1. そろそろ美術の話を...
  2. #019 日本画の魅力やゲームと..

山種美術館の山﨑妙子館長をお迎えして、山種美術館の話や日本画の魅力、クラウドファンディングについてお聞きました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/019 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 山﨑妙子(やまざき たえこ)
    • 東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。
  • 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程を経て1991年博士課程修了。学術博士。
  • 故・平山郁夫氏に日本画の手ほどきを受けるなど、日本美術全般への造詣が深い。
  • 山種美術財団理事・山種美術館特別研究員、副館長を経て、2007年に山種美術館館長に就任。
  • 日本画の新たなる魅力を伝えるため、さまざまな企画展を手がけている。

Show Notes

  • 日本画の専門美術館 山種美術館(Yamatane Museum of Art)
  • 山崎種二
  • 酒井抱一
  • 横山大観
  • 上村松園
  • 川合玉堂
  • 安田靫彦
  • 前田青邨
  • 山口蓬春
  • 奥村土牛
  • 東山魁夷
  • Seed 山種美術館 日本画アワード 2019 - 山種美術館
  • 岩絵具 - いわえのぐ | 武蔵野美術大学 造形ファイル
  • 膠水 - にかわすい | 武蔵野美術大学 造形ファイル
  • 速水御舟
  • 炎舞 文化遺産オンライン
  • 翠苔緑芝 文化遺産オンライン
  • 名樹散椿 文化遺産オンライン
  • 【開館55周年記念特別展】 川合玉堂 ―山﨑種二が愛した日本画の巨匠― - 山種美術館
  • 山種美術館クラウドファンディング
  • おうちで日本画(塗り絵) - 山種美術館
  • 山種美術館 Yamatane Museum of Art(@yamatane_museum) • Instagram写真と動画
  • 明治東亰恋伽(めいこい)×山種美術館 花・Flower・華 特別鑑賞会「春草・大観の絵の魅力、人物像にせまる!@山種美術館」 - 山種美術館
  • 明治東亰恋伽(めいこい)×山種美術館 日本画&ゲームのコラボレーション第2弾を実施!(2019年07月26日 - 新着情報 - 山種美術館
00:11
始まりました、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。
この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、
トークを振り広げるポッドキャット番組です。
本日は、山谷美術館館長・山崎太子さんをお迎えして、トークをしていきたいと思います。
じゃあ、改めて館長よろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
ゲストに出演していただきたかったので、ありがとうございます。
こちらこそ本当に光栄です。
意外とLINE友達なんですよね。
そうそう。
ちょこちょこLINEをしているという中でございます。
いつも太子さんと呼んでいるので、太子さんでいいですか?
いいですよ。
よろしくお願いいたします。
僕は何度も来てはいるんですけれども、
この番組を聞いている人、初めての方もいらっしゃるかもしれないので、
山谷美術館がどういうところか、まずは教えていただけたらと思います。
山谷美術館は、1966年に日本で初めての日本画専門の美術館として開館しました。
それまで意外となかったんですね、日本画専門というと。
そうなんですよね。
そういう日本画専門という発想がなかったんだと。
そもそもということですね。
今、この場所は広ですけども、もともとは広じゃなかったんですよね。
もともとは、日本橋の兜町にあって、
そこからちょっと一時的に三番町の方に移って、
こちらを建築しまして。
今ここに来て何年目になるんですか?
