もっと今の国境を考えた上で言うところのスペインにもともとあったと言われるものでもいろんな迷いがあって。
はいはい。
そうですね。例えばいわゆる魔女とされた人が使ってたものとか。
うん。魔女。
そうですね。とか、あとそうですね、スペインの王室のスペイン王家の肖像画の一つに小さい子供がちょっと名前をどうせでしたんですけど描かれているのがあって、
そんな小さい子供の肖像を見るともう体中眉毛だらけだったりするんですよね。
へー。
それもいろんなイスラムのお守りだったりとか、あといろんな石だったりとか珊瑚だったりとかを眉毛として身につけてるっていうのがあって。
体につけてるんですか、それ。
そうですね。ネックレスとかチャームとかそんなイメージだと。
あーなるほど。
結構いろんなものが混在としているのを体現しているかなと思って見てたんですけど、そういうのもあっていろんな迷いがありましたね。
確かに。まあ日本とはもうもちろん全く違うと思いますけど、まず魔女が出てくるのが結構西洋風だなって感じしますけど。
あー。
それはなんか歴史的には魔女みたいな、昔はいたみたいな感じでしたっけ?魔女と呼ばれる人たちみたいな。
そうですね。魔女について説明する前に魔女が何なのかっていうのを簡単に誤解のないように言っておきたいんですけど。
はい確かに魔女とは何なのか。
僕の理解ではっていう話になりますけど、魔女狩りっていうのご存知ですかね。
よく聞きはしますよね、魔女狩り。
そうですね。魔女狩りって言うと漫画とかアニメとかそういうところでよく魔女が火あぶりになってたりとか。
ありますよね、そういうカルチャー的なイメージは。
そういうのがあったりすると思うんですけど、ただそれが何で行われたかっていうのはまあいろいろ実はあるんですけど、
当時というかまあ今もカトリックってすごく大きな組織で、カトリックがスペインで最も多くというか広く信仰されてる宗教の一つだとは言われて、
それは当時も変わってないことなんですけど、ただその大きい組織であるカトリックの権威がちょっとぐらついたことがあったんですね。
このままではいかんっていうことになって、カトリックじゃない宗教を名乗る人とか、
逆にキリスト教の地位を貶めるようなことをする人たちを取り締まろうっていう話になったのが魔女狩りの始まりの一つだと言われていて。
それはじゃあもう別に男女とかもあんま関係ない感じなんですか。
なんで魔女なのか?
なんで魔女なのかっていうと、男性が少なくてなんで女性が多いのかっていう話になると思うんですけど、
当時も今も結構存続しているところはあると思うんですけど、やっぱり男性中心主義的なところがあって、
理解にしろ何にしろですけど、そういう立場から見ると、これは誤解のないように言いたいところではあるんですけど、
だから本当は、なんだろう、キリスト教からちょっと距離があったりとか、まあ元々魔女とされてた人って賢い女っていう女だったかな、賢い人だったかちょっと俺覚えなんですけど。
はい。
というのが魔女の意味の一つであるとされることがあって、なんで賢い女かっていうと、当時は薬とか医術とかってあんまり今ほどには整ってなくて、結構今から考えるとずっとするようなこととかもあったりはしましたけど。
まあ科学の立場みたいなのも多分、全然今と違いますもんね、状況が。
そうですね。で、そういうときになって、じゃあ体調が崩れたらどこに行くかっていうと、その魔女というか賢い人のところに行って薬草とかをもらってくるっていうのが、まあメインストリームの一つであったというか。
はい。
で、それを尋ねに行くっていうことはもうその人物は町の外に住んでるっていう、もうすでに主演化されてて怪しいんじゃないかっていう疑いが真っ先にかけられがちな人であって。
あー。
で、当然その薬草の知識とか使い方とかを弱知してるってことは、そういう年と経験がある人だから、
はいはい。
魔女といえば森に住んでる老婆みたいな。
確かにそのイメージですよね。
定観面が押し付けられたというような感じではあると思います。
えー。
なんか魔女の隠れ家的なイメージはその周辺部だったからみたいな。
そうですね。
そういうイメージが、まあ今なんかかなり増幅されてそうですけど、いろんな。
そうですね。魔女のイメージについては結構最近になってとか、映画とか小説とかそういうのが。
ですよね、なんか。
流行ってきてから疑惑されたというか、別に今魔女っていうと。
もうなんかあれじゃないですか、空想上脳みたいな感じにはなってるじゃないですか。
そうですね。まあ別にそんなに、まあどうだろう、半分半分ぐらいだと思いますけど。
魔女っ子みたいなキャラクターが多かったりとか。
またやすごく白雪姫とかに出てくるような。
あー悪い魔女みたいな。
悪い魔女みたいなイメージが、両極端なイメージがあったりとか。
そうですね。
そういうと思うんですけど、元を正せばそういうカトリックとして主演化された人っていうような感じだと思いますね。
ちょっとこの辺が僕は本当に専門ではないので、なんか大体のイメージで掴んでいただければ幸いです。
まあでも良いか悪いかはあんまはっきりはしてないってことですもんね、そもそも。
そうですね。結構本当に魔女狩りはいろんな手段でいろんな裁き方をされて。
魔女じゃないかっていう指摘をされたというか、告白されたその女性がその裁判所みたいなところに連れてかれて、
計りにかけられるっていうことがあって。
計り?
