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News Connect(ニュースコネクト)あなたと経済をつなぐ5分間
1日1つ、国際政治や海外のビジネスシーンを中心に、世界のメガトレンドがわかる重要ニュースを解説。朝の支度や散歩、通勤、家事の時間などにお聴きいただけるとうれしいです。土曜版ではゲストの方をお招きしてトークを展開していきます。
本日はシリーズ「越境日本人編」を配信。日本を飛び出し、海外の都市でビジネスを展開している起業家やビジネスパーソンの方に、海外に打って出た具体的な方法や、現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。
ゲストは、ライトハウス代表の込山洋一さん。1988年にロサンゼルスに移住し、現地で日本人向け情報誌を創刊した込山さん。日本人読者を多く抱えていることがきっかけで、新たに生まれたビジネスなどについて話が展開されました。
▼出演:
野村 高文(音声プロデューサー/Podcast Studio Chronicle代表) https://twitter.com/nmrtkfm
込山 洋一(ライトハウス代表)
▼ボーナス・トラックにご興味のある方は、「Chronicleサポーター」に加入いただければ幸いです。
加入方法は、下記をご参照ください。
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00:06
おはようございます。2023年12月16日土曜日、ニュースコネクトパーソナリティの野村隆文です。
この番組では、平日晩やさ5分間で世界のメガトレンドをわかるニュースを解説しています。
披露からお聞きいただきまして誠にありがとうございます。
さて、今日は土曜版のシリーズ【越境日本人編】を配信していきます。
日本を飛び出して海外の都市で活躍されている日本人企業家や文化人、ビジネスパーソンの方々に、海外に受け入れた具体的な方法や現在に至るまでのキャリアヒストリーを伺っていきます。
【越境日本人編】第22回のゲストとしてお越しいただいたのは、ライトハウス代表の込山洋一さんです。
込山さんは現在ロサンゼルス在住。
1988年に現地に渡られまして、89年より日本人向け情報士であるライトハウスの発行人を務められています。
もともとロサンゼルスは日本人が非常に多い街として有名だったんですけど、近年では数は減少傾向にあります。
そんな中込山さんは在米日本人の読者をたくさん抱えているという利点を生かしまして、新しいビジネスチャンスを掴んでいるといいます。
それは一体何なのか、メディアビジネスの興味深い事例としてもお聞きいただける内容です。
それではインタビュー本編をどうぞ。
それでは本日のゲストをお呼びしたいと思います。
ライトハウス創業者でCEOの込山洋一さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
込山さんはですね、ロサンゼルスをベースに活動されていまして、そのライトハウスというのがこれメディアの名前なんですよね。
そうですね。大体は日本語の情報士です。
創刊がですね、1989年なんですよね。
89年というともう30数年前ですかね。
35年になりましたね。
非常に歴史あるメディアですよね。
ありがとうございます。
このライトハウスの中身についてお話を伺うと、日本語の媒体で、今私の手元にもあるんですけど、雑誌というか新聞というか、そういう形をしていますよね。
そうですね。セリを仕込めてあるので、新聞というよりは雑誌に近いかもしれません。
基本的には現地の、ロサンゼルスに在住の日本人の方に向けて、いろいろな情報を発信されているということですかね。
はい、そういうことです。
今海外にですね、外務省の統計で105万人くらい日本人が住んでいて、北米が43万人くらいですね。
外務省の統計だと43万だけど、センサスという国勢調査だと80万人なんですね。
多分、外務省の広告もらってて怒られるかもしれないですけど、センサスの方が一件一件統管してくれるので、精度は高いと思います。
80万人くらいの日本人が住んでいて、その中でも日本人が特に多いロサンゼルスのカリフォルニア版ですね。
03:00
北カリフォルニアのシリコンバレーがあって、南はLAとかサンデルがあって、シアトルポートランドのあるワシントン州オレゴン州をカバーするシアトルポートランド版、それからハワイ版の3つの版を出しています。
ライトハウスの中でも地域ごとに内容を変えて発行しているってことなんですね。
共通して出せる、例えば法律のこととか移民法とかがどこの州でも一緒ですし、全米で使える記事と各エリアごとの記事との両方の構成になっています。
今、ライトハウスが手元にあるんですけど、内容としては日本人読者に向けて面白い特集をいっぱい展開されているなと思いまして、
例えばアメリカのボーディングスクール事情についての特集とか、あと面白いですね、注目は2拠点生活、日本への本帰国を考えるっていう。
帰国するっていうのも結構現地の方々にとっては重要なイシューってことですよね。
まさにまさにで、今ですね、ちょうど60年代70年代ぐらいに来た方たちが70代ぐらいに差し掛かっている。
