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文化人類学を研究している方から京都とスペインの魔除けについてお話を伺いました。

今回はスペインのお話。実際に魔女について深く考えたことはありませんでした。


【ゲスト】

土谷輪 さん(https://twitter.com/cielocielo777)

京都大学大学院人間・環境学研究科文化人類学分野博士課程


▶スペインでの研究について

▶図説 魔女の文化史 セリヌ・デュ・シェネ https://amazon.co.jp/dp/4562059095/ref=cm_sw_r_tw_dp_BY9V0VKEN3JXNEEHRZK9… 

→「魔女」とされる人々とそれを取り巻く人々がどんな歴史をたどったかを図版付きで概説している一冊。

▶シエラの人びと―スペイン・アンダルシア民俗誌 (1980年) (人類学ゼミナール〈15〉) J.A.ピット=リバーズ https://amazon.co.jp/dp/B000J82TKM/ref=cm_sw_r_tw_dp_5TKN8K7RBV9R65BP8QYV… 

→古い本ですが、書かれた当時のスペイン南部のある村の生活を文化人類学者が描いた古典的民族誌。


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00:00
なんかちょっとあれですね、スペインでどんな感じのことをやってたのかも、ちょっと聞いてみたいですね、はい。
そうですね、スペイン、最初に行ったのは、全然最初は無視だったので、スペインにどんな前向きがあるのかっていうのを実際見に行ったりとかしたんですけど、
モチベーションが別に京都語の格好としてはなくて、ただスペイン語をちょっとかじってたっていうだけなんですけど。
行けるところで一番、まあ身近というか興味があったのがスペインだったので、スペインに行ってみて、実際にどういう前向きが使われてるのかなっていうのを探してもらったりとかしたんですけど、
向こうは結構、何だろうな、いろんな人が暮らしている国だと言われていて、
人種とかってことですか?
人種って言うと語弊があるので、ちょっとぼやかしたことを僕は言いたいと思うんですけど、
何だろう、よく議論になるのが、スペイン人という人はいないんじゃないかっていう話じゃないですか。
というのも、スペインってもともといろんな人が渡ってきて暮らしてたんですよね。
そうですよね、あの辺も歴史的にスペインの領土って結構戦火になってるというか、よく年によって違う国になったりしてるエリアなのかなっていうイメージは持ってるんですけど。
本当にその通りです。
昔はケルトとかフェニキアとかいろんな人が来てて、というのもジブラルタル海峡っていう地中海への入り口がそこにあったからとか言う人もいるんですけど、
8世紀まではキリスト教の国だったけど、そこから南の方からイスラムが攻めてきて、15世紀の末までイスラムの国だったのが、キリスト教が盛り返してきて、とか言ういろんな人がいろんな方法で住んできたんですよね。
だから統一したスペイン人っていうのはいないんじゃないかみたいなことを言う人が結構多くて。
そういうとこに実際足を運んでみると確かにいろんな人がいろんな暮らしをしてて、眉毛もいろいろなものがあって。
それはだから、人種っていうよりかは、例えば民族的なものとかそういうのも入り混じってるってことですか?伝統みたいな。
そうですね。人種、伝統、民族っていうのはちょっといろんな語弊があるので、また触れる機会があればちょっと補足したいと思うんですけど。
普段で言うと結構移民が多くて、スペインって。
はいはいはい。
割と比較的遅めにEUに加入したんですけど、それで移民を受け入れるって言うようになってから結構最近は移民が多くて、モロッコ人が一番多かったかな。
