記憶と自我の関係
前々回かな、記憶がなくなるとそれは自分なのかという話をしましたが。
続きで、記憶を作る能力がなくなるとそれはどうなのかという話もしましたが。
それの結論なんだけど、今回お話をしたいと思うんですけど。
試行実験でいつも忘れちゃうんだけど、セメウスの船だったか、セリウスだったか忘れたけど。
船は、別に車でもいいんだけど、部品を全部入れ替えてしまったら、それはその船とか車とか言えるのかっていう話で。
人間なんてのはもう細胞が入れ替わりますから。この生物もそうだけど。
ほんと一瞬で入れ替わりますからね。一瞬って言っても3ヶ月はかかるけど。
だからある意味別の人間ですよ。
名前が同じなだけであって、物質的にはもう全く別のものなわけですよね。
で、人間がでも3ヶ月後に自分のこの意識がなくなって、別の意識が生まれるかどうかというわけですね。
なぜかというとこの記憶があるからなんですね。
で、この記憶する能力ってことについて考えてみると、
会話ですよね。記憶するためにまず大事なのは会話。
これがなくなってしまうってことは、自我ってものがなくなる。
事故って言ってもいいけど、我と言ってもいいけど、自分と言ってもいいけど、なくなってしまうってことなんですよ。
なぜかというと自分ってものを認識してるのはこの記憶だから。
だからね、犬とか猫とかほぼ自我なんてないわけですね。
自分は生きてるって感覚はないわけですよ。
だから当然、生まれてこなきゃよかったなんて思わないし。
まあ、蚊とかハエとかだともう完全にそういう状態。
動物は自分が死ぬってことはわかんないって言ってたけど、
クラキは違うんじゃないかって言ってたけど、ある意味そっちの方が正しいのかなと思うし、
ある意味クラキの考えも正しいんじゃないかなと思うんだけど、
物質的にというのか、体が動き取れなくなるってことは理解できるだろうし、
それはいいんだけど、前回も話した通り、
どうしてこうやって自分は生まれてこなきゃよかったって思う人は特にこういう感覚あると思うんだけど、
もし親が結婚してなかったら、ここに存在していない。
親が今度も産んでしまったがために、30年後も40年後も、
こうやってこの世界にいるんだっていう感覚だけど、それは記憶があるからそういう感覚なんですね。
記憶があるから、今の子やって生きてるしっていう感覚が生じてしまう。
まあ、だから記憶を作る能力さえなくしてしまえば、この自分なんてものはいなくなるってことですね。
もう一度言いますが、今まで生きてきた、そしてこれからも生きていくという感覚がないということは、
自分とは記憶ですから。
記憶という物質は存在しないわけですね。
この物理空間のどこを探しても記憶なんてものは存在しないわけです。
概念と同じで、ただ人間が記憶を記憶と呼んでいるだけで、
ただその、見ている、現象にしすぎないわけですよね。
だから心と同じってことですよ。
だから自分は存在しない。もう一度言いますね。
自分とは記憶、で記憶というのは存在しない。
だから自分というのは存在しないわけですね。
時間と変化の考察
だからスメウスの船と同じで、
なんだけど人間は記憶があるから、自分はあり続けていると勘違いしているだけで、
さっき3ヶ月って書いてあったけど、1秒前の自分と今では全く実は別物なんですね。
それがこの物理世界の法則ですから。
次に話したあと、この3ヶ月っていう期間、
ゼクラ君にとってはいろいろな点で、めちゃくちゃ大きな数字だと思っていて、
例えばうつ病が治るのも3ヶ月だと思っているし、
うまく行けばだけど、
実験勉強なんかも、右肩上がりになるのはどうせ3ヶ月ぐらいのもんだと思っているし、
効率よく進めることができれば、
あとは伸びないと思っているし、
あと何かになれるっていうのも3ヶ月だし、
何かを覚えて忘れるのも3ヶ月だし、
なんか人間にとってこの3ヶ月って、今の話で言ってもそうだし、なんか大きなポイントだと思いますね。
それだけ大きな何か変化が起きているんでしょうね、人間の中で。
だから3ヶ月後の自分は、現在の延長にいないってことですよ。
だから、今こんな自分だから、3ヶ月後もこうだろうって予想は、ある意味あってはいるんだけど、
人間って遺伝で結構決まってくるから。
だけど、今回の話の意味で言うと、人生哲学的な意味で言うと、
3ヶ月後のことを予想しても何もわからないとこですね、自分について。
それでは明日っけ。