結構高齢になってきたということですね。
その方たちっていうのは新一世って呼んでるんですけど、この新一世の人たちがアメリカって若いときに働いたり学んだりする分にはもうすっごく面白い魅力的にね。
もちろんこう病んでるところもあるけど、いいところいっぱいあるんですけど、70代になってするとここが分かれるんですね。
家族があるから残るとか思い入れがあるから残るっていう方もいるけども、肌感覚で半分以上の方は、
例えば医療とか介護がやっぱり日本を進んでいます。
医療介護が進んでいる。
で、物価が、もちもと日本の方がアメリカに比べて物価が安いところにもできて、
ここのところで言うと為替もあるし、インフレが、日本インフレって言ってるけどやっぱりアメリカに比べるとインフレが違いますね。
っていうことも多分追い風になってると思うんですけど、
医療のこと、介護のこと、あと車の運転が70代になるとあんまりしたくないとか、
同じ頃を歩んだ仲間たちが日本に段々と帰国していく。
もともと学生時代仲間だった人たち、地元の仲間たちが70代になって自由な時間とお金ができて、
街に旅行に行ったとか、こっちに旅行に行ったとか、今はもうSNSでつながっているじゃないですか、
70代の方もSNSを使いこなしている方がたくさんいるので、
それにおいて帰国するっていう方が多い中で、7、8年前くらいからですかね、
本を出していても、読者に駐在もいれば永住組の方もいるし、留学生、研究生、いろんな方がいる中で平均年齢も上がっていくし、
ニーズも生活の中の困りごともどんどん変化していくので、
インタビューとかモニターは毎日やっているし、アンケートも定期的にやっているんですけど、
06:02
微妙にニーズが変わってきたり、セリフが変わったりしていく中で、
日本に帰りたいけど、どうしたらいいんだ、何から手をつけたらいいんだ、いつから手をつけたらいいんだ、
周りでポツポツと帰っている人はいるけれども、という声を受けて特集にし始めたのが7、8年前。
ちょうど最新号の本帰国についての特集が組まれているんですけど、
現地の日本人の話題っていうのもちょっとずつ時代ごとに変わってきているわけなんですね。
変わりません。平均年齢も変わるし、
多分昔だと駐在の方でも割と金融とか商社とか大企業の方中心だったのが、
だんだんといい意味でハードルが下がって、ベンチャーであるとか、
新しい業界の人たちがどんどん出てくるようになってきていて、
駐在員の企業の顔ぶれも、年齢層もそうですね。
80年代、90年代で結構親子で高校生の子供がいるとか、中学生の息子がいるとかっていう、
お嬢さんがいるとかっていう駐在員が多かったんですけど、
今日本の企業の体力もあると思うんですけど、
だんだんと駐在員も送り出す方が若くなって、
アメリカに関しては若くなっています。
あとやっぱり家族4人5人で来るよりも、
小さい子供だけとか夫婦だけとか、独身の方が経費がかからないじゃないですか。
それはそうですね。
っていうところで、だんだんと昔相関した頃って私23だったんですけど、
駐在の人ってもうずっと年上っていう印象が強かったのが、
年よりも早いペースで年齢が逆転している感じがあります。
そうなんですね。
小宮山さんの人は本当に20歳ぐらい、20歳ぐらいでアメリカに投稿されたっていうんで、
そのちょっとキャリアヒストリーはこの後伺いたいなと思うんですけど、
その前にこのライトハウスのビジネスモデルを伺いたいなと思うんですが、
基本的にはこれは広告モデルってことですよね。
そうですね。この話だけでいうと広告モデルで、
我々が紙で配っている電子版で見てくれるアプリで見てくれる
読者にリーチしたい広告主の方が広告を出してくれて、
それが経営の原始になっています。
そういうことですよね。
確かにこのめくっていくと、おそらくアメリカで活動されている
日本人に向けた企業さんっていうのがいっぱいクライマットして入ってますよね。
そうですね。
医療だったり、弁護士だったり、またその移民に関するサービスだったり、
あとはそれこそラーメンとか食事とか、そういった企業の広告がいっぱい入ってますよね。
ビジネスでいうと、大きいところでいうと一体どういうものなんでしょうか?
今野村さんに聞いていただいた、現地に住んでいる人に向けて広報をしたい、
集客をしたいタイプ様がメインなんですけど、
35年の間に、やっぱりコミュニティの形も変わるっていう話をしたんですけど、
メディア自体も同じことだけやっていると、読者の箇所分所得もどちらかというと、
この30年というとやっぱり減少傾向です。
例えば、55歳の駐山員と30歳で送り込まれる駐山員だと、
09:01
使えるお金も全く違うし、当時と比べるとやっぱり物価も違うし、
いろんなものが変わってきて、いっぱい中でカバーするエリアを広げることによって、
箇所分所得×カバーする人数を増やすということと、
もう一つはローカルのお客様の広告売り上げだけだとどうしても限界があるので、
アメリカに住んでいる日本人にリーチしたい、あるいは日記時にリーチしたい、
人はどこなんだっていう探客をした中で、
一つがさっきの話してた帰国する人たちがいるっていう、
そういうニーズ、困りごとが顕在化してきた中で、
そういう人ぜひ受け入れたいわっていう日本の施設です。
福祉施設ってことですか?介護とか?
