絶望の意味
おはようございます、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時8分です。
横浜の空は、ですけれども、
どちらかといえば、明るくて若干晴れも見えているというような感じでしょうか。
か、どうやら梅雨の走りということらしく、
まだ5月なんですけれども、来週からは曇りがちな天気が多くなるというふうに聞いています。
それはそれとして、今朝は今年になって初めて半袖で出てきましたね。
まあそういう季節ということなんでしょうか。
はい、季節が変わりゆく中で、今日もお話を始めていきたいと思います。
昨日はあえて少し辛口なトーンでですね、
習慣が途切れる言い訳について話をしてみました。
お聞きの皆さんの中には、もしかするとドキッとした方もいらっしゃったかもしれません。
今日はまた趣を変えて、僕自身の最近の体験から、
そうですね、とても個人的な気づきと、そこから見えてきた健康とか習慣の大切さについて、
改めて話をしてみたいと思います。
今日のテーマは、一見ネガティブに聞こえるかもしれない、
絶望、そんな感情についてです。絶望ですね。
でも実は、絶望できるということ自体が、ある意味では自分の中にエネルギーがある証拠であって、
その裏には希望、希望があるのかもしれない、そんなお話です。
では皆さんは、絶望するということについて、どんなイメージを持っているでしょうか。
僕が最近、強く感じているのは、絶望できるのは、その先にまだ希望を見ようとしているからではないのかと、
そんなことを感じています。
もし本当に何もかも諦めて、何の希望も持てなければ、
人は絶望という感情すら抱かないのかもしれませんよね。
そしてもう一つ大切なのが、心や体が健康でなければ、絶望すらできないということなんです。
絶望みたいな強い感情と向き合うためには、それにふさわしい精神的かつ肉体的なエネルギー、これが必要なんだと思うんですよね。
絶望するにもエネルギーがいるというのは、僕にとって大きな発見でした。
ではそのエネルギーすらなくなってしまったとき、人はどうなるんでしょうか。
それは絶望というよりも、むしろもうどうでもいいやとか、もう何も考えたくないというような一種の無気力、無関心な状態に近いのかなと思います。
そしてこのどうでもいいという状態こそが、実は自分の内側からの危険な赤信号なんじゃないかと、
僕は思うんですよね。実はこの感覚は、僕自身が最近身をもって体験したことでもあります。
心身の健康とエネルギー
なのでというか、ここで少し僕自身の話をさせてください。
ある時から急になんですけど、僕の体に異変が起きました。
慢性的な胸の使いがずっと続いて、胸のあたりの違和感ですよね。飲食がまともにできなくなってしまったんです。
一番ひどいときには本当に一滴の水、一滴の水さえ口にするのが嫌になってしまうほどで、胸に強い違和感があったんです。
当然食事もほとんど喉を通らない結果として、短期間で体重も大きく落ちてしまいました。
今もまだいろいろと検査を受けている途中で、断定できるこれだという原因が分かってはいません。
ただ薬のおかげもあって、以前よりは少しずつ飲食、飲んだり食べたりができるようにはなってきました。
この体験を通して僕が痛感したこと、それが本当に心身の健康を損なうと、人は悩むことさえできなくなるということです。
悩むとか心配するとか、あるいは今日お話している絶望するといったネガティブにさえ聞こえる感情も、実はそれを感じるためには相当なエネルギーが必要なんだと身をもって知ったということです。
一番ひどかった時期の僕がどうだったかといえば、何かを深く考えることができなくて、ただただぼーっとする。
そしてできるだけ横になって体を休めることしかできませんでした。
喜びも怒りも悲しみも、そして絶望さえもどこか遠く霞んでしまうような、そういう感覚だったんですよね。
この経験から僕たちの感じる力とか考える力というものが日々の体のエネルギーに支えられているんだなと改めて気づかされたということです。
ではこの絶望すらできない状態を避けるため、あるいはその手前で自分の異変に気づくためには、僕たちの日々の習慣はどう関わってくるのか、そんなことをこの後少し話をしてみます。
まず何よりも体と心ですよね、心身のエネルギーレベルを高く維持するための基本的な習慣が土台として必要だよねと思っています。
例えば良い睡眠の習慣、これは脳と体を回復させて感情を安定させるために最も重要だと言われていますよね。
次にバランスの取れた食事の習慣、これも睡眠と同じく当たり前と言えば当たり前なんですが、僕自身食事が取れなくなった経験から食べられることのありがたさとか、そして食事がエネルギーの源であることを痛感しています。
そして適度な運動の習慣ですよね、体力を維持して一方ではストレスを発散させることができて気分を高める効果もありますよね。
こういった土台、習慣の土台がしっかりしていて初めて僕たちは日々感じることができてそして考えるエネルギーを得られるんだと思います。
さらに心のエネルギーを守って高める習慣も大切ですよね。
例えば質の高い休息を取るとかリフレッシュの習慣、時には積極的に何もしない時間を持つことも心のエネルギー回復には必要ですよみたいなことは話をしたことがあります。
また自分を守るための境界線、きちんと引こうよという習慣、無理な頼み事を断る勇気を持つことも自分のエネルギーを守ることにつながるんだよねとつい最近そんな話もしました。
そして自分の感情と向き合う習慣、例えばジャーナリング、メモ書きですよね、それをしたり内省の時間を持ったりすることで感情を溜め込まずに心の消耗を防ぐことができる、これも割と最近の放送でお話をしたところです。
習慣の重要性
そうやって日々の習慣によって心身のエネルギーが保たれていれば、もしこんなに直面して絶望に近い感情を抱いたとしてもそれは決して悪いことばかりではないのかなと思うわけです。
なぜなら絶望を感じられるということはまだそこに希望があってそれを求めるエネルギーが残っている証拠だからですよね。
その絶望は何かがうまくいっていない、何かを変える必要がある、そんな自分自身からの重要なサインだと捉えることはできます。
そのサインを受け止めて状況を変えるための一歩を踏み出すエネルギーがそこにはまだあるということなんです。
今日の僕の話は少し重たく感じられたかもしれません。
でもこの体験を通じて僕は感じるということの大切さ、ネガティブな絶望でさえ感じられることの大切さ、そしてそれを支える日々の何気ない習慣の重要性、これを今までない以上に強く感じています。
もうどうでもいいという無関心の沼に沈んでしまう前に自分の心と体に耳をすませて、自分のエネルギーレベルを把握すること、そして日々の小さな習慣が僕たちの感じる力、引いては生きていく力そのものを支えてくれているんだということを忘れずにいたいと僕は思っていますよということです。
さて、あなたが最近心が大きく動いたのはどんな時でしたでしょうか。喜びでも悲しみでも怒りでもあるいは絶望でもです。
その時あなたはどんなエネルギー状態だったか、そしてその感じる力を支えてくれている日々の習慣は何でしょうか。
明日からの週末は少しそんなことを考えてみるのもいいかもしれませんね。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
明日もまたあなたの毎日をちょっとでも良くする習慣のヒントをお届けできればと思っています。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。