1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #430 人生は「現在」の積み重..
#430 人生は「現在」の積み重ねではない?ベルクソンが語る自由の本質
2026-06-10 52:14

#430 人生は「現在」の積み重ねではない?ベルクソンが語る自由の本質

▼「それ哲ラジオ」おたよりフォーム

ラジオのご感想やコメントなど、お待ちしております!

https://forms.gle/ThJocrLap77ELG7B7

▼「それ哲公園」とは?

それ哲フォーラム(掲示板)を中心に、それ哲カフェ(オンライン哲学カフェ)も開催しています。参加をお待ちしています!

https://www.soretetsu.com/

▼それ哲ラジオ 公式X

更新案内や、番組の周辺の話など。

https://x.com/soretetsu_radio

▼哲学事務所ルディクレア

https://ludicrea.jp/


感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

今回の「それ哲ラジオ」では、哲学者ベルクソンの思想、特に「持続」の概念を通じて、時間、現在、そして自由の本質について深く掘り下げています。一般的に、私たちは現在を過去の出来事や未来への希望・不安から切り離し、今この瞬間に集中すべきだと考えがちです。しかし、ベルクソンによれば、この「現在」という捉え方は、私たちが物質的な体と外界の物質がぶつかり合う場として捉えることで、生存のために瞬間的な反応に意識が向いてしまう、いわば「空間化」された認識に過ぎません。真の人生は、過去の記憶や経験といった「精神」と結びついた「持続」の中にあり、現在の瞬間は、その持続的な営みの最先端に過ぎないのです。ベルクソンは、人生を瞬間瞬間の積み重ねと捉えることは、ゼノンのパラドックスのように、全体を理解できない誤りだと指摘します。真の自由とは、過去の蓄積を背負いながらも、未来が決定されているかのように捉える「決定論」や「運命論」といった空間化された考え方から解放され、この持続的な生の流れそのものを生きることにあると説きます。この持続の概念を理解することで、私たちは人生をより深く、そして真に自由なものとして捉え直すことができるのです。

