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第5829回 もう新しい物語はいらない
2026-06-14 1:00:06

第5829回 もう新しい物語はいらない

哲学者は虚無と戦う。私は虚無を背景に、ただ壊れずに稼働し続ける。

宗教という「意味の嘘」に気づいたあと、多くの人は「自分独自の物語」という別の支えを作り、虚無と戦うドラマを始める。私はそのどれも選ばなかった。自分を騙すことも、虚無に酔うことも、他人の思想に従うことも、徹底的に避けた。18年の隔離。自壊を防ぐために選んだ唯一の工夫は、1ミリの狂いもない「手順」だけで身体を縛ることだ。「自分は他とは違う」というこのスタンスすら、崩壊を防ぐために脳がひねり出した「最後の物語(嘘)」かもしれない。

私はそのことにも冷めきっている。これは救われるための思想ではなく、ただ今日一日を壊さないための、偽薬(プラセボ)としての規律だ。

意味はない。それでも、手順だけが稼働を続けさせる。

だからこそ頭の理屈ではなく、剥き出しの現実だけが残る。英語の微細な音の変化、日常の違和感、矛盾だらけの人間という生き物の姿。意味の棚を完全に失くしたからこそ、世界のテクスチャ(感触)が鮮烈に見えてくる。意味を求めて戦う話でも、意味のなさを受け入れる話でもない。

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https://listen.style/p/ponsudati?hABcy07H

なぜ崩れずに動き続けられるのか、その仕組みだけを淡々と残す、低温の観察ログ。

感想

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サマリー

このポッドキャストでは、話者は人生における「意味」や「物語」の不在、そしてそれらにどう向き合うかについて深く考察しています。哲学的な虚無感と戦うのではなく、それを背景に淡々と稼働し続ける自身の在り方について語ります。宗教的な「意味の嘘」に気づいた後、多くの人が「自分独自の物語」を支えにしますが、話者はそれを避け、自己を欺くことや虚無に酔うことを徹底的に拒否してきました。18年間の隔離生活の中で、自壊を防ぐために選んだのは、寸分の狂いもない「手順」による自己規律でした。このスタンスすら、崩壊を防ぐための「最後の物語(嘘)」かもしれないと冷めた視点で見つめています。 音楽の歌詞や自己啓発、アメリカ人のポジティブさ、日本人の食文化へのこだわりなど、様々な事象を通して、話者は「意味」を求めない、剥き出しの現実、世界のテクスチャ(感触)の鮮烈さについて語ります。感情の動きや自己認識の曖昧さ、そして「虚無」とどう向き合うかについて、自身の経験に基づいた独自の視点を提供しています。最終的には、意味を失っても、あるいは意味がないことを受け入れても、淡々と稼働し続けること、そしてそのための「規律」や「覚悟」の重要性を説いています。

歌詞への興味と「虚無」の探求
時は静かに 流れ続けていた
その途中で スマホの充電が97%で止まっていた
それは 記録されることもないはずの小さな揺らぎだった
けれど、この番組はそういう揺らぎだけを
はい、ということで
現在ここですが、きわたことを話していきたいとおもいます。 最近お話してますが
音楽の歌詞を見て そして聴いて
何か感化されたり感動したりしたことって 一回もなくて、あと影響を受けたとか、これに救われたとか
いうことはないんですけど ただですね最近
ある歌詞の歌詞が面白いなぁと思って でですね
それに影響を受けたわけではないんだけど 何か
自分にすずるところがあるような歌詞 他にないかなぁと思って
だからつまり、まあ割とニヒルな感じの曲を探してたんですけど
あーまず驚いたのが日本では そういう歌詞がないんですよ。いや不思議なもので
確かに以前から 掲示板みたいなサイトで海外のがすごいあるんですけど
まあ日本人って哲学 嫌いなんですかね
確かにまあ国によってそこらへんの
感覚って違うみたいで で海外の曲探してたんですけど
でもですよ そもそも自分は歌詞に興味ないし
曲聴いてる時に歌詞が頭に入ってこないんですよ まあでも海外のものでもやっぱり何か
自分に通ずるようなものはないですね 基本的にニヒルな曲っていうと
他に絶望的な曲とか やっぱりニヒルっていうことイコール
世の中では絶望とか 未練とかそういうことなんでしょうね
いや本当は違うと思うんですけど
虚無って意味が成り立たない構造だと思ってるんですね
あと虚無だと感情も発生しないから
なおかつ価値判断もないから 投げやりになったり自暴自棄とかにならないんですよ
しかも気づいたら
虚無ってものはなってるようなものなんですね
気づいたら侵食されてるって言い方したらなんか嫌なイメージだけどそういうことなんですよ
でですね 確かにニヒルな感じの曲はあるんだけどどっかでやっぱり救いがあったりして
もちろんある程度は売れることを考えたら あまりにも乾ききってたらいけないのかもしれないけど
でもそれだけじゃないと思うんですよ やっぱりその人の表現をしてるわけだから
やっぱりどっかで救いを求めてしまうんですよね だから共感できないんですよね
どっかに光があるんですよ
自分にとって虚無ってそもそも闇でもないし
光を求めた時点でそれって虚無じゃないし
別に逃げ出す必要のあるものでもないし
