1. そろそろ美術の話を...
  2. #144 芸大・直島を経て富山へ..
2025-11-15 58:30

#144 芸大・直島を経て富山へ:学芸員と広報が現在に至るまで(富山県美術館 遠藤亮平,川浦美乃)

とに~が富山県美術館に出張し、富山県美術館 遠藤亮平,川浦美乃さんをゲストに、美術に興味をもったきっかけや、富山県美術館に至るまでについてお聞きしました。

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/144  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠番組公式Twitter⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠もフォローをお願いします!


Guest Profile

遠藤亮平

  • 1987年生まれ。2011年東京藝術大学大学院美術研究科修了。富山県美術館学芸員。

川浦美乃

  • 富山県美術館 広報交流企画員


Show Notes

富山県美術館(TAD)について

いつから美術が好きだったのか?の話題

富山県美術館に至るまでの話題

富山の話題

展覧会について

サマリー

富山県美術館の遠藤亮平氏と川浦美乃氏が美術への興味やキャリアについてお話しすると、彼らの個人的な背景や学びの経験が明らかになります。特に、ディズニー映画や印象派絵画との出会いが、彼らの美術への関心を育んできたことが強調されています。遠藤氏は自身の経験と経歴を通じて、東京芸術大学やフランスでの学びを振り返りながら、富山での美術館業務に至る過程を詳しく語ります。また、美術館での試験や面接のエピソードが紹介され、採用に至る過程や仕事の醍醐味についても触れられています。芸大や直島を経て富山に移った学芸員と広報が、芸術祭や美術館の魅力についてお話しし、特に直島での経験や富山県美術館での取り組みが紹介され、地域に開かれた美術館の重要性が強調されます。このエピソードでは、富山県美術館のイベント活動や、富山への移住後のトレーニングに関する個人の趣味についても語られ、さらに富山の美味しい食文化、特に寿司や居酒屋の魅力にも触れられています。また、富山県美術館の独自の環境やおすすめの飲食施設についても話され、観客が美術館を訪れる際のアクセスの難しさや工夫について考察されています。さらに、上甲みどり氏による貴重な美術コレクション展も紹介されます。富山県美術館の遠藤氏と川浦氏は、芸大や直島での経験を通じて豊かなアートの魅力を伝え、来館を促すメッセージを共有しています。

