食事と瞑想の共通点
倉木は日ごもりになって、食事中の悩みを気づいたこともあり、
それで、食事中、考えることにエネルギーを使ってしまって、
具体的なことを今回は話していきたいんですけど、
結構考えで老けてしまっているようなことがあって、
昨日もそうだったんだけど、最近はだいぶ迷いは少ないんですけど、
気づいたらね、意識がトリップしてしまってるんですね。
本当もう無意識レベルなんだけど、こうやって考えてしまってるんだけど、
少しずつ深い部分まで考えないようにできているんだよなぁって気づいたら考えてしまってるんですよ。
このレベルのことは自分にどうしようもない感もあるんですけどね、やっぱり考えちゃってるんですよね。
頭のほんの2%ぐらいかもしれないけどやっぱり考えちゃってるんですよ。
ほぼほぼ集中はできているんですけど、考えちゃってるんですよね。
ある時は反省、ある時っていうかね、大抵は反省しちゃうんですよね。
こうしていればこういう風にした方がいいかなって考えている時もあるし、
何かしら考えてしまうってことが迷われましたね。
でもね、パッと箸で取ってすぐ食べて、味にすぐ集中してっていう風にすると考える隙がなくなってね、
とにかく味わおうっていう風な意識を働かせた時点で思考回路って働いちゃってるんですよ。
あとちょっと細かいことだけど、しっかり咀嚼してって味があまり感じなくなったところから考えが繰り広げられてるような気がするんですよね。
だからね、食べ終わらなくてもすぐ次のものに行くっていう風に変えましたね。
あー反省なんかしないっていう風に決めてたんだーっていう反省をね、してしまったりして、
あーいけないいけない反省しないっていう反省をしてたって、またそれやって考えてたり。
本当、心の深いところ深いところで考えが繰り広げられてしまってる感じなんですね。
表面上ではね、ちゃんと食事に集中できてても。
だから瞑想してる時と同じですね。
やっぱりどこかで考えてしまってるわけですよ。
やっぱり人間って集中力に限界があるから、どっかこっかで考えてしまうタミングってあってね。
あと考えないようにしよう考えないようにしようってしたら瞑想もそうだけど、やっぱり考えちゃうんですね。
っていうか考えないようにしようって考えてること自体が考えてるっていうことだから。
ちなみにね、もう考えない人分かったと思うけど、
あー考えないようにしようって今考えてたっていう反省をしてしまってる時もあるんですよ。
だからなんかもうね、自分を客観的に考えてるところ見ちゃって、それ自体が考えてるみたいな。
すごいややこしい話なんだけど。
まあこれに気づけただけまだいいんだけど。
でもそうやって客観的に見てるってことは
いやその分ね、味に集中できてるのかどうかって微妙なとこですよね。
いやできてないんですよ。
でも客観的に見ることによって次回からはうまくいくようになるんだけど、
その時点では逆に味わえてないっていうそういう矛盾点が生じちゃうんですよね、これね。
だからといって反省しなかったらずっと同じ失敗を繰り返すっていうのはなかなか難しいとこなんですよ。
集中力と考えの矛盾
ややこしいですよねそうなんですよ。クラッキー自身はややこしいんですよいつも。
で最初は考えないようにしようっていう風に食事の前半までしててもね、途中から考えてしまうんですね。
最初はもう反射的に味に意識を焼くようにしてて、
あーでも、これじゃあ、なんか動物が食べてるみたいで全然どういう具材を使ってるとか、
これはどういう料理なのかなんて一切考えないで食べちゃってるのってどうなのかなーとか途中から客観的に自分を見てしまうんですよ。
つまり味に全然集中できてないんですよ。
勉強中ね、自分を勉強できてるかなーなんて客観的に捉えるのも集中できてない証拠ですからね。
没入してるときってそんな風に言うのは絶対ならないんですよ。
もう少し踏み込んで話すと、例えば白和えを食べてみるとどうしましょう。
で人参食べてね、あーこれはでも、人参食べてるけど白和えだからやっぱりゴマの風味とか、
あと大豆っていうのかな豆腐の風味を感じたらいいなーとか考えてしまって、
で途中で気づくんですよ、あーあんまり考えちゃいけないなーと。
そしたら途中でね、あー全然集中できてないことがわかるんですよ。
なぜかというと、あーこんなんとか考えちゃいけないなーっていう風にすると、
集中しようっていう意識がなくなるから。
でまぁそれで全然集中できてないことに気づいて、今度は集中しようとしますよね。
そしたら二重人格とかでクラキア出てきてね、何集中しようなんて考えちゃってるのって今度はまたそういう自分になるんですよ。
これでね、食事中にね、いろんなクラキア出てきてね、考えがあっちに行ったりこっちに行ったりしてる感じですよね、だからね。
こういう風にしようとして、あーそれじゃいけないいけないってやって、こういう風にしようとして、あーダメダメダメってなるわけですよ。
時にはね、味に集中してどうするんだって考えたり、
時には、あーもっと甘みをちょっと感じなきゃいけないなーとか、
時にはもっと全体を感じなきゃいけないなーとか、
どういうことかっていうと、いろんな具材使ってるわけだしね、いろんな調味料使ってるんだから一点に集中するっていうのもおかしいんだと思ってね。
でそうやったらなんかぼんやり食べちゃって、あーこれじゃ全然味わえてないなーと思って、
えーじゃあ次は一点に集中するようにして、
そしたらね、あーやっぱり変化するときっていろいろ考えちゃってるんだよなーとか、
またそうやって過去の自分を見て、反省じゃないけどもやっぱり考えちゃったんですよ。
そしたら今度は考えちゃいけないいけないとか考えちゃったんですね。
うん、いや食事中はほんと世話しないですね、だから。
そしたらね今度はね、いや食事中世話しないってことは全然味に集中できてないんじゃないかって気づくわけですよ。
そしたら今度はね、今ってじゃあ考えていなかったのかとか今度は考えちゃうんですね。
やーややこしいですね。
あれ以前グラキュラ宗教入ったときね、瞑想してるときなんかもそうでしたよ。
もうなんか集中、瞑想ってのは集中するってことだけど、
頭がぐるっぐる雑念ばっかり出てんのか集中できてんのか何がなんだかわかんない感じでしたね。
途中までなんかねすごい没入できてもね、途中からは全然もう今度は逆に何も瞑想になってなかったりということもありましたね。
それでしたっけ。