実際その計りが残ってるらしいんですけど、なんで計りかっていうと。
魔女は空を追っているから実際の人間よりちょっと軽いはずだっていう。
あー、はっはっは。
で、計りにかけられてたみたいな。本当だよみたいな話があったりするんですけど。
へー、しかもそれもなんかあれですよね、細工みたいな出来ちゃいますよね。
そうですね。だから僕が詳しくないだけかもしれないですけど、そこの真偽というか、
実際の魔女っていうのがどんなものかっていうのは僕としては一向の意地があるという感じではありますね。
で、その実際にその、じゃあ魔女に関連する魔除けみたいなのって、そうなるとどういうものになってくるんですかね?
結構薬草とか。
あー、なるほど。薬草とかになってくるのか。
薬草、そうですね。スペインのとある町の小さい博物館、施設の博物館があって、
それはスペイン中からいろんな魔除けを集めたっていうコアな博物館があるんですけど。
すごい、すごい、そんなのあるんですね。
そこに行くと、マンドラゴラっていうのご存知ですかね?
あー、わかりますわかります。
なんかキノコ、キノコっていうか、アリーポッターの植物みたいなやつですよね。
ヒキネクと人の顔ができてきて、すごい声で叫びまくるっていう。
はいはいはい、いますね。なんかその声聞いちゃうと死んじゃうみたいな。
あー、そうですね。そんな祝いがあったりとかする植物が展示されてたりとかして。
はいはいはい。
実際に使ったかどうかっていうのはさっき言った通り、分かんないところであるんですけど、
そういうのが魔女が使った植物だとされてたりとか、
獣の爪とか、動物の一部とかを身にまとって幸運を招いたりとか。
へー。
逆にその動物の一部とかに悪いものを宿らせてっていうか、
自分じゃないものを標的にするためにそれを身につけたりとか、っていうのもありますね。
魔女が作ってる魔除け、魔女が使ってた魔除けってことですか?そういうやつは。
僕も実際に魔女と会ったことがないので、あれなんですけど。
はいはい。
ただそういうのが言われとしてスペインには残ってるというか、
まだスペインにも実際問題、魔女がどうだったのかっていうのが、
我々のいわゆる白雪姫の毒リンゴを渡すローマイメージがついてまとってるようなところもあったりとかしますし。
はいはいはい。
まあ今でも結構そういう、なんだろう、キリスト教的ではない、
まあキリスト教的ではないというとちょっと語弊があるかもしれないですけど、
近代的なカッコつきの近代的な医療じゃないことをするとか、
これを身につけていると悪いものにたたられないよとかいうふうにして渡すとかいうのが魔女じゃないかっていうふうに、
魔女的な行為じゃないかって言われることはちょくちょくはありますね。
でもそれが一応今も伝わってるところはあるっていうことですか?
