有して、
Yahoo!カレンダーを共有するっていうやり方をしてたんですよ。
それがめっちゃ便利で、
スタンドアローンじゃなくて共有した方がいいっていうのは出舞台を得たんですね。
当時はYahoo!カレンダー、つまりYahoo!カレンダーって今もあるんですか?
今はあると思います。
他にいわゆる今だったらGoogleカレンダーとか入れられますけど、
そういうのはまだなかったりもする時期だったと思いますか?
Googleカレンダーってその後ちょっと出たぐらいじゃないかな。
実際それで入社されてみて、本当にカレンダー担当になれたんですか?
なりました。1年ぐらいで外れました。
その後はどうされたんですか?
その後はSNSを本格的にYahoo!もやるとなって、
その企画になりましたね。
Yahoo!のSNSってどんなサービス?
Yahoo!Daysっていうのが昔ありまして、
それのプラットフォーム部分とかも企画担当してましたね。
それをしばらくされてから、カカオジャパンさんとのジョイントアベンチャー。
そうですね。
この辺りはどんな感じの経緯というか。
そこもSNSはどうにもならんなとなって、
そうこうしているうちにLINEさんがグワッとライジングしてきて、
Yahoo!もチャットをやるぞとなって、
その中でチャットを作るという、考えるという担当プロジェクトにサインされて、
いろいろあった結果、
社内で作るんじゃなくて、どこかと組みましょう。
カカオトーク、韓国でも圧倒的ナンバーワン。
カカオと組んでやろうとなって、
カカオジャパンという、Yahoo!ジャパンとカカオコーポレーションの
ジョイントアベンチャーができまして、そこに出向になったと思います。
外資、韓国の会社さんとのジョイントアベンチャー、
経験された方はそんなに多くない気がするんですけど、
立ち上げた際の雰囲気だとか、
どういう感じだったのか、創業主義みたいな感じはどうでしたか?
Yahoo!に比べたらものすごくコンパクトだったので、
40人くらいだったのかな。
最初からそれくらいいたっちゃいたんですか?
そうですね。Yahoo!から20人くらいいて、
で、カカオに20人くらいいて、みたいな感じだったので。
風通しがいいというとシンプルですけど、
プロダクト開発の苦悩
自由、活発な感じでしたね。
動きやすかった。
楽しかったですね。
どういう思い出が?
そこで、当初カカオトークを伸ばすっていうのを、
カカオトークに日本専用の機能を入れたり、
マーケティングしたりとか、そういうのをやってたんですけど、
なかなかそれだけだと厳しいということで、
その他の領域を探索しようといって、
いくつか新規プロダクトとかも作ったんですよね。
で、その時に何もかもやらなきゃいけなかったんですよね。
お問い合わせ対応とか、
そのアプリ運営、リリースに関わるすべてをやった時に、
すごく経験が統合された感じというか、
それを僕のやりたかった作り方として、
Yahoo!では主に企画メンバーが仕様紹介で画面とか書いて、
こういう時はこういう結果を返すとか決めたりしてたんですけど、
一緒に作りたいなと思ってて、
それはなぜかというとバンドがそういう作り方が好きだったからですよね。
僕が曲書いていってこの通り弾いていいねじゃなくて、
モチーフだけあってセッション繰り返して今のが良かったから取り入れようみたいな、
そういうセッションで相発的にお互いに刺激を形にし合うみたいなのがすごく、
その方が面白いものができると思っていたので、
プロダクトもそういう作り方にしたくて、
ユーザーインタビュー、ユーザーさんオフィスに招いたりとか会いに行ったりとかも、
デザイナー、エンジニアメンバーと一緒にやったりとか、
企画も叩き台だけすごいラフなやつを僕作って、
ダメ出しをもらいながらというか、
みんなでこうしたほうが、ああしたほうがってやりながら作るみたいな、
そういうセッション的な作り方をして、
それが楽しかったし、手応えも感じたんですね。
かくぼくジャパンさんは何年くらいだったんですか?
