今回45回目から発達障害あるあるの話ししていこうと思うんですが
まず一つ目ですが、自分が正しいと思いすぎてしまう。 そういった傾向あるようですね。まあ妖怪に対してもそうだし
これもしょうがないような気もしてて あの
人を指定する人って
あと なんだろうな
まあ怒ったりそういう場合って自分の存在を脅かされているから 人を指定したくなるわけですけど
それはね逆にできないんですよね 大人になりすぎてしまうんですよ
自分が否定されている気がするからって 人を否定して自分を保とうとするのは大人げないなと感じてしまう
それとは違うんだけどでも発達障害って 自己肯定感がなさすぎるから
そういった場合が多いから ある程度その
自分に信頼を持つ ことも必要であってだからどうしても
そこらへんのバランスが取れなくて自分が正しいと思い込んで しまうんでしょうね
でもねそんなことになかなか普段気付かないんですよ 壁にそんなメモでもバシッと貼っとけばなんとかなるのかもしれないけど
それを1日見てるわけにもいかないですし 引っ越した前の人との関係もそうですね
やっぱりちょっと客観的に捉えるとまぁ自分も自分に非があるのかなって思うことも あるんですけど
この性格のせいにしてましたね 難しいところはね人として見ればですよ
もう周りに影響されて自分の信念を
貫くことが まさに歴史を動かしてきた人物なんてそういうことをやってるわけですから
まあそれが悪いとも限らないんですよね ただあくまでも社会生活を送る上では
障害になるかどうかで言うと障害になりますよ 次ですが私はとても純粋無垢で素直すぎる
部分とひねくれてる部分が共存している 両極端なんですよ クラゲの場合
思い出されるのは中学生の時の女子に まあオタクっぽい発言を
してって言われた 何て言ったかな 何て言ったかな
ああ萌えって言ってみてって言われたんだ もうすぐの男子も
ガンプラ好きな奴がいて ついでにクラゲも言わされて 別にその否定していいのに
素直に受け入れてしまう 否定するっていう
選択肢はクラゲにはないんですね そういう素直すぎる部分と
まあそれが 荒波にさらされることによって徐々に
ひねくれていって っていう部分もあるわけですね
ひねくれてたとは思いたくないけど まあへそ曲がりなところとか
ありました 健常者はその中間ちょうどいいあたりに
収まるんだろうけど 両極端だし使い分けてるっていうのと
またまた違うんですね 今思い出したけど
昔はですよ 果たし終わって認知の歪みがあるから
なんとかして人に受け入れられとするんだけど 別に人に受け入れられるために生きてるわけじゃないんだよなって思ってね
いやまあもちろん っていうかまあどう考えても世間の人
まあそんなみんな人格主義者で尊くにかなったことをしてるわけでもないし そんな自分を責めなくていいと思ってだから
そんな健常者に 健常者に合わせるって感覚はないけど自分も健常者だと思ってるから
でも周りの常識に あざわざ
外号する必要ないなっていうことを 学んだ時はありましたね
そうするとなおさら 周りとうまくいかなくなるんだけど
難しいですよね でもあった生涯が
人とは
仲間づまじく生きていくためには 今回の話で言うと自分は
正しくて
よりも 折り合いをつけていく
相手に受け入れて 折れることも学ぶことは大事かもしれないし
ここでちょっと一つ いつも思うことになってきたんですけど
あのいろんな議論が作想してるようなことで 前だと栄養学 今だと脳科学的なこと
まあ勉強してて
そんなのは疑似科学にしすぎないのに まあよく自分の考え
自信持って言えるようなっていう人 発達障害かって言うとお医者さんに多そうだけど
まあそれが理由なわけじゃないだろ 健常者なんだけど
まあそれでもないと自分の研究結果を 啓蒙することでできないかもしれないけど
なんでいろんな説があるのに自分の考えをそこまで 自信を持っているのか 無理して自信持って
嘘ついてる部分はあるかもしれないけど 演技してる部分はあるかもしれないけど
いやでもね自信持って言ってると思ったやつ 他の人の意見否定してるからそういう人って
明らかにいろんな諸説ある中の一つでしかないのに 健常者は逆に
どうしてそんな自信持ってるかなと思う 部分もあるし逆に
自分はとてもとてもそんな自信持って こうとなんて自分の考え言いませんと
よく世間の人はこんな 恥ずかしくもなく
自分の主張を話せるなと思って 暗きだったら
まあこういう条件で言うとこうかもしれないし みたいな言い方になると思うんだよなとか
逆にそう思うこともあるんですよ
あとこれも発達障害あるあるなんだけど
もう何とかもがいでもがいて
暗くなんかもう人に合わせようとか 迎合しようとか思いはないけど
でも無意識にね何とか まあ動物ですから何とか集団で生きれるように
してる部分はあると思うんだけど でも
発達障害という概念に出会ってから
直そうなんてしなくていいんだよなと 居直ってしまうことで
それがいいのかどうか難しいところなんですよね これが自分だと認めてあげるのはいいんだけど
ただ 何とかもがいてた
時の方がなんか 増しのような気がしたりもするんですよ
それで人と 会うってことやめてしまいましたからね
発達障害という概念に出会ってから
もう諦めがついていいんだけどもね
あと大学の研究でですね
人と関わってる時は
論理的思考が 抑圧されることが多かったみたいですけど
倉木がこの前話してた
ことに通じますね
人は話してる時 テンプレートを話してるだけだ
なんとなくその空気感で話しちゃってるだけだ ということを言いましたが まさにそういうことですね
逆に発達障害は 逆パターンなんですよ 逆なんですね
論理的に捉えて感覚的に
捉えたり空気を読んだりってことはできないんですよ
共感することと理解したり分析したり
論理的に考えることは共存しないらしいですね 困りましたね
では次の話なんですか
これは発達障害ゆえだと思うんだけど
負けるが勝ち 理解できないですね
真剣勝負ではそんなこと言われないと思うんだけど
人間関係においては
人間関係においては 負けるが勝ちって言われるけど
もちろんね あの
真剣勝負でない時に
いつでも真剣勝負でやりなさいっていう 常識のない人間は
嫌いなんだけど ただ負けるが勝ちとまで言うと