ベルクソン哲学の再訪と「持続」の概念
はい、それ哲ラジオ。今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今日はベルクソン第4回ということでやっていきたいと思います。
はい、前回ですね、結構いろいろね、悩みながらも時間とかさ、空間化とは何かみたいなさ、
途中で僕と兄貴の空間の取り方が全然違うとかっていうのがわかったみたいな話もあったんですけれども。
ねえ、30分ぐらいじゃない?次の時間30分ぐらいわからないみたいな感じだったね。 うろうろしてたね。
でもね、後半グッとね、分かって、ジェノンのパラドクスを兄貴が解くっていうね。 論破するっていう。論破する、そうそう。
あったんですけど、今回ですね、前回たとえついたのは持続ですよね。
要は時間というものがあるし、普通に考えると切り分けられるものとか、区別できちゃうものっていうふうに僕ら多分見ちゃうんだけれども、
そうじゃない、区切ることもできないあり方、時間のあり方っていうものを持続っていう言葉で、もちろん和訳だけれども表現してたんですよね、ベルクソンは。
で、持続っていうのは発想を持ったときに、僕らってある種一人一人の人間という存在を持ったときに、どういうふうに捉え直しができるんですかね、みたいな。
そういうことになっていくわけなんですよね。 まあまあそうだよね、ベルクソンからすると本来の姿を見せてやるぜっていう話だよね。
そうそうそう、人間とは互角があるべしみたいなね。
そういうところがあるので、それを今日はお伝えしていこうと思っているんですよと。
「現在」への一般的な認識とベルクソン的違和感
で、その中でやっぱり今日のテーマとしては、現在とか過去って話になるんだけれども、
僕ら普通にこれも一般的に考えると、僕らって現在に生きてるじゃないですか、今生きてるじゃないですか。
なので、僕らは今っていうものを生きていくんだっていう話だし、
よくマイナフルネス的な発想でも、今ここみたいな感じで、過去の執着とか未来への変な希望とか不安とか、
っていうものを一旦外して、今この瞬間に集中しましょうとかってことは普通に言われるわけだよね。
へー、そういう感じなんだ。
ああ、そうそうそう。
知らなかった。
あまり聞かないか、そう。でも、まさに今こことかって結構キーワードっぽくなってるんだよね、やっぱり。
ここ数年。
でもやっぱさ、今ベルクソンに読されている僕らからするとさ、
もう今の何時間も空間化していないかみたいなさ。
違和感バリバリになりましたよ。
前回の話を踏まえて、もう既にいろいろちょっと突っ込みたいことがあるよね、今の思いに対して。
いいね、これはベルクソンに僕らを侵されてるんですよ。
はいはいはい。
そういった時にね、もちろん大事なのはマイナフルネス的に、
未来とか過去っていうものじゃなくて、ちゃんと自分のスタンスを現在に落として、
落ち着かせるとかリラックスするとか、もちろん大事なんだけれども、
一旦それじゃなくて、ベルクソンがもし仮にそれを聞いたとしたら、
ちょっとそれおかしくないって言ってたと思うんだよね。
それだと前回さ、まさにゼノンの矢野のパラドックスの話だと思うんだけれども、
僕らは現在に生きていますっていうものと、矢野は今ここに止まっていますっていう話って、
今日は結構近い感じがしない?
いや、同じだと思う。
そうそうそう、いいね。
僕、兄貴もだいぶ洗脳されてきましたね、ベルクソン。
はい、前回でも洗脳完了ですもんね。
はい、ではですね、その洗脳を持った兄貴は今どう生きていけばいいのかという話ですね。
はいはい。
今日はそれをしていこうと思っております。
ベルクソンにおける「現在」の物質的側面
で、そういった言葉で書かれているのが、前回もちょっとお伝えした、ベルクソンの物質と記憶っていう本なんですよね。
ただ、もうこれ正直ですけど、やっぱり読んだけど、正直全部わかりきってないと僕も思ってます。
なので、そういったこういうふうにかなっていうところで掴んだものをちょっと皆さんと共有しながら、
少しでは前回の時間と持続の違いとか、
その中で生きる我々人間との話を、ある種掴んでみたいという話なんですけれども。
まず、さっきも言った通り、僕らは今、現在というものを大事にしますっていうものは、
ある種もう人間としては当たり前だよねって話は、ベルクソンも考えるんですよ。
うんうんうん。
で、どういうことかっていうと、ここで物質っていうのが出てくるんですけれども、
僕ら体っていうものを持っていますよね。体って物質的なもの。
仮に精神と物質というのは二元論で分けるとしたら、体ってやっぱり物質的なものじゃないですか。
うんうんうん。
そういったときに、現実に生きる、今生きている僕らのこの体っていうものは、
ある種生き抜いていく。現代ならそんなにかもしれないけれども、もっと例えば、
イニシエの原始人とかを想像してもらうと、
例えば目の前の石とか岩っていうものを避けて通るのか乗り越えるのかみたいなことによっても、
やっぱりここで生きるか死ぬかみたいなことがどんどん決まっちゃうわけですよね。
うんうんうん。
やっぱり今この瞬間、この体というものでどう生きるかとか、もっと言うと、
どう次の一歩を踏み出すかっていうものが、
その本編さんは精神直結するようなことっていうのが普通に自然界であります。
なので、このベルクさんに合わせると、こういう体っていうものと、あるいはその周囲の物質、
それはさっき言った岩でもいいし、木とかでもいいんだけど、
そういうものがぶつかり合う場面を指して、それが現在なんだっていうふうに言うんですよね。
ふーん、ふーんふーんふーん。
なのでそういう説明を端折っているんだけれども、ベルクさんに合わせると現在というものは物質の領域ですと。
おー、そうなんだ。はぁはぁ、なるほどなるほど。