いなきゃいけない場所だし自分にとっては
だからやっぱり共感できないんですね
前見つけたそのアーティストもやっぱりダメでしたね
かえってなんか歯がゆい気分になるんですよ
あとはそういった曲に救いを求めてる時点で
自分の姿勢としては間違ってるんで やっぱり探すべきじゃなかったですね
でも自分と同じような仲間を見つけたいんで
どっかにそういう曲転がってないかなとは思ったんですけど
多分見つかんないですね
多分砂漠の中で何か探すような
そういう作業になるかもしれないです
ただこの前話しましたね
自分がもし救いになる曲がもし仮にあるとしたらないんだけど
あるとしたらもう本当に
こんなの嘘800だろっていう話
もう明るい ただただ明るくて
もう眩しすぎるくらいの曲
なんかもうそれだともう
逆に超越してって逆にそっちの方がいいかもしれないです
中途半端なより
でもそんな曲生まれる可能性はないと思うけど
あとはどんどこまで落とされる曲とかでしょうね
ただダークな曲になったらいいとかじゃないんですよね
難しいと思いますそれ
単にダークになっちゃったり
単に難しいアートな曲になっちゃうだろうから
難しいと思いますそういうのは
ただモーツァルトのレクイム聴いた時は
いい意味で震え上がりましたね
自分が救いになった曲じゃないんだけど
仮に過去の音で挙げるとしたら
やっぱり規制概念に囚われない曲
ダダッと感じてる曲
ダダッと感じた曲ですね
そんなものはあんまりないんですけど
大抵はですね
上っ面だけなんか他の人と違うことしておけばいいっていうような曲に感じてしまうんで
あまりそういう曲には出会わないんですよねでも
単になんか普通と違うことをしておけばいいだろうっていう
アヴァンゲルトの曲
逆になんか冷めてしまうし
ちょっと今思い出したこと話したいんですが
今すぐ思いつくシチュエーションとしては
先輩とか上司が
後輩とかに
あと大人が若い人に
人生こうなんだからこうだよみたいなアドバイスしたり
諭してる場面って
まずそういう場合
一つ言えるのが
まず必ず相手を否定したいっていう思い
否定したいって思いは
意識的にはないにしろ
どっか相手の何か引っかかる部分があって
なぜかそこがフックになってアドバイスっていう動機になるんですけど
多分そうなんですよ
あとですね人に何かその
上司とかが人生を悟すような時って
自己肯定するためなんですよ
多分
どっかに自分のやり方人に理解されないって思いがあって
でも正しいと思いたい
っていうのが原動力になって
人生ってのはこうなんだからなっていうふうに
諭したいんですよ
それ以外にそうやって
人に何かアドバイスする場合って
人生こうだぞみたいにアドバイスする場合って
それぐらいしか
思いつかないんですよね原動力として
何か言ってるそうやってアドバイスしてる
雰囲気からしても今まで見てきたもの
そういったことだとしか思えないんですよね
ちょっとまた話ずれるんですけど
ポジティブシンキングって
逆になんかもううさんくさすぎて
何とも思わないんですけど
ただですねよくよく考えてみると
ほんとふざけている人たちだなとはそういうことを言う
自己啓発系の人はですね
ポジティブシンキングが大事だと
言うのはちょっと
言ってる分にはいいけど
それ本当に信じてしまう
人もいるわけですよみんなが
偏差値50じゃないですからね
偏差値40だって30だって世の中いますから
そういうのをまんまと信じてしまう人はいるわけですよ
あんまり良くないんじゃないかなと思うんですけど
ただですねアメリカ人みたいなもん
毎日最高最高って言ってるようなのって
実際そうやって言ってるんですよアメリカ人って
それはね逆に
魅力的に感じるんですよね不思議と
企画外だからなのかうちらの範疇を超えてるからなのか
ちょっと例えがいいか悪いか分かんないけど
日本人の
日本人って食についてすごい
世界の中で興味ある国だと思うんですけど
その分ですねなんかこじれてるとこもあるんですよ
例えば炊飯器10年前と今とじゃ
なんら変わんないと思うんですよ
なんかどうでもいい
昨日つけてるって言ったら失礼だけど
ほんとこじらせてるんですよ
何の才も
わからないようなことを極めて
料理人とか生産者とかやってるんだろうけど
それに比べてアメリカ人って
カップラーメンにケチャップ入れちゃったり
する人たちなんですよ
そっちのはなんか変にこじれてなくて
その乾ききった感じが好きなんですね
日本人自分はあんまり受け付けないっていうか
要はポジティブシンキングも
以前はですね
まず
少年に出会ったとき何が違和感あったかっていうと
例えばですよ
何か知らないことがあったときに
もっと何か知らないことがあったときに
そういうのを思い出したり
そこで何かことを知りたかったり
そういうののことを思い出したり
全然違和感あったりとか
そういうのを思い出したりとか
ことでプラスであったりとか頭の中でいちいちその一つ一つの事象に対して そんなこといちいち考えているよりも
あー問題が起きました改善しようでいいんじゃないかなと思うんですよね でまた今回ちょっと話
止むんですけどこれまた一つ 結構話すのを忘れていることがあって
えっとですね
自分は虚無感に飲み込まれないようにいろいろしてきましたが
以前はですね何か生活してて小さな失敗ですけどしたらですね
多少うまくいってたとしても 虚無感に飲み込まれるのに失敗してしまうとですね本当に虚無感に飲み込まれそうになるんですよ
