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2025-10-22 08:38

第4811回 ブッダVS哲学者ライプニッツ自分は存在するのか

特別支援学校に転校して大学に行った彼女、普通学校から引きこもりになった俺。

発達障害当事者です。そして宗教2世でもあります。ハイブリットなこの生きずらさによって起きた過去にあった学校や家庭での事件や悲喜こもごもな話を赤裸々に語ることによって、特性や特異な考え方をすることを知ってもらいたいです。

発達障害の特異な感性ゆえに世の中の理解できないことや、宗教をやめてから哲学的に考えてきたこと、そして音声配信者としての苦悩などの話もPodcastでしています。

発達障害専門家、当事者、興味がある人が発達障害を考える材料になればと思い、日常の考え行動を細かいところまで話しています。番組登録よろしくお願いします。コメント待っています。

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サマリー

このエピソードでは、ブッダの無我の教えとライプニッツの哲学的概念が対比されています。特に、モナドと呼ばれる分割不可能な存在について議論され、精神の本質に関する深い考察が行われています。

ブッダとライプニッツの対比
最近、哲学を勉強していて、そのブッダの諸無我との相違点があったので、お話ししていきたいんですけど。
諸無我というのは、すべてとも同じ一体がないという教えなんだけど、
ライプ・ツヒという哲学者の物語という考え方があって、
この人は科学者でもあるんだけど、哲学者でもあり、
このモダノという考え方は、すべての物質というのは、
学校の微文で分かる人は分かったと思うけど、
無限に分けることができるんですね。
原子が最終的な着地点ではないんですよ。
でも精神というのは、空間的な人がいないから分けることができないという考え方。
それだけには留まらないんですよ。
精神がモノだとやる。モナドというのは、これ以上分けられない。
このモナドというのは、すべての物は本質でできている。
つまり仏陀と諸無我とは真逆の考え方なんですね。
仏陀はそもそも実体本質なんてものはないという考え。
単体で存在しているものはない。
でもモナドというのは、空間的な広がりはない。
つまり他の物と繋がりを持たない。
原子とか分子とは違うものなんですね。
最初はクラケは思ったんだけど、
これは哲学の研究家によって意見が相違はあるだろうけど、
精神イコールモナドだと考えるのであれば、
仏陀が言うことをクラケは本当だと思っているから。
真相真理というか世の中の事実でしかないと思っているからね。
そういう意味ではこのモナド、
哲学の一つの考え方としては面白いんだけど、
残念ながら精神っていうのは、
これまだ話で勘の良い人はわかると思うんですけど、
そんなものは存在しないってことですね。
存在しないって言うとややこしいけど、
精神ってね、
心っていうふうに捉えると前話した通り、
これは現象であり実際は実態はないんだって言ったけど、
今言ってる精神っていうのは、
そもそもこんな概念自体成り立たないですよねっていうことを言いたいんですよ。
本当だから単に言葉としてあるっていうか、
もう何の意味もなさないですよっていうことを言いたいんですね。
面白い考え方だなと思ったんだけど、
精神だけは繋がりってものはなくて、
分割ができない。
でも、自我って何かっていうのも深いテーマではあるんだけど、
でも大抵の人はこの精神こそ、
自分の自分、哲学者でもね、
この精神、というか心、
自体に本質はあると。
面白いのが、分割するってことはそれだけ、
抽象的でなくなるってことなんですよね。
抽象的ってまとめるってことだから、
人間と犬と猫をまとめたら、
つまり抽象化すると動物ってことになるし、
動物を他の植物とかとまとめると生物ってなるし、
だから具体化していく。
だから人間というものを腕とか目とかに分けて、
今度はそれが細胞になり、今度はそれが原子になり、
永遠にこれは分けるってことができる。
もしそれで分けられないものが、
まあでもこれは永遠に分けられるっていうことが分かってるんだけど、
だからやっぱりブッダが言った通り、
分けれないものイコール世の中の本質と捉えるのであれば、
やっぱり全てのものに一体なんかないんですね。
モナドと精神の考察
どうでしょう、ライプチシのものなど、
学者さんによっては全てのものはものなどでできてる。
ブッダの言う全てのものは、
関係性でできてるっていうのと全く逆のこと言ってるんですね。
でもライプチシって科学者だから、
全てのものはネットワークでできてるっていうのは、
なぜ分からなかったのかなと思うんだけど、
これらのものは、
あまり意味がないのかなと思うんですけど、
まあでも、
本質というのが、
これ以上分けられないもの、つまりモノアサであるという考えはなんか面白いと思いますね。
面白いなんか言っちゃって大変おこがましてんだけど、
いや面白いっていうのは何でかっていうと、
単体で存在するものってものは、
これだって科学者が言ってるわけですからね。
そんなものがあるんだとしたら、
それは空間的な広がりはなければ、
だから線と同じですよね。
線を壁に掛けたことができても、
長さも形もないわけで、
それが単体だと。
それが本質だと。
毎日作楽屋で言ってた点ってことですよね。
自我っていうのは、自分っていうのは点でしかないと。
つまり存在しないんだと。
存在してるように感じるだけで。
って話してたけど、
ライブ通信の考える、
本質っていうのは、
実体があるという捉え方が、
哲学者をするみたいだけど、
ライブ通信を研究してる学者さんですね。
なんだけど、
なぜか本質であると。
だけどもね、
点っていうのは存在しないってことですからね。
だからブッダも、
自分なんてものは存在しない。
いないんだと。
仮想で作り上げた自分っていうだけで、
そんなものは存在しないんだと。
空であると。
それがブッダの空の思想ですよね。
処方無我ですよね。
ブッダは本質なんかはだからないということなんですよね。
なんか矛盾が生じてるような気がするんだよね。
あと面白いなと思ったのが、
分けていけば本質にたどり着く。
ってことは本質っていうのは、
具体化したもの。
さっき言ったようにまとめていけば、
抽象化ですから。
もう一度言いますけど、
ブッダの言ってる通り、
繋がりのないものはないですから。
現代人であれば分かる人も多いんじゃないでしょうか。
全てのものはネットワークで繋がってると。
だったとすれば精神なんて存在しないことになりますよね。
それではしたっけ。
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