ちょうど12年目になります。
相当ですね、一回りしたんです。
何かあっという間ですよね。
そうですね。
三番町が千鳥川淵にあった時代から僕も行ってたんで。
トニーさんは本当に、何かお若く見えるんですけど、
大変長い間戦ってますよね。
そうです。あんまりもう若くないんです。
長いんですよね、お付き合いが。
この創立者の山崎種。
山種さんというのは、どなたですかというのを改めて。
山種さんというのは、私の祖父で山崎種寺という名前なんですけども、
証券会社を作って、最初は山崎証券という証券会社だったんですけど、
そこから自分の名前を入れて、山種証券という名前を変えて。
そうなんですね。最初から山種さんじゃなかったんですかね。
そうなんですよ。
キムたくみだったんですよね。
そうです。まさにそんな感じです。
本当にそう呼ばれてたんですか、皆さん、周りの人に。
結構呼ばれてたと思います。
山種さんがどうしてその美術を集めるようになったというのはあるんですか。
もともとのきっかけとしては、うちの祖父が群馬の田舎から出てきて、
親戚の米どん屋に行った時に、そのご主人がたまたま絵を収集していて、
特に立派な絵を集めてたらしいんですよ。
03:03
それでそれがすごく羨ましくて、自分も一本だとしたら、
こういった掛け軸なんか掛けて楽しむ部屋が欲しいなと思っていて、
大小の割ぐらいに独立しまして、それで早速絵も買ったっていう。
その時買ったのは何を買ったんですか。
その時買ったのは、実は堺法一の江戸時代のね。
やっぱり林派なんですね。
林派の柿の実の絵だったんですけど、それが後になってから偽物になって分かって。
よくは何でも勘定団でやるような話。
それですごく楽譚して、やっぱり同時代の人の絵を集めれば確実だってことで。
偽物を捕まわされない。
現代や、今で言うと奈良よしともさんとか、本人から買えば絶対間違いないからみたいな。
その時買ってた人、例えばどういう参加さんとか。
横山大官ですとか、上村松園、河合玉斗、小林久計。
今で言うと、みんな巨匠のクラスの人たちが当時はまだご存命だった。
そうですね。あとは安田昭彦、前田聖孫、山口宝春、奥村渡牛、東山会といった人たちと、
全部画書さんに紹介してもらって、すごく親しく付き合って。
それで戦争の頃なんかは、食べ物なんかをお届けしたりして。
本当は付き合いがちゃんとあるんですね、画家の皆さん。
かなり親しかったみたいですね。
やっぱり中には認めてない人とかもいたんですか?
山谷さんが、この日本画家はあんまりっていう人とは付き合ってない?
そこまでは分からないですけど、
でも基本的には、人柄がいい画家が描いた絵は本物だというふうに言って、
やっぱりその人柄を見て絵を買っていただくので、
今所蔵しているものは、全部祖父が人柄が好きで買った人たちの絵なんですね。
もう画書さんが持ってきて、じゃあこれ買うっていう感じじゃないんですね。
やっぱり人を見て買って。
やっぱり展覧会もいろいろ自分で見に行って、
この人がいいとか、自分なりにいろいろ勉強したみたいです。
ちなみにコレクションどれくらい持っていたんですか、ざっと。
そうですね、今所蔵しているのはだいたい1800点くらいですけれども、
ほとんどが祖父の寄付した作品で、
一部は私の父が寄付した作品なので、
どうでしょう、1000点ちょっととか。
でも美術館を作ろうとなったきっかけは、
コレクションを持っているだけじゃなくて。
美術館は戦前から作りたいと思っていたようなんですけれども、
06:03
戦後になってから横山大館とは一番親しくしていて、
大館さんが山田さん、そろそろ美術館を作ったらどうですか、
そのためならば自分も絵を譲りましょうみたいな感じで。
その言葉が後押しになったみたいなんですね。
最初から日本画専門のコンセプトはあったということですか。
おそらく自分自身もすごく大きな日本画に寝たり起きたりしていて、
そこに掛け軸を掛け替えるのが趣味だったので、
基本的には日本画が多かったんですね。
部分的には洋画も所蔵していて、洋語には洋画を掛けていましたけれども、
やっぱり若い時の体験からところまで日本画を掛けるというのが、
一番の望みというか楽しみだったなと思います。
その時に出来上がった時の周りの反響とかって分かっているものなんですか。
日本画専門の美術館なんていう感じだったのか、それともよくぞ作ってくれたみたいな。
そうですね、やっぱり当時の新聞なんか見ると、
やっぱり絵とか芸術を通じて社会貢献するということの重要性みたいなのが、
やっぱりすごく描いていただいていて、評価していただいたと思います。
50年前というと、日本画は美術界からするとあんまり下火になっている頃、
それともそんな関係なくずっと日本画の勢いはあったのか。
日本画の勢いはあったと思います。
結構満を持して日本の専門の美術館が出来たみたいな。
ええ。
この中でもコレクションの特徴的なものはあるんですか。
いろんな日本画があるとしてもあると思うんですけど。
そうですね、やっぱり祖父と同時代か、それちょっと前ぐらいの明治以降の作品というのがほとんどなんですね。
部分的には浮世絵とか洋画とかそういうのもありますけれども、
基本的には明治以降から現代の作家さんまでという。
今も活躍されている方もいますもんね、作品としては。
ここにちょっと書いてないからあれですけど、
山田姉さんではシード展という展覧会も結構重要なポイントですよね。
やっぱり若手の画家を応援してあげたいという気持ちを祖父がすごく強く持っていて、
実は1970年からずっとやっていたんですけれども、
97年まで。
一時期三番丁に引っ越した時に、
場所が狭すぎて大型の作品が飾れないということで中断していたのを。
09:03
当時名前は何だったんですか。
山田姉美術館賞という。
それは条件というか誰でも出せるもの?
