ブッダの教えの紹介
では今回、哲学雑談会になっております。
では早速ですが、まず諸法無我のことなんですが、まあ世間の人の多くはこれ
諸法無我で実態なんてないっていうことなんですけど
単純に考えればそうかもしれないけど、原始はあるわけだし
ということなんですけど
ブッダが言いたいのはその物質があるないの話じゃなくて
人間はそこに 常に変化のないもの
があるように思ってるけど、これ諸法無情でということですよね。 それも伝えてますが実際は
常に全てのものは変化している。 これはもう物理学も進んで今それをはっきりしていることですね。
全てのものは常に留点しているわけですよ。 留まるものはないわけですね。のであれば
簡単に言うとですね、一瞬前にあるものとそこにあるもの
姿形 同じように見えるけれども
実際は違うんだと。ということは 実態なんかないんだと
いうことだし
まあいろいろ言うことはできるけど まあ形
を認識できるのはそれにノートにはノートっていう名前を与えて
そういった概念を作ってこれはノートだと 認識してるだけで他の猿からしてみたら
別に そこにその形作られた何かがあると
ノートっていうものがあるとは認識できないわけですよ だからまあ言ってみれば宇宙の一部というか
一部という考え方は違うんだけど宇宙でしかないということですよね ノートっていう
なんか外と切り離された単体の何かが存在しない っていうことを言いたいわけですよね
まあそこでですねだからこの世界は単なるシミュレーションだとか仮想世界だ っていう言い方ごとに言いたいわけじゃないですよ、ぶったんはこの世界は
心と自我の幻想
幻想だという言い方もしてるけども それとはまた違うんですよね
このここに その話の前に
さっき原始のことを言わされたけど さっきのどういうことかというと
人間だって
人間よりも車の方が分かりやすいかもしれないけど タイヤとかいろんな部品
が集まった状態を 車とただ人間が名付けてるだけ
部品を壊してしまえば 何とも車とは言わないわけだし
だからその現象自体車っていうものが 世に見えるその現象自体を車と言ってるだけであって
人間がそう呼んでるだけであってそこに なんだそこに実体なんかない
じゃあタイヤにはタイヤに タイヤにも
でも もっと細分化すれば
やっていけば最終的に分子原子ってなるんだけど じゃあそれが本質かというと原子でさえ分けることができると
今の物理学でも分かってるしぶったんも分かってたことですねそれは
でまあぶったが言うには心 なんてものだから単なる現象なんだと
それはそうなりますよね人間なんて 自分なんてのは
自我はあっても自分なんてものは存在しない ということは欲だって
こういう苦しみだって 感情があるということはなくならない
って思う人がまあ多いみたいだけど 心も今言ったように
どう考えても自分が苦しんでるから あるだろうっていうのはまあ単なる英語でしかないということですね
いくら人間がそういう 心があるように思っても
心は単なる現象でしかなくて 心なんてのは言い換えれば単なる概念でしかないということですね
まあもちろんですねここまで大丈夫一挙とか
そこから派生するものとかいろんな仏教で いろんな説があるからねこの
苦しみなんてものは実態がないというのもいろんな解釈の仕方あるんだけども
諦めるっていうことの概念もそうだし
言葉を返してぶったの言うことを理解しようとする以上 どうしても矛盾が生じてしまうっていうのがこれもう人間の
もうさがでしかないとはないんですけどとはいえ じゃあぶったの言ってることが
全く意味をなさないかというと ぶったって不思議なんですねそういうわけではないと思うんですよね
哲学と輪廻転生の考察
で まあちょっと今今今ですよ今
クラキなりに思っているのは もちろん生物である以上
失敗をしたらそれを不快に感じたり 危険を
察知するためにある程度恐怖心は必要だけど
変に未来を思い患ったり 変な妄想を抱いたり
っていうのはそれはもちろんなんだけど 人間で必要以上に
苦しんでるって言い方をすると
別にクラキは苦しみ なんてそんな減るもんでもないと思ってるし
一応ぶったの言ってることは苦しみを 減らすっていうことになっているのかもしれないけど
まあいいやこの話は置いといて 話戻りますけど
まあ西洋哲学でいうとこの
知覚の知覚ってことですよね
他の動物っていうのは もちろん
