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2025-11-12 06:17

#352/健康には自信がないくらいがちょうどいい

#習慣 #習慣化 #健康
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サマリー

このエピソードでは、健康に対する自信を持ちすぎないことの重要性が語られています。自分の身体の微細な変化に敏感でいることが推奨されており、この謙虚さが健康管理の第一歩であると示されています。また、日々の小さな変化に気づく習慣への道を開くことも述べられています。

健康への自信とその影響
こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
さて、あなたは今、ご自身の健康にどれくらいの自信がありますか?
健康だけがトリエレスと胸を張って言えるでしょうか?
実は、以前の僕はそう思っていた節があります。
フルマラソンを走っていたこともありますし、大きな病気をしたという経験もほとんどなく、風邪でさえほとんど引かなかったという状態です。
健康であることは当たり前で、自分には絶対的な自信があったんですよね。
でも、この番組でも何度かお話をしてきた通り、僕は今年の春から夏にかけて、人生で一番とは言ってもいいほどの深刻な体調不良を経験しました。
当たり前だと思っていた日常が、当たり前だと思っていた健康が、当たり前ではなくなったんですよね。
その経験を通して痛感したのが、まさに今日のテーマでもある、
健康には自信がないくらいがちょうどいい、そういうことでした。
では、なぜ健康に対して自信満々ではいけないのでしょうか。
健康を失うのに、そもそも年齢は関係ありません。
確かに年齢を重ねると病気のリスクは増えるのかもしれませんが、若くても病気や怪我をする可能性は誰にでもあるからですよね。
だからこそその自信が過信に変わったとき、僕たちは自分の体が出している小さな差異を見逃してしまうんだと思うんです。
これくらい大丈夫だろうとか、寝れば治るだろうとか、そうやって無理を重ねてしまうと、
僕自身、体調不良の初期段階では、心のどこかで自分は大丈夫なはずだという過去の自信に縛られていった気がします。
それが結果として、回復を遅らせる一つの原因になったのかもしれません。
逆に、自信がないくらいがちょうどいいというのは決してネガティブな意味ではありません。
それは自分の心とか体のささやかな変化に敏感になるということです。
いわば自分自身に対する謙虚さに近いのかもしれません。
自分との対話と健康管理
自分自身の謙虚さがあるからこそ気づけることがあります。
それは、少々の不調や不快はあったとしても、まだできることがたくさんあるという事実であって、
事実、全く何もできないほどの不健康、不自由というのはレアケースであるはずで、
そういった大きな不自由がない今の毎日に対する感謝です。
そしてその感謝の気持ちが、今のうちにこそできることをやろうという先送りしすぎないことの大切さも再認識させてくれました。
だからこそ絶好調を待つのではなく、
今日の60%でできる最低のライン、そういった行動を選ぶ。
あるいは以前お話をしたように、仕事を午後2時に終えて、
その後はしっかりと体の心の仕込みの時間として心身を休ませる。
こうした自分を大切にする選択ができるのも、自分は万全ではないかもしれないという適度な不確かさ、
つまり良い意味での自信のなさがあるからこそなんだと今は思っています。
この感覚は、これもまた以前お話しした、すごいねと言われるための運動をやめたという話にもつながります。
他人軸のすごい結果を求める自信ではなく、自分軸で今日の自分の感覚と対話をする。
そんな感じでしょうか。
自信がないからこそ、僕たちは自分の体に、
今日はどうなのかと丁寧に問いかけることができます。
この自分との対話こそが、本当の意味での健康管理の第一歩なんじゃないかと思っていますが、どうでしょう。
健康への過信は、自分との対話を遮断してしまいます。
むしろ自分の体は繊細で、いつ調子を崩すかわからないという謙虚さを持つこと、
それが日々の小さな変化に気づき、自分を本気で大切にする習慣へとつながっていくんだと、
僕は自分自身の療養機関を通じて学びました。
さて、あなたは今日、ご自身の体にどんな優しい問いかけをしてあげますか。
というわけで、今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
この後も良いチャレンジを。
それではまた、3日後にお会いしましょう。
06:17

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