1. サイエンマニア
  2. 魔除けと文化人類学 ~京都編..

文化人類学を研究している方から京都とスペインの魔除けについてお話を伺いました。

初の社会学分野からのゲスト。理系と文系の研究の考え方の違いなど、初めて聞くお話ばかりです!


【ゲスト】

土谷輪 さん(https://twitter.com/cielocielo777)

京都大学大学院人間・環境学研究科文化人類学分野博士課程


▶考古学や文化人類学とは?

ちまき:もち米やうるち米、米粉などで作った餅、もしくはもち米を、三角形(または円錐形)に作り、ササなどの「ちまきの葉」で包み、イグサなどで縛った食品。

▶山鉾(やまぼこ):神霊の依代(よりしろ)で、祭礼の神幸のときに引き出すもの。山は曳山(ひきやま)とか山車(だし)ともいわれるように、人形を飾って囃子(はやし)の人たちが乗る屋台のことであり、鉾は屋台の上に立てて飾るものをいう。

▶文化を書く (文化人類学叢書) ジェイムズ クリフォード https://amazon.co.jp/dp/4314005866/ref=cm_sw_r_tw_dp_JR88ASGJJPN6A8D0HZPZ… →ライティングカルチャーショックといわれる、民族誌を書くことの権力性をめぐる動きの元になった本

▶人類学的思考の歴史 竹沢 尚一郎 https://amazon.co.jp/dp/4790712699/ref=cm_sw_r_tw_dp_AZMK1BX7EACY20GSG7GX… →文化人類学がどういう歴史、系譜を歩んできたかをまとめてくれている、教科書的一冊。

▶中世京都と祇園祭: 疫神と都市の生活 (読みなおす日本史) 脇田 晴子 https://amazon.co.jp/dp/4642067159/ref=cm_sw_r_tw_dp_VD9YX660G1ETWDZC821A… →祇園祭の歴史や変遷、神話的エピソードなどについても書かれた一冊。


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00:02
こんにちは、レンです。 シーズン12は、魔除けと文化人類学の世界です。
京都の血まきに関する研究のお話や、スペインの魔女についてお話を伺いました。
血まきといえば、もち米を笹の葉で包んだ食べ物の印象だったり、魔女は比較的ファンタジーな印象がありましたが、
これらが魔除けとどうつながっていくのか、ぜひお楽しみください。 それではどうぞ。
本日のゲストは、京都大学大学院人間環境学研究科、文化人類学分野博士課程の土屋凛さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 土屋さんとはツイッターを通して知り合いまして、文化人類学って、今
ちょっとポッドキャストの別の番組でも文化人類学者とかがちょこちょこ出てきたりしているのを僕も聞いてるんですけど、
その辺ちょっと僕自身も興味があって、今日はゲストとして来ていただきました。 それでは簡単に自己紹介をお願いします。
はい、ただいまご紹介にあずかりました。京都大学大学院人間環境学研究科というところで博士課程をしています。土屋といいます。
今はスペインで調査をしているところなんですけれども、 博士課程の時は京都で研究をしていて、
専門分野は文化人類学なんですけど、結構文化人類学もいろんな分野がさらに下につながっていて、僕は結構
ものとか宗教とかから入ったという口ですね。 ものとか宗教、ものってどういう感じのものですか?物質的ですか?
