習慣の価値を探る
おはようございます、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時19分です。
横浜の空はどんよりとした曇り空という感じで、
なんかこのところ晴れませんよね。
しばらく曇りが多いという天気らしいですが、
まもなく大型連休ということで、
どうでしょうかね、お出かけをする方はちょっと残念な日もあるかもしれませんが、
それはそれとして、今日もお話を始めていきたいと思います。
テーマは失って気づく習慣の価値ということで、
いつも通り習慣のお話ではあるんですけれども、
今日は失って気づく習慣の価値です。
さてということですけれども、
よく大事なものは失ってみないとわからないという話がありますよね。
それを習慣と絡めてというのが今日のテーマになります。
僕たちの日頃というか日常、
当たり前のように続けている習慣ありますよね。
例えば僕だったら、今こうして散歩をしているとか、
あるいは音声配信を毎日しているとか、
あとは読書なんかもそうですし、
朝はメモ書きというような習慣もあったりします。
あなたにもいろいろな習慣があるはずだと思いますが、どうでしょうか。
そういった毎日やっているようなものは特になんですけれども、
もはややっているという感覚さえないくらい自然に馴染んでいる、
そんな行動もあるんじゃないかと思います。
だけどということですが、
そんな習慣が何らかの事情、何らかの理由によってできなくなったとき、
そのときになってようやく気づくんですよね。
習慣の喪失感
あの習慣って結構大事なものだったんじゃないか、そんな気づきです。
僕にもつい最近そんな経験があります。
少しお話ししたことがありましたが、
以前からちょっと体調を崩し気味なんですけれども、
そのときに一番ひどかったときには、
数日間ほとんど散歩ができなかったこともありました。
散歩に出はするんですけれども、いつものようにたくさんは歩けないということですよね。
そんな日がどうでしょうかね、1週間はあったかどうかですけれども、
そのくらいの間、いつも通りの散歩ができなかった。
言ってみれば歩かなかっただけなんですけれども、
その数日の間で自分の頭の中がですね、
なんていうんですかね、モヤがかかったような、
うっすら雲がかかってしまったような感じがありました。
気持ちが落ち着かないとか、頭の中が考えがまとまらないとか、
ちょっとしたことでイライラしてしまうとか、
そのときに自分は散歩をしながら調子を整えていたんだと、
散歩という習慣によって自分の調子は維持されていたんだと実感したわけですよね。
なので、メモ書き、僕は朝やっていると、
そんな話をしたこともあると思います。
ここで言うメモ書きというのは、ただ単にノートに向かって
自分の考えていることを殴り書きするわけなんですけれども、
その詳しくは今はいいとして、
そういったメモ書き、思いついたことをノートに書き出していたりすると、
やっぱり思考、頭の中の考えが整理されて、
頭の中に余白ができるというか、すっきりするというようなこともあるわけです。
でもそういった習慣を1日休むだけで、
頭の回転が鈍くなったり、何だか行動も雑になったりというようなことを感じるんですよね。
習慣というのは、続いている間は空気みたいなものなので、
何気ないことなんですけれども、
そしてあるのが当然、習慣があるのが当然というような感じもありまして、
特別ありがたくも思わないというものだったりします。
ですが、亡くなったときの喪失感ですよね。
亡くしてしまったというか、その喪失感。
初めてその習慣の存在の大きさに気づくということがあるんじゃないでしょうか。
これは健康でも人間関係でもお金でも同じですよね。
失って初めてその大きさに気づくということなんですけれども、
習慣もまたそうだということです。
習慣の維持方法
あって当たり前のうちは、それがどれだけ支えになっているかを感じにくい。
ですが亡くなったときに、それが自分を保ってくれていたんだとわかる。
習慣もまさにそういうものなんじゃないかと僕は思っています。
だからということですが、習慣を続けられているうちに感謝した方がいい。
そう思うと、そして習慣がうまくいっているときこそ、なぜこの習慣を続けているのか。
あるいはこの習慣が自分にとってどう役立っているんだろうか。
そんなことを意識してみるといいんじゃないかと思います。