そうですね。伝わってることはありますね。
実際にでも魔女を想定する、実際に特定の人物が魔女だっていうようなことが大事というよりも、
はい。
なんだろう、架空でもいいから魔女っていうのを想定するのが大事かなというところは僕はうすうす感じていて、
はいはいはい。
なんか悪いことがあったらどこかそういう悪いことを、なんだろう、呪いみたいなのをかけれる能力がある人がやったんじゃないかっていうふうな、
お互いはかけれるんですけど、実際問題そういう人物がいるかどうかっていうのが大事というよりも、
まあ想像の上であってもそういう人が攻撃してきたっていう前提の上で何か処方をするほうが、
まあ割と一般的とまでは言わないですけど、
まあやられてるようなところではやられてるという感じですかね。
人間あれですよね。何かそういうことがあったときに、
他のそういう存在しない架空のもののせいにするとか、
あとはつらいときに信じるものがあって、もともと多分その宗教でいうところの何かを信仰したいみたいなのも、
別にそこに本物が存在するかどうかってあんま関係ないじゃないですか。
そういう感じですよね。それが実態が、ありすぎたらありすぎたで多分問題になるというか、
激しいほうに行くじゃないですか。偶像衰敗みたいな。
そうですね。
だからそれの逆みたいな感じですかね。魔女で言うと何かこういう悪いことが起きたら、
とりあえずそれのせいにするような風潮があるというか。
そうですね。まあ魔女だけが悪いってわけでもなかったりもするので、
ちょっとまあそれは本当に国とか地域とか村単位で結構言われがちかったりするので、
まあこれがこうだと断定しにくいところではあるんですけど、
まあただ日本でも結構聞くところの話でありますよね。
本当に辛い時に神様頼みするしかないけど、
じゃあこの辛さは誰がもたらしてるのかっていうと結構誰が誰かわかんなかったりとか、
特定のどっかの誰かが呪いをかけることのできる人にお願いをしたんじゃないかみたいなことを言う時もあったりするっていうのがなんとなくあると思うんですけど。
はいはいありますねそういう。
まあそういう感じで。
よくわからん。
本当によくわからんですよ。
何かのせいにしたいみたいな。
何だろうな、何かあった気がするけど、ちょっとずれるかもしれないですけど、
雷がめっちゃ鳴っておへそ取られるよみたいな。
誰が取るのかわかんないとかいう感じですか。
あるじゃないですか、ああいうのも、あれは何でしたっけ、誰にでしたっけ。
雷が取るとへそを、夜に積み起きるなみたいな感じですかね。
そうですね、なんかそういう雷様か、なんか雷様におへそ取られちゃうよとか、そういうのもよくわかんないし、
そういうよくわからん言われみたいなのいっぱいあるなって思いました今。
そうですね、日本の文脈で言うと、結構その何々をいつしたらどうなるみたいなことわざ的なことがいっぱいあると思うんですけど、
それはある種経験則からきたただの忠告かもしれないし、
例えば、夜積み起きるなっていうのは、昔は今は夜も明るく過ごせますけど、
昔は手元が暗くて、あっても油をつけた紙を燃やしたろうそくみたいなものしかなかったりとかして、
そんなことをしてると、爪切りで怪我をして、親の死に目にも会えないほど怪我するぞっていうような忠告の意味があったのかもしれないですし、
夜にお金を数えると泥棒が入るとか、本当に泥棒が入ったからそういう忠告があったのかもしれないし、
ただそういうのとかも含めて、じゃあ誰が親の死に目に会えなくするのかとか、
どこで誰が泥棒に入るのかとかまでは特定しないので、
とにかく誰かわかんないけど誰かのせいにされるっていうのの一つで、スペインの文脈では魔女が候補に上がってくるみたいな関係ですかね。
なるほどな。
ただ本当にさっきも言った通り、本当に魔女がいるかどうかは僕も定かではないので。
そういう使われ方としての魔女か。
日本でいう鬼とかそういう悪いものとか、そういうのがたまたま魔女って言われる人たちだったみたいな、なんかそういう感じってことですね。
イメージそんな感じ。
ちょっとフィクションですよね。
ちょっとなんかフィクション入ってますよね。
結構文化人類学者でそういうことを言う人もいて、
世界各地でまだ呪いに関する事例っていうのがいっぱいあるんですけど。
ありそうですよね、なんかその地域の。
そういう特定の地域にこういう信念があって、
例えばどっかの体の調子が悪いとかいう人が癒すことができる人のことを訪れたとして、
医者みたいなイメージの人のところを訪れたとして、
じゃあその医者は何をするかというと原因を特定してあげるんですね。
なんでそういう体調が悪かったりとか不幸が訪れたりとかしたのかっていうのの原因を探って、
じゃあもしかしたらこれは誰かがどこかで呪いをかけてるのかもしれないという話をした上で、
特定の何か痛みだったり苦労だったりを和らげてあげる、手段を講じてあげるわけですけど、
そこに特定の誰かを休断するというようなことが想定されるケースは全部が全部じゃなくて。
確かになんか女王化みたいなイメージ。
エクソシストとかもそうじゃないですか。
エクソシストはリスト教の話なので。
あれも悪魔に取り憑かれたりした人から悪魔払いみたいなことじゃないですか。
