【土曜版 #95】時間の正体とは。せわしない現代人が知っておきたいベルクソン哲学(ゲスト:平井靖史さん)
2026-09-19 1:19:01

【土曜版 #95】時間の正体とは。せわしない現代人が知っておきたいベルクソン哲学(ゲスト:平井靖史さん)

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「News Connect」土曜版。今回のゲストは慶應義塾大学文学部教授の平井靖史さんです。ベルクソン哲学の第一人者である平井さんに、時間とは何かという根本的な問いから、記憶・生命・社会・AIまで、ベルクソンの哲学のレンズから、現代社会がどのように見えるかをじっくりと伺いました。コスパ・タイパに追われる我々にとって、世界の見え方が変わるインタビューです。

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【ゲストプロフィール】

平井靖史/慶應義塾大学教授

1971年生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業後、東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。現在、慶應義塾大学文学部教授。専門はベルクソン・ライプニッツなど近現代哲学。PBJ(Project Bergson in Japan)代表、日仏哲学会理事、国際ベルクソン協会理事。著書に『世界は時間でできている ベルクソン哲学入門』(青土社)など。

『はじめてのベルクソン 時間をひらく哲学』

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サマリー

慶應義塾大学教授の平井靖史さんが、ベルクソン哲学を手がかりに「時間とは何か」を語る。時計やカレンダーで測れる時間は管理のための便利な入れ物だが、ベルクソンにとって本質的な時間は、物事を未完了のまま展開させ、既存の可能性を超えて新しさを生む力である。記憶については、過去は脳に保存されているというより時間そのものが保持しており、現在の問題や心の「地形」に応じて、過去の出来事の見え方や結びつきが変わると説明される。未来も既存の選択肢から一つを選ぶのではなく、時間の進行によって選択肢の箱自体が後から作られるという。

ベルクソンが捉える時間は「入れ物」ではなく力
時間についてベルクソンは一体どういうふうに語っているかというところで言うと、 実際にライブで動いている時の時間っていうのは、まさに終わってないから時間なんだよ。
その働きや動き、これのことを本書では力って言ったんですね。 時間っていうのは入れ物じゃないんだと。箱のことではなくて力なんだと。
時間こそが物事を展開させて、まだ終わらないように、まだ続きがあるっていうことを引き起こしている。可能性を超えてくるのが現実なんですね。
だから想定できないっていうことは、そもそも可能性っていうのはそういう構造を持っている。 私たちが後しか作れない。それを現実である時間の方は超えてくる。
こんにちは。パーソナリティーの野村孝文です。 本日のゲストは慶應義塾大学文学部教授の平井康さんです。
平井さんの専門領域はベルクソンの哲学です。 ベルクソンといえば時間について探求した哲学者で、
平井さんの新著初めてのベルクソンではその内容について解説がなされています。
こと現代社会はですね時間の流れが早いというふうに感じる方も多いのではないかと思います。
ともすればですね時間に飲み込まれる、せわしなく何かに追い立てられるという経験をされた方も多いかもしれません。
今日はそんな時間について我々はどのように向き合ってどう解釈していったらいいか、じっくりと議論をしていきました。
ひょっとしたら世の中の見る目が少し変わって見えるようなインタビューかもしれません。
それでは本編をどうぞ。
ではお呼びします。ゲストは慶應義塾大学文学部教授の平井靖さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 まずは平井さんのプロフィールをご紹介させていただきます。
1971年生まれ、武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業、東京都立大学大学院博士課程単位取得大学、ベルクソン、ライプニッツなど近現代哲学を専門とされています。
著書に世界は時間でできているベルクソン哲学入門、初めてのベルクソンなどがあります。
はい、あのプロフィールを拝見してすごい興味深いなと思ったんですけど、先生専門は哲学ですよね。なんですけどもともと美大出身だったんですか。
そうですね、武蔵野美術大学というところで油絵学科でして、自分はその頃はだから画家になる、将来は画家になるつもりで学生をやっておりました。
そうなんですね、ここ深掘りすると時間かかりそうなんですけど、じゃあ油絵から哲学に転校されたってことなんですか。
そうなりますね、実際にあの油絵、哲学科に入り直すんですけどその後ですね、その時にやっぱりあの哲学科の教授陣たちからはあのすごい転身ですねと言いますか、
油絵から来た人を初めてだというようなね、あの意見を伺ったんですけど、僕自身の中では、周りから見れるほどそんなに劇的な変化が、
とか展開があったっていうのはイメージはないんですよね、すごく自然な流れで連続的に気がついたら哲学に出会ってしまっていたっていうふうな、
そういう流れでしたので、あの自分の中ですごく連続しているという感じですね。
そうなんですね、ちょっと今日お時間があったらそこをひょっとしたら掘らせていただくかもしれませんが、
今日のメイントピックはベルクソンの哲学ですね、先生の身長初めてのベルクソンを非常に面白く読ませていただきました。
ベルクソンというと、この帯にもある通り、時間というのを探求した哲学者ということなんですよね。
時間って本当に、我々にとっては、我々が生きていく上では絶対に切り離せないものというか、
むしろその我々の人生の有限性っていうのがいろんなことを規定しているなっていうふうに思うんですけど、
まずその時間についてベルクソンは一体どういうふうに語っているかというところで言うと、
まだ決まっていないものが決まっていくためのそれ自体が仕事をしている力であるんだということを書かれていると解釈しました。
素晴らしいですね。
ちょっと改めて、その考え方は一体何であって何でないのかとか、ちょっと詳細をベルクソンは時間としてどう考えているか伺ってもいいですか。
そうですね。よく時間ということを言うときに、まず何でないかから話しますと、
時間といったときには空間と並べてですね、間間で音を踏んでますしね。
実際に物理学では空間が3次元あって、時間が1次元なんで、足して4次元ということで、4次元時空、時間と空間足しちゃって時空って呼んじゃったりもしますね。
どれにも数字でメモリーが打てて、ある種座標みたいな形で、実際に私たちも中学校から座標で時間を表す、空間を表すということに慣れ親しんでいると思うんです。
それは元を正せばそこにそんなにつまずく子どもたちいなくて、それはなぜかというともともと時計があるんですよね。
時計はデジタルだったり物理だったりしますけど、丸くなってても並びは一緒で1,2,3,4,5,6,7,8。
順になったらまた元に戻る。
ばらして紐にすれば結局1本であるという点では変わりないんですけど、そういう1本の線で時間っていうのを表すっていうこと自体がもう馴染んでしまってるんですね。
それはちょうど空間のサイズを測るときに物差しを当てるとメジャーで1本縦は何センチ横は何センチってそれぞれ1本の線を3軸に並べて物の大きさを測るみたいに時間も1本の線で3分ですとか2時間ですというふうに測れると。
この考え方は直感的にも簡単で空間と同じやり方で考えることができるので非常に浸透しているわけです。
なんですけど、ベルクソンが一番、この本の頭で書いたことなんですけど、そのような時間の見え方、大事な捉え方っていうのは時間本体の捉え方の1つであると。
時間を表現する1つのやり方である。だから1つのやり方であるっていう点で別に間違ってると言ってるわけじゃないんです。
だけどそれは唯一じゃない。時間そのものはその線という仕方だけでは捉えられない、もっと豊かなものがあるっていうことですね。
それがまず第一点で、どうしても私は入れ物としての時間とか物差しとしての時間とかいう時間像を時間っていうものに直結させてしまいがちなんですけど、
それでは捉えられない時間があると。で、じゃあそれは何なんだということになりますよね。
何なのだと。空間、確かに時間も空間もカレンダー皆さん持ってまして、日記つけたいとか年間予定作ったりとか、歴史を学べば年表があるし、
全部時間乗っかるじゃないかと。そこには1つ落とし穴があって、それ何かというと、そういうふうに乗っけられると思ってる時間っていうのは全部終わった時間なんです。
完了した時間。完了した時間はこの時これが起こりました、その後これが起こりましたっていうふうに入れ物の中に入れて、
これが3時間でした、これが3日間でしたっていうふうに位置付けることができる。
じゃあ未来はどうかというと、未来も実は中身はまだ埋まってないんですけど、入れ物としてはもう先回りして用意してあって、
それが終わった時にはここにこのカクカクシカシカのことが入るであろう箱みたいな形で先回りして用意してある。
つまりこれは何を意味してるかというと、この私たちが日常使っている時間っていうものが1つの表現だっていうことのポジティブな理由でもあるんですけど、