美術への興味の芽生え
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を、この番組は私アートテラー・とにが、アートに関わる方をゲストにお迎えしてトークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
今回は富山県美術館の遠藤亮平さん、川浦美乃さんをゲストにトークを続けていきたいと思います。
はい、ということで前半ありがとうございました。 ありがとうございました。
前半どうですか? まずやってみてというか。
いや、こんな感じなんだなっていう新鮮な驚きでした。
トロピーさんお話上手だから、やっぱり話しちゃいますね。
そうですね。
余計なこと話すのにしなきゃなっていう。
トロって行かないように。
それを気をつけながら話しています。
それを引き出そうとする人間じゃないですから。
大丈夫、間違うんですね。
ここだけのとてもないトークを引き出してやろう。
そんな番組で、ジャーナリズムの全くない番組じゃないです。
本当ですか?
大丈夫、大丈夫です。
安心してお喋りいただければと思います。
ということで、後半は人となりとか掘り下げていく番組ではありますので、
毎回聞いている質問、いろんな方に聞いていますけど、
いつから美術に興味を持っていましたかということで、どちらからいきましょうか。
じゃあエンドから。
いつからってなかなか記憶をたどるには難しいですけど、
もともと絵を描いたり工作するのがすごい好きだったんですよね。
それで小さい頃から絵を描いていたし、
家でディズニーの映画を見ていたというところから、
こっちの方向に来たような気がしますね。
ディズニーの映画を見ていたからこっちの方向に来た。
それでディズニーのキャラクターを描くとか。
描くから見せる方になっていたんですかね。
当たり前のように美術部に入ったり、自分で描いていたけども、
うまくないわけじゃないですか。
うまくはない。
全然うまくはない。
やっぱりこの道はないなっていうのがある時わかる。
それこそ高校生になった時に、
美術師だ!
そっちの方向に何か行ったんでしょうね。
それこそ小学生?
小学生かな、中学生の高校の時に美術館に連れて行ってもらえた。
両親?
そうですね。
よく父親とかに一緒に国立博物館に行ったりもさせてもらえていたので、
割と身近だったのかなっていうのもあるし、
私は横浜出身なんですけれども、
小学校の時に横浜美術館に行った記憶っていうのが未だにあるっていうところも多いのかなと。
その時何見たとか覚えてる?
クレス・オルデンバーグの逆さまQ。
今はある作品ですね。
クレス・オルデンバーグの有名なピカスを見たっていうのは覚えてますよ。
それこそ日記か何か書かれて、書いてるんですよね。
それをさら覚えてる。
未だにそれ、逆さまQとピカスの絵と、
あとイサム・ノブチの太陽の彫刻。
未だにあれはもう鮮明に覚えてるって言い過ぎかもしれないけど、覚えてる。
感動だったんですか?
感動もしてないとは思いますけど、不思議な形として覚えてるんですよね。
それがもちろん当時オルデンバーグとかピカスとかイサム・ノブチなんて名前は知らないから、
不思議だなと思ったから何か書き留めたんだと思うんですよね。
割と好きだった小学校の時の先生は、すごく図工の好きな先生だったので、
そういう影響もあって、ものづくりはすごく好きで、
例えばすごい年賀状に命かけるみたいな感じの気質もあったので、
たまにいたクラスメイトに何人かいる。
だけどその美術と製作する道っていうのは、
やっぱり当たり前だけどそんな生やさしいものじゃないし、
そんな度量はないっていうのは早々にわかるわけじゃないですか。
その時にやっぱり大学進学の時に美術師。
影響を与えた作品
その先に学芸員っていうのがあるのかもしれないという考えになった。
でもやっぱり美術の世界には関わりたいのはあった?高校時代に。
そうですね。
逆に言うと他にやりたいことも特に思いつかなかったのかもしれないし、
やっぱり絵を描いたり作るのは好きだったから、
この美術っていうところに自分の関心が向かってたのかもしれないですね。
日本美術とか西洋美術とかいろんなジャンルがあるけど、
その時は何だったんですか?
もちろん日本美術とか現代美術と呼ばれるようなもの、
それこそ高校時代から美術手帳をなんとなく読んでて、
それこそ高校の美術手帳だと誰でも読まないですから、
それこそ古いバックナンバーが掛け掛けの掛けまくった美術手帳。
それを読んでたんです。
それで割と師匠さんも優しい人で、よくそれを見せてくれましたよね。
それこそ今のように思えてるのが、表紙がトーマスルーフのヌードと違うんですよ。
高校だけど別に。
確かにそれはね、縁出しはされてなかった。
それはわざわざ見せてくれたんですよ。
ちゃんと純粋な気持ちで。
その時にシンディ・シャーマンとか中原光大とかそういう名前を知って、
ああ面白いなあって、こんな人いるんだって。
一般的な高校生は洋楽とかロックの歌手を見たら感じたんでしょうね。
遠藤さんにとってはそういうトーマスルーフとかシンディ・シャーマンと知ったのが盛んな時期に。
そうですね。
でもシンディ・シャーマンはなんかわかんないけど、すごく面白いなって思って。
それこそ森村さんとかね。
森村さんとかシンディ・シャーマンとか中原光大っていうのがやっぱりきっかけになってたなと思いますね。
ジャンルとしては一応美術全般を学んだ感じですか?
私東京芸術学院なんですけど、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、
そんなにちゃんと通紙的な美術史を学ぶような感じではなかったんですよ。
大学の授業だったんですか?
専門的な授業ばっかりでしたから、
例えば仏像とか絵巻とかそういう断片的なディープな授業ばっかりだったんで、
通紙みたいなのをちゃんと学んだ記憶は私にはないんですね。
ただ、私がついていた先生っていうのは日本の近代美術の先生だったので、
なんとなくそっちの関心は強くなっていったかもしれない。
専攻なんだった?
日本東洋美術史。
前半でもミロミロだとかピカソだとかがっつりミロさん来たのに。
全くそっちに興味なかったんですけど、
来てから完全にそっちの方向に。
もともとは日本美術の方に?
美術の道を選ぶ
もちろんです、もちろんです。
そっちから発揮されて、この間まで東洋史学研とか。
そこら辺がメインだったんじゃないかって感じで。
変なこと言ってましたね。
その後は豊山憲美に入ったかはこの後また聞くとして、
川浦さんはどうだったんですか?
私も小学生の時じゃないかなと思うんですけど、
母親が結構美術とか好きだったので、
多分その影響はあったんだと思うんですけど、
すごく覚えてるのは、私の場合は群馬出身なんですけど、
残念ながらすぐ近くに大きな美術館とかもなくて、
小学校に複製画が回ってくるっていうのがあったんです。
モネの印象日の出とか、