当時は例えば美術評論家とか、
画書さんとかそういう誰かの推薦を受けた人だけが出すことができたんですね。
年齢制限も50歳までだったんですけれども、
今回は広場に来てから。
広場に来てから。
名前がシード展に変わった。
シード山田姉美術館賞という名前になったんですけれども、
それは年齢制限を45歳までにして、
あとはネットで誰でも応募できるという、
最初の応募の時には費用がかからないという賞の方が、
やっぱり公平性があるんじゃないかということで、
そういうことをいろいろと学園と一緒に考えまして始めたんですけれども。
一回目はどれくらい応募があったんですか。
200数十点ですかね。
その中からだと選ばれるのは何人。
対象が一人だけですもんね。
そうですね。
その中から対象が一人と優秀賞が一人と特別賞が一人。
それは成功さんから協賛していただいたんですけれども、
そんな感じで、展覧会自体には40人くらいが選ばれて、
その中からさらに賞を。
何か思い出したのが、その時に一回ここでトーク的なのやったじゃないですか。
ギャラリートーク的なの。
その選ばれた中の作家さん一人が、
ここで日本語を学んだんですかって聞いたら、
YouTubeで学んだんです。
いましたね。
ですよね。ちょっとびっくりしましたもんね。
インドで自分探しをして、日本外に目覚めて帰ってきて、
どこで学んだんですか。
YouTubeで大抵のことが今起こるんですよっていう。
そうそうそう。そういう人もいますね。
今何回目でやるんですか、今度。
今度3回目は来年の夏にやる予定です。
2022年ですね。
今年から準備する。
あ、そうです。2021年からの準備ですね。
今度誰でも出せるので、割れこそがっていう人は。
そうですね。やっぱり是非いろんな人に応募してもらいたいですし、
やっぱりその人の成長する過程で重要な人であってほしいなと思っています。
そういう試みもしているんですね、山田芸術の。
そうですね。
コレクションが増え続けているというか、そういう意味ではあると思うんですよね。
ちょっとそこでなんですけど、実はこの番組始まって以来、
日本画を取り上げていますので、
日本画ってどういうものなんですかというのを改めて、
いいで使うかですね。
12:01
まず洋画と日本画の違いということで。
まず洋画というのは西洋絵画の技法に基づくもので、
油絵を使って基本的にキャンバスに油絵を使って描くんですけれども、
日本画は絹とか和紙といった既定材に、
そこに岩絵具とか金とかそういった伝統的な材質とかを、
日本画独特の技法によって描かれたもので。
まず材料が違うというのは大きなポイントですね。
かなりそこが大きいんですね。
あとは明治以降に日本画という言葉ができて、
それまでは日本画しかなかったので、
言葉はなかったんですね。
接種も可能派も別に、これは日本が描いているぞという気持ちではないということですね。
そうなんですね。
明治以降に油絵が入ってきた時に、
それと分けるために日本画という言葉ができて、
あと日本で油絵を描いている人の絵を洋画というふうに分けるようになったんです。
西洋画とまた洋画もちょっと違う。
洋画は日本人が描いた西洋画。
そうですね。
なるほど。
あれですよね、日本画の魅力とかってありますか?