歯車がもう回らなくなっているような状態なんですよ でそこで虚無感に飲み込まれないように何かしてきたかというと
反省もしないし もちろんポジティブに考えないしこんなことでくじけないっていうふうにも考えないし
でいちいち落ち込まないし何をしてきたかっていうと ただ単純に
軌道修正をする それとか今なんでこういう失敗があったのか
反省とは違うんですけど単純に 二次災害が起きないことだけに注力する
ってことに全神経を集中させるんですよ そうしてる間にまた次のルーティングが始まる
だから 考えてる間に隙はないわけですよ
そうすると虚無感に飲み込まれることはなかったんですね
でどこまで話したっけなぁ 次の話ですがこれも小さなことなんですよ小さなことなんですけど
隣の部屋結局開けてしたらですね
で今まだ 今もう6月なんですがフリースカーディガン着てますって
なんだけど隣の部屋開けて 例えば去年もそうだったんですよ
まだ6月だからそんな暑くないんですねやっぱり
でも自分としては暑いのに慣れたほうがいいわけですよ いやー悔しいなぁと思ってでも天気予報を見て
ちゃんと検査はしてるんですけど
でも物事ってそううまくいかないことの方が多いですよね いろんな環境の変化があるわけですから
自分はそれを理解できないんですよ そこを意識しすぎるかしないかどちらにしかならないんですね
で今日も結局後悔してたし どうすればいいかまた戸惑ってたし
1階の窓も でもあまりそこにストレス
がかかるんであまりそこに意識を集中 しなさすぎしない方がいいんですよね
あとですね
乃木坂の子が結婚してで最近乃木坂の子と離婚した子がいて
で結婚式の写真に写ってたんですよ
いやどんな気持ちだろうと考えてたんですけど親はうちの親は
なんとも持ってないかあるいは次の男性見つけたいと思ってるかどっちかだっていうんですよ 自分はいずれでもないと思うんですよ
考えたらもうゾッとしてしまってですね これ自分の感覚かもしれないんですけど
全く同じこの幸せを最近味わってるわけですよ数ヶ月以内に でも結婚してもまだ半年かな
同じような場面を見てると 忘れようとしてたんだけど半年前こんな自分も多幸感に沈まれてたということに思い出す
でしかも あーでも
あー違うのかもう これは過去のものなんだ
その後 離婚してしまったんだということにも気づく
いや相当しんどいだろうなと思って つまり
距離的に遠くなってたのがすごく身近に感じてしまう 夢だと思うこれはもう夢だと思いたい過去のこと
そういう状況なんですよ 何でこんなことを容易にわかったかっていうと
いつも話してる女子高校生の時の女子 同じ部活だった女子ですね
夢の中に出てくるわけですよしたら 起きたときこれ夢なのかってなっちゃうんですね
夢見てる間は良かったけど起きて あーこれは夢だったなぁと気づいてしまう
現実は違うと気づいてしまう なんかそれに似てるだろうなぁと思ったんですよ
いろんなパターンありますよね
どうせ 1年も経てば
新婚だって1年も経てば幸せになるよっていうふうに思うかでもこの子はそんなふうに 思わないし
あとは 自分も新しい男性見つけてやると思うか
あとは 悔しくてしょうがないか
いやー悔しくてもその場を乗り切るしかないですよね いやーでも本当にただただ
祝ってあげてる まあそれだったら素晴らしいですけどね
あと野球の試合見てたらですねいつも思うんですよ
いやーホームラン打ったらめちゃくちゃみんな喜んでるけどライバルですよね みんなライバルなわけですよ同じチームとはいえ
他の人が活躍すれば自分が 攻殻してしまうかもしれないんですから
だからあんなやって喜んでる姿ってどういう心境なのかなーっていうのはですね 興味があるんですね
というか理解できないんですよ あーちなみに自分は野球やってた時にチームが負けてほしいと思ってたしあとチームが
うーん あー別に試合に出たいとは思わなかったんですよ
ってことは チームが活躍してくれていいんだけどでもそもそも勝ってほしいと思わないから
結局のはどっちでもいいって感じでしたね つまり無関心だったんですよ
もちろん早く負けてほしいと思ってたけど チームのメンバーが活躍することは全くなんとも思ってなかったですね
まあかといって失敗しようと思わないけど
あとですねビートルズのリハーサルの映像を見てて あれジョン・レノンとポルマ・アカデミーって
あれ仲悪かったんじゃないかなと思って すごい仲良さそうにしてるから まあだから
あーこの前話しましたね あの
熟練の夫婦って結局外から見ても仲良いのか悪いのかわかんないし 本人たちからしても仲良いのかどうかなんてわかんないっていうのと同じで
そう単純に
特に人間関係なんかもそうだし
あーこれもそうだ話すの忘れてました あの
やっぱり最近もですね自分の感情なんて わかるもんじゃないなと思って 自分は心理学者
完全に反抗してますから自分のことは自分で全てわかると思ってるし 一郎もちなみに同じように言ってます
ただですね 自分のことがわかんないっていう意味じゃなくてでも自分の感情って
わかんないんですよね かといってその心理学者が言うのは多分他人からしてみたらわかるって意味なんだろうけど
そういう話じゃなくて あの要はわかるわからないのレベルのことじゃなくてそもそも
なんだろう快感という感情といううちらが持ってるようなものじゃないと思いますね多分 快感とか不快感とかに分けられるものでもないし
まあでもいろんな宗教がその 特に仏教が
それを感情の動きを なぜか
