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#164 絵画のありかたを問い続けた画家、中西夏之について(茨城県近代美術館 主任学芸員 永松左知)
2026-10-17 51:47

#164 絵画のありかたを問い続けた画家、中西夏之について(茨城県近代美術館 主任学芸員 永松左知)

前半に続き、茨城県近代美術館 主任学芸員の永松左知さん。後半は展覧会をつくる側の話から始まります。作家が亡くなって10年、本人に聞くこともダメ出しをもらうこともできない回顧展を、どう立ち上げたのか。輸送費と図録と集客のリスク、巡回4館の座組、100点から70数点へ断腸の思いで削った出品リスト。さらに《擦れ違い/S字型還元》という謎めいたタイトルを一語ずつ解きほぐし、絵画教室に通う中学生が学芸員になるまでの道のりと、子育てとの両立まで伺いました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/164

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Guest Profile

永松 左知(ながまつ さち)

  • 茨城県近代美術館 主任学芸員。専門は日本近現代美術。


Show Notes

作家不在の回顧展をつくる

中西夏之アーカイヴ

関連イベント

  • 2026年12月12日(土)、閉館後のエントランスホールで舞踏の公演。通常17時閉館のところ、17時開演。無料(申し込みは受け付けるが当日参加も可)。展覧会を見てから踊りを見る、という体験ができます。※詳細は当館HP・SNSで順次公開
  • 蝉丸:この公演の踊り手。舞踏グループ「黒藤院」主宰。
  • 山海塾:蝉丸さんは創立メンバーのひとり。中西が考案した山海塾の舞台美術を、実際に手を動かして一緒に作ってきた。

感想

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サマリー

茨城県近代美術館の永松左知さんが、中西夏之の没後10年回顧展を4館で巡回させるまでの経緯を語る。大型作品の輸送費や図録、集客のリスクから巡回展を企画し、国立国際美術館、山梨県立美術館、セゾン現代美術館がそれぞれの所蔵や地域との縁を理由に参加した。出品作は当初約100点から70数点に絞られ、茨城会場では《擦れ違い/S字型還元》などを紹介する。

中西夏之に衝撃を受けた原点
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は私、アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は前回に引き続き、茨城県近代美術館学芸員の永松左知)さんをゲストにトークをしていきたいと思います。
ということで前半お疲れ様でございました。 お疲れ様でした。 ウソ、前半やってんね。 すいません、なんかもういくらでも話すことがない。 いやいや、時間オーバーというか。
いやいや、全然全然。これがこの番組の、まあ聞いてらっしゃると思いますけども、この番組はこういう番組ですから。
さあ、ということで改めて、今永松さんが担当している展覧会をまずは教えていただければと思います。
はい。中西松幸、緩やかに見つめるためにいつまでも佇む草地という巡回展を担当してまして、今は世存現代美術館で開催中。
11月10日からは茨城県近代美術館が最終開場となって開催します。
いやまさか永松さんは学生時代の中西さんの展覧会で感動して、その流れでこう、そこからという。
その時に、前半で聞いとけよって話なんですけど、改めてなんですけど、何に感動したんですか。
それこそいろんな展覧会見に行かれたと思うんですけど、もうガツンと来た感じだと、だって手紙出しちゃうぐらいですもん。
本当ですよね。なんか、自分も高校生の時、中学からか絵を習ってたりしたんですよ。
で、絵を習ってると美術館とかを見に行くじゃない。だから結構いろんな絵をもう好きで見てたし、画集とかも多分見てるし、
芸大に行ってからもいろいろなものを見てると思うんですけど、それらをぶっちぎらたいな感じで。
そんなにですよ。
もう本当に衝撃を受けて、その展覧会は河村記念美術館でやってたんですけども、
壁に絵画があって、展示室の中央に先ほどの着陸と着水とインスタレーションの10番目のものが展示されてたんですけども、
本当にそのインスタレーションそのものの場を支配する、その静かなんだけどめちゃめちゃ響いてくるみたいなそういう力があり、
周りの絵画もものすごい感動して、本当何も勉強してたわけではないし、中西さんについて知らないままそこに行ってるんですけど、
もう衝撃を受けてしまって。
フィーリングでもうぽっかつんときた感じだった。
そうですね。だからなんか今まで自分が知ってたその絵画館っていうのがすごい覆されるというか。
へー、うんうん。
という、中田さん。
でもそうなって中西さんも興味持つわけですよね。この人すごいなって。
これは何なんだろう。どういうものなの。これを描いた人は何を考えているんだろうっていう。
もうそれを知りたくてずっとやってきて、今もまだっていう感じなんですけど。
でもその一発目で、今だったらなんかネットで検索すればなんかもしかしたらどこに住んでるかとかわかりそうなもんですけど、
もうちょっと終わってその連絡先とか調べたら。
たぶん美術館の方に聞いたんじゃないかと思うんですよね。
お手紙送りたいっていうようなことをずっと言って、想像するんですけど、美術館の人が作家さんに聞いて教えてくださったんじゃないかと思うんですが。
その、何でしょう、出した手紙とかも別にコピーとか取ってなかったので、何を自分が書いたかは、もう本当にどれだけ感動したかをたぶん拙い文章で書き綴ったんだと思うんですけど。
戻ってきたのも手紙だ。手書きの手紙で。
そうですね。
それは今回展示しない?