やっぱり日本画の魅力の大きなものとしては、
素材が挙げられて、
岩絵具とか和紙なんかの自然の素材を用いていて、
例えば青い色を出すために群青とか、あるいは緑の色を出すために、
六肖なんかの岩絵具と言われるものを使うんですけれども、
それは天然の鉱物から作られていて、
本当に非常に高価な爛銅鉱とか、
九尺石といった宝石みたいな石を砕いて作って、
すりつぶしたことですよね。
特にフェルメールとかのラピス材のようなものをすりつぶした後に、
油絵って油分と混ざっちゃうけど、
日本画の場合は基本そのままですよね、素材のまま。
日本画の場合はそれを煮革水と言って、煮革とお湯を混ぜたもので、
溶いて定着させているんです。
実はうちの親父が日本画描いているので、
煮革は子供の時は描いていたんですよ。
だから煮革を溶かす匂いが、結構子供の時に嗅いでいる匂い。
たぶん一般家庭ではないんですけど、
なんかあれなんですよね、動物性のタンパク質。
ゼラチンみたいな、コラーゲンみたいなやつ。
それで溶かすと変な匂いするんですよ。
なんか親父が今やってるなと思う。
それでくっつけていくんですよね。
やっぱり煮革と水を使って溶く時の煮革の分量とかが、
15:02
人によって違っていて、
それはあんまり例えば弟子にも教えなかったりとか。
自然なんですよね。
夏と冬で煮革の量を変えたりとか。
そういうところもあるんですか。
そうなんですよ。
それで京都の方と話してて発見したんですけど、
京都と東京の煮革と水の分量もやっぱり違うみたいなんですね。
どっちがどんな感じなんですか。
ごめんなさい、そこまでは分からないですけど。
でも見れば分かるんですね。
やってる人からすると。
やってる人からすると、やっぱり東京の方とちょっと違うなって。
分かると。
水が違うからだと思うんですけどね。
やっぱり日本画という意味では本物を見ないと伝わらないのが結構多いですよね。
そうですね。やっぱり印刷物とかでは伝えきれないような、
素材の美しさとか、色の独特な色合いとか、
そういったものが実物を見ると伝わると思うんですけども、
それでちょっとキラキラしてたりザラザラしてたりするのは、
岩絵の具の粒子の細かさによって違うんですけども、
そういったものも実際見ていただくと、
すごく、なるほどという感じでしっくりくると思うんですけど。
でも山田芸さんはそこを結構気にしているなと思うのは、
普通の屋下展覧会だと離れて見ることがあるんですか。
結構ギリギリ近くまで見れるように展示ケースも狭いというか、薄いというか。
うちの展示ケースは独特で、
本当に近くで見れるので皆さんに喜んでいただいて。
やっぱりギリギリで見た方がいいってことですね。
やっぱり丸べくだったら近くから見た方がいいかなと。
それこそ僕らは展示ケースに入っていただいて見れないんですけど、
展示会とかで本当に間近で見るときがあるわけじゃないですか。
やっぱりそれはまた別格なものなんですか、近くで。
そうですね、やっぱり金とか岩絵の具の質感みたいなのが、
近くで見ると本当にすごいこんな風に塗っているんだみたいな。
面白いですね。
いろんな作品があると思いますけど、
ヤマダネ美術館作品に限ってでいいと思うんですけど、
特にこの作家注目というのは何人か挙げてもらってもいいですか。
そうですね、技法的な面でもいいし。
ぜひぜひ館長のお勧め。
うちは早見御朱の御朱美術館と言われている館なんで、
御朱の作品というのは本当に技法的な面でも一つ一つ違うんですね。
早見御朱さんの作品ちなみに何点くらいですか。
120点。
これも日本の中ではもうトップクラスでしょ。
でもその技法が本当にそれぞれの作品で全部違っていて、
18:00
この間非常に有名な工房で修復したんですけど、
修復した方も本当に見るたびに御朱の絵は違う技法で描かれていて、
自分たちも驚きますなとおっしゃっていて。
研究熱心だったということですね。
研究熱心だったと思いますね。
37歳くらいですか。
40歳です。
短い生涯の中でもいろんなことをやったんですか。
そうですね。
この前ちょうど秘雲の形で展覧会が京都の福田美術館でやってて見に行って、
恥じってしたのが早見御朱さんあれなんですね。
足、事故で切っちゃったんですか。
そうなんですよね。
ギプスを使いながらあんなにいろんなところに支えられてたんですか。
そうなんです。
左足のくるぶしから先を切っちゃって、義足をつけてたらしいですね。
それで会話に行ったんですか。
そう。だからきっとすごく痛かったんだろうと思うんですけど、
奥様とかに私の目にかったんですけど、
痛いとか言ったこと全然なくて、山登りとかもしてたっておっしゃってました。