そうです。シニアホームですね。
日本で言うとどちらかというと、
富裕層が減少傾向。
知恵は増えてるけど減少傾向かもしれない。
アメリカに住んでる方たちというと、
もちろんその方たちのご努力もあるんですけど、
同じ努力を日本とアメリカとした場合で言うと、
アメリカだと不動産が勝手に価値が上がっていって、
一昨年くらいカリフォルニアの平均不動産価格が
もう80万ドルを超えたんですよ。
1.2億ってことですよね、日本円にすると。
105円の時だったら1800万だったのが、
ここ特に1、2年でそれは1億2000万になります。
今は150円時代ですもんね。
80万ドルの家も買った時って、
多くの皆さん12万ドルで買ってたりとか、
すごい世界ですね。
多分これも多くの方が4万系とか、
政府がそんなに年金払うことできないから、
みんな給料の何パーセント貯金しといてくれよとか、
それに対しては財金をかけないからね。
会社もそれに対して2パーでも3パーでも
マッチしてあげてくれよっていう制度があって、
個人としても会社としても多分毎年1ヶ月分とか、
プラスマイナス、非課税で貯蓄しているものが
20年、30年、40年で積み上がってるのが、
普通に特別なことしなくても
だいたい5パーぐらいでリマットっていうので、
なので入れたお金は30万ドルぐらいだよね。
ピッピッピッと当たりたくたたいたのが、
本当に1ミリオンとか100万ドルぐらいですね。
すごい、そうなんですね。
1財産になってるってことですね。
もちろん貯金しておられる方、できなかった方、
家を早いタイミングで買った方の中には
親御さんにちょっと頭にヘルプしようって
言って買った方もいるし、
自分で頑張ろうって言って頑張ってて
タイミング持てなかった方もおられるし、
そこの運不運はあったりするんですけど、
一般的にアメリカで普通の蓄財とかお家を買ってたら
それが多くの場合1ミリオンとか2ミリオン
12:02
あるいは2ミリオンっていう金額になっていくので、
日本に円に変えた瞬間すごく大きな声が出て、
そういう施設の方にとってもいい。
海外から帰ってくる方って
これから20年ぐらい増えていくそうなので、
ぜひ来てくれる。
そこはだから大きなマーケットなわけなんですね。
アメリカでもうずっと何十年と暮らされて、
日本に緩み暮らすとちょっと悲しいんですけど、
アメリカで普通に経済活動していると
お金が溜まってると。
お金と資産が溜まってるっていう状態で、
その状態で帰国されるっていう方が
結構塊で今いらっしゃるってことなんですね。
そうですね。
いろんな地域の方と話してても思うんですけど、
これはカナダであったりとか、
多くのアジア、ヨーロッパの都市にしても、
おしめべって大都市は不動産があって
すごく人の行き来の自由度が上がったことで、
自宅みたいな強い街は、都市は人を集めて、
需要に対して普及が足りないから
不動産が上がっていくっていう傾向は、
結果としてそこで早くに買っておいた方は
恩恵を受けてるし、
逆に今アメリカの20代、30代の
初めてこれから家を買うっていう人は、
それに対しては悲観的な感覚がある人が多いです。
これから購入する層にとっては
しんどい時代ですもんね、今は。
今、福祉施設っていうところが一つ出てきたんですけど、
あとは大きいクライアントっていうとどういう感じですか?
もともとライトハウスで言うと、
初めてアメリカで教育を受ける方たちが
読者の中心というところからですね。
それは、A住民にしても、駐在の方にしてもそうです。
そこで家族ができたり、家族を連れてきたりして
子どもを育てるときって、
アメリカの教育システムが分かりません。
どういう風になってるんですか?っていう
教育システムをお伝えするニーズが、
これはもちろん今も高いんですけど、
もう一つが、アメリカの大学の学費の近年の高騰で、
例えば私学だと6万ドルとか、
中心でそれですので、
そこに生活費とか足すと平気で9万ドルとか、
卒業までに、もちろん奨学金とか学生ローンもあるんですけど、
普通に私立大学に行くと卒業までに30万ドル。
兄弟2人とか3人いたらもう老後の資金たまらんじゃないですか。
そういう中で日本の大学に失格する。
これもやっぱりこの10年内ぐらいですかね。
日本も一般入試して入る方向もあるけれども、
日本の大学もこれから18歳が減っていく中で、
18歳が減った分、レベルを下げることで定員を埋める
っていうのを良しとする大学ばかりじゃないですね。
僕の大学はそこはやっぱり優秀な世界の留学生で
そうですよね。
比較的アジア、アフリカの留学生は
日本に対して来てくれるけど、
アメリカからあまり来てない。
15:02
その中にアメリカの日本人一系生の知的が
日本の大学に進学したい。
あるいは大学側もそういう多様性の中で、
単に語学だけじゃなくって、
そういう多様性の環境で育った人たちを
もっと取っていくことで、
キャンパスをグローバル化していきたい。
