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2025-11-10 16:29

第5063回 第46回発達障害ASDあるある会話中顔を見ない理由やりたい事やる時間削れない

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、発達障害ASDの特徴として、人と違う行動がどのように排除やいじめにつながるかを考察しています。また、発達障害者がやりたいこととやるべきことのバランスを取ることの難しさについても言及しています。さらに、発達障害ASDを持つ人々が会話中に顔を見ない理由や、実際の会話での認識の仕方を探っています。特に、言葉の内容に集中することで理解を深める過程が強調されています。

発達障害と社会の排除
発達障害あるある、46回目なんですが、話していこうと思います。
まずですね、発達障害あるあるって言うのかな?
これが定型の世界だと思うんだけど、
この人は、おかしいから排除するって言うんじゃなくて、
この人は、排除してもまぁ、そこまでうちらに甲斐がないし、
まぁみんな共通認識で、この人はみんなが詐欺すんでいる、
だから何も言って問題ないだろう、っていう人がのけ者にされたりね、
みんなに強く当たられたりいじめられたりしてると思うんだよ。
だから、まぁ確かに日本では人と違う人が排除されるって言われてるんだけど、実際はですよ。
周りと違う人の中でも、排除されない人は排除されないし、
この人は割とみんなから下に見られてて、間違いだと認識されてて、
だからこの人ならいじめても問題ないだろうっていう、そういう思いを持たれる人が排除される傾向にあると思ってて。
やりたいこととやるべきことのバランス
だからいわゆるこの人なら大丈夫だろうみたいなことですよね。
それっていかがなものなのかなと思ったので、本題ですが、
クラッキーが非常に共感できるある研究なんですけど、
生活のやるべきことにかける時間が増えると、
当然やるべきことは、間違い半分だけにやるべきことですから。
やるべきことをやる前提で考えると、それがどんどん多くなっていって、
やるべきことにかける時間が多くなると比例して多くなっていって、
でも健常者は間違い半分どうするかっていうと、
やるべきでないことに、やらなくてもいいけどやりたいことを減らしてくれますよね。
でも発達障害はそういうことはないらしいんですよ。
やりたいことはやる。やるべきことが多くなるほどストレスも多くなるし、
その分やりたいことをやって発散させる。
で、どうなるかっていうと、睡眠時間を削る。
これはよく聞こうぜですし、
これだけもこれについては哲学的にとても考えることではあるんですよね。
人間全てに言えることだけど、
例えば残業がどんどん増えていき、
疲労もたまって家帰って、
何もできない。趣味なんかできない。
ここで無理をしてしまうと、
でも人によってはですよ、
趣味ができないのであれば生きていく意味さえ感じないっていう人は無理をするわけですよ。
何としてもそのやりたいことを削れないわけですよね。
これはクラゲの持論なんだけど、
だったらストレスになるんだから趣味なんか持たないほうがいい。
趣味なんか持たなければ、
暇がなくなって逆にいいと思えるわけだし、
っていう持論があるんですけど、
通常の健常者はやむを得ずやりたいことを削って、
特にストレスになるとかいう言及はないですけど、この研究で。
でも発達障害は、
今クラゲに話した持論はあくまでも発達障害の視点なんですね。
発達障害は、
たださっき言ったクラゲの話とやっぱりちょっと違うから共感できないんだけど、
さっきクラゲ言ったのは趣味なんか無くしちゃえばいいっていう話だったけど、
趣味の時間を増やすわけですね。
やるべきことが増えて、
それはやるんだけども、
全く理解できないですね。
食事の時間とか睡眠時間とか削って、
でもやりたいことをやる。
ほんとこういう人はね、
愚かだと思うし長い期間続かないと思うしそんなことしたって。
でもクラゲと共通してるのは、
ストレスをためないようとしてるあたりは共通してるかな。
あまり合理的な生き方だとは思えないけど、
学生時代はそうしていましたね。
自分でもそんな自覚ないんだけど、
例えば歯磨くのとか。
これが一番大事だと思ってますから。
だからやるべきことより身の回りのことの方がね、
もっと大事にするべきだった。
勉強する時間を削ってでも、
ちゃんと歯磨いたり身の回りのことをするべきだった。
だから発達症があるあるだけど、
やっぱりクラゲもそうだけど、
身の回りのことをないがしろにしてしまってるわけですよ。
クラゲの場合やるべきことを優先してましたね。
やりたいことはやりたいことでやってるんだけど、
やるべきことが増えることによって、
例えば実験金になって、
やりたいことを増やすっていうよりは、
通学の時間は音楽聴くなりして、
音楽さえ聴ければよかったから、
だから趣味にもよると思いますね。
アニメを見るとかそういう時間を費やすことは何時間も必要なこと。
であればやるべきことを増やすだとよろしい。
人気アイドルグループのメンバーなんかはね、
アニメ好きな子とかも多かったりすると、
どうするのかなと思うんですよ。
仕事量もどんどん多くなっていって。
で、やりたいアニメを見るってこともコンスタントにね、
してるような子はまあ、睡眠時間とか削って。
でもね、これも私はあるなんだけど、
そんなことをすると、より鬱の傾向がひどくなるんですよ。
悪循環ですね、これはね。
健常者であれば、もう妥協してやりたいことはやらないように。
慣れればそうなるんですよね。
私はそれはできないんですね。
まあ、暗きにはただタイトなだけにしか見えないけれども、
切な主義にしか見えないけれども。