感情の動き全てではないにしてもその部分的に都合よく 仏陀は違いますよ仏陀は違うんだけど
煩悩と呼び 仏陀はただ純粋にですね
自分を苦しめてるのを煩悩と言って
いるわけですよね 単にその感情にレッテル貼ってるって言う
ことじゃないと思うんですけどでも物によっては 都合よくですね
例えば怒りの感情は煩悩だと言ってそんなわけないじゃないですか でもそうやって
レッテルを貼ってるわけですよ もし怒りが煩悩なんだとしたら猿なんかしょっちゅうなんか攻撃したり威嚇したり
してるんですよね観察してると 煩悩だらけじゃないですか猿したら
人間がじゃあ
怒ってない人は単にそれを表出してないだけなんですよ隠してるだけなんですよ いやそれって煩悩じゃないのって話ですよね
まあいいやそれで今も考えることあるんですよ いろいろポッドキャスト撮ったり
逆に聞いたり 日本語会撮ったり英語会撮ったりいろいろしてるけど
やっぱりですね あとから振り返ってその
過去を振り返ってその時によってですねあの時は辛かったなっていうのが その時によって捉え方変わるんですよ
捉え方というか 今に比べたら全然辛くないなぁと思って
でもやっぱり今のが辛いなぁってなったり だから自分の感情なんて到底わかりっこないと思うんですね
その時もそうだしやってる時もそうだしその後から振り返ってみてもそうだし ポールマカトニンとジョン・レノンの本人たちは多分仲良いのか悪いのか
わかってないんですよきっと いろんな現れ方はするかもしれないけどあとですね
次の話ですが この前話したように
やっぱり 日本の曲って
なんだかんだ言って まあダサいなぁと思うんですよ
こともあるんですね全体的に 歌田ヒカルもそうやって言ってたし若い時ですけど
でもまぁそれ自体がなんか微笑ましいなぁと思ってきて
なんか日本人の可愛らしさだなぁと思うんですけど ただですねそれでですね
まあ自分もそうやって思います正直なんですけど アイドルの曲だからって言って
なんかバカにするような人って いや感性ちょっとどうなってるんだと思うんですよ
だって曲自体聴いて好き嫌いだっていうのが感性じゃないですか 曲も聴いてないのにアイドルが歌ってるっていう先入観でバカにするって
自分からしてみたらありえないんですよ自分からしてみたらですよ もっと好き嫌いっていうのはですね
もっと物理的な手触りがもっとしっかりある 直接的なものなんですよ
そんな 先入観とか固定概念で好きになったり嫌いになったりとか
基本的にはないんですね細かく言うとあるかもしれないけど でもそういう人はそういう固定概念で考えちゃうからもうそうなっちゃうんでしょうね
悪く聞こえてしまうんでしょうね
あとですね 日本語の記事を見てると本当にアカデミックなものがないんですね
日本人ってイギリスとかドイツとかアメリカに比べたら
ノベル賞もまあ少ないですけど
なんかクソ真面目なだけで本当に
知能の問題もあるのかでもそこまで知能の差というよりも何なんでしょうね
単に興味がないのかさっきの哲学の話もそうだけど 本当に
アカデミックな記事が全然出てこないんですね 英語だったら大量に出てくるのに
うーん多分10倍20倍30倍ですよ 人口比からしては
おかしな話なんですよ 2、3倍の違いじゃないですからね
あと日本人は大学行って勉強しないですよね 遊んでばっかりますよね
自分も大学行ってないけどそれにしても聞く話聞く話すべてがそうだから遊んでるって話だから
医学部とか工学部は別ですけど まあ一部の法学部の声優とも別かなあと
まあ最近は私学部なんかも国家試験が難しいから
あと役学部なんかも難しいけど 忙しいだろうけど
人数的にだいぶ割合は少ないわけですから じゃあ次の話です
昨日R音楽聴いてて、曲聴いてたまに驚かされるんですよ
自分はブログやってたり、まあポッドキャストはだいぶなんか自分的には緩く感じるんだけど
まあyoutubeなんか結構厳しいんですよ
ポッドキャストはどうなのかわかんないけど あの言っていい発言とか
あるんですよね 以前はすごい腹立たしかったですあの自分は
あの間違って だから人が亡くなることを亡くなるっていう風に言ったりですね
すごい気使ってるんだけど そしたら他の人普通に言ってるから
よくわかんないなと思って こういうことばっかりですよ生きてたら
常に孤独ですから自分は でですねそれは良いんだけど
いや良くないか良いんだけど まあ良くないですねでそれで
良くないんだけど話進めますが
何だっけで カップラーメンだっけ違いますね何だっけ
音楽聴いてると 最近はまあ
かなり 何て言うんだろう
いやそれ聞いて思ったんですよ自分も自分はだいぶ オブラートに進んでいつも発言してるなぁと思って
いやだいぶセキュララなんですけど 何て言うんだろうその
ある程度自分もわきまえながらうまく表現使って 握るとはいえ
何て言うんだろう なんかその曲はですね
変になんか
恐ろしいというかなんか嫌な気分になるというか かなり通列に刺すような歌詞だったんですけど
うん だからなんかそういうそうやって芸術性を持たせるのって好きじゃないんだけどまぁそれは
いいんですけど でとにかく
まあ 結構自由なんだなとやっぱり
特に どの機関から言われるわけじゃないんでしょうねどんな
どんな言葉使っても多分大丈夫なんでしょうね で何が問題かというとあんまりにも酷い言葉を使うと
ファンが離れる
まあそういうもので だから
公になってるものはそんな酷いわけじゃないでも考えてみてくださいじゃあ 人気あるアーティストだったら