そう。どう頑張っても僕らって現在というものに、その体というものを一定、回避してしか存在できないじゃん。
そうだね、ふーんふーんふーん。
で、そうするときに、その体というものは、やっぱりこの地面に足をつけ、別にそれが部屋の床でもいいんだけれども、
足がつくとか、あとは一定その、まあこれは普通のエビの空間、
要は何らかの場所という中に存在することしかできませんと。
ふーんふーんふーん。
浮いてても一緒だよね、別に地図を飛んでたとしても、別の空間の中にいることは変わらない。
ふーん、わんわんわんわん。
そう。でいうと、このベルクさんに合わせると現在というのはその体という僕らの物質と、
世界という中にある物質がぶつかり合う場所だというふうに捉えます。
はーはー、なるほどなるほど、やっとなんかイメージはきました。
そうすると、やっぱりその生存というものを考えたときに、この外にある物質というのは、いわゆる危険物のことが多いわけだよね。
ふーんふーんふーん。
で、岩にぶつかれば怪我をする、ライオンに出会えば殺されるかもしれない、
うさぎを狩らなければ食べ物が死んでしまうかもしれないというふうな感じで、
でも、自分と世界というものが物質的に関わるということがすごく大事な場なんですと。
だから僕らは、現在というものは大事だし、今この瞬間何をするかということに意識が向いちゃうよねというふうな話なんだよね。
ふーん、なるほどなるほど。
ちょっとね、現在の感覚としては少し遠いかもしれないけれども、そういうふうに言われたら、まあまあ確かにそういうこともあるかもなって、どこまでは行けそうかな。
まあそうだね、どこまで極端な世界を想像しなくても、ある意味一瞬一瞬の選択と行動で、いろいろ分岐するよね、変わっていくよねっていうふうに捉えれば、まあそうだよねっていう。
「現在の積み重ねが人生」という考え方への疑問
ここまではOKなんだけれども、今ね、兄貴も言ってくれたけれども、その瞬間瞬間の反応の積み重ねが、今の積み重ねであり、それが人間の人生なんですって言われたらどう思う?
ふーん、それが人間の人生。そういうもんかもなぁとは思うよね。
赤ちゃんになってから、ある意味赤ちゃんとしてこの世に物質的に生まれてから、現在をひたすら積み重ねていったものが人生ってことだよね。
そうだね。
そうじゃないかな。
うんうん、OK。でもね、これが面白いのが、それだったら確かにそうかもなって思っちゃうんだけれども。
あ、待てよ。これあれ?罠だな。これ罠でしょ?これ罠でしょ?ゼノンのパラドックスの矢の罠でしょ?これ。
気づいちゃった?
危なーい、危ない危ない危ない。
これ面白い。そうそうね。今ね、気づいたけどさ、全く同じ構造じゃん?
なるほどね。
今回僕らは矢が飛んでますねと。で、その矢の一瞬一瞬ね、写真で撮ったものを切り取ると、その瞬間止まっていますねと。
だから、それを足し上げた矢っていうものは、最初から最後まで止まってますねっていうものがおかしいって話をしました。
うん。
こいつは実は同じことを僕が今言って、要は瞬間瞬間を反応して生きている僕ら、人間っていうものが、それを足し上げたら人生全体になりますかって時に、
うん。
なるような気がするじゃん?
危ない危ない。今、それ人生だなーって思わされるとこあった。
そうそうそう。
いやー、でもこれは面白いね。
ね。
なり、なりそうだもん。
なりそうでしょ?
なりそう。
うん。
そう。で、前回言った通り、その人間も果たしてじゃあ分割できるんですか?とかさ。
うん。
で、今回は持続の中で人間が生きるとしたらって話をしたいんだけれども。
うん。
僕らはやっぱりなんだかんだ人間、あるいは自分という存在ですら、そういうふうに区切って、昨日の自分と今日の自分を足し合わせたら2日分の自分だみたいな。
うんうんうん。
それが続いていくことで、一生分の自分になって、なんか明日も希望がないとか、今日のような毎日が続くのかとか言って、なんかしょんぼりしたりとか、あるいは未来は超ハッピーだみたいな感じで、
なんかこう、それによって過去どんなどん底なことがあっても自分は未来切り開けるとかっていうふうに、ある種そういうふうに自分を分けて考えちゃってるんだよね。
はいはいはいはい。
これがある種分割であったりとか、今回で空間化っていうふうに繋がっていきます。
わー、なるほどね。はいはいはい。
だからやっぱり僕らはいかに空間化とか切り分けて物事育ててるかっていう話なんだよね。
うん、そうだね。
しかもなんだけれども、これ、前回の皆さん覚えてらっしゃるかもなんですけれども、その、ふと立ち止まって次を見るみたいな例え話をしたの覚えてるかな。
外部物質への反応と「月」の例
うん、うん、あったね。
で、そもそも兄貴がさ、あのね、そもそもこれ月って思うとか、なんだろうな、月とすら思わないんじゃないみたいな話をしてくれたじゃない?
あー、まあそうね、そういうなんか、我を忘れてというかさ、景色に見えるみたいな時って、
あんまり月だなーとかさ、木が綺麗だなーとかさ、水の流れがなんかいい感じだなーって思わないで、
なんか見いって、あとであの水綺麗だったなーとかさ、あの月綺麗だったなーみたいな順番なんだよなーっていうふうにちょっと思ったんだけど。
うんうんうんうん。いいね。今の話でいくと、外部の物質に反応しないっていう話なんだよね。
反応してない?
つまり、僕らってもう思考がスッと入るのがもう、なんだろうな、当たり前になっちゃってるから、
月を見たら月だって思うし、で、水を見たら水だって思うしっていうふうに、それってある種もう、無意識に反応しちゃっている。
ほうほうほうほう。
さっきの話でいうと、例えば目の前のライオンがいるとしたときに、ライオン危ない逃げろっていうふうにもうある種条件反射器になるみたいな話なんだよね。
うーん、そうなんだ。ほうほうほう。