ちゃんと許可得て複製されて学校教育のためにっていう。
それは誰か絵と一緒に専門の人が来るんです。
それだけが来て、美術の先生が授業をそれでする。
ほとんど覚えてないんですけど、来たっていうのを覚えてて、
しかも教室に普通に置かれて、みんなでザラザラって見るっていう感じだった。
その時に、なぜかモネの印象日の出とかがいいなっていう気持ちがありますね。
そのあたりから多分美術系に興味持っていったんじゃないかなと思います。
でも群馬って言ったら、群馬県立近代美術館とか、
今は本当にいろんな美術館、前橋もすごいし、高崎も出してる。
当時はそんなにあれだったんですか?
でも私が住んでたところが、もっと埼玉寄りみたいなところで、
ちょっと高崎に行くまでは車で2時間くらいだったので、
どっちかというと東京とかの方が電車で来るといける感じですね。
でもその印象日の出でバーンとなって、一緒に親と美術館行ったりとかその後会ったりは?
そんなに親と美術館行ったっていうのはあんまり覚えてはないです。
ただ家に画集とかがあったっていうところはあります。
じゃあ美術部入ったりとかはあんまり?
中学は運動でしたね。
高校で美術部入って、やっぱり高校で現代美術に出会うんですよ。
それは何で出会った?
美術施設長じゃないんですか?
誰も読まない美術施設長じゃないんですか?
そんなに何度も誰も読まないと言って笑いながら。
この図書館、図書室出待ったんだよね。
でも美術施設長だったのかな?
なんとなくそういう現代美術みたいなものに出会っていって、
そうするとやっぱりコンセプトになっていくので、
その考え方とかが面白いってなった記憶があります。
それでその道に行こうになるんですか?大学とか。
ちょっと長くなっちゃいますけど。
私の場合はそれで大学に行こうとなったんですけど、
ちょっと身近に留学とかしてる人たちがいたので、
フランスに行こうとなってしまって、
私の場合は大学はフランスの方に行きますね。
でもパリとかじゃなかったんですけどね。
フランスって美術の経営のところ?
美術士の方に。
私も知らなかった。
知らなかったんですか、この話。
でも同じ感じですよ。
やっぱり今になって思うとすごい面白いなと思うんですけど、
多分日本の大学に行けばそういった仏像とかあるんですけど、
やっぱりフランスで仏像なんて教えるわけがなくて。
そりゃそうでしょ。
フランスに行かなきゃいけないんですよ。
じゃあ印象派とか。
通志としてそういう感じ。
もう入った学部が考古学と美術士の方。
考古学から始まりました。
そっちもやっぱり卒論的なものはあるんですか。
ありますね。
卒論はなんだ?
卒論はフランス語をすっごい読んでっていうのが大変だったので、
もうちょっと日本に寄せて、
日本の90年代から写真の、
それこそ美永美香さんとか、
出てきた頃の話っていうのを卒論で。
変わりたことみたいなことを。
美永美香ってここでやられたんですか?
私卒論か。
美永美香さんいらっしゃったわけですよね。
いらっしゃってましたけどね。
言わなかったんですか?卒論見せなかったんですか?
言ってないです。
一応フランス語だったんです。
フランス語。
それはもうやっぱり研究職に進みたいな、
その時はもうあった?
ありましたね。
同じ感じですね。
やっぱり自分は絵を描く方ではないなって。
描いて、好きで描いてたとしても、
それで食べていける才能はないなっていうのは、
高校ぐらいでわかります。
美術学校での学び
高校ぐらいでわかりますよね。
やっぱり美術に関わる仕事がしたいなって。
向こうのやっぱり4年生なんですか?
私が入った当時は4年生だったんですけど、
その時に大学開編みたいなのがあって、
5年生になったんです。
アメリカと同じ感じになって。
2年学士で2年就職。
5年なんですけど。
5年間フランス語だったんですか?
大学に行く前に2年ぐらいのフランス語の勉強のために
フランス語をやってたので、
全部で7年行ったんです。
そんなにフランス歴長い?
長い感じです。
いろんな美術館も巡れたんですか?
フランスに行った時は。
パリとかはなんとか行って、
ただ貧乏学生だったので、
そんなにいろんなところにも行けなくて。
パリの美術館なんかはちょこちょこ行っていて、
当時はアートに対して、
美術に対してフランスも手厚かったので、
美術系の学生っていったら
だいたいどこの美術館もタダで入る。
今も東京でもありますもんね。
ミュージアムキャンパスみたいな。
そんな感じだったんですね。
ルーブル美術館とかも見せたらタダで入る。
今じゃね、すごいタダ取られちゃうんじゃないですか。
私がちょうど辞めるぐらいの時に、
何歳でも学生だったらだったんですけど、
30歳で決まりました。
今どうなってるかわからないですけど、
その時は30歳以下だったら学生はタダで。
先生とかみんな入ってたのに、
なかなか厳しくはなりましたけどね。
今の段階でも、
片谷東大で東京芸術大学で学び、
片谷フランスでどうして富山になったのかが
この先が気になりますね。
富山でのキャリアの始まり
じゃあエンドさんからいきます。
そこからどういう流れで?
そこからは芸大に入って、
学部出て、修士行って、
富山に来るという流れなんですけど、
それは富山に募集があったから?
もちろんそうなんですけど、
大体みなさん修士行くのは、
大学に行くのは学芸になりたい人が
みんな友達とかも修士課程に行くんですけど、
修士課程に入ったら、
学芸になるために試験対策とか、
試験を受けに行くってことがだんだん始まるわけですよ。
学部卒業したら。
私は富山で募集出てるっていうのを
おそらく大学で知ったと思うんです。
経緯されてますから。
力試しだなと。
一番初めに受けたのが、
この富山県立近代美術館の試験で、
一番初めの試験で受かってしまって、
修士まだ1年生だったんですよ。
修士2年生やりながら、
富山県立近代美術館で働いてたんです。
学生デビューみたいなことだった。
なぜか謎の7月採用というもので、
修士2年生の7月から富山県に来て、
こっちで修論書きながら働いて、
単位が1年目に結構取っていたので、
なんとかなったんです。
富山キビの時には、
絶対受かってやろうって感じはなかったんですね?
初めて受ける試験だから、
右も左も分からない、
これから先、たくさん受けていくことになるだろうな、
という前提のもとを受けてきたんです。
冷やかしたまでは言わないですけど、
どんな作品があるのかも全然知らなかったので、
この試験に行った時に、
20筒IT美術のすごい良い作品がいっぱいあって、
びっくりしたんですよね。
その時、何人か受けてたんですか?
もちろん40人くらいはいたんですよ。
何人採用だったんですか?
今、これを聞いている39人は、
もうブチギレて聞いているかもしれない。
いやいやいや。
あの時のみたいな。
そんな感じでしたね。
それでもそこからずっと富山で?
ずっと富山です。
2010年採用ですから、
15年も富山で。