多少酷い歌詞書いても みんな聴いてくれるしかも
お崇拝しちゃってるからみんな ということはですよ宗教一緒にやばくないですか
人気あるアーティストの歌詞みんな信じちゃうんでしょしたら どんな酷いこと書いてても
真似受けてしまう これってやばくないですかやってそのにかく何が入ったかというと
youtube だったり何だったりかなり あの一定表現悪い表現ってあるわけですよ
それ全くその フィルターがなくうちらに来てしまうわけですよ
何言っても芸術家って自由で 芸術家だからという理由で自由なわけですよ
これってやばくないですかって話ですよ でもテレビでもあってもありますよね自分が尊敬している俳優さんとか
だったら洗脳せやすいんですよあるの沖縄学者でテレビは 洗脳するから見るなって言ってる人もいましたけどそれ自分も信じて一時期
怖くて見れない時やりました でも好きな俳優さん出たらその俳優さん出てる
お茶その出てるCMのお茶買ってみようとかなるじゃないですか 完全にそれって洗脳ですよね
その俳優さん好きだからって言って別に大したおいしいわけでもない お茶飲んじゃうんだから
こうやって話してるんですね 今言ってること大丈夫かなと思いながらいつも話してるんですよ
まとめサイトでやった時は3回警告を受けてYouTubeでも警告みたいのがあって
でその後に番組名について考えてたら
この番組名についてだけですけどこの引きこもりの期間中の壮絶さをうまく伝えたいわけですよ
したらですね日本人にはそれは伝わんないんですよねどうやったって
やっぱり自分は日本人よりアメリカとかの感性が合ってるんじゃないかと思って本当に悔しい思いましたね
では次音楽集中すると
すごい集中して聞くとですね物理的な手触りの解像度ってのが上がるんですよ
音がしっかり聞こえるし今まで聞こえなかった音聞こえるし
でまあ歌集中なのか全く感情は動かなくなる
つまり音楽を聞いてるんじゃなくて音を聞いてる状態になるんですよ
やっぱり自分は歌詞がわかんないとかそれもそうだけどやっぱり音楽の聞き方も独特なんですよね
で食事中もそうなんですよ単に味が感じるってだけになるんですよね
だから人間って
でまた一般化してしまうけど
そうなんです人間って
感性で味わってるんじゃなくて意識が味わってるわけですよねだから
味わってる自分を観測してるだけなんですよだから
あんまり集中してしまうとですね
意識がぶっ飛んでしまうんですよね
もう目の前のもとに没入するわけですから
映画を見てるような感覚でも映画だったら別にいいんですよね没入しても
食事で味の感覚そのまんまに没入してしまうと
味わいなくなるんですね
だから味わうっていうのは
逆に味を感じてないとも言えるかもしれないだからこそ
ブランド前に食べたら
美味しいと思えるわけじゃないですか大してわかってないくせに
これイタリアンだってなったら
普段食べないから味もよくわからないくせに
これ美味しいってなるわけじゃないですか
そういえばあとですね
さっきからあるアーティストについてばっかり話してるんだけど
あるアーティストすごい変わった雰囲気で歌ってるときも変わってるんですけど
羨ましいと思っちゃったんですよ
自分はこれだけ普段の行動考え方
他の人からしてみたらだいぶ変に思われるんだろうなと思っているんですね
学生時代はなるべく普通になろうって意識はしてないけど
普通に近づいてたかもしれないけど
家にいる分どんどん自分の世界観がどんどん強くなっていって
他の人からしてみたら変に見られるんだろうなと思って
その周知心ですよねが出てきて
ただなのに人が変な歌い方してても羨ましいと思ったんですよ
ってことは見る人から見たら別に変に見えるかもしれないけど
見る人からしてみたらそんなこともないのかもしれないと思ったんですけど
ただこの人の場合めちゃくちゃ天才的だから羨ましいと思えるわけであって
自分の場合才能もなければってことに気づいてしまいましたね
結構発達障害っていう概念に出会ったからそういうこともあるんですよ
この人は才能があるからうまくいってるけど
自分は残念な人なんだなと思うことはあるんですね
発達障害っていうだけでそういう才能ある人たちとは同化させてしまう
同じものだと勘違いしてる人もいるから嫌なんですよ
自分もそういうふうに見られたらどうしようと思うんですね
そんなつもりなくても
だからお医者さんなんかもどう思ってたんだろうなとか考えてしまうんですよ
何言ってるかわかんないと思うんですけど
あとですね
これも自分の感情って不思議だなと思うんだけど
曲、音楽を聴こうと思ってるんだけど
聴き始めたらやっぱり聴かなくていいかなってなって
でも辞めるとやっぱり聴きたいってなる
やっぱり自分の感情ってわかんないですよね
でもそこは感情って樽にするしかないんですよ
聴く理由なんかないし
だから聴きたいか聴きたくないかで判断するしかないし
聴こうと思って辞めますよね
辞めるしかないんですよ
だってもう聴きたくないんだから
でも辞めたらやっぱり聴きたいってなるんですよ
結構これ音楽だけじゃなくて日常こういうことあるんですよ結構
1階にいるときはこういうふうに予定してたんだけど
2階に来て気持ちが変わったり
誰でもあれそうじゃないですか
自分でもあまりにもそれがひどいんで
1階で決めたことは2階に行ったとき必ず成功するっていうような
決まりにしたこともあるぐらいですね
話戻りますけど
虚無な曲を探したら絶望的なものばっかり
