老いを感じる
はい、こんにちは、清鷹です。
今日はですね、実家の両親に会ってきたんですけども、
最近思うのはですね、会うたびに年取ってきてるなというのを感じるんですよね。老いを感じるという、そんな感じですね。
身体、ちょっと腰が、背中が曲がってきたりとか、歩きにくそうにしてたりとか、腰が痛かったりとかするわけなんですよね。
特に今回、母親なんかは、膝の裏側に水が溜まるとか言ってね、すごく痛そうにしてるんですよ。歩きにくそうにしてまして、
できるだけ早く痛み和らいで、とは思うんですけども、病院も行ったりしてるんで、それ以上はもうちょっとなす術もないので、見守るというのかね、そういうしかないんですけど、
そんな感じで見てるとですね、老いって何なんだろうなというか、そんな感じにも思うんですよね。
少しでも生き甲斐を感じながら、生を全うしてほしいなというふうには思うんですけども、
広がりって僕自身もですね、これ、だんだん今後ですね、置いていくということは、できないことが増えていくということなんだろうなというふうに思うんですよね。
生まれてからこの方、できることを増やしていったわけなんですよね。増やしていくっていうことでずっと生きてるわけなんですよね。
赤ん坊の頃から食べれるようになってとかね、立てるようになってとか、トイレもおむつなしでできるようになってとかですね、
そういうようなところから始まって、早く走れるようになったとか、勉強でいろいろなことが覚えれるようになったとか、あるわけですよね。
多少衰えていく部分はありながらもですね、それは例えばパソコンが代替をしたりとか、
AIが代わりにやってくれてですね、人間の能力を拡張していくわけですよね。
移動手段だってそうですよね。最初はハイハイから、よちよち歩きから、普通に歩けるようになって走れるようになって、自転車乗れるようになって、
その前に三輪車乗れるようになったところもあるかもしれないですけど、自転車乗れるようになって、車を運転できるようになったらさらに行動範囲が広がって、
自分の能力っていうのは拡張していくばっかりだったわけなんですよね。
僕ももうどうでしょう、50の半ばにもなってきてですね、だんだん老眼は進んでくるんですけど、これは老眼鏡で補うとか、そんなことにもなってますけども、
あれができなくなる、これができなくなる、やりにくくなるみたいなことがこの先だんだん増えていくわけですよね。
そうなった時にそれを、当然その補うテクノロジーみたいなものは出てくるんだとは思うんですけれども、
それでさえも補えなくなった時に、どうなってくるんだろうな、自分はどうなってくるんだろうなっていうのを親を見てて思うんですよね。
これまではできる能力の拡張のカード、いろいろなカードを増やしていったわけですね、手札を増やしていったわけなんですよね。
でも今度だんだんですね、その手札がなくなっていったりとか有効期限が切れたりとかしていくわけなんですよね。
その状態で、僕はこれまで能力を拡張するようなことに対してすごく関心を持ってましたし、
手札を増やせるということに対してすごくやりがいとか生きがいとかも感じていた人間なんで、
そういうのが一個一個、一枚一枚ですね、カードがなくなっていくっていう状況に直面をこれからする時にですね、
どういう受け止めができるのかなというのはちょっと思ったりしたんですよね。
たぶんね、カードがなくなったらなくなったでですね、また見えてくる世界っていうのはあるとは思うんですよ、見えてくる世界。
それはネガティブな部分だけじゃなくて、ポジティブな部分での世界っていうのもたぶんあるとは思うんですけども。
まあでもね、今はちょっと思い当たらないというのか、そういう感じなんですよね。
だから、ちょっとね、会うたびに老いを感じる良心。
ということは逆に、自分自身も年を重ねて生きているわけなんで、
ひるがえって自分にとってそういうのってどう受け止めたらいいんだろうなっていうのをちょっと思いながらですね、
つらつらと答えがあるわけではないんですけれども、そんなことを思った一日だったなというところでございます。
能力の拡張と受け止め
はい、ということでですね、ちょっと取り留めのない話でしたけれども、また次の機会にお耳にかかりたいと思います。さよなら。