だからいわゆるこの人なら大丈夫だろうみたいなことですよね。
それっていかがなものなのかなと思ったので、本題ですが、
クラッキーが非常に共感できるある研究なんですけど、
生活のやるべきことにかける時間が増えると、
当然やるべきことは、間違い半分だけにやるべきことですから。
やるべきことをやる前提で考えると、それがどんどん多くなっていって、
やるべきことにかける時間が多くなると比例して多くなっていって、
でも健常者は間違い半分どうするかっていうと、
やるべきでないことに、やらなくてもいいけどやりたいことを減らしてくれますよね。
でも発達障害はそういうことはないらしいんですよ。
やりたいことはやる。やるべきことが多くなるほどストレスも多くなるし、
その分やりたいことをやって発散させる。
で、どうなるかっていうと、睡眠時間を削る。
これはよく聞こうぜですし、
これだけもこれについては哲学的にとても考えることではあるんですよね。
人間全てに言えることだけど、
例えば残業がどんどん増えていき、
疲労もたまって家帰って、
何もできない。趣味なんかできない。
ここで無理をしてしまうと、
でも人によってはですよ、
趣味ができないのであれば生きていく意味さえ感じないっていう人は無理をするわけですよ。
何としてもそのやりたいことを削れないわけですよね。
これはクラゲの持論なんだけど、
だったらストレスになるんだから趣味なんか持たないほうがいい。
趣味なんか持たなければ、
暇がなくなって逆にいいと思えるわけだし、
っていう持論があるんですけど、
通常の健常者はやむを得ずやりたいことを削って、
特にストレスになるとかいう言及はないですけど、この研究で。
でも発達障害は、
今クラゲに話した持論はあくまでも発達障害の視点なんですね。
発達障害は、
たださっき言ったクラゲの話とやっぱりちょっと違うから共感できないんだけど、
さっきクラゲ言ったのは趣味なんか無くしちゃえばいいっていう話だったけど、
趣味の時間を増やすわけですね。
やるべきことが増えて、
それはやるんだけども、
全く理解できないですね。
食事の時間とか睡眠時間とか削って、
でもやりたいことをやる。
ほんとこういう人はね、
愚かだと思うし長い期間続かないと思うしそんなことしたって。
でもクラゲと共通してるのは、
ストレスをためないようとしてるあたりは共通してるかな。
あまり合理的な生き方だとは思えないけど、
学生時代はそうしていましたね。
自分でもそんな自覚ないんだけど、
例えば歯磨くのとか。
これが一番大事だと思ってますから。
だからやるべきことより身の回りのことの方がね、
もっと大事にするべきだった。
勉強する時間を削ってでも、
ちゃんと歯磨いたり身の回りのことをするべきだった。
だから発達症があるあるだけど、
やっぱりクラゲもそうだけど、
身の回りのことをないがしろにしてしまってるわけですよ。
クラゲの場合やるべきことを優先してましたね。
やりたいことはやりたいことでやってるんだけど、
やるべきことが増えることによって、
例えば実験金になって、
やりたいことを増やすっていうよりは、
通学の時間は音楽聴くなりして、
音楽さえ聴ければよかったから、
だから趣味にもよると思いますね。
アニメを見るとかそういう時間を費やすことは何時間も必要なこと。
であればやるべきことを増やすだとよろしい。
人気アイドルグループのメンバーなんかはね、
アニメ好きな子とかも多かったりすると、
どうするのかなと思うんですよ。
仕事量もどんどん多くなっていって。
で、やりたいアニメを見るってこともコンスタントにね、
してるような子はまあ、睡眠時間とか削って。
でもね、これも私はあるなんだけど、
そんなことをすると、より鬱の傾向がひどくなるんですよ。
悪循環ですね、これはね。
健常者であれば、もう妥協してやりたいことはやらないように。
慣れればそうなるんですよね。
私はそれはできないんですね。
まあ、暗きにはただタイトなだけにしか見えないけれども、
切な主義にしか見えないけれども。
でも健常者が切な主義になっているのとまた違うようですね。
何が違うって、これは直せる問題じゃないから。
まあ、ストレス肩になりやすいのも原因だろうし、
こだわりが強くて。
まあ、理解できなくはないんですよ。
さっき言ったね、暗きは。
暗きみたいな、あれは極論でしかないけれども、
やりたいことを削られるのであれば、逆にやらないほうがいい。
って考えるのも、
やりたいことをやらないなら何の人生なのかは、
人生の意味さえ考えてしまうから。
暗きであれば趣味なんてなくすけれども、
それ以外の方法を考えるのであれば、
やっぱりやるべきことはやるんだけど、
やりたいことも増やすしかないですね、やっぱりね。
だからやりたいことは削ってでも耐えられる。
なんとかそれでバランス保てる。
健常者のことは理解できませんよ、暗きは。
次のあたしはあれですけど、
なんとなくのニュアンスで話すのが普通なところを、
言葉の意味を重要視してきてしまう。
だから人の話を、暗きはね、
人の話を地理通りに理解して、
裏の意味がわからないとか、行間を読めないとか、
言うのは理解できなかったんだけど、
ただ人に説明するときはね、
一言一個意味を持った学者のような話し方になってしまうんですよ。
その方が相手に理解できると思うから。
逆に相手にもそうしてほしいし。
それを要求しちゃってる部分もあるかな。
それを暗きは、
人と違いがある話し方をしてるのはわかるけども、
それが自分らしさとしか思ってないんですよ。
でも会話ってのは相手に伝わることが大事ですから。
逆に健常者の人は、