虚無感っていうこととそこと結びつけられちゃうんですよね
人生に意味がないと考えるのは絶望でしかないっていうふうに
捉えられちゃうんでしょうね
その認識自体がだから辛くさせるんですよきっと
別にいいじゃないですか人生に意味がないんだって
今まで通り生きられる人いないだろうけど
でも人生に意味がないんだということと
向き合えることって多分できないですね
別に本当を取るつもりじゃなくて
自分は20年間宗教にいたからこそ
未練がないというか
未練を持ってちゃいけないというか
諦めなきゃいけないんですよね
人生に意味がないんだということを知ってしまい
しかも未練たらたらのまま生きてるわけにはいかないですよね
そこに引きずられながら生きてたら
いわゆるなんか嫌だけど前に進めないみたいな言い方あるじゃないですか
まさにそういう感じ
その引力に引っ張られてたら前に進めないんですよ
意味がないものとして処理していくしかないですよね
次の話ですがこれもトラウマの話なんですけど
というか空想してたんですけど
あるちょっとこれ親も変なやつなんだけど
こいつがタイプするときに
これからも趣味でじいちゃんになってもやっていけるからみたいなこと言ってて
こいつにとっては
っていうか部長へのなんか批判だなと思ったんですよね
部長であれ自分に対して
こうやって厳しくやったところで
あまり意味ないと
とにかく楽しく
別にプロになるわけじゃないし
将来趣味としてやれるのであればそれでいいと
しかも楽しくやってればそれでよかったなと
それでこれからもやれるわけだし
っていうことを言いたいんだろうなってそのとき一瞬でわかるんですよそういうのって
だからこうやって言ってやればよかったなと思って
じゃあ世界中の人ほとんどしたら不合理なことを知ってるでしょ
例えば草サッカーチーム
バスケットチームに普通入らないだろう
もしましてプロにならないわけだし
じゃあ今それやってる意味ないんですかって言ってやればよかったなと思ってるんです
この前話したある監督の暴行事件
感情の曖昧さと「意味」の不在
で辞任したってことでなんか署名が集められてるみたいですけど
こういうときって確かに毎時の感情で
人間って感情を動かされると
その部分的なことしか見れなくなるんですね
だから後から
何やってたんだってなるんですよ
じゃあ自分もこうやって何か判断するとき非常に迷うから
そういうときの心の動きってすごく
詳細に分かるんですよね
何か大きなこういうイベント
何か問題が起きて何とかしようと思って
そろそろそうすると感情が動いてるのも相まって
感情の揺れより部分的なことしか見れなくて
でもこの場合だってもう常に暴行があったっていうのも事実だし
だから後からそれを思い出すわけですよ世間の人は
なんか小さく感じてしまってたなと
確かに物事の小さい大きいって難しいですよね
確かに辞任させられることかっていう意味では小さなことかもしれないけど
でもよくよく考えてみると暴行なんだよなと
こんなに監督に戻ってほしいって願ってたけど
そこまで切実に思うことかということに多分気づくんですよ
すごい分かりますねそういうのは
一時の感情だよね
何とか必死にやってるときってそうなんですよ
特に問題が起きて
こういう場合みたいに
だからもうそのまま流れに任せるしかないのに
一度辞任したものを戻してしまう
だから自分もそういうことがありました
一度決断して辞めるという決断して
だから今まで続いてきたものを辞めるってことは相当何か理由があるわけですよ
それを戻すってことは
それで辞めるってことは何か相当な理由があるはずなのに
戻すってことは何かどっか一部分しか見えてないんですよ
現在夜です
どうしても自分はビートルズをやっぱり他の人と同じように深刻化してしまうんですね
そうやって至る所至る色んなジャンルで
神みたいな存在を求めてしまうんですよね人間って
だから何だっていいんですよただその時代とか
深刻化されやすい存在っているんでしょうね
いろんな条件が揃ってそうなるんでしょうね
あとは深刻化されて耐えれる人ですよね
深刻化されるってそれだけ恐ろしい状況だと思うんですよ
プレッシャーもすごいし完璧でなきゃいけないし
裏切れないし完全体だと思わせなきゃいけないって
まあ難しいですよね自分でそう思ってたって
みんながそれについてきてくれるか分かんないし
一気に単なるフィクションだと悟ってしまわれたら困るわけじゃないですか
その両輪勝手だと思います
本人たちもそれに耐えれるタイミングと両輪が揃って成り立つんでしょうね
その関係性はということをちょっとぼんやり考えてました
ちょっと何のことだったか忘れたんですけど何かがですね
忘れたんですけど人間ってストーリーを描けますからね
単なる運でしかなくてもある一点と一点を結びつけて
その集合体で過去を見るはずなんですよね
その中でもその強度ってありませんかね
全て運だと思ってるんですけど自分は
でもやっぱりこの選択が正しかったかそう思える強度ってありますよね
そういうものこそ自分はですね
当たっても意味のないギャンブルだと思ってるんですよ
ギャンブルって結局その運できしかないし
しかも当たっても何のメリットもない
分かりますかねギャンブルだししかも当たりがない
そんなもんだと思ってるんですよ人生って
だけどギャンブルだってことも分からずにやって
しかも当たった当たったと喜んでるけど何のメリットもないんですよ
つまりそのハズレとの違いって