ここが一致して日本の大学、
結構最初の頃からICUとか筑波大学とか、
グローバル化を日本の中でも積極的に進めている
大学さんが、こっちの人たちのために
こっちでもっとフェアもやりましょう。
広報もっとしましょう。
我々もその活動をしていくためには、
持続可能であるためにお金が必要です。
カツカツカツカツやると大変だから、
そんな言い方はしないですけど、
まとまったお金をいただいて、
安心して僕ら集客に力を入れたいという思いで、
日本の大学に行きたい。
4大学、5大学、10大学になり、
20大学になっているんですけど。
20大学もフェアに参加しているわけですね。
そこから20からちょっと多かったり少なかったりするんですけど、
一方で我々も日本人、日系人だけじゃなくて、
日本に興味のあるアメリカ人が
もっともっと日本の大学に進学してくれるといいじゃないですか。
自分なりに日本で育って日本が好きで、
日本のグローバル化ってどうやってしていったらいいんだろうという中で、
留学にもっともっと出るといいっていうはやすしで、
今のこの感染の状況とか、
いろんな世帯の過剰所得であるとか、
国費、海外の国家学費考えると、
結構留学するのは難しくなっていくことだと思っているんですね。
その中でもすごい優秀層って、
お金出しますよとか、
文庫を開いている学校ってアメリカのトップ大学、
世界のトップ大学いっぱいあるんですけど、
みんなみんなそんなトップ層じゃない。
ポテンシャルはあるけれども、
その時点の学力評価でいうと決して高くない。
じゃあ自分がどういうことができるかなと思った中で、
やっぱりアメリカからもどんどん日本の魅力を伝えて、
日本に進学してもらうことじゃなかった。
これ本当に一件一件開拓していくんですけど、
アメリカで日本語を教えている高校が
370くらいあるんです。
最初私同席も同校もして、
一軒一軒アメリカの高校の日本語を教えているクラスって、
基本的に入り口がアニメとか、
日本の僕たちから入って、
日本が好きです、日本に憧れます、
日本の食べ物を食べてみたいっていう子たちが多くて、
先生も日本人であったり、
日本に留学経験があって、
18:01
日本を応援している人が多いんです。
そういう先生たちに、
日本のグローバル化を一緒にしましょうと、
教えておられる生徒たちも、
アメリカの中でアメリカで育って、
アメリカの社会に出ていくのも一つの道だけど、
アジアの日本にっていう言い方もありますけど、
日本の国に、また日本の大学に、
アジアの大学に行く経験っていうのって、
世界のブリッジになっていく上で、
得与えたい経験だと思います。
さっきの話ですけど、
日本からこれから留学行くのも難しい中でいうと、
どうか日本の大学っていう選択があることを知る機会を、
生徒たちに教えてあげてもらえませんか?
ということをお伝えしてですね、
本当にそれを、
うちのメンバーたちが一件一件くどいで、
共感してくれた先生が、
この高校行ってみるといいよ、とか、
日本語教師の会があるからそこで行っとくわね、
っていうのが一件一件広がって、
今130軒くらい教育校がある。
そこで日本の大学っていう選択肢があるんだよって、
我々のそこで、
コロナ以降は、
春と秋に大学フェアをオンラインで開催し、
さっきお話したみたいに、
日本人が日系人に広がり、
アメリカ人に広がり、
中心なので、
今は世界中から参加してくれて。
昔は日本人がどんどん留学をしていったと、
そういった方々に向けて、
情報を提供していたんですけど、
今は外にいる方、
かつて日本にいて外にいるって方もいれば、
日本に興味があるアメリカの方、
そういった方を日本に引き入れる、
ということをしているってことですね。
だから流れが逆になっているってことですね。
そうなんです。
面白いですね。
1ヶ月とか8ヶ月とか、
1年の交換があるんですけど、
なかなか積極的な学生さんじゃないと、
交わらないでお客さんで出ちゃうじゃないですか。
住むと苦労もするし、
勉強もあるし、
その中で人に助けてもらったりとか、
日本人との繋がり、
日本との繋がりがこうなっていく、
そういう人を増やせたらなと思っています。
そうですよね。
ちょっと創業の頃、
いかにして小宮山さんは海を渡ったのか、
ロサンゼルスに行ったのか、
というお話を伺いたいなと思うんですけど、
ロサンゼルスでこのライトハウスを創業したのが89年で、
渡航されたのが86年。
86年の10月3日です。
日付まで覚えていらっしゃるようですね。
そのあたりの話から伺っていきたいんですけど、
その直前というか、
なぜ渡航をしようと思ったんですか?
もともと、
商船航船、いろんな県に
工業航船ってあるじゃないですか。
あれの商船航船っていう、
将来の外国航路の船のリセンチを養成する
学校の航海学科で勉強していました。
なるほど。
船乗りを目指されていたんですか?
船乗りを目指していました。
21:00
あれ出身はどちらですか?