うん。
もうさすがに近いだけあってモロッコの人が多かった印象はあるんですけど。
へー。
モロッコ人の方々の集まって住んでるところとか観光地とかがあったりとかして、そこに行くとこれモロッコのやつやんみたいなのがスペインにも転がってたりしますし、
03:01
もっと今の国境を考えた上で言うところのスペインにもともとあったと言われるものでもいろんな迷いがあって。
はいはい。
そうですね。例えばいわゆる魔女とされた人が使ってたものとか。
うん。魔女。
そうですね。とか、あとそうですね、スペインの王室のスペイン王家の肖像画の一つに小さい子供がちょっと名前をどうせでしたんですけど描かれているのがあって、
そんな小さい子供の肖像を見るともう体中眉毛だらけだったりするんですよね。
へー。
それもいろんなイスラムのお守りだったりとか、あといろんな石だったりとか珊瑚だったりとかを眉毛として身につけてるっていうのがあって。
体につけてるんですか、それ。
そうですね。ネックレスとかチャームとかそんなイメージだと。
あーなるほど。
結構いろんなものが混在としているのを体現しているかなと思って見てたんですけど、そういうのもあっていろんな迷いがありましたね。
確かに。まあ日本とはもうもちろん全く違うと思いますけど、まず魔女が出てくるのが結構西洋風だなって感じしますけど。
あー。
それはなんか歴史的には魔女みたいな、昔はいたみたいな感じでしたっけ?魔女と呼ばれる人たちみたいな。
そうですね。魔女について説明する前に魔女が何なのかっていうのを簡単に誤解のないように言っておきたいんですけど。
はい確かに魔女とは何なのか。
僕の理解ではっていう話になりますけど、魔女狩りっていうのご存知ですかね。
よく聞きはしますよね、魔女狩り。
そうですね。魔女狩りって言うと漫画とかアニメとかそういうところでよく魔女が火あぶりになってたりとか。
ありますよね、そういうカルチャー的なイメージは。
そういうのがあったりすると思うんですけど、ただそれが何で行われたかっていうのはまあいろいろ実はあるんですけど、
当時というかまあ今もカトリックってすごく大きな組織で、カトリックがスペインで最も多くというか広く信仰されてる宗教の一つだとは言われて、
それは当時も変わってないことなんですけど、ただその大きい組織であるカトリックの権威がちょっとぐらついたことがあったんですね。
このままではいかんっていうことになって、カトリックじゃない宗教を名乗る人とか、
逆にキリスト教の地位を貶めるようなことをする人たちを取り締まろうっていう話になったのが魔女狩りの始まりの一つだと言われていて。
それはじゃあもう別に男女とかもあんま関係ない感じなんですか。
なんで魔女なのか?
なんで魔女なのかっていうと、男性が少なくてなんで女性が多いのかっていう話になると思うんですけど、
当時も今も結構存続しているところはあると思うんですけど、やっぱり男性中心主義的なところがあって、
理解にしろ何にしろですけど、そういう立場から見ると、これは誤解のないように言いたいところではあるんですけど、
06:07
女性というのが相対的に周辺化されてたというか、中心には関われなかったっていうのが構造的にあったとされているという話があって、
要は当時は男性中心主義が本当に強くて、割と女性というのが他者として扱われてたというか、
中心から見れば中心の単語というか中心ではないものという意味で周辺化されてきたというような気があったりとかして、
実際に魔女狩りで処刑されてしまった人の割合で言うと女性が圧倒的に多くて、
ああ、そういう若干立場の低さが故にみたいな。
まあそうですね、それも結構ひどい話ではあるんですけど、
で、そういう人たちが危険視されたというか、一部では本当にキリスト教の教義に背くようなことをやっていたからっていう話もあったりするんですけど、
それ実際に起きてたんですか?
