絶好調を待つことの虚しさ
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
さて、あなたは何か新しいことを始めようとする時に、あるいは日々の習慣を実行する時、
今日はなんだか気分が乗らないなとか、頭がすっきりと冴えている時にやろう、
あるいは体調が万全になったら本気を出そうとか、完璧なコンディション、いわゆる絶好調を待ってしまって、
結局一日何もできなかった、なんて経験はありませんか?
僕も以前はそうでした。
特に長い距離のランニングのような運動とか、新しい仕事の企画を考える時ほど、
やるなら最高のパフォーマンスでと意気込んでしまって、逆に絶好調の日を待ってしまう癖があったように思います。
でもその絶好調って一体どれくらいの頻度でやってくるんでしょうか?
一ヶ月のうちにそんな完璧な日は数えるほどもないかもしれません。
この絶好調を待つという考え方こそ、以前お話をした完璧主義をやめる習慣で手放したい思考の癖の一つなのかもしれません。
やるからには100%でやりたい、中途半端は嫌だという思いが、逆に100%じゃない今日はやらなくていいという行動しないための言い訳になってしまうんです。
もしうまくいかなかった時にコンディションが悪かったからと言い訳したい、そんな無意識の防衛本能も隠れているのかもしれません。
僕がこの考え方を根本から見直すことになったのは、やはり3ヶ月に及んだ療養期間でした。
体調を崩して休んでいたわけですが、当たり前として思うように動けない療養中に絶好調な日なんて一日もありませんでした。
もし僕が絶好調を待っていたら、僕は本当に3ヶ月以上何もできなかったでしょう。
動けない体で痛感したのは、100%の理想を待つことの虚しさ、そして苦しさです。
60%で動く習慣
それよりも、エネルギーが30%しかない今日でもベッドの上で深呼吸はできるよねとか、本を1ページだけなら読めるかもしれないとか、
その今できることに目を向けることの方がずっと現実的で自分を救う考え方でした。
そこで今日は、絶好調という幻想を手放して、今日の60%で動く習慣を提案してみたいと思います。
日常というのは、むしろ60%から70%のエネルギーで動いていることの方が多い、その現実を受け入れるんです。
まずステップ1は、今日のエネルギーレベルを把握することです。
今日の自分はこれくらいだなと知ること。
僕はオーラリングというフィットネストラッカーで客観的にコンディションを見ることもありますが、
それ以上に自分の感覚で、今日は60%だなとそんな風に決めるだけでもOKです。
続いてステップの2つ目は、今日の60%でできる最低ラインを決めること。
以前、習慣が途切れる3大言い訳でも話をしましたが、大切なのはゼロにしないことです。
例えば、ランニング30分、これを100%とすれば、それは無理でも、
レアフットシューズで5分間散歩をする、これを60%とすれば、それならできるとか、
すごいねと言われる運動ではなくて、自分のための5分のストレッチとかで十分だと思うんですよね。
そしてステップの3つ目は、60%の完了を今日の成功とすることです。
100%できなかったと反省するのではなく、60%でも完了させたこと、
ゼロにしなかった自分を今日の成功として認めてあげるということです。
絶好調を待つ人生から、不完全な今日のままそれでも動く人生へ、
完璧な一日を待つのではなく、60%の今日を淡々と積み重ねること、
それこそが以前お話をした人生は壮大な実験を前に進める唯一の方法なんだと思っています。
あなたが今日の60%でできる小さな一歩は何でしょうか。
というわけで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
この後も良いチャレンジを。それではまた3日後にお会いしましょう。