AIと自己の認識
これだけは、このAI化の現代だからこそ、そして、AIがどんどん進化していく、これからだから、生きる人間だからこそ、自分というものについて考えた方がいいと思うんですけど、今回はそんな話になっています。
どういうことかというと、AI、人間の考え方もどんどん進化していくと思うんですよ、AIに対して。
心なんてものはない、ただの物でしかないって思ってますよね。人間は特別なもので、生物は特別なもの。これは人類、5000年も8000年も前からそういう認識ですよ。
だから宗教というものが生まれてきたわけだし、生物学という学問があるのも、生物は他のものと配られる何かである、だから体系だったものがあるわけだし、生物はこと細かにいろいろ分別されますね。
だから人間が生物というものを理解しようとしてきた歴史があるからですよ。セリカの何々族とかあるように。これからはでも、AIはプログラミング次第で、どんどん人間に近づいていきますから。
人間の心が備わっているんじゃないかと思うくらいになってきますから。人間との違いは何かっていう考えになりますよね。でもSFの世界ではそうだと思うけど、もう完全に目の前に人がいるっていう風になる。
あとは、その時に気づくのは、人間が気づくと思うのが、結局自分の意識なのだと。ここに人がいる。心を感じればもうそれはある意味一人の人間だし。ということは、やはり心なんていうのはただの概念でしかない、現象でしかないってことですね。
自分についても実はそんなわけですよ。ロボットとは違う何かだと思っているけど、この心の心というのは、でもブッダが言いましたように、ただの機関でしかない、ただのシステムでしかないわけですね。今言ったように現象とも言えるけれども、心なんてものは存在しないわけです。心と呼んでいるだけなわけですね。
ここに自分というかっこたるものがある。10年前とも10年後ともそれほど変わらない、本質的には変わらない自分があると思っているけど、そもそも自分に本質なんてないわけですよ。
つまり自分の奥底には心があって魂があってとか、それは誤りであって、かといって自分という物質があるかというと、別に宇宙との境界線なんてものがあるわけでもなく、つまり宇宙の一部というよりは宇宙そのものなわけですね。
こう聞くと厳密してしまう人もいるかもしれないけど、そういうことなんですよ、これから。
いずれどうせ、そういう考えに及ぶかどうかを置いておいて、かっこたる自分というものが存在すると思ったけど、結局ロボットと同じじゃないかと、単なるオートマティックな存在だと気づくときが訪れるわけですね。
だからもう自分というものは何なのか、考えざるを得ないんですよ。そこで無理して自分はいると考えても、今までであればそれで納得させるかもしれないけど、それではいけないわけだし。
でも今までの人間、現代人は自分とは何なのかなんて、仏教信者でなければ考えないですよね。
何でかというと、別に自分はここにいると考えても察して問題はないからですよ。
それがAI化が積むことによって抜き差しにならない状況になるわけですね。自分という存在が脅かされますから。
仏陀の教え
AIのほうができることも多いわけだし、遥かにAIのほうが優れて見えるし、自分は一体何なのかという気持ちになるわけですね。
じゃあ次最後の話なんですが、仏陀は人間を何と言ったかというと空だと言うんですよ。空というのは、言い換えると全体ってことなんだけど、
人間って物質なんだけど、このものと無。
人間は無なのかというと、そういうことを言ってるわけじゃないですね。この物質と無を包括したものなわけですね、空っていうのは。
動物っていう概念はチンパンジーとかライオンとか猫とか犬とかを包括してるわけですよ。動物の中には犬とか猫とかがいるっていう考え。
だから人間を空だとするので、空なわけですから、仏陀の考えでは。
だとすると、人間ってのは物でもあり何もない物でもあるって考えるとそれは違いますね。
人間は物であるからじゃあ植物でもあるのかって言うとそうじゃないから、これは相当知能が必要だ。
知能がいくらあっても理解できないかもしれないですね。
ということでそれではしたっけ。