それが結構解釈も分かれるんですよ。
実際に本当に魔女みたいな人がいたのかっていう。
うーん、なんか、もしかしたら別にそういうのを何もやってないのに仕立て上げられて処分されちゃってるみたいな。
もう本当にその通りですね。
で、その魔女というかキリスト教をカトリックから見たときの異端とされる人を裁く制度というか組織があったんですけど、
で、その組織に対して、まあこの人は魔女なんじゃないかっていう密告とか、密告っていうか何ていうか指摘をする人が当然当時はいたんですけど、
そうするともう指摘された人は拷問にかけられたりとかするんですよね。
へー。
で、もう本当に結構ひどい仕打ちを受けて、もう自白するしかなくなったというか、
自分は魔女ですっていうことを言わなければ、もう苦しみから解放されないようなところまで追い詰められての、その虜してしまった言葉を拾い集めて記録に残ってたりとかするので、
実際に本当に何をしてたかっていうのは、僕は知る限りではあまり明らかにされてないというか、実際にどうなのかっていうところは結構怪しいところがあるなと思っていて。
そうなんですね。
で、キリスト教の教義に反することって言ったら何かっていうと、悪魔と契約をしたりとか。
はいはい。
本当はキリスト教のミサって、日曜日とかに今はやってるところが多いと思うんですけど、日中とかにやってることが多いのかな。
ちょっとあまり現代キリスト教について詳しくないので、あれなんですけど。
ただその悪魔が現れるとされるような夜にミサっぽいことをやってて、それで人を集めて悪魔と契約させたりとか。
へー、それは結構、すごい。なんか別習犯みたいな。
そうですね。その異端とされてるようなやり方でやってるんじゃないかっていう告発をする人がいて。
へー。
本当に実際にいたのかもしれないですけど、それが一部だったのかもしれないし、僕にはちょっと判断がつかないところではあるんですけど、そうやって仕立て上げられたっていうのが魔女像ではありますね、僕の理解では。
09:02
だから本当は、なんだろう、キリスト教からちょっと距離があったりとか、まあ元々魔女とされてた人って賢い女っていう女だったかな、賢い人だったかちょっと俺覚えなんですけど。
はい。
というのが魔女の意味の一つであるとされることがあって、なんで賢い女かっていうと、当時は薬とか医術とかってあんまり今ほどには整ってなくて、結構今から考えるとずっとするようなこととかもあったりはしましたけど。
まあ科学の立場みたいなのも多分、全然今と違いますもんね、状況が。
そうですね。で、そういうときになって、じゃあ体調が崩れたらどこに行くかっていうと、その魔女というか賢い人のところに行って薬草とかをもらってくるっていうのが、まあメインストリームの一つであったというか。
はい。
で、それを尋ねに行くっていうことはもうその人物は町の外に住んでるっていう、もうすでに主演化されてて怪しいんじゃないかっていう疑いが真っ先にかけられがちな人であって。
あー。
で、当然その薬草の知識とか使い方とかを弱知してるってことは、そういう年と経験がある人だから、
はいはい。
魔女といえば森に住んでる老婆みたいな。
確かにそのイメージですよね。
定観面が押し付けられたというような感じではあると思います。
えー。
なんか魔女の隠れ家的なイメージはその周辺部だったからみたいな。
そうですね。
そういうイメージが、まあ今なんかかなり増幅されてそうですけど、いろんな。
そうですね。魔女のイメージについては結構最近になってとか、映画とか小説とかそういうのが。
ですよね、なんか。
流行ってきてから疑惑されたというか、別に今魔女っていうと。
もうなんかあれじゃないですか、空想上脳みたいな感じにはなってるじゃないですか。
そうですね。まあ別にそんなに、まあどうだろう、半分半分ぐらいだと思いますけど。
魔女っ子みたいなキャラクターが多かったりとか。
またやすごく白雪姫とかに出てくるような。
あー悪い魔女みたいな。
悪い魔女みたいなイメージが、両極端なイメージがあったりとか。
そうですね。
そういうと思うんですけど、元を正せばそういうカトリックとして主演化された人っていうような感じだと思いますね。
ちょっとこの辺が僕は本当に専門ではないので、なんか大体のイメージで掴んでいただければ幸いです。
まあでも良いか悪いかはあんまはっきりはしてないってことですもんね、そもそも。
そうですね。結構本当に魔女狩りはいろんな手段でいろんな裁き方をされて。
魔女じゃないかっていう指摘をされたというか、告白されたその女性がその裁判所みたいなところに連れてかれて、
計りにかけられるっていうことがあって。
計り?
実際その計りが残ってるらしいんですけど、なんで計りかっていうと。
魔女は空を追っているから実際の人間よりちょっと軽いはずだっていう。
あー、はっはっは。
で、計りにかけられてたみたいな。本当だよみたいな話があったりするんですけど。
へー、しかもそれもなんかあれですよね、細工みたいな出来ちゃいますよね。
そうですね。だから僕が詳しくないだけかもしれないですけど、そこの真偽というか、
12:02
実際の魔女っていうのがどんなものかっていうのは僕としては一向の意地があるという感じではありますね。
で、その実際にその、じゃあ魔女に関連する魔除けみたいなのって、そうなるとどういうものになってくるんですかね?
結構薬草とか。
あー、なるほど。薬草とかになってくるのか。
薬草、そうですね。スペインのとある町の小さい博物館、施設の博物館があって、
それはスペイン中からいろんな魔除けを集めたっていうコアな博物館があるんですけど。
すごい、すごい、そんなのあるんですね。
そこに行くと、マンドラゴラっていうのご存知ですかね?