なんかあるじゃないですか、なんか芸術家の諸情が展示されるみたいな。
もうそれは自宅に中西さんとのやりとりを宝物として撮ってありますが、はい。
公開しない?え、今回茨城金文大術館で初公開とかしてください。
4館巡回展が実現するまで
いえいえ。でも、真面目なちょっと脱線しますけど、中西のつゆきアーカイブというのが去年ですね、東京芸大にできたんですね。
なので公的な期間にそのアーカイブができて、もうそのことはリリースされてるんですけども、そこに中西さんはもともといろんな人とやりとりしてた書簡とかも収められてるので、
そういう資料に、本当に厚い資料がそこの芸大に今蓄積があるので、今後研究する方はそれをきっと見ながら。
今回も出るんですか、そこから何か。
書簡類とかは出ないんですけど、ドローイング資料とかは少し一部お借りして出してます。
ちなみに、最初にお会いしたときの第一印象ってどんな感じだったんですか、中西さん。
第一印象、すごいやっぱりこう、お優しいですよ。当時もう70ぐらいになられてたと思うんですけども、お優しいけれどもすごい頑固鋭いみたいな。
本当に緊張感もありつつでも、とても愛情深いって言うと変ですけど、そんなイメージですね。
でももうそこから展覧会やりたいと思ってて、前半でもその話になりましたけど、茨城さんが中西さんの作品購入してっていうことだったじゃないですか。
今回、ついにやるぞって決めたときに、この会場が4会場全部であるって、巡回で。
こういうのでどうやって見つけてくるというか、どういうふうにしたらこうなるんですかっていう。
多分一般的に僕もそうですけど、店の中で作ったことがないもんですから。
たぶん巡回店の成り立ちって本当にケースバイケースだと思うんですけど、
よくあるのは、例えば事務局の企画会社さんなり信頼者さんなりがあって、そこが核となって、
企画を立てる美術館が例えばあったとしても、事務局さんがこれだけ押していったりだしにしたりっていうことはあると思うんですけど、
今回そういうものではなかったんで、自分がまずやりたいと思ったときに、
ただ中西さんの作品って結構大型なんで、輸送費用とかすごいことになるだろうなっていうのはすぐ分かりましたし、
例えば図録もそれなりのちゃんとしたものを作りたいと思ったときに、単館ではなかなか難しいっていうのがもうすぐに見えたので、
茨城の近代美術館の現代美術っていうのもなかなか集客も厳しいだろうなってリスクも見えて、
そのときにそれを何かうまくちゃんとした買いこてにできることを目的としたときに、やっぱり巡回店にしたほうがいいだろうなって、
巡回店にするなら、どこの関東をさせていただく可能性っていうか、ことができるかなっていうので、
まず最初に国立国際美術館の学芸員の方をくどいて、ちょっともともと知り合いだったというのもあるんですけど、
国立国際ってご存知のように割と現代美術の作家を、それこそ高松二郎さんとかを取り上げてることもあるし、
日本の戦後美術館としては有名なところなので、そこで一緒に中西夏由紀さんやりませんかって、
中西夏由紀作品も結構お持ちなんですね、国際さんというの。だからやる意義としては十分にあるんじゃないかっていうことを、
そこの学芸員さんと話させていただいて、たぶんすごく頑張ってくださったんだと思うんですけど、館内でその企画を通していただいて、
本当のお話、国際さんがやると言ってくださったから茨城も実現可能性が出てきた。たぶん単館だったら無理だと思う。
そこ決まって、そこからいくつか声掛けをしていったんですけども、いろんな事情でできたりできなかったりっていうことがあって、
最終的には山梨県立美術館さんと生存現代美術館さんが手を挙げてくださって、それぞれ理由があって、
一つは山梨県美さんは山梨の大月市っていうところに中西さんのアトリエが長くあったんです。
今も残されてるんですけども、そこで制作していた地域、地元ゆかりの画家ですよねっていうところで考えてくださって、
生存現代美術館さんはもう西部美術館時代から代表の筒見さんと、筒見誠司さんと中西さんというのはすごく親しくて、作品もいっぱいお持ちなんです。
重要な作品も生存美術館さんはとてもたくさんあられるので、やる理由としては十分にあるっていうので、
乗ってくださって、その4館の座礼が決まったっていう。
そう聞くと、4館の中で一番中西さんと美術館として薄いのは茨城ってことで、長松さんがいたから今成立してるけど、作品認定しかないし、他は何か理由がわかりました。
それを言われちゃうと弱いんですけども。
でも、長松さんがやりたいから、やっぱ茨城でやるっていう理由が。長松さんを通さないと、なんで茨城でってことになっちゃうわけですよ。
でも、やっぱり震災関連の展覧会に中西さんがミッションワークというか、津波で露出した六角堂テーマに作ってたっていうところが一番の大きな部分ではあるので。
だから実は来たこともあるということですね、茨城で作ってるわけだからっていう。
その六角堂のモチーフの中に、お茶碗があって、茶の湯の天心って、岡倉天心って茶の本っていうのが書いてあるので、お茶について語ってる本があるんですけども、
中西さんの、私たちが不安定な大地にいるっていうコンセプトと、岡倉天心の茶の本のつながりっていうのを読んでいくとものすごい強いものがあるので、理由もあるんです。
ちなみに、その作品は茨城県木並さんの所属品じゃないんですか。
そうです。まだそこはいろいろな大人の事情がありました。
個人像ってことになるんですか。