すごい。
バイタリティーがあるわけですよね、そう考えると。
すごい負けず嫌いな人だったんだろうなと思いますけど。
作品の中で特に安美御朱のおすすめのがもしあれば。
そうですね、やっぱり演武っていうね。
そうですね、演武はやっぱり。
大正14年の作品ですけど、それは教科書にもよく出てるんで、
いろんな方がね、炎の周りをががまってる、がとかちょうとかね。
我が苦手なんですけど、この絵に関してはいけますね。
すごい綺麗。
でもこの画は昆虫学者の方によれば、
本物の画もあるけども、前と後ろの羽を逆にしたりとか、
フィクションの部分もあるっておっしゃってましたけど。
本当に何年かに人で出ますもんね。
あとはウサギの可愛い作品もありますよね。
熱い体力集みたいな。
結構グッズにもなってますね。
あれもすごい人気の部分。
あれもやっぱり技法的にすごい。
紫陽花の部分なんかをわざとひび割れるように、
何か薬品か何かを混ぜて作ってほしいんですけど。
紫陽花の表現をするためにってことですか。
あの紫陽花の花壇、実際ひび割れしてるように見せてる。
それのやり方が、結局何を使ったのかっていうのが、
いまだに成分分析とかしてないんで、わからないんですけども。
結構いろんなやっぱりさっきみたいに実験をしてるわけですね。
21:01
一つの絵に対して。
そうなんですね。
すごい可愛い絵なんですよね。
この猫もただの炭じゃなくて、
岩絵具をフライパンで焼いていくとだんだん黒くなるんですけど、炭みたいな。
コーヒー豆色みたいな感じですね。
そうそうです。
そういう感じで、絵具を焼いているので、
ちょっと実際見ると盛り上がってるっていうか、
炭で描くと画面に浸透しちゃうんで、
染み込んじゃうんで、
手前に猫がいるって感じにならないんですけども。
なるほど、なるほど。
今度出した時、ぜひ見てください。
今年の秋ですね。
今年の秋に?
はい。
前の御朱と弟子の吉田芳彦っていう人の手仲をやるので、
ぜひぜひ。
その時にぜひ実物、そういう目で見るとだんだん面白くなってくる。
やっぱりいろんな技法が使われてるんですか、写真の中に。
はい。
他にぜひこの画家もっていうのがありますか。
そうですね。
今度2月の6日からやるんですけども、
河合玉郎っていう。
はい、河合玉郎ですね。
この方の作品っていうのは、
本当に今はもうある程度なくなってしまったような、
日本の古き良き風景を描いてるんですけども、
それ面白いのは、
必ずどこかに小さく人々とか、あるいは猿とか、
そういうものが枯れてるんですね。
ほんとだ。
すごくそういう、
ふるさとの働く人々とか、
動物に対する愛情みたいなのがあふれてるので、
本当に戦時中に描いた絵なんかでも、
すごいのどかな感じがして。
そうか、世の中が緊迫してるわけですね、当時は。
すごくそういった面では、
人柄もいい人だったみたいで、
うちの祖父が玉戸さん大好きで、
戦前に東京のお家が焼けちゃって、
大目の方に疎開したんですけども、
疎開先まで米を車に乗せて届けたりとか、
すごく遠いのに玉戸さんと訪ねるのが大好きで、
しょっちゅう行ってたらしい。
結構遠いですよね、玉戸美術館も何度か行ってましたけど。
そうなんですよ、車で行ってたみたいなんで、
結構遠かったと思うんですけど。
遠いですよね。
ほんとそういう付き合いがしっかりしてるんですね。
そうなんですよね。
残念なことに、
御宗とは会えなかったんですね。
そうなんですか。
御宗は昭和10年に40歳で亡くなっちゃったので、
祖父がやっと絵が描いれるようになったのは、
24:02
大正の終わりから昭和の初めぐらいだったので、
御宗の絵っていうのは15点ぐらいしか持ってなかったんですけども、
玉戸さんとは本当に長く付き合いしたので、
71点所蔵させていただいてて、
結構な数ですよね。
本当に写真見てもすごくいい人柄が見つけてて、
いい人柄すごい出てますよね、描いて。
そうなんですよね。
この次、何月からでした?展覧会。
2月6日から4月4日なんですね。
その展覧会には玉戸さんの作品が何点出るんですか?
ほとんど出すってこと?
ほとんど出して、
それ以外は多少玉戸の先生とか、
教え子の作品も出して、
ちょっと変化をつけようと思っているんですけども。
話を聞いていたんですが、
戦争中ですら穏やかな絵を描いているわけですから、
今本当にこの状況、コロナで大変な時にこそ見たい絵ですね。
そうですね。
やっぱり季節に応じた風景、
日本の風景ののどかなところを見たりすると、
心が癒される感じがしますし、
そういう絵は日本画の技法が合っているってことですか?