あー、わかりますわかります。
なんかキノコ、キノコっていうか、アリーポッターの植物みたいなやつですよね。
ヒキネクと人の顔ができてきて、すごい声で叫びまくるっていう。
はいはいはい、いますね。なんかその声聞いちゃうと死んじゃうみたいな。
あー、そうですね。そんな祝いがあったりとかする植物が展示されてたりとかして。
はいはいはい。
実際に使ったかどうかっていうのはさっき言った通り、分かんないところであるんですけど、
そういうのが魔女が使った植物だとされてたりとか、
獣の爪とか、動物の一部とかを身にまとって幸運を招いたりとか。
へー。
逆にその動物の一部とかに悪いものを宿らせてっていうか、
自分じゃないものを標的にするためにそれを身につけたりとか、っていうのもありますね。
魔女が作ってる魔除け、魔女が使ってた魔除けってことですか?そういうやつは。
僕も実際に魔女と会ったことがないので、あれなんですけど。
はいはい。
ただそういうのが言われとしてスペインには残ってるというか、
まだスペインにも実際問題、魔女がどうだったのかっていうのが、
我々のいわゆる白雪姫の毒リンゴを渡すローマイメージがついてまとってるようなところもあったりとかしますし。
はいはいはい。
まあ今でも結構そういう、なんだろう、キリスト教的ではない、
まあキリスト教的ではないというとちょっと語弊があるかもしれないですけど、
近代的なカッコつきの近代的な医療じゃないことをするとか、
これを身につけていると悪いものにたたられないよとかいうふうにして渡すとかいうのが魔女じゃないかっていうふうに、
魔女的な行為じゃないかって言われることはちょくちょくはありますね。
でもそれが一応今も伝わってるところはあるっていうことですか?
そうですね。伝わってることはありますね。
実際にでも魔女を想定する、実際に特定の人物が魔女だっていうようなことが大事というよりも、
はい。
なんだろう、架空でもいいから魔女っていうのを想定するのが大事かなというところは僕はうすうす感じていて、
はいはいはい。
なんか悪いことがあったらどこかそういう悪いことを、なんだろう、呪いみたいなのをかけれる能力がある人がやったんじゃないかっていうふうな、
お互いはかけれるんですけど、実際問題そういう人物がいるかどうかっていうのが大事というよりも、
まあ想像の上であってもそういう人が攻撃してきたっていう前提の上で何か処方をするほうが、
15:05
まあ割と一般的とまでは言わないですけど、
まあやられてるようなところではやられてるという感じですかね。
人間あれですよね。何かそういうことがあったときに、
他のそういう存在しない架空のもののせいにするとか、
あとはつらいときに信じるものがあって、もともと多分その宗教でいうところの何かを信仰したいみたいなのも、
別にそこに本物が存在するかどうかってあんま関係ないじゃないですか。
そういう感じですよね。それが実態が、ありすぎたらありすぎたで多分問題になるというか、
激しいほうに行くじゃないですか。偶像衰敗みたいな。
そうですね。
だからそれの逆みたいな感じですかね。魔女で言うと何かこういう悪いことが起きたら、
とりあえずそれのせいにするような風潮があるというか。
そうですね。まあ魔女だけが悪いってわけでもなかったりもするので、
ちょっとまあそれは本当に国とか地域とか村単位で結構言われがちかったりするので、
まあこれがこうだと断定しにくいところではあるんですけど、
まあただ日本でも結構聞くところの話でありますよね。
本当に辛い時に神様頼みするしかないけど、
じゃあこの辛さは誰がもたらしてるのかっていうと結構誰が誰かわかんなかったりとか、
特定のどっかの誰かが呪いをかけることのできる人にお願いをしたんじゃないかみたいなことを言う時もあったりするっていうのがなんとなくあると思うんですけど。
はいはいありますねそういう。
まあそういう感じで。
よくわからん。
本当によくわからんですよ。
何かのせいにしたいみたいな。
何だろうな、何かあった気がするけど、ちょっとずれるかもしれないですけど、
雷がめっちゃ鳴っておへそ取られるよみたいな。
誰が取るのかわかんないとかいう感じですか。
あるじゃないですか、ああいうのも、あれは何でしたっけ、誰にでしたっけ。
雷が取るとへそを、夜に積み起きるなみたいな感じですかね。