それって言ったらでも悪魔が悪いものの対象みたいになってる。
また違うんですかね。
ただ呪術師とかの場合は特定の人物が想定されてるので、
悪魔っていう漠然とした存在ではないという点では違ってますし、
そもそもキリスト教の大方の流れとしては悪魔っていうものを許さないというか、
存在そのもの自体が許されないみたいな。
神様の対義語が対立するものが悪魔っていう、その前提がダメだっていうのが結構数ヶ月の意見もあったりするので、
別にそれは同じケースだとは言い難いですけど、
その呪術をすることができて誰かに呪いをかけているという、
そういう人が特定されるのが大事というよりも、
実際にそういう人がいるという想定の下で苦しんでる人とか、
被害をこむった人に対処していくっていうのが大まかな流れのよくある、よく聞くパターンではあると思いますね。
なるほどなぁ。
そう考えたらいろんなパターンありますね。
それはですね、結構文化人類学の最初の頃から言われてきた、ずっと研究されてきた分野なので、
研究はいくらでも探せばあるところであるんですけど。
いや、めっちゃありそうだなぁ。各地域ごとにあるだろうし。
まあなんか今補足すると、今特定の地域で特定の信仰があるっていうふうにあえて言葉を選んだんですけど、
信じるっていう言葉一つとっても人類学の研究があって、
信じる。
これも本当に話半分で聞いてもらったらいいんですけど、
僕の理解が間違ってたりとかがあった可能性もあるので、
信じるって言うと、例えばこの地域の人はこの神様を信じているって言うと、
それを記述した人からすると、その神様は存在してないことになるっぽくないですか?
確かに、格な感じはします。
例えば、どこでもいいんですけど、
とある国のとある部族、部族って言ったら悪いですね。
とある集団の中でこういう神様が信じられているって言うと、
自分がその事実を記載した人は信じてないけど、
こういうとこにはこういうことあるものとして信じる人がいるよっていうニュアンスが含まれてくるので。
確かに、確かにそうですね。
だからそういうニュートラルな、よりニュートラルなっていうか、
記述を目指す上で、その信じるって言う言葉一つ取っても人類学の研究があったりとかしますね。
確かにな、信じられてるって言ったら結構他人事感ありますね。
そうですよね。
はい、他人事感あるし、
でもだからといってどう書けばいいんだろうっていう感じもありますけど。
そうですね、その研究の中で一つ提案されてたのはその信念があるっていう。
あ、信念がある、信念を持ってる人がそこにいるみたいな。
そうですね、まあよりニュートラルな書き方っていうか、
より即し、実際の文脈に即しつつ書くにはどうしたらいいかみたいな試みは、
もう本当に文化人類学の中ではいくらでもありますね。
えー、難しいな、その言葉遣い1個で。
まあでも確かにな、そこにいるっていう事実として記述できるんだったら、
まあでもそれはもう科学っぽい感じになっちゃうのか。
うん、だから結構書き方一つと言っても難しいところがあるっていうのは、
先ほどそのライティングカルチャーっていうことがあったっていうのもあって。
えー、そうですか。
僕もさっきから、部族って言ったら悪いとか、
語弊があるとか結構だしばしで言ってますけど、
それについてももう既に議論があるので、
ちょっと僕の言い方が悪かったなっていうのを反省を込めて訂正させていただいたんですけど。
えー、でも何か面白いですね、そこのそういう。
ちなみに最近割と理系の研究室でフィールドワークするっていう研究が増えてて、
別に僕らみたいに特定の村に行ったりとか現地に住んでっていうのではなくて、
まあそういう調子で実験室に赴いて、そこの営みを人類学的に考えるっていう研究も最近増えてて。
へー。
例えば病院で研究されてた人がいて、その人類学者自身が医者でもあるので、そこに入りやすかったっていうのもあったかもしれないんですけど、
高血圧症の患者さんたちを対象にフィールドワークをしたっていうような話もあって、
大元にあるのは科学的な事実とされるものっていうのは、研究者がアプローチしていって発見されるのを待ってるっていう状態ではあるかもしれないけど、
ただそれだけではなくて、いろんなものがいろんな繋がり方をしたことによって出てくるものだっていう考え方があって、
例えば何か特定の働きをする菌を発見しましたっていうことは、ただ実験してる人がそれを見つけたっていうのみならず、
まあそれを見つけるに至るためのプロセスがいっぱいあると思うんですよ。
はいはい。
例えばそもそもの研究費をどこから取ってくるとか、機材を使う技官さんに手伝ってもらうとか、
ラボの所長みたいな人だったらそれを手配して運営するとか、
科学技術とされるというか、実験に使う装置一つ取ってもそこには事実の発見に関与してくれるわけですよね。
というのがいっぱいいろんなアクターが繋がってきて、そういう事実が見つかるという風な分析をするような人も結構多いですね、最近。
面白いな、なんかまた全然違う考え方だ。
本当に世界中のいろんなところに人類学者いるなって思いますね。
へえ、いや面白いな。
ちなみに何か今後やりたいこととかってあったりするんですか?
