めっちゃわかる、めっちゃわかります。
まさに奥の中では、クリエイターが企画ができる状態っていうのを定義しようとした時に、
自分の中の好きなものと世の中の日本人全員が好きと感じるものっていうのの、
愛のこの円が重なっているところがわかっている状態っていうのが好きなんじゃないかっていうのを前にもお話しさせてもらったんですけど、
まさにそれの正体ってここだよね。
面白いと思うものっていうのは、自分の中でもギリギリ問題と答えとして、ひらめいた時に面白いなって思えるものだし、
世の中に投げかけた時にも、そこに退屈だったりとか、難しすぎて解けないっていうところでギブアップってならないレベルのちょうどいいところの話があるんじゃないかっていうことですよね。
まさにここの問いの認知力感の高さってこれも一定ではないというか、媒体とかクライアント、何を問いと答えにするかをテーマにやっても全然変わるじゃないですか。
例えばで言うと、大英知とかは一般的に通りすがる人が0.5秒一瞬見て広告だって思ってスルーするから、ものすごい速さで問いを理解してその瞬間にひらめくぐらいの速い問いと答えじゃないとわからないし、
逆に言うと、ちょっと前にクリーピーナッツの武道館ライブの大英知のやつを思い出したんですけど、あれも大英知なんだけど、駅のポスターでスマホとかで打ち込む、絵文字が4つ並んでいる。
栗とピーナッツと武道とアルミ缶っていう。
いわゆる暗号広告みたいなやつですよね。
いわゆる暗号広告みたいな。何の広告なんだっていうふうにそらめさせて、意識を向けさせて、その謎解きに参加させる。これ結構認知力感高いなと思うんですよ。
認知力感高いなと思うんだけど、ある意味これはファンがすごく根強くいるコンテンツ。だからアーティストさんのライブっていう。だからこれはその回答するに耐え得る認知力感の高さになってるというか。
まず解こうとしてくれることに対して、そこも設計を間違えてしまうと、なんか問いだけ与えて誰も解いてくれないみたいな状態があるんだけど、熱量が高いところにぺって放り込むものに関しては結構解いてやるぜっていう謎解きファンじゃないけど、そういう人たちがいることによってちゃんとその伝えたいメッセージが。
特にSNSとかソーシャルもつながっていく今の時代だから、そこに期待値を持って投げ込んでいくみたいなことなのかもしれないですね。
いや、そうっすよね。さっき谷口さんもおっしゃってた通り、このバランス感覚を身につけるために数を出さなきゃいけないというか、コピーとか企画を100本ノックみたいなことを言うような業界じゃないですか。
それってやっぱり、この数を出してその反応を得られて、それは上司かもしれないし同じチームの人かもしれないし、それによってこれって刺さらなかったんだ、伝わったんだっていうのがわかるっていう、この無限のトライアンドエラーでようやくわかるものになるというか。
めっちゃそうで、自分でいいと思っている企画と世の中的にあるいは周りの人間から評価される企画って、特に最初の頃はキャリアの絶対にずれるじゃないですか。絶対にずれるっていうのがミソで。
そこがだんだんこれがいいと思っているものが人からもいいって言われるっていうところを、特にやっぱり経験値が多い方はいろんなそこのトライアルを自分でやられて何十年やられている方だからわかる視点でフィードバックがもらえるっていうことにやっと追いつけるようになってきて初めて自分の能力でそこの広告作りができているっていう感覚が得られてくるっていう感じで。
僕は結構キャリア的に言うと今社会人8年目になったんですけど、それがなんとなく感覚でできるようになってきたなってちょっとずつ感じるようになったのは結構5、6年目ぐらいからかも。結構最近かも。
5、6年目でも割と早いのかなって個人的に思うんですけど、確かにそうですよね。最初こうよく言うじゃないですか。最初こう全然伝わらなくて、もう全然目が出なくて。ある時からポッと急に伝わることが。
そうなんですよね。それが難しいというかこの世界のわからなさでもあり面白さですよね。
いや本当にめっちゃそうですよね。なんかこれって、なんだろうこの広告クリエイティブの話を今僕らしてますけど、なんか全てにおいてそうなんじゃないかっていう気がしてるというか。
表現するという行為には全てその要素が付きまとうし、それはもしかしたらアーティストの方だったらファンっていう、ある種謎解きに参加してくれる人、参加する熱意が高い人だからちょっと高い認知負荷の問いという表現を伝えていくっていうことでも成立してるかもしれない。
