マンネリ化の考察
小さなことだと思わないで聴いていただきたいんですけど、食事中どうしてもマンネリ化が生じるんですね。
というか、慣れって言った方がいいのかな。
例えば、白和え、昨日は豆腐のサラダなんですけど、豆腐の部分だけ食べてると当然慣れてくると味がしなくなるんですよ。
豆腐だけは味覚が弱いから。
じゃあ変化させて、白菜の部分、あ、違う、小松菜を食べてるともちろんそれでは慣れてくると。
ってやってると、飽きたら次の食材、飽きたら次の食材ってやること自体も飽きてくるんですよ。
今までは次の食材に慣れ、また新鮮な状態、味覚で食べれるわけですけど、そうではなくなるんですね。
そしたら次はちょっと食べ方を工夫してみたりするわけですよ。
呼吸の仕方だったり、以前だと噛み方だったり、細かく言うと色々あるもんですよ、やっぱり。
首の角度とかでね。
スポーツ選手とかも気にしてるのかな、そういう呼吸法とか。
それでもね、味わえるかどうか変わってきて。
次はこういう食べ方、こういう食べ方だ。
そうやって食べ方を変えるっていうこと自体にまた慣れてきちゃうんですよ。
じゃあ次にグラケが思うのは、
変化するってことに、もう飽きてしまったなら、ずっと一定の食べ方で、同じものをひたすら食べ続ける。
っていうことをしたら今度はどうかってやってると。
もちろんそれにも慣れてきちゃうんですね。
ここら辺でだいたいね、どうすりゃいいんだと。
あっけに取られてしまう状態ですね。
変ですよね、変な話だろうけど。
まあこういう変なことが起きるんですよ。
もうやることないよと。
なすべがないよっていう状態になってしまうんですよ。
反省と諸行無常
じゃあうまく食べれないときの話も次にしたいんですけど。
なかなかこの料理うまく食べれないなっていうときは、
喧嘩つき的に今まではしてないようなことをするんですよ。
自分なりにルールを設けて。
こうしたら食べれると、なんていうんだろうな、思い込みなんだけど。
自己暗示というか。
でもそれでうまくいってもね、人間自体いろいろ変化してるし。
やっぱりね、今言ったサラダでも場所によってね、やっぱり多少味も違うわけだし。
食べてると満腹感とか味覚とかいろいろ、さっき言った慣れとかいろいろ変わってきますよね。
そしたら反省してね、ああこういう風にすればいいんだ。
あるいは喧嘩つきで、これからこういうことはやめようっていう風にしても。
それは通用しなくなるんですよ。
最近も諸行無常のお話はしましたよね。
あらゆるものは常に変わってるんだと。
だから反省はするんだけど、少しはね。
でもやっぱりそのとき、そのとき状況は違うんだよなと。
いうことも考慮してね、やっぱりやってますね。
でもね、昨日思ったんですけど。
反省したところで、やっぱりそのときそのときいろんな変化が生じてるから。
っていうその事実自体も変化してるなって思ったんですよ。
もちろんね、諸行無常ってこれは普遍的なことなんだけど。
これを疑い始めたらもうキリがないんだけど。
さっきのね、マンネリカの話もそうだけど。
自分なりにマンネリカしたようにあるいは、
さっきうまくいかなかった場合、次うまくいくように。
いろいろそのときそのとき、頭クルクル回転させながらね。
でも食べ方に集中しなくて、しっかり味に集中できるようにやってるんですけど。
今みたいに今話したように。
そうすればうまくいくだろうって事自体疑わしくなってくるんですね。
っていうね、パラドクスの話でした今回は。それではしたっけ。