つまりそういう入れ物の中に入れてあげることで、私たちが使いやすくなる、コントロールしやすくなる、制御しやすくなる。
つまり私たちは生きているわけで、生きているためには何かをいろいろプロジェクトをやったり、金を稼いだり、いろんなことを回さなきゃいけないと。
その管理の、という目的があるわけですね。その管理という目的のために作られたツールである。
この入れ物っていう時間の考え方自体が管理のために人類が作り上げた、もう長年に渡って作り上げたツールなんですね。
概念はツールであるっていうのが僕の別の本でも主張している定義なんですけど、時間も例外ではないわけです。
問題は時間と空間で最も違う、根本的に違うのが、時間はさっきおっしゃったように物事が進んでいくっていうことを引き起こしているわけですよ。
空間ってのは3次元あってもそこにただあるんです。この机の寸法が何センチかけ何センチか、何センチって別に何かが展開してるわけじゃなくて、ただそこにあるんですね。
それと本当にもし時間が一緒だったら、いやもう2026年も7年も8年も全部ゴロッとあるはずなんです。
もし本当に時間と空間が同じものであって、その今の表現の仕方が本当に時間と空間のそのものの真を食ったものであるならば、
空間がただあるのと同じように、時間も過去や未来も問わず、全部ただあればいいんですね。
恐竜時代も、この先のどういう未来を待っているかわかんないその未来も、ただ同じようにあればいいんですけど、そうはなっていない。
時間はただそこに広がってあるんじゃなくて、まさに展開しつつある。
まだ終わっていない、始まって終わっていないその間の時間ですね。
それを未完了っていうふうにこの本のキーワードとして呼んでるんですけど、まだ完了していない。
その完了している間にいろんな正しいことが起こって、私たちはそれに驚いたり揺り動かされたり、それで考えたりして生きていく。
その時間は実はその間で起こってるんだけど、それが全部終わったところでシャッターを切ってしまって、
それで時間を全部終わったかのように並べてしまうと、元の時間像にうまく回収されてしまう。
大事なのはその手前ですよね。実際にライブで動いている時の時間っていうのは、まさに終わってないから時間なんだよって。
その働きや動き、これのことを本書では力って言ったんですね。
時間っていうのは入れ物じゃないんだと、形式じゃない、哲学用語で形式って言ったりするんですけどね、箱のことではなくて力なんだと。
動かす力。時間こそが物事を展開させて、まだ終わらないように、まだ続きがあるっていうことを引き起こしてるっていう。
もしその力が止んでしまったとしたら、すべてがもう揃ってる世界になるわけですね。それ以上何も起こらない。
だからやっぱり時間が生きている時間、動きつつある時間、そこを彼、ベルクソンは時間と呼んでいて、
それはやっぱり最初に見た、便宜のために作り上げた箱とかメジャーとか座標みたいな時間の捉え方では抜き落ちてしまう。
しかも非常に重要な部分ですよね。それが抜き落ちている。そこに注意を喚起したみたいなところかなと思いますね。
ちょっと私が解釈しているからなんですけど、例えば2026年何月何日何秒時点の現実って言うんですかね、この空間があり、過去は確かにおっしゃる通り確定してますよね。
何年何月時点のそれがあり、つまり箱がたくさんあるみたいな、そのイメージだとやっぱり捉えられないものがあるってことなんですか。
そうですね。その箱を埋めていく作業ではないんですね。時間っていうのは。それはこの後の論点と多分いろいろ重なってくると思うんですけど、
その手前で、これも後で戻ると思うんですが、過去もですね、動くんですね。過去も動くんですけど、その動くの意味が大事なんで、それは後でまたお話しすることにして、
つまり、箱を埋めていくっていうよりも、そもそもその箱に当たるものを後から箱に入れられることになる、その箱の形自体もですね、時間っていうのは変えていく。
これは可能性っていう言葉が後で問題になると思うんですけど、知能とも関係しますかね。
私たちが後から振り返るっていうことで常に物事を把握する、そういう一つの癖と言いますか、バイアスがあるわけですよね。
後から見ると、さっき言った理由で、時間と空間の違いは特になくなってしまうわけですよね。完了してるから、じゃあこれはこうだったっていう風にして、きれいに整理できる。
なんですけど、繰り返しになるんですが、時間っていうのはその整理を超えてくるわけですね。だから私たちは予想外のことが起きたとか、想定外だったとか、それは新しいとか、みんな興奮したりとか、
出会いに震えたりできる。そこの新しさっていうのは既存の、どんなに私たちが今までの状況を精緻に分析して把握しても、常に歴史はそれを超えてくるじゃないですか。
それはもう現代社会を見ればもう、それがもう手に取るようにわかる。だからその応一してくる力、私たちが何とかして知能を使って、頭で概念的にきれいに物事を整理してやっても、それを絶えず乗り越えて、その型をはみ出してくる。
その力っていうのを時間っていうふうに捉えてるっていうふうにイメージしてもらえると、わかりやすくなってきますね。
ちょっとその、言葉みたいな話になっちゃうんですけど、力っていうのは入れ物との対比というか、入れ物ではなくて力ですってことですよね。その力っていうのは、それ自体が何かを変化を巻き起こすみたいな、そういう意味のものってことですか。
時間がその流れているそのものが、世の中を予想もつかない方向に動かしてるっていうことですか。
その時間を動かしてるエンジンみたいな感じですね。駆動してる力。
記憶と過去は現在の地形によって現れ直す
なるほど。過去についてちょっと後で触れようと思ったんですけど、せっかくなんでちょっとこの流れで伺うと、過去も確かに、これも想像はつくんですよね。
つまり思い出というか、現代からの解釈によって過去って結構像が変わるよなっていうのは実感値としても思うんですよ。
例えばわかんないですけど、新卒の頃のあの時の仕事大変だったなみたいな記憶が、人生が進んでいくと意外に悪くなかった記憶に書き換わっていくみたいなことってあると思うんですけど、
ということを言ってるんですか?それとは違うっていうことですか?
それは非常に重要な問題でして、3段階ぐらい分けた方がいいかなと思います。
今ご質問いただいたのは記憶についての問題なんですけど、ベルクソンの中では記憶と過去の問題っていうのは非常に密接に結びついてます。
今の問いかけに直接答えるよりも、前に一個前提になる議論として、
ベルクソンでは記憶っていうと忘れるっていうことと覚えてるっていうこととの関係が、おそらく多くの方の一般的な考え方と逆転してるっていうところがあります。
まず、普通はある限られたことを覚えている、努力して覚えていて、それがうっかり失われてしまうことを忘れるっていうふうに言うと思うんですけど、
ベルクソンの場合は逆になってまして、覚えるっていう、私たちの個人の能力というか動力っていう話は、あえて言えばないんですって言ってるんですね。
時間そのものが過去を保持しているので、だからそれは私たちの仕事じゃない、私たちの個人の努力運動という仕事じゃないと。
たとえば何にしましょうかね、何週間か前にこんな地震が起きましたとか、こんな出来事が起こりましたとか、そういうイベントみたいなものが起こったとして、
それを普通は脳の中に手帳に記録するみたいに脳の中の神経が記録しているんだっていうふうに言うと思うんですね。
ベルクソンは別に脳内の痕跡を否定しているわけでは決してないんですけど、大事なのはそれがあるだけでは、
結局それは現在の脳の中にある痕跡でしかないわけですよね。それを過去に結びつけるっていう作業は誰かがやらなきゃいけないわけなんです。
それを私たちやってるわけですよね。つまり何て言ったらいいんでしょうね、たとえば過去とか記憶という概念を一切持っていない宇宙人が来て、
私たちの活動をモニタリングしててですね、私たちの脳の中にいろいろ神経がピコピコ言っていて、ある時点で輪切りにするとこんな神経がありますって言ったときに、
そこに何かあるのはただの神経じゃないですか、タンパク質でできた繊維がごちゃっとあるっていうだけで。
これは3日前のカレーライスとか、3週間前の地震とか、別に何も意味しないわけですね。
それは時間っていうのはここにあるものじゃない何かにそれが繋がってるってことを私たちは理解していて、
その時間の感触っていうのを持ってるから過去だとか言えるわけですよね。
それはちょっとそこから先は少しテクニカルな話になるので、ちょっと省略するんですけど、
その時間というものが複数のスケールってことは今日この本の中でも出しているので、
使わせていただくといろんなスケールの時間というものが動いていますと。
私たちの意識は具体的に言うと秒ぐらいの時間スケールで動いているんですね。
1秒、2秒、3秒のもので会話が成り立ったり運スポーツとか成り立ったりするわけなんですけど、
実はもっともっと大きい時間スケールの動きっていうのがあると、
そいつの中に過去こんなことがあったっていうものも動きなので含まれているわけですね。
一つの発音するときに前半分だけでは発音にならないじゃないですか。
それが一つの発音になるためにはこれが含まれているってことがもうその事実の中に含まれてますよね。
それと同じように大きなゆったりとした動きっていうのはその過去の出来事も含んでいる。
そういう形で時間そのものが過去っていうものをもうある種担保しているっていう、そういう構造になってます。