2年いて、それでちょっとこのままでは厳しいねと、
LINEに勝つのはちょっとってなって、
お別れになったんですね。
ジュイントベンチャー解消して戻っていきましょうってなって、
その時に僕が一緒にやってたチームが、
カカオとヤフーから来た人と根性なので、
当然お別れってなったら僕はヤフーに帰るし、
カカオのメンバーとはバイバイになって、
それが嫌だなと思って、
5人だったんですけど最終的に。
5人でもうちょっとやりたいし、
この作り方というかバイブスというか、
いいものが生み出せそうだよねっていうのがあって、
それとなくどうする?一緒にやる?みたいな、
やる?みたいな、やめる?みたいな、
そういう感じで5人で辞めた感じです。
カレンダーアプリの誕生
だからよくなんでですかって言われるけど、
本当バントのノリ、東京行こうぜ俺らでみたいな、
そんなノリですね。
5人のうちバックさんとか韓国籍の方もいらっしゃっているんですか?
そうですね、デザイナーの最初の5人の中のデザイナー1名、
女性のデザイナーが韓国で、僕が日本。
それでみんな辞めてというか一緒にやるって、
その船に乗れるのすごいですけど、でも本当にバントなんですね。
そうですね、本当にバントな感じですね。
そのタイミングでチームみんなでやろうぜ、
だけまず決まったってことですよね。
何やるかはまだなかったってことですか、そのタイミングでは。
なかったですね。
ジョイントペッチャー解消が発表されて戻るまでの時間もあって、
その間って毎日オフィスでは一緒にいるんで、
よく帰りにMacとかロケボックスとか行って会議してましたね。
じゃあ何を作ろうみたいな。
でもすぐすぐカレンダーだねってなったわけじゃなくて、
一通り事業探索っぽいアイディアとかは出てたりはしたんですか?
そうですね、いろいろ出したけど。
カレンダーって言い始めたのは赤川さんだったりするんですか?
言い始めたのは僕ですかね。
どんな感じでみんな巻き込んでいたというか、いいねってなってたんですか?
割とすぐ、手応えあるときってサクッと決まるじゃないですか。
そんな感じでしたね。
そもそもデザイナーが、エマって言うんですけど、
結構変わった経歴というか、デザイナーじゃなかったんですよね。
企画職でやってたけど、実はデザインとかすごい好きで、
自分で練習してたみたいな。
しかもカレンダーアプリオタクで。
カレンダーアプリオタク?
そうなんですよ。
自分のアップストアじゃない、
他の国で使えるアップストアのカレンダーとかもチェックして、
みたいなのが好きで、ものすごい研究してたんですよね。
それも知ってたし、
僕は元々Yahoo!カレンダー担当で、
カレンダー面白いのになって思いすごくあったし、
あとカカオでやってたアプリの中に、
サブ機能というか、メインじゃなかったんですけど、
カレンダー機能もあったんですけど、
それも評判が良かったし、
ていうので、
いろんな角度で、
カレンダー共有、コミュニケーションとしてのカレンダーっていいんじゃないかっていうのを、
いろんな角度で書き起こしてみて、
それをみんなに話したら、
もうそれでいこうって感じで決まった感じですね。
共有を前提としたカレンダーのアプリ。
その時は最初のターゲット層というか、
こういう使われ方っていうのは家族感がありそうだとかぐらいまでは決まってたんですか?
そうですね。
メインカップルとかに置いてた気がしましたね。
カップルもありうるし、家族もありうるし、
バンドとかもありうるよね、みたいな感じで置いてましたね。
それでいざ作ってみて、リリースしてみて、
最初の反響とかってどんな感じだったんですか?
最初はですね、今思えば当然なんですけど、
本当に全く話題にならないニュースにはもちろんならないし、
プレスリリースとかもいろんなところに送ったりしてみるけど、
全く無風だったので、
これはもう終わったなと思って、
家帰ってガックリ突破してたら、
妻がその様子をツイートして、
ツイートしたら、
起業した夫が一生懸命アプリ作ったけど、
全く話題にならずに床に突破してるんで、
誰か見てあげてくださいってツイートしたら、
それはめちゃくちゃバズって。
すごいですね。
本当ですね。
アスキーさんとか日経さんとか取り上げていただいて、
それで一気に認知はだいぶ得られましたね。
少なくとも手応えは感じるし、
いろいろ仕掛けていこうという、
みんなのモメンタムじゃないですけど、
というのが調整されたと。
それでその後、
それで多分最初の盛り上がりは作れたと思うんですけど、
今はもう6800万人ですので、
どういう伸び方をしていくんですか?