個人像とも違うんですけども、茨城で作らせていただくっていう。
その作品が公開されるのは、その展覧会以来ってことになるんですか。
ちょっと詳しく言うと、いろいろあって、その茨城で作った後に別の場所で、美術館とかギャラリーで展示されたことはあります。
だからそれを、なんか以来初っていうわけではないんですけども。
茨城県木並美術館としては、だからそれ以来の公開になるってことですね。
だし展覧会、この没後10年の巡回展では、唯一そこでしか見れないってことですよね。
そういうことになります。
それはなんかもう最初から言い方悪いですけど、もったいつけたか。
なんで他の館ではだし出さなかったんだ。
それはですね、ちょっとお話できることもできないかも。
でもそのインスタレーションなので、すごく大型なので、徹底的に結構扱いが、制約があるっていうところが一番大きいですかね。
いやでもそう、なんか前半でそういうこと言えよって話だった、自分に思ったんですけど。
本当大型の作品が多いですよね、絵画作品って。キャンバスも、なんかあんなでかいのをたくさん持ってたってことは、だから大月のアトリエっていうのはでかかったんですよ。
そう、いや大きかった、大きいです。もともと工場だった場所を改装して使っているんです、大空間ですし。
だってキャンバス自体が大きい上に、自分なんか遠く離れて描きたいわけだから。
そうなんですよ。
よっぽど空間ないと作れないですよね。
大月の後は2000年代には伊豆高原の方にアトリエを持たれるんですけど、そこもすごく広い場所で。
70数点に絞った出品作品
で、その絵自体は額をつけていないので、キャンバスに描いていただけの、すごく軽いんですね、作品は。
だけれどもすごく大きいので、もう大型の輸送箱がいくつも必要になるっていう。
で、その額があれば固定しやすいんですけど、額がないって後ろから縛る形で、
4箱を十分に取ってっていうすごく大きい箱がいくつも必要になるっていうので、集めてみてそのボリュームに驚いちゃったんですけど。
基本がでもやっぱりそんだけでかいってことは、今回の初蔵作、展覧会のものも、技術館収蔵のものが多いんです。
個人で持てるんですか。
個人とも多いです。
個人のファンがいらっしゃって、あの大型の作品を持ってる人も結構個人でいるんですか。
いらっしゃるんです、本当に。
だからでもそういう方もってね、なかなかこう、美術館で展示される機会って少ないので、本当に希少な機会だと思うんですけど。
すごくバカな質問をするかもしれないですけど、抽象画がだから後半多くて、言ったら色合いもちょっと似てるわけですよ。
僕が見た感じですよ。たぶんこだわりの色だから、基本色合いも似るわけじゃないですか。
あれってもう長松さんクラスになると、これはどれってもう見比べられるんですか。
これは何のやつだとかって、もうなんか僕には全部同じ、そのシリーズも全部同じに見えちゃうんですけど。
タイトルとかを漢字に暗記してるかって言われると難しい。
シリーズとか書いた年代はもちろんわかりますし、もうこの今現状皆さんにお見せしてるリストっていうのも、もうなかなか削りに削ってあれなんです。
なんかもうみんなに多すぎだって言われるんですけど、あれでももう団長の思いでたくさんのものを削って、あそこにきついというのも。
本当ですか。僕は山梨県見たときにあまりにもボリューミーだなと思ってる。あれはまだまだ本当は。
だから最初のリストをもっと見せたくなっちゃうんですよ。これも見てほしい、あれも見てほしい。
あれの何倍ぐらいって考えたらいいんですか。これから出ながら行かれる人もいると思いますけど、本来はどれくらい見せたかったんですか。
最初は100点ぐらいあったかもしれない。それを絵画とは作品、今70数点にまとめてるんですけど、最初は100点ぐらい。
でもその70数点ってのはもうこれはもう中西夏由紀、ベスト10と考えていいです。もう長松さんが選んだ、もう結構ベストのものを選んで。
そうですね、あとはそのやっぱり美術館さんとかの場合お借りするときにいろいろな制約があるじゃないですか、この期間はお出しできませんとか、
なのでいろんな事情もあるので、本当は出したいけど出せなかったものっていうのももちろん含まれてはいるんですけど、
最大できる限りの中では、はい、ベストなものを選ばせていただいたと思ってる。
じゃあそれでせっかくなので聞いてみたいんですけど、後半戦の抽象がたくさんあるじゃないですか、本当に僕が良くないんですけど、
同じように見えてしまってるわけですけど、その中でもこれ、ベストだよ。だから長松さん的にこの抽象、僕にはすみません、同じに見えてしまったんですけど、
いや中でもこれは特別、ぜひ見てほしいっていうのがあるとしたらどれになりますか、抽象画作品の中で。
《擦れ違い/S字型還元》を読み解く
後半ですか、後半、そうですね、茨城県近代美術館が持ってる作品がすれ違いS字型還元っていうものなんですけど、
それと本当に同じタイトルで1年後に描いてる、2012年に描かれたすれ違いS字型還元っていう大型の作品があるんですけど、
それは本当に素敵な作品だと思います。
もう本当に申し訳ないですけど、すれ違いもS字型も還元もどれ一つわからなくて、前半もうそこは僕はあえてスルーしちゃったんですけど、やっぱここで聞いておきたいんですけど、
どういう作品なのかちょっと説明、押しで回っていいですか、まずすれ違いっていうの。
すれ違いというのは、また中西さんの海外論になっちゃうんですけども、ご本人が書かれてる文章の中で、人とや物が行き交うときに、