それを喜んで受け取るというか、それはもしかしたらお笑いとかも今だとそうかもしれないですね。
確かに。
で、表現する人の表現しているテーマとか題材によって認知負荷の高さっていうのは違うだけで、これってもうやってることは全てコミュニケーションってでっかいお皿の上でみんな同じことやってるんじゃないかという気がするというか。
そんなことをちょっと思っておりまして、こういう話をですね、結構的確に丁寧に言語化をしてくださったんで面白いなというふうに思っておりました。
ありがとうございます。やっぱそこのなんか学ぶ上での一個ヒントかなと思うのは、やっぱインプットとアウトプットのバランスによってそのちょうどいいところを見つけていくっていうことのなんかサイクルかなってなんか総括すると思いました。
やっぱり良いものを見る、評価されているものを見る。で、このぐらいがちょうどいいんだとかこのぐらいが今の時代に伝わりやすいんだっていうところを取り込んでいく過程の中でいろんなアウトプットに自分のそういう仮説を持ってやっていくっていうことで、
これはうまくいかなかったっていうのも単純に思考回数を増やしていくっていうところ。僕の場合結構今グラフィック広告一発物とかで言うとそのバランス感覚の設計って結構ある程度なんか得意になってきたなっていう感覚がうすらあるんですけど、
それは結構相当なグラフィックの広告の量を海外も含めて国内の事例とかも見た自信はあるので、やっぱりそこのインプットを見ていくということと、そのインプットがある程度同じ量の人と接すると共通言語で会話できるので、まずやっぱりそこをトップレベルの方追いかけてやっていくみたいなことが僕らの若手中堅に突入しかけているのかもしれないですけど、
年次的には。
そうしてはね、一番大切にやらないといけないことかなって勝手に総括すると。改めて自分のキャリアも振り返りながら、そんなことを思いました。
そうですね、これは一生かけてバランス感覚というのは飛び澄ませていくものなんでしょうね。
時代によってもね、そのどっちが好まれるかとかね、難しいけど深みのあるメッセージか、ライトにストレートに早く伝わる広告が良いかっていうのは結構時代の気分とかそういうので変わりますもんね。
確かに問題の質そのものもその時の社会によって問われるというか、いやそうですね、その時代に愛されるような問いが作れるクイズ出題者になっていきたいですね。
そうですね、結果広告マンとはクイズ出題者であるみたいなオチになっているんですけど、それは大丈夫ですか?
めっちゃそうだと思う、めっちゃそうだと思う僕は。
良質なクイズを設計できるということですね。
そうですね、僕らクイズノックともしかしたらやってること一緒なのかな。
なるほどね、そこにクライアントと課題とビジネスが混じり合ってるだけで究極的に削ぎ落としていったらクイズを作っていると。
これはなんかこの回のちょっとしたメッセージングの一つ中小化になるんじゃないですか。
僕らクイズの作文者であり、いかにこう生活者の方々をクイズプレイヤーにしていく。
そうですね、そういう態度に変えられるかどうかっていうそのクイズの周りの解きたくさせるエンターテイメントも含めて僕らの仕事だということですね。
確かに。
それはすごい面白い。
いや、めっちゃ面白い。
いいまとまり方。
いいまとまり方、確かに。
ちなみに大村さんが記事の中でちょっと実験的なこともしてくれていて。
はい。
大村さんが個人で現代4コマっていうですね、4コマ漫画のフレームを再解釈するというか、捉え直して新しい表現を考えるっていう取り組みもされているんですけども。
記事の中で、ちょっとこの問いの難易度が違う4コマを2つXで投稿して、どっちの方がいいねとかリポストがついたかっていうので、認知不可のバランスの良いところを探るっていう実験をやってたんですね。
これもちょっと面白いなと思ったので見てたんですけど、2つの問題の1つ目が、4コマのフレームだけ枠だけが四角く描かれていて、2コマ目だけフレームがないっていう4コマ。
タイトルがしょうがないっていうタイトルだったんですよ。
もう1つの方が、4コマのフレームの1つ目がツイッターの青い鳥になっていて、タイトルが気がついたっていうタイトルだったんですよ。
これどうですかね、僕はこの最初のしょうがないの方だけわかったんですけど、谷口さんはどうですか?