なんでしょう、僕大学の時は別に最初から文化人類学をやろうと思ってたっていうわけでは全くなくて、
もともと小学部っていう、秋内って書いて小学部の方にいたんですけど、
お金とか数字が嫌いになりすぎて、小学部にいたこともちょっとトラウマになってしまって、
途中からゼミを買いようっていうモチベーションがあったんですね。 たまたま考古学の先生に拾っていただいて、
考古学と民族学の教室があったんですけど、そこで拾っていただいて、 そこで修論じゃなくて、卒業論文を書くっていう話になったので、
じゃあ何をするかっていうので決めたのが京都のマヨケだったっていう。 京都のマヨケ。そうですね。
それは選択肢としてあったってことですか? その研究室でこういうマヨケの分野をやってる人がもともといたとか。
03:01
そういうわけではないんですけど、結構いろんなことをやってる研究室だったんですよね。 一方では本当にもう考古学をゴリゴリやってる人もいれば、
もっとフランクというか、フランクって言ったら失礼ですけど、 割と馴染み深いところで言うと民族学、エスノロジーとか、
フォークロアとかいうのに近いことをやってる人も結構いて、結構自分でテーマはいろいろ好きに決められたので、 僕はじゃあマヨケかなと思ってそこから始めましたね。
まあでも考古学っぽい感じで言ったら、なんかどこかの例えばよくありそうな昔の遺品というか、そういうのが出てきてそれがどういうものか調べるとか、
そういう感じになるんですかね。割とフィールドワークっぽいイメージは持ってるんですけど。 そうですね、考古学の方々も調査には実際行く方が大半だと思いますね。
ちゃんと実際に遺跡に行って土を掘ってっていうことをする人も多いですし、僕がいた研究室では年に1回青森の方に発掘しに行くっていう。
発掘? そうですね。 もうなんかリアルインディージョーンズみたいな感じですね。
僕のそこで得た友達で考古学をまだやってる人がいるんですけど、彼曰く考古学というのはインディージョーンズのイメージマイナスロマンス要素だと言ってましたね。
実際はなんかもうちょっと地道なというか。 ちょっと派手すぎますからね、インディージョーンズは。
アクションとか抜いたのが割と考古学のイメージに近いかなという。 えーでもそっか、実際に発掘ってことは掘るんですか?
そうですね、掘る人も多いですね。 えーそうなんだ。 全員が全員ってわけでもないとは思うんですけど、基本的にはやるっていうイメージですね、僕の中で。
まあ僕も考古学専門にしてはないので、あんまり深いことは言えないんですけど。 なるほど、じゃあちょっとそうですね、どこから行けばいいのかな。
魔除けをチョイスした、というかそもそも魔除けとはみたいなところとかも話した方がいいんすかね。
そうですね、魔除けって言うと、例えばどんなものを想像されますか? えー魔除け、やっぱりすごい身近なところで言うと、すごい凶というか、
なんだろうな、良くないことがめっちゃ起きた時にお祓い行った方がいいんじゃないみたいな。 会話とかあったりするじゃないですか。
そういうところで、薬病神的なのをちょっと払ってもらうとか、そういう感じのイメージが魔除けにはあるのかなっていうのと、それがなんか日本っぽいイメージですよね。
そうですね、まだ神社とか行くと、今年の薬年は何年生まれみたいなのよく目にすると思うんですけど。 ありますよね、なんかそういうイメージはありますけど。
06:08
そうですね、それも馴染み深い魔除けの一つだと僕も思ってるところではあるんですけど、僕が特に気になってるっていうか、研究してきたのが、手に取れるっていうか、実際に触れたりとか、移動できたりとかする、もう具体的に形があるものとしての魔除けに興味があって。
形としてあるもの、はい。 例えばお祓いをするっていうのは、俯瞰してみるとそれは行為であって、
よく車とかカバンとかにくっつけてる神社でもらうお守りとかとはちょっと位相が違いますよね。
確かに確かに、ものではない、白い紙ついてる棒振り回して祈願する的な、そういう行為を言いますよね。
そうですね。で、まあそういう大きく分けると行為としての魔除けであったりとか、ものとしての魔除けっていうのが想像できると思うんですけど、僕はまあ考古学とかそういうところの人々と交流があったこともあって、結構ものっていうものに、ものっていうものって言うとすごいわかりにくいですけど、ものという捉え方に結構興味があって。
形があって手に取れるものっていう意味ですね。
で、卒業後は教大に来て研究を始めたって感じですかね。