その時に、40人の中から1人が、
今になって考えた時に、
あれがきっかけで自分が選ばれたんじゃないかな、
なんかそういう手応えじゃないけど、
なんかはあるんですよ。
美術館での業務と成果
あれじゃないかな、みたいな。
富山金美自体も、
全国の美術館はそうだと思うんですけど、
全然採用はないんですよね。
私の時も13年か14年ぶりの新人の採用だったんですよ。
それで当時の職員の先輩だったかの人の発案で、
ギャラリートークというか、
作品の解説を面接でさせるっていうのが、
試験であったんですよ。
それ急になったんですか?
どれとどれとどれの作品があって、
どれか一つを選んで、
ギャラリートークじゃないですけど、
解説をしてくださいという課題が、
二次試験。
もう事前にそれを?
もちろん。
確かミロとキカツと何かみたいな感じだったと思いますけど、
それでミロのパイポース男という、
東海オンエアを代表する作品ですけど、
今となってはね。
それを選んでやったのが、
すごく評判が良かったんだというのが分かりました。
トークで?
当たり前のようにちゃんと調べてましたし、
大学の授業でもギャラリートークをやるっていうのは、
東博でギャラリートークをやるっていうのが、
大学の一つのプログラムとしてあったので、
それで話すということにはそんな抵抗はなかったので、
慣れてたのは?
慣れてるってことじゃなかったけども、
できたんですよね。
だから当時面接官をしていただいた人には、
自分で言うのもあれですけど、
自分の時だけ拍手が来たってことで言ってもらって、
それはすごく嬉しかったなって。
聞いてるのは他に受けてる人だったりとか?
いやもう完全に面接官だけです。
合同面接みたいな感じじゃなくて、
一人一人呼ばれてやるっていう感じだったので、
そこで、
その時は誰か全然わからないおじさんたちが並んでいる中で、
ギャラリートークして、拍手で終わって、
よかったなと思ったら、
やっぱり一番上手かったらしい。
でも今でもNさんギャラリートークとか、
取材で何か受けてくださるって言った時は、
全然安心して話せられる感じはありますか?
今後も延々とその拍手を重なったギャラリー、
今後そういうの書いといてあげたらいいんですか?
あの遠藤さん!
嫌な感じじゃないですか?
拍手が自然と巻き起こるギャラリートーク。
でもそれが良かったらしいですね。
でもそれはそうでしょうね。
富山近代美術館で、
今その富山県美術館になりましたよっていう、
前半でそういうお話ししましたけど、
僕がその遠藤さんと会ったのは、
富山県水墨美術館。
あれはどういう?
富山県には県立の美術館が2つあるんです。
その1つは富山県美術館で、
もう1つは富山県水墨美術館という、
主に近現代の日本美術を扱う美術館があるんですけども、
富山県の中で人事異動っていうのがあるので、
その人事異動の一環で、
富山県立近代美術館4年勤めた後に、
富山県水墨美術館に移動になったんです。
その時に富山県美術館にお仕事をお願いしたっていうのが、
初めての出会いだったわけなんですよね。
富山県水墨美術館は、
そう考えると、自分は日本美術をやってたわけですか?
ってことは、ヨッシャーみたいな感じだったんですか?
その時は、もともと日本美術だったはずじゃなくて、
学生時代だったんですか?
4年の富山県美術館生活で、
完全にモダンアート思考になって、
次はこれをやるんだなっていう、
自分の中で計画があったわけですよ。
急に水墨美術館に移動。
その前に県務っていう時期があったんですけど、
どっちも行くっていう時期が1年あったかな。
それで、自然に水墨美術館に移動になってしまって、
こんなはずじゃなかったなと思った時は、
もちろん思ったんです。
ただ、大学時代は日本美術だったし、
先生は近代美術のすごく有名な研究者の方だったので、
学び直しができるかもしれないなと正直思ったんです。
水墨美術館はそんなに大きい美術館じゃないので、
いろんなことをしやすいんですよね。
展示するにも、作品を集めるにも、
そんなに大規模なものを集めなくても展覧会ができたり、
小回りの効く美術館だったので、
その4年間というのは、
すごく充実した4年間だったのは間違いがなくて、
そういうことをトニーさんを招きした、
おたけちくはの展覧会も、
やっぱり水墨美術館じゃなかったらできなかったと思いますし。
後に千億八個館東京さんでも、
おたけ三兄弟展やったんですけど、
おたけちくはの史上初の展覧会でした。
没後初のおたけちくはで。
生誕140年でしたね。
生誕140年にしてみたいな。
あれは今更ですけど、なんで僕を呼んでくださったんですか?
それこそトニーさんが芸術新聴で連載されてましたよね。
ちくちく美術。
それが私すごい好きだったので、
ぜひ面白く調理してもらえる人に、
お話ししに来てほしいなと思って、
トニーさんに連絡したんですよね。
一番最初は東京駅の束ですよね。
端っこの束ですね。
上にある束。
日本橋に近い側のね。
そこですよね。
確かにそこでご挨拶させていただいて。
当然おたけちくはという絵師を知らなくて、
やってほしいって言われても、どうしたもんですかね?
と言って、多分遠藤さんがこういう人なんです。
破天荒な人で。
それはその人となりがすごい面白いなと思って、
やらせてもらったのが、
結構自分もいろんなところでいろんなイベントやらせてもらってるけど、
自分の代表作になったぐらいのトークイベントだったなと思うのが、
やっぱおたけちくはっていうこの人物、
それでちくじり先生のパロディをやらせてほしい。
ちくじり日本画家ということで、おたけちくはの人生を。
それは一応真面目な部分で言うと、
やっぱりアートの美術館連の講演会って、
やっぱり美術展の話とか、
芸術家の話で、
もちろんそれをみんなが聞いてくれて展覧会楽しむっていうのは、
すごく意義がある。
そういうことも今までやってきたけど、
ちくじり先生のパロディやったら、
もっと人生の役に立つんじゃない?
芸大・直島での経験
その芸術家の失敗人生を振ることによって、
それで美術じゃなく生き様にも何か訴えられたら面白いなと思って、
そういうのが大事ですよねって言ったら、
エンドさんもやりましょう、やりましょうって言ってくれて、
さらにエンドさんに感謝しているのは、
本当にちくじり先生のパロディやりたいから、
多分講演してるのが1時間のうち、
2、30分は普通にやって、
この後このコーナー出るという時に、
僕は番組で言う大人の若林さんポジションに行きたいから、
僕は客席の方からヤジを飛ばしたいので、
パープとかのあれは全部、
エンドさんに台本だけ渡して、
これでやってくれって言って、
エンドさんが壇上に行って、
そうだったか、確かに。
お客さんも一緒に突っ込めるような感じにしたいって言ってやったんですよ。
その時に未だに覚えてるのは、
それでこうやってる時に隣にいたおじさんが、
失敗人生みたいな話で、
おじさんどうですかって言ったら、
俺も社長やってたけど、