神奈川県の高松です。
高松で船乗りを目指してらっしゃって。
高松で生まれ育ち、中学を出て、
愛媛にある商船航船に入って、
そこで4年半学んだ後、
5年生の全期が終わったら、
1年間航海実習に行かせてくれました。
半年半船、日本丸が海洋丸、
後半の半年は、
それぞれの帰県、大西丸とか西雲丸とか、
3つか4つくらいのルートで回るんですけど、
そのルートで、日本丸でハワイに行って帰り、
その後、帰県でロングビーチ大吉を回って帰る機会に
恵まれたんです。
ハワイに行った時に、
マスコはハワイの気候と人のフレンドリーさに、
アメリカは自分に肌に合ってるかもしれないな。
もちろん当時から、
通常、我々の同期の連中も、
神戸に入って、港に入って、大阪に入って、
東京、横浜に入ると就職活動をするんです。
ネクタイ締めて。
どうして同じ時期にみんな就職して、
一斉に企業に勤めていくんだろう?
飲み込みも悪いし、納得しない。
次、ハワイから帰って、
ちょっと悶々としてるところもあったんですけど、
ロングビーチに行って、
ロサンゼルス港の隣がロングビーチ港で、
南海フェルニアなんですけど、
ファームスリーとフレンドリーな人の
気質と気候に触れて、
ここだったら、ゼロからチャレンジしたら
面白いかもって思ったんです。
あれと、勉強しなかったんじゃなくて、
勉強するけどそんなにできない子だったんです。
納得要領も悪いし、飲み込みも悪いし。
そういうのを心配した先生とか、
ラグビー部の部長とか、
あるいは親戚の人とか、
きっとあいつどこも行けてくれるところがないから、
就職なんとか探してやろうって、
言って動いてもらうことが、
今だとありがたいことだなと思うんですけど、
もう嫌で嫌で仕方がなくて、
とにかくもう下駄履いて入りたくない。
もうちょっと補足すると、
もう何よりラグビーが好きで、
ラグビーばっかりやってたから、
ラグビーだったら就職入れてやるって、
言う人があったんですけど、
ラグビーで入って、
ラグビーができなくなったら、
そうでなくても、
人より何をしても努力したいのに、
引退したら大変だしっていうような中で、
よし、アメリカ行こうって決めて、
結構あれですね、思い切りましたね、そこで。
のんび地に着いた時に、
いろんな船に、
こっちの運輸省ですね、
国交省の訓練所の船なので、
いろんな方たちが訪問に来てくれます。
その中で、
アメリカでどうやって働いたらいいんですか?
アメリカでどうやって住めるんですか?
皆さんどうされたんですか?
情報収集して、
情報収集しているうちに、
途中からトーンが変わって、
働くことに決めてるんですけど。
聞いていくうちに、
だんだんと自分でも、
もうそれだなっていうふうに、
だんだんと心が固まってくるってことですよね。
24:03
固まり、
帰りの公開中に、
レストランでサラー内だったら、
させてやるよっていうところがあって、
条件も何も聞かずに、
もうやります、行きます。
って決めて、
リザもそこが出してくれる?
結果的には、
そこじゃないところが出してくれるんです。
面倒見てくれると思って、
で、もう帰国して、
すぐに今のハローワークに行って、
1ヶ月しかないけど、
ちょっと働きたいんです。
1ヶ月しか仕事ないよって、
アメリカに行かなくちゃいけないんです。
無茶苦茶なんですけど、
聞いて、
卒業式は9月の26日で、
学校卒業して、
1週間経って、
アメリカに投影して、
そうすると、9月に卒業されて、
もう1週間経らずで、
投稿されて、
ロサンゼルスに行かれたわけですよね。
最初の仕事が、
サラー内でも何でもやりますって話だったんで、
飲食店で。
飲食店で投稿されて、
第一歩を振り出していったと。
振り出しました。
着いた日に、
お店見学に行って、
1週間くらい休んで、
ゆっくり始めたらいいよって言われて、
一刻も早く働きたいんです。
今から働かせていただいて、
4人職人さんの、
もともと2人2人で、
ローのところで串揚げをあげる店だったんですけど、
ブラックな環境でもあったので、
1人辞め、2人辞めして、
3ヶ月経つ頃には、
1人になってですね。
結構大変ですね、それは。
面白かったです。
実際、セブンディズンオープンで、
串揚げをやってたんで、
店とアパートの往復だったんですけど、
そこで、知恵とか、
原価計算とか、
接客とか、
得らせてくれるし、
英語全然できないので、
アメリカ人のお客さんばっかりで、
その対応とかもやっぱり、
得難い体験で、
すごく面白かったんですけど、
半年でその店上がったんです。
上がった理由っていうのが、
こんなと店長が入って、
ありがちなんですよ。
店長さん、任されてる方が、
俺はもう、
お前と一緒に店を独立しようと思ってる。
ちょっと待ってください。
当時だから、
店はきちんと預かってたけども、
腕が全然ない中で、
これ独立したって、
伸びがないから、
中途半端な人には、
なりたくないから、
ちょっとそれだったら、
やめさせてくださいって言って、
やめて、
その後、
自分で宅就職を始めました。
サラライの次は、
もう独立されたわけですね。
独立です。
アルバイトみたいな形で、
宿で数ヶ月教えたことがあったんですけど、
もうアメリカでは起業したってことですかね。
そうですね。
すぐに起業して、
ビザの永住券ですね。
永住券のスポンサーも見つかって、
むちゃくちゃなお願いの仕方だったんですけど、
世からも面倒見ようっていう方が見つかって、