それは月を見て月だって思うのと一緒なんですよ。
ここ伝わるかな?ちょっと伝わってなさそう。
なんか本能的なとこで言うんだったら、なんか逆な気がしたね。
うんうん。
本能的にライオン危ないから逃げるのと、だったら本能的にその月が綺麗だと思うみたいな方が繋がりそうだね。
月を見て月だって思うよりは、みたいな感じで思っちゃったかな。
はいはいはい。これはそのまあ、体の反応なのか、その思考の反応なのかっていうのは確かに違うんだけれども。
うん。ああ、思考の反応の方?
うん、そうそうそう。
わかるかな?その、ライオンを見たときに、ライオンだ、あれは危ない、近づかない方がいい、みたいなものと、月を見たときに、月だ、月が綺麗だ、っていうのはまあ似てる気がする。
なんか、とっさにライオンに襲われたときに背を向けるとか、すっかり走り出す、みたいなものと、
ただ空を見れた、なんか丸いものは超綺麗だったから見入っちゃった、そっちは繋がる、みたいなものだったらわかるかな、みたいな。
はいはいはい。そうだね、そう。
どっちにしても、それってやっぱりその刺激に対する反応として出ているっていう感じなんだよね。
はいはいはい。
月を見た、みたいな話は、反応というか、なんていうのかな、ちょっとここは難しいな、これはちょっとまた後で取り上げられると思うんだけれども、
はいはいはい。
まあ、その瞬間だけで捉えると、やっぱりさっきベルクソンが言った物質だよね、体っていう物質と外の物質っていうものが反応し合うっていう、もうそれしか起きませんって。
はいはいはい。
こうやってもうビリヤードの弾みたいな、こう打ったら弾けますとかさ、ある意味機械みたいになっちゃうんだよね。
ああ、なるほどなるほど。
それでいうとどっちでもいいね、本能の反射だろうが、月を見て思わず見とれるも同じカテゴリーというか話に収まるよね、確かに。
「持続」としての時間と「精神」・「記憶」
そうそうそうそう。
で、その、ですと、出会った時にじゃあやっぱり僕らはそこに厚みを持たせたいわけよ。
もっと言うと、その区切りたくないってことですね。
もう僕らって誰?
ベルクソン、ベルクソン。
どっちだよ。
ごめん、僕ら、今完全に僕ベルクソン陣営に立ってるって言ってたからごめん。
ベルクソンと、ベルクソンとハヤトを僕らって言ってたもんね。
そうそうそう。
これちょっと主語が分かんなかったね。
分かんなかった、うん。
はい、あの、じゃあ、もう一回言うと、じゃあベルクソンは、やっぱり時間というのを区切りたくないんですよ。
はいはいはい。
前回も言ってた通り、時間というのはそもそも区切られない持続だから。
うんうんうん。
で、そういう話なので、そうなるとどう考えるかっていうと、もちろん現在というものは考えられますと、考えられるんだけれども、
現在というものはその、切り分けたこの一筋のものを言うんじゃなくて、
現在というものの奥というのか後ろというのか、そこには実は大きなそのものが控えているんです。
うんうんうん。
で、これをある種ベルクソンは精神って言うんだよね。
おー、なるほど、ほうほうほう。
ここで、肉体とか体と精神というものが出てきます。
あー、ほうほうほう。
で、ここで実は大事なのは、物心二元論じゃないのよ、実はこれ。
うんうんうん。
あくまでも体というものが現在で物質と接しています。
うん。
で、その奥には精神と呼ばれるもっと大きなものがありますって話なので、
うんうんうんうん。
体と精神は分かれてはないんですよね。
はいはい、あのー、まさにジェノンの家の話だったりとか、
海からそのコップを分けたらぐらいの感覚だってことはね。
そう、その中全体の話。
うんうんうん。
でかいその全体から現在だけを切り出して分割すると体っていう物質が出ちゃうんだけど、
うんうんうん。
本来そうじゃない、くっついてる。
はいはいはい。
で、この精神っていうものをどっから引っ張っていくのか、どこにあるのかって話なんだけれども、
雪だるまの例と「現在」の奥にあるもの
うん。
これが実はベルクさんに言わせると、過去にあるんだって話なんだよね。
おー、めっちゃ面白い。
そう。
これもいろんなストーリーがあるんだけれども、
例えば雪だるまみたいな話をさ、考えると、
雪だるまは坂を転がしていったりとかやっていくと当然大きくなっていくじゃないですか。
うん。
っていうときに、
基本的に分かりやすいよはどんどん大きくなっていくから、
雪が集まってこんだけ転がったのとか、こんだけ大きくなったのとか分かるんだけれども、
悲しいかな、僕らの現在っていうものはどんなに見てももう点にしか見えないんだよね。
点だから、今の雪だるましか見えないってこと?
でね、思ってると転がして転がしてきたはずなのに、
うん。
なぜかちっちゃく見えてしまう。
えー、そうなんだ。
うん。この現在というものはね。
あ、そうなんだ。
さっき言った通り、現在を分割しちゃうと結局反応できるとかさ、
その瞬間の物質と物質の関係性しか見えなくなってるわけだよね。
そう、本来その現在の奥には、
僕らが生きてきた歴史とか、
うん。
あるいはそのライオンが過ごしてきた今日一日の生活ってものが本来あるはずじゃない?
なんでライオンが出てきたのか分かんないけどそうだね。
さっきの話から言うとね。
うん。
そうで、ばったり僕らっていうか原始人とライオンが出会うんだけども、その現在においてね。
はいはいはい。
当然その現在の奥にはそれぞれが過ごしてきたもの、まさにここで精神というものがあるから、
そこまで捉えないと、本来この現在というものとか、
その場面っていうのは捉えられませんよねっていうことを言うんだよね。
うーん、そうなんだね。
うん。
「現在」は「記憶」と「体」の結びつき
そう。
で、これは面白いんだけど、
人間で言うとね、この精神って話したじゃないですか。
うん。
この精神っていうものは過去だって言ったよね。