そうですね。確かに今おっしゃっていただいたところで言うと、
その塊どこまでがその今なのかみたいな塊ってその時々の文脈だったり、
その生きている主体によって違うんだろうなって感じはしますね。
その通りですね。
我々は多分その1秒ぐらいは同じ塊で認識できるんですけど、
よく言われますよ、宇宙の歴史から見たらほんの一瞬みたいな。
そうなんですよ。
宇宙はわかんないですけど、1万年ぐらい一つの塊として認識してるみたいな感じですかね。
もっと多分そのミクロで動いている脳のシナプスとかはもう1秒なんて長すぎて。
そうですね。もうミリ秒とか。
ミリ秒とかでなってるって。そんな感じ。
そんな感じですね。
だからなんか今何してるって、どういう文脈で聞かれるかによって違うじゃないですか。
普段会ってる同僚の先生から今何してるって、今授業の準備してますですけど。
10年ぶりに何かね、昔の同僚から電話来たら、今大学で働いてるとか。
全然答える今のスパンが何年とかいうスケールになるわけですよね。
今30分この資料作りやってますっていうのは答えにならないわけですよね。
そういうふうに時間にはいろんなスケールがあって、
そうすると記憶の話に戻りますけど、覚えてるってこと自体が問題よりも、
むしろそんなふうに全部が保存されてるなら、何で思い出せないのっていう。
そっちの方がむしろ解かなきゃいけない問題なんですよ。
問題自体が逆転するんですね。
何でこれを覚えてるのかじゃなくて、何で我々忘れてるのっていう話になるわけですね。
何で覚えてないのかっていう、何で思い出せないのかって正確に言うと。
だから保持はされてるんですけど、それをアクセスできない。
つまりちゃんと場面を再現映像みたいに、再現VTRみたいに起こせるものって限られてますね。
それはベルクソンももちろん認めてるわけです。経験的な事実として。
私たちはそのうちのごく少数のものだけをこうやって追体験できる、再体験できる記憶、思い出として味わい直すってことができるんですね。
そのことができること自体は実は驚くべきことで、
これはもう長い進化が非常に特殊な能力、技能として私たちに身に付けさせたもの。
でも逆に、実格が保存されてるってこと自体はもうありふれてること。
この宇宙に別に生物に限らなくても、もう存在しててもおかしくない。
そういう事柄なんです。その中からある特定のものを思い出す。
それが2つ目のご質問、元々の質問に戻ってくるわけで、
つまり私たちは不要なものを現在に混ぜ込めることによって、現在の生が混乱するっていうリスクが常にあるわけなんですね。
記憶を持ってしまうということは。
元々記憶のアクセスが最初からなければ、今敵が来たら逃げましょうとか、今餌があるから食べましょうだけで、
やるごとにそんな迷いも何もないわけなんですけど、
今言ったような膨大な過去がありますと、その中のいずれかが取り出すことができるって言った時に、
それが逆に全部出てきてしまうと困るんですね。むしろ。
だから圧倒的な多数を抑え込んで出てこれないようにすることで、
特定の今例えばお話ししてるんで、例えばハジベルでどんなこと書いたかなっていう記憶とかは、
今の僕であればですね、取り出しやすいようになってるわけですけど、
一昨日の晩御飯って急に振られてもわからないとか、小学校の時の修学旅行とか、
そういうのは今多くの方に行ってもらってるというか、全然出てこないようになってる。
そこがやっぱり現在の都合で結構記憶っていうのが、いろんな形で編集されるっていう、
これが基本の図式になってるってことです。
だから生存ということを考えると、今の刺激だけに反応する方が生きやすいっていうことなんですね。
そうなんですね。だから実際に進化を遡ると、単純な生物では、
そんな複雑な脳内で過去の出来事を再構成するとか再体験するみたいな、
これはもうかなりコストがかかるんですね。
だから現状でも、動物の中でもエピソード記憶って言うんですけど、
特定のある時ある場所の思い出っていう記憶にいろんな種類があってですね。
その中で今話しているエピソード記憶っていうものを持っている生物っていうのは本当に限られている。
人間以外に極数種しか知られていないんですね。
なので非常にオプション中のオプションって言いますか、
生物学的には本当はなくてもいい。
なんだけどそれを持っているっていうのが私たちの結構大きな特徴で。
そうすると解釈なのかっていうもともとのですね、
ご質問に戻るとある意味ではそうなんですね。
つまり私たちが今何が必要かっていうことによって、
過去の取り出し方っていうのはかなりこう推路付けられているって言いますか、
枠付けられているところがあるっていうのが基本なので、
その意味ではそうなんですけど、
一つ後誤解として退けておきたい点がありまして、
それはその解釈っていう言葉をある仕方で取ると、
それに当たるってことなんですけどどういうことかというと、
つまり解釈次第だよねっていうある種の相対主義的なって言いますか、
過去はこっちの見方次第でどうにでもなるでしょうっていう、
任意に、恣意的に過去の解釈を変えられるっていう立場ではないっていうことですね。
さっき言ったみたいにもともとが現在の要求とかにおけして、
現在の要求ってのはもう抜き差し算にならない。
今こういうシチュエーションにいるんで、僕はこんな記憶が必要だし、
敵と遭遇した場合はこんな記憶が必要だしっていうふうに、
そういう状況が要求しているものなわけなんですね。
そのことを指すために僕は地形って言葉を使ってました何回かですね。
だから地形が変わっていくんですと。
これはすごい時間がかかるんですけど、
しかしその分、自分の人生の問いに切実な仕方で対応している。
今本当にこの会社を離職すべきかとかですね、退職すべきかどうかとか、
いろいろ人生で決断するときっていうのはやっぱり、
その地形の変化が起こると思うんですね。
日常生活ではこの見方でいいでしょうっていうような、
心の地形みたいなものを持ってるんですけど、
それで問題が解けなくなっているから何か今悩み始めているわけですよね。
決断を考えようとしている。
それが回っていれば別に順風満帆に行くわけなので。
その地形を変形させるっていうのは時間かかるわけですね。
いろんなことを読んで、本読んでみたり、
友達に相談してみたり、自分でも寝ないで考えてみたり、
そうすることでちょっとずつ川の水、川の底を水がえぐるようにですね。
ちょっとずつ地形が変わっていって、
気がつくと最初になかった場所に谷ができていて、
山と谷の配置が変わっている。
その下で過去を見ることができるわけですよね。
今の地形で過去を見ると。
そうすると過去にあったイベントたちは変わらないんですけど、
そこで見えてくるもの、
全然大事じゃないと思っていたモブキャラだったやつがですね、
突然にわかり脚光を浴びるとかですね。
これが私の人生を決めていると思ったイベントが、
実はそうでもなかったりっていう風に変わってくるっていう。
その自分が今作っている、生きている地形が
簡単にこう、あの、特快非快できるようなものじゃない、
自分自身と言っても過言ではないような、
その地形の下で過去も現れ直す。
星座で考えてもらうと、星を動かすわけじゃないんだけど、
まあまずそもそも星から好きなように作れるぜっていうですね、
あのこれ過去、捏造派みたいな。
のとはまず最初大前提として違います。
で、そういう膨大な星たちがそこにある。
だけどどれを使って星座を描くかっていうのは、
ほとんどの星は星座になってないわけなんです。
そうですよね。
無数の星たちが輝いてるんですけど、
そこの輝き点埋もれていて、星座としてピックアップされない。
でも実は本当はいくらでも描き直しがあり得るんですね。
それを人生の中である時には、
ここの星座が気が付いたらこっちの星座に変わってるみたいなことが起こり得るっていう。
そういう意味で過去っていうのは変わり得るっていうような理解ですね。
そうするとその起きたこと、
まあそのある時点でのその現実社会というのは、
もうそれは確定していて、
ただそこから何を取り出すかっていうのは、
あの今の時点から規定されるってことですよね。
なるほど。
過去の僕がプールって言い方してるんですけど、
過去のプールの星座たちですね、星々があるんですけど、
そもそも星の切り出し方自体もですね、変わったりしますからね。
私たちの地形によって変わり方が変わってくる。
ターナーの絵をこの本の最初にですね、描かせていただきましたけど、
私たちはターナーの後に来た印象派っていうのをすでに知ってるわけです。
そうすると今、それで私たちの海外の見方っていうのはもうすでに大きく地形変更されていまして、
そうするとその目で見ると、
ターナーって印象派の先駆的な事例ですねって言ってますけど、
ターナーに言わせてみればですよ。
だから印象派の命もないわけですね。
そこで起こっていることっていうのは、
そういう後から被せてくる地形とは違う力を持っているっていう、
そこの話がね、最初の話とつながるって形になってますね。
なるほど、そうですね。確かに。
後世に、今の時点で後世に自分の絵がどういう文脈で捉えられるかっていうのは分かんないわけですよね。
確かに。
可能性を超えて生まれる未来と自由
ちょっと今過去の話を聞いたんで、未来の話っていうところも伺うんですけど、
なんとなくその未来って確定してなくて、
我々はそのいろんな可能性がある中でそれを選び取ってるっていうのって、
よくあるというか、分かりやすい伝え方だと思うんですけど、
それはメルソンによると違うってことなんですか?
