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2023-11-15 50:34

#162 【空海 雑談】ナムアミダブツ!/曼荼羅と真言/20万回再生ありがとうございます

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回、空海と真言について雑談し、また、南無阿弥陀仏の意味についても話しています。密教の修行には、マンダラや神言についての説明が難しいと感じたこともお話ししています。また、宗教が広まりすぎると信念が薄れ、一般の人々には理解しづらい存在になるという問題も指摘しています。私たちのお寺には、浄土神宗の墓がありますが、私自身は仏教について詳しくないため、仏教の側が大変だと感じています。また、空海のマーケティング的なアプローチや仏教の浸透についてもお話ししています。今回は空海についての雑談と、曼荼羅や真言についてお話しました。そして、20万回再生までの皆様への感謝の気持ちを述べています。

空海と真言
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は3行お疲れ様でしたということで、雑談回という風にしていきたいと思います。
はい、お疲れ様でした〜。
お疲れ様でした〜。いやぁ面白かったね、久々の東洋良かったね。東洋哲学。
やっぱり面白みがまた違うよね。ちょっとウィートゲーム社員とか重たかったからさ。
なんかそうね、使う頭が全然違うから、厳密に理解していくというよりは感覚で楽しめるというか、エピソード的に聞いてフンフンって楽しめる感じがしたかな、やっぱり。
そうですね。僕も厳密に空海のことを説明しようというのもできないですよね。
それこそ本とか朗読とかいろいろ読んだけれども、やっぱり仏教のいろんな前提知識もないと当然いけないし、
言葉もさ、やっぱり当然言葉としてはわかるけど、でもそれが本当に仏教的な理解として正しいのかみたいな話はわからんみたいなことも多いから。
まあまたね、穴がちに日本語というかね、感覚が近いがゆえにわかったつもりになっちゃうという可能性も高いのか。西洋とかと比べるとね。
やっぱりね、促進成仏とかって今回いろいろ話しましたけど、成仏とかもさ、別にな。
京都弁それ。
違う違う違う。別に一般からも言ってるじゃないですか、僕らも成仏してくれとか、漫画とかでもあの人は成仏しただろうかみたいなさ。
その中に言うけれども、本当の意味で成仏なのとかってやっぱり考えないじゃないですか、普通。
いやーそうだね、確かに確かに。
でもね、仏になるって言うときに、じゃあ成るって何よとか。
じゃあ仏になる前は何なの?人間として、じゃあ人間から仏になるってそれは全然違う生き物に変わることなの?みたいなさ。
そういうことを考えていくと、やっぱり意外と何も知らないなみたいな。
まあ確かにね、雰囲気でだね。
時々そういう雰囲気でもやっぱり伝わってるからこそ、そうやって仏教的なものが日本に広まっていったとか、
昔の、違わせる仏教っていうのを、いわゆる共通の価値観にして暮らしたってことだと思うんだけどね。
南無阿弥陀仏の意味
まあ確かにね、前回のね、密教がさ、他の宗教とかさ、他の宗派も含んじゃってるみたいな、全部一緒だみたいな話までしちゃったみたいなあったけどさ、
そういう話で、密教は実際そこまで広まってないけれども、大乗仏教、鎌倉仏教以後の大乗仏教とかはそこに成功したんだよね。
たぶんうちらみたいなさ、専門家じゃない本当の民衆の感覚にたぶん上手くアプローチできたっていう意味で広がってんのかなあ。
こっちはもう意識しなくてもね。
そうだね、いや絶対そうだと思う。やっぱりね、浄土真宗、新蘭とかはね、たぶん次回もちゃんと取り上げるんですけど、
今、繰り返し言うだけでもさ、やっぱり南無阿弥陀仏ってさ、阿弥陀仏に祈願しますっていうだけで救われるっていうコンセプトを立てちゃったわけじゃない。
あれ知ってる?新蘭の話。
いや知らないよ、もちろん知らないよ。あれ知ってるってさ、おいしいパンケーキは知ってるみたいな感じで言われてもさ、知らないからね。
たぶんね、繰り返しまた言っちゃうと思うんですけど、阿弥陀仏、阿弥陀様って、要はみんな救うぜっていうことを三陀の奉願として立ててる仏様なんだよね。
だから自分が本当に仏になった暁には、全首相をみんな仏にするぜっていう、ちょっとチートみたいなこと言ってんのよ。
だから自分が仏なんてことを頑張るよりも、阿弥陀様っていうすごい人、仏になろうとしてる人がいるんだから、その人の願いに乗っかっちゃいなよ言うっていうのが浄土真宗なんだよね。
じゃあ釈迦出てこないの?もしかしてそこには。
救いっていう意味では釈迦はあんま出てこないと思う。
ああ、そうなんだ。
お釈迦様がやった仏教の中の一部ではあるんだけど、大事なのは阿弥陀仏、阿弥陀様。
そうなんだ。これって三陀と同じように大日如来だっけか、みたいな感じで、実は釈迦の前にもいましたよ的な、そういう存在とはまた違うの?阿弥陀仏、阿弥陀様?
そうなんだよね。阿弥陀仏が、阿弥陀如来。阿弥陀如来が全部一緒なんだけどね、仏も如来も日本語的には一緒なんだけど。
仏陀じゃなくて仏っていう意味では仏イコール阿弥陀如来の方が実は、みたいな、そういうイメージってこと?
違う違う違う。ごめん。えっとね、如来と仏はほぼ同じ意味。
何言ってるかよくわからないな。
阿弥陀っていうのがある種の名前で、如来っていうのが様みたいな感じなんだよ。阿弥陀様みたいな話なんだよね。
だから阿弥陀仏っていうのは、阿弥陀如来と変換可能ってこと。
あーはいはいはいはい。だから阿弥陀仏と釈迦は、お釈迦様は違うよね?
