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2025-11-15 16:20

第5128回 哲学雑談回意識は関係性の中にある&未来が現在をつくる&スピリチュアルにいってしまう人

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このポッドキャストでは、意識の本質や人間関係について、宗教やスピリチュアルな現象に対する興味の違いが探求されています。未来が現在に与える影響の視点から存在についても考察されます。このエピソードでは、意識が人間の関係性の中でどのように生まれるかがテーマになり、物事の実体についての考察が行われます。また、人間が自らの存在を認識する過程や、発達障害に関する新たな理解が共有されます。

宗教と人間の興味
では今回は、哲学雑談会になっていますが、まず一つ目の話ですね。
倉賀県は宗教二世なんで、宗教に入ってきた時期もあれば、
辞めたにも変わらず、やはり人間に興味があって、
色々調べた時期もあって、その体験を元にまず話していきたいんですけど、
人間に興味を持つ人って、いってすみますけど、
色んなパターンがあると思っててね、まず一つ目のパターンとしては、
まず答えを求める人たち。
答えがあると信じてそれを求めてる人たち。
そして答えを求めない、求めてるわけではない人。
やはりと思ってて、まず答えを求める人たちっていうのは、
スピリチュアルとか精神世界にハマっていくんですね。
この二パターンで全然違っていて、
塾野先生もね、スピリチュアルにハマるんだけど、
もとはといえば人間について興味がある。
それはこの二パターンといずれも同じことだと思うんですよ。
でも天下分け目なんですよね、答えを求めるかどうかっていうのは。
どんどんおかしな方向に走っていくわけですよ。
特に何か答えを求めてるわけではないという人の場合ですね、
どうなるかっていうと、
単に好奇心を持って、
クラキがこれに当たるんだけど、
もう数年前、
じゃあクラキの過去の話しますか。
以前は宗教に入ってた頃は人間に興味がなくて、
そんな人間について勉強することはなかったんですよ。
で、これこの後話そうと思ってたんだけど、
その答えを求めるっていうのか、
それを道具にする人達で人間について調べて、
こういう人達っていうのは自己啓発本とか、
あと心理学にハマるんですね。
あとビジネス書とか。
で、答えを求める人。
じゃなくて、クラキの話でしたね。
で、ある時から、
純粋に興味を持って、
哲学的なことを勉強することになって。
だから以前と同じ、
農機能学者の話を聞いてる時なんかも以前は、
こう、哲学として聞いて、
今はですね、単なる好奇心で聞いてるんですよ。
これは全く違うことですね。
で、さっき言ったように、
何か人間っていうものの、
いくら掘り下げてもそんなものないんだけど、
本質は何でできてるかとか、
いう人は宗教にのめり込んだり、
スピリチュアルのおかしな本にハマったり、
そういう精神世界の本を読んで、
前世がカエルだとか、
塾の先生みたいな変なこと言う人が、
現れるわけですよ。
人間に興味があっても、
ブッダの話とかニイチェの話とか聞いたら、
まあ、虚無感に恐れることもあるけど、
それでも、
スピリチュアルなんかハマらないで、
冷めた考え方ではあるけど、
現実を受け入れると、
最初はつらいけど、
変な精神世界の本にハマったりすると、
いつまで取っても彷徨い続けることになると思いますね。
あと、クラゲみたいに装物になってしまったり、
変な興味の感があるので、
これが本物だと思って、
でも違うというのは、
それを繰り返しますから。
哲学的議論の重要性
では次の話ですが、
これと類似している話なんですけど、
哲学的な議論をするとですね、
もう何百年も研究されていることだから、
そして頭のいい哲学者が考えてもわからないことだから、
考えても答えは出ないって考える派と、
答えを追い求めてあると信じてしまっている人、
これね、いずれも間違っていると思うんですよ。
偏りがあると思っているんですね、どっちも。
いずれかが正解だような気がするけど、
どっちも間違っていると思っていて、
結果的にこの両者がいるから、
バランスよく議論できているような状態な気がするんですよね。
だけどどっちも間違っていると思うんですよ。
いくら答え探したって見つかるものでもないし、
かといってこのほど考えても、
哲学者以上に進展するようなことはないっていう、
考えはそれぞれで間違っているし、
かといって、いくら議論したって答えが出るわけではないんですけどね。
では次の話なんですが、
看護師さんとかが、
まだ意識はあるので話しかけてみてくださいとかよく聞くじゃないですか。
死ぬ前の人に話しかけてみてくださいとか。
はっきり言って医学的に、
こんな意識があるなんて根拠一切ないわけですよ。
おかしな話だと思いませんかね。
意識ってことは哲学的なテーマによくされるけど、
要はそういう状態の人はもう意識はない状態ですよ。
だから睡眠状態みたいなこと。
で話が聞こえるって、オカルトでしかないですよね。
それでも意識はある意味であるのかっていう、
議論はいくらでもできるかもしれないけど、
そう思うのは逆にもうそれで意識があるという、
はっきりした研究があるんだな。
じゃあもっとそれを啓蒙してほしいですよね。
そういうことがあるんだって、これ大発見ですよ。
では次の話ですが、
陸上競技の投擲を見ていると、
投げた後に
大声出すのってあれは、
意図してそうしてるわけじゃないんですね。
自然とそうなってしまうんだけど。
でもですよ、これ経験あると思うんですけど、
似たようなことね。
これでもう本気で声を出すような心構えでやると、
いつも以上の投擲ができる。
これってどういうことかというと、だって投げた後のこと、
関係ないはずじゃないですか。
これどういうことかというと、
うちらは自然と、
現在が未来に影響を与えると思ってるけど、