お祭り騒ぎはあったものの、
やっぱりそれ終わると数飛ばずには戻ってきて、
その時にどういう人に喜ばれてるんだろうっていうのを突き詰めて、
それで特にお子様が小さいご家庭の
共働きのご夫婦は刺さり方がすごいぞって。
当初はカレンダーシェアアプリとかも言わずに、
家族で使うと、
全部家族にアップストアとかも寄せて、
それで安定して伸び始めたという感じでしたね。
当時、家族で予定をシェアするという領域では、
ある意味競合という競合もないというか、
何のツールもないみたいな。
そうですね。
ユーザーとの関係性
結構反発も多かったですね。
気持ち悪いとか共有するなんてっていう声も多かったですね。
それはカップル同士でもそうだし、
自分の予定は自分の予定だからみたいな。
そうですね。
それはなんでなんですかね。
仕事は共有し始めている頃ってことですよね。
そうですね。
でもやっぱりカレンダーっていうイメージが強くて、
カレンダーって自分の予定を全部書き込むものっていうイメージが強いけど、
僕らはどっちかというとコミュニケーションで書いたので、
全部出さなくても、
これはちゃんと伝えておきたいものとかあるじゃないですか。
そういうふうに使うっていうことが、
自面から伝わりにくくて、
先にいやいやって反射反応が走っちゃった感じですかね。
でも一方で使ってくれた方からは、
ないとやっていけないみたいなすごい声をもらえたんで、
大丈夫だなと思って。
確かに我が家も結婚してからタイムツリーをやり始めて、
しかもそれは僕っていうか妻側からタイムツリーっていうのがあるらしいっていうのに
まさに招待されて始まって、
僕はその時ベンチャーで働いてて、
Googleカレンダーとか使ってたんで、
じゃあGoogleカレンダーとかでうまく家族用のアカウントとか作ってやればいいんじゃないかなとか思ってたんですけど、
じゃあ合わせるかって感じで合わせて、
最初は当然2つ使うってなったんで、
ちょっと使いづらいかなと思ったんですけど、
今のとなってはかなり定着してきていて、
まさにおっしゃっていただいた通り、
特に入れるのは夜の予定があるのかないのかとか、
それはマストで伝えないと家族間のコミュニケーションに不和が起こるので、
それを入れて、あと土日もし入れる場合はとか、
それだけで使ってるんですね、今でいくと。
ただそれがある意味ありというかいい方法なんですね。
そうですね。
ベンチャーでもあれで円滑化しますね。
しかも多分Googleカレンダーとかだとより機能的でドライな感じがあると思うんですけど、
タイムツリーに予定入れる時って、
僕の中で予定の入れ方の感覚がちょっと違って、
例えば夜飲み会とかに入れる時って、
ちょっと絵文字つけたくなっちゃうとか、
お詫びというかごめんねみたいな気持ちが寄り添うみたいな感覚とかもありますね。
相手が見てるっていう想像があるんだと思うんですよね。
それでそういう気持ちになると。
確かに。
あとカレンダー追加したり削除したりとかでも全部通知が飛んだりとかもありますもんね。
あれもやっぱりコミュニケーションっていうのはある種前提にしてるから、
気づくようになってたりとかもするんですかね。
そうですね。
共有カレンダーで行くかどうかを考えた時に、
さっきの姿勢感みたいな哲学的な観点も考えたけど、
もっと現実的な面とかも考えて、
チャットみたいに毎日めちゃくちゃ開くみたいなところは、
チャットを今から乗り換えるのも絶対無理だし、
いくつか毎日開くスマホの一番目の画面に入り売るものって何だろうと考えたら、
手帳、カレンダー、予定っていうのがあるような。
ある意味、当時世界中でスマホでチャットでコミュニケーションするっていうところまでは、
どんな人もリテラシー教育済みというか、
ってことはアプリのインストールもできて、
チャットのやり取りができて、
コミュニケーション量もめちゃくちゃ増えていると。
効率的なコミュニケーションの必要性
コミュニケーションの中で、
チャットは流れていくから、フローだからすごく便利だけど、
どうしてもあれどこだっけとか、居酒屋の場所どこだっけみたいな。
とか、保育園お迎えそっちだって前行ったじゃん、どこ行ったっけみたいな、
そういうフローの弱点もあって、
ストック的なコミュニケーションっていうのも一定必要だと。