一回失敗してるからよく分かるよみたいな感じで、
そういう話が出たのがすごく面白くて、
やっぱり美術館の講演でそんな話出てこないけど、
こいつの気持ちわかるぞみたいな。
行き様を伝えられたわけですよね。
あれは結構面白いことだった。
でもそれはエンドさんが練習を少ししてくれたのもあって、
スクジリ先生としてやってくれるみたいな。
そうだったんですね。
パロディーとか作って、こんな感じだよって言ってやってもらった。
覚えてますよね。
幼稚園落ちたのパロディーとか。
当時の幼稚園落ちたら死ねみたいな。
保育品落ちたから死ねみたいなパロディーをね。
それで群天落ちたみたいな。
群天落ちた話とそれをやったりとか。
すごい面白いネタをたくさん仕込んでいただいて、
やったんですよね。
あれが出会いですもんね。
ネタつきやすくなるっていう話。
それで次に小倉由紀の時に読んでいただいて、
小倉由紀はセブンルールっていう番組が当時流行ってた。
小倉由紀のセブンルールを。
その時にもはや自分は富山賢美に来てたかもしれない。
あ、そっかそっか。
だから私がいないところで、
富山水木美津さんをもうトニーさんに読んでるんだと思って。
そっかそっか。
すごい嬉しかったですね、それもね。
ってことは、それであってその後にまた戻ってくるってことですね、富山賢美。
そう、富山賢美美術館に。
ちくわ展が終わったすぐ。
そうだそうだ。
翌年に多分小倉由紀って呼ばれてるけど、
その時はもう遠藤さんがなかったんだ。
だから富山賢美美術館に来てから私はちくわ展の返却しましたから。
あ、そっかそっか。
ちょうど年度またぎで。
あれが水木での最後の。
そうですね、最終的に最後の集大成が。
いやいや、今来たらありがとうございます。
でもそれでトニーさんに繋がれたので、それから気軽にお呼びしてしまって。
それでまた富山賢美になりました。
富山賢美を案内してもらった時に、富山賢美の当時の館長の幸山さんは、
僕が一番最初にアートテラーを始めた時の横浜美術館の館長でした。
いろんな出会いがここで繋がっていくっていう。
そういうのもあって、やっぱり変になっているわけですね。
本当にありがたいですね。
富山での新たな挑戦
さあ、ここから川浦さんが後で。
フランスからどうして富山に?
どうして富山に?
何があったんですか?
フランスから帰ってきて、何か美術関係の仕事をしようと思って。
学芸員の資格とかはもう取ってないので、何ができるかなと思っていたんですけど。
2、3年は家で家事手伝いみたいな。
家でずっと探す状態だったんですけど。
2010年、9年くらい、瀬戸内海の瀬戸内国際芸術祭があって、
瀬戸内海の島の財団で職員を募集していた。
その芸術祭に向けて大量募集していた時に、
10名くらいの採用を見た。
そこで一回行ってみて、面白いところだなと思って、
応募したら受かって、
なので、直島にずっといて、
直島で仕事を始めました。
その時はどういうポジションだったんですか?
その時に、全然広報の仕事をしたことがなかったので、
広報の仕事に入って、
フランス語ができるところで入ったと思うんですけど、
そこで広報の仕事を始めて、
2010年ということは、瀬戸内海の芸術祭は何回かやったんですか?
第1回の時です。
これからやりますという直前に就職して、
来れるならすぐ来てほしい、みたいな勢いでした。
その頃は直島に住んでたんですか?
直島は住めるんですね。
今は不動産をやろうとして、
若い人が企業的に働くんですけど、
もともとは田園で寮があって、
だけど寮から出るってなった時は、
口コミとかで土地の人が貸してくれるみたいな家とかがあって、
最終的には一軒家を借りて住んでました。
今でこそ瀬戸内国際芸術祭って大人気だし、
この前プロジェクトXでも取り上げられてたじゃないですか。
ぐらいになってますけど、
まだわからないわけですよね、その第1回がどうなるかって。
どうだったんですか、実際第1回。
そこに立ち会っている人になかなか会った機会がないので。
私が来た時、もうすでにプロジェクトだいぶ進んでっていう形で、
ただ本当に全然どうなるかわからないっていう状況ではあったので、
結構びっくりするぐらい人が来て、
もう1回目から来て。
その時はもう船も結構出てた。
それでもやっぱりまだ対応できてなかった。
対応できてなかった。
もうパンパンで乗せたりしていて、
ちょっと怒られちゃったみたいで。
2010年にやるんでしたっけ。
2010年が最初だったと思うんですよね。
多分僕も行ってはいます、中盤ぐらいには行ってて、
だけどまだ手島美術館を建設中でしたよね。
始まりが夏だったんですけど、
手島美術館は10月オープンっていう形だったので、
始まった時にはまだオープンできてなかった。
多分8月とかに行って、手島美術館があったらできてたのにって思ったのは覚えてるんですよ。
でも確かにもうその時点で人多かったですね。
最初は7島でやり始めてっていう形だったんですけど、
今はね、もう今年すごい増えてる。
びっくりでしたね。
そこで直島に何年ぐらいいたんですか?
直島で9年ぐらいいましたね。
そこからの富山?
いろんなところがある中で選択して、
富山を選んだ理由ってあったりするんですか?
多分でも広報の仕事ってそんなにないんですよね。
美術館って広報を募集するみたいな。
たまたまその直島時代の同僚が美術館で一緒にお仕事をしていたりして、
私がそろそろ他のところに行きたいなみたいな話をしていたので、
ちょうど広報の仕事を募集してるよって言われて、
やっぱり一回来てみて面白いなと思って受けたっていう感じですね。
今年で何年?
こっちの近代美術館時代じゃなくて、
富山県美術館になってからは最初から?
じゃないです。
私の前にも広報担当の方がいらっしゃったので、
今年で何年ぐらいかな?
広報さんという立ち位置からして、
富山県美術館の魅力っていったらどう伝えるんですか?
本当に子どもさんが来ても面白いみたいな美術館ではあるなと思って、
盛りだくさんなイベント
開かれた美術館って、
ちょうどこの2017年に作った公立美術館って、
みなさん開かれた美術館っていうキーワードで作ってはいるんだろうなと思うんですけど、
建築とかだけではなくて、ソフト面もかなり力を入れてるなっていうのがすごくあって、
あんまり知らなくて来ても楽しめるところはあるかなと思いますね。
広報さんは一人ですか?体制としても。
今は二人でやってますね。
結構大変ですか?二人でカバーする。
そうですね。
多分この番組で広報のゲスト二人目があって、
千葉市美術館の方が出てくれた。
千葉市美さんにも広報の専属の方がいらっしゃるんですか?
広報を一人で全部やって、磯野さんっていう方がいらっしゃって。
大変。
直島自体は部門みたいな感じで、広報として一人二人ぐらいでやってて、
直島は取材のものはすごかったんですけど、
島を渡らなきゃいけないという。
その都度その都度。
その当時私はそこでやってる財団のところにいたので、