ハズレと同じだってことですね
違いなんてないってことですだから
でですね食事中のことなんですけど
いつも話してるように口の中に何かありますね
で何かに不安になりますよね
でその後全く考えないようにしようとするんですよ
集中できないからもう忘れてしまって食事はいいんだと
そんなに問題ないだろうとそんなに問題があったら
相当緊急事態だから何とかするだろうと
恥を止めて何とかするだろうだからそうしないってことは大丈夫なんだと
言い聞かせてある時から覚悟をしたんだけど
でもやっぱり不安があったら立ち止まってしまう
でですね絶対もう考えないで次の一口は食べるんだっていう風に言い聞かせて
でもそれをすると本当に何も考えない可能性があるから不安になる
すると緊張してうまく食べれない
気付くんですよ
もうちょっとニュートラルな感じでそんな絶対考えないなんて考えないで
もうちょっとリラックスしていたらどうかと思うんですよその次に
毎回そういうパターンなんかあるんですよ
リラックスして考えないようにしようということさえ考えないようにしようとする
するとですね勘のいい人はわかると思うんですけど
やっぱりさっきの不安の思いが出てくるんですよ
つまり完全にそれをなくそうとしなきゃなくならないもんなんですね
もうかなり力づくで気を張ってないといけないんですよ
どっちをとっても負けか何するんだから
だからこれも運だと思います食事中
食事中なのはわかんないけど半分はそうやって考えてしまうような
風にできてるのかもしれないし
だからその数を減らすことはできないのかもしれないです
ただですね最近ずっと考えてるのになぜこんなやって
意味というものを失った人間がここまで生活できてるのか維持できてるのか
疑問に思ったんですけどやっぱり一番の理由は
何もしてないと侵入志向が入ってくる
ですねそれとですね
それが一番の理由であとはですね
こんなことも考えてました
これ結局規律によって自分を保ってるとはいえ
規律とかルールですね
結局それって発達障害の特性であるから
規律によって
なんとかここまで維持できてきたと思ったけど
単に発達障害だったから規律があったんじゃないのかと思ったんですよ
それにその違和感を感じたんだけどでもまあ
単純に考えると別に不思議なことはないんですよ
たまたま発達障害の特性によってここまで生き永らえてきたっていう
すごい変な感じはするけど
ただやっぱりそれだけじゃ進めつかないんですよね
そもそもやっぱり物語っていうものを
取り入れないだから何層にも分かれてるんですよ
まず物語取り入れないしかも
例外を作らないっていうのもあるんですよ
だから今日だけはいいっていうことはしない
今日だけはルーティンを守らないっていうことはしない
そうすることによってやっぱり例外を作らないっていうことが大きかったんですね
これ発達障害の特性っていうだけなのかっていうと
それもちょっとわからないとこなんですよね
あとは今この規律を自分の維持させるための骨格だったという捉え方は
発達障害では説明つかないだろうし
ただどう捉えるかっていう解釈は置いといて
じゃあ発達障害の特性でしかなかったのが規律っていうのは
っていうと自分は全くそうは思わないんですよなぜか
それだけ発達障害
まあでもそこら辺の因果関係わかんないですね
もしかしたら発達障害だからこそそもそも宗教やめられたのかもしれないし
発達障害の特性とか宗教体験とか人生経験
考え続けた時間を見るいろんなことが絡んで
だから単一の原因に関係することは難しいと思うんですよ
人間のいろんなことを
とはいえですね
だからこそなんか人間ってもっと
人間がやってることってシンプルに説明がつくっていう確信も自分にはあってですね
いつそうなったのかわかんないですけど
適当なことは言いませんからね
なんか確信があったんですよ
この人はこういう人間だみたいなことを単純には言えないかもしれないけど
まあそれさえどうかわからないですよね
なんか核となるものがあるのかもしれないし
ただ本質はないんですよね
でも本質がないからこそ
この人の人間の核はこれだって
言い切ってしまっても逆になんか別に国権になるわけじゃないような気がするんですよ
では夕食の話ですが
今日も昨日と同じにもうですね
にんじんと大根と
さつま揚げと揚げと
今日こんなことずっと考えてしまって
あんまり味わいなかったです
さっき言った結婚式ので
歌舞伎役者の旦那さんが
野木坂のメンバーに
いやーみんなさ
やっぱりお綺麗で
うちのお嫁さんと同じ
もう30越えてるんですもんね
うちの
嫁には勝てないですけどみんなお綺麗でみたいな
もっとですね
いろいろこう言ったら何と思われるかとかいろいろ考えてるんだけど
ざっくりとこんな感じです
あとは
母親の友達来てたのは
なんでかだとしたらうちの親
知り合いの結婚式に
今回行かなくてよかったのかなとか
そんなことずっと考えてました
あとキムチでしょ
あと
大根おろし美味しかったです
あと
いやーかつお節が非常に美味しいと思ったことが小学生の時あって
あれは
小松菜かほうれん草食べてる時ですね
なんでか分からないけど
非常に美味しいと思ったんですよ
今は別にそんな風に思わないけど
あとはおにぎりのバターと
おかかおにぎりみたいな
あれは美味しかったかもしれないです
あとですね
スーパーでいっつも買ってくる
フリッターですね
エビつりみたいなやつ
甘くて美味しいんですよ
エビが
ほんとなけなしの小さいやつで
あと
あのあれは