なるほど。まあ実際にその魔除けっていうのが研究テーマとしてあって、どういうことをしてるんですか、具体的に言うと。
具体的に言うと、僕がやってるのはやっているというか、修士課程とまあ最近までやってるのは京都の魔除けですね。
京都の魔除け。
京都に特に多く見られる魔除けと言った方が公平がないかもしれないんですけど、僕がテーマにしてるのは偽音祭りっていう日本で一番でかいとされている祭りなんですけど。
有名ですよね偽音祭りは。
多分名前ぐらいは皆さん聞いたことあるとは思いますし、どこかしらに多分身の回りに八坂神社っていう神社があったりすると思うんですけど、
その八坂神社の大元が京都にあって、そこから全国に分類というか同じ八坂神社の系列の神社が出来上がっていて、各地で偽音祭りが行われてるんですけど、
それの大元にあるのが京都の偽音祭りっていう感じのイメージですかね。
その偽音祭りに関する魔除け。
血まきっていう魔除けを研究してて。
血まき。
血まきっていうと食べる方の血まきを皆さん想像されると思うんですけど。
そうですね。どういうものですか。
見た目は本当に食べ物の血まきに似てはいるんですけど、ただそれは別に今食べ物としては扱っていなくて、
09:01
血まきの形をした、ちゃんと植物の葉っぱとかでできてるんですけど、偽音祭りの時期に各地で授与されるんですね。
授与。
神社とかからですか。
授与って言ったのは神社とかでよくお守りを買うとは言わなくて、お求めになるとか、
お金を払う時は巫女さんとかに向かってお金を渡すと1000円の納めですとかよく言われると思うんですけど。
購入みたいな単語は使われないってことですね。
それを意識しての授与という意味で使わせていただいたんですけど、一般的なイメージで言うと買えるっていうイメージで間違いないです。
お金と交換にその血まきというのを手に入れることができるんですけれども。
でも実際に食べるものではない。
そう、食べるものではないんですよね。
血まきを手に入れることができる場所は結構いっぱいあって、
お祭りの元になっている八坂神社と、祭りに際して出汁がたくさん出るんですけど、
今34あるのかな、34個の出汁があって山穂香と呼ばれるんですけど、
山穂香。
そうですね、めちゃでかい、山めちゃでかい出汁だと思っていただければ、
基本的に車輪がついていて、上に矢倉が組まれていて、
真ん中に高さ20メートルぐらいのでっかい木が立っているっていう、
動くことのできる構造物。
あ、なんか三越っぽい感じですか。
そうですね、三越っぽい感じですね。
20メートル相当でかいですね。
そうですね、あれ20メートルだったかな、ちょっとうろ覚えなんですけど、
とにかくでかいですね。
重さも10トンぐらいあるものもあるとは言われてますね。
10トン?
で、まあそれとプラスで担いで動くもある、ちょっとちっちゃいのが山って言うんですけど、
山も今は担いでなくて車輪がついているのが多いんですけど。
あ、それでねり歩く的なことですか。
そうですね。
ただ三越とは全然違くて、
三越はあくまで神社側が出すものなんですよ。
で、その今簡単に説明した山とか穂っていう出しみたいなのは、
その八坂神社の内子って言われる八坂神社に縁がある地域の人たちが組織して、
また別で運営してるんです。
それは何が違うんですかね。
それはそもそも今言ったように運営する主体が違うのと、結構役割が違うとされていて。
役割。
さっき山とか穂が動くっていう話をしたと思うんですけど、
何のために動くかっていうと、山と穂が先に共闘獣をぐるぐる回って、
それで道を清めるっていう役割があって。
あーなるほど、道を清めるか。
山っていうのは神様が寄りしろとする、神様が降りてくるとされるものを象徴していて、
12:05
穂っていうのは言葉からもわかるように武器なので、
その武器で悪いものを追い払って清めた上で神社側の御子が練り歩くっていうような仕組みになっている。
意味合いがあるんですね、ちゃんと。
で、血まきの話に戻りたいと思うんですけど、
34ある山とか穂というものの一つに僕は参加していて、
参加?
そうですね、実は山とか穂っていうのもただの建物っていうか建造物じゃなくて、
それを運営する町があって、
町単位で山とか穂っていうのを作ったりとか保管したりとか、
巡行の当日に動かしたりとかするんですけど、
そのうちの一つに僕は関わっていて。
じゃあお祭りの時に実際にそういう歩くとか、
そうですね。
それの準備とかもやるってことですか?