でも健常者が切な主義になっているのとまた違うようですね。
何が違うって、これは直せる問題じゃないから。
まあ、ストレス肩になりやすいのも原因だろうし、
こだわりが強くて。
まあ、理解できなくはないんですよ。
さっき言ったね、暗きは。
暗きみたいな、あれは極論でしかないけれども、
やりたいことを削られるのであれば、逆にやらないほうがいい。
って考えるのも、
やりたいことをやらないなら何の人生なのかは、
人生の意味さえ考えてしまうから。
暗きであれば趣味なんてなくすけれども、
それ以外の方法を考えるのであれば、
やっぱりやるべきことはやるんだけど、
やりたいことも増やすしかないですね、やっぱりね。
だからやりたいことは削ってでも耐えられる。
なんとかそれでバランス保てる。
健常者のことは理解できませんよ、暗きは。
次のあたしはあれですけど、
なんとなくのニュアンスで話すのが普通なところを、
言葉の意味を重要視してきてしまう。
だから人の話を、暗きはね、
人の話を地理通りに理解して、
裏の意味がわからないとか、行間を読めないとか、
言うのは理解できなかったんだけど、
ただ人に説明するときはね、
一言一個意味を持った学者のような話し方になってしまうんですよ。
その方が相手に理解できると思うから。
逆に相手にもそうしてほしいし。
それを要求しちゃってる部分もあるかな。
それを暗きは、
人と違いがある話し方をしてるのはわかるけども、
それが自分らしさとしか思ってないんですよ。
でも会話ってのは相手に伝わることが大事ですから。
逆に健常者の人は、
会話中の顔を見ない理由
そのニュアンスでなんとなく伝わってるとは思わないし、
ある意味でっていうか、
論理性っていう点から言うと、そうなんだけれども、
つまり何が言いたいかというと、
根本的に会話ってものを間違って捉えてしまってたわけですね。
あとは英語なんか勉強してるときなんかところで思うんだけど、
なんて言うんだろう、英語だとね、
熟語なんかでイメージとそのまんまの意味と、
だってイメージしやすかったり、語源を調べてイメージしやすかったり、
何言ってるか全くわかんないと思うんですけど。
例えば日本語で言うと、
お茶碗だけ並べるわけじゃない、お茶碗並べてみたいなことですね。
あとは何だろうな。
どうも英語勉強しててもね、
その日本語訳が何か一致しないというか理解しにくかったり、
日本語自体が理解しにくいってことに気づいたり。
すごいというときは頭で考えてしまうんですね。
それはなおさらわかんなくなるんですよ。
イメージしにくい言葉。
例えば性格が曲がるっていうのはイメージしやすいわけですよ。
心が曲がってるとイメージできるから。
でもそうでない場合、どうも頭で一緒に考えてしまうんですね。
感覚でパッとその意味わかるっていう認識するってできないんですよ。
では次、なぜ人と話すとき私は人の顔見れないか
という話ですけど、最近話したのは
人の感情を理解する能力があるかないかに関わらず
敏感に感じてしまう人の表情を見たときの相手の感情
それで動揺してしまい、会話に集中できないから
無機質なものを見て安心させる
ということを言いましたけども
まあ共通してるときは共通してるんだけど
クラッキーはマルチタスクはできるようではあるんだけど
ただ同時処理が難しいんですね。
だから人の顔を見て、見ながら話を聞く
ということはできないんですよ。
どっちもしてるだからその時によって使い分ける必要があると思うんですよ。
一番いいのは世間話で
適当に話して、相手の目を見る
これができる場合はそれでいいんだろうけど
大事な話の時は話に集中した方がいいだろうし
そこは割り切るしかないんですよ。
クラッキーはその時によって使い分けるってできないんで
それをやってしまったらもうね、ダメなんですよ。やったこともあるけど
今話したように
どちらか使い分けた方がいいと言ったけど
ただですね、やっぱり自分に合ってるのはどっちか分かるだろうし
まあ私は言われば
人の顔を見ないで人の話を聞くっていう本で集中する
っていうのが多いですね。
まあそれだけ人の表情よりも言葉自体に意味を感じているわけです。
言葉の内容自体に意味を感じているということですね。
あの相手の意思疎通というよりも
相手の感情よりも言葉の自体に気を取られるわけですね。
でもね一番立ちの悪いのは
自分でも後悔している、反省しているけど
どっちもできると信じてしまうこと
これが一番ダメですね。
どうしてもどっちか犠牲になるんですよ。
言葉の重要性
伊藤もない、伊藤絵図ですね。
あの相手の顔を見たら
まあでも人の話、相手の話はどうしても聞けなくなっちゃうんですよ。
だからね健常者を見ていると
まあずっと相手を見ているわけじゃないし
うまく相手の顔を見ながら考えて話している。
いやあそこの
いやそれがすごいなと思って
まあ日常それをやってるからできるんだけど
ってことは逆に言うとそれがもう
お決まりのパターン化されちゃってるのかなと思うとね
それってロボットと一緒だよなと思ってね。
このタイミングで相手を見て
でも中にはそうしているんですよ。
これくらい話したら相手を見て
だからそれってロボットみたいな行動であれば
逆にそれ必要あるのかなと思ってね。
単に相手に話ちゃんと聞いてあげてますよ
相手の音をちゃんと認識してますよっていう
一生児ってそんな必要かなと思っちゃうんだけど
でもこの論理だと
電話はなんとなくなんとかできそうだけど
電話は苦手だって話し声が多いし
逆に車の助手席と運転席で話したりする場合は
見合わせなくていいから得意だって言うんですよね。不思議ですね。
電話と同じことだと思うんだけど
それではしたっけ
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