丸山さん、突然なんですけど、 本当の自分って存在すると思いますか?
おー、面白いテーマですね。
ちょっといきなりぶっこんじゃったんですけど、 路地裏クリエイティブ、今回は僕が先月かな?
に、自分のそのキャリア振り返った時に影響を受けた本として、 諦める力っていう本を紹介させていただいたと思うんですけど、
ちょっとまた別の本のことも話したいなーって、 その時にチラッとお話ししてた、
平野圭一郎さんの、分人主義に対しての私とは何か。
分人主義。
本をちょっと紹介したいなと思うんですけど。
分人主義っていうのは、分ける人ってことですか?
分ける人です。
分ける人ね。
ちょっとね、正式なタイトルをね、 一応誤解なくように話したいので、ちょっとお待ちくださいね。
誤解です。でもね、自分の中の自分は、 自分の中の自分って言ってたっけ?最初。
本当の自分とは。
本当の自分か。
存在するのか。
本当の自分はね、僕あんま存在してない派なんですよね。
いいね。じゃあもうぴったりですよ。
書籍をね、ご紹介しておくと、 私とは何か。
個人から分人へという書籍ですね。
僕Amazonで今見てるんですけど、2017年9月に購入してるんで、 やっぱ大学の時に読んでる本ですね。
ちょっと前の本なんですね。
結構前です。
結構前なんですね。
本読んだ時は、これにすごい楽しくなっちゃって、 新しい世界の見え方を提供された感じがして、その時。
いいね。そういうのが好き。
こういう捉え方あったんだって当時なり、飲み会行くたびに友達に分人主義って知ってる。
不意調してたぐらい。
でもその時はまだそんなに考え方広まってなかったタイミングなんですけど、
今はやっぱもう2026年だからもう約10年ぐらい経ってきてるっていうことで言うと、
結構そのこれについての言及もいろんな方から聞くようになってきたんで、
あんまり新しい話ではないんですけど。
逆に言うとそのスタンダードを作った本みたいなことにもなる。
そうそうそうそう。
平野圭一郎さんがしかも面白いのは、こういう小説家なんですよ。もともとはというか普通にライフワークとしては小説家なんで、
小説出されてるんですけど、この人の人生がめっちゃ面白いなっていうのが、
小説を書くことによって自分が書きたいそういう分人主義みたいなテーマをどうすれば伝えられるかっていうことをひも解くために小説を書いてるんですよ。
面白いね。
だからその小説ごとに違うテーマ設定があるのではなくて、
平野さんが持っているこういう世の中の定理とか捉え方みたいなものを中心の原液としながら全ての作品を作っていってるみたいな感じなんですよ。
へー面白い。それはあれですね、東宝プロジェクトのズンさんみたいな。
知ってる?
東宝プロジェクト知らない。
知らない?東宝プロジェクトというゲームは知ってる?