うん。
なので、過去積み上げてきたものとか、過去自分が歩いてきた道のりっていうものが何かっていうと、
これをさらに言い換えてベルクソンは記憶っていうふうに言うんですよね。
うーん、なるほど。ほうほうほう。
そうじゃん、だって過去にやってきたこととか、あったことっていうものが、
現在から振り返りとすれば記憶だって。
過去の出来事があってあったわけじゃない?
うんうんうんうんうん。
つまりこの現在っていうものは、ベルクソンに言わせると、
この体としての物質と精神としての記憶、
これが結びついて湧き上がってくるものが、実はこの現在という場なんだよっていう話なんだよね。
うんうんうんうんうん。
なんかちょっと見えてくる?
見えてくるというか、ちょっと待ってね。
これちょっとまだその、めっちゃなるほどーって感じではないかもしんないんだけど、
大丈夫。
一般的な、今日話した現在の話。
だから、ゼノンのパラドクスというところも、
その矢が飛んでいるっていうのを一周一周に切り取ったっていう意味の現在。
切り取った現在っていうのが多分、
普通の認識だとすると、
はいはい。
さっきのハヤトの、まず物質、肉体、体があって、精神があって、記憶があって、
だからその現在っていうのは、そういう精神と記憶があっての、
あっての、再生肉体があっての現在ですよっていうところは、
その、いわゆる人だったりの現在っていうものを、
弓が飛んでいるっていう持続として、
持続として人間を捉えたときには、そう表現せざるを得ないというか、
するよねっていう話で、
まだめちゃくちゃピントは来てないんだけど、
その一般的な現在っていう切り取ったものと、
今、ペルクソンが言った持続っていう意味での現在っていうものが、
全然こんなにも違うんだよ。
もしくはペルクソン的に言うと、
その普通の人が言ってるその現在っていうのは、
実はそういう奥行きだったりとか、
そういう人間というか、
そういう持続っていうものがあった上での現在なんだよっていうところを、
そういうふうに捉えなさいと、捉えられるんだよっていう話ってことでOK?
だいたいやってる。
だいたいやってるけど、たぶんまだ何気も馴染んでないとは思うんだけど、
馴染んでない。
そうだよね。
でも言葉としてはたぶん合ってますと。
今日やりたかったことは、まさにその持続?
ベルクソンの目指す「リアルな捉え方」
前回その時間っていうものが切り分けられなくて、
そういったね、前回ウミンの例えでやったけれども、
そういったものを持続と呼びますと。
その持続である種生きるとはとか、
その持続の中で僕らが過ごしているとどういうことっていうことを今日は話したいです。
その時に、さっきまで言ったまさに現在っていうものは、
ある種切り分けた現在。
で、この今という瞬間だけを切り取ると、
人って物質的な反応になっちゃうねっていう話をしたよね。
で、これ兄貴も言ってくれたけれども、そうじゃなくて、
実は人間とかあるいは存在の中には精神とか記憶っていうものが本来はあるから、
それも含めてその現在っていうものを捉えないとダメではねって。
僕らは本当にその通りです。
で、なった時にね、これすごく面白いんだけれども、
これはデルクソンのテーマなんだけれども、
彼がやろうとするのってやっぱり、
第1回で言ったんだけれども、
実際をあるがままに記述するとか、
実際のリアルな立ち現れを媒介に頼らずに捉える、描くみたいなことを言ったんですよね。
つまり媒介っていうのは何かを中間に置いてとか手がかりにしてってことなんだけれども、
なくても直接リアル、現実というものを捉えたいですと。
そう言って空間化せずに捉えたいみたいな感じでも言える?
いいねいいね、うん。しっかり近い。
思ってると空間化できるものもあるのよ、世の中には。
それからその捉え方が正しいものもあるんだよね。
へー、そうなんだ、ほうほうほう。
例えば、なんていうのかな、
ということは羊で言うと、羊が、
例えば、大学生は羊のカスが知りたい場合は、
当然空間化した方が良いわけだよ。
あー、はいはいはい。
だから目的に対して空間化することも悪くないんだけど、
でも、羊そのものとか、
人間の生き方そのものを捉えようとすると、
それはやっぱり空間化分割できませんと。
なのでそれをリアルに捉えましょうとなると、
空間化しない、
持続という中で捉える必要がありますよね、
というような話なんだよね。
わー、なんか、やっぱなんだろうな、
哲学の人の言葉の厳密性みたいなものを思い知る瞬間だけど、
さっきやっぱり、
媒介させずにとか媒介せずにっていうのを、
今回の覚えた言葉で、
空間化せずにっていうふうに言っちゃったんだけど、
媒介させずにの方が定義としては、
大きい広い定義で使ってて、
今、ハヤトがその中で確かに、
媒介せずにっていうのも一つの使い方として、
空間化しないっていう部分もあるよね、
っていうことを補足してくれたでしょ、今。
そうだね、そうだね。
いやー、難しいね、言葉って。
いや、本当にそう。
特にやっぱり哲学の言葉は独特な意味があるし、
持続ってさ、
「持続」の中での生き方と自由
普通の僕らの言葉より何かが続くことぐらいの話じゃない?
そんな切り分けることができない時間なんて、
意味で使うことなんて、
つい、皆さんで言ったら3日前とか、
僕らで言ったら1時間前なかったわけですよ。
だからそれは難しいというか、
分かんないんだよね。
ただそれを分かろうとしたときに、
新しい世界が開けてくるなと思うんだけれども、
もう一回戻ると、
要は持続を中に生きる人間とか存在のあり方っていうものを、
リアルに捉えましょうと。
そういう話をウェルクさんはやっぱりしたいんだよね。
そういうときに、
それを一旦ちょっと言ってみるんだけれども、
さっきも言った、
精神とか記憶っていうものが僕らの背後にはありますと。