例えば人間が向こうから来る、こっちから行く、すれ違う瞬間に接するというか隣接するじゃないですか。
はいはいはい、一瞬すれ違う。
その一瞬に絵画が成立するんだっていうようなことを書いていらっしゃって。
人と人が街ではすれ違うけど、絵画においては人と絵画が何がすれ違うんですか。
自分、まず一つは自分。
えっとなんて言うんでしょう、人とか物とか別に特定はしてないんですけども、
言葉では例えば過去と未来っていう時間の言葉でも表現するんですけど、その物とか過去と未来がすれ違う、そのすれ違う場所に絵画が発生するんだっていうことを言っていて、
もうちょっと遡ると中西さんの絵画論、絵画家というのは、何かと何かの間に境界にあるのが絵画なんです。
例えば現実世界Aと絵画世界A'っていうのがあったとして、そこにまたがっているのが絵画なんだっていうような考えを持っているんです。
ってことはだからなんとなく僕がずっと今まで聞いたときに、絵画っていうのは美術館に飾ってあるキャンバスにあるものを絵画と思い込んだけど、
というよりもっと概念的なものなんですね、中西さんの絵画。
だってその場所にキャンバスがあるわけじゃないから、その図像的な方を言ってるってことです。
キャンバスに映し取られている、発生しているこれを多分絵画って言ってるみたいなことなんですかね、イメージとしては。
だって人と人がすれ違った瞬間にそこにキャンバスが生まれるわけじゃないから、
なんかそういうインスピレーションとかみたいなものがあって、それをキャンバスに映し取ったものが僕らが思っている絵画になるけど、
もっと前の段階の話になるようなことを言ってるってことです。
だからすれ違いも多分そう、ってことは、画家が映し取ってないだけで、いろんなとこに絵画は発生してるんですよ。
その通りなんですよ、そういうことを考えてらっしゃるんだと思う。
それをどうやって自分は、中西さんは、それをキャンバスに抑えていく、だからそういうことを言ってるんですね。
はいはいはい、なんかわかる、よくわかる。
すごい、すれ違いっていうのはそういう概念を指してるんだと思うんですよ。
S字型。S字型ともいわゆるS字の形をしてるってことです。
その作品見せてもらっていいですか。すみません、ラジオを聞いてる方はなくて申し訳ないですけど、僕はちょっとズロくね、ちょっと見させて、
皆さんもぜひ気になる方はホームページでぜひ見ていただきたいなと思うわけですけど。
はい、その絵そのものにS字が出てくるわけではないんですけども、出てくるというふうに見える方もいるかもしれないです。
これが茨城のもの、これが先ほど言った2012年のもので全く同じだと。
全体的にはグレーの背景というか、グレーっぽい背景のところに白や紫の不思議な形がたくさん浮かび上がってるみたいなイメージですね。
でもそこにSの字はないですね。
そうなんですよ。中西さんって言われて、絵の中で例えばL字だったりとかMの字だったりとか、何かその形、字の形を絵の中で表現するっていうものはあるんですよ。
なのでこれもSと見ようと思えばSに見えるのかもしれないですけど、それについてはちょっとこう、何かソースがない。
LとかM字型って言った時が1980年代なので、今言ったS字型関係はもう2000年代、2010年代ですから、もう30年ぐらい経ってからの作品です。
もっとこう、何ていうか、三逸してるというか浮遊感があるようなシリーズなんですけど、はい。
これはだからやっぱり今図録で見てますけど、やっぱ実物はやっぱり違いますもんね。
本当にそう思います。是非見ていただきたい作品です。
でも何かこれが、こういうものがどっかいろんなところで発生してるって言われると、ちょっと納得するというか、何かこういうことありそうなというか、
何か分かったっていうのもちょっとあれかもしれないですけど、何かやりたいこととか、中西さんがやりたいことが何となく分かったような気がしますね。
でもこれを、僕はすごく今説明を聞いて、何か面白さが分かってきたなと思うんですけど、それを最初はだから中西さんノーヒントで、これがパンと来たとおりですよね。
それがすごい。
何かこう、逆にその概念的なものを読むと、難しいなとか分からないなってよく言われるんですけど、
私としては何も知らなくても、その絵そのものの力はある。実際自分がそれであるのを感動したので、
もちろん背景を知って、考えを知っていくと面白いけれども、絵そのものにも魅力があるというふうにすごい思っていますが、皆さんいかがでしょうか。
いやでもそう思うと、これから展覧会、今までの会場もあれなんですか、中松さんはレイアウトとかも考える、それとも各館の人がやるんですか。
レイアウトはもう各館場の学芸員が担当して考えてます。
作家不在の回顧展をつくる責任
この後いよいよ自分のとこになるわけなんですか。
そうですね。
どうなんですか、やっぱりその何か昔自分が見て感動した展覧会のこの人、今度自分がやるわけじゃないですか。
本当ですよね。
どうなんですか、怖いもんな。
いやもう、この展覧会、巡回展そのものそうですけど、すごいやっぱプレッシャーですし、それこそプレッシャーという意味では二つあって、
一つは作家がいない、作家不在の初めての会個展なんですよね。
だから今まで中西さんの生前には、いろんな美術館で個展が行われてますけど、
全て中西夏由紀という作家がいて、その意図は反映されてきてるんですよね。
だから学芸員が何か悩んだり困ったりした時には、本人に聞くってことができたわけですけど、今回はそれはないんで。