そうですね、これも最初の問いかけの中でチラッと触れたことで、
可能性っていう言葉ですよね。
可能性って言葉について、またベルクソンが変わったことを言ってると言いますが、
普通はやっぱり可能性に満ちた未来とか、
キラキラしたポジティブな用語法って言うんですかね、
言葉の意味合いを持っていると思うんですけど、
いつもそうですけど、別にベルクソンは可能性っていうのはもう偽物で存在しないとか言ってるわけではないんです。
ただ重要な流法をつけてまして、それは後付けだっていうことなんですね。
だから先ほど言った時間という働きが、まだ顔も持たない無名のとにかくはみ出していく力みたいな、
そういったものが現実を作って、新しい現実を作ってしまって、
新しい現実が作ってしまった後になって、私たちは慌てて追いかけて、
今何が起こったんだろうってやっぱり理解したくなるわけですよね。
そう理解する時には理解できるツールって今まで持ってきたツールですよね。
概念とか図式とか原理とか仮説とか、そういったものの中に何とかして入れようとする。
もちろんそこで書き換えをするわけですけど、
そうやって新しく書き換えられた新しい概念の地図みたいなものにガバッと被せてあげて、
これは今の新しいイベントはこの地図のここに位置してますというふうに、
ちゃんと位置づけてあげられると私たちは満足するわけですよ。
やってるのは可能性の地図に最初は書けなかったんだけど、
それを新しく書けるようにうまく調整し直して、
修理完了、またこれでいきましょうっていうふうなスタンスに持っていく。
常に完了した状態になっていると、先ほど言った通り、
それが扱いやすいからこそ私たちはそれをやるわけなので、
そういうふうに位置づけられていれば関係も分かりやすいですしね。
じゃあこうしましょうっていうふうにして行動につなげやすいから、
そういう既存の可能性の網の目に収めるっていうことを私たちの知能は主たる任務として背負ってるわけですね。
そのことは非常に重要ですよ。
それを否定してるわけじゃないんですけど、
そのことが実はその時間とは裏腹な関係にあってっていうことですね。
未来の開かれっていうことについて、
ベルクソンはもちろん否定してるわけじゃないんですよ。
実際に今言ったような仕方で未来は開かれてるんですけど、
それを可能性のオプションが5通りあるんだけど、
その中のどれになるかは決まってませんみたいな、
そういう意味での開かれではないってことですね。
可能性のオプションが最初に決まってるっていうこと自体を乗り越えていくってことですね。
そうすると時間がそれ自体が力なんで、
何かを引き起こす状況変化を引き起こして、
最初我々はそれを理解できないんですけど、
それをいろんなツールの枠組みに当てはめて、
ああそういうことが起きたのねっていうふうに理解するということを繰り返してるってことなんですか?
だからその可能性っていう言葉で、
さっきお話したこととちょうど裏返しになるんですけど、
未来が開かれているっていうことに、
先ほど2つの取り方があるっていうことを言ったわけですね。
つまりオプションが5つでも4つでもいいんですけど、
あってその中のどれになるかだけ決まってないっていう。
これは箱がもう5個あって、その中のどれですかっていう、
そういう開かれ方。
もう1個がよりラディカルで、そもそも箱を越えていく。
まだ箱は後から作るので、その段階ではまだ箱がない。
ベルクソンは後者だっていう話をしたわけなんです。
そこは何がかかっているか、欠欠金として何がかかっているかというと、
やっぱ新しさっていう概念なんですよね。
分かりやすく、もっと具体的な例にすると、
私たちどうしてもそっちに吸い取られちゃうので、
本当に単純化してあげると、
例えばサイコロを2つ買ってきました。
新しい購入のサイコロ。
何回か振って、
あとに、まだ4のゾロ目が出てないです。
4のゾロ目が出たら、新しいって言うかっていう話なんですよね。
うーんっていう感じがしますよね。
確かに今買ってきてから、このサイコロでは4のゾロ目は出してないけど、
でも6の目ずつしかなくて、6×6の36通りしかなくて、
その中に4のゾロ目はもう含まれているわけですよね。
それがまだ決まってなかったけど、今4のゾロ目が出ましたと言って、
それが本当の意味で新しさっていう風に言われるかというと、
もやもやするじゃないですか。
ベルクソンが考えているのは、
実はそれと同じことを私たち大きなスケールでやってしまっていて、
例えば子供に、小さい子供に将来の夢は何?とか聞くときに、
暗黙にもう既存の触手のリストみたいなのがあるわけですね。
何種類かわかんないですけど。
30種類か100種類かの。
消防士と言うかなとか。
そう、現在存在しているカテゴリーのメニューの中から、
この子はまだ決まってないって、こっちからむしろ押し付けてるんですね。
これは時間にとって、つまり子供自身の未来にとって、
非常に不自由なことなわけです。
むしろそもそもそんなカテゴリーじゃない触手。
バンバン出てくるわけじゃないですか、実際に。
だから今、利用可能な箱の中のどれかが決まってないってことは、
全然時間にとっては未来の話じゃないんです。
なぜならその可能性のリストは今あるリストだから。
そのリストが変わっていくこと自体が時間だってこと。
ちょっとわかってきた感じがしました。
それがベルクソンにとっての未来が開かれているっていう言葉の意味でして、
それは実はさっきの記憶の話とつながってるんですね。
過去が開かれてるっていうことと、
このリンクしてるのがベルクソンの面白いところだと思うんです。
今言った理由で、過去を無から捏造するって話ではないのは先ほど言った通りですけど、
こんな人生があって今まで何十年か生きてきましたったら、
ここを動かせないで、
ここの自分の人生の軌跡を動かせないで、
今ここからはい、無限の可能性です。
つまり箱のない自由ですっていう風に言われても、
ただのランダムになっちゃうわけですね。
ただサイコロ振るみたいな形になっちゃうわけです、それこそ。
ベルクソンはやっぱり、これは結構行為の哲学っていうのの分野で
しきりに議論されていることなんですけど、
一本道に決まっていると決定論といって自由はないと。
だけど完全にオープンだと、
今までの経路、人生経路は一緒ですね。
ここまでの条件が全く一緒なのに、
ここからどれでも選べますって言われると、
選ぶ根拠がないわけで、
ランダム、純粋な無差別選択みたいになっちゃう。
無作為抽出みたいな形になってしまう。
どっちにしても進みますよねっていう議論が、
行為の哲学、ないしは自由の哲学という分野でなされているんですけど、
ベルクソンはその議論を知ってか知らずか、
実は第三の立場を取ってまして、
さっき言った理由で、今からここまでが変わらないで、
今から急にゼロから何か一応生み出すっていうんじゃなくて、
実は私たち人生の中でいろんな、
さっき言った無数の過去のプールがあるわけですね。
今まで使っていなかった、
まだ星座として描いていなかった星たちがいっぱいあるわけなんですね。
それが描き直すと軌道が変わるんですよ実は。
その手前の軌道が。
手前の軌道が変わると未来の軌道が見えてくるじゃないですか。
それが新しさが生まれてくる。
もう一度過去、時間全体をですね、
混ぜっかえすようなイメージなんですよ。
ここはイメージとしてお伝えできるといいかなと思って、
線がこう、カメラがこっちなんですかね。
1個ずつ並んでるようなイメージですね瞬間が。
だけどVEXの場合はスケールが小さい時っていうのは、
この中に現在過去1瞬間分ずつ、これがこれを決めます。
これが決めますみたいな。
自動運転の場合はこれでいいんですね。
今ある状態から次の状態でできて困らなければ。
だけどさっき言ったみたいに、
大きな人生の起動に立つとか社会が変わるとか、
生命で進化が起こるとかいう新しいこと。
今までの枠では収まらないことが起こる時には、
この時間の窓って言うんですけど、
このサイズを大きくしないといけないと。
過去もこの瞬間、20ミリ秒後のことを考えてるとか、
明日のことを考えてるんじゃなくて、
もっと遠いみたい未来のことを考えたい。
そのためにはこっちに戻さないといけないって言うんですね。
それを人生振り返るわけじゃないですか、私たちが。
いろんなことを考えて、これでよかったのかなとか、
あの時のあの一言って実はこんな意味だったのかもとか、
そういう捉え返しで、
この狭かった時間の幅、風呂敷と言いますか、
この領域がグワーッと押し広げられて、
それでその中に素材がいっぱい入ってきて、
それをパンコネみたいに練り直すと、
新しい形ができますっていう、
そういうイメージの話なんですね。
それはでも結構分かりやすいですね。
多分、今日1日を振り返っても人生で変わんないと思うんですよね。
変わんないですけど、1年ぐらいを今として振り返ると、
何か見えてくるものが違うみたいな感じですよね。
これ飛ぶ矢の比喩でベルクソンが出してまして、
矢の比喩っていうのは実は時間哲学で、
ゼノンのパラドクスっていう有名なやつがあるんですけど、
それをベルクソンは否定した上で、
あえて肝骨脱退してですね、自分の矢を作るんですけど、
いっぱい後ろに引いた分前に飛ぶっていう。
ただちょっとだけ5ミリぐらい引いてもポヨンって落ちるだけなんですよね。