そうですね、なんかそういう雷様か、なんか雷様におへそ取られちゃうよとか、そういうのもよくわかんないし、
そういうよくわからん言われみたいなのいっぱいあるなって思いました今。
そうですね、日本の文脈で言うと、結構その何々をいつしたらどうなるみたいなことわざ的なことがいっぱいあると思うんですけど、
それはある種経験則からきたただの忠告かもしれないし、
例えば、夜積み起きるなっていうのは、昔は今は夜も明るく過ごせますけど、
昔は手元が暗くて、あっても油をつけた紙を燃やしたろうそくみたいなものしかなかったりとかして、
そんなことをしてると、爪切りで怪我をして、親の死に目にも会えないほど怪我するぞっていうような忠告の意味があったのかもしれないですし、
18:02
夜にお金を数えると泥棒が入るとか、本当に泥棒が入ったからそういう忠告があったのかもしれないし、
ただそういうのとかも含めて、じゃあ誰が親の死に目に会えなくするのかとか、
どこで誰が泥棒に入るのかとかまでは特定しないので、
とにかく誰かわかんないけど誰かのせいにされるっていうのの一つで、スペインの文脈では魔女が候補に上がってくるみたいな関係ですかね。
なるほどな。
ただ本当にさっきも言った通り、本当に魔女がいるかどうかは僕も定かではないので。
そういう使われ方としての魔女か。
日本でいう鬼とかそういう悪いものとか、そういうのがたまたま魔女って言われる人たちだったみたいな、なんかそういう感じってことですね。
イメージそんな感じ。
ちょっとフィクションですよね。
ちょっとなんかフィクション入ってますよね。
結構文化人類学者でそういうことを言う人もいて、
世界各地でまだ呪いに関する事例っていうのがいっぱいあるんですけど。
ありそうですよね、なんかその地域の。
そういう特定の地域にこういう信念があって、
例えばどっかの体の調子が悪いとかいう人が癒すことができる人のことを訪れたとして、
医者みたいなイメージの人のところを訪れたとして、
じゃあその医者は何をするかというと原因を特定してあげるんですね。
なんでそういう体調が悪かったりとか不幸が訪れたりとかしたのかっていうのの原因を探って、
じゃあもしかしたらこれは誰かがどこかで呪いをかけてるのかもしれないという話をした上で、
特定の何か痛みだったり苦労だったりを和らげてあげる、手段を講じてあげるわけですけど、
そこに特定の誰かを休断するというようなことが想定されるケースは全部が全部じゃなくて。
確かになんか女王化みたいなイメージ。
エクソシストとかもそうじゃないですか。
エクソシストはリスト教の話なので。
あれも悪魔に取り憑かれたりした人から悪魔払いみたいなことじゃないですか。
それって言ったらでも悪魔が悪いものの対象みたいになってる。
また違うんですかね。
ただ呪術師とかの場合は特定の人物が想定されてるので、
悪魔っていう漠然とした存在ではないという点では違ってますし、
そもそもキリスト教の大方の流れとしては悪魔っていうものを許さないというか、
存在そのもの自体が許されないみたいな。
神様の対義語が対立するものが悪魔っていう、その前提がダメだっていうのが結構数ヶ月の意見もあったりするので、
別にそれは同じケースだとは言い難いですけど、
その呪術をすることができて誰かに呪いをかけているという、
そういう人が特定されるのが大事というよりも、
実際にそういう人がいるという想定の下で苦しんでる人とか、
21:04
被害をこむった人に対処していくっていうのが大まかな流れのよくある、よく聞くパターンではあると思いますね。
なるほどなぁ。
そう考えたらいろんなパターンありますね。
それはですね、結構文化人類学の最初の頃から言われてきた、ずっと研究されてきた分野なので、
研究はいくらでも探せばあるところであるんですけど。
いや、めっちゃありそうだなぁ。各地域ごとにあるだろうし。
まあなんか今補足すると、今特定の地域で特定の信仰があるっていうふうにあえて言葉を選んだんですけど、
信じるっていう言葉一つとっても人類学の研究があって、
信じる。
これも本当に話半分で聞いてもらったらいいんですけど、
僕の理解が間違ってたりとかがあった可能性もあるので、
信じるって言うと、例えばこの地域の人はこの神様を信じているって言うと、
それを記述した人からすると、その神様は存在してないことになるっぽくないですか?