どっちのほうがむしろ大きいよね、多分。
生まれたときの赤ちゃんは違うかもしれないけれども、
人間が生きていくと、
積み重なった過去のほうが現在よりも大きくなっていきます。
中でいくと、
僕らは過去の蓄積を使って、
現在という瞬間を生み出し続けているんだと。
つまり現在というのは、
今この瞬間で切り分けているものじゃなくて、
まさにその、さっき雪だるまの話をしたんだけど、
雪だるまというか雪玉かの話をしたんだけれども、
転がすとどんどんどんどん大きくなるじゃん。
本来はね。
その大きくなり続けるという、
その営みとか動き、
この動きの最先端が現在なんだというような話なんだよね。
これなんかイメージ湧く?
ちょっと苦しいかなと思って今話してるんだけど。
言わんとすることはわかる気がする。
どう言えば、どう想像すればいいんだろうね、これね。
これはたぶんサーフィンみたいな話だなと思うんだけど、
サーフィンって僕やったことないんだけどさ、
波に乗るじゃないですか。
で、波に乗って、
波をかき分けながら、
前にというか、陸の方に近づいてくる動きじゃない?
かき分けながら、乗りながら?
乗りながらね、そうそうそう。
なった時に、
そのサーフィンの波に乗るっていう、乗ってるその瞬間、
これも瞬間って言葉を使っちゃうんだけれども、
その乗っている状態が生きていることだとしましょうと。
俗の中でね。
自分が立っている地点とか、
波の上にいるこの場?
っていうものをやっぱり空間化して、
切り取った時に現れるものが現在なんですよ。
逆に言うと、
空間化をしなければ、
現在というものはありませんっていうふうにベルクソンは言うんだよね。
空間化しなければ、現在はありません。
このベルクソンの考え方からすると、
たぶん全ての空間化されたものは、でもそうだよね。
大元がある。
例えば時間だったら、
時間があるから分とか秒っていうもの。
空間化したから分とか秒、
分とか秒っていうようなものが認識される。
人間に多いと精神とか記憶みたいなものが、
バーッとあるんだけど、
その中で空間化することで、
現在っていうものが出てくるよねみたいな。
だから、現在ありきで人間があるんじゃなくて、
そういうものがあって、
そのたまたま空間化したものが現在だよねみたいな。
その順番っていう話だよね。
そうそう、そういうこと。
それは大きいよね。
決定論・運命論への罠とベルクソンの自由
分かった分かった。
僕らって本来であればとか、
普通に考えたらやっぱり、
現在があって過去と未来があるっていう風な、
そういう風に切り分けて考えてるじゃないですか。
そうだね、だから、
今日の前半でも話したかもしれないけれども、
現在、現在、現在、現在、
現在っていうものがあって、
現在の相場が人間の人生であるみたいな、
積み上げるみたいな話してたもんね、前。
そう、してたしてた。
だからそうじゃないよっていう話がここに来て、
しっかりベルクソが話してくれてるってことだよね。
そうそうそう、そういうこと。
そうなんです。
なのでこれって今にきは結構、
多分もう馴染んできたから当たり前に言ったけれども、
めちゃめちゃすごい人生の転換なんだよね、これって。
いやー、そうだね。
本来だよね。
だって何でかっていうと、
普通僕らはやっぱり、
過去はもう消える術なくなったものとか、
で、現在があるから、
過去のことなんて嘆いてもしょうがないとか。
未来っていうものはまだ来てないから、
未来っていうものはないんだとかって話をします。
なので現在を出発線にして、
前と後ろって言いません?
これも空間によって前とか後ろとか、
前後関係で言っちゃうんだけれども、
結局はやっぱりそうじゃないと。
やっぱり過去っていうものはむしろある。
消えてると絶対なくならないんだよね。
で、それがある種、自分を前に、
これ前って言っちゃうんだけれども、
どっちかっていうと、
どこかに押し出していく。
その押し出されつつある境界線みたいなものに、
目を向けるとそこにたまたま現在というものが見え、
それを現在と言ってもよかろうぐらいのものが出てくるんだけれども、
でもそれって別に、
今この瞬間だけを聞いてるものじゃなくて、
過去から全滅続いてるものだし、
そうすると未来なんていうものは、
到底考えられないというか、
どこに行きつつか分かんないんだから、
ある種、まさに生きている流れしかないんだっていう話なんだよね。
だからそのベルクソンが言うのが面白いんだけど、
僕らが知的に物事を考えると落ちりやすい罠があるって言って、
それがいわゆる決定論とか、
全ては与えられているみたいな話なんだよね。
決定論って何かっていうと、
人間っていうものはある種、
生まれたときに、
分子の原子の配列とかに含めて、
どういうふうに生きるのかとか、
どういうふうに行動するかが決まってますっていう話なんだよね。
もし瞬間瞬間で生きているとしたら、
その周囲の物とか物質に反応して生きるだけだったら、
この瞬間Aって反応するんだったら、
あとはAの道しかありませんみたいな感じで、
もう未来が決まっちゃうじゃない。
で、決定論とか運命論みたいなものになっちゃうんだよね。
それってベルクソンが一番嫌った、
全てを記号とか数式で表すっていうふうな発想なんですよ。
そうなるんだ。運命論って空間化してるんだ。
例えば運命があるっていうことは、
既にいくつかの選択肢っていうものが、
他の道筋があって、
どの道を選ぶかわかんないけど、
でもどっかの道を選ばなきゃいけないっていう発想じゃないですか。
どっかの道を選ばなきゃいけない。
運命っていうものはある程度決まっていますって話だよね、
その人の未来が。
それが自分がまだ知らないだけで、
既にその道はあるって話じゃないですか。
僕らは今、人生の流れとか、
切り分けられないものっていうふうに考えたいのに、