そうですね、準備もするし、当日引っ張ったりもしますね。
そうなんですね。
で、その僕が参加しているとこでも他の33ある山とか穂っていうのの運営部隊とされる町でも血まきというのが授与されていて、
で、その京都の人は祝祭の時期になると血まきを求めて山とか穂にお参りって言ったらちょっと違うかな。
まあ一般的に言うと血まきを買いに来るわけですね。
はいはいはい。
で、それを買って持って帰って自分の家に玄関先に飾るっていうのがよく見られて、
京都にいらっしゃると皆さん嫌でも目につくと思うんですよね。
僕全然京都住んだことないから見たことないですけど、そうなんですね。
そうですね、もうあんまりマーションとか建っているところではあんまり見かけられなくなりましたけど、
観光地とか、まだ町屋とか古い建物とか残ってるところに行けばもうほぼ100%ぐらいどこかしらの家にはついてますね。
血まきが置いてあるんですか。
はい。
じゃあそれの血まきに関する歴史とかそういうところですか。
そうですね、歴史を抑えるのも僕は大事だと思っているんですけど、
ただ僕の仕事は歴史を明らかにするというか、歴史的にその血まきがどう扱われてきたっていうのを解明することではないかなと思っていて、
今その血まきがどう扱われているのかっていうのを観察した上で考えることが僕の仕事かなっていうふうに思っていて。
そっか、そこはまた別なジャンルになってくるってことですね、その起源とかを考えての。
起源についても研究されている方はいらっしゃるんですけど、
この方は多分歴史学の人なのでちょっと経路が違うかなというふうには思っているんですけど。
そっか、今の扱われ方にも何か種類があったりとかそういう話ですか。
15:02
そうですね、今言ったように歴史の方では昔は本当に食べてたみたいな研究もあるんですけど、
本当は食べれないはずの血まきが食べられていたんじゃないかっていう視察するような研究もあったりはするんですけど、
ただそれと今との関連性を僕が見つけたいわけではなくて、
大和歩行っていう出しとそれを運営する人々の間でどうやって扱われているのかっていうのを研究していて、
例えば京都の人だったら7月半ばぐらいだったら大体血まきを買いに来るぐらいかなっていうイメージがある人が多いと思っていて、
というのもその辺の7月10日以降、大和歩行を立て始めるんですけど、
立て始めるとそのぐらいの季節かなと思ってみんな買いに来るっていうような動きが大体あるんですけど、
で、買って帰ったのを自分の家につけるっていう動きもあれば、
つけるっていうのはどういう感じですか?
ビジュアルがちょっと…
そうですね、置くだけではない?
本当に玄関に吊るしてあるって感じですね。
吊るしてるんですね。
はい、入口でも絶対にわかるようなところに吊るしてるケースが多いですね。
外側から見て絶対にわかる位置に。
じゃあイメージ、お正月とかに飾るやつとかあるじゃないですか、玄関先とかに。
あんな感じですかね?
角松とか。
そうですそうです。
イメージそんな感じですね。
締め縄とかつけるじゃないですか、玄関に。
はいはいはいはいはい。
あんな感じです。
ああいう感じでついてるんだ。
そうですね、そんな感じでくっつけていて、
自分の家を守ってもらうためにそれを、
ちまきを求めて自分の家につけるっていう方が大半ではあると思うんですけど、
結構最近はいろんな人がいて、
ただ自分の家につけるだけじゃなくて、
付き合いがある人とか仲のいい人の分も一緒に買って押す分けするとか。
ああ、なるほど。
例えば、会社単位で買っていかれる人も結構いるんですけど、
そういう場合は取引先とかに配ったりとかっていうケースもありますね。
取引先に渡すんですね。
あ、そうなんだ。
だから結構大きい会社とかだと何百個とか一気に買われることもありますね。
え、それって買っていくところの売れた数とかを調べるみたいなことですか?
