辛さと生きる理由
今回は、なぜ人間は辛くてもかえって生きているのかという話なんですが、それと共に話したいのが、以前から思っていたことであるんだけど、
その違和感のあることがあって、人間ってね、気づいたら亡くなってるわけですよね。若くして亡くなる人にしろ、年取ってからにしろ。
これ全く同じことで、気づいたら亡くなってるわけです。もう嫁何年って言われてた、嫁何ヶ月と言われてたとしてもやっぱりね、同じことだと思うんですよ。気づいたら亡くなってる。
何が違和感かって、クラゲは別に死ってそんな大きなことだと思ってなくて、単に心臓と脳が止まっただけだと思ってるんだけど、ただとはいえね、人間にとっては大きなことですよ。
例えば、自転車こいでたとしましょう。こんなことあんのかわかんないけど、タイヤのとこ挟まって急に止まったら、ずっこけそうになるじゃないですか。
椅子から転び落ちるか、前回転するか、横に吹っ飛ばされるか、そういうことですよね。クラゲにはそういう風に感じるんですよ。
今まで普通にこうやって何年間も、寝てるときはちょっと別だけど、常に一つ前のエピソードで時間について話しましたけど、こうやっていろんなものが移り変わってて、意識はどっかに必ずあって、
で、睡眠とはまた別なんですよ。睡眠と何が違うかというと、その後起きることはないってことですよね。気づいたらさっきの自転車の例えで言うと、どっかに吹っ飛ばされたかと思ったっていうもうとてつもない衝撃ですよ。
で、その場合、それと同じ感覚なんですよね。急に、それまで続いてたものが急に途絶えてしまって、バッサリ切られて、でも自転車の例とは違って、何の感覚も逆になくなって、逆にそれは恐ろしいなと思って。
車で急ブレーキかけられてもね、まあ驚くだろうし、今まで続いてた番組が急になくなっても人間にとっては衝撃なわけで、でもなくなったら衝撃が受けないどころか、何も感じない。
しかも睡眠と違って、その後起きることもない。これね、結構今のこの話の流れでわかってもらえるかな、すごい大事なとこなんですが。
また意識が戻ったら、それであれば別にあれなんだけど、自転車からすっ転んだことに一生気づかないでいるとこですよ。
人間誰でも一回はね、死について考えたり、特に癌で嫁一ヶ月とか言われてる。死んだ後でどうなんだろうと。
死の恐怖については最近話しましたけど、まあ理解できないんだけど、死に恐怖を持つのは。
とはいえ、死んだ後でどうなるのかなとか、思わざるを得ないだろうけど、
この話ね、死後の世界はないっていう、暗鬼的な感覚が前提になってくるんだけど、
いろいろ死について、ぐるぐる頭の中で考えてるけど、自分が亡くなったら亡くなったってことを確認できないんですよ。
なんか恐ろしいと思いますね、そう考えると。別に怨念が残るから恐ろしいとか。
そういうことじゃなくて、成仏できないから恐ろしいとかじゃなくて、
まあ以前はそう思ってたこともあるけど、逆に何の感覚もなくなる。何の意識もなくなって。
生きてる時はこんな、死に対する恐怖とか持ってても、亡くなった途端、それまでのものはなくなる。
そう考えると逆に、これもだんだんなる人間的な自我の感覚であって、別に違和感を実際は持つ必要のないことなんだろうね。
じゃあどこで暗鬼のその考えずれてるかというと、うーん、これ考えてしまうなってことなんだろうな、結局自我の勘違いなんだろうけど。
まあ自分はこうやって生きてるっていう、自分があるっていう、その感覚ですよね。それが間違ってるんだろうね、やっぱり。
ブッダが言う通りなんですよ。自分でなどはないんですね。
だからこうやって心臓動いてて、脳が動いてて、だから自分がいると思ってるけど、やっぱり生物でしかないという、物でしかないということなんですよ。
死と意識の喪失
それが理解できないからね。なくなるっていう大きな変化があって、違和感が感じるんですね。
そのことに気づけないっておかしいだろうと。おかしいっていうか、怖すぎるだろうと。
暗鬼の中ではね、なんだろうな、それこそ病気で、病気じゃなくて、なんか大きな怪我で意識を失って、何かこういうことがありましたと説明されたらね、納得できるというか。
でも亡くなって、自分が亡くなったということを分かんないであって、まあそんな感覚おかしいってわかんないけど、でも恐ろしく感じるんですよ。
だって自転車こいでて急ブレーキかかって、吹っ飛ばされたら一瞬パニックになって、ここはどこ状態だろうけど、でも終わりに帰って、何が起きてるか整理するじゃないですか。
それが人間のさがなんだろうね。大きな出来事があった場合、整理したくなる。それができないから、まあしなくていいんだけど、死ってなんか不思議だなと思っちゃうんですよね。
では次の話ですが、冒頭で話した通り、人はね、こうやって大変なのに生きてると、生き地獄がある中に生きてると、
特に外国で悪いことをしなきゃ生きていけないような子供の時から創生されるような国の人とか、なんで生きてるんだろうと思うけど、
でもね、そういう疑問って今考えてみた、今ちょっと振り返ってみたけど、ある意味おかしな疑問なんですよ。
だって他の動物だって生きてる理由なんてなくて、とにかく生きてるんだから。だからその死は絶えないんだから。
理由なんかなきゃ生きていけないんだったらこの死は特に絶えたらいいし、それが理由だろうね。
人間は、これね、自分で命を絶っていない、現像している人間に限ってのことだけども、
とはいえほとんどがそうですからね。この人たちはどういうことかというと、全員共通してて、日々考えることあると思うんですよ。
人生についてとか、生きるのやだなとか。でも絶対そんな生きる理由なんて見つかるわけがないですからね。
見つかったとしてもただオカルトだし、天から降ってきてもただのオカルトだし。
でも全員に共通してると思うのは、人類であれば全員に共通してると思うんですけど。
そうやって人間は考えて、何かしらの人生に意味を持って、生き甲斐だったりも持って生きてると思ってるけど、
それが理由で生きてるわけじゃないわけですね。しっかり考えがあるから生きてるわけじゃなくて、逆にないから生きれないわけでもなくて。
生存本能と習慣
そもそも人間って生存本能があったり、他の動物も同じなんですね。それが理由なんですよ。
人生に意味があるから生きてるわけじゃなくて、なんだかんだ本能が根本なんですよ。
死を恐れて生き延びたいっていう、生きるっていう方の性欲ですね。だから生きるっていう感じの。
あとホメオスタシス。でまぁ向上性って意味だけど、なるべく変化せずに保とうとしてる。
そういうことがDNAに刻まれてるわけですね。
あとは習慣ですよ。人間って習慣の生き物ですから。
昨日生きてるから今日生きてるんですよ。
だから昨日、今日も明日も、よし明日頑張って生きるぞってなんないでしょ。
今日頑張ってきたから、明日生きるぞって言うけどね。
明日生きるぞって言うけどね。
明日も頑張るぞって言われるかもしれないけど、明日生きるぞってなんないじゃないですか。
そこに理由なんてないですよ。だからそういう人間は習慣の生き物だっていうことなんですよ。
いろいろ日々考えたとしても人生について。
なんだかんだ生きてるのが人間なんですね。
それではしたっけ。