違う。
あーはいはいはい。そこも一緒みたいな話になったら、また三味一体みたいな話をし始めてるぞみたいな。
違います違います。
あと阿弥陀如来がお釈迦様より前か後かとか、その辺はわからないし、今言った話もあくまでも学術説とかじゃなくて、
神論について書かれた本とかブログとか読んでの知識だから。
阿弥陀如来と浄土真宗
いわゆる一般教養レベルの話って話。
そうそうそうそう。だからよくよく読んだら違うとかもあるかもしれないんだけど、
でもそういう要は自力で頑張って仏になるんだ、修行するんだっていうのだとやっぱり一般民衆からしたら無理だよね。
前回もちょっとお伝えしたと思うんだけど、100万回100日間でお経を唱えるみたいな話したじゃないですか。
僕はやらされそうになったと思うんですけど、兄貴に。
でもやっぱり日常生活を送ってる人は無理なのよ。
1日10時間も12時間もお経を唱えるとかって無理じゃないですか。
前回あったけどさ、奥さんにやっぱり愛卒化されるよって話だよね。
そうそうそうそう。っていう時に、君たちはもう頑張らなくていいんだと。絶対大力。
これもたぶん浄土真宗の基本だけど、大力本願って言うじゃないですか。
あーはいはいはい。
あれってたぶん浄土真宗の言葉なんだよね、もともと。
なるほどなるほど。それは聞いたことある気がするな。
絶対大力で、阿弥陀仏、阿弥陀如来の修行に対して、自分たちはもう全部委ねるんだと。
はぁー。
元はそういう意味なんだ。それは知らなかったな。
そうそうそう。
南無阿弥陀仏は阿弥陀様に敬礼しますっていう、そういうお話なんだよね。
ちなみにこれは、僕がたまにある誰にも言えないけどちょっと面白いと思ってるから時々披露したい、自分のちょっと変わってると思ったエピソードなんだけど、
そういうのを見た時に、南無阿弥陀仏って一回言うごとに救われる可能性が上がるみたいなことを読んだんだよね。
なんかガチャみたいな話なんだけど。
へー、そうなんだ。
ちょっと当選確率が上がるみたいな。そんな話じゃないと思うんだけど。
はいはいはい。
だから、やっぱり南無阿弥陀仏っていうのは良いんだって、浄土真宗的には多分。
なので、一時期仕事とかで辛いことがあった時とかに、やっぱりクソとかさ、なんてことだったか思うじゃない。
でもそういうちょっとネガティブな言葉を使うと良くないから、そういう時に南無阿弥陀仏っていうようにして、
そのクソって思った気持ちをポストリに転換するっていう。
なるほど。ハヤトの中で変換したクソっていうのをイコール南無阿弥陀仏に変換して、南無阿弥陀仏を規制でたんだね。
規制でた、そう。一応確率上げてたんだよね。
それは面白いね。ちょっとセイントお兄さんとかでありそうなエピソードだね。
ありそうかな、そう。でもあんま言う機会がないのと、突然言ったらちょっとあまりにもかなと思って、今いい時かなって思ったんですけど。
それは面白い。でもありそうだね、でも南無とかって、南無阿弥陀仏じゃなくて南無とかだったらなんかありな気がするね。
クソと一緒だし、南無って。
そうそう、でもちゃんと南無阿弥陀仏って言っとかないと、どの仏ですかってなっちゃうから。
向こうの方が南無だと。
だと思う、そう。頭の中でクソっていう代わりに南無阿弥陀仏って言って、いいことをしたなみたいな。で気持ちを落ち着けるみたいなね。
それ20代でしたね。
20代のね、実は。
20代の頃。
結構独特だと思うな、それは。
そうね、これはちょっとね、自分でも今から振り返ってちょっと面白い人だなと思って。
それってあれだろ、言えば言うほどいいっていうのはさ、なんかあの、なんて言うんだろうな、多分2つ可能性があると思ったんだけど、解釈としてね。
1つがさ、いわゆる山崎パン祭りに応募するみたいなさ、応募地数が増えるのか、さっき入った確率みたいな話したでしょ。
そういう応募地数が増えるのか、それとも単純に石を積むみたいな感じで、苦毒を積むみたいな感じで、
1ミリかもしれないけど、ちょっとずつ積み重ねられていく感覚なのか、どっちなんだろうね、それは。
なんだろうね、でもちょっと僕の本で想像だけど、やっぱり絶対たりきなんだよね、その神欄が言ってるのは。
絶対っていうのはもう100%だから、すでに阿弥陀仏に祈礼してなさいってことだから、要は南無阿弥陀仏って言ってる時間は阿弥陀仏に祈礼してる時間じゃん。
はいはいはいはい。
それで自分の人生を満たせようってことだと思う。だからどっちかっていうと、積み上げるっていうよりは、100ある南無阿弥陀仏絶対祈礼を言わない時間でちょっと減っちゃうみたいな、そっちだと思うんだよね。
あー面白いねそれ、なるほど。
うん。
はいはいはい。
言い続けてるとそれが減らないから。
あーなるほど、お風呂みたいな感じか。何もしないとその排水口の線は空いてて、ちょっとずつちょろちょろちょろって。
あーはいはいはい。
まあ何でもいい、穴が空いたペットボトルとかでもいいけどさ、そこに南無阿弥陀仏っていう水をちょっとずつやっぱり入れていかないと、っていう話なのか。
すでにできるだけ100%に近づけときなさいよみたいな。