これを西洋画で、洋画の油絵で描くと、
やっぱりまだちょっと違うんでしょうね。
そうでしょうね。
やっぱり玉戸さんからは結構薄塗りで、
そんなにものすごく技法に凝ってるってわけじゃないんですけども、
やっぱり日本の風景を描くには、
相応しいような色を使っていたりとか、
あと自分で本当にしょっちゅう大門の周りをスケッチして描いていたので、
実景をかなり元にしているから、
そういう意味でも、
日本人にはどこかで見た風景っていう感じのものだと思うんですね。
あと今回非常に重要なのは、
昭和5年に、1930年に、
イタリアのローマ日本美術展覧会というのがあったんですけども、
そこで紹介された、すごい記念すべき作品がありまして、
それを個人の方からお借りして、
特別に展示するっていう。
それは開業後の展覧会なんですか?
はい。
当時のイタリア人が見たってことですね。
そうですね。
それには横浜大館とか、
上村松原とか、
ヘン・ギョシウも、
みんなすごい力のこもった絵を描いていて、
そんな日本のドリームチームが乗り込んだみたいな感じだったんですか?
特にギョシウは、
明治チルスパキっていう有名なチル文化でありますけども、
27:01
それをそこのローマの展覧会に出したんですね。
それに出されて、
あんまり展覧会に出品されることが少なかった作品を、
将来統制っていう作品なんですけども、
それを今回特別にお借りして、
展示させていただきました。
これ山田伸美美術館に展示されたの初めてですか?
初めてです。
私も見るのも初めてです。
そんなにですか?
めちゃくちゃ貴重な絵ですね。
そうなんですよ。
ぜひそれを見たくなりますね。
そうですね。すごく大きくて立派な作品なんですね。
大勢の気合いが入っているわけですもんね。
日本初っていくぐらいの気持ちで描いているから。
すごい、ものすごく素晴らしい作品です。
それも期間中ずっと出ているんですか?全国とか?
期間中ずっと出ているので、
なかなか個人の方がお持ちのものなので、
展示する機会ってなかなかないと思うんで、
すごい立派な作品なんですね。
開館55周年記念特別展で描いていますもんね。
そうなんです。
今年55周年。
そして2020年はいろいろ大変なことがありまして、
山田伸美美術館が大変だったと思うんだけど、
クラウドパンティングをしたということで。
そうですね。
私自身そんなにクラウドパンティングというのは
詳しかったわけではないんですけれども、
いろいろと館内で相談しまして、
挑戦することにして、
でも最初はちょっと大丈夫かなという心配があったんですけれども、
思った以上に本当に多くの方々から
ご寄付やメッセージをいただいて、
非常に感謝の気持ちでいっぱいです。
これはやっぱり当然2020年コロナになってから
入館者数というのはやっぱり落ちちゃったのですか?
そうですね。
本当に一時期は、
夏の時期なんか開館してても
1日20人とか30人しかいらっしゃらなくて、
4月から7月の終わり半ばぐらいまで、
だいたい2ヶ月半ぐらい休館してましたんで。
そうですよね。その期間ちょっと僕も一緒にコラボ。
そうですよね。
そうなんですよね。
ぬり絵の巨大ぬり絵チャレンジという。
24時間巨大ぬり絵に挑むという企画をやりました。
そういうのもあり。
だからその時はもう開けれなかったですもんね、美術館。
そうなんですよね。
お家で日本画っていう企画を。
そうですね。
やられてたうちのひとつでぬり絵を
30:03
田野村直入ですね。
の、なんていう作品でしたっけ?
田野村直入。
花の百花、百花図ですね。
のぬり絵をツイッターでみんなでやってみましょうっていうのを
山形美術館さんが企画して、
トニーさんもぜひやってくださいって話だったので
普通にやるの面白くないんで
じゃあ巨大なぬり絵どうですか?みたいなのをやったら
本当に巨大なのが送られてきて
畳1枚分を超えぐらいのサイズのものが来まして
じゃあこれ24時間かけてやろうということでやって
あれですよね、生配信もしましたもんね、途中で。
ね、すごかったですよね、もうあれ。
トニーさん本当に休んでないからね。
途中で会長にも出ていかない。
インスタライブをしましたので。
山田美術館さんインスタもやってますからね。
ご覧していただきたいなと思いますけど
そういうのもあって、開けてもそんな20人ぐらいの時もあったってことなんですね。
そうですね、非常に厳しい時期で
また今回ね、非常事態宣言になってしまったので。
2回目が出てますからね。
この時はどういうものを寄付すると何がもらえるものがあったんですか?
