2022-09-15 10:22

#200 いわき市出身で元フジオ・プロにいた漫画家のてらしまけいじさんの話

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昨日は赤塚不二夫さんの誕生日。というわけで、赤塚不二夫さんのアシスタントであったフジオ・プロについてのお話。フジオ・プロには、新地町育ちの横山孝雄さん以外にも福島県出身者がいたんですね。いわき市出身のてれしまけいじさん。「馬次郎がやってくる」という作品で1972年に漫画家デビューされた方です。フジオ・プロ時代の話を漫画化した「赤塚不二夫の旗の下に フジオプロの青春」が面白かったです。現在、いわき市に住んでいるみたいです。ぜひ一度お会いして、いろいろとお話をお聞きしたいですね。

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はい、おはようございまーす。本日の放送は、2022年の9月15日、木曜日です。
本日は、第200回目のお話となりまーす。
このチャンネルは、福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が、
響きになったことを、だらだら話をしていくという番組です。
そんな親父のひとりごとを聞きになりまして、
もしもあなたが心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい。
我にはなかったんです。
ここにもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご引きのほどよろしくお願いいたします。
昨日は、赤塚富士夫さんのね、誕生日でしたね。
もしもご健在ならね、87歳ですかね。
まだですね、80歳でもね、80代でも若い方は多いですからね。
72歳で亡くなれたのはね、ちょっと早かったかなーって感じですね。
赤塚富士夫さんというとね、アシスタントのチームがありまして、
富士夫プロダクションって言うんですね。
現在も存在しておりましてね。
よくね、毎年あの、でんろく豆のね、節分の時になるとね、
赤塚富士夫さんっぽいね、鬼のお面とかついてきますよね。
あれなんかは富士夫プロの作品ですよね。
富士夫プロはですね、絵のね、
漫画の絵の補佐だけではなくてですね、
アイディアだとかね、キャラクターとかね、
そこまでですね、大勢の人たちで作ってたプロダクションなんですね。
その点がですね、手塚治虫さんとかね、石森翔太郎さんとかとの違うところがあったんですね。
1965年の4月に富士夫プロダクションはできたわけですが、
そこにはですね、非常にいろんな才能を持った方が集まったわけですね。
まずはあの赤塚さんのね、長年のブレインでね、アイディアを出していた。
そしてあと漫画の研究をされていた永谷邦夫さん。
それからダメ親父だとかね、グータラママ、バーレモンハート。
で、後で漫画家として才能を広げる古谷光敏さん。
総務部総務課山口家六部平太だとか、プロゴルファーオリベ金蔵だとかね、
の出した高井健一郎さん。
当時のね、青年たちのね、非常に愛読書であった高校生ブライヒカエを描いていた劇画長男絵のね、吉谷啓治さん。
それからあと、吊り馬鹿西、愛しのチーパッパなどの北見健一さん。
で、自分たちの世代にとってはね、とてもね、人気だったトイレット博士を描いていた鳥居和義さん。
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少女漫画にね、下品なギャグを持ち込んだ釣姫じゃーってね、人気だった土田芳子さん。
変わったところでね、杉浦茂さんのお弟子さんでね、
そしてあと後でね、ジャンボンエーサーとかアイアンキングだとね、
様々なコミカライズをね、描いていた斎藤明さん。
それからあと、三浴田とかタッチなどね、大ヒットを持つですね、足立光さんのお兄さんのね、
数々の伝説を持つ足立努さん、などなどの方がいらっしゃったんですね。
それと以前ですね、このコーナーでもお話ししましたけども、
藤代プロっていうとですね、横山孝夫さんがいたんですね。
横山孝夫さんはね、福島県の新地町育ちの方です。
石森翔太郎さんとね、高校時代から一緒にね、漫画などを作ってですね、
そして伝説の解き合わそうに通っていて、
赤塚藤代さんのアシスタントになって、藤代プロのマネージャーとして活躍されてた方です。
藤代プロをね、辞められた後にですね、アイヌの研究、アイヌ、北海道のアイヌの研究と、
