前編では村上さんの生い立ちや創業までのプロセスを、
後編ではエルケアさんの経営や事業についてもお伺いしていきますので、
ぜひ併せてお聞きください。
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では村上さん、まずはご経歴などを含めた自己紹介を1、2分程度よろしくお願いいたします。
はい、エディケアの村上と申します。よろしくお願いします。
我々の会社ですけれども、小学金とか教育論関係のフィンテックスタートアップをやっています。
クレジット1人がないような大学生の方だったりとか、
若手の社会人でリスキリングをしたいような方に対して、
我々のバランスシートからお知らせをしたりとか、
あと学生の方を銀行に送客をしてマッチング費をいただく、送客料をいただく、
そういったことをまさに来月からですね、事業をローンチをしようとしているスタートアップでございます。
この創業の背景ですけれども、後ほど詳しくお話ししますけれども、
大学の時に私自身が学費が払えなくなりそうになったということがありまして、
この教育ファイナンス、教育×金融の分野で事業をやっております。
大学卒業した後、僕はGE CapitalっていうアメリカのGEの金融部門にいて、
そこからKPMGでM&Aのお仕事をさせていただいたんですけれども、
もともと30歳で起業するという目標がありましたので、
31歳になる1ヶ月前の誕生日にスパッと辞めて、
そこから起業準備をして、その6ヶ月後ですかね、
設立投機をして、今2年目になろうとしているようなスタートアップでございます。
今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
ちょうどサービスが今月からリリースされるって話をいただいたんですけれども、
実はこれ収録が12月末で配信が1月となっておりますので、
今月まさにリリースされるというところかなというふうに理解をしました。
分かりづらくてすみません。ありがとうございます。
ということで質問に移ってまいります。
まずこれ30歳で起業するっていうのは決めてたのは、
それはもう大学のタイミングで学費の問題とかが出てきて、
もう自分は教育×金融で事業をやるっていうのはそのタイミングで決めたって形だったのか、
あるいは幼少期から含めて元々起業とか意識されたのかとかでいくとどんな形でしたか?
僕が家庭がですね、両親がそれぞれ自営業だったんですね。
父親がジャンソーの知恵店をやっていて、今もあるんですけれども、
わりと日本でも2番目3番目でかいジャンソーの知恵店をやっていて、
母親が全く別で着物屋さんをやっているという自営業一家なんだので、
本当に両親からもお前社長になれっていうふうに言われてましたし、
僕自身も幼い時から何か自分で商売をしたいというふうに思って過ごしていたので、
小さい時から30歳ぐらいになったら起業したいなというふうに思うようになりました。
いいですね。でも今お伺いしていたところでいきますと、
ジャンソーと着物のところで、いわゆる我々が今いるようなスタートアップみたいな領域とは
少し経緯も違ったりするのかなと思ったりもしてますし、
今の村上さんが手掛けられている領域とはまたかなり違うなって感覚値っていうのもあったりするんですけれども、
その領域とかは関係なくというか本当に起業したくて、
たまたま大学のタイミングでこのドメインだっていうのが見つかったから、
ここに突き進んでいるって感じでしょうか。
おっしゃる通りですね。僕自身麻雀もできないですし、着物とかアパレルに全く興味ないので、
その分野をやろうとも都合とも思わなかったと。
で、大学の時までは全くアイデアがなかったんですけども、
まさに今お話しされた通り、父親の事業がちょっと傾いてしまって、
学費が払えなくなったと。で、大学年生で就職先決まってたんですけども、
東大だったんですけども、東大から方向通知って言って、
いついつまでに学費が払わないと大学させるぞみたいな手紙が来るぐらい結構大変な状況があって、
で、このタイミングで、この教育費、学費の領域でやったら面白いんじゃないか。
社会的にも意義がありますし、あとまだ現在までもですけども、
この領域でA企業として専業でやってる会社っていないんですね。
なのでこの分野でやったら面白いんじゃないかって思って、このドメインを選んで、
で、そこから大企業いましたけれども、10年間構想をしたため続けて、
維持して企業したのが2年前っていうようなストーリーです。
当時はどうやってお金を区別したんですか。
ありがたいことに時給が高かったので家庭教師をやってまして、
週4とか週5で1日3件とか掛け持ちしながら、生活費も含めて何とか稼いで、
何とか卒業できたっていう感じですかね。
今のお答えを聞くと、何とかなったんだなって思いそうになりつつも、
ただ実態をお伺いしてみると、本当に学生ローンを借りようとして金融機関を巡られたりとかもされたっていうのを少し拝見もしたりしました。
どんな感じだったんですか。
銀行に借りに行った時に、銀行員の方から学生という身分だと借りれませんよっていうふうにピサリと言われてしまったんですね。
確かに今アメリカは違うんですけども、日本だとなぜかこれ法律とかそういうわけではなくて、
監修的に親しか借りれないんですね。
親の連帯保証人がないと借りれないんです。
親が恵まれていればいいわけですけれども、うちはそういう状況ではなくなってしまったので、
連帯保証人をつけるわけにもいかず、借りれなかったと。
一方で僕はもう就職先が決まっていたんですね。
一年後に行くということが決まっていて、ある程度返せるということは確からしいに借りれないと。
これって何でなんだろうと。
もう少しその担保とか過去の実績じゃなくて、将来性を見てローンをつけると。
PCとかってまさにそうだと思うんですけども、そういうのは個人版でもあっていいんじゃないか。