この時はちょっと当館広域法人の関係で
あんまり本当はもっといいものをお返ししたかったんですけど
なかなかお金をかかったものをお返しするっていうのが難しくて
感謝カードという何度でも使用できる100円引きで
同伴社の方も100円引きっていうものですとか
あるいは招待券とか50周年記念の時の図録とか
それから年間パスポートとか
オンラインギャラリートークへのご招待とか
いろいろと考えたんですけど
皆さんは本当はもっと形に残るものと思われたと思うんですけど
ちょっと残念なことにそこまでできなくて
それでも本当に多くの方に力を貸していただいて
本当に言っても言い尽くすことができない分は感謝している次第です
最終的に目標を超える金額が
最終的には1310万9千円という総額で
最初の目標が500万円で支援者の方も872人の方に支援していただきまして
こういった方々と今回だけではなくて
これからも皆様と何らかの形でつながっていき
またオンラインのコンテンツとかサービスも充実させたり
33:01
お客様との結びつきの仕組みを作っていったり
いろいろと今模索しているところなんですけど
これでもやっぱり嬉しいものですよね
本当に嬉しかったですし
やっぱりどうしても私たちも日々感謝の少ない状況で
心配だったり気持ちも落ち込みがちな中で
本当に優しいメッセージを
しかも東京だけじゃなくて地方に住んでいらっしゃって
実際にはなかなか行けないんだけどという方からも
サポートしていただいたのでびっくりしました
でも本当こういう機会がなかったらだって知り合わないですもんね
そうですね
当然山谷美術館さんのファンはいっぱいいると思うけど
わざわざ美術館に来て館長に挨拶しに来る人って
なかなかいるわけないですもんね
だからやっぱりそういうのがいい
どういう方が多かったんですかちなみに年代とかっていうのは
年齢的には20代から30代くらいだった
結構若い人も多かったんですね
すごいですね
意外と山谷美術館さんは年配のお客さんが多いイメージがあるじゃないですか
でもクラウドランディングだと結構若い方からもってことなんですね
コロナのせいでっていうのも変だけど
得るものもあったわけですね
そうですねやっぱりそういう意味では本当に
これから人口もだんだん減っていったりする中で
若い方にファンになっていただくきっかけの一つになったとすれば
非常にありがたいと思いますし
一度も見に来たことはないんだけどっていうことで
サポートしてくださった方々もいて
さっきトニーさんおっしゃったように
まさに普段絶対繋がれない人たちが
うちのクラウドランディングを見てくださって
参加してくださったっていうことが非常にありがたいことだなと思います
コロナでも館長オンライントークとかもやるんですよねこれから
そうです
やったんですかこれからやる
これから1月の終わりにやる予定なんです
あとなんかありました今回そのコロナによって
こんなことチャレンジしてみたとか
山谷美術館さんの中でこんなことしましたって
そうですねやっぱり
いわゆる音声ガイドというのが
今ちょっと中止になってしまっているので
そういったものをこれからオンラインでできないかとか
いろんな新しいサービスというのを取り組むきっかけになって
やっぱりこのピンチをチャンスにするという気持ちで
みんな日々いろいろと努力しているんですね
36:02
そういった意味からすれば
今までは特にそんなに経営に困るってことはなかったんですけども
やっぱりこれからはただ入館料収入だけは手にするんじゃなくて
他のことをいろいろとやってみようっていう
みんなのやる気というかそういうのが出てきたんで
その面ではプラン
大変ですけどもやっぱりプラスになったんではないかなと思っています
今までいろんな若い人向けのっていうのでいうと
あれありましたよね名古居
結構衝撃的だった
名古居ってあるんですよね
明治の偉人と恋をするみたいな
ゲームアプリがあって
それのキャラクターに菱田春相がいるのでコラボ
若いお客さんがかなり来たという
結構それは衝撃でした
そんなに来ると思っていました?