そうそうそうそう。
その感覚はなんかいいね。大木地数って言われちゃうとちょっときつい気がするけど、当たんなかった時を考えると切なくなっちゃうからさ。
確かに。どんなに頑張っても確率論だって言われたらしんどいけど、やっぱりそうやって阿弥陀仏のことを思ってとか、そこに対して誠実な生活をしてとか、南無阿弥陀仏ってちゃんと言うとか、むしろもっと浄土真摯に入るとか。
はいはいはい。
そういうことで阿弥陀仏への経というのが、ある種こう継ぎ足されていくよみたいな。そんな発想じゃなかろうかと思うんだよね。
なるほどね。いやーやっぱ面白いね。解釈一つとっても、若干身近だってのもあるだろうけど。
そうね。
なんかそういう、哲学と関係あるんだかないんだかわからないけど、そういう話をもしれない。
そっちはどっちかというと宗教だね。要は信じるっていう話とか、別にそこに合理性はないからさ。
はいはいはい。なるほどね。どう信じるかっていう話だね。で、どう実践するかと。
でさ、ちょっと話が戻っちゃうというかさ、密教の話なんだけど、前回さ、最後密教修行の話してくれた後に、神言とかマントラとかって結局上手く伝えられなかった時からやめたみたいな話したけどさ、
密教の修行
その伝えられなさをさ、どういう感じだったの?実際。とか、実際神言ってなんだったの?みたいな。
例えばマントラで言うとね、普通に本を読むと、空海のマントラには2種類ございましてみたいな話になって、
その凌海マントラっていうのがあって、混合海マントラと大秘大蔵マントラ?みたいなのがあって、それぞれこういう違いがあるよみたいな。
そもそも混合っていうのは、もともとの密教の言われで混合教って言われてたんですみたいな。そういう話とかが延々続いていくわけなんだよね。
で、大秘大蔵が真ん中にいてとかなんだけど、真ん中にいるとかマントラっていうのはこういうものっていうのも、
言葉で説明しにくすぎてたし、本当はマントラを使ってこういう修行をするとか、マントラというものが密教にこういう役割を持つみたいな話なんだけど、
そうするとさっきみたいな、そもそも密教における修行とはとか、そっちも説明しなきゃいけないみたいになって、結構膨大になっちゃうなっていう感じだったんだよね。
何なの?そもそも。そもそも修行とは何なの?って100万回唱えるとか、それだけじゃないんだね。
それはいろいろある修行のうちの一つだから。
悟りへの道の一つってこと?
そうそうそう。
じゃあ全部じゃなくてもどれか一個クリアできれば悟れるみたいな感じになってんのかな?
悟った人が得るって感じだね。結果論だから悟りって。
面白いね、そっか。じゃあ元から空海はこういう修行がありますよって決めてたわけじゃなくて、実践する中で悟った人が自分の場合はこうやって悟りましたよっていうものが修行として残ってるわけなんだ。
悟った人はこれで悟ったから自分もこれで悟れるはずっていうのが、悟った人の数だけ残ってるというか、数だけだったり、同じ道を登った人は同じのしかないだろうけどみたいな。
ほうほうほうほう。
やっぱり修行もいろいろあるし、こういうことをやればいいしとか、あと前回言うと虚空像菩薩に頼った上での方法だけど別の仏様に頼った上での方法とかもちろんあるだろうし、やっぱり修行の数っていうのは多分それこそ表に出ないものから今伝えてしまったものまでいっぱいあると思うんだよね。
うーん、なるほど。それは多分空海が死んだ後とかに残ったやつなのかな。
空海も実はやってたらしいんだけどね、この虚空像部門法みたいなやつ。
あ、そうなんだ。病こもってる間にこれ試したのか。
多分ね。
じゃあ元々あったんだ、その前の時代から。
そうそうそうそう。それがもう受け継がれてるみたいな感じなんだけど。
はいはいはい。
ただというか、他の例えば修行だとこういう、やっぱり心に第二次世代を思い浮かべて、第二次世代と一体化するみたいな話があって、その時にこういうマンダラみたいなものとかを使って、そのイメージをちゃんと持てるようにするとか、そこに集中してそれの前で瞑想するとか、そういうことがあるらしいんだよね。
ここはちょっと僕もらしいで、読めども読めども本当の意味では分かんない。
やっぱり密教って言葉では表せられないとか、師匠から受け継ぐみたいな話があると思うんだけど、あくまでも体験の話なんだよ、ここまで来ると。
そうなんだ、そのマンダラを使ってっていう、テクニックは言葉では一応残ってるというか、あるけどみたいな感じなのかな、そこは。
ロジックは書いてるの?それでこうするとこうすると、だいたい半年くらい瞑想していれば悟れる場合があるよとか、自分の場合は3年くらいで悟ったよとか、そういう感じなのかな。
そうなんだろうな。
ただ方法があるだけみたいな感じか。
時期とかは、あ、そうだね、修行があるからこれをやりなさいって感じだろうね。
別に一回悟ったらOKって言うのじゃないって言うのは、確信成仏の時に見てると思うんですけど、やっぱりそれは常に続いていくものだから。
ああ、なるほど。卒業とかじゃないんだね。100万回唱えたから卒業でもないって話なのか。