だけどグーッて引っ張る。
ここにはすごい緊張と努力と、そして熟練の辛い時間がいるんですけど、
その緊張がビュンってそれだけ遠くにね、
力強くロバストに飛ぶ力を生んでくれるっていう、
そういう過去と未来の幅が変わっていくっていうようなイメージを描いていて、
普通の前から順番に決まっていくっていう、
位置方向的な時間とはちょっと捉え方が違うわけですよね。
たしかに。
なんかそれで言うとちょっと話が外れちゃうんですけど、
自分も含めてほとんどの場合は、
自分の経験している時間は今と捉えやすいと思うんですよね。
今日1日は絶対そうですし、1年であっても10年であっても見聞きしてるんで、
それを塊として捉えるんですけど、
努力によっては自分が生きていない時間も、
今として捉えることもできるっていう感じなんですかね。
そこはね、デルクソン解釈の中でも分かれると思います。
基本的には個人で、
特に物質と記憶っていうこの本だと3章で扱った彼の本があるんですけど、
記憶論の一番原点なんですけど、
そこでは基本的には個人の話をしてます。
なんですけど、デルクソンはその後で進化の話をしたりだとか、
社会の話をしたりするんです。
これ明らかに時間スケールとしては、
個人の生涯、80年とか100年よりも大きいものを考えてるわけですね。
それはもちろん根拠なしに言ってるわけじゃなくて、
いろいろ当時の生物学とか社会学の治療に基づいて言ってるわけですけど、
ある個人がその生物学的な進化のことを覚えてるのかっていうと、
普通は常識的にはないですよね、現代の考え方でも。
なんですけど、デルクソンはですね、
そこが解釈が分かれるのは、
時々チラリホラそんなことをね、言ってる。
そこが面白いところで、僕も今後ちょっと研究で掘り下げてみたいなって思ってる。
だから、デルクソン研究としてコンセンサスはない状態ですね。
なるほど、ありがとうございます。
じゃあちょっと、思いつきで言ってしまった話だったんですけど。
いやでも、実は熱いポイントです。
そうなんですね。
でもなんか、ちょっとずつ像が浮かび始めてきたなって感じがしました。
AIは時間構造の違いを照らし出す
それで言うと、ちょっと現代の事象とつなげてみたいなと思うんですけど、
多分この考え方そのものでも、結構世界を見る目が変わるなという感じがしてるんですけど、
よりじゃあ、そのレンズから世界を見つめると何が見えるのかっていうところを伺っていきたいと思うんですけど、
多分本当に今で言うと、AIの時代であり、
ちょっと国際情勢が緊張している、つまり戦争の改善性が高まっている時代であり、
あとは本当にバイオテクノロジーによって生命そのものが書き換えられていく時代というのが21世紀だな、
2020年代以降かなという感じがするんですけど、
AIという、知能、知能と言うのか分かんないですけど、
知能ですね。
何かが登場するじゃないですか。
人工知能です。
人工知能ですよね。
で、その前、本でも触れてますけど、
AIが出してくる文章っていうのは何かを考えているというよりも、
確率的にその高いパターンの組み合わせであるっていう話で、
これは結構リスナーさんも含めて共有している知識かなと思うんですけど、
その事象っていうのはそのベルクソンの哲学から見るとどう解釈できるというか、
どんなふうに捉えられるんですか。
面白いですよね。
特に今私たちがAIと呼んでいるものはLLMで、
Large Language Model、大規模言語モデルと言われるものですけど、
彼らの、彼らっていうのがいいんですけど、
あのモデルの時間の面白いというか、新しいところっていうのは、
まずその前提として、
よくこれもベルクソンにありがちな誤解をあらかじめさっき言っておきたいんですけど、
ベルクソンって何かやっぱり生きられた時間を擁護して、
時計の時間とか技術とかテクノロジーに対してアンチなんじゃないかみたいな、
このスローライフとか、
そういう単純な対立で、
ベルクソンは生命の擁護者であって機械は反対だっていうような
膨らみ方をされることがたまにあるんですけど、
それははっきり間違いでして、
先ほど言ったその進化の議論の中から、
そもそも私たちのもともと持っているこの天然の知能ですね、人工知能なら。
天然の方の知能自体が今言ったような可能性を使ってですね、
物事を利用可能にして、
私たちの行動を拡大に押し広げてきたわけ。
そういう能力として知能っていうのは進化のそのものの中で目覚めてきたわけですよね。
その中に道具もあるし技術もあるわけです。
だからそれを否定するってことは、
生命の進化自体をある種否定してるってことになるわけですね。
その進化の方略の一つですよ。
唯一じゃないんですけど、
この地上でいろんな生存戦略、生命戦略があって、
その中のある特定の種は人間を含む種は、
その知能を発達させることで、
道具を使いテクノロジーを開発させるっていうことに特化してきたっていう、
そういう経緯があるので、
決してAIに対して頭子なしに否定するってことはないわけです。
で、先ほどの話に戻ると、
とはいえ同じじゃないわけですね。
特に時間に注目した時に、
同じじゃない点がある。
それはまず今のモデルは、
行為が行為者を変えないっていう。
私たちの場合ですと行為が行為者を変えるってこの、
再帰的って言うんですけど、戻ってくる。
自分に戻ってくる動きがありますね。
こんなことを議論したってことが、
私の明日の車に変えるわけじゃないですか。
そうですね。
今もらった話から自分のインスピレーションが得て、
なるほどこうかっていうふうにして、
心の考え方の地形がまたわずかに変わったりとか、
リアルタイムの会話、会話自体はすごく小さい時間スケールでやってるわけですね。
秒とか30分とかっていう時間スケールで行われてるんですけど、
それがもうすぐに、
明日の捉え方とか、
これから次の論文の文言に変容をもたらしたりとか、
そういう変化があるわけですよね。
今のLLMは何ヶ月かごとにリリースされるんですよね。
その間に集中的に学習だけやって、
あとはリリースされたら、今度は使うだけなんですよね。
だから学ぶのと使うのの間が完全に分離されてて、
使うときは僕たちがクエリー投げて答える。
そこでのインタラクションは人間に合わせて秒のスケールで行われるようになってますよね。
そこで、しかもこっちがある初期設定とかしてあげたりすることで、
その場限りの変容ってことは起こるんですね。
そこで新しいアイディアみたいなものを、
もしかしたら編み出すってこともあるかもしれないんですけど、
それはやっぱりこの元のモデルそのものは書き込まれないで、
ごそりその場で消えちゃうわけですね。
だからある意味ですね、時間スケールが分離されすぎちゃってる、
ちょっと専門的な言い方になりますかね。
私たちですと、この会話の時間スケールとか、
日常の業務の時間スケールとか、人生の時間スケールまで、
いろんな相互作用がいつも起こってる。
いつも起こってて、同じ映画を見ても昨日とはちょっと違う。
同じものを食べても昨日とはちょっと違う。
そういうことがいつでも起こるようになってる。
そこが二度と同じ経験ができない新しさっていうのを
引き起こしてる仕組みになってるわけなんですけど、
それが、LLMの場合は学習のフェーズと仕様のフェーズが
綺麗に分かれちゃってるっていうことがあるので、
新しさっていうのが出てくる場所がちょっと違うって感じですかね。
リアルタイムのやり取りではもしかしたら結構近いっていうか、
同じことをやってるかもしれない。
だけどそれが人生を通して変わっていくとか、
ゆっくり遅い地形の変化みたいなものが
ちょっと封じられてるようなところがある。
それはでも必ずしもネガティブかどうか分からなくて、
私たちが地上で生まれた生物としては、
時間が自然にそういう設計を選んできたっていうところがあるだけなわけで、
逆に私たちが人工的にそういうものを作ったことによって、
ある種の対象実験ができる。
全然違う時間の仕組みを持ってるっていう存在が、
しかも知能を持った存在が出てきてるっていうことは、
地球史上初めてのことなわけなんで、
そこからひるがえって私たちの時間構造について、
教えてくれるっていうことが多々あり得ると思うんです。
それはやっぱり人工知能とか、
そういう新しい技術をもたらしてくれる、
洞察だと思いますね。
大将実験って面白いですね。
行為が行為者を変える。
我々は何かを選んでいる時点で、
我々自身も影響されてるんで、
影響されない場合は分かんないわけですよね。
どうやっても影響されちゃうからね。
なので、逆に影響されないっていうことは、
どういう状態なのかっていうのは、
人間だと実験できないんですね。
原理的に難しい。
だけどLMだとそれができるっていう。
そういう意味で、いろんな面で人工知能って、
私たちの天然知能のスペックって言いますか、
仕様がどうなふうにできてるのかっていうことを、
照らし出してくれる、
そういう大将実験的な側面があるんですけど、
ベルキソン的には、
この今言った時間スケールの切除、
かなり人工的な切除っていうことがあるっていうのは、
面白い点かなって思います。
そうですね。
アート体験と人生を揺さぶる未完了
確かにAIの登場以来、
私の場合はコンテンツを作る仕事なんですけど、