確かに、格な感じはします。
例えば、どこでもいいんですけど、
とある国のとある部族、部族って言ったら悪いですね。
とある集団の中でこういう神様が信じられているって言うと、
自分がその事実を記載した人は信じてないけど、
こういうとこにはこういうことあるものとして信じる人がいるよっていうニュアンスが含まれてくるので。
確かに、確かにそうですね。
だからそういうニュートラルな、よりニュートラルなっていうか、
記述を目指す上で、その信じるって言う言葉一つ取っても人類学の研究があったりとかしますね。
確かにな、信じられてるって言ったら結構他人事感ありますね。
そうですよね。
はい、他人事感あるし、
でもだからといってどう書けばいいんだろうっていう感じもありますけど。
そうですね、その研究の中で一つ提案されてたのはその信念があるっていう。
あ、信念がある、信念を持ってる人がそこにいるみたいな。
そうですね、まあよりニュートラルな書き方っていうか、
より即し、実際の文脈に即しつつ書くにはどうしたらいいかみたいな試みは、
もう本当に文化人類学の中ではいくらでもありますね。
えー、難しいな、その言葉遣い1個で。
まあでも確かにな、そこにいるっていう事実として記述できるんだったら、
まあでもそれはもう科学っぽい感じになっちゃうのか。
うん、だから結構書き方一つと言っても難しいところがあるっていうのは、
先ほどそのライティングカルチャーっていうことがあったっていうのもあって。
えー、そうですか。
僕もさっきから、部族って言ったら悪いとか、
語弊があるとか結構だしばしで言ってますけど、
それについてももう既に議論があるので、
ちょっと僕の言い方が悪かったなっていうのを反省を込めて訂正させていただいたんですけど。
24:03
そこの結構センシティブってことですね、そこの言葉遣いの。
えー、そうか。
特に法人類学とかいう分野の人とかは、
気にする人が多いイメージはありますね。
あー、そうなんですね。
いや、なんかなんて言うんだろう、
僕の理系の視点から見ると、
なんかまた違う気の使い方だなと思ってて、
こっちは逆に、
科学でそれを信じるとか思うとか、
そういうのって許されないですよね、ほぼほぼ。
こういうことが示唆されるとか考察できるぐらいだったら言うんですけど、
それを自分の、たとえば何かの事象に関して書くときに、
私はこう思うばっかりだと、まあもう科学としては成立しないし、
そういうのを書いちゃうと、やっぱりダメだみたいなのがあって、
なんかそういうのに近いなって思いましたね、その言葉。
信じる、その信念があるみたいな書き方をするっていうのも、なんていうか、
科学の世界で言うと、私はこう思いますって主張し続けるのと一緒になっちゃうというか、
自分が出ちゃうみたいな。
あー、そうですね。
客観性が失われちゃいますよね。
思うっていうのは、私が思うっていう主観ありきの言葉だと思うので。
いや、そうなんですよ。それが誰かによって意味が変わってきちゃうとか。
あー、そうですね。
たぶんその自然科学とか言われる、
れんさんがやっておられるような分野の方では、たぶん僕らが何とかと思うとか、
何とかと考えるっていうような言い回しは、今聞く限りではおそらくされないとは思うんですけど。
そうですね。
ただ我々からすると、そういう、最初に話しましたけど、何々は何々であるっていう断定をすると、
何か特定の事実を押し付けたりとか、
僕らが人類学者が書く側の立場に絶対的にあってしまうので、
その現地の人々の意見を悪く言えば、我々の好きなように書けるという意味にもなってしまうので、
逆に何々は何々だっていうことに関しては問題不組な点があるかなって感じですね。
いやー、だからそこが、文化人類学的な方の方がそこの書き方難しいんだろうなって思いますね。
普通に何か科学でであるって書けることって、
例えば何かのデータとか、結果として出ちゃうものをただ記述するだけっていう意味の言葉なんで、
もうそこに何もないんですよね。何かのフィルターがかかるとか、数字が出てきちゃうんで、これだみたいな。
そういうのがないから、すごい大変そうだなって思いましたね。
何かすごい難しそう。
まあ、それが人間の意見にしている以上がついてもあるので、気にかけて仕変わるべきだと思いますね。
27:06
えー、でも何か面白いですね、そこのそういう。