そうかそうか。
だから逆にダメ出しももちろん受けない、すごく多分今までの学芸員さん達は苦労されて、ものすごいこだわりがある方だったので、
本当にすごく大変なやり取りされてたと思うんですけど、それはないけれども、逆に全部自分にかかってるみたいなところがあるプレッシャーと、
もう一つはその歴代、本当にそうそうたる学芸の先輩達がされてきてるので、なんかもうそこに私なんかが満席に連なっていいんでしょうかっていう気持ちもありつつ、
でもやるとなった以上は、できることは頑張ろうという感じで。
ちなみに中西さんと名刺があったって、いつか中西さんの展覧会やりたいですっていうのはご本人には伝えたことはあったんですか。
いやそれはないですね。
そうなんですか。
でも本当にそのご本人に伝えたことはないですけど、それが企画持ち上がってできそうだっていう見通しが立ってきた時に、
ご遺族とか関係者の方々に、本当に弱肺ですけどやりたいんですって話をした時、
みなさんが本当に温かくサポートというか何でも教えてくださるし、協力してくださるし、それをすごいありがたかった。
いや、なんかそのドラマだけでも見に来たりする。
中西で感動を受けた少女が、いつしか学芸になって展覧会をやるなんて、これを一つ映画にしたらいいぐらいの。
本当になかなかそういう機会ってないんですよ、学芸員の中でも。
自分がずっとみなさん専門あると思うんですけど、ドンピシャでずっとやってたものをやれる機会ってすごく少ないと思うんで、本当にありがたいことですよね。
本当ドラマだなと思うし、本当自分で言うことないですけど、そのドラマを語れるポッドキャスト番組がちょうどあったっていう。
本当に。
こんな素晴らしい話はないのかな、普段よりも。
本当です。ありがとうございます。
いいね、みなさんこれ聞いていきたくなったと思うんで、言っていただきたいなと思うんですが、ちょっと後半なので、みなさんに聞いている質問もちょっとここからね、ガラッと変わって。
絵画教室から学芸員への道
いつから美術に興味を持ってましたかというのは毎回聞いてますので、いつからでしょう。
もう小さい頃からやっぱりお絵描き好きで、全然家の人は描く美術系とかではないんですけども、お絵描きするの好きで絵画教室とかに行っていたんですね。
で、本格的にっていうとあれですけど、小学校の時に中学受験をしたんです。
で、その中学受験の時には、勉強に集中しなさいって言って、絵を描くのはなしって言われて、で、じゃあもう中学入ったら絶対好きなことをやるんだ、って言って。
で、中学に入ってから、親に油絵習いたいって、地元の絵画教室みたいなのに行き出したんで。
で、興味というか好きだったのは本当にその頃から好きです。
でもそうなると、もうどっちかというと画家になりたい、そっち側だったんですか。
漠然とまだ絵が好きっていう、描くの好きっていうぐらいだったんですけど、その油絵を習いに行ってたところの先生とかが、
例えば、横浜美術館でセザンヌっていう画家の展覧会やってるよ、見てらっしゃいとか、
これが見ろっていう画家の方が集大を上げるよとかいっぱい、こうだんだんだんだん教えてくれたり、自分もへーと思って展覧会に行ったりするようになるんですけど、
で、あれよあれよとそれを高校まで続けていたら、その絵画教室の上の階が予備校、絵の予備校だったんです。時代の予備校だったんです。
それもとからそうだったんですか。気づいてなかったけど。
あんまり気づいてなかったんですけど、お兄さんお姉さんいるなぐらい、中学時代は。でもそれを見てた絵画教室先生が、そんなに好きなら美大って道があるんだよって教えてくれて、
あ、そうなんだ、じゃあそのコース行きまーすみたいになって、通い始めたんですけど、で、高1、高2ぐらいまで行ってて、でも高2ぐらいの時に方向転換をするって決めて、ずっと描くのはもちろん好きだったんです
けど、
なんか描くより見る方が好きかもしれないって思ってたんですよね。絵を描いてると自分でも美術館に行っていろいろ見るじゃない。見てる方が好きかもしれない。面白いかもしれないと思って。たぶん絵を本当に描く画家
になる人って見るより描く方が好きじゃない。見るけど描く方が楽しい。
で、私はあれ?なんか見てる方が好きかもしれないと思って、そこで美術士のとか芸術学の大学に、コースに行くっていう風に変えたんで、まさかの感じ。
それがきっかけなの。でもそのままもうそこから学芸の道に進んでいく感じになる。
で、本当になんかもう今思うとなんか本当に無知で、何も世間知らずなんですけど、学芸員の道とかもよく、学芸員って仕事自体もよくわかってなかった。そういうものがあるっていうのもよく知らなかった。
というか美術を研究というか、美術を勉強がしたくて大学に入ってた。
たかちん そうなんです。本当に研究ができるのはと思って。
でも最初は、まだその時に大学1年2年は中西さんに会ってないわけですから、最初は西洋美術とかだった。日本美術。
たかちん そう、そういう外論的な授業をいろんな先生のいろんな授業を受けて聞いてましたし、結構その学外の展覧会見に行ったりとか、なんかちょっといろんなところでボランティアしていたりとか、
その制作が好きだったので、ボランティアとかも行ってたりしたんですけど、
そうで、3年ぐらいになって、そろそろ卒論を書く研究室を選ばなきゃいけないってなった時に、中西ってなって、それを受け入れてくれる日本東洋美術史という研究室があったんですけど、そこを召し出して。
