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2025-05-03 12:44

#307/「何もしない」と「ダラダラする」は全然違う

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #何もしない #ダラダラする
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サマリー

このエピソードでは、「何もしない」と「ダラダラする」という二つの行為の違いに焦点が当てられています。主体的に何もしないことが自己肯定感を高め、心の回復につながることが強調され、選択的な時間の重要性が語られています。

何もしないとダラダラするの違い
おはようございます、モロトメ ジョーです。 今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。 時間は4時47分です。
横浜の空は綺麗に晴れていますね。
昨晩、めちゃくちゃ、 風と雨もすごかったですかね。
時折、雷も鳴っていたような気がしますが、
今朝は打って変わって穏やかな朝を迎えています。
これからゴールデンウィークの後半、 始まりますよね。
4日間、休みになるんでしょうか。 皆さんはどんな予定を決めていますか、ということにも関係がある
テーマを今日はお話ししていきます。
何もしないとダラダラするは全然違う。 そんなテーマです。
何もしないのとダラダラするのは全然違うよね、というお話です。
ではということなんですけれども、 何もしないとダラダラする、どちらも同じじゃないかと、もしかしたら
思われるかもしれません。 動いていないとか、
仕事をしていないとか、 あるいは誰かと関わっていない、みたいなことで言えば、
何もしないのとダラダラするのも同じように見えるじゃないかと、 肌から見れば、
どちらも同じようにただ座っているだけかもしれません。 実がその中身は大きく違うよねと、
中身というのは自分の内面、内側、みたいなことでしょうか。 あるいはどんな意識を持っているのかということです。
これが何もしないのとダラダラするのを分けている決定的な境目になるのかなと思います。
まずダラダラするというのは、 大体において
受け身なんですよね。受動的とも言いますでしょうか。 例えば気づいたらスマホを開いていて、
そのままSNSを眺めていたり、動画を見始めたり、
さらに気がついたら何十分も経っていた、何時間も経っていた、 あるいはソファーやベッドの上でテレビを眺め続けていましたとか、
はい、とはいえこういう状況は誰でも一度は経験があるんじゃないかとも思います。
そしてそういった時は、 楽に感じるという特徴もありますよね。
はい、ダラダラするというのは、ダラダラしている時には楽に感じるという特徴があると思います。
でも後でふと気がついた時に、我に帰った時に時計を見て思うんです。
もうこんな時間なのかと焦りますし、 しかも何にもしていなかったという
罪悪感ですよね。やってしまったという罪悪感がじわじわと
やってくるという、そんな特徴があるわけです。 結局
なんだか無駄な時間を過ごしてしまったなとか、 もったいない休みになってしまったなと感じることになるんですが、
なぜそうなってしまうんでしょうかということです。 それは
自分で選んで過ごした時間じゃなかったからですよね。 ただなんとなく流されてしまった1日だったから
後悔もあるわけです。 自分の意思がそこにはなかったという言い方もできるでしょう。
一方で、何もしないというのはダラダラとはちょっと違います。
主体的な選択の重要性
何が違うかというと、 こちらは主体的なんですよね。自分から選び取る。
例えば、あえて予定を入れない。 わざと予定に空白の時間を作る。
今日は1日何もしないのんびり過ごすと決めている。
というように、 見た目は変わらないかもしれません。何もしていない。
動いていない。仕事をしていない。とか、そういう見た目としては、 肌から見れば変わらないのかもしれないんです。
ぼーっとしている。だらけているように見えるかもしれません。でもそこには選んでそうしている。 自分が選んでそうしているんだという意思や意識があるわけですよね。
例えば、目的地は決めずに散歩をする。 ベランダに出て、ただただ空を眺めてみる。
やっていることは少ないというか、むしろ何もしていないんですけれども、 自分の中ではそうしたいからそうしているという意識があるわけです。
この意識があるかどうかが大きな分かれ目だと思っています。 この辺り、心理学的にも当てはまるというか、