個人版のベンチャーキャピタルじゃないですけども。
そういったことを将来的にやりたいなと思ったのが一番最初のきっかけなのかもしれないです。
これ多分多くの方だったり企業さんだっていくと、まずは冷え入りでできるだけやるみたいなところだったり、
内社は多分かなり難しい領域なので大きな金融機関さんでESGの文脈じゃないですけど、
社会的な貢献のためにやっていくみたいな選択肢が多いかなと思うんですけど、
やっぱそこのタイミングだと学生からのいきなりそこでソーシャルスタートアップ的に挑むっていうのは相当難易度も感じられて、
まずは就職してご経験とか実績も貯められてから挑もうと思われたっていう形ですか。
おっしゃる通りですね。
効率とか会計とか全部の知識がないとダメだし、全く僕はなかったので、
それもあってこの最初の就職先、GEっていう風に選ばせていただいて、
会計とかも学んで、営業もやってたので、営業を学んで、将来の企業の勉強になればなというところで選んだというところです。
なるほど。
でも順番で言ったら先に内定が決まってて、その後でこの領域で起業したいと思われて、
これ配属が金融の営業とかやられてらっしゃったと思うんですけど、それはもう後から希望で入れたって感じだったんですか。
そうですね。どの領域で起業するにしても、多分営業とあとお金回り財務って多分この二つの能力で磨かないといけないのかなと思ったので、
本当に就職先もそういった金融機関の営業を結構受けてましたね。
なるほど。で、GEさんに入られた後にKPMGさんで今の絵のアドバイザリーとかも、これ5年くらいされてらっしゃったというところなんですけど、
これはご転職の背景というのはどんな感じだったんですか。
はい。で、ちょっとここは割と面白いストーリーがあるんですけど、GEが当時2015年だったんですけども、
グローバルで金融部門を売却するっていうニュースが、僕が入社した放課後に卒業式のときにブルーンバーグで知って、
ブルーンバーグ、しかも外の情報代ってことですね。
やっぱりアメリカがヘッドクォーターの会社なので、日本には本当にプレスの2日前くらいまでにしか日本の社長でも教えてくれないんですね。
なので、僕自身割とさっき言ったスキルを学べるっていうこともあったんですけども、GEっていうブランドに憧れて入ったっていうところもあったので、ちょっと話が違うじゃんと。
結局1年半いることになったんですけども、その内部で外部のM&Aのプロセスを見ることになって、
M&Aって面白そうだし、かっこよさそうだし、こういう会社に転職したいなと思って、いろいろそういった投資銀行とかも含めて、
ビッグフォーの会計事務所も受けていたら、たまたまKPMGに拾っていただいて、2卒で入ったという経緯でございます。
5年間いらっしゃったんですね。
そうですね。
今に生きる、直接的に生きる経験もたくさんされたと思うんですけども、どんな感じだったかとか、思い出エピソードとかありましたら少しいただいてもいいですか。
そうですね。めちゃくちゃ生きてると思ってて、M&Aのアドバイザリーの仕事をやっていて、本当に大企業、クライアントは大企業からスタートアップまで、
売り手側、買い手側まで、幅広くさせていただいたんですけども、一番何に生きてるかっていうと、後ほどあるかもしれないけど資金調達ですね。
例えば、ヘルスケア系のスタートアップの創業者と一緒に売り手を探して、買い手候補の対象先にアプローチをして、
バリエーションを決めて、契約までサポートさせていただくっていうことを、アドバイザー側としてできたということは、かなり今にも生きていて、
今はアドバイザーじゃなくて、主体者側としてVCさんとかエンジェル投資家に当たっているわけですけども、
これは本当にすごい生きているので、あながちこのGEで売却されてしまったっていうことは、当時はすごい悲観的に考えていたんですけども、
今思えばすごい良かった経験だったんじゃないかなと思っています。
確かに相当難しい領域、資金調達も普通であったら多分うまくいかないぐらい難易度があまりにも高い気がしてるんですけれども、
そこをやっぱり乗り越えられたのは全職でのご経験だったり、あとは圧倒的な熱量もあられたのかなというふうなことは思ったりもしたので、
腑に落ちたというところが一つありましたと。
加えてお伺いしたいのが、やっぱりとはいえ、とても難易度高いなというのは変わらず思っていて、
そういうことは資格とかも取らなきゃいけないですしとか、ステークホルダーがあまりにも重たすぎるしとか、
あったと思うんですけれども、そういった難しかったところとか乗り越えたものとかもありましたら、よかったら教えてください。
我々規制業種金融業界にいます。
僕たちの場合って具体的に言うと、小学金、教育ローンを提供するので、
貸金業法というライセンスと、あとカップ販売法ですね、というライセンスが必要になります。
これを取るのを申し込むためだけでも、準資産要件というものがあって、5000万円以上必要なんですね。
なので去年の6月のタイミングですけれども、まだ売上がない状態で、
本当にパーポー20万円くらいの状態で、いろんな応援団の方、投資家の方がついていただいて、1.2億円を調達させていただいた。
で、なんとか経産省に申し込みの要旨を提出することができた。
そこからだけではなくて、申し込みをした後に人員体制ですね。
例えば金融業界長く勤めた人を役員として設置しないといけないだったりとか、
社内規則もしっかりと制定しないといけない。セキュリティ体制は万全化とか。
そういったことを一つ一つクリアして、なんとか去年の10月と今年の2月に2つライセンスを取ることができたので、
そこの部分は結構苦労することがありましたというところですね。
ただ、ちょっと重たいビジネスっていうことを本当に理解いただける方に恵まれたっていうことは非常に幸せだなというふうに思っております。