売れた数はちょっと僕は抑えてないんですけど、
ただそういうのを見てて何がわかるかっていうと、
今言ったように買った本人が自分のとこに血まきをつけて、
家を守ってもらうっていうこともあれば、
買った人が余分を買って他の人に渡すっていうような、
二次的に渡すケースもあったりか、
あとその山とかほぼ運営する特定の集団というか人の集まりがあって、
その中にそれを手伝ってくれてる人に、
そう指揮側からあげるっていうケースもあったりするんですよね、また別に。
18:03
っていうのを見ていくと、だんだんその運営部隊を中心として、
運営部隊から参加者というか協力者にあげる血まきで、
一般の人に渡す血まき、
さらにはそこで余分を買った人が他の人にさらにお世話とか、
そういうものみたいな感じで、
いつもお世話になってますというような形で渡す血まきっていうのを見ると、
だんだんその山とほこうの運営部隊を中心として、
血まきが流れている様子がわかると思うんですよね。
なるほど、確かに。
そこをもとに人の人の生活に浸透していってるみたいな。
はい、もう本当にその通りで。
そうすると、ものを研究するっていう意義がちょっとわかってくるかなと思うんですけど、
そのものが辿る経路を明らかにすると、
そういった社会関係がどう繋がっているのかとか、
どういう組織の中でどういう風に血まきが流れてっていうのと、
運営部隊と渡す血まきを実際に最終的に受け取る人の関係性まで見えてくるわけですね。
なるほど、面白いな。
例えば僕がそこで血まきを二つ買って、
一つは僕用に、一つはレンさんにという風にすると、
結果だけ見るとレンさんも同じ血まきを持っているはずではあるんですけど、
ただレンさんは別にイオン祭りの組織とは関係がなくて、
たどりたどってみるとどこから来たかっていうのをたどってみると、
僕という関係者と言っていいのかな、
イオン祭りの真ん中ら辺の人に近い人から渡ったっていう歴がわかるわけですよね。
確かに確かに。
それでまたもらった僕が、
例えば2個もらったとしたらその1個また違う人にあげるとかそういう話ですか?
そうですね、その経路をたどってみると、
だんだん血まきがどういう動きをしているのかがわかってくるんですよね。
えー、それたどれるんですね、その動き。
それはですね、最終的に持っている人から聞けば結構わかったりするんですよね。
へー、これは誰にもらってみたいなのを聞いていくみたいな、そういう感じですか?
そうですね、いろんな人がいろんな形で受け取るっていうのを観察した結果、
わかったっていうのが一つの僕の受けづきではあるんですけど、
そういう動きを見るっていうのが、
一つ文化人類学の人間としてできることかなと思ってますね。
そっか、物じゃないとそういうのは見れないですもんね、確かに。
そうですね、具体的にやっぱりポータブルなものじゃないと、
下にやって取ってっていうのはできないので。
そうかそうか、それが血まきっていう、
まあ言ったらイメージお守りみたいなものを誰かからもらって、
でまたそれをまた違う人にあげてみたいな。
そうですね。
そういう感じってことですね。
それから何か見えてきたことって、例えばどんなことなんですか?
理論的なことを言うと、
理論的なこと喋って大丈夫なんですかね?
全然大丈夫だと思いますけど。
21:00
まず、今履歴があるっていう話をしたんですけど、
履歴、はい。
我々何かの募集に応募したりとか、
何か自分のことを紹介するときに履歴書って書くじゃないですか。
書けますね、履歴書。
履歴書っていうのが、
人間にもあるような履歴が実はものにもあるんじゃないかって言ってる人類学者がいて、
その履歴をたどってみるとそのものの性質がわかってきたりとかするっていうのは、
血まきの今の話と繋がってくるかなと思うんですけど、
それを踏まえた上で、
じゃあ理論として何が言えたかっていうと、
そのものがないとたどれない履歴もあるっていう話は、
今したところではあるんですけど、
それが実際にものとして動くことによって、
特定の社会関係が紡がれているっていう様子が明らかになったかなという感じですね。
それが何というか、
例えば言葉とかだと追えないみたいなイメージはありますね。
何か誰かから誰かにかけた言葉とか情報とかの移領みたいのは、
情報だとこのニュースの話題は誰から聞いて、
それがまた違う人に伝わってみたいなのは、
たどろうと思ったらたどるかもしれないけど、たどりにくいですよね、形がないと。
そうですね。
それをものでやってるっていうことか。
そうですね。