既にあなたにはこの道しかありませんとか、
あなたがここからここまでって決まってますっていう、
完全に人生っていうものを区切っちゃってるんだよね。
なるほど。
これはある種、ベルクソンから言わせると超不自由なんですよ。
面白いね、そっか。
何なら運命論とか決定論みたいなものと、
このベルクソンの話って相性いいのかなって一瞬思っちゃった。
なるほどね。
だけど、
入れ子構造みたいにして考えていくと、
人間の人生ぐらいで考えちゃうと、
人間の人生とか運命みたいなものも、
もう決まっちゃってて、
海みたいな感じで存在して、
それをたまたま空間化したものの中で人が生きてるぐらいに考えると、
固定されちゃいそうなんだけれども、
今、ハヤトが言ってくれた、
運命っていうもの自体も何かから切り出した?固定化したもの?
と考えると、そうだよね。
確かに運命自体も、
持続だよね。持続としての運命って、
海みたいなものだから、
その、決定って何?っていうふうな質問にそもそもなってきちゃうね。
決定論、運命論としての運命だったときに、
それもゼロのパラドックスの矢を、
瞬間的に引き取った、止まってるものになっちゃうから、
エレクトの中ではありえないものとして認識されちゃうってことはね。
そうそうそう、そういうことそういうこと。
わーすごいな。
人生を切り開く「持続」としての生き方
だから、これ全部が同じなんだよ。さっきサーフィンの話を僕したけど、
サーフィンもさ、後から動画で見たらこのルート通ったんだねとかさ、
この波を乗ったんだねってなるけれども、
乗ってる人はそんなこと考えてないはずなんだよね。
はいはいはい。
身勝手も体の感覚で、今こうすれば倒れないとかさ、
波に飲まれないとか、進めるとかっていうふうに調整するとしたときに、
そこってある種、なんていうのかな、
もちろんこれも反応してると言えるんだけれども、
むしろその瞬間瞬間に自分の歩む道を切り開いているとか、
作り出しているとも言えるじゃないですか。
はいはいはいはい。
これも人生と一緒で、
要は僕らはこの一瞬一瞬に人生を切り開いているんだよと、
それを後から見たとか外から見た人が、
君はあの道を選んだんだねとか、
次はこっちに行くしかなかったんだねっていうふうにするのは、
これ区切っちゃってるから、
これは要は、ある種リアルにとかダイレクトにその人生を見てないんだっていう態度なんだよね。
うんうんうんうん。
というふうにして、
要は自分の人生すらもそういう客観的な態度とか、
自分にはこういう選択肢しかないからそれを選ぶしかないとかってやっちゃうと、
ベルクさんから言わせると、それは持続を生きてませんねってなるっていうふうな、
それが話なんだよね。
わー。
持続すごいな。
すごいでしょ。
すごい。
「持続」としての自由と空間化の不幸
持続として現在を生きている、
その瞬間にもその持続的な感覚で、
外側の物質と関わってますかみたいな話が生まれてきそうだね。
そうなんだよね。ここまで来ると前っぽくなっちゃって、
要は過去の自分全てとか、
記憶全てを背負ってるんだけど、
でもそれにとらわれずに前に行くみたいな。
うんうんうんうん。
あれですよ、マインドフレーズって話したと思うんですけど、
過去とか未来とか一回切り離して現在に集中しましょうって話で、
ある種身軽にするような感覚なんだよね。
でもこの持続っていうものは、過去の全部の重りも背負いながら、
でもちゃんと踏み出すというか、
それを持って生きるある種しかないみたいな。
はいはいはいはい。
でもそれが実は一番の自由なんだと。
踏み出した一歩っていうのが、
過去の自分の蓄積からしか出てこないものだから、
それがすればこういうパターンで、
人間というものはそういうふうにやるものだとか、決定論で、
今こういう状況でやる人は必ずこっちの道に行くとかってなると、
自分の意思とかじゃなくて、やらされてることになってるじゃない。
なので、ちょっとこれ第一回も自由の話をしますって言ったんだけれども、
前回のビルの場合は社会的な自由とか、
社に危害を加えないなら何やってもいいっていうふうな、
そういう倫理的な自由だったんだけれども、
このベルフさんに言わせると、
自由の源泉にこそ持続があるみたいな、
そういう話になるんだよね。
いやー、すごいねこれ。
ちょっと伝わった?嬉しいな。
たぶん伝わってるかな。
持続っていう概念が生まれたことで、
途方もない自由が手に入っちゃったねっていう。
あー、まあそうね。
よくもあるかもみたいな。
感じだよね。
その空間化することが、ある意味それも自由らしい。
でも普通はそれにとらわれちゃうから、みたいな。
なんだろうね。ごめん、うまく表現できないけど。
なんかその面白さみたいなものは伝わってる気がする。
でもその通り、空間化をやりたくてするなら、
確かに自由なんだけれども、
僕らも空間化というものにとらわれて、
その世界で、空間化された世界でやっぱり生きてしまっている。
あー、はいはいはい。
ベルフさんはこれはもう全部不幸だっていうね。
不幸じゃない、不自由だって言うんだよね。
不自由って言ってるんだ。そっかそっか。
自粛の中にしか自由はないというか、
自粛として生きること、
イコール自由みたいな、
そのぐらいの分類を分けているんだよね。
なるほど、ちょっとその感覚染みてきた気がする。
確かに確かに。
今早く言った通りね、空間化?
するならいいけど、空間化されているものがあまりに多いぞと。
そうそうそうそう。
それに、まさに時間なんかさ、
もうその通りに使わされちゃってるけれども、
それに従うのか、
ちゃんと自分がそれを持続っていう観点から、
捉え直す、自分でちゃんとね。
捉え直すためにその時間を使いこなすのか、
もしくは、自分はこの時間馴染まないから、
自分はもう違うっていうふうに選ぶのか、