僕はさっきのクイズの話で言うと、ぶっちゃけると知的不可の体力訓練を怠っているあまり、ちょっとでも難しい問題に出くわすと答えを見たくなっちゃうっていう現代人の良くないあれがすり込まれているので
最初気がついたのもう1個あれだしょうがないか、しょうがないの方も正直瞬間的にはわからなくてすぐそのノートをめくって、なるほどねっていうすぐ答えを見ちゃうっていう一番良くない見方で見てたんで、僕あんまわかんなかったです。
これもしかしたらこれもビジュアル進化と言語試行者で4コマの真ん中ここが抜けているということをビジュアル的に与えられて、それをどう解釈していいのかがわかんないのかもしれない。
そうですね、確かに。現代4コマっていう、ある種のゲームを理解しているかどうかっていうところもあるかもしれないですね。僕は前々からちょろちょろ見てたんで、そういうことかと思って。
一応その解説をすると、しょうがないの方は4コマって起承転結で成り立っていると思うんですけど、2コマ目がないってことは起承のしょうがない、だからタイトルはしょうがないっていうので謎解きの答えになっている。
逆にこのツイッターの青い鳥に1コマ目がなっているっていうのはこれも起承転結なんですけど、木の部分がツイッターになっているからタイトルの気がついたが回答になっているっていう、ある種の謎々みたいな。
気がついたってことですよね。
気がついたで気がついた。やっぱりちょっと僕もしょうがないの方はわかって気がついたの方はわかんなかったっていう体感がそんな感じだったんですけど、
Xでのポストの結果もしょうがないの方が100ぐらいのいいね取りポストがついて、気がついたの方は10いいねぐらいだということだったんです。
如実に出ますね。
インプレッションがあるかどうかということで、僕と同じような感覚の人が100いいねつけたとすると、
問いに置き去りにされないでちゃんと回答のひらめきまで自分でつかみ取れた人はやっぱりそのものに対して印象を持つというか。
そのための面白いいねみたいなリアクションとかリポストみたいなのがあるわけですよね。
そうですね。まさにいい問いを与えてくれてありがとうの恩恵の補償のいいねみたいなことなのかもしれない。
これちょっと面白かったのが、この作り手であるクリエイターとしての大村さんは、気がついたの方が作品として優れてると思ったというふうに言ってるんですね。
これなんかめっちゃあるあるだなと思って。
わかる。
めちゃくちゃわかりませんね。考えてる自分などわからなくなっちゃうというか。
でも確かにこれ俯瞰して考えると気がついたって、希少転結のキのところにツイッターってこの2つの要素をひも解いて回答しなきゃいけないじゃないですか。
それに対してショーがないっていうのは、希少転結のショーがないっていう状況なので要素としてはやっぱり1つだから簡単になってるみたいな。
解釈の道筋がいかにシンプルであるかっていうのが受け手側としては、やっぱりそのひらめき感の納得度にもつながるんだな。
でもやっぱり難解なパズルを解いた先に得られるものの方がジャンプしてるんじゃないかって作り手としては思っちゃう。
この感覚ってすごいあるあるだし、一生戦っていかなきゃいけない敵なんだろうなって。
最初に話したこととも近いですけど、なんか自分の中で考えている時間が長いと分かる前提の部分の前提が増えていったことによって
その前提なしで見た時にどこまでの情報量でこれが伝わるのかっていうのを分かんなくなるんですよね。
広告マン全員そうだと思うんですけど、最初のインスピレーションと最初のインパクトとかイメージでこれいいじゃんと思って作っていて
だいたいアイデア思いついてから制作して納品して公開されるまでってだいぶ時間のラグがあるじゃないですか。
その期間に面白い広告なのか分からなくなってくるっていうのがみんなあるあるだと思うんですけど
最後は最初に感じた自分の直感を信じていくっていうことだったりするんですけど、僕の場合心配になって直前になって
周りの人にフラットに見てもらって、めっちゃいいやって言ってもらって、だよねって安心感を得るみたいなことをたまにやってましたけど
これはもう全員あるあるじゃないですか。
確かに確かに。他の人から見てもらうっていうのはそういう意味でも大事だし
あと最近は僕、オモコロ杯っていうオモコロさんがやってる記事のコンテストみたいなのがあって
そこにですね、ライターのダ・ベンチョー・ソレザンさんという方が記事の書き方っていうノートを公開してたんですよ。
そんなのがあったんですね。
そんなのがあって面白いと思って見てたんですけど、そこで書かれていることがめっちゃ今リンクしてて
ダ・ベンチョー・ソレザンさんが言ってたのは、いい記事を書くために必要なのは自分の中に普通の人を買うことだと
で、その普通の人がいかに普通かっていう制度によってあなたのクリエイティブは決まるっていうことを言ってて
めっちゃいいこと言ってるな
本当にそれでしかないなと思って
でもその普通な人を買うはめっちゃそのコピーライターとかで勉強していく時にもよく言われることじゃないですか
これは僕も結構意識しているところで
なるべく広告制作とか自分の仕事以外の時は普通の人でいようと思っていて
いい意味でミーハーであることを結構心がけていて
なんか世の中的に流行っているものとかは見に行ったりとか
なるべく感じるようにしておこうみたいな
そこらへんは意識的にやってますね
基本的な性格がひねくれ者なんで
なんかそんな風に流行ってるけど
俺はこっちの方がいいと思うよみたいになっちゃうと
ちょっとやっぱ時代とのチューニングがずれてくる感じがして
見た上でその見た部分に対して斜めから切り込んでいくっていうところは大事にしながらも
まずはフラットに今いいとされているものを単純に浴びるみたいなところは
結構意識的にやってるかもしれない
確かに確かに
その戦いですよね
その話を聞いてやっぱりこれ広告クリエイターだけの話じゃないんだなっていうのはすごい思ったというか
そうですね
普通の人間のまま普通じゃないものを作らなきゃいけないっていうことが
もうクリエイティブということのもう主題なのかもしれないですね
これはなんか本質を今触っている気がして
すごく僕の中でメイクセンスした話でした