いやそこまでとはちょっと分からなかったんですけど
つい昨日ぐらいのツイッターとか見てても
名古居でこちらに来てから毎回来てますみたいな
それがきっかけになって
今別に名古居のカフェでコラボするわけじゃないけれども
それで好きになったとか
そういうのを見るとやっぱり
時代の流れっていうか
漫画とかアニメとか
あるいは2.5次元ミュージカルとか
そういうのの登場人物に
たまたま岡山大幹とか菱田春相が選ばれてて
そこにコラボできたってことは
非常に良かったなと思いますし
これからもやっぱりそういう入り口をいろいろ広げて
もともとは別に日本が好きだったことないけども
何か他のものから
入り口を見つけてきてくださるっていう
そういうのはすごく大事だなと思っています
見てファンの人が多いんでしょうね
本物見ないで伝わらない部分とか
名古屋の時は
ブルマイドの
例えば大幹や春相のブルマイドの
ラックにその時展示に出てた
うちの作品をすごくうまく
名古屋側のデザイナーさんが
マッチさせてくれて
すごい綺麗だったんですよね
本物の絵を手がかって
本物の絵をうまくデザインしてくださって
それはそれでもうすぐ綺麗だったので
いろんな才能があるんだなと思いました
39:00
新しいことをチャレンジしてますもんね
ヤマハネさんは
あのコラボは本当に良かった
そのコラボはだいたい
こんなに使ってくれるところもすごいなと思うんですよ
かなり早い段階からでしたもんね
自分で言うことじゃないけど
そこそこ連載とかもしたりとかですけど
ヤマハネさんに声かけてもらった時って
まだアルバイトした時期だと思う
でも面白そうだからって声かけてくれたんですもんね
100人のイベントとかも
後年会企画ですよね
年末に後年会企画で
100人お客さん集めて
ここで貸し切らせていただいて
トニーさんのファンってすごいんですよね
なかなかね
土曜日でしたっけね
夜に100人ってつまんないですけど
2年ぐらい連続でやらせてもらいましたもんね
ビンゴ大会やったり
だから結構お世話になってますよね
こちらこそ本当に
それこそトニーさんファンだけど
そんなに日本画見たことないっていう人たちがね
いらっしゃってくださったんだよね
実はうちの両親のヤマハネ美術館さんは
カレンダー毎年買ってるんですよ
それはヤマハネ美術館さんと僕が知り合う前から
ずっと買ってきて
それで去年の末に
うちの両親は今年2021年に
実家が千葉なんですけど
長崎のコトレクトに行くんです
だからもう買えなくなるからって言って
最後買いに来ましたもんね
結局プレゼントしていただきましたけど
そこに来て両親と館長初めて
挨拶したいって館長がおっしゃっていただいて
両親が挨拶してて
何のコーナーなんだろうと思って
この部屋でちっちゃくない?
ちょっと僕も仕事があるので予定がある
タイムさんがちょっと待ってって
記念写真撮りましょうって言って
謎の記念写真を撮って
大山家のタイムさんが一緒に写ってるんだろうって
謎の記念写真を学園さんもいっぱい撮ってました
でも温かくてすごくいい衣装でしたもんね
縁ですよねこれ
うちも親父が日本に帰ってきたっていうのもあって
多分山谷美術館を結構行ってましたもんね
最初は嬉しいですね
42:03
最後の日本画の魅力を改めて
さっき言ってたような絵の具とかね
材質の魅力だけじゃなくて
特に明治以降戦前くらいまでの絵って
昔は所間があったんで
結構すごく余白を大きくとっていて
下の方に絵が描いてあるみたいなのが多いですけど
最近ですと余白っていうのはほとんどなくて
余白の部分を全部絵具で塗りつぶしちゃって
そこに逆に雑巾で拭いたりとかして
バックを荒らしたりとか
そういうような違法もあるんですけど
昔の脈々と続く日本美術の流れの中で
余白のある絵っていうのは
西洋には特にないですし
中国とか日本の伝統的なもので
その余白の部分に
何か自分の心の余裕っていうか
そういうものを見出すような
そういう中国とか日本の独特の美意識みたいな
現代の日本人って
何でもかんでも盛り込んだり
欲張るじゃないですか
何でも取り入れようとするんですけど
取り入れるばっかりじゃなくて
多少アウトプットして
余白みたいな部分を
自分の人生の中に持ってたら
そういうのがいいんじゃないかなって
持ってたらそういうのは
あったらすぐ見つけたり調べちゃったりとか
1を聞いて10を知るじゃないけど
10を聞こうとしますもんね
そういう余白みたいなものっていうのは
結構大事かなって
余白を楽しめるようになると
いろんなものとか
いろいろと考えるじゃないですか
本当はこうも取れるよなんとか
結構大事なことですよね
そうですね
確かに
そういうのも美術を見れば
日本画を見ればわかるわけですね
まだまだ話を伺いたいところですけれども
今日はここまでということです
次回は田役さん個人の話を待ちつつ
さらに日本画の話を続けていきたいと思います
45:14

コメント

スクロール