っていうものがあることは知ってるけど、それ以上は何も知らない。
本当ですか。東宝プロジェクトのズンさんも確かね、もともとはそのズンさんが任天堂とかゲーム会社に入りたくて、
自分のゲームのスキルとか、自己検査のために東宝プロジェクトっていうゲームを作って、コミケとかで反復したっていうのが始まるんですよ。
ゲーム音楽作れるぞーっていうので、とにかく自分のゲーム音楽をアピールするためにシューティングゲームっていう側をつけて、東宝プロジェクトっていうタイトルでやったら、
東宝プロジェクトが爆破でしちゃって、もう今世界規模のIPタイトルになってるみたいな感じだったんで。
そこになんかちょっと。
全然別世界ですけど、でもそれすごいかっこいいですよね。
かっこいいよね。
1個1個の作品をそれぞれのエンターテインメントとしてもちろん完成させつつも、通廷するテーマがある。
それはその人の作者、クリエイターの世の中に伝えたい1個の大いなるメッセージの中に組み込まれていくっていうのがめっちゃかっけえなっていうのが。
いいねー。
中身云々の前にまず平野さんがすごいかっこいいっていう話なんですけど、
文人主義の話をすると、分ける人の主義って書いて文人っていう考え方なんですけど、
すごいざっくり言うと、人って相手との関係性によって存在しているものだから、
相手によって引き出される自分の人格って違うよねっていうことを文人と呼んでいるんですね、作中の中では。
なので、例えば丸山さんに対しての僕と、例えば親、両親に対しての僕と、
丸山さんみたいな広告クリエイティブで知り合う前の高校時代の友達との付き合ってる時の僕は結構違う顔をしているみたいな、そういう話であって、
この考え方にすごい出会う直接的なきっかけは平野さんに入る前に編集者の佐渡島さんの本を確か当時大学の時に読んでて、
人が亡くなるとなんで人は悲しいんだろうっていうことについて言及されてる時があって、
それの一節で平野さんの文人主義の考え方が引用されてたんですよ。
なので僕は佐渡島さん経由で平野さんに入っていったっていう感じなんですけど、
佐渡島さんの本の中で書かれてて、確かにそうかもって思って文人主義にまず興味を持つきっかけになったのが、
人が亡くなっちゃったりとか、ペットとかもそうなんですけど、大切な存在が亡くなっちゃった時に悲しいのって、
その人の不在が自分の文人の一個の消失でもあるからっていう観点があるんじゃないかっていうことが書かれていて、
面白い 要はだから丸山さんがもし亡くなっちゃったら、
僕が丸山さんに対してのみ開いていた自分のドアみたいなのがもう一生開くことがなくなる。
鍵がかかっちゃうみたいな、その刹那みたいな悲しさみたいなことに、
人は結構ショックを受けたり涙するんじゃないかみたいなことがあって、
すごいわかりやすい事例で言うと、ペット飼ってるお父さんとかって、
ペットにだけ何々ちゃーんみたいなそういう人格が生まれる時あるじゃないですか、
娘とか奥さんとかには、おいみたいなこと言ってるお父さんが、
ペットにだけは何々ちゃーんみたいなとか、子供にもそうかもしれないですけど、
ってなってるお父さんがペットが亡くなっちゃうと、
要はペットに対して何々ちゃーんってやってた、ちょっと子供らしい人格をもう出す瞬間がなくなる。
ある種人の死っていうのは、自分のその一つの文人の死でもあるっていうことが語られてたのが、
その里島さんの本に書いてあって、こういうことを平野さんの本では文人主義というテーマで語られてますみたいなので、
読み始めたらまあ面白くて、当時はそもそも一人ずつに自分の人格があるっていう考え方の世界の見え方、
ある種のもしかしたらイデオロギーみたいなものかもしれないですけど、獲得してないただの大学生だったので、
そのことを学んだ瞬間に、自分とか世界との関係性の見え方がすごい変わった。
メガネの度が上がったみたいな感じで、すごい見え方が変わって、
それ以来いろんな人付き合いとかのベースに僕はその考え方が根底にあるので、
いろんなコミュニティに顔を出すのも、この時は自分はこういう姿を見せてるなって自分にも自覚的になれるし、