それはアメリカの方ってことですか。
日本人の経営者の方。
アメリカでいろんなお店を経営してる方、
スポンサーしてくれて。
その方がビザはいただいて、
ただそこで働くんじゃなくて、
小宮山さんと小宮山さんで別の会社を経営したってことですか。
今となってはなんですけど、
27:00
ちょっとグレーなところがあったんですけど、
まだ許された時代ですね。
ビザ、グリーンカードはそこでスポンサーしてもらったりとか、
そこの手伝いも形ばかりしてました。
ビザのことがあって。
でも実際に稼ぐことは、
自分で塾をやって、
結構子供に勉強を教えるのとか好きなので、
塾をやってるうちに、
その塾もどんどんどんどん大きくなり、
100人くらいの生徒にまたたく間に。
すごいですね。
現地の日本人ですか。
現地の日本人です。
当時、アーバインっていうオレンジカウンティって聞かれたことあるかもしれません。
カリフォルニアのオレンジカウンティっていうところの、
アーバインっていう街が、
シャープとかリコートとかキャノンとか、
そういうメーカーがどんどん誘致して集まってきていて。
なるほど。
80年代なんで、
日本企業が非常に元気だった頃ですよね。
そういう時ですよね。
だからどんどんどんどんその場所に、
現地の自治体も日本の会社を誘致していたってことなんですね。
そういう時代でした。
そういう企業が増えていく中で、
他にも塾はあったんですけど、
塾はあったけども、
成績の伸びがきちんと評価できるところがなかったので。
そうなんですね。
日本が全国中学入試とか高校入試の場合、
当時電話帳みたいな問題集があったんですね。
そこに出てる広告のところに手紙を送って、
アメリカでも公開無意識に受けられる環境を作ったんですよ。
っていうお願いをしたら協力してくれるところがあって。
もちろんそれをテストを回収して送って、
戻してっていうことはできないけども、
テストをした結果に照らして、
日本の中で言うと今どれくらいのところにいますよっていうことが、
アメリカにいながら分かりますよっていう。
勉強で力をつけるのは当たり前なんだけど、
上がったのがきちんと可視化できますよっていうことを、
多分当時は珍しかったと思うんですけど、
それで生徒数もすごく増えて、
パート3を何人か雇ってやる形だったんですけど、
毎日日本の子どもとお母さんばっかり相手にしてて、
なんでアメリカに来たんだったっけって。
もっと目指していきたいし、
自分じゃないとできないことってなんだろうっていうところから、
もともと書いたりとか、
作ったりすることが好きだったので、
カメラマンみたいな形のところからですけど、
情報集を始めて。
それがこのライトハウスなわけなんですね。
そういうことですね。
アメリカのローカルを日本の住んでいる方に伝える。
日本に住んでいる方たちに、
アメリカの日系のビジネスももちろんですけど、
アメリカのローカルのビジネスを紹介する。
ところに行き着いたというか、
それがスタート地点です。
わかりました。
最初の頃は創刊されたのが89年1月って話だったんですけど、
彼これ35年くらい前ですね。
そうですね。
最初の頃っていうのは、
どういうところに取材行ったり、どういう企画を立ち上げたんですか?
30:01
最初の頃はですね、
今は記事は3つ。
自社記事で在住者の方の課題を解決すること。
課題解決と、
勇気・元気。
勇気や元気があっていること。
そして、うるおいを与える情報。
うるおいを持てる情報を提供する。
課題解決でいうと、
アメリカに住んでいると、
やっぱりすべての観点が違うし、
法律も文化も何もかも違う中で、
それを不自由、不便、不満を
できるだけ情報を通して埋めることができると、
価値が上がる。
勇気・元気は、
日本で日本語で、
日本の文化の中で生活するよりも、
くじけることが多くて、
帰る方も多いんですね。
こんなつもりじゃなかったんだけど、
そうですよね、どうしても。
撤退する企業とか人とかがある中で、
いやいや、こうやって頑張ってる人がいるんですよ。
もうちょっと頑張りましょう。
もう1日頑張りましょう。
もう1ヶ月頑張ったら続きますよ。
いろんな分野で、
いろんな規模で活躍している方を紹介することで、
勇気つけられたら、元気つけられたら、
利益のあることだと思って、
勇気・元気。
で、うるおいは、
日常の中でおいしいものを食べに行ったり、
子供を連れに遊んでいくとか、
彼女ができたらデートに行くとか、
アメリカならではの生活をエンジョイする情報。
この3つからそれまでと思ってスタートしました。
でも、最初スタートした時は、
そもそもで言うと、
あ、俺考えたら会社で働いたことないし。
そうですね、確かに。
キャリアとしては。
で、編集もデザインも営業も全部したことなかったので、
何かしたことありそうな人に聞きに行ったりとか、
頼んだりとかしながら、
教わったり、記事を書いてもらったりしながら、
だんだんと自社記事を増やしていった。
見本紙でですね、書くのが好きなんで、
多分うちの社員も知らないんですよ。
見本紙見せたことないんで。
見本紙には恥ずかしい思いで、
小説書いたりしたんですけど、
評判ものすごく悪くて。
ダメですか、小説は。
見本紙でお蔵入りみたいな感じで。
でも、そういう形で、
23で創刊したので、
とにかく広告のデザインもわからない。
当時はですね、
東芝のルポっていうワープロで売って、
コピーマシンで縮小して、
