老いの新たな捉え方
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
横浜の朝は、今日もキリッと冷え込んでいます。
冬の澄んだ空気というのは、どこか思考を、頭をクリアにしてくれるような気がして、僕は嫌いではありません。
さて、今日はお正月に関連して、少し老い、年を取るということや、時間について、僕なりの考えをお話ししてみたいと思います。
前回は、僕は年末のうちに初詣に行くという話をしました。
その時に、静かな神社の境内を歩きながら、ふと感じたことがあるんです。
神社とかお寺とか、そういった場所は当たり前ですが、古いですよね。
何百年も経った砂田、あるいは苔むした石段、そして空を覆うような巨大な五神木とか、
それらは雨、風にさらされて、色は褪せているし、表面はボロボロだったりします。
でもそれを汚いとか劣化したと感じる人は、あまりいないんじゃないでしょうか。
むしろその古さの中に、言葉にできない威厳とか美しさを感じて、僕たちは手を合わせたりしますよね。
一方で、視点を街中に戻してみると、どうでしょう。
日本は高齢化社会ですから、街を歩けば、たくさんのお年寄りとすれ違います。
実際、初詣に行った時、僕は鎌倉に行ったんですけれども、
その近くの小町通り、繁華街みたいなところですかね、そういったところでも、多くの高齢者の方がいらっしゃったと記憶しています。
そして以前の僕であれば、ゆっくり歩く高齢者の方を見て、大変そうだなとか、正直に言えば、自分はああなりたくないなと、
老いを、つまり衰えとして、ネガティブに捉えていた部分がありました。
世の中にもアンチエイジングというような言葉があふれていて、
若さを保つことが正義で、老いることは悪、みたいに抵抗する空気ありますよね。
でも、僕自身が50歳を迎えて、去年は、力内障という診断を受けたり、体力の低下を実感したりする中で、そういった価値観もがらりと変わりました。
老いは止められないという現実を受け入れた時に、ふと神社の木々を思い出したんです。
あの木々が美しいのは、若々しいからではない厳しい冬を何度も乗り越えて、年齢を刻んできたからこその佇まいがあるからだ。
そう考えると、街ですれ違うお年寄りたちの姿も、ただ衰えているのではなくて、人生という長い実験を生き抜いてきた証をまとっているように見えてきたんです。
僕はこれを、経年劣化ではなくて、経年優化、はい、経年優化の優は優れるということですね。
はい、なので経年劣化ではなく経年優化と呼びたいなと思っています。
時が経つにつれて優れていく、味わいが増していくといった意味合いです。
もちろん、体は思うように動かなくなります。
僕も、例えば以前のように速く走ることはできません。
でも速さを失った代わりに、ゆっくり歩くことでしか見えない景色の美しさに気付けるようになりました。
視力が落ちる恐怖を知った代わりに、今見えているものへの感謝の深さは、若い頃の日ではありません。
これは、機能としては低下しているかもしれませんが、感性や人生の深みとしては明らかに優化、優れた感覚になっている、つまりバージョンアップしていると言えるんじゃないでしょうか。
アンチエイジングで必死に時計の針を止めようとするのは苦しい苦しい戦いです。
それよりも神社の古木のように古い木のように変化していく自分を面白がりながら、その時々の年齢でしか出せない味を出していく。
そんな風に老いを、年を取るということを積極的に受け入れる生き方の方が、なんだか楽しそうだし、僕らしい実験になるんじゃないかと今は思っています。
年齢を楽しむ生き方
さて、あなたはご自身の年齢や変化をどう捉えていますか。
鏡を見た時に増えたシワを嘆くのではなく、これはいい感じに年齢、年齢が刻まれてきたなとにやりと笑ってみるのも悪くないかもしれません。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
この後も良いチャレンジを。それではまた3日後にお会いしましょう。