そういうことです。
マンザラと神言
で、マンザラはそういう意味で、視覚的な部分もあり、説明しにくいって話もあって、
神言っていうのはマントラだよって話をしたんだけど、これもね、読んでもよくわかんなくて、
もともとはバラモン教のデータに出てくるようなもので、要は言葉、歌だよね歌。
そういうのを繰り返してやると、言葉に力があるって呼ばれる言霊みたいなのが近い概念ではあるんだけど、
でも、たぶん日本に持ってきた時に、このインド発のマントラって思うとたぶん日本の言葉みたいなのがくっついちゃって、
なんかそれもね、よくわかんない。結局、言葉に力があるってどういう意味合いで言ってるのかちょっとわかんなかったんだよね。
うーん、あ、そうなんだ。
うん。一応、ゼンムイって言ったと思うんですけど、もともとこの密教インディで始めた人みたいな。
うんうんうん。
一応その人が、仏のシーンスの言葉っていうのが神言、大日如来の言葉っていうのが神言っていう風に言って、
そこからやっぱり神言っていう言葉が密教の中で大事になってくるみたいな話はあるらしいんですけど、
でもね、ここに実は神言とダラニっていう言葉がもう一個あって、
そのダラニっていうのも重要なキーワードらしいんですね。
ちょっと呪文みたいな。
あ、呪文、そっちも言葉ではあるんだ。はいはいはいはい。
だから神言とダラニっていうのが列挙されて説明されたりするんだけど、
うんうんうん。
間違いがわからんみたいな。
わかんないんだよ。
わかんないんだよね。
っていうのが、ちょっとごめん、本物論では捉え上げなかったですね、みたいな。
そこ深掘りすぎるとあまりに抗議っぽくなっちゃうというか、
よくわかんない上にね、知識になっちゃう。
こういうものがあってね、みたいな。試験問題みたいになっちゃう。
ただの知識、一番の説明になっちゃう。
前回僕は音コロコロみたいに言ったじゃないですか、
あれは実際にその、何だろうな、
如来とか、薬師如来とかっていろいろあると思うんですけど、
そういうのを表す神言っていうのが一つ一つの仏さんによって決まってるんだよね。
あ、そうなんだね。はいはいはい。
うん。で、これは四国とかにお参りに行った時に、
そういう言葉を読んでくださいみたいな。
それが薬師如来さんへの神言ですよとかって、
札とかで貼ってくれてるところとかあるのよ。
それでなんとなく知ってたんだと。
なのでそういうような言葉をやっぱり唱えることが力になるとか、
仏様に敬礼するって言ってたけど、
ナムアミダブツみたいなのと同じ効果なんだよみたいな。
そういう世界観だっていうぐらいの説明になっちゃいますね。
なんか僕が今理解しごとに言うと。
はいはい。そんなこと言葉で説明するのが本当に難しい世界だっていう話なのか。
そうね。
なんかもうちょっと詳しく聞いてみたいなーってのもあるけどね。
興味ある?こういう言葉とか。
興味あるというか、せっかくだからね。
なんか密教すごいなーと思った。
どうなの?逆にここまで難しいからね。
一般大衆に広がりづらいっていうね。
それはあったと思う。
日常生活を組みながらっていうことを考えるのは難しいんだろうなーっていう。
ある意味、これ言ったら怒られるかもしれないけど、
定座の仏教とは概念は違うんだろうけれども、
結構そういう自分が悟るというか、
まず、でも悟ってからじゃん。自分が悟ってから、それで現世は生き続けるというかさ、
悟ったら終わりじゃないという部分はあるにせよ、
修行をして自分が悟ってからまた人生が始まるというか、
現世でまた生き続けるということを考えると、
現世に生きながら悟るっていうところからはちょっと難しそうな感覚がするもんね。
確かに。
やっぱりね、いわゆる罪悪とか出家せずに仏になるっていうのは基本的には難しい。
そもそも定座仏教というか正常仏教はそれはできないっていう話だったから。
そういう概念があったとしても、やっぱり当時の大正仏教的な何億年みたいな。
そうそう。
なんとか定法するぐらいのやっぱり神秘的というか、すごい崇高な体験ではあるんだろうね。
だって全員にはいどうぞってわけにはいかないし、それしか意味がないしね。
難しいよね。まさにそこが大事というか難しくて、
簡単にできることには意味がないってなっちゃうじゃない、僕らの捉え方としてね。
実際そうだよね。だってね、100円で買ったものと10万円出して頑張って買ったものを
どっち大事にするかみたいな話で。
そうそう。そうした時に、やっぱりこう、多分これは想像だけど、
やっぱり浜倉仏教みたいにどんどん民衆に役立つようにすればするほど、
多分仏教のありがたみも減っちゃうしとか、誇るっていう価値も減っちゃうし、
逆に密教とか、むしろ厳しい修行をする方が尊いんだみたいな人たちも多分出てきて、
そんな流れでいくと、やっぱり受け入れる大衆側の方にやっぱりすごい、
どんな土壌があるかによって変わってくるんだなと思うんだよね。
はいはいはい。
どんなニーズがあるかというと。
うんうんうんうん。なるほどねー。
宗教の広まりと理解の難しさ