カッターで切ってノリで貼って、
印刷屋さんに持って行く。
すごい原始な感じで。
広告なんかも、
そういう切り張りで作るんですけど、
すごい応援してくれてるお客さんとかには、
応援の気持ちで、
白黒の広告なのに、
枠を太くしたい写真とか入ってると、
こういうのは死んだときにするんだよ。
勝手が。
勝手がわかんなくて。
怒られたり恥かくなかで、
あともう一つは、
とにかく当時いろんな先輩の方たちが、
人気が出るようになったら、
プロを雇えよう。
先に自分が稼ぐんじゃなくて、
自分より給料を出して、
お前が今稼げてるぐらいの給料だったら、
33:01
人は雇えないか。
優秀な人を可能な限り雇うんだよって、
経験のあるメンバーを採用、
働いてもらうようにすることで、
どんどんマシになっていって、
形になってきた感じです。
その後普及していくじゃないですか。
メディアとしては大きくなっていくと思うんですけど、
これがあったから結構注目が集まったとか、
大きくなったとか、
エポックメイキングの出来事ってあったんですか?
紙をもう一枚ずつ重ねていくみたいな感じで、
順番に積み上げていって。
爆発的に伸びたっていうことは、
あんまりないんですけど、
ちょっとずつあるとすると、
例えば1992年か3年ぐらいに、
まだ創刊して2,3年の頃とか、
日経企業とか領事館の人とかが、
集まるようなイベントとか、
まだうちが呼ばれもしない時だったんですけど、
そういう中でうちの会計室さんが、
メンションの挨拶で総領事が、
ライトハウスに寄るとって言って、
引き合いに出してて、
みんな楽しみしてたわよとか言ってくれて、
そうやって周りの人が日常の中で、
あるいはイベントの中で、
行ってくれるようになって、
だんだんと、
ひょっとしたら普段広告が伸びてるペースよりも、
部数のピックアップしていただく、
プリペーパーですから、
ピックアップしていただけるペースが、
ちょっと早くなったりとか、
ちょっと広告が入るペースが増えたり、
っていうのがあったのかもしれないですね。
そういうことですね。
ロサンゼルスで35年以上、
変化を見られてるわけじゃないですか。
最近はやっぱり、
特にコロナ以降は、
急速な円安とかつインフレで、
結構日本人が外に出てくるのは、
しんどくなってきたなって感じがするんですけど、
90年代とか2000年代とか、
あとは2010年代とか、
現地の雰囲気の変化っていうのはあったんですか?
現地の変化。
もちろん30年で切ると、
万がん戦争があったり、
リーマンショックがあったり、
本当にいろんな世界的な事件、事故があったと思います。
やっぱりそういう時って、
広告分析の方も財布の紐が固くなったりとか、
その動きがしばらく様子見るみたいなことがありました。
でも一番影響が大きかったのは、
今回のコロナだったでしょうね。
そうですか。
9・11の時も大変だったけど、
それも皆さん日常生活、経済活動はしてたけど、
コロナの時はですね、
もうエステンシャルビジネス以外はやっちゃダメだし、
そうですよね。
お客様も、
例えば歯医者さんとかも、
保険関係なさそうで行かなくなって、
いろんなビジネスにお客さんが行かなくなる。
その時に半月の後半ですね、
緊急事態ですよっていう状況になった時に、
いくつか決めたことがあって、
とにかく本を出し続ける。
本を出し続けることは何かと思っている。
僕らの使命なので、
本を出し続けることと、
あと父さんの心配はしないでくれ。
36:02
コロナによって大変だから、
雇用を確保できなくなるってことはない。
そのために普段から一生懸命お尻叩いて、
利益を出して税金払って、
内部利本を貯めてきてるから、
1年や2年は大丈夫だと。
売り上げなくなっても何とかできるってこと。
まずメンバーに安心してもらい、
本を出すっていうことの覚悟を決めてもらい。
もう一つは、
お客様が多分広告を
続けられなくなるところがいっぱい出てくると思う。
でもそれは契約分じゃなくて、
お客様のゆとりにお休みするところは
親のお休みしていただいて、
とにかく今できるお手伝いをするのだと。
こういう時に、
俺が俺がって言っちゃダメだよっていうのは、
メンバーに伝えて。
で、実際、
4分の1、3分の1ぐらいは
お客様広告出したくても出せなかったですね。
でも、
そういう姿勢で、
お客様と握ってたことで寄り添って、
その時も無料の、
お客様が自分で打ち込むサイトを立ち上げて、
特に飲食店ですけど、
立ち上げて、
自分で情報を入れて、
広告してもらって宣伝できる。
当時はお店も開けられなかったけど、
テイクアウトはできるので。
テイクアウトでちょっとでも売り上げ作ろうとか、
本当にもう、
うちも大変だけど、
大人にもみんな大変っていう状況だったんですけど、
お客様との結束の固まった時期でもあったと思います。
そうですね。
コロナに関しては、
この越境日本人編で出てきていただいた別の方、
例えばタイで30年、
現地でビジネスをされている小田原さんという方にも
お越しいただいたんですけど、
もういろいろそのタイの正常不安定とか、
クーデターとかあった中で、
やっぱりコロナが一番大変だったという話もされていたので、
やっぱりそれが本当に真理だったなと思ったんですよね。
それでいうと、
そういう風にコロナも含めて、
しかも経済の変化も含めて、
いろいろ乗り越えられてきたと思うんですけど、
今の時点で、
この後やっていきたいことは何かあるんですか?
