ストレス体制の違い
はいどうも、リハテツです。 曜日感覚がね、全くわからなくなってきて、3連休でしたけれども、
完全にちょっと撮り忘れていて、 月曜日すっ飛ばして、火曜日もすっ飛ばしての水曜日更新となります。
ということで、うちの子も風邪をひいて、金曜日に早退してきたので、その辺りくらいから、もうわけわからなくなっちゃって、
曜日感覚が、どっちだと思って、そんな感じで、3連休はゆっくりと過ごしてはいました。
はい、ということで、本題の方に入りますけれども、今日はですね、ストレス体制ってやっぱり人によって違うよねっていうところでお話ししていこうかなと思います。
ストレス体制っていうのは、 やっぱり人によって違う。これどうやったらね、わかりやすく例えられるかなと思ったんですけど、
例えばコップですね。コップの大きさが人それぞれ違うって思ってくれたら、一番わかりやすいかなと思います。
本当にバケツ級のコップもある人もいれば、バケツっていう人もいれば、
本当に一般的なコップぐらいの形とか、大ちょこぐらいの人だって、中にはいるんですよ。
その人のね、やっぱりどれだけ水が入るかっていうところの問題なんですね。 水というのはいわゆるストレスというものがかかってきて、
そこから溢れ出しちゃうのはどれぐらいなのかっていうのが、人によって違うと思うんです。
どんなに逆境に立たされて、すごいね、これ人から見たら死ぬほどストレスかかってるよねっていう人でも、
やっぱりその器がね、すごい大きい人だったら、絶対耐えられちゃうんですね。 逆にもうあのその
ちっちゃい人っていうのは、やっぱりすぐにね、心降りてしまったりとかするので、中にはね、
お前それぐらいでへこむなよってね、思う方もいるかなと思うんですけど、それはちょっとね、やむな話なのかなと思います。
その人にとっては本当にもう辛い。 中で頑張ってね、なってるってところで、もうその人にとってはもう限界なんですよね。
それなのにね、なんかもっと頑張れとか言うのは、明らかにおかしいのかなと思います。
例えば、何だろうな、もっと例えると、あの陸上選手、オリンピックに出るような選手がね、あんだけ速く走れるんだから、お前同じ人間だから速く走れるだろみたいな、
そんな感じなんですよね。 向き不向きありますよね。そもそもね、骨格の問題だったりとかありますから、
やっぱり全人類がね、同じように生きてきるわけではないので、そのね、コップの大きさってものが、やっぱり人によってね、違ってくる。
そこをね、ちょっとわかっていると、自分にもね、やっぱり優しくなれるかなと思いますし、人にも優しくなれるかなと思います。
自己理解と他者理解
今、自分のコップはどれぐらい溜まっていて、どれぐらいならね、あと溢れそうかな。
なかなかね、そこまで見ることは難しいと思うんですけど、なんかそういう視点でね、ちょっと見ていけると、
自分のね、ここでちょっとブレーキ踏むのかなとか、まだここは大丈夫そうだからこれぐらい頑張ってみようとか、そういったことがね、わかってくるかなと思います。
結局ですね、これがわかんなくなって溢れ出して、その溢れ出すのをもうジャバジャバ状態なのが、もううつになったような時ですね。
もう溢れて溢れてもう、ダメでーすって感じになっちゃうと、うつになっちゃう、僕みたいな感じになってしまうので、そこはね、避けていただきたいかなと思いますので。
まあもうね、慢性的なストレスですね、うつとかも。かかってきちゃってるんで、ずっとずっと辛い状況を抱えている。
もうずっと溢れているのにさらにね、水を入れようとするというね、そんな感じの状況になっていますので。
是非ね、そこはなるべく避けていただきたい。もちろん人によってね、違うのでっていうところもあるんですけど、
他の人にもそういう目を向けたりとか、自分にもそういう目を向けたりとかして、やっていけたらちょっとは楽になるんじゃないかなと思って、
今日こんなお話をさせていただきました。
はい、ということでね、今日はこれぐらいで終わりにしたいと思います。最後までお聞きいただきありがとうございました。