でも日本東洋美術史ってことは、他の友達とかが全然、あれですよ、原田役とかではなかったんですか。
やってる人に。
日本東洋美術史の中に何人か先生のゼミがあって、もちろん古い時代とか仏像をやっている先生とか、中国の絵画をやっている先生とかいろんな先生がいる中で、
日本の近代、専門の先生が、近現代まで面倒を見てくれてたんですね。なので、わりとそういう私みたいなものまで受け入れてくれるところがそこだったので、
そういう現代アートに興味がある人ももちろんいましたし、もっとちゃんと明治時代、カヌハとかやってる人もいましたし。
それで、そこから学芸員さんに終始まで行って、そのまま学芸員になる。
そうですね、終始ぐらいになってようやく学芸員っていうものが。さすがに学部の時代にはわかってたと思うんですけど、
学芸員になるには終始ぐらい行ってないとなかなかなれないっていうのもだんだんわかってきましたし、
でも今思うと、もっと研究したいから、たぶん終始まで行かなきゃ無理だって思ったんだと思うんですけど。
で、そこでようやく、じゃあ何になるとか考えた時に、学芸という道があるんだと思って、
何個か試験を受けたんですけど、落ちて。で、普通に一回就職をして、民間企業出版社入っていたんですけど、
出版社で働きながら、いやでもやっぱり美術の道に行きたいと思って、茨城の募集が出ていたので、そこにチャレンジしたっていう。
で、そこで浮かって、じゃあもう今、学芸人生はもうずっと茨城と共になるんですね。
えー、なんかすごいあれなんですけど、その就職のことが知らないからあれなんですけど、
今思うとってことであれだと言うとですけど、中西夏由貴しか研究してないわけです。論文が。
それは強みなのか、それとも面接できた時に、日本美術やってましたとか、いろいろあった時に、
わかんないですけど、僕の勝手に一緒ですけど、なんか選ばれにくそうな気が、え、それの人なの?みたいな。
それが選ばれた、最初に就職失敗した理由とかではないんですよ。
そういうのはあるんですよ、論文で、選ぶ選ばないあるとかって、あんまないんですよ。
ちょっと、私を選考してくださった方には聞かないとわかんないですけど、
筆記試験で落ちたことっていうのはなかったんですよ。だからいつも面接で落ちてたんですよ、それまでは。
だからこう、人物を見てダメだなっていう恐怖だけだったんだと思うんですけど。
聞かれないしないですよ、中西の研究なんですか?みたいなこととかは、なんで中西さん。
茨城のときは聞かれました。どうして中西の研究をやってるんですか?っていうのも聞かれましたけど、
他の場所ではあんまりそういう質問はなかったかもしれないです。
もうちょっと広い、俯瞰的な質問だったかもしれないですけど。
でも茨城に入ったときには、中西さんの作品なかったってことですもんね、最初は。
そうすると最初何をやる、最初ってわけじゃないですけど、普段は何ジャンルになるんですか?
だから、卒業論文とかで、例えば日本の中西さんってシュルレアリスムの流れの近くにもいた人なので、
日本の戦前戦後のシュルレアリスムとか、そういう大きな部分っていうのの調査とか研究も少しはしてたんですけども、
美術館に、じゃあ茨城を受けるぞってなったときに、やっぱり近代の日本画とか洋画とかがもうすごく重要な館なわけじゃないですか。
それは勉強しますよね。そっから勉強して試験を受けたりするんですけど、入ってからも本当に日々勉強です。
その試験って、筆記試験ってどういうの、この画家は誰でしょうみたいな問題が出るとかですか、そういう一問一答なんですか。
そういうこともあるし、記述式ももちろんありますし、でもやっぱりその茨城ゆかりの画家についての出題はあるだろうなというのができるので、それは勉強します。
それって誰が考えるんですか、学芸員さんは。
だんだん答えづらい質問になる。学芸員もでも関わってるはずですよね。
でも今後入ってくるときに、永松さんは試験作るときもあるんですか、そういう。
私は下っ端なのでまだまだあれですけど、でも学芸員の人が携わる。
あるんですね。だからそういう試験もやって受かって、で、今回だから満を持しての赤にしてた質問ね。
本当にありがたいです。
すごい流れが。
子育てと学芸員の仕事の両立
そしてあとこの番組をプロデューサーが聞いてました。お子様が、育休の後にこの番組聞いてくれたってあれですけど、子育てと学芸員の仕事の両立って苦労はありますかという。
そうですね、日々悩んでますけれども、ちょうど中西さんが亡くなられたのが2016年なんですけど、その年に第一子が生まれたんです。
なので、その子はちょうど10歳ぐらいになるんですけども、ともう一人下にいて、今小学生2人なんですが、一番小さい頃よりはちょっとずつ楽になっているとはいえ、すごいやっぱり両立は大変で、
何が大変かっていうと、やっぱその学芸の仕事って結構みんな情熱持ってやるじゃないですか。やればやるだけできるっていうか、いくらでも調べられるし、いくらでも展覧会をいいものにするためにはこれができるあれが
できる。
それこそ独身時代はどんだけでも残業してても徹夜しててもやるわけですよ。なんかピュアなので。
別にブラック企業というか、自分がやりたいってことですよね。
やりがいとすごく密接に結びついちゃっているので、でも子供が例えば迎えに行かなきゃいけないってなると、どんなに自分が乗ってても、もっと今これ書きたい、調べたいって思っても強制終了なんですよね、5時半
なら。