私が持っている施設があったのは三つの島で、
直島と手島と犬島という島だったんですけど、
とにかくそっちに取材行きたいって言われたら、
直島がなんとか手島に行かなきゃいけないとか、犬島に行かなきゃいけないとか、
三島を回りたいですって言われるとかいうことがあったので、
そこはちょっと大変で、
プラス企画展とかはしないので、
いわゆる学芸員さんっていう方はいらっしゃらない。
学芸資格を持っている方が入ってますけど、
何かあると自分で全部説明してもらうとかは、
それもしないですよね。
でも今は企画展とかは専門の学芸員さんにお願いしますっていうのができるので、
その辺りはすごく助かるかなという感じですね。
逆にその話を聞いて私は楽しんでいます。
トニーさんとかに説明されてとか聞いたりして、
さすが学芸員さんはとても面白いなと思って、
いろんな作品の話を聞いたりして楽しんでいます。
広報することは企画展だけじゃなくて、
コレクションも厚いからコレクションの広報もあるし、
やることはいっぱいありますよね、そういう意味で言うと。
あとすごくイベントたくさんやってるので、
お子さん向けから大人向けまでっていう形で、
企画展に関するものもやっていれば、
お子さん向けのものっていうのもすごくたくさんやってるので。
例えば一番人気、これが人気ですよとかあれば。
アトリエのオープンラボってね、いつでも工作体験できるイベントもありますしね。
今やってるオープンラボなんかもすごく人気で、
そのオープンラボをもうちょっと専門的にするワークショップ、
講師の方を呼んでいるワークショップなんかも人気ですし、
本当にお子さん向けのひよこツアーみたいな感じで、
親子で来てもらって学員さんが回るとかもすごく人気ですね。
やっぱりそれは多い方ですか、他の美術館と比べても。
うちは結構やってるなって感じです。
どうですかね。
富山県美術館のイベント活動
でも最近は僕の美術館もたくさんね、
特別多いとは思いませんけども、
昔に比べたら多いなと思いますね。
ドラマ研美術館に比べたらこんなにイベントやってなかったなって。
ドラマ研美術館になってからの一つ?
もちろんです。
たまに講演会やったり、たまにアーティストの方呼んでワークショップやるぐらいだったのが、
今それほど日常みたいな感じになってるので、
そこは大阪広報さんにちゃんと動いてもらわないと、
ちゃんと伝わっていかないというのはあるかもしれませんね。
それは富山県の方からこういう風にやっていきましょうよ、
それとも美術館的に自発にいっぱいイベントやった方がいいよねっていう感じなんですか?
そうです。
これの美術館の作り自体が、
結構アトリエ推しみたいな感じになってるので、
自然とそうなってたというか、
意図的にそうなってたんだと思いますけど。
アトリエ部分ですね。
企画展をやっぱりやっているので、
ただ見せるだけよりも、
いろいろ深めていただいたり、興味を持っていただくためのイベントっていうのは結構やったりはするので、
多い時は企画展6本とかありますよね、年間に。
年間に?
それプラスコレクション展があるんだ。
企画展ごとにいろんなイベントがあっていると結構多いですよね。
もう1年やることいっぱいですね、そう考えると。
別に庭園は冬は閉まるって言ってたけど、
美術館は閉まるわけではないってことですもんね。
トレーニングと個人の趣味
1年間通してやっていると。
いやー確かに。
いつ来ても楽しいね、美術館だなとは思いますけれども。
ここからはちょっと話をガラッと変えてですね、
美術以外に好きなものというのを皆さん聞いているんですか?
美術以外の好きなものっていうと何ですか?趣味とか。
難しいですね。
私はもう完全にトレーニングですね。
そうなんですか。
逆にそれしかしていない感じの美術以外は。
それは昔からやっているんですか?
富山に来てからトレーニングは。
具体的にどういうトレーニング?
筋肉トレーニングです。
ここで飲んでみてください。
ベイトトレーニングです。
あるんですか、ジム?
サービスコストをジムとか体育館に行くんですけど、
この滑水公園の中に私立の体育館があるので、
休み時間はそこでトレーニングをしたり。
業務の休み時間ができたら行くんですか、そこに。
お昼休み。
お昼休みがありますから、その時に行ったりしてたんですけど、
今は滑水工事になっちゃって使えなくなったので、
もうしょうがないと思って、とうとうジムに入会してしまって。
悔しいけれどみたいな。
朝1時間トレーニングしてから出勤。
失礼な話ですが、目的は何か?
何か出たいとかあるんですか?
そういうのじゃないんです。
もはやそういうレベルじゃなくなって、
もう自己目的が知りません。
トレーニングしたいからしてるんです。
きっかけは何かあったんですか?
はじめはストレス解消だったはずが、
もはやそれでするなくなって、
向き合う自分にみたいな。
そんな感じですね。
そういうのやってる人って、
例えば今日は無と鍛えようとかあるじゃないですか。
そういう感じで、
今日は何の日?
明日は何の日?ってプログラムが決まって。
ほぼ毎日やる?
ほぼ毎日。
下手したら朝行って夕方行くみたいな。
そういう日もありますし。
やらないとって感じ?
やらないと。
健康のためとかじゃん。
健康をかわしてるじゃないかって思うぐらい。
やってますね。
あんまり美術館の人は聞かないです。
本当ですか?
聞かないかも。
授業後の人で何人か聞いたことあるんですけど。
だからもうベンチプレスとか。
今何キロ上げてるんですか?
100キロが上がるようになりましたよ。
すごい。
そういう話を誰かとするんですか?
する人はいないですよね。
でもそれこそ学芸員の仕事で、
いろんなところに行くじゃないですか。
やっぱりやってる人ってわかるって言うじゃないですか。
ライダーやってますねみたいな。
今まで美術館回ってきて、
あれオタクのですか?みたいな人はいない?
あんまりいないかもしれない。
やっぱり業界的には女性の方多いじゃないですか。
それでやっぱりわからないですよね。
確かに。
あとやっぱりこういう服着てるとわからないじゃないですか。
これがTシャツになると一気にもう形が出てきて、
やってるんですか?って言われることがありますけど。
普段、ギャラリートークの時には
カンクトップとかではやらないんですよ。
それ変態でしょ。
せっかくならやってくるんですよ。
それやるんだったら、私ちょっとその前に
何か入れたギャラリートークも宣伝しないといけない。
でもそれを目当てに気に来てくれる人もいるかもしれない。
やっぱり入り口大事だと思うんですよ。
結局エンドタの筋肉は見たいって言ってきたけど、
ポークが面白い美術って面白い美術家はやらないかもしれない。
やらめのギャラリートークですけど。
一切筋肉には触れずに、ただただタンクトップってやってる。
それはそれで真意ですよね。
タイマー来た時は60キロだったんですよ。
今70キロありますから。