相手が自分じゃない人に違う態度で振る舞ってても、
自分にはこういうふうに接してるけどこの人ってこういう文人格もあるんだみたいなふうに捉えられることによって、
変な人間関係の嫉妬とかいざこざみたいなのも感じなくなることで、
その人間関係の悩みから解き放たれるみたいなのが結構大学の時衝撃であって、
それが今もね、通定してる自分の大事にしてる考え方なんで、これちょっと話したいなーって思って持ってこさせていただきました。
いいテーマですね。めちゃくちゃ面白いね。めちゃくちゃ面白いし、
確かにだいぶ今、社会人になって、しかもその企画やるようになって知り合った人に対して僕が統一する文人と、
中高の時のコンプレックスムキムキだった時の僕の友達に対する文人はだいぶ違いますね。
そうですよね。
性質が。
それってよく社会的に言われるのはブレてるとか、本当の自分を探すために旅に出ようみたいな言われるじゃないですか。
そういうのが本の中で、そもそも本当の自分なんて存在しないから、それは人によって生まれる自分の中の人格であるから、
本当の自分を探そうと思ってもそんなものはないのであるっていうのが結論的にあるんですけど、
それって結構その考え方を知らずに本当の自分探しをずっとして迷っている人って結構いるような気がしていて、
企画とかに別に無理やり紐付けたいわけではないですけど、企画やる時とかも所属するチームとかによっても自分の立ち回り方とか、
変わっていっても全然いいと思うしっていう話とかも含めて、本当の自分はこうだからみたいなことを逆に規定しすぎると、
あまりこういろんな人との多様な関係を構築するのって難しくなりませんみたいなところもあるし思ったりしたので、
なんかそういうちょっと話もできたら面白いのかなーみたいなことを思いつつ、
特に今日もうこれ以上僕から話したいシナリオはないので、クリートークなんですけど。
今思ったのは、それで僕めっちゃシャラくせえなと思って嫌いだったのが、自分探しの旅っていう。
そうそうそう。大きな社会の流行語ではないけど。
まあ僕らが大学生か新社会人になりたてぐらいの時に、自分探しの旅っていうワードがちょっとホットになったじゃないですか。
僕それシャラくせえなーと思って、自分の中で何かが確立してない人間のザレ事だなーと思って、めっちゃ嫌いだったんですけど。
嫌いだったんだけど、逆にね、その文人主義っていう思想というかイデオロギーなのか、考え方を持ち出すと、
確かに海外で見知らぬ人と会った時って、大量の全く自分が人生の中で出くわしたことのない人と、
仮面を付け替えながら大量にコミュニケーションするっていうことが起こるじゃないですか。
それって、この自分の中の文人を大量に発散させる行為ではあるから、文人がたくさん生まれることで自分が見つかるっていうのは、ある種言えてるのかって思ったというか。
たしかに。本当の自分を探しに行くんじゃなくて、いろんな自分を見つけることによって自分がフィットする人格を探すみたいなことが、逆戦的に本当の自分を見つけてたみたいな。
たしかにね。
意外と自分探しの旅って本質ついてるんじゃないか。文人主義においては。
なんかでも、作の中で言われているのは、文人にもフェーズがあるみたいな話があって、正直今めっちゃまた読み直してるわけじゃないので、間違ってる知識も喋っちゃってるかもしれないですけど、最初のフェーズって社会的な人格がまず存在するみたいな。
だからパーティーの場とかで初めましての人と会うときって、その人固有の人格はないじゃないですか。そこには。でも人格があるのはなぜかというと、それは大きな社会っていうものに対して開かれてる自分の人格であるみたいな。
そこからこう人間関係がその人とディープになっていくことによって、その人に対しての固有の人格がこうだんだん深くなっていくっていうフェーズを渡っていってるんじゃないかみたいな話があったりするので。
