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2025-08-22 06:56

#1272 田村市出身でトキワ荘の漫画家よこたとくおさんの生家がまだあるという話

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福島県田村市出身で、トキワ荘に住んでいたマンガ家よこたとくおさん。石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんととても深い交流があったマンガ家です。学習マンガをたくさん描いたことから、学習マンガの第一人者、パイオニアと呼ばれている方です。その方の生家がまだ田村市にある、という情報を手に入れました。田村市には、ぜひ生家を保存する活動をして欲しいと思っております。

サマリー

福島県田村市出身の漫画家、横田徳雄さんの生家が現在も存在していることが明らかになりました。田村市は、彼の漫画や業績に対する理解を深めるために資料館の設立を望んでいます。

横田徳雄さんの生家の発見
はい、おはようございます。本日の放送は、2025年の8月22日、金曜日です。本日は第1272回目のお話となります。
このチャンネルは、福島県神山市在住の特撮アニメ漫画大好きお医師のピョン吉が、響きになったことをダラダラと話をしていくという番組です。よろしくお願いいたします。
昨日は、よこたとくおさんについて、少し新しい情報が入ってきたので、とても喜んでおります。今回は、その話をしようと思います。
よこたとくおさんというのは、福島県田村市出身の漫画家さんです。
石ノ森翔太夫さんも主催します、東日本漫画研究会の開覧同人誌、牧獣一敵に参加された方なんですね。
そして、手塚治虫さんの文化の若手同人グループ、加工会にも参加していました。
上京して出会った赤塚富士夫さんと一気統合し、一緒の部屋で同居いたしました。
その時には、次は吉原さんが来まして、アドバイスをもらいました。歌手本漫画で漫画家デビューします。
1958年から1961年にかけまして、時和尚に入居しました。
時和尚は退出後なんですが、赤塚富士夫さんと同じアパートに転居して生活しています。
後に、富士夫プロの元々となります七福神の会にも参加しております。
1963年から71年まで、周囲者の週刊マガレットにマガレットちゃんという漫画を掲載し、ヒットとなりました。
その時には、ギャグ漫画も多数発表しております。
進行のあった石ノ森翔太夫さんの勧めで、学習漫画を書き始めました。
多数の学習漫画を書きまして、学習漫画の第一人者と呼ばれるような人になりました。
そういうような人物ですので、自分が子供の時にはギャグ漫画は手に入らなかったんですよ。
流行りスタイルがありますからね。
ところが、図書館の方にたくさんの横田徳夫さんの学習漫画があったんですね。
漫画は買わないけど、学習漫画は買うよという意味もありましたので、
作者の名前を知らなくても横田徳夫さんの漫画を持っていた人も多いと思います。
晩年近くまで漫画を書いていました。
2022年に85歳で亡くなったんですね。
亡くなった時、新聞とかにも載りましたので、
これで横田徳夫さんについて興味を持って調べる人が増えてくれたら嬉しいなと思っていたんですね。
ですが、田村市でも福島県内でもそんな動きが聞こえてきたことがなくて、残念だなと思っていたんですよ。
自分は横田徳夫さんがどこに住んでいたんだろうと思ったことがあって、
横田さんが生前に漫画本を寄贈したことがありましたので、横田さんが通った小学校に行ったことがあります。
また、漫画雑誌に漫画を投稿しに行っただろう郵便局に訪れたこともあるんですよ。
そして、どこに横田さんの家があったのかなと思っていたんですね。
しかし、漫画の研究者ではないので、田村市のところに住んでいたら、
そこまで細かいところを探すことができなかったんですね。
ところが、横田徳夫さんが住んでいた田村市の家を発見した人がいたようです。
すごい発見ですね。
横田さんは中学卒業とともに働き始めましたから、
当時はその当たり前でしたから、70年くらい前に住んでいた家ということですから、
それがまだあったということですよ。
田村市の文化振興
さすがに70年前に住んでいたというと、建て直しとかもあったと思うんですよね。
そうもあったことはないと思うんですが、
それも横田さんのご兄弟のご家族と長年に渡って住んでいたわけですよ。
今回その位置がわかったわけです。
これは横田さんの本家の家の人からの話というのは、かなり信憑性ありそうなんですね。
残念ながら、そこに住んでいた横田さんの親族の方は、
みんな仙台の方に住んでいまして、その家は現在空き家になっているようなんですね。
これは良い機会かもしれませんね。
田村市長がさらに横田さんについて調べたり、資料を収集した方がいいと思うんですよ。
できれば、市民じゃないので言えませんけれども、
できればその成果を市で買い取って、資料館、記念館にしてほしいくらいなんですね。
それは無理になったら、せめて田村市の図書館とか、歴史民族資料館のところで、横田徳郁さんに関する資料をたくさん集めてほしいんですね。
せいぜいそういう活動をしていて、横田さんと田村市に繋がってきていれば、
たぶん横田さん、田村市のイラストもたくさん描いてくれたと思うんですね。
そうすれば、たくさん田村市の宝物が増えたと思うんですよ。
東京都の豊島区なんかは、うまくやってるんですよね。
少し前に動いたので、2020年に時和荘ミュージアムを作ったときに、
マーガリットちゃんのモニュメントをそのそばに作ることができたんですね。
また宮城県石巻市では、2001年の石巻漫画館を立つときに、時和荘の模型を作るときに、
横田さんの時和荘時代のインタビュー映像や手形を残すことができたんですね。
やっぱりそういうのって大切ですよね。
ぜひ、田村市もそういう横田徳雄さんがいたんだよ、
そういうコンセプトを残しておいてほしいなと思うんですね。
というわけで、今回は時和荘に住んでいた福島県田村市出身の漫画家、横田徳雄さんの成果が
田村市に現存するようだよ、というお話でした。
今日は早速、本当にまだあるか確認しに行ってこようと思っております。
それではまた、もしよろしければピョン吉のお宅の話でもお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして、誠にありがとうございました。
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