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2025-11-10 15:11

第5062回 第45回発達障害ASDあるある人に論理的に話して欲しいと思う&人と認知がずれる

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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雑談・人生・生活・暮らし・おじさん・トーク・愚痴・吐きだめ・心理学・脳・1人配信・メンタル・podcast・ポッドキャスト・ネットラジオ・ラジオ・フリートーク・一人喋り・一人語り・毎日配信・まったり・ゆるい・コミュ障・ライフスキル・シンプルライフ・前向き・怒り・残念・ネトラジ・闘病記・日常

サマリー

このエピソードでは、発達障害ASDを持つ人々の思考や行動に関する共通の体験が取り上げられています。人との認知のズレや論理的なコミュニケーションの重要性について議論されており、自己肯定感や人との関わり方が深く掘り下げられています。また、発達障害ASDの視点から論理的な会話の必要性や定型発達者との認知の違いも話し合われており、特に感情に影響されずに論理的に意見を述べることの難しさが強調されています。

発達障害における認知のズレ
今回45回目から発達障害あるあるの話ししていこうと思うんですが
まず一つ目ですが、自分が正しいと思いすぎてしまう。 そういった傾向あるようですね。まあ妖怪に対してもそうだし
これもしょうがないような気もしてて あの
人を指定する人って
あと なんだろうな
まあ怒ったりそういう場合って自分の存在を脅かされているから 人を指定したくなるわけですけど
それはね逆にできないんですよね 大人になりすぎてしまうんですよ
自分が否定されている気がするからって 人を否定して自分を保とうとするのは大人げないなと感じてしまう
それとは違うんだけどでも発達障害って 自己肯定感がなさすぎるから
そういった場合が多いから ある程度その
自分に信頼を持つ ことも必要であってだからどうしても
そこらへんのバランスが取れなくて自分が正しいと思い込んで しまうんでしょうね
でもねそんなことになかなか普段気付かないんですよ 壁にそんなメモでもバシッと貼っとけばなんとかなるのかもしれないけど
それを1日見てるわけにもいかないですし 引っ越した前の人との関係もそうですね
やっぱりちょっと客観的に捉えるとまぁ自分も自分に非があるのかなって思うことも あるんですけど
この性格のせいにしてましたね 難しいところはね人として見ればですよ
もう周りに影響されて自分の信念を
貫くことが まさに歴史を動かしてきた人物なんてそういうことをやってるわけですから
まあそれが悪いとも限らないんですよね ただあくまでも社会生活を送る上では
障害になるかどうかで言うと障害になりますよ 次ですが私はとても純粋無垢で素直すぎる
部分とひねくれてる部分が共存している 両極端なんですよ クラゲの場合
思い出されるのは中学生の時の女子に まあオタクっぽい発言を
してって言われた 何て言ったかな 何て言ったかな
ああ萌えって言ってみてって言われたんだ もうすぐの男子も
ガンプラ好きな奴がいて ついでにクラゲも言わされて 別にその否定していいのに
素直に受け入れてしまう 否定するっていう
選択肢はクラゲにはないんですね そういう素直すぎる部分と
まあそれが 荒波にさらされることによって徐々に
ひねくれていって っていう部分もあるわけですね
ひねくれてたとは思いたくないけど まあへそ曲がりなところとか
ありました 健常者はその中間ちょうどいいあたりに
収まるんだろうけど 両極端だし使い分けてるっていうのと
またまた違うんですね 今思い出したけど
昔はですよ 果たし終わって認知の歪みがあるから
なんとかして人に受け入れられとするんだけど 別に人に受け入れられるために生きてるわけじゃないんだよなって思ってね
いやまあもちろん っていうかまあどう考えても世間の人
まあそんなみんな人格主義者で尊くにかなったことをしてるわけでもないし そんな自分を責めなくていいと思ってだから
そんな健常者に 健常者に合わせるって感覚はないけど自分も健常者だと思ってるから
でも周りの常識に あざわざ
外号する必要ないなっていうことを 学んだ時はありましたね
そうするとなおさら 周りとうまくいかなくなるんだけど
難しいですよね でもあった生涯が
論理的思考と人間関係
人とは
仲間づまじく生きていくためには 今回の話で言うと自分は
正しくて
よりも 折り合いをつけていく
相手に受け入れて 折れることも学ぶことは大事かもしれないし
ここでちょっと一つ いつも思うことになってきたんですけど
あのいろんな議論が作想してるようなことで 前だと栄養学 今だと脳科学的なこと
まあ勉強してて
そんなのは疑似科学にしすぎないのに まあよく自分の考え
自信持って言えるようなっていう人 発達障害かって言うとお医者さんに多そうだけど
まあそれが理由なわけじゃないだろ 健常者なんだけど
まあそれでもないと自分の研究結果を 啓蒙することでできないかもしれないけど
なんでいろんな説があるのに自分の考えをそこまで 自信を持っているのか 無理して自信持って
嘘ついてる部分はあるかもしれないけど 演技してる部分はあるかもしれないけど
いやでもね自信持って言ってると思ったやつ 他の人の意見否定してるからそういう人って
明らかにいろんな諸説ある中の一つでしかないのに 健常者は逆に
どうしてそんな自信持ってるかなと思う 部分もあるし逆に
自分はとてもとてもそんな自信持って こうとなんて自分の考え言いませんと
