心身の関係の考察
今回は、心身一言論、二言論という、なんか難しそうな哲学要道だけど、
でも簡単にお話ししたいんですけど、別にこれの説明というよりも、ちょっと倉木の考察したことなんですけど、
心身一言論というのは、体と心は別じゃない。
こんな答えでなさそうだけど、二言論というのは、心と体は別である。
別にどっちも正しいと言えば正しいし、正しくないと言えば正しくないような感じですよね。
こういう議論って倉木はどうでもよく感じるんだけど。
ただ、結構考えるべきことがあったので、話していきたいんですけど。
まず、精神ってこの時代だいぶ倉木は変わった考え方してるんで、
冷めた考え方してるんですよ。精神なんてものは一つ前のエピソードで話した通り、そもそもそんなもの存在しないんじゃないかとか。
精神とか体、心と体って言い換えてもいいんだけど、
心なんか現象で存在しないっていう考えもあるし、
心と体はどこまで繋がってる?いやいや、体自体が心だろうと。脳が心なんだから。
って言い方したら逆になんか冷たい感じると思うんだけど。
でもね、脳と心は別だって考えるのって、単にオカルトでしかないんですよ。
なんでかというと魂があるってことを言いたいだけだから。
脳が心である。心ってのは弁儀上であって、そういう現象を理論上心と捉えることがあるっていうだけであって、脳が心なのは当然のことですから。
これだけからしてみたら、どこかで繋がってるっていうよりも、
心なんていうのはただ単なる言葉の世界のことであるとしか思えないんだけど、言葉のあやでしかないと思うんですよ。
まあでも今回のお話はですね、最近話してる自我ってこととも非常に関係が深いと思うんですよね。
あくだけは最初、心と体繋がってるってのが正しい考え方だと、まともな考え方だと思ってたんだけど、
現代の科学は心と体を切り離して考えてきたからここまで進んできたと言うんだけど、
だからクラキの思ってる心身一輪論とまたちょっと違うのかな。ただこれ理解の問題じゃないと思うんですよね。
科学者は心と体が別であると、クラキでいうところのオカルト的な交え方が二元論なんだろうな、科学者にとっては。
つまりなんか変な意味での心と体を繋がってる。だからそう考えると、
いや昔の人はそういうふうに、たとえばおまじないで体の調子が良くなるとか、そういうことなんだろうな。
そういう意味でいくと、一元論、あ、違うんだ。さっき言ったのは科学者の一元論か。
だから科学者は二元論を信じてきたわけだけど、クラキが思う一元論っていうのはそうじゃないんだよな。
だから本質的には科学者と共通してて、ただ科学者の場合、心は別にあると捉えてるわけですよね。
クラキの心は存在しないって言ってますからね。
科学者は心を何だと思ってるんだろうな。そういった実体があると思っちゃってるんですね。
それはそれで、人間ってものをちょっと特別視しすぎですね、それはね。
他の物質とは違う何かだと思ってないよね、実はそう思ってるんですよ。
じゃなかったら人間はこの体だけであるってなるはずだから。
だから科学者も結局は神様とか宗教を信じたいんですよ。
だから前話しましたよね、科学者って結構スピリチュアルにのめり込んでしまう人が多いんだと。
逆に科学だけが全てだと思うとやりきれない思いがあるんでしょうね。
うつ病と精神疾患の理解
でもそれと哲学とは交えないでほしいんだよな。
偉そうに言ってしまってますけど。
あと今日ちょっと哲学について勉強してて、疑問に思ったんだけど。
だから科学者なんかは、お医者さん、医療の分野でも。
今はね、一元論も見直されてきてて。
医療の場で病気の人は、もとはといえばですね、
心と体を切り離せない?って考えなきゃいけない。
これ聞いて直感で分かりました。
いやそれは、一元論か二元論かの話とは違うだろうと。
いや元哲学者ってね、深く深く真理を突こうとしてると思ってたんだけど。
これを同一視するのはどうかと思います。
一元論かどうかとは違いますよ、と思うんですよ。
あくだけは一元論が正しいと思うけど。
でもうつ病なんかは、うつ病でさえですね、精神疾患でさえね、
心と体、分けるわけないの問題じゃないんだけど、
まあでも心を切り離して見ないと捉えることはできない。
しっかり体の病気と捉えたほうがいいっていう考えなんですよ。
どういうことかというと、単なるメンタルの問題だと思って、
精神論で何とかしようとして、どうにもならないんですね。
でも今は思ったけど、ちょっとうつ病の話になるんだけど、
根性で治すイコール精神論。
で、なおかつ精神論で治しちゃってる場合もある。
それは心と体を切り離して考えてないときなんだけど。
ちょっとややこしい話になってしまうんだけども、
クラキンの感覚では、心と体を切り離して、
まあこれ便宜上そうやって言うしかないんだけど、
伝えるためにそう話すしかないんだけど、
別に心と体は別だと捉える必要はないんですね。
とにかく心の病気だとだけ考えてしまうのは間違いだと。
さらにちょっとややこしい話になるんだけど、
その精神論かどうかと心だけの病気だと捉えるか、
ってまだ別なような気もしてきたけど、まあそれはいいや。
では次の話ですが、これも大変自我ということとつながりがあるんだけど、
臓器移植。
これを言われてあったらね、やっぱり自分と物存在しないかもしれないって
理解してもらえると思うんだけど。
臓器移植したら、今言ったこともそうだし、
乗り移るじゃないけれども、前の人の意識が移ってくるみたいだな。
まあこれ自体オカルトっぽいけど、
でもなんかそれっぽいこと聞いたことあると思うんですよ。
前の人の何か性質が移るみたいな。
こういうことは心身一元論でなきゃ説明つかないですよね。
意識にも影響を及ぼすということですから。
ただ多重人格障害。
クラキも二重人格といっても言ってるけど。
これなんかどうでしょうね。
心と体が一対一になってつながりがある。
というのであれば二つ精神ができちゃって、それは無人が生じますよね。
クラキが前に言った、体が二つある。
というのとはこれ逆かな。
体が二つある人はじゃあ、
自分ってものがあるのであれば、
こういう人はじゃあ、
いくつ自分があるんだみたいに話したことあると思うんだけど。
これも一元論では説明つかないでしょうね。
ただクラキが言ってるのは自分っていうことの説明であって、
精神イコール自分だとは別に思ってないから。
それは、そうですね。
逆、
それではお疲れ様でした。
それではしたっけ。