だから、そうか、ものの履歴、だからこの時計はおじいちゃんからもらったんだみたいなやつを。
そうですね。
で、そういう関係性からその人と人の繋がりみたいなのが見える。
そうですね。
みたいな話ですかね。
なるほどな。
ここまで言っておいてなんなんですけど、
結構想定できる批判っていうのは結構僕の中であって。
はい、批判。
僕の考えに対する批判として想定できるものは結構あって、
例えば今僕が何々は何々であるっていうふうに、
例えば擬音祭りが京都で一番大きい祭りであるとか、
山とか穂子という出しが34がありますとかいうふうには言ったんですけど、
そういうことを書くという行為は結構人類学の中では問題になってきて。
書く、どういうことですか。
そうですね、理論的な問題は僕の実力不足なのでさておいて、
その事実を書くっていうことに対しては結構いろんなところから、
ここ40年ぐらいの間に大きな転換があって、
みんな気をつけるようにはしてるんですけど、
というのもライティングカルチャーショックっていう文化人類学に激進を与えたとされる出来事があって。
ライティングカルチャーショック聞いたことないですね。
そうですね、80年代に出された文化を書くっていう本があるんですけど、
もうそれが本のタイトル通り、
文化人類学者が特定の文化について記述をするっていうことが問題視された時期があって、
例えば僕がさっき言ったように何やりは何やりであるっていうふうにやってしまったというか、
もう書いて出版して誰もが見れる状態にすると、
24:01
はいはい、探偵みたいな。
そうですね、ある種の固定観念みたいなものを押し付けることになってしまったりとか。
ああ、なるほど。
逆にそのステレオタイプを強化するようなことに勝たないしかねないというようなことが1980年代にあって、
僕は生まれてなかったので、事故的に知ったんですけど。
はいはい、それが問題になるってことですか?
そうですね。
それが正しいとは限らないんじゃないかとか、そういう話ですか?
事実関係は問屋書くとして僕は思ってるんですけど、
それは問題の本質は文化人類学者がそれをちゃんとフィールドワークをして、
現地の事情を踏まえてものを書いてというような構図自体がそもそも人類学者を特権化しているっていう問題意識ですね。
そこにもうすでにフィールドの人々と文化人類学者の間で権力関係ができてしまっているっていう、
最終的にものを書くのは人類学者なので、
もう結構、我々人類学者側がどう書くかに依存しているところが大きくて。
そっか、だから本当は何か違う思いを持って、例えばどっからお祭りとかをやってるけど、
それが若干違う解釈のされ方をしちゃうと、それがもう事実になっちゃうとかそういう感じですかね?
そうですね、そういう面も確かにありますね。
だんだん事実として固定されてきちゃうというような部分もあると思いますし、
やっぱり一番気にされてたのは権力関係かなというふうに思いますね。
権力関係?
やっぱそのフィールドの、フィールドというか調査される人々の方は書けない、
自分のことを表明できないというか、本にしてまとめることがあまりないので、
もう一存、文化人類学者の一存によって書くということになってしまうので、
いやいや、じゃあそれはどうなのかという議論が、いろんな工夫がなされたんですけど。
なるほど、そこの実際の文化人類学みたいな話って、
例えば地域とかに行って、観察しながらちょっと暮らしてみてとかってことになるじゃないですか、そこの。
だから、そこのときの関係性がよくわかってなくて、
その暮らしてる人々はもう全然関係ないようにいつも通り振る舞うのか、
それとも人類学者的には結構主体的になるのかっていうのはどっちなんですかね。
えっと、フィールドの人との関係ってことですよね。
そうですね、そこの、言ったら外部の人が行くわけじゃないですか、そういうコミュニティの中に。
そうですね。
その場合にどういう扱いになってるのかなと思って。
結構それも考えられてきてて、特に開発人類学っていうジャンルがあるんですけど、
開発って文字通り、例えば水が乏しいところに井戸を作るぞみたいな活動って結構世界的にやられてたりとかするんですけど。
27:03
投資開発とかそうですね。
そういうことは結構目に見えてわかる介入ではあると思うんですけど、
そこに人類学者が行って、現地の人々に影響を与えて帰ってきていいのかっていうことも結構話があって、
まあ別に開発の文脈だけではないんですけど、
じゃあ立つとおり跡を濁さず的なのがいいのかとかそういう議論もありますね。
ああそうなんだ。