ストック的なものは全部時間軸で整理できるんじゃないかとか、
そういう観点からカレンダーシェアっていいはずだと。
あと僕はコミュニケーションサービスの経験が多いんですけど、
僕自身はコミュニケーションそんなに苦手っていうか得意ではないし、
どんなに好きでもないって言ったらあれだななんですよね。
だからLINEとかも気使うというか、
ちょっと気合い入れてやらないといけないという、
やめ時とか分かんないようですよね。
だからコミュニケーションって楽しいけど、
コストもかかるのかなと思ってて。
なんでコストかかるのかなって思うと、
チャットって私と相手と矢印がこうお互い向き合っていて、
これある意味対決的というか、だからこそ気も使うし、
心理コストが高い。
でもカレンダーってみんながそっちのカレンダー側向いていて、
そこに書いておいて、そこを見るっていう、
すごいコスト低いヘルシーだなと思って。
こういう観点をいろいろこの角度から見たらどうだ、
この角度から見たらどうだってやって、
カレンダー、シェア、ベランダーって感じですね。
ユーザー拡大のプロセス
日本でユーザーがグッと伸びたタイミング、
例えば僕もあの頃始めようって言ったタイミング、
まさに中尾明さんと有栖さんのCMとかがあるタイミングで、
いつもそれを見てって感じだった気がするんですけど、
やっぱCMとかって結構大きいんですか?
いや、それがですね、認知度は圧倒的にあそこで上がったんですけど、
ユーザー像のベースで言うと、
なんかずーっとこんな感じなんですよ。
大きいこんな感じで手でやっちゃった。
そこは狙いとしては、
カレンダーを複数持てるっていうことを設計にしてて、
家族で使い出したけど、
これ僕のバイト先でも使えそうとか、
うちのサークルでも使えそうってなって、
サークルに導入されるとか。
そしたらサークルに入ったメンバーが、
これうちのカップルでも使えそうってなって、
そういう呪辱つなぎみたいなところを、
それでじわじわ加速してきているわけですね。
僕らはこう使うと便利っていう、
ユーザーさんの声をとにかくたくさん集めて、
アプリの中で外で紹介していく。
そうするとユーザーさんが、
じゃあこの辺にも使おう、あそこでも使おうってやって、
ユーザーさん呼んでくれるっていう、
そういうメカニズムですかね。
海外はどうやって広がっていったんですか?
海外は大きかったのは、
まずアップストアでフィーチャーしてもらうことが何とかあって、
それが結構いろんな国で取り上げていただいて、
っていうのが最初の目ですね。
その後は国によりきりなんですけど、
まずリリースした年にベストオブアップっていう、
その年間のベストアップみたいなやつをアップルさんが選ぶんですけど、
それの日本と韓国と中国で選んでもらったっていうのは結構大きかったですね。
その後はドイツは本当口コミで広がったんですけど、
最初はドイツの中のデュッセルドルフっていう街が、
ヨーロッパの日本企業の方々が住む日本人街というか、
ヨーロッパ一番の日本人コミュニティの街らしいですよね。
日本で流行ったのがドイツのその日本人街で広がって、
それが現地のドイツ人とかフランス、スイスとかに広がっていって、
っていう感じですね。
そこも使い方は非常に似てて、家族、カップル、職場、サークルとかで、
そこも事例が日本のばっかりだったら、
ドイツの方とかフランスの方が自分には関係ないなって思うだろうなと思って、
現地の方での事例集をいっぱい作って紹介していったりとかをしましたね。
経営者としての試練
それで伸びていった感じですかね。
英語圏はまた違って、そのベストを取った後もフューチャーしてもらってて、
あと、2019年にティム・ブックさんが日本に来た時にタニツリーのオフィスに来てくれて、
それをツイートしてくれたりしたんですよね。
それとかは英語圏にすごい知ってもらえたり。
一番大きかったのが、2020年か2021年かにTikTokでバズーが起きてですね、
アメリカのユーザーが急に激増したって、僕らも何のことかわからず、検索するけど発信源がわからずって、
それをアプリ内アンケートとかで何で知りましたかとかで突き止めて、
とあるアメリカの大学生の女の子がタニツリーを紹介したTikTokの投稿がバズって、
