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2025-09-27 07:56

#1308 新地町で開催中の「横山孝雄原画展」と横山さんの話

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新地町育ちのマンガ家横山孝雄さん。トキワ荘に通っていて、赤塚不二夫さんのアシスタント第1号、フジオ・プロダクションのマネージャーを務めた方。その方の原画展が新地町で行われていたので行ってきました。

サマリー

福島県新地町で開催中の横山高雄原画展では、横山さんの生涯や彼が関わった歴史的な漫画作品に焦点が当てられています。展示会では、彼の原稿やアシスタントとしての活動に関する貴重な情報も紹介されており、新地町の文化への関心が高まる内容となっています。

横山高雄の生涯
はい、おはようございます。本日の放送は2025年の9月27日土曜日でーす。 本日は第1308回目のお話となります。
このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをダラダラと話をしていくという番組です。よろしくお願い致します。
本日ですね、17時15分にはこのチャンネルではなく、日本ポッドキャスト協会のポッドキャスト配信リレーの方でも配信予定です。
興味ありましたらぜひ探してお聞きください。そこで配信したものは、強化が出たらこちらでも配信する予定です。 さて昨日はですね、福島県新地町に行ってきました。
福島県と宮城県の海沿いの境目にある町です。 火力発電所がある町です。
なぜ新地町に行ったかというと、横山隆雄さんの原画展が9月20日から始まっていたから見に行ったんですね。 入場無料です。
横山さん、隆雄さん、どんな方かというと、手塚治虫さん、石ノ森翔太郎さん、赤塚藤雄さん、藤子藤雄さんたちなどレジェンドな漫画家を
配出したことで知られる時はそう、その時はそうに通われていた方ですね。 すまなかったけれど通っていた人、通い組と呼ばれた人たちの一人です。
恐怖漫画の角田二郎さんもそうですね。 横山さんは赤塚藤雄さんのアシスタント第一号となり、赤塚藤雄プロのマネージャーとなった方です。
1982年に藤雄プロを退職した後は、北海道のアイヌ民族の文化を守ることに活動された方です。 2019年に亡くなられました。
横山さんについて詳しくはこのチャンネルの96で話しております。 もしよろしければ探しておきください。
横山隆雄さんは福島県新地町で育ったんです。 生まれたのは中国。当時横山さんのお父さんの仕事の関係で中国へ。
原画展の詳細
それで中国で生まれ、戦後日本へ引き上げて父親の故郷新地町へとなったわけです。 赤塚さんとか千葉哲也さんも引き上げ者ですね。
後で赤塚さんとつながることになるのは、そういう引き上げ者という共通体験があったからかもしれませんね。 藤雄プロには戦争により海外から戻った人が多い気がします。
高井健一郎さんは上海、北見健一さんは満州からですね。 横山さんは新地町で小中高と過ごすんですが、高校時代に隣の宮城県で同じ海沿い
そこの高校生が漫画好きな人を呼びかけている人がいるんです。 それが石ノ森翔太郎さん。その団体が東日本漫画研究会。
その会の仲間で働いている中で横山さんがよく文通をしていたのが赤塚藤雄さん。 横山さんは修学旅行が宮城県松島というので抜け出して会いに行っちゃうんですよ。
高校生にして漫画の連載を持つ天才石ノ森翔太郎さんに。 後に時はそうに会う前に石ノ森翔太郎さんに会っているんです。
それから横山さん、高校時代には就職活動で東京に行った時に赤塚藤雄さん、横田徳雄さん、後に同じく藤雄プロのブレインとなる長谷邦雄さんと会います。
それどころか手塚治虫さんにも。 そして東京のおもちょメーカーに就職。
休日になると時はそうに遊びに行くんです。 石ノ森さんと赤塚さんがいるので。
自分も漫画家になりたくて会社を辞め、赤塚さんのアシスタント第1号になります。 後に藤雄プロに参加し藤雄プロのマネージャーとなります。
79年にアイヌの女性と結婚。藤雄プロを82年に退職します。 そして北海道に移り住み、アイヌの本を出していくことになります。
その横山高雄さんの原画展です。 新地町のアートの街、新地プロジェクトの取り組みとして行われた展示会。
新地町文化海流センターで開催。10月8日まで。 新地町文化海流センター素敵な建物でした。
入り口でアンケートに答えると簡単な解説がもらえました。 今回の原画展で知ったことで一番えーと思ったのは石ノ森翔太郎さんのアシスタント
横山さんがやっていた時期もあったということです。 アシスタント赤塚藤雄さんがやっていたことは有名だけれど
赤塚さんが人気になった後バトンタッチしたとか。 原画展ですがメインの展示は1979年に秋田書店が出していた
ひとみという少女漫画雑誌に連載した アニマちゃんの原稿ですね。
アニマちゃん貴重な原稿をよく展示できましたね。 1979年の秋田書店というと週刊少年チャンピオンが大人気で
ガキデカ、ブラックジャック、ドカベン、ナナハンライダーなど 女性向けでも月刊プリンセスで王家の紋章などが人気でした。
低年齢の少女漫画雑誌として出したのでしょうか。 テレビでアニメが放映していた永井豪さんの魔女っ子チックルが別の人の絵で連載していた頃です。
1979年というと横山さんはフジオプロでマネージャーをしていてご結婚された年です。 アニマちゃんペットの動物たちが活躍する物語で
動物の絵を見ると横山さんということがわかります。 しかし主人公のアニマちゃんの絵は横山さんの絵ではないんですよね。
誰か他の少女漫画家を絶えたチャラです。誰なんでしょう。 1970年代には水島真嗣さんと里中町子さんの合作漫画が少年マガジンに載っていたりしたので
こういうパターンもあったんですね。 あとはキノコ裁判というカラー原稿。
いつ書いたのか掲載しがわからない原稿でしたが横山さんのタッチがわかる絵でした。 あとはアイヌを題材にしたイラストが多数ありました。
横山さんの漫画を掲載した本のコーナーもありましたが貴重な歌詞本漫画のエクボがあったのは驚きでした。
これは東日本漫画研究会のメンバーが作った漫画本です。 ここに置いてあるということはこれに横山さんの作品があるのか気になりました。
ケースに入っていて見られませんが。 個人的にはフジオプロ時代のマネージャーをした頃の逸話とかもっとあると嬉しかったなぁと思いました。
展示会の意義
岩岸に岩岸出身のフジオプロの漫画家がいたんです。 寺嶋圭司さん。それからフジオプロ出身で自分たち子供を熱中させた鳥居和義さんとかいるんで
そういう人たちから横山さんのフジオプロの思い出を聞いたら良いのにと思ったらお二人とも2022年に亡くなられているんですね。
田村市で時和倉に住んでいた横田徳夫さんも2022年に亡くなられました。 時和倉、フジオプロの時代の横山さんを記憶している方がどんどん亡くなられているんですね。
数年前、できれば横山さんがご存命であった2019年前にこういう展示会が行うことができれば、もっといろいろと貴重な資料情報を残すことができたのにと思いました。
しかし今回展示会が行われて良かったです。これからも新地町で横山さんについてさらに調査研究が行われていくといいなと思いました。
というわけで今回は福島県新地町で行われている横山高雄原画展についてのお話でした。
はいそれではまたもしよろしければぴょん吉のオタクな話にお付き合いくださいね。 本日もお聞き下さいまして誠にありがとうございました。
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