中断からの再開
こんにちは、モロトメ ジョーです。今日もチャレンジしてますか?
さて、この習慣LABおかげさまで、前回で第350回の配信を迎えることができました。
一つの締めですよね。いつも聞いてくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
以前、第300回の時には、どうしてここまで続けられたのかという、継続そのものについてお話をしました。
でもこの350回までの道のりは、僕にとっては少し違う意味を持っていました。
何度もお話をしていますので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はこの春から夏にかけて、
体調を崩して、3ヶ月ほど配信をお休みしていた時期があります。
そこで今日は、350回の節目を迎えて、完璧な継続ではなく、中断と再開、そしてまた積み上げるということについて、
僕自身の今の話をしてみようと思います。 療養が明けて少しずつ体力が戻ってきましたので、
僕は習慣だったランニングを再開しました。 ですが、そこで直面したのは厳しい現実だったんですよね。
以前の僕は、5キロの距離を25分くらいの時間で走れましたし、
ハーフマラソン、だいたい21キロぐらいですけれども、その距離だって余裕で走ることができていたんです。
でも、療養明けの今、その体で走ってみると、たった4キロを30分かけて走るのが、スピード的にも体力的にも限界でした。
正直に言うと、初めは焦りとか喪失感みたいなものがありました。
もうあの頃の自分には戻れないかもしれないなと積み上げてきたものが、ゼロになったように感じて虚しくなったのも事実です。
でもそんな時にふと思い出したのが、以前もお話しした、すごいねと言われるための運動という自分の言葉でした。
積み上げる楽しさ
もしかしたら、療養前の僕は、ハーフを走れる自分とか、5キロを25分で走れる自分という他人からの評価、
いわゆる他人軸の達成感に知らず知らずのうちに縛られていたのかもしれません。
全てを失ったように感じた今、僕の足元というか手元に残っていたのは、
それでもやっぱり走るのは、気持ちがいいなとか走りたいなという、とてもシンプルな自分だけの感覚だったんですよね。
誰のためでもない自分軸の感覚と言えるんじゃないでしょうか。
そう気づいた時、目の前の4キロ30分が限界という現実は、衰えとか失敗ではなくなりました。
これは以前お話をした、人生は壮大な実験だという考え方にも通じるんですが、
僕の新しいランニングという実験がまたレベル1から始まった、そういうことなんだと捉え直すことができたんです。
絶好調を待っていたら何もできませんよね。
今の僕の100%であるこの4キロ30分をまずは受け入れる、そしてそこからまた1日1%あるいは1週間に1%でもいいから新しい何かを積み上げていく。
昨日より10メートル長く走れたとか、昨日より5秒早く走れたとか、そういった小さな成長の実感こそが週間を続けるための最大の報酬、最大のご褒美なんじゃないかと今改めて感じています。
このまたゼロから積み上げる楽しさを僕は療養期間を経てもう一度手に入れることができたわけです。
というわけで今日は350回の放送の節目に僕自身の再開についてお話ししてみました。
週間というのはもしかしたら完璧に続けることよりも、途切れてしまってもあるいはゼロに戻ってしまってもまた始める、その一歩を踏み出せること、そこにこそ本当の価値があるのかもしれません。
もし今何かを中断してしまって、あなたが焦りを感じているのなら、それは新しい積み上げる楽しさのスタートラインに立ったということなのかもしれません。
というわけで今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。この後も良いチャレンジを、それではまた3日後にお会いしましょう。