我々は何をコンテンツとして需要してるのかとか、
何を楽しいと思ってるのかとか、
心が動くとは何なのかみたいなことを、
今までは暗黙として、
暗黙のうちにそうだよねって思ってたんですけど、
すごく限りなくそれっぽいんだけど、
本物じゃないみたいなものが出てきたときに、
やっぱり考えざるを得ないんですよね。
何を受け取ってるんだ、我々はみたいな。
それと同じような感じですよね。
確かにコンテンツの話で言うと、
実は今僕、
アート関連の方々との共同研究もやってまして、
今言った、私が何かアート体験において、
何か経験するときに、
何が起こってるのかについての、
ボキャベラリーって言いますか、
概念装置としてベルクソンが使えるんじゃないかと。
その未完了って言葉を、
現時点で公開してる論文では、
3段階考えてまして、
近くレベルでも未完了。
だからちょっと感覚的にドキッとするって言いますか、
ちょっと普通じゃない感覚とかありますよね。
アート体験で、体験型のアート体験。
でもそれはその場で楽しい、こんな感じ、味わい始めてたとか、
そういう驚きとともに消費されて、
でもあんまりそれ以上、特に人生に影響とかない。
感覚的なおかしさというか面白さだけがある。
もう少し大きいと、
イベントの体験会場からお持ち帰りするような、
何か引っかかったなとか、
何かこれは新しいアイディアだなということで、
少し大引いて、
自分の中で考え方を問い直されるような、
これは記憶のランドスケープが変わるっていう風に言ってるんですけど、
考え方も含めて記憶なので、
そういったものが変わっていくような時間スケールで、
新しく未完了が起こると。
今ではもうこれはこうでしょ、これはこうでしょっていう風に箱に入れてたものが、
一回その箱の見直しが促されてしまうような、
ライブレベルの未完了経験をアート体験ですることありますよね。
それはその近くのスケールとちょっと違う記憶のスケールになっていく。
で、一番もっと大きいのは、
そういったものが今のはテーマ別なんですけど、
実は全部に、自分の人生全体が実は見直さなきゃいけない。
結構この場合は人生の危機ぐらいになるわけですけど、
何から何までわかんなくなるみたいなことが起こる。
それは結構必ずしもいいことかどうかわかんないんですけど、
起こる時があると思うんです。
それを実存的未完了っていう風に呼んで、
人生スパンでの全面的な見直し。
これはやっぱりちょっとそれまでと違うのは、
他のやつはですね、そこのある場所を改編する時に、
残りのフィールドがあるから、
自分が外に立って修理ができるわけですよね。
記憶でもこのテーマやってる時に、
他のまだ自分の領地があるから、
そこから外から修理するってことができる。
実存的未完了の場合は、自分の今漕いでる船が、
乗ってまま直さなきゃいけないみたいな状態なんですね。
外の領地がないわけですね。
外の領地がない。
それは本当にすごい曲芸が必要になる。
だから本当に困難なんですけど、
人生におそらく何回かそういうことが起こる。
そういったことをベルクソンは自由な問題を考える時に、
例として考えていて、
そういうアート体験っていうのも、
いろんなそういう時間スケールごとの未完了層の開かれ方。
同じ一言で開くって言っても、
どのスケールで開いてるのかっていうことで、
もう少し解像度を上げて、
分析することができるんじゃないかっていうような仕事もしてますので。
ちょっと個人の近くというか、
個人から見た時間というところに少しフォーカスしたんで、
戦争と社会を生む閉じる力・開く力
社会全体というところに広げようと思うんですけど、
こんなにベルクソンは、
社会に対しての洞察を深めているというふうに、
著書で背読みしました。
戦争がやっぱり今の世の中の本当に一番のイシューで、
結構ベルクソンはやっぱり戦争の止められなさにも着目されているというふうに伺ったんですけど、
どういうものとして捉えていたんですか。
そうですね、戦争の問題はまず大きいのは、
彼の社会、その前に前提として彼の時代で、
彼がこの本、社会論を書いた本が、
1932年の道徳と宗教の二元戦という本なんですけども、
第一次世界大戦を人類は経験してるんですね。
そこで彼が直面したことっていうのはすごく大きくて、
実際に第一次世界大戦中もフランス政府の大使としてですね、
アメリカに渡って活動、戦争への参入を呼びかけるとか、
本当に物理的に介入してるぐらい影響力を当時もすでに持っていた人物でして、
その戦争が終わった後、国際知的協力委員会というものが立ち上げられまして、
それの初代議長を務めています。
これは現在で言うユネスコの前身というふうに言われているものでして、
そこでアンシュタインとかキュウリ夫人とかといった人たちと一緒に
平和を模索するというような実際の活動もしてるんですね。
まずそういう社会情勢が人類初めての世界大戦ですよね。
大量殺戮の体験を人類が初めてした。
その後、戦後、平和を模索するという動きもやっていた。
しかしその後、最終的に第二次世界大戦も起こってしまうわけですよね。
だからベルクソンは別にそのことだけできっかけでそうだという解釈はできないと思うんですけど、
戦争が単純な権力者の欲望だとか、あるいは配慮の足りなさだとか、
個人の怠惰であるとかですね。
そういった努力でなんとかなるような、頭で考えてなんとかなるような問題ではない。
とりあえず言うと悲観的に聞こえるかもしれないんですけど、
ベルクソンとしては純粋に事実認識として理性的に対応して話せばわかるとかですね。
みんながちゃんと冷静に考えれば人殺しは良くないんだからと言って戦争なくなるかというと、
現になくならないんだと。
そこにはもっと根本的な理由がある。
それが個人の能力の問題じゃない、
あるいは単に理性とか合理性とかの問題ではないレベルの起源がある。
それがこの最後の書籍である二つの厳選のテーマになってるわけですね。
そこでやっぱりベルクソンは、そもそも人間が社会を作ってるっていうことはどうやって可能になってるのかっていうところから掘り下げるんですね。
かなり根本的なところから、戦争からだいぶ手前に降りるんですけど。
彼はその前に進化についての著作を書いているので、生物の中で別に社会を作るのは人間だけじゃないってことを知ってるわけですね。
典型的なのは昆虫の社会ですね。
アリとかハチとかっていうのは非常に立派なその社会を作っていて、役割分担もはっきりしていて、組織立ってますね。
秩序立ってます。
だからもう本当に社会の理想っていうのは非常に秩序立って、
ちゃんと人間よりも世代数で言えば膨大な歴史にわたってちゃんと運用しているわけですよ。
人間の社会ってそれと同じなのかっていうと、実はその前提として根本的に違うことがあって、それが先ほどから出てきている知能なんですね。
だから私たちは知能を持っていると。
知能の働き、今日の対話でも何度か出てきてますけど可能性を作るだとか、それを使って未来のために生理生存するとかそういうことがあるんですけど、
基本的には知能っていうのは私たち利便性のために物事を分解して利用してやる活用してやるっていうそういう力なわけですよね。
もともと道具の発明家そうですね。もともと枝っていうのは人間が物を取るために落ちてるわけじゃなくて、
ただの植物の落下物なんですけど、それを転用して自分の利益のために使うっていう。
もともと理工的で自己中心的なところがあるわけです。
そういう知能を持ったことが最大の特徴であるところの人間が社会を作れるっていうのは本当は矛盾なんですね。
つまりみんなが自分のことを考えてたら社会はできないわけなので。
アリア8であればその知能っていうのはもちろんゼロではないんですけど、そんなに目立っていなくて、
もうそもそも本能的に埋め込まれたアリア働き鉢はもう働きアリとして生まれたらもう文句も言わずただ働き続けるわけですね。
自分だけがサボってもいいんじゃないみたいなフリーライダーって言いますけど、
人間の社会はフリーライダーだらけですけど、そういうのはいないわけです。
だから社会ができるようにもう本能レベルでセッティングされてるんですが、
人間の場合は本当はよく考えたらおかしいんですね。
一人一人が自分の利益追求したら社会崩壊しておかしくない。
そこでベルクソンが考えたのがそれと対応して人間だけが道徳とか宗教を持ってるわけですよね。
だからつまり道徳とか宗教っていうのはそういう知能を持った存在が社会を作ろうとした時に
バラバラになってしまうのをある種外からタガで閉めるみたいな。
そういう追加の装置として出来上がった。
で、そのバランスで社会や道徳の規範が外れちゃったらもうバラバラになっちゃうんですね。
逆にもともと知能なかったらそれいらないわけですね。自分たち最初から結束するから。
その知能と宗教や道徳っていうものの結構で人間の社会はなんとかその社会を保っている。
それを閉じた社会っていうふうに言うわけです。
だから閉じた社会の閉じる力っていうのが存在しなきゃいけない理由は
そういうところから来てるんで根が深いわけですよ。
私たちが知能を持ってることと同じぐらい根が深いものだと。
その閉じる力は私たちが共同体を作る力。
共同体を作る力って自体は別に良くも悪くもないと思うんですけど
どうしても外を作るわけですね。
内を結束するってことは外を作ることなんですよ。