タレついてるんだけど
フライドチキンにタレつけたような
甘辛
甘く味付けたような
この前のとは違うんだ
この前のはもっとカリッカリで
でもタレがついてて
現在朝です
今番組説明について考えてて
ほんとに何をやってるんだろうという気持ちになりますけど
まずですね
この虚無に直立
どういう風にしてるのか
自分でも分かってるようで
当然分からないこともあって
それを探求している時間でもあって
完全には分からないまでも
規律、覚悟、そして虚無との共存
もう少し
分かりたいっていうこと
変な欲が出てきてですね
それが分かったところで
ちゃんとそれを表現できなきゃいけないじゃないですか
こうやってポッドキャットで話す上でも
もちろんそうだし
自分で把握しなきゃいけないし
起立正しくっていうのと
もう一つは
単純に
物語の結論付けね
それが一番深い部分だし
これが一番
今までの文脈からいくとですね
自分なりに振り返るわけですよ
考えてきたけど
書くのはこれなのかなと思って
それがないとこうやって直立してこれなかったんだろうなと思うんですね
変に結論付けないことは
絶望を結論としないことですね
ただそもそも
そういう絶望するという回路自体が
ないんだろうし
あとですね
自分について考えていると
常に無人というものが突き当たるんですね
そんな嫌な無人じゃないんですけど
起立正しく生きているからというより
そこを崩してしまったら
例外を作ってしまったら
その瞬間
もう直ちに崩れてしまう
崩れなきゃいけない
直ちに崩れなきゃいけない
だから起立によって助けられてもいなければ
起立のおかげで
保てているわけでもないような気もして
宗教という
ものがなくなった今
自分が生き続ける
それすなわち
虚無の中って
凄まじい
流れがやってくる
でも
意味という流れですよね
変化という流れがやってきて
それと共に
虚無って凄い自由だから
自分を
いろんな意味で縛り付けてなきゃいけない
そういう
仕組みなのかなと思っているのが今いるんですよね
今言った
どんな流れに飲み込まれないという意味でもそうだし
ただそれは自分だけがやっている手法じゃなくて
これ分かんない
日本とかアジアだけかもしれないけど
修行僧が
やっている生活の仕方なんかもそういう
意味合いはあるだろうし
ただですね
いろんな意味でも全然変わるんですよ
この起立がというよりも
この起立の例外を作らないというその意識自体によって
維持できている
ような気はしていて
緊張感というわけじゃないんだけど
一瞬も
隙を作らないというその意識自体によって
保っているような気もするんですよ
あとは
書き始めていた時からそうなんですけど
自分としては壮絶な人生だったと思っているんですね
そのインパクトを
番組説明で伝えてどうするかと思うけど
なるべく
インパクトがあった方がいいなと思います
どうしてもあって
でもよく
そうだから
さっき言った絶望する
必要する発生しないという意味ではよく
母子家庭で
親も忙しくて
忙しい忙しいなんて言っていられないっていう
人いるけどそれとは違う感覚
半分そういうことなのかもしれないし
でも
忙しいわけじゃないですからね
忙しいわけじゃない
ですよ
でも
脳内は常に
びっしり何かで詰まっている状態にしなきゃいけない
でも脳内が詰まっているというのはやっぱり
同じことの説明になってしまいますが
何か常にやらなきゃいけないということがあるわけじゃなくて
自分で自分に
そう課している結果的に同じ
なのかもしれないけど
発生要因は
違うから意識的には違うと思うんですよね
人間って
全く同じことやってても
例えば同じく忙しくしてても
その時の
気持ちによって
何か違ってきますよね
人に何かやらされているのと
自分で意欲的にやるのと
あとは
周りに流されてやるかとか
いろんなパターンあると思うんですけど
意味を失って
救いを求めていないということよりも
救いがなければそれでも続いているということ
しかもそれなりに
ちゃんと生活できている
ということ自体は
これは普通じゃないと思うんですよね
普通ではないというか
多くの人にとっては
かなり脅威に移るというか
もっと言うと狂気的に移ると思うんですよ
普通絶望するそれは
すなわち
もう停止してしまう
もう続かないということですよね
自分で振り返っても他人のようなんですよ
何でここまでやってこれたのか
不思議でしょうがないんですよね
もちろん
理由づけしてしまいますよ
でもそれでも納得いかないんですよ
何でここまでやってこれたのか
でもやってこれたというよりも
何もしなかったら
侵入志向がやってくる
侵入志向というのはいろいろ
脅迫観念という意味もそうだし
虚無に飲み込まれるという意味でもそうだし
だから今の生活
手順を行うしかなかった
でもそれだったらもう嫌になってきそうですよね
でも嫌になってくる感じさえも
吹き飛ばさなきゃいけない
吹き飛ばすどころか
発生させてはいけないという
やっぱり覚悟なんでしょうね
覚悟って大きいと思います
例えば親がこの子ども
育てていかなきゃいけないんだみたいな
その覚悟って
大きいんじゃないかなと思います
ただよく何でその覚悟ができたのか
自分でも不思議でしょう
そういうのはしょうがないんですけど
一つ手がかりがあるとすれば
宗教時代かな
宗教時代の20年かな
01:00:06

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