そうです。
何か最後に聞いてみたいなって思うんですけど。
やりたいこと、とりあえず僕は今スペインに戻って調査を再開したいなという気持ちがすごく大きくて、
とりあえずその研究は本当に現地の人に支えられてできることなので、
恩返しという意味も込めて、何かしらの形にまとめられたらなという風には思っていて、
それなんか論文みたいなとか。
そうですね、論文の叱り、学位を取るための論文の叱りで書けたらなという風には思っていて、
それは実は別に魔女とか公に限った話でもなくていいというか、
それに特化することにはあまり今はこだわっていなくて。
ってなると、人の暮らしとか、もっとちょっと広い意味ってことですか?
そうですね、今僕が調査している村で何が起こっているのかとか、
村の中でどういう動きがあってとか、例えば雇用がどうであったりとか、
社会としての動きがどうなっているのかっていうのとかも含めて、
割といろんなことをいろんな視点から見るのが大事だなというか、
それをしないと多分その社会がどうなっているのかというのが見えてこないし、
そうですね。
単純に魔女っぽいというか、宗教に関わるようなことを調べてもいいとは思うんですけど、
スペインも結構日本と同じように特定の宗教から距離を置く人が多いし、
それだけが唯一の正解ではないなという風に僕は最近うつうつ感じているので、
とにかくいろんなことをいろんな視点から調べていって、
その上で例えば特定の信仰みたいなものがどういう位置づけにあるのかっていう風にしていった方が、
その地域の理解に繋がるかなと思っています。
なるほどな、確かにな。
どっかを切り取っちゃうと、それが本当なのかってなっちゃいますもんね。
本当にそうなんですよ。
だからその特定の書き方をすると、あたかもその村が本当にジジエスの街みたいな。
そうですよね、そうなっちゃいますよね。
魔女の街みたいな印象を与えかねないというのも含んで。
だけど例えばちょっと産業的なことはこういうのが今盛り上がっているとか、
なんか別なこともまたあったりしますもんね。
そうですね。
だからそれを総合的に見てまとめるのがそういう文化人類学的なところもあるんですかね。
そうですね、そういうのをまとめた技術のことをエスノグラフィーとか言いますね。
エスノグラフィー。
エスノってエスニックとかのエスの。
エスニックの、はいはい。
グラフィーはバイオグラフィーのグラフィーですけど、民族誌って訳されることが多いんですけど、
我々はそれぞれで目指していることの一つは民族誌を書くっていう、
その地域のことをよく理解した上でものを書くっていうのが一つ目指されているところだと思いますね。
いや、すごい面白いですね。やっぱなんか全然違う世界だから話聞くの面白いなぁ。
多分それって分野も滝に渡るじゃないですか。
調べなきゃいけないこととか収集しなきゃいけない情報とかも。
だからいろんな分野絡んできて、まあ楽しそうだなっていうのはすごい思いましたね、聞いてて。
歴史もしっかり、統計情報もしっかり、いろいろなことを知ってますね、我々は。
結構その辺が全部総合的なものになってて、だから、なんかあんまりそういう全体的な民族、
民族という枠まで広い視点のものって、あんまり読んだことなかったなと思ったんですけど、自分の中では。