だからやっぱりさ、日本というか世界の宗教もそうと思うんだけど、
やっぱり広まる、それこそキリスト教であれイスラム教であれ仏教であれ、
三大宗教と言われてると思うんだけど、やっぱり広まりすぎたがゆえに、
ニーチェが死んだっていうかさ、仏教もなんとなくこう、
仏教を信じるより信じてませんみたいになっちゃうようになってきてさ、
ちょっとそれは全然同じことではないんだけど、
やっぱり昔みたいに、本当にイエス様、もちろん今でもそういう人もいるのは知ってるんだけど、
それはやっぱり、イエス様というよりはそれよりも神がやっぱり世界を作ったというのはみんなが信じてるみたいな世界とか、
やっぱりブッダっていうお釈迦様っていうのがいて、
もうなんかものすごい人類力が発揮したみたいな、やっぱりそういう世界っていうのはやっぱりだいぶ過去になっちゃったと思うんだよね。
うんうん。なるほどねー。
それはもう、そっかそっか、その宗教自体が悪いんじゃなくて、
そこはもうしょうがないことなんだね。ある程度人に広まったがゆえにっていうね。
そうそうそうそう。広めようとしたがゆえに。
だからね、あれですよ、あんまり難しいとはすごいみたいに思うのはやっぱり良くないって話ですね。
あーなるほどね。
そもそもやっぱ価値を発して、空海的にどっちも一緒ですと。
確かはね、どっちも一緒ですとは空海言ってないからね、そこはすごいとこなんだけどね。
一緒とは言ってないもんね。
一緒とは言ってない、含まれるんですって。
でも確かにな、この受けてのっていうのはでもまあ確かにな、自分の耳にも痛いからね。
こうやって話を聞いてフンフン言ってるけどさ、結局興味ないから密教のことも知らなかったし、
仏教と浸透
普通にね、自分の家の宗教というかさ、一応浄土神宗のお寺に墓があるからさ、
そういう感覚ではあるけど、何も知らないわけじゃん、やっぱりね。
まあね、まあね。
だからそういうやつを相手にしてやらなきゃいけないって考えると、やっぱ大変だよね。
仏教側というかね、そりゃ大変だって話だね。
そうそうそう。
当然ね、それは日々の仕事も忙しいし、そもそも仏になって何か良いことあるの?みたいな。
世界なわけじゃない、やっぱり僕らも。
そもそも興味ねぇしとかさ、仏って何よ?みたいな話になるわけでね。
だからやっぱりね、空海みたいなマーケティング的なというかさ、やっぱり仏教ってこんだけすごいんですよとか、
別に仏教は特徴なんじゃなくて、人間というのは成長していくと自然にそういう密教の世界に入っていくんですよみたいなさ、
そういうことを手をかえしなおかえ発信しながらやっぱり浸透せようとしていくわけだよね。
なるほどね、確かに。
なんかマズロー的な話ね。
そうね、やっぱり人の根本的な欲求の段階というのがあってみたいな、ほんとそういう話だよね。
そう言われちゃうとそうだなとかって思っちゃうし、結局やっぱ承認欲求とか、
結構説明できることもあるじゃん、人の行動とかさ、って思わされちゃうよね。
思わされちゃう。でもあれも結構続説になっちゃってるみたいな話とかさ、
ほんとはマズローが言ってたらそうじゃないみたいな話もあるから。
そういう意図で言ってたんじゃないみたいなね。
でもまた面白いなと思うんですけど。
まあちょろいですよ、大衆なんてちょろいもんですよ。
まあそんなもんですよ、そんなもんですよって変な話だけど。
だからこそやっぱりさ、何回もこれはお伝えしてると思うんですけど、
自分はやっぱりそうなんだけど、一般、ただの小市民の一般大衆なんだけど、
そこにちょっと抗えたい気持ちがあるのよ、やっぱり。
自分はやっぱり自分の頭で考えてるんだとかさ。
自分なりの価値観を持ってるんだって言いたい人間だから、
こういうテストアップとかもやっぱり色々勉強したいなって思うし、
やっぱり学んだことを皆さんに伝えることで、
もし同じような気持ちの人とか、別にそこまで行かなくてもね、
なんとなくいろんな人の話がほんと面白いよねみたいな、
価値観がたくさんあるよねみたいなことを共感してくださる方がいたとしたら、
そこの役に立ってるのかなみたいな。
マズローの欲求と仏教
そういうのは常々思うよね。
そうだね、確か今、それこそ知識を増やせばいいって話でもないけれども、
そういうね、根底の思いがあってね、
それをそのためにっていう意味でね、やっぱり色々学ぶっていうのは本当にいいよね。
いいよね。
さっきのハヤトのナムアミW2のとこちょっと一個聞きたいことがあった。
はいはいはい。そっちね。
ちょっと戻るけど、ハヤトのさ、さっき20代の時にクソっていう死っていう時に、
ナムアミダブツって代わりに言ってたっていう話あったんだけどさ、
それで言うとナムアミダブツっていわゆる浄土神宗なのかな?浄土宗なのかな?
浄土神宗かな?
なんかそれを選んだ理由があるの。
例えばさ、この密教とかの別の話で言うとさ、
もう円コロコロでもいい気がするんだけどさ、
そこはなんか密教に行かずに、他のやつに行かずにナムアミダブツだったとかって、
そこはなんとなくだったのか、なんか選んでたのかとかってあったりするの?