確か開発しちゃうのはあれですけど、行った時にそのコミュニティに入れてもらうのかどうかみたいので、
解釈の仕方も変わってきそうだなあって聞いてて思ったんですよね。
そうですね、場所によって受け入れられやすさとか入りにくさとかはあるとは思うんですけど、
ありますよね絶対。
例えば日本人、僕らみたいな日本人が行きにくい場所って結構あったりとかするんですけど、
別に日本人に限った話じゃないか。
それも海外ってことですか。
海外で調査させてくださいって言ってすんなり受け入れられるパターンと受け入れられないパターンとかいろいろあると思うんですけど、
ありそうですね。
例えば結構文化人文学が伝統的に扱ってきたいわゆる先住民族っていう人たちのコミュニティに入りたいっていう話になったら、
ちゃんと政府を通してその許可をもらわないといけないかったりとか、
そもそもその後でコミュニティの人と関われた上でもちゃんとインタビューに応じてくれたりとかするかどうかとかいうソフトラインもあったりとか。
僕が聞いた話だと、ニュージーランドの先住民族の周りの方々の調査をしている人から聞いたんですけど、
毎回インタビューをするたびに許可書を書かなきゃいけないっていう話があったりとか、結構大変なところは。
大変ですねそれ。全然フランクじゃないですね。
そうですね。まあでも大事なことだと思うんですよね僕は。そこは倫理が絡んでくる問題なので。
確かにそのインタビューによってある種決まっちゃうというか。
そうですね。だからちゃんと何を聞いて何を何という情報を得たかっていうのは報告する義務があったりとか。
適当書けないそうね。
やっぱりちゃんと政府とか叱るべきところの許可を取ってないと書いちゃダメだっていう規則になってたらしくて、というような難しさがありますね。
そっか。それはじゃあ何だろう。今の京都のさっきの話で言うとどういう感じになるんですか?やり方としては。
それがですね結構難しい立場にあるんじゃないかなと僕は思っていて。
さっき話したように、例えば特定の国の特定の村とかに文化人理学者が行って外国人として扱われるからそういうことが起きたりとか。
という関係があったりとかすると思うんですけど、じゃあネイティブがネイティブのままというか、
例えば僕が日本人だから京都の研究をすればそれで倫理的な問題がクリアされるのかというと別にそうでもないっていう議論もあって、
何が正しいというのは一概には言えないとは思うんですけど、いろんな事情を配慮した上でちゃんと書いていくっていうのが当然調査されるというか僕らに協力してくれる人々の許可とか
30:11
許しを得た上でやっていくっていうのが大事かなと思いますね。
じゃあそのさっきのお守りみたいな血まきみたいな話で言うと、それはたどっていくんですかね。
近いところの人にまず話聞いて、それを渡した人のところにまたちょっと許可をもらってお話を聞くみたいな、そういう感じの流れってことですか。
そうですね、協力してくれる人によったりはしますけど、僕の場合は保存会って呼ばれる山戸学校っていうお祭りの出しを運営しているところの理事長さんから許可を得たりとかしたので。
まああれですよね、一個に参加してるってさっき言ってたので、もうある意味仲の人になってるっちゃなってるみたいな感じなんですかね。
半分仲の人って感じですかね。
いや、なんかその方がまだ聞きやすそうだなみたいな感じしますけど、実際にそこで活動してるわけですもんね。
難しいな。
いや、やり方が一応じゃないっていうのが結構他の学問と違うというか、違って難しいところかなとは思うんですけど。
やり方が違う。
そうですね、例えば何か仮説を立てて、これはこうなんじゃないかというふうに仮説を立てた上でそれを実証するために何かをして結果何が得られたかみたいなプロセスが別に王道というわけでもない。
例えば僕なんかスペイン、今スペインで調査してますけど、向こうに行って何が見えてきたかっていうのによって何を調べようっていうのが変わってきたりするし、
一般的なその仮説実証結論みたいなのが当てはまらないのが文化人類学の曖昧なところというか、そうせざるを得ないところがあるかなというふうな。
確かにそこが結構、僕はもうやっぱり仮説があって、それを検証するっていう流れにはほぼというか絶対になるんで、そことは全然違いますね。
多分今ので言うと観察がベースになってる感じじゃないですか、まず。
そうですね。
そこが何か、何て言うんだろうな、理系から見た研究テーマって仮説がないと何も始まらんみたいなところあると思うんですよね。
最初に何を対象にしようって着想するところはどういう感じなんですか?