通覚もあれば 楽しいって感覚もあるけども
人間は必要以上に考えてしまってる
今自分は苦しい思いをしているってことに対する恐怖心を抱いてしまう その必要はないぞってことを解こうとしているんだと思うんですよね
それっておかしいことだぞと ただもちろん俗世間で生きるにあたり
他の動物と同じように生きれないんだけど まあ時にはそういう
それが物事の本質ですよと本質っていうか 実際はそうなんですよと
うちらを見ているのは幻想であって 心なんかがそもそもないんだから
その心の中で今こういう思いがなってるって言って苦しんでるけど そもそも心なんかないから
そんなの幻想でしかないのにそれで ひたすら思い悩むのって馬鹿らしいことですよってことを
ブッダは言ってると思うんですよ あとですねこれ以前どうしてこういう考えになったのか
演じてあったのか覚えてないんですけど いやもちろんブッダが言ってることは正しいと思うんだけどただですね
やっぱり人間ですからやっぱりね あれだけもう
欲を完全に
王子様時代に満たされ満たすことができたからこそ
まあやって
実体なんかないんだとか欲なんか
捨てないと苦しみがなくならないとかいう考えに至ったのかな それで言うと
やっぱり人間ですからなんだかんだ言って 自分でやっぱり人間って感情で生きる生き物だと思ってますからだから
来世があるとこれクラキの経験上でもそうなんですよ 自分自身やっぱり来世があると思っているのは
うちの親なんかも言ってもそうだけど やっぱり根性で
もうどうやったってもうこの運命は変えれないって悔しい思いだって だから死後の世界あるいは来世では幸せになりたい
って思いの人はこれ統計取ったら多分ねほとんどの人そうだと思いますよ 根性
まあこれはちょっとまあ確かに言い過ぎかもしれないけど そういったね
今のがどうかを置いといて 結局自分の都合のいいね
方を選んでるだけだと思いますね こんで充実してる人はそんな来世なんか考えないだろうし
だからその時その時で
輪廻転生はあった方がいいって言う人も時々思う時もあれば そんなこと困ると思う時もあるだろうし
クラキは学生時代はね 輪廻転生はないなんて悪いないと思ってたし 今は
絶対ないと思ってるし まあこれはクラキに関しても変わることはないだろうけど
じゃあブッダの言ってることが 意味がないとかそういうことではないんですけどね
ブッダが神様 みたいに思ってるとそれは
違っているわけですね まあでも人によってはね
結局はあれだけ欲まみれな お爺で生きたからこそ
ああいうこと言えるだけで ブッダの言ってることなんてどうたらこうたらっていうような考えになってしまうことも
あり得ると思うんですそれは違うと思いますね 次の話なんですがあの哲学
あの 21世の考え方が日本には地には合ってるとかって理解できないんですよね
哲学って真相心理なんかないと思ってるけどまぁでも だいたいそんなこと正しいということは何かっていう探す学問ですが
どれが正解に近いというわけでもないですし
だからってことぐらいはわかってると思うんですよ誰でも だとすれば
どれがふさわしいか 現代の日本人がふさわしいかとかっていう発想自体がおかしいと思うんですよね
最後に21世の 英語科技の話をして終わろうと思うんですが
これは哲学学者でもね まあ哲学21世の言うことは正しいと言ってて
それなりに正しいと言ってても それなりっていうか
21世を信じていても
っていう英語でいいのかななんて言えばいいんだろう でも
英語科技はさすがに無理があるだろうっていう哲学者多いですし ただですね
英語科技 本当に
宇宙がなくなったらまた またできてってそれを繰り返している
本気でそれを持って議論している人たちもいる 結構相当な人数いるのかな
この一般社会ではどうなんでしょうね
そのように思うんですけど クラゲはね
いやクラゲも全く持って これは試行実験しかないと思うんですよ
実際そんなふうに思ってないだろうし これにはそれ自体に意味がなくて
もし考えられる
ものすごい最悪な宿命 その状態に
同じことをテープを何回も見るように 同じ人生を何回も繰り返さなきゃいけないって
そうなったとしても それを受け入れられますかっていう
ことを説明するための試行実験でしか ないはずなんだけど
仏教の輪廻転生との繋がりとか 本当に真剣にそれを考えている人って
いるのがちょっと不思議ですね それでは明日っけ