でもそれが結構、残業もなかなかやっぱできないし、仕事にかける情熱は時間で区切らなきゃいけない反面、子供は子供でやっぱ大事だから向き合いたいし、一緒に遊んだり、お勉強、習い事見てあげたいけど、ずっと一緒
にいられないというか、土日も結構仕事なので、
夫にお願いしたりするんですけど、出張も結構あるし、なんかすごくこう、もっと小さいときは泣かれたりするわけですよ、出張行くときとか、もうほんとなんで仕事してるんだろうみたいな気分に、家ではなるけど、仕事
真似はもっとやりたい。このジレンマを、ほんとだからもう、どっちもやりたいんだけど、どっちかやるとどっちか削られるって。
ここが結構メンタル的に、今もずっとやられて、やられ続けている。
すごいですね。2つのだから人格じゃないけど、学芸員として長間さんとお母さんとして長間さんがいて。
長間 まあね、いろんなお仕事の人みんなそうだと思うんですけど、特にそのなんか、自分のアイデンティティと結びついちゃってる仕事が。なので、なんか。
でもすごい話を今聞いたなと思うのが、だからそのすれ違いに生まれたのが中西夏之介みたいな話ですもんね。その2つに。
長間 本当に、中西さんがもしね、生きてらしたら、お前もっと全力団結しろよと、家庭のことを置いといてって思われたかもしれないですけど、
ほんともう、私のできる範囲で頑張りましたっていう気持ち。
で、でもその自分がやった展覧会をお子さんに見せることはあるんです。お母さんがやった展覧会だよみたいな。
長間 そう、そうですね。とか中西さんのことは、こういろいろ話したりとかはします。
映写に興味が。俺も今40越してもなかなかきつい話だな、難しいなって思って。
長間 いやいや、外人的なやつじゃないですけど、まあこういう人だったんだよとか、あの展覧会連れてったりとか。
だからもう、お子さんにとってはもう中西さんはもう親戚のおじさんぐらいの感じで今いるんだよ。
長間 そう、まあでもその、いかに自分の母親がそれに入れ込んでるのかっていうのは多分感じとってて、
なんかもう中西さんのことで遅くなるとか言うと、中西さんのことだからしょうがないか。
いいお子さん。
長間 そういう反応してくれるんです。
素晴らしいですね。
長間 ほんと、まあ夫とかもそういう感じですごい負担かけてるんですけど、
私がこんだけ入れ込んでるっていうのを理解してくれてると、その残業なり出張なり、
まあまあ行ってこいよと言ってくれるので、ほんとありがたいんですけど。
そういう中間さんにとっての中西さんみたいな存在の画家は他にも、芸術家は他にもいるんですか。
それともやっぱもう中西さんが別格、中西さんが。
長間 別格ですね。まあ展覧会担当するとその画家なり、そのテーマなりに、
没頭はもちろんその時その時はするんですけど、やっぱずっと継続してっていうのは別格かもしれないですよね。
もう10年20年は追ってる。
長間 そうですね、その大学時代から。
これって今、自分の中で何割理解したなと思いますか、中西さん。
長間 えー、理解。50%。
それでも、うわー。
だからまだまだ、だから許されるもんならまだまだ研究。
長間 まだまだやりたいです。
だから今回だから、もうなんかある意味僕の中で聞いて、終体制なのかなって勝手に思ってたけど、これはまだ通過点なんですね。
またいろんなことを学んでたら、また没後20年もやりたいし、30年もやりたいし、そういう対象ですね。
だし、やっぱり私の下の世代でも中西夏由紀に興味持ってる方っていっぱいいると思うんですね。
実際いるんですけど、そういう方々にバトンを渡すのも役目だと思うし、
自分自身ももっとできるなら、いろんなことやりたいですけども、はい。
この中西さんの作品がまとまって見れる場所っていうのは、やっぱ国立国際美術館ですか。
そうです。多いのも国立国際とか西蔵さんやっぱり別格に多いと。
でも割といろんな美術館に入ってはいるので、東京都現代美術館を特集展示してましたけど、
範囲すごく持ってらっしゃるしですね。
見る機会はだからあるんですね。
うん、あると思います。
ただ今回は本当にある意味終体制。
自分の今までのいろいろ調べてきたことを研究してきたことは、
ここに今出し切りに出るような形ではありますが。
ちょっとみんな見たいと思う。
舞踏とのつながりと今後の研究
ちなみに、これもいつも質問で、美術以外、これだけ中西愛もあれですけど、
美術以外で好きなものっていうと何かあるんですか。
本当、そうですね、
芸術系にはなっちゃうんですけど、舞台はやっぱ見るの好きで、演劇とかダンスとかすごく好きで、
だったんですけど、やっぱなかなかその育児、子供がいると夜離れるのも大変だし、
あとちょっと今、水戸と東京の間ぐらいの場所に住んでるんですけども、
東京に住んでた頃はすぐ、仕事帰りにも見れるけれども、
なかなかそういう距離的な問題もなくて、そんなに何度も行けないみたいなところもあったり、
演目自体も東京の方がやっぱ多いので、
これはっていうのはもちろん行くんですけど、減っちゃってますけどね、でもすごい好きです。
演目としては、別に舞踏とかも結構ジャンルとしては、
それを学芸権限的なので、
例えばイベント、たとえばうちの美術館の公式イベントでやるみたいなことはできないです。
ちょまど でも今回の中西展は、その舞踏の人を一人お呼びするのはあって、
それは中西さんとその舞踏のつながりで、この人っていう方がいるんですけど、
そういうイベントを企画したりとか、そういうことはあります。
それはもう告知していいんですか?
ちょまど 告知して大丈夫です。
それは何日に?
