忘れることの重要性
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
さて、最近、富山茂彦さんの名著、
「思考の生理学」という本を読む機会がありました。
ロングセラーなので、読んだことがあるという方も多いかもしれませんが、
もし、まだ読んだことがないよということであれば、
ぜひ機会を見つけて、一度読まれることをお勧めする、そんな本です。
それは、それとして、学びの秋とか、読書習慣というと、
僕たちはどうしても、いかにして新しい知識をインプットするか、いかに清くするかという、
言うなれば、足し算ばかりを考えてしまいがちですよね。
でも、先ほど言った本の中にもあるように、
本当に大切なのは、何かを覚えておくというよりも、
いかにうまく忘れるか、ということなのかもしれません。
特に過去への後悔とか、未来への不安とか、あるいは何々すべきというような自分を縛る思い込み、
そういった心を重くする執着から離れるために忘れる技術は、
情報型の今だからこそ必要な積極的な習慣なんじゃないかと、僕は改めて感じています。
そこで今日は、忘れることを練習するというテーマで、
僕自身が執着を手放すために実践している4つの習慣についてお話ししてみようと思います。
執着を手放す4つの習慣
まず1つ目は、書くことで忘れる習慣です。
頭の中であれもこれも忘れてはいけないと考えている状態は、脳のメモリーを圧迫し続けて心を疲れさせます。
僕が普段からメモ書きを実践しているのは、もちろん覚えておくためという側面もありますが、
それ以上に安心して忘れるためなんですよね。
頭の中にあるモヤモヤとかタスク、そういったものを一度ノートやアプリに全部外に出す。
そうすることで脳に対して、もうこれは自分が覚えておかなくても大丈夫なんだよと許可を出してあげることができるんです。
そして2つ目は、体で忘れる習慣です。
どうしようもない不安とか過去の失敗が頭の中でぐるぐると再生されてしまう、いわゆる反数思考ありませんか。
そんな時は頭で考えるのをやめて、体の感覚を強制的に研ぎ澄ませるのはどうでしょう。
例えばサウナの暑さや水風呂の冷たさ、あるいは僕が普段やっている散歩とかジョギングとかで足から感じる地面の感触、
そういった五感をフルに使うと意識が今ここの感覚に戻ってきて、頭の中を支配していた執着から強制的に意識を引き剥がすことができます。
そして3つ目は、没入で忘れる習慣です。
自分の悩みや執着から離れられないのは、僕たちが自分の視点に閉じ込められているからです。
そんな時に読書は強制的に他人の視点や物語の世界に没入させてくれる絶好の避難場所になります。
自分の小さな問題を一時的に忘れて全く別の世界にトリップする、そして本を閉じて現実に戻ってきた時には、
あれほど大きく感じていた悩みが少しだけ小さく見えたりどうでもよくなったりする、そんな効果が読書にはあると思っています。
そして最後4つ目が、委ねて忘れる習慣です。
結局のところ、僕たちの脳は寝ている間に情報を整理して不要なものを忘れるようにできています。
寝る間も惜しんで考えるのは、一見頑張っているようですが、実はとても非効率です。
それよりも質の良い睡眠こそが最高の忘れる技術であって、新しいアイディアを生む土台となる余白を育ててくれるんだと信じて、夜はあれこれ考えずに睡眠に委ねてしまうということです。
というわけで、今日は忘れるを練習する習慣についてお話ししてみました。
忘れるということは何かを失うようなネガティブなことでは決してありません。
それは心を重くする執着を手放して、新しい自分やアイディアが入ってくるための余白を意識的にデザインする、とても積極的で創造的な習慣なんだと僕は思っています。
さて、あなたが今日そっと忘れてみたい執着は何でしょうか。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。この後も良いチャレンジを。それではまた3日後にお会いしましょう。