旅に出るみたいな話で言うと、社会的な文人みたいなことが一気に解放されるし、今まで個人でつながっていた人と一時的に距離を取って強制的にシャットダウンされるからこそ、その人にしか見せてなかった自分とかが結構長い時間そこに拘束されてるわけだと思うので、人間関係が近しいグループの中で生きてたりすると。
そこから解き放たれることで見えるものがあるみたいなことが本質的な話なのかもしれないですね。
確かに確かに。あれじゃないですか、自分探しの旅で言うと、ちょっとごめんなさい、自分探しの旅ディスみたいなことをずっと続けちゃうんですけど、自分探しの旅においてその文人主義の観点からすると重要なのは現地でたくさんの人と話すっていう文人主義を発散させるサンプルをたくさん作ることであって、
なんか現地の観光地とかに赴いて、その自分の中で内省するみたいなことやってる奴はアホって。とにかくそんなことしてる日もあったら街に繰り出して、いっぱい話しかけまくれみたいな。
それはマジでそうかもしれない。文化的な意味とかにおいて観光地に行くとかって意味はあるんだろうけど。
もちろんバケーションとか価値観をアップデートするみたいなところで観光地に行くとかは全然いいと思う。
自分探しっていう目的において、一人でいろんな名所行ってインスタグラマーみたいにいろんな写真を。別にね特定の誰かをディスってるわけではないですが。
まさに誰かを想像してるということではないですが。
マジでそうかも。僕ね社会人でこれ結構覚えてるっていまだにたまに思い出すことあるんですけど、2年目か3年目ぐらいで結構初の遠くに出張があったんですよ。その時岩手に行ったんですけど撮影の仕事で。
で撮影終わって僕そこに宿泊しようと思って自費で。会社の費用としては上司たちももう当日日帰りで行けるから帰るって言ってみんな帰ったんですよ。でも僕せっかく会社の感じで遠く行けるから一泊自費で払うだけでもう一日滞在できるんだったらせっかくだし東北初めてだから行こうみたいなことを思って。
みんな帰った後にもうグーグルでホテルの近くの居酒屋調べて行ってみたんですよ。でその時だからまだ社会人2、3年目ぐらいなんでまだそんなにこう外でめっちゃ一人で飲み歩いたりとかそういう経験もなかったんですけど新しい土地で誰も僕のこと知らない状態で居酒屋に行ってカウンターに座ったら大将からどこの人ですかみたいなのをめっちゃ聞かれて実はこう仕事で来ててみたいな。
めっちゃ仲良くなったんですよ。でこれサービスでみたいなもらっちゃう感じになってこれが社会人かーみたいなその時にすごい思った時があってなんかそういうこう新しい場所での自分の本当自分が知らない自分を知れるその瞬間みたいなのって確かに環境よりも他者がいてくれることによって引き出されてる感じはめっちゃあるなーって思い出しましたね。
そうだね。確かに。意外とあれなのかな。今そのチャットGPとかAIが出てきてるじゃないですか。AIという相手に対する文人もあるからね。
それだってあれじゃん。最近流行ってましたよ。AIを自分がどう扱ってきたかを画像にしてください。
僕めっちゃ良かったですよ。僕あのすごい相棒みたいな感じでなんかお互いにアイディア出し合って考えてるみたいな感じでしたけど。
丸山さんどんな感じでしたっけ。
僕はあのあれですねなんかアメコミっぽくなりました。アメコミみたいな感じでハリアップって。
もっともっとやれるぜみたいな。
笑いながら爆笑しながらハリアップって言ってる絵が出てきましたね。すごい視点型っぽいな。
最高見がどこまでAIも感じてるかわかんないですけど。でも僕も友人とかで結構そのAIへの文人格みたいな話に持っていくと
あのすごいめっちゃしつけてるっていうかもうやばい奴なんかで言うともう首輪つけてはいやれみたいな結構そういう人いたじゃないですか。
そこであんなに優しいのにチャットGPTにはこんなに厳しくこの人接してるんだみたいなのも
本来あなたに向けてる人格とは関係ないから別にそれがそうであろうとその人が自分にとっての意味は何にも変わらないんだけれども
それがSNSで公開されることによってもしかしたらこの人こういう感じで自分にも振る舞ってくるのかなみたいなことがちょっと感じちゃうみたいなのも