ちなみに最近割と理系の研究室でフィールドワークするっていう研究が増えてて、
別に僕らみたいに特定の村に行ったりとか現地に住んでっていうのではなくて、
まあそういう調子で実験室に赴いて、そこの営みを人類学的に考えるっていう研究も最近増えてて。
へー。
例えば病院で研究されてた人がいて、その人類学者自身が医者でもあるので、そこに入りやすかったっていうのもあったかもしれないんですけど、
高血圧症の患者さんたちを対象にフィールドワークをしたっていうような話もあって、
大元にあるのは科学的な事実とされるものっていうのは、研究者がアプローチしていって発見されるのを待ってるっていう状態ではあるかもしれないけど、
ただそれだけではなくて、いろんなものがいろんな繋がり方をしたことによって出てくるものだっていう考え方があって、
例えば何か特定の働きをする菌を発見しましたっていうことは、ただ実験してる人がそれを見つけたっていうのみならず、
まあそれを見つけるに至るためのプロセスがいっぱいあると思うんですよ。
はいはい。
例えばそもそもの研究費をどこから取ってくるとか、機材を使う技官さんに手伝ってもらうとか、
ラボの所長みたいな人だったらそれを手配して運営するとか、
科学技術とされるというか、実験に使う装置一つ取ってもそこには事実の発見に関与してくれるわけですよね。
というのがいっぱいいろんなアクターが繋がってきて、そういう事実が見つかるという風な分析をするような人も結構多いですね、最近。
面白いな、なんかまた全然違う考え方だ。
本当に世界中のいろんなところに人類学者いるなって思いますね。
へえ、いや面白いな。
ちなみに何か今後やりたいこととかってあったりするんですか?
そうです。
何か最後に聞いてみたいなって思うんですけど。
やりたいこと、とりあえず僕は今スペインに戻って調査を再開したいなという気持ちがすごく大きくて、
とりあえずその研究は本当に現地の人に支えられてできることなので、
恩返しという意味も込めて、何かしらの形にまとめられたらなという風には思っていて、
それなんか論文みたいなとか。
そうですね、論文の叱り、学位を取るための論文の叱りで書けたらなという風には思っていて、
それは実は別に魔女とか公に限った話でもなくていいというか、
それに特化することにはあまり今はこだわっていなくて。
30:02
ってなると、人の暮らしとか、もっとちょっと広い意味ってことですか?
そうですね、今僕が調査している村で何が起こっているのかとか、
村の中でどういう動きがあってとか、例えば雇用がどうであったりとか、
社会としての動きがどうなっているのかっていうのとかも含めて、
割といろんなことをいろんな視点から見るのが大事だなというか、
それをしないと多分その社会がどうなっているのかというのが見えてこないし、
そうですね。
単純に魔女っぽいというか、宗教に関わるようなことを調べてもいいとは思うんですけど、
スペインも結構日本と同じように特定の宗教から距離を置く人が多いし、
それだけが唯一の正解ではないなという風に僕は最近うつうつ感じているので、
とにかくいろんなことをいろんな視点から調べていって、
その上で例えば特定の信仰みたいなものがどういう位置づけにあるのかっていう風にしていった方が、
その地域の理解に繋がるかなと思っています。
なるほどな、確かにな。
どっかを切り取っちゃうと、それが本当なのかってなっちゃいますもんね。
本当にそうなんですよ。
だからその特定の書き方をすると、あたかもその村が本当にジジエスの街みたいな。
そうですよね、そうなっちゃいますよね。
魔女の街みたいな印象を与えかねないというのも含んで。
だけど例えばちょっと産業的なことはこういうのが今盛り上がっているとか、
なんか別なこともまたあったりしますもんね。
そうですね。
だからそれを総合的に見てまとめるのがそういう文化人類学的なところもあるんですかね。
そうですね、そういうのをまとめた技術のことをエスノグラフィーとか言いますね。
エスノグラフィー。
エスノってエスニックとかのエスの。
エスニックの、はいはい。
グラフィーはバイオグラフィーのグラフィーですけど、民族誌って訳されることが多いんですけど、
我々はそれぞれで目指していることの一つは民族誌を書くっていう、
その地域のことをよく理解した上でものを書くっていうのが一つ目指されているところだと思いますね。