じゃあもうそんだけ筋肉で。
これからもさらに上げていく。
どこに向かってるのか自分でもわからない。
開会出たいわけでもないですから。
もしくは展覧会で筋肉となんとかみたいな展覧会を。
そういうのでもないんですよね。
何のためにやってるのか自分でもわからない。
これは美術に結びつけはないんですか?
もちろんないです。
少しでも腕が太くなるようにとか、
少しでも背中の筋肉がつくようにとか、
総合品が見えてるとか。
美術って美術士の勉強とかもそうですけど、
やった効果ってわからないじゃないですか。
勉強の成果って見えないじゃないですか。
展覧会になるとか、
そういう大きいイベントはたまにあるにしても、
常日頃の努力の成果が目に見えないという中で、
筋トレは目に見えて変わってくる。
自分の努力次第でどうにでもなるから。
やっぱりそうなんですよね。
誰か仲間を見つけてほしいですね。
今は背筋、
だんだん自分では見えない筋肉を作っている。
見えるのって話をしてたはずなのに。
だんだん腕とか胸はもうだいぶついてきたなと思って。
背中ですね。
富山の食文化
背中。
自分の番組で言うのもなんですけど、
遠藤さんの今背中ですねって発信が来ている番組はこれだけです。
奥深いんですよ、背中は。
まだ続けてるよ。
そろそろ美術の話を。
いい筋肉の話いいですか?
そろそろ筋肉の話をじゃないんですよ。
カールさんはどうなんですか?
私も何っていうのが、
昔は読書が好きだったんですけど、
だんだん離れてしまって、
好きだったのは料理とかです。
割と自分で作れそうなものを作るとかは好きかもしれないですね。
味噌を作ったりとか。
そのレベルで。
梅干しとか作って。
今住んでるとこが全然日当たりがあまりなので、
梅干し作れなくて毎年梅干し作りたいなと思ってるんですけど。
そういうの作って美術館に持ってきたりとかもあるんですか?
しないです。
押す分けしてくれたりして。
押す分けしたらみんな喜ぶのかしら?
梅干しとか梅干しは嬉しいです。
家庭三家の野菜持ってきてくださる方いらっしゃいますし。
野菜も畑も作れたらやりたいですけどね。
なかなか一人暮らしなのでそこまでいけない。
でもこちらのレストランはこだわりのレストランじゃないですか。
そこにだから食材として。
業者がいないですよね。
毎日料理を?
ほぼ毎日します。
それも腕が上がっていくのが楽しいとかもあるんですか?
そこはあんまりないかな。
どっちかというと食いしん坊になると思います。
美味しいものを食べたい。
お酒も好きなので。
富山に来て日本酒の美味しさに目覚めてしまって困ってます。
そうなんですか。
最後にグルメ情報とか。
美術館にも来てもらうだけじゃなくて
この辺りでこういうの美味しいよとか
こういうお店をお勧めだよってあれば
ぜひ地元情報は。
やっぱりお寿司は。
そうですね、お寿司ですね。
居酒屋さんも普通にお刺身出すので
お刺身も本当に美味しいですね。
いわゆる大衆確保といわれるものが
富山には文化なのかわからないですけど
居酒屋ですごく美味しいものが
割とリーザブルに食べられるんですよね。
だから割とお客さんが来たりして
案内すると喜ばれますよね。
僕たちもそうですけど
お酒を飲みながらホタルイカ食べたり
ブリ食べたり
白エビ、最近獲れませんけど
食べたりというのが
富山の名物としては。
美味しいお店は本当にいっぱいありますよね。
僕も一回連れて行って
酒屋ですか?寿司屋?
寿司屋です。
ストロングスタイルだから
お酒も出さないで寿司だけみたいな。
でもめちゃくちゃ美味しいですよね。
美味しいなと思ってて
ここに来たら寿司だなと思ってたんですけど
焼肉大将軍
富山は魚と思ってたら
焼肉も美味いのかみたいな。
そうですね。
でも寿司ほどじゃないですよね。
もちろん美味しい焼肉もあると思いますけど
やっぱ寿司寿司寿司かな。
回転寿司でも美味いっていうのが富山。
富山が外国に選ばれてませんでしたね。
ニューヨークタイムズか何かの
行くべきところみたいなことですよね。
それでも寿司もあるしみたいな感じで
選ばれてましたよね。
記事だとガラス美術館ばっかりフィーチャーされて
富山県美術館はフィーチャーされてなかったんですよね。
ニューヨークタイムズに。
悲しいなって思いましたけど
でも最近は本当にインバウンドのお客さん
富山県美術館も多いですから
アジア系の方とか
ほとんど中国の人しかいないんじゃないですか
ってぐらいの時ありますから
ありがたい限りで。
富山県美術館の魅力
確かにこの番組で
今まで番組の時に言ってなかったんですけど
富山って言って美術館って言うと
みんな富山市ガラス美術館を思い浮かべる人も多いってことですかね。
あちらが熊本県の建築だったりすると
みなさんはいろんな機会に
熊本県の名前が大きくなっていると思うから
あちらを目指して行かれる方っていうのは
どうしても多いとは思いますね。
そうか。でもまあ
アクセス的にもどうですよね。
でもあるけどこっちはこっちで
ってことですもんね。
1回来た人とかはすごくいい
っていうのはわかると思うんだけど
なかなか初めどうやって来てもらうかっていうのは
やっぱり考えちゃいますよね。
ここって何もないじゃないですか。
関西公園っていう公園はあるけど
他にないじゃないですか。
こっちで富山県美術館の周りで
こんなお店オススメありますよ
はあるんですか?
ないですよね。
富山県美術館の中に
素敵なカフェとレストランはありますけど
このエリアっていうのは
本当に昔の木場っていう土地の
住所の名前からわかるように
駅裏とか
人があんまり住んでない場所というか
公園だった場所だったり
昔の富山の人は木場っていうので
木が音楽とかに置かれていたというか
あんまり綺麗じゃない場所
駅裏っていう場所だったらしいんですよね。
それもあって
駅北に美術館を持ってきて
少し人の流れを
関西公園も整備して
っていう県の施策ですけど
住宅地はあるけど
商業施設的なものが
この周りにはあんまりないんですけど
病院があったり結婚式場があったり
あんまり食べるところも
そんなに多くないので
お客さんが来て
お昼どうしたらいいですか?
って言われると
すごく困っちゃうんですね
中のレストランでは
カフェがオススメなんですね
旧館尾がどうしようかなって
近くのコンビニ紹介するしかない
屋上庭園は飲食は?
一応
広げて飲食することは
ご遠慮いただいて
ピクニック的には
ベンチに座ってであれば
特にはいいですよ
駅でマス寿司を買って
持ってきて
ベンチ座って
立山連邦を見ながら食べるみたいなのは?
そのぐらいだったら
なかなか美術館なので
推奨はできない
関西公園の方だったら
のびのびと
そうかそうか
駅前で
食べていただいて
こっちに来て
館内のカフェも
レストランもとても美味しいので
空いてるときはぜひ利用してほしいなと思います
特におすすめメニューとかはあるんですか?
3階の
ビビビとジューリーというレストランは
有名な
シグネチャー料理といえる