あとアイヌのね、広報活動などをされていた方なんですね。
というわけで、藤代プロとね、福島県との関わりっていうと、これぐらいかなと思っていたんですよね。
そしたらもう一方いらっしゃったんですね。
2016年にですね、赤塚藤代の旗の下に、っていうね、本が出されました。
GOTというね、出版社から出された本です。
副題がね、藤代プロの青春というタイトルです。
これはですね、赤塚藤代さんのね、アシスタントの寺島圭司さんがですね、藤代プロ時代の思い出を描いた漫画です。
この寺島圭司さんがね、福島県いわき市に生まれたっていうんですね。びっくりいたしました。
寺島圭司さんはね、1950年生まれだそうです。
アシスタントしていた期間はね、1970年から1975年の間と。
というわけで、その時代のね、藤代プロの様子がこの作品の中に描かれています。
どのようにしてね、アシスタントになったのかとね、どうしてアシスタントをね、辞めたのか、みたいなことが書かれてるんですね。
当時20から25歳の頃ですかね。
藤代プロの在籍中のね、1972年にね、馬次郎がやってくるっていうのでね、週刊少年サンデーでですね、漫画家デビューするんですね。
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いかにもですね、これはね、藤代プロっぽい作品なんですね。
これがですね、今漫画図書館Zで読むことができるんですよ。
漫画図書館Zっていうのはね、絶版になった漫画などをですね、電子書籍として配信するウェブサイトです。
運営はですね、漫画家でね、現在参議院議員になってます赤松健さんとね、取締役会長を務めている株式会社です。
日本のね、漫画を増やさないためにね、行っている活動なんですね。
1972年のね、少年サンデーというとですね、赤津川富次郎さんのレッツラゴンだとかね、
長島真嗣さんの男ドアホーコーシエンだとか、石上翔太郎さんの人造人間機械だとかね、
あと長井豪さんはね、アニマルケダマンっていうね、ちょっと変わった作品、そういったものをね、発表していた時期でしょうかね。
その時に一緒に連載されていたんですね。
馬みたいな顔をしたですね、馬次郎という主人公がいるんですが、この人はですね、美しいと醜いの価値観がね、入れ替わっている人物なんですよ。
というので、美人な人を見るとね、美人じゃないって言いますし、見にくい人を見るとね、非常に美しいと思ってしまうと。
それがね、ギャグだったんですが、最初はギャグとして読んでいたんですがね、ずっとそれを読み続けていくとね、
だんだんですね、自分が思って美しいとか見にくいっていう評価ってなんだろうなっていう風にね、だんだん思うようになりましたね。
漫画自身はね、それをギャグとして扱ったんですが、非常に哲学的な漫画になっていましたね。結構面白かったです。
それから後、アラランケチョっていう作品もね、出してまして、これはね、雑誌連載したかどうか不明なんですが、
あの、赤塚富士夫さんとかね、富士夫プロ、まあ繋がりが深いですね。
アケボノ出版というね、出版社より出版されていた漫画なんですね。1978年には出版されていたみたいです。
高校のサンバカトリオはね、美少女と色々とあるっていうようなお話なんですね。
当時のね、タレントネタとか多くてね、結構懐かしい感じがする作品でした。
その他、ゴルフバカたちだとかね、平成おばかたちなどね、1980年代ね、青年誌に載ったものらしいですね、これはね。
この寺島圭司さんなんですけどね、この本を出すあたりからですね、ハテナブログっていうところにですね、寺島圭司の日記っていうね、ブログを発表されています。
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現在も続いています。これを読むとですね、いわき市の話題が非常に多いんですよ。
いわき市でどうやら暮らしているみたいなんですね。
だいたいですね、地区もわかっちゃいました。
現在72歳ですかね。福島県内に住んでいるんですよね。
ぜひ一度ね、お会いしてね、お話を伺ってみたいなと思ってるんですよね。
こういう方がね、福島県内に現在住んでいらっしゃるっていうことをね、ぜひ知ってもらいたいなと思っております。
はい、それではまた次回よろしく。ペンキスのオタクの話もお付き合いくださいね。
本日もお聞きくださいまして誠にありがとうございました。
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