さっき、シニアの帰国のお話をしたりとか、
アメリカの高校生が日本に進学のお話もしましたけど、
ライトハウスっていうアメリカで、
日本語の上司を出している小さな会社ではあるんですけど、
そこにあることによる信用とかリサーチ力、
いろんなものを調べる力とか、
あと、信用というかつながっていく力とかを活かすと、
対象を少しずらしてあげたりとかすることで、
いろんな可能性チャンスがあると思っていて、
どこか一点というよりも、
今持っているリソースを使って、
これしかないっていうことを思わずに、
もっともっとこのビジネスが、
30何年経ってるんですけど、
もっともっと伸ばしていけるんだろうな、
どっちに向けてって言うと、
もっともっと自分たちの可能性を考え抜いて、
考え抜いたら、
いろんな可能性が広がっていくんだろうな、
っていうふうに思っています。
例えばどういうところに広げていこうと思うんですか?
そうですね、例えば今取り組んでいる、
日本の大学の進学のところも、
39:02
これ一つ取ってみても、
みなさんの一段で言うと、
まだ下から7段ぐらいだと思っていて、
世界には気づけば日本の大学に、
日本に興味を持ってくれる、
高校生ってものすごいいると思っています。
無限とは言わないです。
日本の大学って見方を変えると、
日本の大学ではあるけれども、
アジアですごく気候が良くて、
衛生的で、治安が良くて、物価が安くて、
学ぶ環境もいろんな特色のある学校があります。
それを知っている高校生は、
世界中で言うとどれだけいるの?
っていうところで言っても、
僕らがやれることをやらないといけないことが、
すごくたくさんあると思っています。
アメリカには今、
アメリカの高校生を出しましたけど、
ひょっとしたらアメリカのシニアに向けて、
もし言葉が不自由なく、
AIによってコミュニケーションが取れるなら、
ロゴはアメリカの福祉施設はすごく高いです。
クラクラクラってくるくらい。
アメリカ人が日本に、
世界の人が日本にロゴを。
なるほど。面白いですね。
世界のお金が教育で流入する。
そういうロゴのお金をドカンと持ってくるということで、
日本が売る方が多いかもしれない。
確かに。だから観光で今、
インバウンドで外貨を稼ごうみたいな話をしていますけど、
本当はもっと可能性は多様ということですよね。
教育とか介護とか、その辺もありかもしれない。
なので、そこの制限を決めずに、
制限を決めずにかといって、
いつまで人間で生きられるかわからないので、
その中で注げるリソースの中で、
自分たちだからこそできることとか、
面白いことは今見えていることの延長でも、
もっともっと終わらないといけないし、
見えてない中でもあるんだろうなっていう視点で、
気に入っていけたらいいなと思います。
分かりました。
いやいや、非常に現地の空気感と変化を感じる面白い話でした。
ということで、今日のゲストは、
ライトハウス東京社でCEOの小宮山陽一さんでした。
ありがとうございました。
視聴のお聞きありがとうございました。
というわけで、ライトハウス代表の小宮山陽一さんとのトークをお届けしました。
ちなみに今回もご案内させていただきます。
取材や収録、ビジネスの裏話を、
クロニクルサポーター会員の皆さん向けに、
ボーナストラックとして配信しています。
現在は、クロニクルのビジネスモデルやミッションについて語る
音声企業編を18本配信しています。
また、今年の夏に行った2ヶ月半の海外出張について語った
海外出張編も27本配信していまして、
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この番組の制作費用はサポーター会員制度で賄えておりまして、
いつもサポートしてくださっている皆さん、誠にありがとうございます。
そして、もし番組に価値を感じてくださいましたら、
まだでしたら、ぜひサポーターへの加入を検討いただければ嬉しいです。
42:00
概要欄にリンクを記載しています。
ということで、今日はこのあたりで失礼いたします。
ニュースコネクト、お相手は野村貴文でした。
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それでは、良い週末をお過ごしください。
42:25
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