さっきので言うと、血まきを対象にしようってなるモチベーションというか、それってどういうものなんだろうなって。
そうですね。まずなぜそういうマヨ毛みたいなものが使われているのかがわからないっていうところがあって。
それかそこからわからないってことですね。
本当に僕は最初にマヨ毛の研究をしたいというか京都の研究をしようと思って決めた口ではあるんですけど、
33:00
京都に実際に来てみると本当に至る所で血まきとかいろんなマヨ毛があるんですよ。
で、何でこんなにこんなに、何でみんなこれを使うんだろうとか飾ってるんだろうとか。
そうですね。しかも何か、多分ちゃんと理解してやってる人ってそんなにいないというか、伝統だからみたいな感じってことですかね。
そうですね。割と僕京都の人と、京都の人っていうか京都生まれの京都育ちみたいな人とお話しすることが多いんですけど、
結構最近まで血まき自体食べれるものだと思ってたとかいう人もいますね。
だけどちっちゃい時からなんか馴染みはあったみたいな。
そうですね。目にはしてたけど、何なのかよく知らなかったみたいなことはよくありますし、
結構京都も真ん中に行けばビル街が広がってたりとか、
もうパワーマンションみたいなところがあったりするんですけど、
そういうとこに行っても結構血まきとか、その他のおまわりとか置いてあったりとかして、
えー。
結構それが不思議だったのが、最初の原動力だったかもしれないですね。
もう完全に京都だけですか、それは。
えっとですね、僕が調べた限りだと大津の祭りでもやってますね。
大津でもやってるんですか。
滋賀県大津市ですね。
でもあの辺関西県なんですね、やっぱ。
その辺で。
そうですね。
ある。
でもあるのかどうかはちょっと知らないですけど、
ただそのさっき、というか最初の方にお話ししたんですけど、
八坂神社と呼ばれる神社って結構全国的にあって、
はいはい。
それぞれで祇園祭りとかやってるんですけど、
例えば有名なのだと福岡県に博多花傘とか、博多花傘だったかな、
その祇園祭りの一つがあったりとか、
大分県にも八坂神社って呼ばれるところで祇園祭りをやったりするんですけど、
はい。
そこに行っても島木ではないんですよ、
祇園祭りに関わる舞い受けというかお守りが玄関に吊り下げられてたりしますね。
へー、あるんですね。
なんか不思議ですね、でも。
なんかそういう、日本って結構お祭りとか多いじゃないですか、いろいろ。
そうですね。
はい、なんかそういうのどう伝わってるかとか結構気になるな。
その前はスペインってことですよね?
スペインのそういう、また全然別な対象ですか?
そうですね、スペインをやろうと思ったのは白紙に入ってからではあるんですけど、
なんかやっぱり宗教的な関わりのあることをやりたいかなというふうに思っていて。
なんかちょっとあれですね、スペインでどんな感じのことをやってたのかもちょっと聞いてみたいですね。
そうですね、スペイン、最初に行ったのは全然最初は無知だったので、
スペインにどんな舞い受けがあるのかっていうのを実際見に行ったりとかしたんですけど。
サイエンマニア、お聞きいただきありがとうございました。
この番組では幅広い専門知識を一つの番組に集め、
聞くだけで誰でも楽しく学べる番組を目指しています。
36:02
そのために皆さんからの質問や意見・感想を募集しています。
概要欄のお便りフォームやTwitterハッシュタグ、サイエンマニアでコメントいただけると嬉しいです。
またお手元のポッドキャストアプリでフォロー・レビューいただけますと大変励みになります。
次回のエピソードもお楽しみに。
36:39

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