それだけで習慣のありがたさ、ありがたみがじわじわと実感できるということもあるでしょうし、
あるでしょうしというかですね、とはいえなんですけれども、
忙しかったり気分が乗らなかったりして、
一時的に習慣が止まってしまうみたいなことはありますよね。
そんなときに必要以上に落ち込むのではなくて、
これが自分にとって大事な習慣だったと再確認をするチャンスだと、
そう捉えてみるのはいいんじゃないでしょうか。
習慣が止まるとちょっとショックを受けますよねと。
でもそんなときこそ、その習慣をなくしてしまったときの自分を確認するチャンスだということです。
僕自身、例えばこうして音声配信を毎日続けていますし、
発信ということでいえばブログやメルマガも毎日続けています。
そうするとやっぱりそうですね、体調が悪い日なんかもあれば、
今日くらい休もうかなと思ったことはあります。
だけどその度にこうも考えるわけです。
こうもというのは、これはもう自分の中で大事なことになっているんだなということです。
つまり休もうかどうか迷うということは、
それだけの価値をその習慣に感じているということです。
迷うということは、それだけの価値をその習慣に感じているということじゃないですかと、
逆説的にということなんですが、
本当に全く大事じゃありませんというような習慣であれば、
別にやろうか休もうかを迷ったりしませんよねと、
それでも迷うということはその習慣の大切さ、そこに気づいているからなんじゃないのと思うわけです。
そうですね、なくしてみて気づく前に今のうちに気づけたと、
そんな感覚を持てるといいのかなと思っています。
習慣が全くなくなってしまう前に一時的に止まってしまったことで、
今のうちに気づけたということでしょうかね。
とはいえということですけれども、
続けていると習慣を当たり前のように続けていると、
どうしてもありがたさが薄れていくのも自然なことだと思います。
じゃあどうすれば習慣の価値を忘れずにいられるのか、
いくつかヒントというか考え方があるのかなということですけれども、
例えば定期的に習慣がある自分のことを振り返ってみるというのは一つの方法です。
例えば週末とか月末とかのタイミングで、
この習慣があるおかげで自分はどう変わっているのかな、
みたいなことをあえて考えてみるということですよね。
立ち止まって考えてみる。
そうするとその習慣の大事さ、大切さみたいなものを改めて確認する機会になるのかなということですよね。
それからということですが、これはあらる用事なんですけれども、
一時的にやめてみると、習慣を止めてみるということですよね。
うっかり習慣が続きませんでしたということじゃなくて、
あえて1日2日習慣を止めてみることによって、
習慣がないときの自分を疑似体験、習慣をなくしたときの自分を疑似体験してみるということでしょうか。
するとやっぱりこの習慣があった方がいいんだなと再確認できることもあるでしょう。
そしてもう一つというか、先ほどお話ししたこととつながるんですけれども、
習慣がなくなったらどうなるか、これを言語化、言葉にしておくというのも有効かなと思っています。
この習慣がなくなってしまったら自分はどうなっちゃうんでしょうねということを言葉にしておくということです。
そうするとその習慣を守るということだけではなくて、
その習慣のありがたみを思い出す材料になるということでしょうか。
習慣をなくす前に言語化した、言葉にしたものを見て、
この習慣がなくなったら大変だぞということを自分で確認できるようにするということです。
いずれにしても、今のうちに習慣の大切さ、価値に気づければ、
それが未来の自分を助けることにもなるんじゃないかなと思います。
なのであなたにも続いている習慣があれば、
実はその習慣があなたの見えないところ、気づかないところで自分を支えてくれているのかもしれないですよね。
というわけでぜひ一度立ち止まって、この習慣をやめたら自分はどうなってしまうんだろうと考えてみるのはどうでしょうか。
そしてその習慣を失ったらどうなるかを言語化しておく。
先ほども言いましたが、繰り返しですけれども、言語化しておく、言葉にしておくというのはとても有効なことだと思いますので、
おすすめをしておきたいと思います。
失ってからじゃないとわからない、だけど失う前に気づけたらそれが一番ですよねと、今日はそんなお話でした。
それではこの後も良いチャレンジを。また明日。