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皆さんおはようございます、雷鳴龍馬です。 今日は、私が幼い頃、若い頃、お世話になり大変尊敬する、月光の里の小松先生からの教えを、皆さんと分かち合いたいと思います。
私が毎日唱えておる、生きとし生けるものに平安を、という言葉があります。 先生によると、山本雄三さんの、生きとし生けるものに平和を、という句とほとんど同じだそうです。
一緒に月光の里を、文字、平和、という言葉は、現代あまりにも怪我されていると、平和ではどうも落ち着かないという定言があり、いろんな議論を重ねた上で、平安という言葉にされたそうです。
生きとし生けるものに平和を、ではなく、生きとし生けるものに平安を、という言葉にされたそうです。
私が高校時代、この月光の里を訪れた時、妙にこの生きとし生けるものに平安を、という言葉が胸に刺さりました。
そして、一生涯ずっとどこかで覚えている言葉になったわけです。
そして今、毎朝唱えることになりました。
この平和と平安の違い、言霊的にカタカムナで分析すると、どうもこのようです。
平和の和は、まさに輪っかの和であり、調和である。
あとは、生命の源であり、神の意向。
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生命の源であり、神の意向であるというのが、安という言葉に託されているということのようです。
皆さんどうでしょうか。平和、平安、私はやはり最初に出会ったせいか、生きとし生けるものに平安を、という言葉が好ましく感じます。
こうやって音、人間が出す、ある意味一つ一つの音、雰囲気であるとか、イメージできるものであるとか、感性に訴えるものとか、そういったものもとても重要だと感じ、勉強を続けているんですが、
確かに平和より平安の方が、ここはしっくりくるのかなと思った次第です。
生命の源、神の意向という平安、生きとし生けるもの、すべてにこの平安が訪れる日は、来るのでしょうか。
神体根元尊明、リーター根子一体、雷鳴聖光、地層木柱、観測水田、生きとし生けるものに平安を、愛はの世を創る。
今日も一日健やかにお過ごしください。ありがとうございました。