コンポジションプレート
という
ちっちゃい小鉢がたくさん付いている
ランチセットみたいなものがあって
ちょっと値段はしますけど
とても美味しいので
あのはじめしゃちょーも食べたい
あのはじめしゃちょーも食べたコンポジションプレートは
初めて来た方はぜひ
召し上がっていただきたいなと思います
あのはじめしゃちょーが食べてる動画のとき
僕は食べさせてもらえなかった
信仰としてね
はじめしゃちょーのファンの皆さん
ぜひ美味しいとおっしゃってください
1階のカフェも美味しいベーグルの
いろんなプレートがあるので
上でも下でも美味しいと思います
あと最後にあれでした
たまに今でも
スタッフさんを募集したりするの
監視員さん的な
昔取材させてもらったんですけど
ここのスタッフ監視員さんになると
三宅一生の
制服を着ることができる
ここの制服は三宅一生さんの
5種類ぐらいの
色ですかね
5色あるんだよ
海水色って違うんでしたっけ
1階が赤と白
そういうのも
制服も見どころだったりとかね
いろいろと見どころの多い
富山顕美ですので
富山顕美応援団としては
2時間かけて
結構いけたんじゃないかな
と思うんですけど
反省点としてはやっぱり
途中の筋肉の話は
何の話をしてたんだけど
私見るのにふと振り返って
何だっけ
完全に忘れて話してたかもしれない
すみません
いいですけど
改めて最後
告知をよろしくお願いいたします
このちょうど配信の時は
デザイナーの冒険展
前回もお知らせしましたが
やっているところになります
これ今
イベントたくさんやります
美術館の飲食オプション
これも今予定では
毎週土曜日に
デザイナーさん呼んでトークイベントしようか
毎週土曜日ですか
何回やるんでしょう
期間中毎週ですが
12月の終わりに
もしかしたら
一回お休みいただくかもしれない
休んでいいですか
申し訳ないけど一回休みます
やろうかという話になっているので
ホームページとかで
情報を出していきますので
ぜひチェックしていただいて
気になる方がいらっしゃったら
聞きに来ていただけたらなと思います
そしてせっかく
その次の展覧会
2026年の展覧会
2月7日から4月の
今5日までの予定で
パッチポッチ藤枝隆治の世界
という展覧会を
全然違う方向に来ました
デザイナー同士の
デザイン的なところですが
パッチポッチステーション
グッチユーゾーさんが
言いました
パッチポッチステーション
フックブクロ
クインテッド
アートディレクションをした
藤枝隆治さんという
デザイナーの展覧会を
当館でやるんです
藤枝美術館で初めの会場が
オープンしても終わりましたけど
2番目の巡回先が当館になっています
今ちょうどこの収録している時には
ピタゴラスイッチの
佐藤雅彦さんの横浜美術館展覧会が
すごいお盛り上がりですから
いいテレ好きの方には
パッチポッチ
パッチポッチとかのパペットの本物が
来ますから
お好きな方はぜひ見に来てください
途中イベントでグッチさんが来る時は
来ないとなりますけど
久々に
多分
世代の人にとっては観て育ってますからね
たくさんあると思います
これが2026年2月7日から
4月5日まで
開催しているそうでございます
遠藤さんも
告知があるということですけれども
今年の
11月の頭頃から
コレクション展の
拡張展示のような形で
去年ご寄贈いただいた作品の
お披露目展のようなものを
開催する予定があるんですけれども
その中で
私が担当として力を入れているのが
美術手帳の
美術出版社の
編集を長く務められた
上甲みどりさんという方の
急増資料作品を
去年寄贈しまして
それをお披露目するという展示を
今準備中なんです
具体的にどういうものが見れるんですか?
上甲みどりさんというのは
聞いたことがありますか?
聞いたことがない方も多いと思うんですが
美術出版社で
約50年に渡り
編集者として活躍した
大変伝説的な
知る人と知る
編集者の方で
その方が持っていた
美術品であるとか
資料というのは
手紙のやり取りとか
出版する際に作っていた
編集用のファイルとか
そういったすごく貴重なものが
たくさん当館に
頂くことができたんですね
なかなか上甲さんの
あまりほどではなく
例えばドモン県の古事巡礼という
写真集を編集したのが
上甲さんだったり
あと有名なシカゴシカゴ
という有名な写真集の
編集をしたのも
上甲さんだったり
岡塚之介さんとか
狛井哲郎さんだとか
そうするたる芸術家たちを
サポートして
すごく有名なレゾネとか
ハタログをたくさん作った方が
上甲みどりさんという方なんですよ
上甲さんはもとやのゆかりなの
滝尻修造とも
とても親しい方だったので
滝尻さんが亡くなった後の
お墓を作る
お手伝いもしたり
孔子に渡る
上甲みどりさんの展示
付き合い
生前も
亡くなった後も
ご家族の方をサポートしたり
する中で
いろんな資料を
たくさん集まってきて
それが今豊保県美術館に
上げているんですよ
初披露になるということですね
上甲さんは
ご生前もいろんな学芸人さんとか
美術の研究者からの求めに応じて
資料を気前よく
貸し出したりはしていたんですけども
美術館として一つの施設で
まとめてお見せするということも
初めての機会になるので
かなりマニアックな展示には
なりますけども
興味のある方はぜひ
11月からの豊保県美術館の
コレクション展も楽しみに
来ていただきたいなと思っています
その準備
絶対見たいなと思うんですけど
その準備をしているのに高校時代
誰も読まない美術成長みたいな
2回くらい見てましたよね
上甲さんが編集していた頃のやつ
いやいや違いますよ
上甲さんが美術成長の編集をしていたのは
1952年から
1962年から
60年くらい
60年以降は書籍の編集に
移ってやられています
じゃあその時の美術成長
言っても大丈夫だ
そういうことではないですけど
読んではいたんですけど
誰も読んでなかったけど
自分しか読んでなかったという
これは貴重なものですから
さああっという間にお時間がやってきました
富山県美術館への招待
最後にお二人の感想を伺えたらと思いますが
どうでしたか
もしくは皆さんへのメッセージでもいいですけれども
皆さんへのメッセージ
是非富山県美術館には来てほしいですね
本当に
なかなか
金沢は行くんだけどなっていう
考えられると思うので
ついででいいので富山においてください
という提出で
愛心みたいな
2番目でいい
金沢来る時は富山にも来てください
これからも言い続けたいと思います
はい皆さん是非
そして遠藤さんの
タントップ姿が見られることも含めて
楽しみにしたいと思います
お二人どうもありがとうございました
ありがとうございました
ということでこの番組は不定期配信です
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58:30

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