ちょまど 12月の12日なんですけど、閉館後に、いつも午後5時閉館なんですが、
午後5時開演で、舞踏のダンサーの方が一人、それでパフォーマンスをされる。
それはもう中西展からのインスパイアされた舞踏をされる。
ちょまど 中西夏優樹さんがさっき言った、肘形達美とかそういう方たちと活動してるんですけど、
三海塾というカンパニーと80年代からずっと仕事をしてまして、
そのカンパニーの舞台美術の中にずっと手がけてるんですけど、
その三海塾って世界中で公演をしている舞踏のグループで、
その代表の方が、ずっと代表してた方が少し前に亡くなってしまわれたんですよ。
その代表の方と一緒にカンパニーを立ち上げた創立メンバーの方というのを今は率いていて、
その人にお願いをしているんですけど、その方はセミマルさんって言うんです。
セミマルさんです。強調します。
セミマルさんは三海塾の舞台美術を中西が考案したものを一緒に作ってる。
ずっと中西と実際、手を動かして作ってるのがセミマルさんであって、
だからすごく関係性深いんですよ。
青月のアトリエとか、それ以外の場所でも一緒に仕事をしているし、
ものすごく中西さんとの信仰が深い。
そういう思いもある方というので、これ以上ない方にお呼びできたので。
それは会場で踊られるんですか?
エントランスホールです。展示室ではないですけど。
もうそれを無料でやるので。
これは一般の人が普通に予約とかしなくていいんですか?
一応申し込みはしていただくようにはするんですけど、
当日ももちろん入っていただけるので、展覧会を見てセミマルさんの踊りを見るっていうのを是非。
これは是非是非、12月12日。よかったです。
この番組は12月5日に大イベントがありますからね。
そこだと番組のファンは12月5日に大イベントに来ていただいて、
翌週12月12日は茨城県大美術館に行っていただくという流れがいいんじゃないかなというふうに思います。
ということで最後に、何かチャレンジしたいこと、将来成し遂げたいことはありますか?
そうですね。中西さん、また中西さんなんですけど。
私がそれをできるかどうかわからないんですが、
カタログレゾネ的なものとかを作れる機会があると嬉しいですよね。
私ができるかどうかわからないですけど、未来の研究者に託してもいいんですが。
中西なつゆき論みたいな本って意外に出ていなくて、
結構いろいろな作家についての本って出るじゃないですか。
単行本とかそういうものが出版されるように何か、私も何かができたらいいみたいな。
その思いはありますけど。
でも本当今回を通じて中西なつゆきという人に興味持った人すごい多いと思うんで、
個人的なリクエストとしては、岩崎千尋さんの回もこの前やったんですけど、
ああいう感じで漫画にしていただきたい、中西なつゆき漫画みたいな。
多分文章だと最初、ちょっと女子に入りづらいので。
最初は、なんか。
誰かいませんか?中西なつゆきストーリーを描ける漫画家さん。
だったら多分その世代で言った岡本太郎さんとか岩崎千尋さんとかと同じ世代の人で、
それぐらい研究しがいのある人なんだけど、
やっぱり一般の方が多分今、中西なつゆきって聞いても、
多分中西なつゆきさんの顔が浮かばないのもちょっとあるのかなと思うけど。
なんかそこさえなったら、もっともっとこれから知られていく人なのかなと思って。
そう、漫画が。キャラクター作るとかわかんないですけど。
本当にね、なんか知っていただく機会に。
今回の展覧会もですけど、そういう活動は細々できたらなと思いますけども。
で、あとあれですか、やっぱり長間さんがいらっしゃる以上、
中西さんの作品はもっと美術家に増えていってほしいなというのはあるんですか。
個人的な思いで何か収集活動って成り立つわけでもないので、
あれですけども、でも実際に海外の美術館が収蔵したりとか、
国内の美術館でも収集が続いていったりっていう、
あるいはアートマーケットで作品が売れていくっていうのも一つの評価ではあるので、
この展覧会がそういう作品の保存の意味でも検証の意味でも役立ったらいいなと思いますし、
本当に見た方、一人でも感動、一人とは思いたくないですけど、
出会いの場になったらいいなと思いますけどね。
それこそ、今だけ近代美術館の学芸さんに言うことじゃないかもしれないですけど、
いつか東京会場でもやってほしいですけど、東京ではやらないから。
ちょうど当時期に東京都現代美術館さんで結構大きな特集展示が2回あられて、
それもすごく嬉しいことだったんですけど、
もうあそこは、あちらのコレクションだけで成立するぐらい本当に充実して持ってらっしゃるっていうのもあって、
っていうところはあるんですけど、将来的には全然じゃないですかね、思いたいですけど。
ぼつ50年ですけど、ここからさらに続いていくといいなというふうに思います。
改めて告知をよろしくお願いいたします。
中西夏行き 緩やかに見つめるためにいつまでも佇む装置 セゾン現代美術館で今開催中です。
茨城県近代美術館では、2026年の11月12日から2027年の1月17日まで、こちらが最終会場となります。
そして12月12日に千里丸さんの展覧会イベントもあるということでございます。
ぜひね、これ多分行きたくなった人多いんじゃないかなと思いますので。
その他にもいろんなイベントを用意してますので、ぜひチェックしてみてください。
はい、ということでどうでしたか、収録がいよいよ終わりましたが。
すごくこんなに自分からお話をしたことは初めてなので。
本当ですか。
とてもありがたかったですし、聞いてる方にはよく伝わったのかなと不安ですが。
いやいや、もう十分伝わったと思いますし。
ちなみにこの放送は聞くんですか、通勤中。
聞くのは何か怖いですけど。
次のお供にこれをもう一回聞いていただけたら嬉しいなと思いますし。
また中西夏行き店じゃなくても、告知があればこの番組に遊びに来ていただけたらと思っております。
ありがとうございました。
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