一つの人格が全てを形成してるっていうベースの考え方で言っちゃうとこれが本当なんだけど隠して自分と付き合ってくれてるんだってなっちゃうかもしれないけど
全然本当はそんなこともないっていう話あるなーっていうのを思いつつ
僕のあのチャットGPTすごいいい感じになったんですけどなんでなんすかみたいななんか飲み会の席とかで
僕もうめちゃくちゃボコボコにしてる奴出たんですけど何が違うんすかみたいな話になった時に
僕ねチャットGPTがいいアイディアきたらめっちゃいいじゃんとか送ってるんですよ
なんかそれめっちゃいいとか
ダメだったら何言ってんのとか送っちゃうんすけど
本当にジャストで欲しいものが出てきた時はそれめっちゃいいわみたいなのを送ってるよって言ったらその友人は
いいアイディア送ってきたら即無視してそれをコピペして違うものに貼り付けてまた違う話題行きますって言ってて
そんなになんかAIとの会話の方向性って違うんだっていうのをその時も思ったりしましたね
そこはあるかもね
AIはなんかさすがに対人っていうところよりもツールっていう考え方の人と
まあ人っぽく接しようっていうところでそこの考え方も分かれちゃうところかもしれない
人によっては知れるっていうぐらいのツールなのかもしれないですね
なんか全然また違う話ですけど前の職場の上司が子供お子さんが
アレクサとかに対してめっちゃため口で指示出しするから敬語を使いなさいっていう教育をしてるみたいな
そこも難しいところですよね
だからアレクサ〜〜しろ〜〜とか言ってたら〜〜してくださいでしょみたいな
子供はだからそのAIと人の人格を分けられているのかどうなのか問題みたいなところも結構
社会的には今後問題になってきそうっていう
そうだねAIネイティブ世代ってまた変わるから
ちょっと話戻っちゃうんですけど文人が喪失するから人の死は悲しいみたいな話だったじゃないですか
それでちょっと思ったのがどういう文人が死ぬと人って悲しいんだろうってことか
人の死に形状をつけるわけではないけど
やっぱりその個人的に関わりが深かった人とかはやっぱり悲しい度合いが大きくなっちゃうじゃないですか
それってそこにこの文人の喪失が悲しさとか喪失感みたいなところのウェイトがあるんだとしたら
どうなってるとその文人の喪失感が大きくなるんだろうって
やっぱその人にしか見せてない自分の量が多ければ多いほどじゃないですか
まあそうだよね
なんでやっぱその付き合いが長いもあるしだからなんていうのかな
逆的なことにはなるけど自分のこういう部分を知ってくれてるのは彼しかいないっていうことによって
その自分が信じられてる時もあるというか
親とかってそうじゃないですか
もう絶対的な愛みたいなものが基本的にあって
どんな時も自分を信じてくれているっていうことがあるから信じられるみたいなことがなくなっちゃったりっていうのとかもあるので
それはそういうことな気がしますけどね
扉の階層が深くなっていくっていうか
鍵をかけなきゃいけない扉の数が多いみたいなことな気がするけどな
そうかもしれないね
逆にかけた時間もそうだしボリュームのところもそうだし質的なところでも
意外とその交わった時間が少なくてもSNSを通じて
時間の長さではないのかもしれない
時間の長さという変数も多分大きいウェイトではあるんだろうけど
それやっぱり時間をかければかけるほど自分の見せてない側面をその人にだけ見せているっていう量が多くなっていくっていう話というか
なのかもしれないな確かに
めちゃめちゃそれで思ったのが全然見ず知らずの人なんですけど
僕がラーメン二郎を食ってたんですよ
僕ラーメン二郎を食っててラーメン二郎を食った後にお腹壊しがちなんですよ
なのに食いに行く
ラーメン二郎を食った後にお腹壊しちゃってトイレでうんうん言ってて
めちゃくちゃ時間かけちゃったんだけど外に人が一人立って
その人がすごい大丈夫ですよ僕はみたいな感じで言ってくれたんですよ
ごめんなさいちょっともう扉ガンガン叩かれてごめんなさいちょっとラーメン食った後にお腹壊しちゃって僕正直に言って
