ブッダの教えと空
今回は哲学たち談会になっております。
また諸法無我の話になってしまうんですが
ブッダは自分なんてのはいないっていうことを言うわけですけど
じゃあ存在はしてないのかと疑問に思う人もいると思うんで、それについてお話したいんですが
ブッダはこの世界の存在するものすべて空だと言うんですね。だから自分もそうだし
目の前にあるものもそうだし、他の人もそうだし、すべては空だという推しなんですね、諸法無我というのは。
空ってすごいわかりにくい観念だと思うかもしれないですけど、とりあえず大丈夫だと思うんで
聞いてほしいんですけど、まずこれを考えてほしいというか話さなきゃいけないんですけど
人間と猿とシマウマとか犬とかに共通することは何ですかね。それは動物ってことである。
動物ってこと。言い換えると抽象的に捉えると
動物という概念になるんですが。動物と植物の共通点は何かというと、生物であること。
っていう風に抽象化していくと、物になりますね。動物も物である。
もっと抽象的に考えると、有と無の有、存在するってことですね。
空ってのはどういう概念かというと、この有と無を包括した概念なんですね。もっと抽象的に捉えると
最上位には空が来るという。この
空という概念は一体何なのか。
それほど考えなくていいんですよ。とにかく
空だって、何だかんだそれも
概念と言えば概念だし、完全にと言い表せないけどでも、仏陀は
全てのものは
実体がなくて、この空であるということを言ったわけですが
フラッキーがいつも言っている
自分は
宇宙の一部。わかりやすくて。
でも実際は宇宙の一部
っていうのは形があると思っているから。でもこの形を人間が認識しているだけで
宇宙そのものというか、他のものと境があるっていうことではないんですね。
手があって足があって目があって、この一つの答えを一人と呼んで名前をつけて
で、他とは違うもの
社会のあるもの。そこに単体の何かがあると認識しているだけであって、宇宙そのものでしかない
っていうふうに今まで説明してきましたが
フラッキーもよくわかってなくてね、この空ということについて
でも昨日考えてみて、面白い発見があったので今回話しているんですけど
さっき言ったように有と無を包括するのが空である
もう一つ抽象的に高める必要があるんですよね。空、ブッダが言う
この世界のあり方を理解するには
存在の概念について
フラッキーは宇宙という言い方をしていたんだけど、わかりやすいように。宇宙でさえ概念にしかないんですよ
だから、このフラッキーも
有か無かで言ったら有なんだけど、この有とか無とかいうのもただ人間が作った概念であるだけ
だから言ってしまえば、人間であるということは正しいんだけど
人間か猫か犬か、なんてのはただ人間がそうやって名前をつけて呼んでるだけであって
物でしかないってことをブッダは言うわけですけど
ただ物って捉えるのもまだあれで
もっと抽象的に捉えると有である
そして
有と無を包括した空であると捉えるべきだった
他は全部人間が作った概念でしかない。この宇宙というのもね
人間が作った、それをわかりやすいように
宇宙と捉えて、存在すると捉えて
科学的に人間が捉えてるだけだから
これについて考えると、本当に科学ってのはやっぱり
人間の頭でただこの世界を認識しやすいように捉えてるだけなんだなと思うんですよ
実際、物理法則って人間に都合のいいように作られてるようなもの
そういう捉え方もできますね
でも人間の都合よくこの世界が作られるわけがないじゃないですか
じゃあこれね、自分も宇宙の一部なんだと捉えてたら
まだわかりやすかったんだけど
実はそれでもブッダが言う考えには及ばなくて
有、存在する、そして無、存在しない
どっちかと聞かれたら有なんだけど
空であるということはですよ
動物であるか植物であるかなんてのはどうでもなくて
人間というのは宇宙である、そして空であるということを言ってるのと同じで
存在するかしないかなんてのは
人間の頭で考えてるだけだから
ただのある概念でしかない
存在する、存在しないということも概念でしかない
ということですよね
これ非常に頭で理解するのは難しいんですけど
人間的な感覚で理解するのは
まだ宇宙だと言われるのは理解できると思うんですよ
宇宙の一部だと言われるのは
存在すると存在しないの
共通したものが空である
そして人間も空である
理解しがたいんですよね
科学っていうのは
存在するものだけをというか
それはそうなんだけど、研究してきた学問であるし
あとはですね、目に見える目に見えないの
という話ではないんですけど、存在するかしないか
でも人間はどう考えたところに存在してるだろう
と思うけども
これでさえ単なる人間の脳の捉え方でしかないということですね
だから仏陀の諸法無我を聞いて
ここに人間は、自分はいない、実体なんてない
としてもこの体は存在するじゃないか
と思うかもしれないけども
存在してる、してないなんていうことすら
バカバカしい話で
バカバカしいとは言ってないかもしれないけど
人間の頭がそうやって捉えてるだけ
例えば森なんかもそうですよね
これ、木が集まったものを森と単なる人間が呼んでるだけ
だから猿からしてみたら森なんていう概念ないわけですよね、もちろん
自分がここに生きてるっていう実感しかないわけですよ
それと同じように存在っていう概念も人間が作ってるだけ
分かりやすいように存在するしないと言ってるだけ
仏陀から言わせてみたら
人間は動物か植物か聞かれたら
動物だと答えるように存在はするんだけども
でもそれも人間の作り出した概念でしかなくて
かといって存在しないわけでもないとはややこしいんだけど
空であるということを言うわけです
そういうことだと思うんですよ
ここまで話したクラキの理論なんですけど
あとはもう解釈、2500年前のことですから
あとはもう人それぞれの解釈によるんですけど
大乗仏教か小乗仏教かで
空を縁起と呼んだり空と呼んだりっていうのも違いますし
ただ空をそうやって存在するもの存在しないもの
もっと抽象的な概念と考えるなら
仏陀が言いたかったことは
存在するなんてのも単なる概念でしかないですよと
人間も空なんですよと
周りにあるものは空なんですよと
いうことなんですね
それではしたっけ