裏付けがあるんですよね。それは主体的に選んだ時間の方が満足度が高いということが、 研究でわかっています。
同じ1時間を過ごすにしても、気づいたら終わっていた1時間と、 何もしないと決めて過ごした1時間では、
人の脳は全く違う評価をするんですよね。
違う評価というのは、気づいたら終わっていた1時間というのは記憶に残りにくい。 そして何もしないと決めて過ごした1時間というのは、ちゃんと休んだ。
自分の時間を使ったという自己肯定感が上がるわけなんですよね。
気づいたら終わっていたという1時間は記憶にも残りにくいし、 自己肯定感も下がるということがわかっています。
だから僕たちは時々でもいいので、何をしたかということよりも、 どう過ごしたかを自分に問い直すというような必要があると思うんですが、いかがでしょうか。
それに、脳、頭ですとか、心の回復という意味でも差は大きいということなんですよね。
何もしないこと、ダラダラするのでは、脳や心の回復にも差が出るということです。
スマホを見続けたり、刺激の行為、情報を浴び続ける、そういうことばかりしていると、脳はずっと処理をし続けている状態になってしまいます。
自分は休んでいるつもりでも、実際は休めていない脳も心も常にフル稼働みたいなことはあるわけです。
休暇の充実度について
見えないところで脳は疲れを積み重ねていって、それはそれで良くないことはわかりますよね、と。
だからこそ何もしない、主体的に何もしない時間が必要になるんじゃないかというお話です。
余計な情報はきちんと遮断をして、静かな環境でただ自分に戻る。
それが本当の意味での回復につながるんじゃないでしょうか。
この違いは習慣にも影響すると思うんですよね。
だらだらと受け身の日が続くと、やろうと思っていたことを後回しにするじゃないですか。
そしてまたできなかったという気持ちを、後悔を繰り返すようになります。
すると自分はできない人間だという思い込みもイメージも染み付いちゃうんですよね。
その反対に今日は何もしないと決めてそうしたのであれば、たとえ行動がゼロだったとしても心は軽くなるはずです。
今日の予定は、主体的に休むという予定はちゃんとこなせたんだという感覚があるからです。
自ら選び取った時間を過ごしたんだと、そういう感覚ですよね。
そういった何もしないという行為、選び取った行為というのは、
例えば食事とか睡眠、そういった基本的な行動、そういったところにも影響するんじゃないかと思います。
つまり自己肯定感があるのかないのかによって、普段の基本的な行動も何かしら多かれ少なかれ影響を受けるよねということです。
そして最終的には、主体的か受動的か受け身かという差が人生全体の充実度にも関わってくるんじゃないかと思っています。
ダラダラして過ごした休日というのは、なんとなく終わってしまったという印象が残りますし、
一方で何もしない、これを主体的に選んだ休日であれば、静かに過ごせて体も心も休まってよかったなと、そういう感触が起こるんじゃないかと思います。
そしてこの違い、この差が何度も積み重なっていくと、人生にも差が出るということですし、
主体的に何もしないという生き方であれば、自分の人生を生きているという実感にもつながるんじゃないかと考えているわけです。
だからこそ、今日はお伝えしたかったということですが、ダラダラするというのは放っておかない方がいいよということですよね。
言われてみればそりゃそうだということなんですが、改めてお話をしてみたということになります。
何もしないということは、ちゃんと選ばなきゃできないんですよね。
繰り返しですが、本当の何もしないというのは、自分が選び取った時間、主体的に選び取った選択ということになります。
ダラダラして過ごすということとの違いが、休日の充実度を違ったものにするんでしょうし、
あるいは毎日の習慣の軸を支えることにもなるんでしょうし、引いては人生の満足度にまで影響するんだという、そんなお話をしてみました。
せっかくの連休です。ゴールデンウィーク。予定を詰め込むのもいいでしょう。
ただその予定が受け身的ではないのかと、ダラダラするということばかりではなくて、
仮に予定が詰まっていたとしても、その予定は主体的に選び取ったものなのか、受け身ではないのかという見方もまた必要なのかなと思っています。
やらされているような予定ではないか。そんなことですよね。
だとしたら、時には何もしないという選択を自ら選んでみるというのはどうでしょうかと、まだゴールデンウィークは4日も残っています。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。
12:44

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