その投稿を真似する人がたくさん出てきて、それで一気にアメリカのユーザーが増えたんですよね。
夏休みの初めに女の子の仲良しグループで、
たくさん遊びたいけど、私バイトとかそういうのがあるから共有しちゃって、いつでも遊べるみたいな。
そのスクショも見せてたんですよ、TikTok上で。
普通スクショしてTikTokに上げるって僕の感覚だとなかなかしないけど、全然平気みたいで。
それを上げてたらいろんな人が私はこんな感じみたいな、彼氏とこんな感じみたいな、うちのグループこんな感じみたいな、
みんなスクショを上げてグループの充実度合いを表現するみたいなのがすごくたくさん生まれて、
それが今も夏が来ると毎年再現するんですよね。
その時にその大学生の女性に僕らもTikTokアカウント作ってDM送ってコンタクトして、
いろいろ教えてくださいと。
インターンしてもらえませんかって言って、インターン卒業まで2年くらいやってもらって。
してくれたんですね。
その子がTikTokアカウントを運営してくれたり、
そのインタビューでなんでアメリカの大学生に受けているのかを一緒に解き明かしてくれて、
そこでの鉄板の使い方をアメリカユーザーには最初にデフォルトで表示するようにして、
それで安定してずっと伸びているという感じですね。
こういう話をずっと聞いていると、ユーザーにも愛され、プラットフォームでもランキングしっかりフィーチャーされて、
TikTokとか他の新しいアプリとかの勢いにもうまく乗っかっていて、
ずっとうまくいっているように聞こえていますけれども、
いわゆるハードシングスというか、つらかった時期とかってあったりするものなんですか。
難しいですね。
なんかドラマチックな大事件とかはないんですよね。
ずっとつらいって感じ。
ずっとつらいんですか。
ですね。
何がどうつらいですか。
何なんですかね。
最初に企画書を書いた時に、今も考えれば無謀なのかもしれないけど、
1年目で100万ユーザーいって、2年目で300万、900万、5年で1億って書いてたんですけど、
いけると思ってたんですよね。
実際に世の中にはそういうサービスあるじゃないですか。
TikTokとかもっと短い期間でドーンといったりしてるし。
僕ら今10年、11年経ったけど6800万って、
なんでいけないんだろうみたいな感じですかね。
カレンダーシェア選んだ理由の一つに、Yahoo!時代悔しかったんですよね。
SNSが本格的に生き残ったというか、
FacebookとかTwitterとかがすごいカーンとある中で、
2番手、3番手、4番手からチャレンジすると全然ダメで、
チャットも行ってみたら、韓国でカカオが最初にチャットすごいなって見せて、
LINEが続いて、全然勝てずに。
2番手、3番手からやっても絶対勝てないから、
当たるかどうかわからないけど、1番手の何か謎のものをやろうと。
それを世界中で使われるプラットフォームに、
TikTokとかInstagramみたいにしたいって思ったんだけど、
なかなかその成長が思うようにはいかないので、
攻め続けてつらい。
ずっとなんですね。
そうですね。
その延長戦場で、一回社長を交代してから脱進したみたいなノートとかも拝見してましたけど、
あれはどういう感じですか?
社長の器が、とかよく言うじゃないですか、会社のキャップになる。
その意味では、僕自身、起業したのも遅いですし、
37歳の時なんですよね。
私、ビジネスマンなのかっていう、
アンドマン崩れだったり、アカデミア崩れみたいな感じで、
Yahooでビジネス的に何か成果を上げたわけでもないし、
ビジネス界自体に向いてないなってずっと思っていて、
昔、面接受けてたくさん落ちた、Yahooだけ受かった時に、
言われてショックで覚えてるのは、
君からお金の意味がしないって言われて落ちたんですよ。
そんな言う?って今思いますけど。
強いリーダーシップみたいなのが僕はないんですよね。
右からこっちだ、みたいな。
カリスマ性みたいなのがない。
自分じゃない方がいいんじゃないかなってよく思ってたっていうのがあって、
京都代表のプロロは過去にも上場経験あるし、
カカオもそういう意味で上場だし、
その前もゲームオンっていう会社とか上場させてたりとか、
交代しませんって言ったことあるんですよね。
交代しなかったのは結局何でだったんですか?