みたいなところに本当の自由があるのだと。
ある意味で。
もっと言うと、選ぶという、
さらに先に、
自粛を生きるという世界があって、
だから、選んでその瞬間瞬間に、
俺は自粛なのか、それとも空間化なのかじゃなくって、
自粛という世界を生きているのだと。
そこに自由があるって感じかな。
だから選べる自由って言うと、さっきと同じで区切っちゃってるじゃん、もう世界を。
自粛か自粛じゃないかみたいな。
この区切った瞬間に、もうその自粛はなくなっちゃうんだよね。
あーそうか、はいはいはい。
だから、もう僕らは自粛を生きるとしか言えないのよ、これは。
わー、なるほどね、すごいね。
これ、ベルクソン、じゃあ、やっぱハヤトは今日二言論みたいな話してたけども、
光の例と「実在」の直接的捉え方
二言論って、ベルクソンが二言論って意味じゃなくて、
ベルクソンって割と、一言論的な感覚の話をしてる?
うん。
なぜかって言うと、これ、前々作は量と質の話をしたときもあったと思うんだけども、
質ってグラデーションなんだよね。
光の例で言ったときにさ、
赤の光とか青の光って波長が違うとか言えるけれども、
基本はそのグラデーションでしかありませんと言うときに、やっぱ分かれてないじゃない。
分けることはできる、光を分割することは人間の想像力でできるけれども、
本来僕らが光を見るときってそんな風には捉えられないはずなんだよね。
これが本来捉えられないっていうのが、いわゆるリアルなものをリアルなまま掴むとか、
実在を直接捉えるってこととイコールなんだよね。
わー、面白い。確かに、そっか。
これ難しいのは、光を直接掴みましょうっていうときに、
でも光というものは分割できて、その本性はスペクトルだからって言っちゃうと、
それはリアルなんですかどうなんですかっていうのはちょっと難しい問題なんだけれども、
赤羽のヴェルクソンはやっぱり僕らのいわゆる感情的な部分とか、
そういう非合とかに還元できないものを捉えようとしているから、
リアルな光っていうのは分化された光ではなく、今僕らが浴びている太陽の光とか、
木漏れ日の暖かさとかそういうものを味わいたいんだよね。
なるほどだし、あんまり物理学的なの詳しくないから、
ずれてるかもしれないけど、光そのものを何の媒介もなしに捉えるって、
まさにこのヴェルクソンの話に近そうだよね。
そうそうそうそう。
さっきハイトが色って言ってくれてたけれども、
光って多分そういう何かに通ることで色として認識されるはずだから、
光そのものを、たぶんうちら人間が感知することって基本できないよね、光そのものを。
そうだね、そう思う。
反射で赤とか、紫外線だったらここに反射してて、
そもそもうちらは紫外線とか赤外線、センサーがないから見えないだけで、
ライアン主観を媒介とした上で、そう判断、そう認識されるみたいな話だから、
そもそも光そのものみたいなものになってくると、
やっぱり次元論的な赤でもあり、紫でもありみたいな話になるんでしょう、たぶん。
そうだね、そう思う。
やっぱりその光を捉えようとしたのが、ちょっとこれは芸術になるけど、
印象派だよね、よく言われるのは。
ということはやっぱりその印象派っていうのは光っていうものを描くとか捉えるとか表現するっていう風に言われてるんだけれども、
やっぱりその色ではなく光なんだみたいな話とか、
僕もそんな詳しいわけじゃないんだけれども、
そういったものを捉えたいとか表現したいとか、
そういうものがこの印象派も19世紀くらいかな、出てくるので、
それがやっぱり時代の流れとか、そういう人間の、
そういう大きな共通の欲求みたいなものがあったんじゃないかと思うんだよね。
みたいな話をしているんだけれども、
やっぱり言ってくれた通りで、僕らは普段どうしても分けて細かく捉えようとしちゃう。
でも、本来その奥には光とか愛とか、
そういう想像しか言えないものがあるわけよね。
そういうものをいかにダイレクトに捉えるか。
別にそれは岩とかで物質でもいいんだよね。
その岩っていうものを、なんとなくこれは岩だというふうに概念で処理するんじゃなくて、
やっぱりそのものに向き合うとか、
そしたらその向き合い方も、ちゃんと過去の記憶とか精神っていうものを持った上で向き合う。
そこができると、それはやっぱり実属として生きていることになるんじゃなかろうか。
そうやって僕らの普段生きているその分割した、空間化した生き方とはだいぶ違うよねっていうふうな、
そういうイメージが伝わると嬉しいなというふうな感じですね。
生命や世界スケールでの「持続」
ここはちゃんともう一回整理したいね。
もしくは次とか続くのかな。
続くけど、次はもうちょっと先に行っちゃうんですよ。
どういうことかっていうと、今は人間一人とかそういう存在の話をしてたじゃないですか。
デルフさんはね、これすごい、ほんとおかしいなと思うんだけど、
世界とか生命みたいな、そういうスケールにまで行っちゃうんですよね。
そうなんだ、面白いね。
今日も運命みたいな話、そこも持続的な観点から見えるねって話したけれども、
もっとね、どこに行くんだね。
そうなんですよ、広がっていくので。
でもその辺聞いた上で、人間とはみたいなと言い換えられるかもしれないから、ぜひぜひ。
あると思う。
次回かな、ちょっと次回と次次回くらいにするかもしれないけれども、
前回の時間、ある持続の話を踏まえて、今回のそういった一人の生き方みたいな、
話を経たところの生命みたいな、そういう大きな話をしたいなと思ってます。
はいはい、わかりました。
このベルクソの持続っていう観点で、次回は生命ですね。
どういう話になっていくのか、ちょっと直しにしていきたいと思います。
では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
52:14

コメント

スクロール