よく世間の人はこんな 恥ずかしくもなく
自分の主張を話せるなと思って 暗きだったら
まあこういう条件で言うとこうかもしれないし みたいな言い方になると思うんだよなとか
逆にそう思うこともあるんですよ
あとこれも発達障害あるあるなんだけど
もう何とかもがいでもがいて
暗くなんかもう人に合わせようとか 迎合しようとか思いはないけど
でも無意識にね何とか まあ動物ですから何とか集団で生きれるように
してる部分はあると思うんだけど でも
発達障害という概念に出会ってから
直そうなんてしなくていいんだよなと 居直ってしまうことで
それがいいのかどうか難しいところなんですよね これが自分だと認めてあげるのはいいんだけど
ただ 何とかもがいてた
時の方がなんか 増しのような気がしたりもするんですよ
それで人と 会うってことやめてしまいましたからね
発達障害という概念に出会ってから
もう諦めがついていいんだけどもね
あと大学の研究でですね
人と関わってる時は
論理的思考が 抑圧されることが多かったみたいですけど
倉木がこの前話してた
ことに通じますね
人は話してる時 テンプレートを話してるだけだ
なんとなくその空気感で話しちゃってるだけだ ということを言いましたが まさにそういうことですね
逆に発達障害は 逆パターンなんですよ 逆なんですね
論理的に捉えて感覚的に
捉えたり空気を読んだりってことはできないんですよ
共感することと理解したり分析したり
論理的に考えることは共存しないらしいですね 困りましたね
では次の話なんですか
これは発達障害ゆえだと思うんだけど
負けるが勝ち 理解できないですね
真剣勝負ではそんなこと言われないと思うんだけど
人間関係においては
人間関係においては 負けるが勝ちって言われるけど
もちろんね あの
真剣勝負でない時に
いつでも真剣勝負でやりなさいっていう 常識のない人間は
嫌いなんだけど ただ負けるが勝ちとまで言うと
論理的な会話の重要性
いや結果論でしかないの気ぃすんだよなぁ かもしくは言葉の矢か
だとしたらそんな誤解される方は言い方しない方がいいと思うし
負ける勝ちって言ってる時点で だって勝負なわけでしょ
わざと負けたらただ いわゆる八百長ですよそれそんなのね
まあ汚い
生き方だとしか思わないですけど
じゃないのであれば負けるが勝ちって言い方しない方がいいと思うし
でまぁ定型発達の人はね 発達障害の人は
さっきの話戻りますけど 定型発達の人は発達障害の人は
なんか空気を見ないと思うかもしれないけど
暗きからしてみたらですよ なんでこんな論理的に話せる人少ないなと思うんですよ
だから国会聞いて 国会中継初めて聞いた時に
てか毎回聞くためにですね これは聞いててね気持ちいいんだけど
他どんなテレビの文化人のディベート 議論聞いてても
まあ建設的でない会話でしかないなと思うし
まあなんだろうな他の
日曜会話とか
ニュースとか聞いてても まあ本当に中身がないというか
ロジカルでない話し方 そして薄っぺらい話し方するなぁとしか思えないんですよ
まあ今回の話で説明がつきますね あとどんなに自分が説明人にしてもうちの両親なんかそうだけど
なんとなくでしか理解したいんですよぼんやりと だからそれに対する返答が
しっかり暗きを集めて論理的に話しているのに対して なんだか適当な答えにしかなってないんですよね
まあでも発達者はマイノリティですから マイノリティが間違えたとされるのはこの社会ですよね
感情に左右されるコミュニケーション
普通の人っていうのは 都合の良いことをただ押し付けてくる 感情的になった場合押し付けてくる存在でしかない
ですよね 逆に話を聞いてくれないと思うことが多いし
いくらこっちが しっかり詰めて話しても論理的にね
欠落なく話すことをしても もうめんどくさくなって聞いてくれないんでしょうね
理屈っぽいとか言ってしまって
あとですねこれも 一例としてあるのは
テレビなんか見てる時でも人の会話を聞いている時でも
もう省略してるというか お互いの
空気で伝わっちゃってるというか でもう次の段階の話に行っている
あるいは別の話に移ってるのにそれに気づかなくて 論理的じゃないなぁと考えてしまう
あるいは自分が いくら説明しても
正論を言ったところで
無意味である ということもあったように記憶してますね
本人たちの中ではもうちゃんと 空気が言いたいこともわかってるし
もう別の話に移ってるのに
まあ論理的に話してないようにしか 思う 考えてないようにしか思えないし
話がずれているとしか思えないし あと
20歳以外同事者として言っても思うのは 定型の20歳の人は
非常に感情によって
感情的になってなくてもですよ
ロジカルに考えられなくなってる 論理が崩壊してしまってる
つまり 話の内容が非常に妨げになってるという場合が多いのが聞いてしまう
感情論知っていいのかな そういうのは
あと 空気の悪い癖だけど
こと細かに分かりやすく説明することが 相手に伝わると思ってしまうんですね
どうやらそうではないようです
定型20歳の人はそのような感じないような らしいです
ある程度説明を省く方が分かりやすい という場合もあるだろうし
でもね 回りくどい説明の仕方がどうか ぐらいの判断はできるんですけどね
これも発達障害があるあるみたいなんだけど 人から怒られて どういう経緯があったのか説明して
なおさら怒られるって場合 これうちの親がそうですね
うちの親発達障害ですねもうね クラキが説明して
何がおかしかったのか説明して こういうことがあって こういうことがあって こういう理由で
もう言い訳にしか聞こえないんですよね
それじゃあ明日会おう
15:11

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