だからこれは原理的に人間が社会を作るっていう時に内向きの縛る力が必ず必要で
それは必ず外に仲間じゃないやつ、メンバーじゃないやつっていうのを作るっていうことを
画期的に埋め付けられているわけなんです。
だから戦争が起こること自体を個人の責任に期するっていうのはむしろおかしくて
問題をいつも逆転させるのは一緒ですよね。
むしろ怒らない方がおかしいぐらいの感じじゃないですか。
何かで束ねないとそもそも我々の社会っていうのは成立しえないと。
そうすると束ねるということは束ねたものの外に絶対に何かが存在するので
仲間を作るってことは敵を作ることなんですよ。
ってことですよね。
そうしないと我々の社会は終わんないわけなんですね。
だから人類みんな兄弟みたいなふうになったら
それはそれでまた地球上じゃない外部がいるみたいな感じになるわけなんですかね。
そうですね。
そこだけ言うとちょっと悲観的に聞こえるかもしれないんですけど
それが二つの厳選っていうタイトルにある一方側なんですよ。
私たちが社会を作るって言った時のその閉じる力。
ただ希望は逆の反対のつまり開く力ですね。この本のタイトルにもなってる。
社会っていうのが生きるため、社会をちゃんと生き延びさせるためには
閉じる力がいるっていうのが先ほど言ったものなんですけど
それでも時間はそれを応一してくる。いつもと同じパターンなんですけど。
それがこの二つの厳選の中で取り上げた例ですと
宗教家ですよね。神秘家と呼ばれてる宗教家だとか
あるいは道徳的な革命家だとか
新しい人権がね提唱した人だとか
これまでの通常の価値観で言えば
つまり閉じる力で言えばおかしいじゃないかと隣人を愛せよって
敵だぞっていう。それに反する力って必ず生まれてきた。
しかもそれは単なるイレギュラーで終われば歴史に残ってないはずなんですけど
私たちはイエスキリストのことも知ってるしブッダのことも知ってるし
人権概念もちろん持ってるし
そのちゃんとインストールできてるわけですよね。
これはさっきの閉じる力では説明できない
もう一つの力厳選なわけです。
ベクソンとってはこっちが本体なわけですね。
ただそっちだけ言ってるとただのオプティミストって言いますか
やっぱ社会が成り立つ大前提として閉じる力がいる
これをゼロにするってことは絶対できないんです。
だけどその力の中でそれでも私たちはそれを乗り越えてきた
それを乗り越える力があった
それは本当にただのサイズで見ると
わずかな本当に一人の個人なわけですね。
たった一人の個人なんですよ。何億人も生まれて死んできた
この人類の地上の歴史の中で
でもその一人が何かを見てしまっていて
その当時の地形、社会の地形ではもうあり得ないから
普通はもう隠されてしまっている。その人たちのシワからは
そういう新しい地形を見えちゃうんですね。
でもそれはちゃんと理にかなった地形だから
他の人はただ自力で見つけられないだけで
見せられるとそれだよってなるわけです。
それだよって目が開かれると
単に外から強制されてそうしなきゃっていうんじゃなくて
そうなりたいって思うようになるわけですよね。
そこが閉じる力と開く力の違いで
閉じる力はさっき言ったみたいに外からバインドするわけです。
外から締め付けるわけです。これしちゃダメです。
これはこっち側となきゃダメですとか
こうしちゃダメです。こうするべきですという風にして
人を外から縛る力なんですけど
今言った開く力っていうのは何か個人が現れて
そこにまた別の個人がいて
そこで何かが起こるわけです。
これを共鳴と呼んだり出会いと呼んだりするわけです。
そこで本当は見えないはずのものが
未来の地形みたいなものが垣間見えちゃう。
それは何を捨ててでも実現する価値があるという風に
その感化された人自身が動かされてしまうわけですよね。
そういったことが輪のように広がっていって
ベルクさんは火事のように広がるんですけど
一回火がつくとバーって変わって
気がついたら社会の地形がもうセロのようにですね
バタバタバタッと変わって
従来の常識だったものが変わって
そういうことが起こるんだというようなことを述べているわけです。
そこは構造上は閉じる力が働くんですけど
自然状態というんですかね
なんですけど結構我々はそれを乗り越えてきたという
そういうことを言ってるわけですね。
それもすごく重要な点です。
生命の進化とバイオテクノロジー
ちょっとあと2点ほど伺いたいんですけど
もう1個4首長のうちの創造的進化
生命について語ってますね。
結構ベルクソンって本当に射程が広いなって考えられるんですけど
生命についても洞察をしていて
その生命というのはその押し広げようとする力が物質と抵抗してできたもの
でちょっとこれが何かという話と
あとその今って生命そのものを作り変えようとするバイオテクノロジーが
普及しているというか
結構私個人的に21世紀後半の
結構一番に近いイシューになるんじゃないかなって感じもしてるんですけど
生命とは何かっていうのは
これについてそのバイオテクノロジーに目を移すと何が見えてくるか
この辺りを伺ってもいいですか
そうですね
今引用してくださった言及してくださった
ベルクソンの生命の進化の捉え方なんですけど
キーワードとしては水路付けっていう言葉があるんですね
英語で言うとCanalization
Canalにするっていう
そういうのにするっていう言い方なんですけど
これのイメージっていうのは一言で言うと突破なんですよね
それまでなかった地形
なかった場所に新しく道を作るってことなんで
すごい抵抗があるわけですよね
もともと通っている道を通れば別に努力はいらないわけですね
水が低い方に流れるっていうだけで
ただ物事は進んでいくと
なんですけど新しい水路ができるときには
岩壁だったとかかがんであったところに
新しく突破しなきゃいけないわけです
でその突破っていうことは
この収録で何回か話している
時間のはみ出していく力っていうことで
割と重なると思うんですけど
ベルキックさんが面白いのは
生命っていうことで
具体的に私たちは生物のことを考えますよね
具体的な身体を持った生き物がいると
指が5本で手が2本とか
具体的な形を持っているわけなんですけど
これがですね
ネガだって言うんですね
ネガ
この本の中で何回か使った言葉なんですけど
ポジとネガのネガですね
つまり裏側から進化を見ているっていうイメージなんですけど
さっき言った本体は突破する力なんです
もう一度水の水の例に戻せば
水が突破すると
ある特定の形の川岸ができますよね
結果論として
見えてるのは川岸だというわけです
結果として生まれたものなんですね
結果としてできているのは川岸だと
でもそれはその川岸ができる手前で
それを突破して
今までそこに箱がなかった
今までそこに道がなかったところに
道を作るっていう
この突破する水路付けの働きが
時間の働きが
時間の創造的な働きがあったんだ
でも働きそのものは見えないわけですよね
私たちには出来上がったものしか見えない
そこでまた反転させるという形なんですよね
私たちに見えているもので
生物は語りがちなんだけど
なんでこの形になっているかというと
その手前で問題を解決し
問題を解決する中で
ある特定の川岸が出来上がってきたと
それが現在存在している生物なんだ
バイオテクノロジーで手を入れているのは
出来上がった細胞の分子レベルの
設計図みたいなイメージですよね
それに手を入れるということをやっているんですけど
これは繰り返しになりますけど
ベルクソンはテクノロジーを否定する人ではないので
確か新しい技術なんですよね
新しい技術で私たちが生命をすらコントロールするために
私たちの知能が
知能のお仕事はコントロールすることですから
制御して分解してコントロールするという中で
DNAにも手を入れて
そこから新しい身体という道具を
改変していくということをやっていると
ただ忘れちゃいけないのは
川岸をいじっているということなんですよね
水路付けの力そのものは
生命の進化が作ったものなわけですよね
だからそこに現在ある川岸を
この石どかしてはどうなるかなとか
この石どかしてこっちに持ってきたら
そこはうまくいくかもしれないんですけど
さっき言ったように本当はもっと大きなことが起こっていたわけですね
水が流れて結果こうなっているわけなんで
だからその結果をいじるということと
実際の手前で起こっていた時間の流れが
何をしたのかというのを理解することは
別なことなので
別に矛盾しているわけじゃないんですけど
それを通じて理解することもできるんですけど
何かが起こるかもしれないつまり
予期せぬ様々な変化が起こり得るということは
当然考えなきゃいけないことですね
進化の規模で起こってきたことに
手を入れるということだから
もう一個それに合わせて言いたいことがあって
まずポジネが反転の考え方ですね
見えているものというのがむしろ結界で
獣道というものも後からできた道になっているんですけど
その道の形は
イノシシとか動物が頑張って
こっちか本当に
努力しなければ本当は遠回りしたらいいわけですけど
そこを何とか通すために頑張って
避けて通ったら何とか道ができたという
その形だというのが一つ目のアイデアなんですけど
想定外の現実と、哲学を動かす直感
もう一個現代のバイオテクノロジーを含めた
医療の問題としてリスクですね
リスクという考え方
これは結構ベルクソンの時間論と