でも選んだからそれはやっぱり。
あ、そうなんだ。
サムスもそんなに知らなかった他の、
じゃあ当時密教と浄土宗と浄土神宗と自宗とかを全部比較してこれがいいとかっていうことだったけど、
ただ単純に神乱って面白いよね、悪人賞季節みたいな。
結構それもキャッチーじゃん。
悪人こそ救われるみたいな。
いい人だけじゃなくて悪い人の方が救われるとかって言ってるのよ。
なんかちらっと以前のソリテツアー上でも出てきた気がするけど、
そうそうそうそう。
その理論よく覚えてないけど、悪人こそ救われるみたいなね。
そう、あるんですよ、そういうのが。
面白いなと思ったし、
あとね、結構有名な神乱研究者というか、神乱についていろんな本を書いている人がいて、
吉本隆さんだ。
吉本バナナさんのお父さんなんです、吉本隆さん。
へー、はいはいはい。
で、結構日本の戦後の、戦中戦後くらいの有力な思想家みたいな感じで、
あー、そうなんだ、うんうん。
ほぼ日、でね、糸井重里さんとかとも結構対談とかもされてるので、
それもね、すごい面白いんだけど、
はいはい。
吉本さんがね、高木さんが神乱っていう本を書いてて、それとか読んだのね。
神乱と悪人
あー、そうなんだ、はいはい。
で、それで書いてて面白かったのが、神乱っていうのは、要は時代というのは下れば下れるほど悪くなるみたいなことを言ってた人なんだとかって書いてあって、
仏教ってさ、要はお釈迦様が死んだら、その仏の教えというのがどんどん薄れていって、
いわゆる魔法のようになるみたいな、仏の教えが伝われるようになるみたいな発想がもともとあるんだけど、
そういうのを本当に思ってて、これからどんどん世の中が悪くなると。
その中で仏教の果たす役割はとか、自分の果たす役割はとかってのを結構ちゃんと考えた人らしいんだよね、この神乱。
なるほど、ほうほうほう。
だからそういう価値観も結構ハマって、
要は、基本的には右肩上がりで世の中成長していくぞみたいな風潮って、
今はね、だいぶ落ち着いてきたかもしれないし、そもそも脱成長みたいな言葉もあるけどさ、
やっぱりそういうのをなんとなく思っている中に、別に世の中って悪くなっていいんだとか、それが自然だっていうのは、
ちょっと当時の自分からすると救いだったんだよね。
なるほど、まあそうだよね。経済が何たらとかインターネットがうんたらってあったけれども、
実際やっぱりバブルが崩壊したあたりの子供だから、あんまりそこそこ失われた30年じゃないけどさ、
右肩上がりって体験してないもんね、そもそも。
してないしてない、そうそうそう。
でもやっぱりなんとなく世の中はなんとなく良くなるはずだとかさ、
ITとかテクノロジーとかが発達していけば、いずれは理想の未来にみたいなやっぱり発想があったわけじゃない?
そうだね、なんかもがいてたもんね、もう一度みたいな、多分そういう感じはあったはずだもんね。
そう、やっぱそれもさ、結局西洋的なさ、やっぱりこう、発達していけばいつかは真理にたどり着くみたいなところから来るよねとかっていうのも、
まあそういうデスラジオでもお伝えしてきたと思うんですけど、ある種この仏教とかその信念は結構真逆なんだよね。
やっぱりもうそもそも世の中は悪くなる、それが当たり前だと。
その中でどうやって生きていくねんみたいな話をなんか読んで、なんか神論は良いこと言うやんけって思ったんだよね。
なるほど、あそこハマったな。
そうそうそう、ちょっと面白いなと思って、そこでさっき言ったような絶対たりきみたいな、自分で頑張るんじゃなくて、
その阿弥陀仏っていうすごい人がいるんだから、その人にもう縋っていくんだみたいな話とかっていうのもなんか面白いなと思って、
で別に俺も阿弥陀仏のことはよく知らんけど、生阿弥陀仏っていうことぐらいはできるから、言うだけ言っとけみたいなことを思ったんだよね。
うーん、なるほど。
全然信心深いとか、そう、この後怒られるから、常信宗、本当に信じてる方本当にすみません。
本当に意識が低い話で申し訳ないんですけど。
言っとけ言っとけみたいな。
いや危ない、危ないというか本当にひどいこと今やってる。
まあアウトじゃないですかね。
アウトですね。しょうがない、でも本当にそのぐらいの気持ちなのよ。
でもそれでもいいっていうのが結構信蘭とか常道信宗なんじゃないかっていうふうに思ってて。
なるほどなるほど、まあそういう、その懐のめっちゃ広さね。
深さとか、それがさっき言った悪人とか悪い人でも別に仏になれるんだみたいなぐらいのことを言ってる人なので。
自分みたいな別に、そういういわゆる信仰心というか、宗教心とかがない人間でも、
でもどこかでそういうちょっと神頼み、仏頼みしたくなる瞬間がある。
その時にダマーメダブルズって言うみたいなことでも許されるんだったらいいなみたいな。
そういう感覚でやってたんだよね。
うーん、なるほどね。そういうことだったのか。
やっぱりね、一つの神様とか仏様に本当に信じ切るっていうのはやっぱそれはそれですごいことだってやっぱり思うし、
自分にはまだできないなって思ったんだよね。
うんうん。確かにハヤトはよくそういう神技学じゃないけど、いろんなセミナーに行くとかさ、
そういう宗教系のところもちょっと見てみたとかってあるけどさ、
なんかね、それも結構あれだもんね、ルポ的なというかさ。
まあね、ちょっと潜入操作みたいなね。
好奇心的なところがやっぱり先行してるもんね。
そこは信じれるものがあったら信じてもいいかなっていうところもありので、そこが本当にないだけなのか、
やっぱりそこに関しては結構、まあどうせ自分信じないだろうけど好奇心で見ておくか的な。
どっちの方が強いの?