いや、すごい面白いですね。やっぱなんか全然違う世界だから話聞くの面白いなぁ。
多分それって分野も滝に渡るじゃないですか。
調べなきゃいけないこととか収集しなきゃいけない情報とかも。
だからいろんな分野絡んできて、まあ楽しそうだなっていうのはすごい思いましたね、聞いてて。
歴史もしっかり、統計情報もしっかり、いろいろなことを知ってますね、我々は。
結構その辺が全部総合的なものになってて、だから、なんかあんまりそういう全体的な民族、
民族という枠まで広い視点のものって、あんまり読んだことなかったなと思ったんですけど、自分の中では。
33:07
もっともっとちっちゃい細分化された分野しか見てなかったんで。
だからそういう全体を見るのもすごい面白いなって個人的に感じました、今日。
そうですね、結構最近は文化人類学、理論的なとこに走る研究が多くて、
例えば特定の社会を見てみるとこういう構造になっててみたいな、
そこにこういう関係があってとかいう、理論の話をする人が結構増えてきたっていう、嘆きの声みたいなのがちょこちょこ橋橋から聞かれてて。
本当に面白いのはそういう、こういうとこでこういう暮らしがあって、こういう仕方もあるんだよっていう、選択肢を増やすっていうのが楽しいとこなんじゃないっていう。
本当に本当を言えば多分文化人類学ってそういうとこからスタートしてるっていうか、
どうもとはそういう、特定のことだけが唯一絶対的なものじゃないよっていうののオルタナティブを示せるっていうのが一つ利点であるなっていうふうに僕は思ってるので。
しかもそうですよね、それが提示されなくなっちゃうともう均一化されちゃうというか、面白くないですよね。
なんか理論のための理論をしていると、実際に現地に行ってみて何が見えるのかっていう、人類学者がめくり回した理論を念頭に別に現地の人は生きてないので。
例えば僕がさっきジギオン祭りの説明を簡単にしましたけど、僕が説明した通りに必ずしも現実が動いているかとか、現地の人がそれを念頭に生きているかって言われると多分そうではないので。
はい、そうですよね。全部100%を書くのは無理ですよね、やっぱり。
国々と状況は変わるので。
そうそう、そこが。それを記述する人がいるっていうのもまた大事じゃないですか。
そうですね、本当に。
もう失われていっちゃうみたいなこともあるかもしれないし、だからなんかすごい重要だなって思いましたね。
失われていくものを書き留めるっていうのも一つ役割であると思いますし、それとオルタナティブを提示するっていうか、例えば僕らが日本に暮らしてて、日常的に挨拶するときに頭下げたりとか、そういうレベルの日常的なことって外国ではやらなかったりとか、いきなりハグされてびっくりするとか、そういうレベルの気づきでもいいんですけど。
そういう自分たちが生きている現実だけが唯一絶対じゃなくて、他の地域ではこういうことが行われていて、そういう生き方もあるんですっていうのは自分の文化にフィードバックするっていうのも一つ面白いところかなというふうに思いますね。
36:01
なるほどなぁ、すごい面白いなぁそれ。今日もすごい聞いてて、そういう世界もあるんだっていうのも思いましたし、それで自分の考えをアップデートするのが重要なんじゃないかなって思いましたね。
よく異文化を考えるとか、
はい、異文化の理解するみたいなのもありますよね。
それが理解の学問っていうふうに僕はわりと答えがちではあるんですけど、理解するだけじゃなくて、そういう理解した上でこういうのもあるんだよっていう考え方を示せるのが文化人類学かなと思ってます。
いや、なんかめちゃくちゃいい話でした。
なんか勉強になりました。
すみません、少ない説明で。
すごい勉強になりました。全然触れてこなかったところだったんで。
本日のゲストは土屋凛さんでした。ありがとうございました。
ありがとうございました。
シーズン12、眉毛と文化人類学の世界をお聞きいただきありがとうございました。
途中で理系と文系の違いみたいな話も出てきて、普段は理系の方とお話しすることが多いのでとても新鮮でした。
次回シーズン13はアロマの世界です。
ゲストとしてアロマセラピストの方が登場します。
僕は科学者視点でアロマのことについて色々聞いてみたので、ぜひそちらも楽しみにお待ちください。
ありがとうございました。
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