深く関係するトピックなんですね
これは実は急に具合が悪くなるという
今年の映画で有名になった
元の本がありまして
その調査さんは実は
つまり亡くなった主人公は
僕のかつての同僚だったんですけど
あの中で
元の本の中で
宮野真希子先生が書かれていることと
実は関係があって
インフォームドコンセントといって
こんなリスクがありますよこんなリスクがありますよ
こんなリスクがありますよという風にして
枚挙して
客に
患者に選ばせるわけじゃないですか
それっていうのは
実は先ほどの
探索地形の比喩で言うと
こっち行くと登りです
登りって危険ってことですね
こっちの方が下りですよ安全ですよ
っていう風な情報を提供していると
実は下りにしか行けないように
させられてるんですよね
それって
実は窮屈なことかもしれなくて
つまり探索っていうのは
その場でいれば
もちろん安泰かもしれないけど
それをあえて
その枠をはみ出して
別な形をですね
視野に入れる
そういうことをやるわけじゃないですか
そのために一回悪い点を引き受けなきゃいけないんですよね
もちろんそれはもちろん
当たり前なんですけど
リスクがあることなんですけど
それをするってことが
探索をするってことだし
新しい何かをはみ出すってことだし
生きるってことはそもそもそういったことなんですよね
常に分かんないことだらけなわけで
別にその病気に限らずですよ
なんか新しい職場に就くとか
なんか新しいこと始めるっていった時には
いろんなことがあるわけですけど
ただ下りていけばこうなるってことは逆に見えちゃうわけです
そこしかなくなるわけです
そうすると時間はどんどん先細りになって
今与えられているその壺にはまることしか許されない
っていう風になってしまう
だから一見そのいろんな情報が見え
可視化されて
選べるようになるっていうのは
いいことのように聞こえるんだけど
それは全部
最初の子供の将来の夢みたいな感じで
リストされて
こっちに行くとこういうリスクがあるよ
こっちに行くとこうだよみたいな
こっちに行くと儲からないかもしれないよみたいな
そういうことで
実は時間の
もっと自由な動きを
かなりこう
間接的に束縛している
そういう側面はあるんですね
だからその
いろんな場所で
その災害のコントロールとかっていうときに
想定外っていう風にね
言われるたびに
なんでそれは想定してないんだっていうような
批判が巻き起こったりするんですけど
全部同じゲームなんですよ
可能性がなんか
あるかのように考えているんですけど
可能性を超えてくるのが
現実なんですね
だから
想定できないっていうことは
そもそも可能性っていうのはそういう構造を持っている
私たちが
後しか作れない
それを
現実である時間の方は超えてくる
それの中で私が生きる
ってことをやっているので
それをなんか
ちゃんと見定めるってことは
実はいろんな場面に
結構こう
効いてくるんじゃないかなっていう風な気がしてます
ちょっとこれまとめっぽい質問になるんですけど
そして本書の後半の方に
ある哲学者の体系が
どれだけ複雑に見えても
その底にはたった一つの
単純な直感があるという言葉ですね
それが引用されてまして
ベルクソンの哲学
時間というものを探求し
生命というものを探求し
記憶
これはたぶん時間にひも付いてますけど
探求し
あと社会というものも探求して
たぶんそれは
いろんな体系というか
結構射程は広いんですけど
根元にあるものはたぶん何か
共通してるんだろうなという風に思いました
それは
平井さんとっては何だと思われますか
というのが最後の質問なんですけど
一番きつい質問です
すいません本当に
一言で言えないから一冊書いたんです
そうですよね
でもそれは実はベルクソン自身が
メタコミュニケーションみたいな感じですけど
哲学の問題として語っていることなんですよね
どんな哲学者も
彼はスピノザーという
彼が経営する哲学者がいるんですけど
ので御礼にして取り上げて説明していて
それに限らず
歴史上の偉大な哲学者には
いろんな哲学者によって
非常に何十巻本の全集とか
たくさん書いて
これ読むのは大変だ
という風に思うかもしれないけど
やっぱり一人の人生があって
そこに一つの探求があって
そこにやっぱり根っこには
一つの何かがある
それは僕たちが自然言語で
つまり日本語とか英語とかの中に
語彙の中に一個の対応する単語がある
とは限らないというかむしろないはず
実際の日常語は
日常の利弁のために作られていて
有限な語彙しかないわけなので
だけどそれ自体は本当に
一つの何かである
という風に言えるものを
生涯探求している風に
言えるんじゃないか
これは実はさっきお話しした
時間のスケールの話ですよね
私という一人が人間が何十年も生きていて
その間過去もその中に
混ぜ替えされながら保存されていて
最後どこかで終わるじゃないですか
一本の弓矢がこう描いて
着地するまで
その一つの
衝動みたいなものがあるんです
その軌跡は一人一人全然違うんだけど
それを動かした
最初のこの弓の緊張ですよね
それがあって
そういったものを彼は
直感という風に
言葉としては呼んでるんですね
直感はこれは音声で言うと
感じるじゃなくて
観察の観の字ですね
直感見る直接見る
これはだからよくある日常的な
日常的にも直感という言葉は
いろんな意味で使います
ひらめきみたいな意味で使ったり
観みたいな意味で使ったりとか
あるいは文脈によっては
神秘的な
数知るとか
あるいは頭で考えるのやめて
感じようみたいな
そういう文脈とかいろんなものがあるんですけど
ベルクさんはその言いづれとも違っていて
さっき言った別の時間ですね
別のリズムの時間
今こうして喋ったり考えたり
ご飯食べたりしているのとは
別のリズムの時間が
ここを今流れていて
それってのは外から降ってくるとか
その瞬間で思いつくとか
そういうものじゃなくて
もっと息の長い
もしかしたらほとんど聞き取れないような
あわすかな声かもしれないんだけど
ずっと通送低音のようになってる
そういう時間ってのがあって
それが信じれるのは
ベルクさんは生命の進化を研究したり
社会を研究したり
個人よりももっと大きなものの
時間的なダイナミックスというか
胴体をつぶさに浮いてきたからだと思うんですけど
個人一人に立ち戻っても
今この瞬間喋ってる
今日は何かやってるとか
この数年何か考えてるというようなものよりも
もっと大きな時間の
こう描いてる
それが今も動いてるんですよね
別にどっか別なところにあるわけじゃないから
この早い時間と中間時間と遅い時間ってのは
別々にあるわけじゃない
今一緒に流れてるわけなんで
それを早い時間である僕が
何か察知してる
それをベルクさんは信じていて
やっぱ早い時間だけで
理論整然と考えて
答え出したりとかしても
どっかで何か引っかかったりとかですね
何か実際運用してみると
何かしっくり来なかったりとか
あるわけじゃないですか
その時に聞こえてるものです
それが独特の
リズムだったり
うねりだったりみたいなのを持っていて
何かちょっと不協和音を出してるわけですよね
それを私たちが感じることができる
そういうこう
ベルクさんの
哲学者観といいますか
っていうものを
ベースにそれをもっと
広げて考えてあげると
彼自身が考えていたことにも
それを当てはめることができて
しかもその内容が
彼が今考えたことになってるわけですね
彼自身が生涯を通じて
そのことを考えていた
そういう哲学者だったつまり
最初に本当に言っていただいた
キーワードで未完了ですよね
終わらないで
動いている時間
3秒の会話すぐ終わっちゃう
2ヶ月もすぐ終わっちゃうんですけど
生きてる間終わらないっていうのはまさに
性そのものですよね
その間開かれてるんだっていうことを
彼は
いろんな形で
何度も何度も
ディテールを掘り下げながら
探求していった哲学者だったんじゃないかな
っていう風に
今の段階での僕は思ってるって感じですね
ありがとうございます
今日のインタビュー多分何度も
私反省することになると思うんですけど
そうですねちょっと個人的に
いろんな時間間隔が
細切れになりすぎてるなっていうのは
そうですねそれはありますね
現代は本当にあらゆるものがすでに
すぐに官僚化されて
官僚系に圧縮されて
そうですよね
パッケージ化されて
本当にもう知能にとっては
ウハウハの状態なんですけど
ニュースもすぐに
要約されて
何もかもが
簡潔にまとめられるんですけど
でもまだなんか分かんない
意味づけられないけど
なんかあるよなっていう感触ってのは
皆さんやっぱ持ってると思うんですよね
そうですね
だからそこをなんか
本当に大切なものはすぐには官僚しない
人生もそうだし
記憶も自由も生命も
社会もですね
全てがそうなんで
そこにこう
開かれるような
体験ができたら
いいかなっていう風に思いますね
この本を読んで
読書の方が
やっぱり現在というものは
伸縮自在というか
結構長く取れるんだ
そうすると変わっていくんだ
っていうこれ結構すごい
私の心に刺さったメッセージだな
という風に思いました
ありがとうございます
ということでかなり大長編になりました
今日は平井さんにお越しいただきました
ありがとうございました
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