まあそれで言うとセミナーとかに行くのは高さだよね。どっちかっていうと面白半分なんだけど、
信じさせてくれたら信じさせて欲しいっていうのは強いに思ってて、
今すぐ第一原案出てきて口の中で飛び込んできて欲しいもんだって。
それはそれであるんだ。
そしたらもう第一原案を信じて生きていけばいいからさ。
信じるものがある人生は楽って言ったら失礼だけど、やっぱりそういう意味に生きていける人生はいいと思うんだよね。
やっぱりそれがないから自分で人生の意味を作らなきゃいけないとか、
生きてる意味は何かとかってのを考え続けなきゃいけないみたいなさ。
なるほどなるほど。神秘体験起こるなら起こってくれとは思ってるんだね。
そうそうそうそう。でも起こるわけがないんだよ。だって信じてないから。
そこは信じてはいないからね。
なるほどね。逆なんだね。神秘体験起きたら信じてやるけど、信じないよっていう。
そこがもう詰んでるんだね。
そうそうそう。だから逆なんだよね本当は。
本当はね。
だからそこの矛盾もわかってるから、いろんなことをまず勉強と称して知識で身につけちゃう。
本当はそれこそ密教みたいに体でやっぱり感じるとか、修行してそれこそ自分の体で本当にそれを悟るみたいなことが本当に大事だなと思うんだけど、
それやってないっていう矛盾もやっぱりわかってるんだよね自分では。
はいはいはい。なるほどね。
空海についての雑談
なんか面白くて、全然親がキリスト教とかじゃないんだけど、大学生の時にそういういろんな出会いがあってキリスト教に就修したみたいな友人とかもいて、
彼女とかの話を聞いてるとやっぱり面白い。なんかすごい偶然としか思えない、まさに奇跡として言えないようなことが起こって、
これは自分に信じるに値すると思ってキリスト教徒になったみたいな話をしてて、
それはやっぱり彼女はキリスト教徒になる縁があったんだと思うんだよね。
そういう人なりの神秘体験が順番はどっちか知らないというか、たぶんさっきの話で言うと前者なんだろうね。
たぶん何か探してた中でうまくはまったという順番ではあったんだろうけどね。
はいはい。そういうのもやっぱりあるんだね。
そうそうそう。
そういう人の神秘体験ね。
ただね、やっぱりこれすごい悪い言い方だけど、やっぱりカルトとかはそういうことになるわけじゃない。
要は神秘体験だと誤って認識させて入神させるっていうのがカルトだから。
まあ人為的にね。
人為的に。やっぱり空が飛べるとか病気が治るとか。
そういうやっぱり偽奇跡とか偽神秘に騙されたくないっていう気持ちもあるから。
なるほどね。そこの人為も兼ねてね。
そうそうそう。だからそういう理論武装をして、ある程度やっぱり自分にそういう知識とかそういうのを蓄えておかないと、
あれですね、生半可な知識だとコロッとやられちゃうとかってもあるから、そこの危険性はもちろん認識はしてるんだけど、
でもやっぱりなんとなくそこに騙されないようにしようみたいな、そういう感覚を持ちながらっていう感じかな。
じゃあ本当にあれだね、ハヤトのような考え方の場合は、
前回か今回かは忘れてたけど、引退後ならみたいな話してたけど、本当そうなんだろうね。
60とか65とかなった時に、ちょっとじゃあ100日間修行行ってくるか、みたいな体力はちょっとないけど、みたいなね。
実はそれもさ、やっぱり調べてみてくるのが、インドの方ではそういう考え方があって、
インド仏教の時に言ったかもしれないんですけど、やっぱり人間というのはそんなすぐに悟りとか修行ができるのだと、
ちゃんとまずは社会の中で生きて、それこそ自分の身を立てるとか、家族がいるなら家族を養うとか、
そういうことをちゃんとやって、50歳とか60歳とかになった時に、静かなとこにいて、
自分の人生に向き合うのだという、そういう人生を4つの機関に分けるみたいな考え方があるんだよね、インドの方で。
そうなんだ。一回聞いたから。
そう、言った気がする。それを見て、インドすげえこれじゃんって思ったんだよね。
それは仏教の中で?
うん、仏教じゃない。
インド哲学というかインド思想の中にある話で。
曼荼羅と真言について
仏教とはまた別の考え方なんだよね。
でも意外と柔軟じゃんとか、別に今から頑張らなくていいんだみたいな。
人生を里に捧げるとか、信仰に捧げるってわけでもないんだなっていうね。
そうそうそうそう。やっぱりちゃんと仕事をするとか、家族を大事にするとか、子供のために何かするとか、
そういうことも、やっぱり人生なんだと思ったのは、そういう出会い、インド思想との出会いがあったからで。
あー、なるほどね。そういう意味ではやっぱり信仰ではないし、求めてるから見つかるものもあるというか。
そうだね、自分に合うものを、そうそうそうそう。
だから今ちょっと落ち着いて、30代のハヤトは落ち着いて、今すぐ祭祀をしてて、山にこぼりますとかじゃなくなってきましたみたいな。
そうなんだ、一刻も早く悟らねばみたいなのはなくなったわけだね。
いろいろね、あちこち討論の旅をしてきたわけですよね。
でもね、兄貴に言っちゃうけどさ、10年間ぐらいそういうことをやりましたとかって最初言ってたと思うのよ。
第1回とか第2回ぐらいでさ。でもね、この10年分の蓄積はほぼ使い果たしました。この1年半ぐらいのソイレスラジオで。
あー、はいはいはいはい。いざアウトプットしてみたらと。
そうそう、いざアウトプットしてみたら、たぶんもう30人、40人ぐらいかな。
実学者としてはたぶんやってるとは思うんですけど、やっぱりね、日々インプットですよ。
だからね、全然自分の勉強は最初こそなかったなって思った。
なるほどね、その深みだったりとか。
そうそうそうそう。
それは面白いね。10年インプットしたから10年分アウトプットできるわけじゃないって、たぶん当たり前なんだろうけど。
そうそう、当たり前なんだけど。
それを体感できるのってちょっといいよね。
そうね。でも面白かったのが、週に今やらせていただいてて、こうやって150回ぐらいやったときに、やっぱりそんぐらいに圧縮されちゃうんだよね。
でも逆にそこ圧縮したからこそ、たぶん自分の中に残るものとか形になったものももちろんあるとは思ってるから、それはすごく楽しかったなとか楽しいなと思ってるし。
なるほどね。楽しかったなって、もう終わるの?
