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2022-04-10 09:23

#42 田村市出身のよこたとくおさんと赤塚不二夫さんのふしぎな関係の話

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トキワ荘に住んでいた田村市出身のよこたとくおさん。

よこたさんと、赤塚不二夫さん、そして石ノ森章太郎さんのちょっとふしぎな関係の話。

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はい、おはようございます。このチャンネルは福島県香山市在住の特撮アニメ漫画大好き和一のピョン吉が響きになったことをだらだらと話をしていくという番組です。
そんな和一の一人事を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。悪意はなかったんです。
以降にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご批揮のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけで、だらだらと行かせていただきます。
改めまして、おはようございます。このチャンネルはナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の4月10日、日曜日です。
本日は第42回目のお話となります。
昨日、藤子藤男英氏、阿美子本夫さんが亡くなったというニュースについての話をいたしました。
今回はその話の続きとなります。
その中で、時はそうに住んでいた福島県田村市船引町の出身の漫画家横田特工さんが、漫画道に一切登場しない謎についてのお話をいたしました。
現在でも、図書館に行って調べると、子供向けの本のコーナーに横田さんの本がたくさんあります。
横田さんの学習漫画を読んで座った子供がたくさん多いんですけどね。
まったく横田さんの評価は低いんですね。
横田さんの絵を見たことある方いると、もしかしたら赤塚富士夫さんの絵に似てるなと思った人がいるかもしれません。
赤塚富士夫さんってね、本当に深い関係のある人物だからですね。
横田さんが生まれたのは、先ほど言いましたように福島県の田村市ですが、中学校で東日本漫画研究会に参加します。
この東日本漫画研究会というのは、石ノ森翔太郎さんが作った伝説の漫画団体です。
北十一敵という、開覧式同人誌が有名です。
同人誌というと、印刷したものって感じしますが、やっぱり印刷するとお金がかかってしまうんで、
本を作ってみんなで回し読みしましょうという、そんな風な同人誌なんですね。
当時ですからね、横田さんは中学校を卒業した後、東京の平井という地域にあるプラスチックの工場に勤めます。
働きながら漫画雑誌、漫画少年に投稿します。
ところがですね、漫画少年が突然の倒産。
新しく漫画研究という雑誌ができるという書き手を求めた習慣が開かれたんですよ。
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そこに参加していたのが、同じく東日本漫画研究会のメンバーの赤塚不二雄さんなんですね。
それでその場所で、「横田特効さんいますか?」と声を出して訪ねたらしいんですよ。
というので、東日本漫画研究会にたくさんの漫画家さんいたんですが、石野も翔太さんもいるわけですよ。
その中で赤塚さんにとって一番気になる人物が横田特効さんだったんですね。
というわけでですね、そこで横田さんと出会ってすぐに行き届く。
たぶん気になったのはですね、二人とも働きながら漫画家を目指すということでね、意見があったからだと思うんですね。
で、漫画家を目指すためにというんですね、赤塚不二雄さんと共にですね、会社を辞めて同じアパートの部屋を借りて同居するんですよ。
そこでお二人で漫画家を目指そうとするんですね。
そんなアパートにいろんな人が訪れてきているので、当時すでに漫画家としてデビューした杉義春さんも遊びに行きます。
漫画家になりたいというお二人に杉義春さんもね、デビューするなら歌詞本漫画がいいよというアドバイスをするんですね。
当時はですね、週刊漫画雑誌がない時代です。
しかも月刊雑誌はですね、漫画だけの専門誌じゃないんですよ。
たくさんの小説とかね、エッセイとか読み物とかいろんなものがあって、その中にちょっと漫画がある程度なんですね。
というわけで、漫画家になりたい人がですね、発表できる場所が全然ないんですね。
だから杉さんのアドバイスといったように歌詞本漫画という風なところがですね、デビューとして集めてたんですね。
そのアドバイスに従って横田さんは赤塚富士夫さんよりも早くですね、暗闇剣士という漫画を仕上げてデビューします。
その暗闇剣士という名前なんですが、実は言うとこの作品ですが藤子富士夫さんも同じタイトルの本があるんですね。
というので、この暗闇剣士の復刻版の時には横田徳夫さんが解説を担当しています。
で、赤塚富士夫さんも歌詞本漫画からデビューします。
ところがですね、この二人のね、アパートで生活しているのにお別れが突然訪れます。
大型新人の石ノ森翔太郎さんがね、宮城県から時に上京して解説に来ることになったんですよ。
ところがですね、石ノ森翔太郎さんはですね、自分で買い物も炊事もできないのでご飯まで食べることができないんですね。
当時はですね、誰かが漁師という人がいないとご飯も食えないんですね。
誰か手伝いできる人いないかというので、白羽の家に当たったのが赤塚富士夫さんなんですよ。
赤塚富士夫さんはね、石ノ森翔太郎さんより年上なんだけども料理なども得意で、
ちょうど石ノ森翔太郎さんのアシスタント兼政府みたいな感じで、赤塚富士夫さんは時はそのところに住むんですね。
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あとですね、鈴木真一さんというアニメーション作家になる方ですが、
その方が時は総から引っ越しとなったので飽きができたというので、よく寄ったお子さんも追いかけるようにして時は総に入ります。
そしてまた赤塚富士夫さんとの共同生活が始まるんですが、石ノ森翔太郎さんもいるというのでね、
その3人での共同生活なんですよね。
赤塚富士夫さんのお母さんも上京してきてね、その3人の面倒を見てくれたらしいんですね。
その奇妙な三角関係というか、男のね、その状態が続いてきます。
ヒット作が出ないので赤塚富士夫さんは漫画家になることを諦めかけるんですが、
寺田裕之さんに説得されてそれで漫画家を続けたというのはよく漫画道に出てきますけども、
ですがそこで細松君をヒットさせて逆漫画家として活躍を始めます。
時はそうだけでは手狭になってしまったので、すぐそばにアパートを借りてですね、
そのアパートを引っ越しして生活するんですが、
そうするとすぐに横田さんも引っ越しするんですよ。
それも赤塚富士夫さんのすぐ隣なんですね。
というわけでつい横田さんと赤塚さんの間にBL的なものをちょっと相談するんですが、
どちらも当時結婚したね、そのために引っ越ししたんですね。
その後石森翔太さんも引っ越しするんですが、
この間ですね、時はそういう男が昨年歩いた時ですが、見てみたら、
それがですね、赤塚さん横田さんのアパートのすぐそばなんですよ、実は石森翔太さんのね。
さすがにここまで来るとなんだろうこれって感じで思っちゃいましたね。
横田さんもその後すぐさまマーガリットちゃんで人気作家となります。
そしてあと石森翔太さんが忙しくなってしまったので、
大役を引き受けて学習漫画の方でね、そちらの方で手伝ったというので、
そこから先はですね、横田さんは学習漫画の方で活躍する感じなんですね。
というわけでですね、もしもですね、横田さんが本当にね、
どんな風に喋っているのかなという場合にはですね、
石巻にある石巻漫画館の時はそうの模型のそば、
それと東京の方に行って時はそうミュージアム、そちらの方のところに行くとですね、
横田さんの時はそうについての歴史の話が書いてあります。
それが福島県では全然ですね、横田さんって誰?という状況なんですよ。
これが不思議にたまらないんですよね。
福島県出身者は全然福島県の人は誰も知らないと。
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どうにかして皆さんに知ってほしいなと私は思っているんですね。
はい、というわけで今回は横田さんの話にさせていただきました。
それではまた次回よろしくはピョン吉のオタクの話にも付き合いくださいね。
今日も一日頑張りましょう。
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