タイムツリーがプロダクトが重要な会社で、
資本力が勝負の領域だったら変わってもいいのかもしれないですけどね。
プロダクトの何とも価値筋が表現しにくい、
コミュニケーションとか時間とかそういう領域は、
僕はフレッドって呼ばれてるんですけど、
フレッドの方が向いてるからって言われて。
あと、社長は超大変だから嫌だって思ってた。
いいですね、そんな率直な話。
って感じですよね。
結構、至らなさというか堂々とカリスマ経営者っていう理想像から離れつつも、
でもそれもある意味自分の中に内包しながら、
もうずっと10年以上やり続けている、今もなおって感じなんです。
そうですね、その頃はくじけそうな感じでした。
自分の知っているXとかで見かける経営者のすごいところを結集して、
脳内に作られたスーパー経営者がいて、
こうじゃなければダメなんだっていうのに、
すごい苦しんでた感じですね。
僕、コーチング受けてるんですけど、
コーチングの中で、
それ全部できないとダメなんですか?とか、いろいろドキュメントしてもらって、
だんだん自分が変な奴だって分かってきて、
その変な奴なりの変なリーダーシップでいいんじゃないかなって思えてきた感じですかね。
いいですね、ありがとうございます。
今、価値観、大事な部分に聞けた気がしまして、
今のだいぶ延長線上にもしかしたらなるかもしれないんですけど、
最近、ご出演者さんの皆さんにお伺いしたい恒例の質問というのがあって、
深川さんがスタートアップの企業家として、
人生の物語の探求
内社ご自身として、これからどんな人生の物語を紡いでいきたいか、
というようなところを問われたら、どんなふうな答えが出そうですか。
物語ね。
どんな生き方をしていきたいか。
実験というか、より良い世の中に必要な仕組みだったり、
そういうものって何なんだろうなって正解が分からないから、
実験で見つけたいなと思っていて、
カレンダーシェアアプリというものも実験なんですよね。
コミュニケーションフローのやつだけだとこうなっちゃうから、
そういうものがあったら、もうちょっとみんな楽しく生きれて、
良い思い出が増えるんじゃないか。
組織もチームもそういう感じで、
昔ながらの例えば軍隊みたいな形が最適なチームがあるかもしれないけど、
今のリモートワーク当たり前、みんな副業するのも当たり前とか、
そういう中でわざわざみんな集まって、
それで、昔は物が足りないから作れば売れたかもしれないけど、
今、何が必要とされるかも分からない中で、
価値のあるものを生み出していくには、
どんな仕組み、チーム、組織が良いんだろうって、
こうじゃない、こうやってみよう、やっぱ違ったこうだ、
みたいな実験している感じで、
そういうものを発見したいという、探索し続けたいなっていうのも、
探検したいって感じですかね。
めちゃめちゃいいなと。
いわゆるスタートアップの起業家像と、
ただ周り見ていると、
本当は脳の中に抱えているものってあるんだろうなって思いつつ、
それがなかなか出ないので、そのあたりとても聞けましたし、
探索というところも、
確かにその連続ですもんね、企業も。
すごくメッセージ性のある最後の先生といいますか、
あれをいただけた感覚というのがあります。
もしこれがあればいいんですけど、
時間を大切にする
最後にご自身の挑戦に対する改めての宣言、
これは事業的なところですかね、
ここまで聞いてくださった方へのメッセージとか、
もしありましたらお願いできますか。
目指しているのは本当に、話の中にも出た、
この世界的なプラットフォームを作りたいという。
それで、
時間って僕本当に大事だと思っている。
一人一人の。
それを選ぶ新しい道具になったらいいなって、
タイムスリーですね。
思っている感じですね。
世界的なプラットフォームを作るということに
一緒にチャレンジしたい方がいたら、
もちろんお待ちしておりますという感じですかね。
配信の感謝
ありがとうございます。
野心的な部分と人間らしいところと両方見えて、
とても染み込むような配信でした。
ありがとうございます。
ぜひ概要欄に各種リンクを記載しますので、
ご確認いただいて、
気になる方コンタクトとかいただけるといいかなと思います。
この配信気に入っていただいた方は、
ぜひ番組のフォローや評価と、
SNSの拡散もお願いできればと思います。
だいぶ長丁場になりましたが、
深川さん、そしてお聞きいただいたあなたもありがとうございました。
ありがとうございました。
58:21

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