実は未来が過去に影響を与えてるんじゃないかと思ったんですね。
だから、
1年後こうするんだっていう風な、
未来の予想があると、
しかもそれをリアリティに感じると、
今言った投擲と同じように現在の行動も変わる。
これは当たり前だし、
そういうことを言う人っていると思うけど、
今の投擲からするとどうですかね。
かなり本能的なレベルで、
現在の感覚って変わりますよね。
時間の流れがもし未来から過去に流れてると考えるとすると、
やはり未来が過去に影響を与えるとも言えるし、
時間の流れの感覚にまで、
考えが及ぶことになるんですね。
存在と関係性の探求
では次の話。
さっきからずっと考えてたんですけど、
存在ってのは、
東洋哲学的に言うと、
というかブッダの書法文化からするとですね、
存在ってものは実際に実体がなくて、
関係性の結び目に存在ってのがあって、
だから実体がないってことなんですけど、
例えば、
脳の神経細胞同士が、
シナプスを介して電気信号を送り合ってますけど、
この電気信号自体が、
存在にあたるのかというと、
存在してるのかというと、
やはりこれもただの現象でしかないわけですよね。
どういうことかというと、
存在なんてものはなくて、
実際は実体はなくて、
でも人間の頭では考えると、
じゃあ関係性に実体があるように感じてしまうってことですよね。
あるいは細胞自体には特に意味がなくて、
細胞と細胞の関係性って言われても分かりにくいですよね。
じゃあそこに何かあるのかないのかもよく分かんないし、
ただ人間の脳ってそれを、
意識と関係性の探求
何でもいいですよ、人間との関わり方、関係性でもいいし、
他のものとの関係性でもいいし、
国と国との関係性でもいいし、
これは人と何か他のものとの関係性でいくと、
そこに意識が生まれるとクラキは思ってるんですけど、
この関係性に何か実体を埋めてしまうけど、
この関係性自体は人間が作り出した概念みたいなもんで、
現象、いかにも、
前例えた車ですよね、
これが現象だと言ってしまうのはあれだけど、
部品を組み立てた状態を車と言っているだけで、実体はないんだと。
だからこれなんかもただの概念でしかないという話を以前しましたけど、
この現象自体にどうしてもこれが存在するように思ってしまうんですよね。
本質が何かあるのではないかと思ってしまうわけです。
だから自分というものがあると思ってしまう、もう同じことで。
でもさっき言った細胞と細胞の間の関係性なんてあるわけがないし、そんなもの。
やっぱりそれも一つの概念というか、人間の想像でしかないわけですよね。
言葉に勝手に取ってつけたようにいろんな定義がね、
作られて言葉の意味が変わるのと同じで。
最近話したぬいぐるみと人間の間にさえ意識なんか生まれるけど、
でもそれは意識があるとその関係性にそう思っているだけで、
でもそう思ってしまうんですよ。
ぬいぐるみに意識があると思っている人は、
その瞬間、その二人の関係性の中に意識が生まれるわけですね。
他の人からしてみたらそんなわけないといくら言おうが、そこには意識が生まれているわけですよ。
細胞と細胞の間も同じですけど。
そうなるとやっぱり人間の頭で考えている、想像していることにしか過ぎないんですよ。
ということはこの世界にあるもの全て、仏陀は幻想と言ったけど、それも無理のないことというかね、
存在はしてはいるんですよ。存在していないことということじゃなくて。
でも今の話からすると、単なる認識論の話になってしまうかな。
そういうつもりでは話していないんですけど。
同じように森と人間との関係性。
簡単に言うと猿と森との関係性なんてないですよ。
でも人間が森ってことに意味を見出すから、そこに関係性で人間は森と名付け、理解しているわけです。
同じように木もそうですよ。同じように原子もそうですよね。
人間と原子との関係性で原子という分に至っているわけで、
物理学なんてものは存在しなければ原子に意味なんて持たせることはないわけですからね。
そんなものは当然、存在していないものは当然という意味では、
相当この世界は人間の頭が作り上げている。
思っている以上に世界内の気がしてならないですね。
自我と発達障害の理解
最後の話なんですけど、自分が自分をたらしめているものって何なのかというとやっぱり関係性なんですよ。
この体のどこにも自分なんてものはないわけだし、だから何でもいいんですよ。
誰かと話していて、コミュニケーションをとっていて、でもいいし、
例えば兄弟の関係性、兄と弟。
この兄さんからしてみたら、自分は弟っていうそういう関係性であり、
その関係性の中に自分たらしめているものがある。
これも自分が存在するわけではないけど、錯覚ではあるけど自分があると思える。
でも理解しにくいですよね。
ここにあると思ったのが自分がない、でもその関係性の中にある。
理解し難いですよね。
でも自分ってものを意識している、自意識があるのであれば、
どこかに自分ってものを見出しているのもわかりますよね。
例えば東京に住んでいるという、その東京と自分との関係性。
これは自分はこういう東京に住んでいる人間なんだ、どこから出身の人間なんだっていう。
そこに自分があるわけですよね。
そういったものが無数にある集合体が自分なわけですよ。
でも自分でもそうやって把握しているわけですね。
あと意識っていうのは記憶の集合体だとか言われるけど、同じことですよね。
記憶しないと自分がどこ出身とか、今誰と話しているとかっていう意識がまた生まれないわけですから。
というのが本当に最後の話で。
発達障害について最近勉強しているんですけどね。
これが面白い障害で、自我についてだいぶ人と違うみたいで、
その違いがあるからこういう問題があると考えると、
だからしたら煩悩っていうのはこういうことではないのかと推論できたりするんですよ。
結構発達障害という概念でやってからね。
人間ってものについて非常に勉強になりましたね。
というところで、それでは明日。
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