そしたらその外の人が大丈夫なんで時間かけてくださいって言って
っていうこのラーメン二郎を食った後にお腹壊しがちっていう側面をその人にしか僕開示したことないんで
その人死んだらちょっと悲しいかもって思った
なるほどねもう出会うこともないかもしれないけどね
出会うこともないかもしれないけどあの時トイレの外大丈夫ですよって言ってくれたその人が実はお腹になっちゃいましたって言われたらちょっと悲しいかも
確かにね知らない人なのにその一個のラリーをしてるだけなんだけれども
そのやっぱり人と人とがこもっている固有の何かみたいなところがあっちゃうと
それって時間とかを超越しちゃうみたいな
かもしれないなと思いましたね
ちなみにこの最初文人主義の話をした時に本当の自分ってあると思いますかっていう話されたじゃないですか
僕そこでないと思ってますって答えたんですけど
ちょっとね認識が違ってて僕もうちょっと科学的な話だと思ったんですよ
こっちはね文芸的なね評論的なニュアンスでしたけど
ぜひそこも丸山さんの話も含めて理解できると深まる気がする
僕の中でその時思ってたのはそもそも人間の意思決定って本当に意思決定してると思いますかっていう話だったんですけど
何かに意思決定をさせられてるんじゃないかとか
もっと科学的な脳科学的な話で言うと
もう既に決定は決まっててそれを自分が意思決定したと思い込んでるだけなのではみたいな話が確かあって
僕は割とそっちを信じているので考え方的に
そういう意味で自分はないと思ってますって話をしたんですよ最初
生物的な仕組みとしてみたいなね
なるほどなるほど
その話も結構面白いなと思って
マーケティングもまさに今フィリップコトラ時代からエビデンスドマーケティングみたいなのにちょっと変わってきてるっていう潮流があって
それもどっかで番組で話したいなと思ってずっと温めてるテーマではあるんですけど
僕の解像度が結構上がらないとちょっとしゃべりにくいなって
かなり深い勉強の話なんであれですけど
それなんかすごいマーケティングの話もありますよね
2個並べられた時に自分はこっちがいいと思って選んでるけど
実際はもう反射的にこっちだっていう風にもう体が動いてしまって
その後でなぜこれを選んだんですかって言われたら
それを正当化せざるを得ないからこれを選んでるっていうことを言うだけであって
そこに本当はそういう理由で選ばれてないっていう話があるので
マーケティング的に4PとかセグメントのSPTとかも
意味あるように語られてきたけど
実際はお客さんはそんな風に商品やブランドのことを
差別化して捉えられていないのではないかっていうのが
結構最近の言及としてあったりして
それもそれですごい話せるテーマだなっていう
まさにまさに
ちょうどさっき電車の中で見てた動画だったんですけど
ショート動画で海外のシェフというか料理人たちの動画が出てきて
オーナーシェフみたいな人が一口スープ味見して
お前こんなじゃダメだみたいな
こんなじゃダメだからもっと塩を入れろみたいなと言って
その人が塩を入れたふりしてもう一回味見してくださいって言ったら
いいねって言う
だから実際に何かが行われているかどうかは意外と重要ではないっていうね
それ例えとしてちょっとずれてるかもしれないけど
企画もあるじゃないですかこれ直しといてって言われて
あんま直ってないんだけど2日後ぐらいに
企画書直しときましたって言ったら変わってないのに通るみたいな
それやりますわたまに
全然更新できる時間なかったらやべーって思った時に
ちょっと細かいところいろいろ微調整してるんでって言って乗り切る
アップデートしてるんやったらまあいいよ
だから本質的には企画が悪いから変えてって言ってるんじゃなくて
まだ時間があるからもうちょい頑張れよっていうメッセージが本音だったとした場合に
その態度だけ示せば別に乗り切れるみたいな
そういう追い詰められた時に出てくる文人もあるっていう
確かに確かに
意外と人じゃなくて状況が作ってる文人みたいな
あるかもしれない
というかまあ推し勝つとかもそれかなってさっき喋りながら思いましたね