終わんない、終わんないです。これからです。
もう出し切ったんで終わりますって。
いや、全然ね。むしろそう出したからこそ入るっていうのもあると思うんで、どんどんこれからもインプットしてやっていきたいと思ってるんですけど。
20万回再生に感謝
そうそう、これさ、どっかで言おうと思ってたんだけど、スポーツラジオがちょうど、ちょうどでもないんですけど、累計20万再生だかないかぐらいですよね、今。
これ公開される頃にはいってるかなみたいな感じかな。
いや、本当にありがとうございます。そういうわけで聞いていただいて。
ありがとうございますわね。
まさかそんな風になると思ってなかったじゃん、やっぱり。1年半前にやった時にさ。
いやー、まあそうだね。もちろん数字が全てではないけれども、やっぱり聞いていただけるのは本当にありがたいからね。
僕らは別に何万再生やろうとかではないけれども、やっぱり数が積み重なっていって、やっぱりこれだけになるとすごく嬉しいなと思うし、
やっぱりね、聞いてくださる方あったらそういうスポーツラジオなので、本当にいつもありがとうございますというのをお伝えしたくて。
いやー、本当に。でもまあ、1位リスナーからすると、しゃべってはいるけど1位リスナーからすると、やっぱりあのーなんだろうなー。
よくね、やっぱり知識と経験は違うと言うけれども、こういう知識ってさ、哲学系の知識って何もないところから生まれないじゃん。
まあね、確かに確かに。
まず知識としてある程度素養として学んだ上で、その上で自分の常識ってなんだっけとか、
自分ってどういう色眼鏡かけてるんだっけっていう順番でいかないって、やっぱりそもそもそういう思考にすらたどり着かない交差があるじゃん。
やっぱり常識とか価値観ってそういう分野だと思うから、こうやってね、とにかく雑多な情報投げかけてくる。
個人的にはありがたいよね。
自分でさ、じゃあこれをね、この本を読んで、このレベルで理解しろって言われた時にさ、ちょっとやっぱりあまり素人として言うと無理じゃん。
まあね、まあね。やっぱりそういう考え、自分の考えを一回してなさいみたいなことは言ってくれないからね、本ではやっぱり。
でもそれが実は一番大事じゃんみたいな話も結構あったじゃないですか。
難しいよね、でもそれ、確かにな、そういう本になっちゃうと今度その本の主張が強すぎてさ、こういきなさいとかさ、こういう風に考えなさいとかってなっちゃうと、
それはそれで押し付けがましくてちょっとこっち引いちゃう部分もあったり、逆にちょっと流されすぎちゃったり、その考えにさ。
そういう意味ではね、ちょっとオブラートじゃないけれども、少しぷるんでお伝えしてるみたいなところで、なんか押しに届けてるならそれはすごい嬉しいし。
そうね、ぜひね、できるだけフラットな感覚で、色がないようにっていうのは多分ハヤトも気をつけてくれてるだろうしね。
聞く方も気をつけてはいるんだけど、だからこそ自分に引き付けることもしてもいいし、引き付けなくてもいいし、自分の常識ってなんだっけっていうところの壁打ちの相手にするみたいなね、だけでもいいしみたいなね。
なんかうまく聞く人なりに、これを聞いたからこうしなさいっていう系じゃなくて、これを聞いたことで自分にひびが生えるじゃないけどさ、好きなようにお使いくださいってまさに公演か。
そうね、公演の話。
どう遊べばいいかわからない遊具がある公演じゃないけどね。
それが今聞いてくださってる方々がそこを楽しんでいただけてる、もしくは好きなように楽しんでいただけてたら嬉しいなっていうのは本当に感じるし、この20万再生っていうところである程度積み重ね1年半の一定数の人がそこをもしやっていただけたらありがたいなっていう感じだね、本当。
あと33、長いじゃん。1回50分とか1時間くらいあるじゃん。
なっちゃってる。
そう、なっちゃってる。だから暇つぶしにいいなって思うんだよね、やっぱり。そういう意味でもね、これから頑張っていきたいなって思いますね、やっぱり。
なるほどね、ちょっと長らきにも対応しますね。
対応しますね、やっぱり。もともとはさ、掃除機とか開けてる時に流してほしいぐらいのものがさ、ちゃんと聞かないとわからないから3回聞いてますみたいになってしまって申し訳ないって思ってるぐらいなんだけど。
特にセリオはね。
早速にセリオは、そうそうそう。もう一回聞きますとかお便りくださる方がいて、すいませんみたいな感じなんだけど、それも一つの楽しみ方というか、そういうふうに伝わっていただくのも嬉しいなと思うし。
そうですね、これからももちろん再生ラジオ続けていきたいなと思ってますし、次回20万再生記念じゃないけれども、少し1周年記念だったっけ?100回記念とかだったっけ?
そういうのね、普段、次鎌倉仏教に行くのはそうですけれども、雑談の次にそういった話で、普段もう少し話さないこととか、兄貴が僕とこういうラジオ界でも雑談をしている時に気になっていることとか早めに聞きたいことがあるみたいなことも言ってくれてたので。
そういうのも話しながら、引き続きそれぞれのラジオ、僕とか兄貴のことも含めてお話をしながら、これからも続けていきたいなというふうに思っております。
なので、次回は20万再生記念というところでもう1回話をして、その次から鎌倉仏教という流れでいきたいなというふうに思っております。
というわけで、次回はもう1回雑談みたいな感じでやっていきたいと思いますので、引き続き楽しんでいただければと思います。では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
50:34

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